わたしが不妊治療をしているときに常に感じていたのは、
わたしはあの人に負けてる
わたしはあの人には勝ってる
という勝ち負けの気持ちでした。
わたしはあの人よりもお金があるから幸せ
わたしはとりあえず結婚してるから幸せ
赤ちゃんができなくて悩んでいるけど彼氏がいない同い年の人に比べたら幸せ
とかね。
この際白状すると、
1人で勝手にマウンティングしてました。
1人で勝手にマウンティングしてる残念な奴でした!
だから、不妊治療をしているとき、苦しくて苦しくて仕方なかった。
だってさ、自分が見下してた彼氏もいない独身女性ができ婚なんてした日には、
一瞬にして自分が負けることになっちゃうじゃん。
いつだって勝って優越感を感じていたいわたしにとって、
でき婚しました!というお知らせたるや…
精神崩壊寸前になりかけるほどの大ダメージをくらうわけです。
自分で勝手にランク付けしてるからね(笑)
でさ。
こういう考え方をする人って、
これが当たり前だって思ってるのね。
こういうのがデフォルトだって思ってるのね。
またまた実家の母に登場してもらいますが、
母は他人のことを見て勝手に幸せか不幸かを判断して自分の幸せを確認するクセがあります。
たとえば、
あの人は結婚しているのに子どもができなくて可哀想
あの人は離婚して可哀想
とかね。
ちなみに↑の「あの人」に、
自分の娘(わたしのことね)が代入されることになるので、
そんな可哀想な娘をもった自分も可哀想ということになってしまいます。
このカラクリわかるかな???
勝手に自分が可哀想って決めつけちゃうから、
いざ自分がそうなったときにめっちゃ大打撃を受ける罠にハマっちゃうのね。
勝手に自分が可哀想って決めつけなければ、
いざ自分がそうなったとしても大打撃を受けることがなくなるのね。
これがいわゆる『勝ち負け世界』って呼ばれてるやつで、
ここから抜け出すと、一気に負のループからイチヌケタ!ができるわけ。
だから母にこう聞いてみたの。
わたし:なんで赤ちゃんができないくらいで可哀想だって決めちゃうの???
母:だって、赤ちゃんが欲しいと思ってるのにそれが叶わないのは可哀想じゃないの。
『願ったことが叶わない=可哀想』という理屈らしい。
でも自分が2人も子どもが産めたから可哀想じゃないってことになる。
だからわたしは幸せだ
だからわたしは大丈夫だ
って、勝手に安心材料にしてるってことなんだよね。
なんで勝手に安心する材料にしているのか?
それは、母だって願ったことが叶わないことの1つや2つくらいあるわけで、
誰かから見たら、
自分だって可哀想な人だって自覚があるから
なんだよね。
これがわたしが不妊治療中に味わっていた苦しみの正体だったの。
わたしは赤ちゃんができなくて可哀想な人だって思われているかもしれないけど、
それは自分が赤ちゃんができなくて可哀想だって思っているからなんだ!
って気づいたときに、
もう誰かと比較して自分の幸せポジションを決めるのをやめよう!
って思ったの。
自分が幸せだって思ったら、もうそれでいいじゃんって。
いわゆる『自分軸』ってやつね。
それを不妊治療中に気づけてほんとうに良かった。
で、これはわたしからの提案なんだけど、
もしそれでも、
わたしは赤ちゃんができなくて可哀想
って思ってしまうなら、
赤ちゃんが欲しいと願う気持ちがあるのってすごく幸せなことだな~
って考え方にシフトして欲しいのね。
だって、赤ちゃんが欲しいって思うその気持ちは、
女として産まれないと味わえない感情だと思うのね。
赤ちゃんが欲しいっていう気持ちだけでもう十分尊いし価値があると思うのね。
だから、
『勝ち負け』じゃなくて『全員勝ってる』ことに気づいたもん『勝ち』なんだよね。
気づけなかった人は負けじゃんってことになっちゃうんだけど(笑)、
もう全員幸せなんだってことに気づけたら、
優越感で自分を満たす必要がなくなるから、
ほんとーに謎の苦しみから抜け出すことができるようになるのね。
そもそも『全員勝ち』ってことに気付いていないわたしの母はちょっと可哀想だなって思うことあるけど、
母がもっと幸せになりたい!って思ったときに、
母の心に一番届きやすい出来事とか言葉を通じて、
きっと気づいてくれるって信じてるから、
娘としては信頼して放っておいてるって感じです
赤ちゃんができなくてわたしって可哀想だなって落ち込む人の参考になれば嬉しいです!
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