和歌山を歩く1からの続きです。
紀三井寺→ 海禅院多宝塔→妹背山→塩竈神社→玉津島神社→ 奠供山 (てんぐさん)→和歌浦天満宮→紀州東照宮→五百羅漢寺→秋葉大権現社→矢宮神社→神明神社→無量光寺→ 刺田比古神社(岡の宮)→弁天社→岡公園→和歌山県護国神社→多賀神社→ 東の宮恵美須神社・聖天宮法輪寺
奠供山を後にして和歌浦天満宮の方に歩いて行きます。和歌浦天満宮も宿題を残していました。というのも、以前訪れたときは16時30分前後だったので、門が閉められてしまうかもしれないと思い、山の方には入り口だけ入って、帰って来たんです。なので、今回はその再訪がメインです。
いつ見ても美しい楼門と楼閣。
楼門から見る和歌の浦。
本殿。
三社。右から白山比咩神社、天照皇大神宮・豊受大神宮、多賀神社が祀られている。
白藤巳大明神。ここが強力なんですよね。ただ、なんとなく「自分で道を決めろ。そうでなければ、加護も与えようがない」というような趣旨のメッセージが去り際、この裏手のところあたりでおりてきました。そりゃそうだよなと思いました。
白藤巳大明神のお守りをお返しして、新しいものを買ってきました。写真は古いものです。今までありがとう!
山門を超えると、高津子山に向かう登山道になります。ただ、その山門を超えたところからかなり強力なご神域という感じがしました。この日はその後の距離も考えて歩きませんでしたが、和歌浦天満宮と紀州東照宮の裏手の山が本体だなという感触は得ました。高津子山も良いのかもしれませんが、そちらに行かず、上の方に戻っていく道はいつか歩いてみたいなと思っています。
山の中に三社の旧地(舊地)の石碑。ここに三社があったんですね。
役行者石祠。
和歌浦天満宮は、平安時代の貴族・橘直幹が太宰府からの帰りに和歌浦に立ち寄り、道真の神霊を祀ったのが創始とされています。少なくとも、私がインターネットで検索した限りでは、ただ、私はそれ以前からここは何らかの形で祭祀が行われていたと考えています。道真の怨霊を鎮めようとするのではなく、道真に尊敬の念を持っている人が祀ったという点では、先日行った長岡天満宮のときに考察したことと重なります。ちなみに、今、「尊敬の念」ではなく「親近感」と書こうとしたら、訂正されました(笑)。橘直幹も文人として有名なのですが、スピリチュアルな能力を持っていたのではないかと思います。
さて、次に紀州東照宮に向かいました。実は鹽竈神社の前から、東照宮にかけて、3年前くらいの夏にたまたま車で通りかかって、そのときにすごい力だなと驚いたことがありました。満を持して東照宮です。紀州東照宮の土地は、もともと和歌浦天満宮から譲り受けたもので、江戸時代を通じて紀州徳川家も和歌浦天満宮を庇護しました。その意味でも、本来的にも、ここの山は一体として捉えてよいのかもしれません。
駐車場の一角に祀られている不動明王。もともとは力があるはずですが、あまり参拝されていないからか本来の力が失われている印象でした。私がご真言を唱えてお参りしていると、年配の男性の方が後をお詣りしてくださいました。神社仏閣って、みんなそんなに確信をもってお詣りしているわけではないので、前の人を真似したりしますよね(私もお葬式のご焼香はいつもそうでした!)。だから、なんとなくお参りしている人が増えると、お参りする人が増えるんです。よかったら、ご縁のある方は、こちらのお不動様にお詣りなさってください。
美しい参道。
稲荷大明神の手前のご神木
稲荷大明神。動画である深い意味はないんですけど、写真を撮り忘れたので。
弁財天社
弁財天社の前から石橋を臨む
参道から左に入るところがあり、そこでほんの少しだけ上がると、稲荷大明神社があり、長い階段の手前、右側に降りていくと、弁財天社があります。私的には、この二つはセットでした。というのも、私には弁財天社が普通の弁天様ではないと感じられました。実際、地主神が祀られていると書いてあります。私は、ここはとても地の力に繋がっていると感じて、さらには磐長姫を感じました。ここから見上げた写真を上に載せましたが、ちょうどこの角度に稲荷大明神社があり、エネルギーがこの下から上がっていってるのを感じました。ほとんどの方はこの二つもスルーされるのですが、もったいないことです。ひょっとすると、人払いだったのかもしれません。
東照宮は楼門の先は基本、撮影禁止だと思います。拝観料300円、さらに説明付きだと500円になります。私は事前に調べていかなかったので、説明付きというのは単にパンフレットをいただけるものと解釈したら、まさかの巫女さんが横について全部解説して下さいました。年配の方でしたが、和歌山弁の先輩おばあさんに、絵を見ながら喋らないと伝わらないと教わったそうで、全部、ソラで解説して下さいます。それは単に神職ないし巫女さんによる解説だけでなく、最初に一緒に参拝しますし、この神社を大切に思うそのエネルギーもいただけるのです。絶対おすすめです!
