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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

数日前にこの動画に出会いまして「あ、週末はここに行こう」と思いました。Zen with Zenさんの動画、どれも素晴らしいです。20260418に実際に、この近辺を歩いてきましたので、そのレポートをしたいと思います。

 


和泉中央駅→春日神社(松尾寺鎮守社)→松尾寺→宝瓶院→松尾寺のくす(白龍大神が祀られてました)→観福寺→春木春日神社(元物部布留神社)→地蔵寺(大師堂)→内田春日神社

 

この日のルートは、こんな感じでした。ただ、逆から歩いた方が良かったかなとも思います。松尾寺の後ろから入ってしまったのですが、たぶん、観音道で正面から上がって行かれた方が、参詣の順番としては良いです。

 

松尾寺のおそらくは鎮守社であろう春日神社ですが、すごくパワフルでした。特に、本殿もそうなんですが、本殿の右横あたりが気になりました。身滌大祓を唱えると、御神気が立ちあがってくる感じがよくするんですが、あれってどういうメカニズムなんでしょうね。

 

松尾寺は、役行者が開いた寺で、中世までは天台宗と真言宗のどちらもが修業していたようです。現在は天台宗のお寺ですが、大師堂があって、弘法大師が祀られています。本堂は、法事をなさっていたようなので、仏像を拝観したいというような雰囲気ではなく、おとなしく次の場所を目指しました。

 

境内とおそらく公園になっている場所も旧境内なんだと思いますが、トータルでエネルギーが良かったです。公園も人が多いようなファミリー向けの公園という感じではないので、雰囲気が残りやすいのでしょう。紅葉がきれいでした。これは私の個人的な感覚かもしれないんですが、山寺は落ち着きますね。ここも戻って来たな感がしました。

 

 

春日神社、拝殿。

 

春日神社本殿。

 

 

 

松尾寺から春日神社をのぞむ

 

 

 

不動堂。

 

 

 

金堂。

 

 

 

 

 

増長天

 

持国天

 

首堂。義経がここ松尾寺と堺の港寺と大阪の四天王寺で一ノ谷の戦いで戦死した将士を送って弔ったそうです。

 

 

 

宝瓶院(松尾寺の末寺、塔頭寺院)の本堂。

 

松尾寺の楠(くす)。ここはすごかったです。

 

伝わるかどうか分かりませんが、動画ものせておきます。

 

楠の木の下には阿弥陀様と観音様。

 

 

 

こちらから上がって行った方が本来的にはよいと思います。

 

松尾寺を後にして、観福寺というお寺にやってきました。江戸時代に建てられたお寺なんですが、住職さんが不在で、詳しいお話を聞いたり、仏像を拝観したりは出来ませんでした。残念。地域に根差したお寺という感じなので、なかなかもう一回、行こうという風には今のところなっていないのですが、興味はあります。個人的には、松尾寺が天台宗の単一のお寺になったのは徳川の影響で、だからこそこちらに別の真言宗の新しいお寺を建てたのかなと想像してしまいました。

 

 

 

そして、春日神社にたどり着きました。

 

本殿、戎神社、九頭神神社があります。今、調べたら、ここに詳しい記録があったのですが、この記事によると、戎神社のところが元の若宮社だったようですね。そして、それこそが物部布留神社の元の神様をお祀りしていたようです。私も実は気になったのは、ここでした。そもそも、私はいくつかの戎神社はお参りしているんですが、ここは全然、事代主(えびすさん)の雰囲気がありませんでした。というか、別の神様ではないかと感じたんです。どういう経緯で戎神社が出来たのかは気になりますね。戎神社の少し前のところに荒魂を祀っていた新しいお社(春日大神荒魂社)があったのですが、戎神社がどちらかというと、荒魂的なエネルギーを持っているなと私は感じました。

 

春木春日神社は、明治期の神社合祀政策の影響で、地域の春日神社を合祀していきました。ただ、ここら辺が春日神社が多かったのはもともと中世に春日大社の荘園地であったらしく、私はその影響ではないかと思います。そうであるならば、もともと政治的に春日神が信仰されていたわけで、明治時代は別の形での政治的な影響とはいえ、その中核の春木春日神社が総氏神のような役割を担うようになったのも悪くないようにも思えたのですが、それはあくまで地域・地区を知らないよそ者の感想です。神宮寺がなくなっても、近所のお寺が仏像を守り続けているのは素晴らしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

春日大神荒魂社。

 

戎神社は横手参りが出来ます。横から参拝できるところはありますが、それを横手参りという形で、紹介しているところは初めてでした。

 

本殿。

 

