東寺を後にして、仁和寺に行きました。
先週、北野天神の特別展に行ったときに、仁和寺から出展された「理趣釈」があり、そのとき、ああ北野天神を理解するためにも、行かなければならない、と思っていたのです。今回は、前回、歩けなかった船岡山公園側の磐座の方に行ってみるという目的もありました。
仁和寺山門
山門後ろから。あとで正面を撮ろうと思ったんですが、東門から抜けてしまったので、こちらだけです。
九所明神の鳥居。
九所明神の拝殿
九所明神の本殿。
九所明神は、京都の主要な神社から勧請されています(日吉大社は滋賀ですが、比叡山の鎮守でもあったので)。詳しくはここの解説に書いてありますが、伏見稲荷、八坂神社、日吉大社西本宮、下鴨神社・上賀茂神社、石清水八幡宮、松尾大社、平野神社、日吉大社東本宮、木嶋坐天照御魂神社ですね。仁和寺がどれだけ重要なお寺であったのかが伝わってきます。ただ、木嶋坐天照御魂神社だけは、最近でこそあの鳥居で有名になりましたし、私も4月にお詣りして、すごい神社だなとは思ったのですが、他のビッグネームに並ぶほどの神社と捉えられていたのは少し驚きでした。
中門。
多聞天(毘沙門天)
持国天。
大日如来の梵字。
たまたま私が五重塔の前に立ったときには人がいなかったので、般若心経と光明真言を小さい声で唱えました。
経蔵
金堂(本堂)
観音堂。
実は観音堂の前に来たとき、おそらく法事を終えた方たちがでていらっしゃるところで、私は千住観音様を拝むことが出来ました。山門を潜ってすぐの入り口のところに庭園の方の料金所があり、私はてっきり入山料だと思ったので、そこでお話を聞くと、仏様は公開していないが、お堂の拝観は無料という説明を受けていたのです。まさに、このタイミングしかなかったですね。あとで歩きながら、しみじみ有難かったなと思ったのですが、どうやら観音様からしても、方々を歩いている私と接する意味はあったようで(実際、どういう意味があったのかは私には分かりませんが)、お互い様なのだというようなインスピレーションが来ました。
これには後日談が少しだけあります。実は私は昨年、静岡県の三嶋大社の近くで磐長姫を感じたことがあって、数年ぶりに貴船神社に行ったんです。そのときに鞍馬寺も行きました。鞍馬寺では勤行儀を買ったんですが、どうもそのときはお寺の方に何でお前がこれを必要としているんだ?というか、とてもまじめに修行するように見えなかったんでしょうね、少しだけ不審な顔をされた気がしたこともあって、その後、ほとんど開けてなかったんです。あ、ても、このときは私もとりあえず買っておこうという感じだったので当然の反応でした。
ところが、仁和寺に行った数日後、なぜかその鞍馬寺の勤行儀を手に取って驚きました。鞍馬寺のご本尊が三尊で、毘沙門天、魔王、千手観音で、しかも読み進めていくと毘沙門天の本地が千手観音と書いてあったのです。今まで、十一面観音様は長谷寺(鎌倉も奈良もです)や聖林寺(元大神神社の大御輪寺)などで近しい感じがあったのですが、千手観音様はわざうかに広隆寺でお会いしただけで、まだ少し遠かったので、グッと近くなってきた感じがしました。うれしいです。毘沙門天も同じなんですけどね。
御影堂。
御影堂もなぜか私がお参りしたときには、ちょうど人がいなくなるタイミングで、空海さんに話しかけてみました。結界を張り直せ(様々なところで空海の名前が残っているのは、結界を張って歩いていたようです)。私は空海さんが生きていた時代、今よりも自然環境は破壊されていないと思ったので、結界を張る必要があったのか聞いてみたんですが、今は物はあるが、寂しい、ということらしく、餓鬼の映像?みたいなものが一瞬来ました。「幻想に踊る私たちも同じ。実態はない」と私のメモには書いてあります。昔は自然は豊かであったが、生きていくには厳しい環境もあった。とここまで聞いたところで、後ろの人が来たので、そこで終わりました。
水掛不動尊
こんなに長い柄杓で水を汲みます
仁和寺は大学生のボランティアたちが解説していました。最初、近所の仏教大学の学生さんかなと思ったら、私が見た子は立命館の名前がついていました。私は一人でゆっくり回りたいので、お願いせず、周りの方が聞いてる解説の声が聞こえてくるのを時折、聞いていただけですが、よく勉強されていて、とても良いと思いました。神社仏閣は地元の年配の方がボランティア解説しているところも少なくないですが、若い子は珍しいですね。何かゼミかサークルなのかもしれません。せっかくここまでいらしたら、解説をお願いすると良いかも知れません。
仁和寺を出て隣の蓮華寺に行きました。ここは山号を五智山と言います。その由来になったであろうこちらの石仏、五智如来です。この五智如来の前で般若心経と光明真言を唱えたのですが、西陽も相まって、メチャクチャ熱くなりました。ここは仁和寺に比べると、人はまったくいないのですが、お勧めしたいです。
蓮華寺を出て船岡山に向かう途中に立ち寄ったのは住吉大伴神社でした。もともとこの地域を治めていた大伴氏が祀っていた古い神社のようです。私より少し若い近所の二十代か三十代の男性の方がとても長くお詣りされていました。私は最初案内板を読んでいたところ、軽く挨拶の声をかけていただきました。その真摯な姿勢は印象深かったです。神様とお話ししているという感じでした。私は身滌大祓を唱えました。ここもバーっと御神気が来ました。
北野天満宮には、伴氏という道真公の御母堂が弔われていますが、彼女はその名前の通り、大伴氏族の出身です。その大伴氏はもともと、この地域を治めていたんですね。本当は龍安寺も行けたら良かったのですが、時間的に割愛してしまいました。そしたら、別の何かも分かったかもしれません。これを書く数日前、以前の和歌山に行ったときのエントリを読み返していたら、大伴氏のことが書いていました(つまりは忘れていたのです。というか、このブログは私が安心して忘れるために書いているところもあります)。そのときのインスピレーションだと、大伴氏は大国主命に近い関係だったようです。こんなところで繋がってくるとは驚きです。でも、だからこそ、北野天満宮では伴氏廟のところで足を停めさせられたんですね。
さらに、西に歩いてくると、金攫八幡宮の近くに差し掛かったので参拝し、身滌大祓を唱えました。信号が変わるまでの短時間しかいませんでしたが、良いエネルギーの神社でしたよ。
遠くから船岡山を臨む
ここが磐座のようになっていますが、往時の磐座はこの形ではないように思いました。ただ、ここで身滌大祓、般若心経、光明真言を唱えました。
石清水八幡宮の方向。
船岡山は、応仁の乱のときに陣城が築かれた影響で、磐座らしい磐座は残っていませんでした。もともと船岡山自体が巨大な磐座のようなものだったと思うのですが、その雰囲気はそのまま残っている岩からいくつか感じられました。
妙見社
建勲神社拝殿
本殿
その後、改めて建勲神社に行きました。神様はやはりこちらの方にいらっしゃるように感じました。信長公が祀られているんですが、私はある意味、道真公と同じで、自分が祀られることで、もっと大きな神様を護ら役割を与えられたのだと考えています。特に明治時代ですから、世は武を求めた時代、人気のある信長公は信仰が集まりやすかったと思います。今もある意味そうですね。とにかくどんな形であれ、神域として残されているのは、大変ありがたいことです。
そして、この日も美味しいパンを買って帰りました。