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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

先月の末、枚岡神社の神津嶽の展望台に立った時、淡路島に神様が集まっているような空でした。そのときの様子はこの記事に書いてあります。再び友人を誘って、淡路島に行くことにしました。


今回、回ったのはこのコースです。


岩神寺・岩上神社→伊奘諾神宮→岩戸神社→千光寺→岡尾山大師堂・御嶽神社→諭鶴羽神社→諭鶴羽山頂→平和祈念塔→由良湊神社・金刀比羅神社・心蓮寺→伊勢久留麻神社→恵比須神社・岩樟神社→松帆恵比寿神社


車の中では、近況を話し合ったり、お互い2週間くらいしか空いてなかったのに、色んなことが起こってて面白かったです。実は私は、友人が先々週に出かけていた大龍寺に前日、行こうかと思っていたんですが、ダラダラしていたら、機会を逸してしまいました。そしたら、友人は月曜が空海の誕生日で、大龍寺からそのイベントのお知らせが届いた、ちょうど仕事で行けなくなったので、私にその招待券を渡そうと思っていたというではないですか。驚きました!さあ、実際は起きていけるのかどうかですね。


最初の目的地は伊奘諾神宮の奥宮でもある岩上神社です。実は到着したタイミングもミラクルでした。私たちが到着したタイミングで地元のお掃除をされていた方だちがちょうど終わって帰られるところだったのです。なぜ、このタイミングがミラクルかというと、岩上神社に至るまでの道はとても細く、途中ですれ違うのはほぼ不可能なのです。ただし、距離はそんなにありません。とはいえ、もう少し到着が遅かったら、4、5台とすれ違わなければならなかったはずなのです。


今回、岩神寺の前に立って、ここが真言宗のお寺であること、そして聖徳太子が作ったとされる観音様を本尊としていることを、改めて知りました。ここで般若心経と光明真言を唱えました。


前回の記録で書きましたが、私はここが伊奘諾命にもっとも繋がりやすい場所だと思っています。



ただ、正直、今回はここ!っていう感覚はなかったです。もちろん、御神気はあるんだけど、圧倒的な感じはなかったですね。今回はどちらかと言うと、観音様繋がりだった気がします。


岩神寺本堂


赤い賓頭盧さんは珍しい?




岩上神社拝殿。六根清浄大祓と天地清浄大祓を唱えましたが、むしろ身滌大祓の方がフィットしてました。


本殿


摂社


磐座。ただし、この神社は室町時代の創立で、石上神宮から神様を勧請したという。奇しくもこの日は石上神宮の御鈴守を持っていました。






岩上神社から次は本体の伊奘諾神宮に移動します。神門や手水舎が工事中でした。それにしてもここの神社は一ノ宮だけあって、人が次から次へと参拝に訪れます。







拝殿、本殿、正面から撮ってなかったんですが、この日は後ろからが気になりました。


根神社・竈神社


根神社は素戔嗚尊を祀っています。ここでお詣りして立ち去ろうとしたら、薬師如来の御真言がふと浮かんできました。驚きました。でも、素戔嗚尊は、熊野本宮大社では、本地仏が薬師如来とされているんですよね。





なぜか神社を後にする前に気になったのは、前回は流すように見た陽の道標のモニュメントでした。


岩上神社は友人が行きたいと前々から話していて、私は私で伊奘諾神宮と岩上神社は淡路島に来たならご挨拶すべきところと認識していました。そういう意味では、私はご挨拶して友人を連れて来るというのが、今回のこちらでの最大のミッションだった気がします。


台風が関西地方に迫っていた火曜日、どうにも誰かの思いに引きずられたようで、体調がメチャクチャ悪く、早く帰って来たはずなのに、ご飯を作る気力が足りなかったんです。それでいつものカレー屋に行きました。

 

話をしているときに、ママさんから、六根清浄大祓を唱えた方が良い、と言われました。私は、基本、私が出会った人で、私に助けを求めている生き霊を拒むことはありません。なので、最初は抵抗していたんですが、帰ってからついつい「伏見稲荷大社大祓御神徳記」を開いて、見えてしまったので唱えてみました。

 

YouTubeに動画もいくつもあるよ、とは言われたので、見てはみたものの、あまりピンと来なかったので、自分で唱えることにしました。いつもながら建治寺さんの動画は素晴らしいのですが、真似できるようなものではないし、私とはリズムが違うのです。リズムが違うというのは、私が宗派の訓練を受けてないという以前に、そもそも法楽太鼓を使ってるのでということもあるのですが、私は祝詞、ご真言、お経を唱えるときに、自分の中の内なるリズムがあると思っているのです。それは人それぞれ違うのではないかとも考えています。私自身の声の出し方やリズムも少しずつ変化しています。折に触れて録音しておけばよかったですね。