春日神社には元神宮寺の宗福寺があり、そこに空海が一冬、逗留したことがあったそうです。春木町会館か駐車場のところが元神宮寺の跡地でしょうかね。

 

九頭神神社。九頭龍はよく聞きますが、九頭神というのは珍しいですね。

 

 

 

 

 

春木口のバス停の待合のようになっていたお地蔵さんのお堂。パワフルでしたね。

 

大阪府道226号線を和泉中央駅の方へ歩いている途中、いくつもの幟をみました。弘法大師を祀っています。どこかに所縁のお寺があるのかなと思ったのですが、どうやら地蔵寺に併設された内田大師堂がそれのようです。そして、この内田大師堂を中核として、内田八十八ヵ所というのが大正時代に作られ、それが今も宮ノ上公園のなかにあります。ここがかつて龍王山と呼ばれていたんでしょうね。今は桃山学院大学が背後にあります。春木の春日神社もそうですが、真言宗というか、独自の大師信仰が地域で根付いているなあと感じました。

 

 

 

内田八十八ヵ所の一部。

 

内田春日神社。

 

内田春日神社でも、春木春日神社と同じく、戎神社が一緒に祀られていました。

 

 

 

現代につながる戎信仰でいうと、一番最初は三輪にある三輪坐恵比須神社ではないかと思っています。ここは古代の市場、海柘榴市の市場神という位置づけです。もともと事代主自体は出雲の神様であり、えびす総本宮は出雲の美保神社になります。美保神社や三嶋大社の事代主様は海の神様というイメージです。海柘榴市というのは、古代、大阪湾から大和川を経て運ばれて来た物産の交流の地であったということだと思います。そして、歴史的には、市場から商売繁盛に繋がったのではないかという感じがします(次第に海からは切り離される感じです)。だから、現在、あるいはある時代より後の戎神は、商売繁盛の御利益という性格が強いのではないかと思っています。春日大社にも戎信仰はあり、佐良気神社がそれなんですが、私が一昨年訪ねたときは、そういう問題意識がなかったので、見逃していました。

 

最後に戎信仰のことを書きましたが、これは今、これを書きながら頭でなんでこの地域の春日神社と戎信仰が結びついているのだろう、という疑問から書いたに過ぎません。実は、私が今回歩いた中で、いつか絶対に行ってみたいと思っているのは「施福寺」なんですね。ただ、ここ車で行くか、登山するかしかないんですよね。ここを読んで下さっている方なら想像がつくと思うのですが、今のところ、どう歩くかな、になっています。

 

京都を歩く1京都を歩く2の続きです。

 

この日は町中なので、地下鉄を使って移動です。神泉苑までやって来ました。

 

何で観たのか、読んだのか忘れてしまったのですが、前回のラストに安倍晴明をめぐる旅をした前後に、晴明ゆかりの地を調べていて、出て来た一つが神泉苑だったのです。

 

神泉苑自体は、桓武天皇が作られ、空海が雨乞いを行って以後、名僧がこれに続いたようです。空海の縁もあって、神泉苑は歴史的にも東寺と深い関係があったようですね。私が驚いたのは、ほぼ予備知識なしでいったので、鳥居を見て、善女龍王社の前で身滌大祓を唱えていたら、「唱えるのは構わないが、意味はないぞ」というようなメッセージを受け取りました。善女龍王は古い時代に日本に来たようですが(というか空海が呼んだ)、外国の神様なんですね。公式ホームページを見ると、北インドからお呼びになったようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恵方社。方角が変わるようです。面白いですね。

 

 

 

 

 

 

 

神泉苑を後にして、JRに乗って、東寺方面に向かいました。その前に前々から気になっていた六孫王神社に立ち寄りました。源氏の神社らしかったです。私はこの日は池とそらに龍を感じました。そして、何より桜がきれいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六孫王神社からいよいよ東寺に向かいます。ただ、東寺に着いたときにちょうど16時少し前くらいだったので、全部の共通券は販売を終了していました。この日は桜のライトアップが最終日ではあったのですが、桜も散っているし、4月25日からの五重塔の特別公開にあわせて再訪することにして、帰ることにしました。

 

東寺は広いので、事前に下調べをまったくせずに行くところではなかったな、というのが感想だったんですが、この日は増運弁財天と善女龍王社だけをお詣りしていました。そちら側から入ったので、ということですが、期せずして、神泉苑の続きという感じが、後から考えるとしますね。何かをつなぐお役目だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内では縁起物という猿回しが見られました。ちょうどクライマックスでした!