彫刻の説明は、ほぅーっと聞いていたのですが、その中で解説にも書いてないことで心に残ったのは、四方に仏様を入れて作ったこと、廃仏毀釈で麓にたくさんあったお寺は廃寺になってしまったけれども、これだけは残ったということでした。御神事とか仏事としてやってなくても良いのです。大事に思い続けて語り続けてる、それだけでもありがたいです。
ただですね、最初にここが家康が静岡で晩年一緒に過ごした十男で、初代紀州藩主であった徳川頼宣公によって建てられたという説明を受けているあたりから、見たことがない、感じたことがないほど、家康公がニコニコとまるで「いいだろう?」という雰囲気でいらっしゃる感じがしました。私自身の記憶はないのですが、なんか前にセッションを受けたときに、徳川家康公からお礼を言われたことがあって、それはどうやら過去生で、私が城の整備をやったり、大奥の管理をする役職についていたらしく、それに対するお礼だったようです。私の感覚としては、家康公の方が身分は上だったとしても、ある種、対等というか、少なくとも神様と奉るようなものはずっと持ったことがなかったこと(これは今に至るまで)、それから女性がたくさんの職場は大変だなという実感はありました(笑)。十男ともなると、家康公61歳の時の子どもで、今の感覚だと孫に近いと思います。だから、孫を可愛がるに近い感覚だったんでしょう。私の過去生が戦国時代にあったとして、現代風に言うと、仕事場以外のプライベートな(デレデレした)優しいところを初めて見たという感じでした。ただ、その後、いろいろ回った印象だと、頼宣公はスピリチュアルな力も持っていたんじゃないかなという気がしています。
紀州東照宮から次は五百羅漢寺と秋葉大権現社を目指していきました。私が前回、バスで帰るときに、何このお寺の強さと気になって、今回、行ってみたのですが、誰もいらっしゃらず、お寺は外からしか見れませんでした。そして、墓地の奥にある秋葉大権現社をお詣りしました(墓地で掃除している方に許可はいただきました)。
秋葉山は公園の名前で、弥勒寺山という呼称があるように、戦国時代には弥勒寺があったようです。この弥勒寺は、浄土真宗の本山でもあり、後に鷺ノ森に移転したということです。ただ、私はもっと古い時代、古代からここには意味があったように思います。浄土真宗のお寺の前に天台宗の弥勒寺があったようです。
何が意味があったのか具体的には分かりませんが、秋葉大権現社の前の広場に立った時、ここに来た意味はあったなと思いました。ただ、ここに来た、ということに意味があったようです。私の後ろの方が仕事をしてくださったことでしょう。
秋葉大権現社
秋葉大権現社から和歌浦天満宮・紀州東照宮をのぞむ
秋葉大権現社を後にして次はGoogleマップで見つけた矢宮神社に行きました。ここは御祭神が賀茂建角身命なんですね。賀茂建角身命と言えば、京都の下鴨神社の御祭神であり、玉依姫の父神でもあります。下鴨神社に行ったときには、瀬織津姫と玉依姫という女神ばかりに気を取られて、父神の賀茂建角身命とはうまく繋がれなかったんです。
矢宮神社ではすごく歓迎されました。帰るときもずっと温かい御神気が鎮守の森の木々の中でサーっとありました。矢宮神社は織田信長の紀州攻めのときに、社殿や古書を焼失しているので、口伝で残るだけらしいのですが、推古天皇の御代に建てられたようです。このあたりを歩いた限りでは、和歌山市内ではもっとも古い神社仏閣になるんじゃないかなと思います。まあ、それはあくまでも現存する神社仏閣として一番古いという意味で、もっと古い時代には別の信仰もあったでしょう。
境内社を見ると、本殿の右側に伊勢神宮、大神神社、左側に春日神社、住吉神社、さらに左奥右側の摂社があり、右側に稲荷神社、左側に金毘羅宮を祀っています。これで見ると、古い時代から権力の強い神社と縁があり、その結果、それぞれの時代に摂社を祀ったのではないかと思いました。出雲系の神様も祀っていますよね。私自身も懐かしい感じがしました。
右が弥勒寺山(秋葉山)、左が愛宕山。やはり、遠くから見ても力を感じます。
次に、神明神社に行きました。これを書きながら気が付いたんですが、神明神社はここの続きで書くよりは、その後の展開と関係している場所のようなので、次に回すことにします。






















































