 

私は出かけるときに、神棚というか、御札の前で身滌大祓を唱えているんですが、それをこれからは六根清浄大祓にしようと思います。思い返すと、私がもともと使っていたのは拝詞だったんですが、徐々に身滌大祓に代わって行き、今回、六根清浄大祓になったということで、段階ごとにパワーアップしているのかもしれません。ちょっと、神社や磐座などで参拝しているときに、身滌大祓だけでは力的に足りないなと感じる場面も少しずつ出てきたので、良きタイミングだったのかもしれません。拝詞と身滌大祓は似ているということもあって、拝詞は使わなくなってしまいました(似ているので言葉も混同しがちなんです)。たぶん、身滌大祓と六根清浄大祓は場面ごとに使い分ける感じになるのかなとも思うのですが、今回はどうなることやら。

 

ところで、その後、コーヒーを飲みにいったときに体調大丈夫?と聞かれて、すっかり忘れていました。。。こわっ、自分。

東寺を後にして、仁和寺に行きました。

 

先週、北野天神の特別展に行ったときに、仁和寺から出展された「理趣釈」があり、そのとき、ああ北野天神を理解するためにも、行かなければならない、と思っていたのです。今回は、前回、歩けなかった船岡山公園側の磐座の方に行ってみるという目的もありました。

 

仁和寺山門

 

 

 

 

 

山門後ろから。あとで正面を撮ろうと思ったんですが、東門から抜けてしまったので、こちらだけです。

 

 

 

九所明神の鳥居。

 

九所明神の拝殿

 

九所明神の本殿。

 

九所明神は、京都の主要な神社から勧請されています(日吉大社は滋賀ですが、比叡山の鎮守でもあったので)。詳しくはここの解説に書いてありますが、伏見稲荷、八坂神社、日吉大社西本宮、下鴨神社・上賀茂神社、石清水八幡宮、松尾大社、平野神社、日吉大社東本宮、木嶋坐天照御魂神社ですね。仁和寺がどれだけ重要なお寺であったのかが伝わってきます。ただ、木嶋坐天照御魂神社だけは、最近でこそあの鳥居で有名になりましたし、私も4月にお詣りして、すごい神社だなとは思ったのですが、他のビッグネームに並ぶほどの神社と捉えられていたのは少し驚きでした。

 

中門。

 

多聞天(毘沙門天)

 

持国天。

 

 

 

大日如来の梵字。

 

たまたま私が五重塔の前に立ったときには人がいなかったので、般若心経と光明真言を小さい声で唱えました。

 

経蔵

 

金堂(本堂)

 

観音堂。

 

実は観音堂の前に来たとき、おそらく法事を終えた方たちがでていらっしゃるところで、私は千住観音様を拝むことが出来ました。山門を潜ってすぐの入り口のところに庭園の方の料金所があり、私はてっきり入山料だと思ったので、そこでお話を聞くと、仏様は公開していないが、お堂の拝観は無料という説明を受けていたのです。まさに、このタイミングしかなかったですね。あとで歩きながら、しみじみ有難かったなと思ったのですが、どうやら観音様からしても、方々を歩いている私と接する意味はあったようで(実際、どういう意味があったのかは私には分かりませんが)、お互い様なのだというようなインスピレーションが来ました。

 

これには後日談が少しだけあります。実は私は昨年、静岡県の三嶋大社の近くで磐長姫を感じたことがあって、数年ぶりに貴船神社に行ったんです。そのときに鞍馬寺も行きました。鞍馬寺では勤行儀を買ったんですが、どうもそのときはお寺の方に何でお前がこれを必要としているんだ?というか、とてもまじめに修行するように見えなかったんでしょうね、少しだけ不審な顔をされた気がしたこともあって、その後、ほとんど開けてなかったんです。あ、ても、このときは私もとりあえず買っておこうという感じだったので当然の反応でした。

 

ところが、仁和寺に行った数日後、なぜかその鞍馬寺の勤行儀を手に取って驚きました。鞍馬寺のご本尊が三尊で、毘沙門天、魔王、千手観音で、しかも読み進めていくと毘沙門天の本地が千手観音と書いてあったのです。今まで、十一面観音様は長谷寺(鎌倉も奈良もです)や聖林寺(元大神神社の大御輪寺)などで近しい感じがあったのですが、千手観音様はわざうかに広隆寺でお会いしただけで、まだ少し遠かったので、グッと近くなってきた感じがしました。うれしいです。毘沙門天も同じなんですけどね。