 

 

 

 

 

東寺を後にして、京都駅まで歩いたのですが、人が多すぎて、そのまま阪急で帰ろうとなって、河原町まで歩いてしまえ!ということになりました。2キロくらいですね。

 

途中、市比賣神社にも寄りました。女性守護で有名な神社です。まあ、下鴨神社が良いというのは分かっているのですが、とはいえ、個人個人の合う合わないということもあると思いますので、他の候補も地道に歩いて探してはいるのです。

 

眞名井がありました。

 

河原町の冠者殿社。素戔嗚尊の荒魂を祀ります。私はここが合うんですよね。

 

 

 

今回の長岡京から京都に続く旅は、以前から続く東寺という宿題を残したまま、終わりました。以前からいろいろなところを回っているのですが、やはり一日の摂取量というか、私のキャパというものがあるようです。このキャパというのは、二重の意味があって、シンプルに体力的・時間的に回れる量という意味と、一日に起こったことを自分の中で消化できる量、という意味です。そういう意味で、広隆寺と東寺を同時に一回で回るのは今の私には無理だったなと思います。それでも、この前日の最後に松尾大社に行ったこと、この日の最後に東寺に行ったことは、それぞれ無駄ではなく、私の中で次の予告編にもなりましたし、その日行ったこともその場所で行うべきこと全部をやりきったわけではなくても、その日そのタイミングでやる必要があることもあると思うので、意味はあるようにも感じます。そう考えると、いろいろと面白いです。

 

京都を歩く1から続きです。

 

もともとは、木嶋坐天照御魂神社(蚕社)の動画が出てきたので、このあたりをGoogleマップで検索して出てきたのが広隆寺でした。広隆寺のことはおぼろげに知っていましたが、京都にあることは知っていたものの、正確な場所は分かっていませんでした。聖徳太子由来のお寺として行ってみたいと思っていたんですが、すっかり忘れていました。そして、私は今回、調べ直すまであの有名な弥勒菩薩像が広隆寺のものということさえ忘れていました。

 

 

広隆寺の境内でまず気になったのが、入ってすぐの薬師堂でした。この薬師堂に祀られている薬師如来が、乙訓社の前のご神木由来のものであると書いてあったので、かなり驚きました。「霊験薬師仏壇像」の由来には乙訓社(向日明神)と書かれているのですが、記述を見ると、中世以前のことなので、向神社のことか、乙訓坐火雷神社のことかは分かりませんね。乙訓社であれば、乙訓坐火雷神社のことですが、御祭神の方に注目すると、向神社になります。私はこの二つの神社のことを前日に歩くまでは、まったく知らなかったので、すごいタイミングだなと驚いたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

広隆寺を創始した秦河勝が太秦殿(神社)になります。

 

聖徳太子殿。どうやら御開帳は一年に一度、11月22日だけのようです。今年は日曜日だから、行けるかな。

 

弁天社

 

霊宝殿に入るところから先は撮影禁止になっています。何といっても弥勒菩薩と十一面観音は圧巻でした。一番、有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」はもちろんですが、その左右隣の弥勒菩薩像も良かったです。十一面千手観音像もとても迫力がありました。広隆寺は、本当に仏像一本勝負で、パンフレット類とかはありません。近代以降、めちゃくちゃ有名なので、図録その他はいくらでも出版されていると思います。多すぎて改めて作る必要もないんでしょうね。

 

 

 

広隆寺を出て、すぐ近くの大酒神社に寄りました。ここも小さいながら、御神威のある神社でした。身滌大祓を唱えました。なんというか、古くからいらっしゃる神様ながら、異国感が個人的にはまだあります。不思議なんだけど、京都は奈良に比べて、私がどうしても余所者感があるんだよな。当たり前といえば当たり前ではあるんだけど。


 

 

 

 

木嶋坐天照御魂神社に向かう前に、途中でランチを済ませてから、歩き続けました。これを読む方にとってはどうでもよいランチ情報なのですが、個人的にはちゃんと自分を大事にしてご飯を食べたことが大事なので、一応、記録しておきます(笑)。RAN’S CAFEというところで、ワンプレートランチでした。1000円しなくて、美味しかったですよ。

 

木嶋坐天照御魂神社は空に繋がっている神社、という印象でした。三鳥居はどちらかというと、宇宙と交信する感じなのかな。夜の方が意味がある印象を持ちました。


参道から拝殿・本殿、そしてその上の空までの流れが、私には一本の道のように感じられました。京都の寺社としては人は少ないですが、それでも途切れずやってきます。私が帰る頃には、一人の女性の方が拝殿で長く祈られていました。とにかく神聖でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元糺の森。

 

 


この後、神泉苑に向かいました。