 

御影堂。

 

御影堂もなぜか私がお参りしたときには、ちょうど人がいなくなるタイミングで、空海さんに話しかけてみました。結界を張り直せ(様々なところで空海の名前が残っているのは、結界を張って歩いていたようです)。私は空海さんが生きていた時代、今よりも自然環境は破壊されていないと思ったので、結界を張る必要があったのか聞いてみたんですが、今は物はあるが、寂しい、ということらしく、餓鬼の映像?みたいなものが一瞬来ました。「幻想に踊る私たちも同じ。実態はない」と私のメモには書いてあります。昔は自然は豊かであったが、生きていくには厳しい環境もあった。とここまで聞いたところで、後ろの人が来たので、そこで終わりました。

 

 水掛不動尊

 

こんなに長い柄杓で水を汲みます

 

 

 

仁和寺は大学生のボランティアたちが解説していました。最初、近所の仏教大学の学生さんかなと思ったら、私が見た子は立命館の名前がついていました。私は一人でゆっくり回りたいので、お願いせず、周りの方が聞いてる解説の声が聞こえてくるのを時折、聞いていただけですが、よく勉強されていて、とても良いと思いました。神社仏閣は地元の年配の方がボランティア解説しているところも少なくないですが、若い子は珍しいですね。何かゼミかサークルなのかもしれません。せっかくここまでいらしたら、解説をお願いすると良いかも知れません。

 

仁和寺を出て隣の蓮華寺に行きました。ここは山号を五智山と言います。その由来になったであろうこちらの石仏、五智如来です。この五智如来の前で般若心経と光明真言を唱えたのですが、西陽も相まって、メチャクチャ熱くなりました。ここは仁和寺に比べると、人はまったくいないのですが、お勧めしたいです。

 

 

 

 

蓮華寺を出て船岡山に向かう途中に立ち寄ったのは住吉大伴神社でした。もともとこの地域を治めていた大伴氏が祀っていた古い神社のようです。私より少し若い近所の二十代か三十代の男性の方がとても長くお詣りされていました。私は最初案内板を読んでいたところ、軽く挨拶の声をかけていただきました。その真摯な姿勢は印象深かったです。神様とお話ししているという感じでした。私は身滌大祓を唱えました。ここもバーっと御神気が来ました。

 

北野天満宮には、伴氏という道真公の御母堂が弔われていますが、彼女はその名前の通り、大伴氏族の出身です。その大伴氏はもともと、この地域を治めていたんですね。本当は龍安寺も行けたら良かったのですが、時間的に割愛してしまいました。そしたら、別の何かも分かったかもしれません。これを書く数日前、以前の和歌山に行ったときのエントリを読み返していたら、大伴氏のことが書いていました(つまりは忘れていたのです。というか、このブログは私が安心して忘れるために書いているところもあります)。そのときのインスピレーションだと、大伴氏は大国主命に近い関係だったようです。こんなところで繋がってくるとは驚きです。でも、だからこそ、北野天満宮では伴氏廟のところで足を停めさせられたんですね。

 

 

 

 

さらに、西に歩いてくると、金攫八幡宮の近くに差し掛かったので参拝し、身滌大祓を唱えました。信号が変わるまでの短時間しかいませんでしたが、良いエネルギーの神社でしたよ。

 

 

遠くから船岡山を臨む

 

 

 

 

 

ここが磐座のようになっていますが、往時の磐座はこの形ではないように思いました。ただ、ここで身滌大祓、般若心経、光明真言を唱えました。

 

石清水八幡宮の方向。

 

船岡山は、応仁の乱のときに陣城が築かれた影響で、磐座らしい磐座は残っていませんでした。もともと船岡山自体が巨大な磐座のようなものだったと思うのですが、その雰囲気はそのまま残っている岩からいくつか感じられました。

 

 

 

妙見社

 

建勲神社拝殿

 

本殿

 

その後、改めて建勲神社に行きました。神様はやはりこちらの方にいらっしゃるように感じました。信長公が祀られているんですが、私はある意味、道真公と同じで、自分が祀られることで、もっと大きな神様を護ら役割を与えられたのだと考えています。特に明治時代ですから、世は武を求めた時代、人気のある信長公は信仰が集まりやすかったと思います。今もある意味そうですね。とにかくどんな形であれ、神域として残されているのは、大変ありがたいことです。

 

そして、この日も美味しいパンを買って帰りました。