ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート -9ページ目

絶望的と孤独のパンクバンドとメンバーの死:Joy Division (ジョイ・ディビジョン)

今日はパンクバンドでポストパンクでもゴスロックでもある伝説のJoy Division (ジョイ・ディビジョン)について書きます。

バンド名:Joy Division (ジョイ・ディビジョン)

メンバー:
Bernard Albrecht (バーナード・アルブレクト) ギター
Peter Hook (ピーター・ホック) ベース
Ian Curtis (イアン・カーティス) ボーカル
Stephen Morris (ステファン・モリス)ドラム
元メンバー:
Steve Brotherdale (スティーブ・ブラザーデール) ドラム
ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Joy Division1

結成年:1977年

来歴:
時代はパンクロックのピーク1977年です。ギタリストのアルブレクトとべーシストのホックがthe Stiff Kittens(ザ・スティッフ・キティンズ)と言うバンドやっていて、ボーカリストのカーティスとドラマーのブラザーデールを加えてバンド名をWarsaw (ワルシャワ)と言う名前に改名しました。

ワルシャワはBuzzcocks (バズコックス)やPenetration(ぺネトレーション)の前座をやりながら活動をしました。

しかし同年の8月にブラザーデールがバンドを辞め、その後ワルシャワと言うバンド名で別のバンドともめ、バンド名をJoy Division(ジョイ・ディヴィジョン)に改名しました。

    豆知識:
    ジョイ・ディヴィジョンというバンド名はKarol Cetinsky(キャロル・セティンスキー)の第二次世界大戦の
    物語の本The House of Dolls(ハウス・オブ・ドール)の中の言葉から名づけました。意味は当時第二次
    世界大戦中のスラングで、戦時中ナチス軍に捕らえられた女性収容者に売春をさせて楽しんでいた場所と
    言う意味です。余りこの意味を知っている人は居ませんが、とても悪い意味です。

1978年始めにはイングランドの北部の方で活動をしています。そのときにいろいろと後のバンドへの影響と成る人たちと合います。

Rob Gretton(ロブ・グレントン): マンチェスタークラブのDJで後にバンドのマネージャー。
Tony Wilson(トニー・ウィルソン):テレビジャーナリストでレコード会社の社長。
Derek Branwood(デレク・バランウッド):RCAレコードードカンパニーの管理職。

同年バランウッドの協力により、バンド名と同じLP ジョイ・ディビジョン の製作掛かります。曲のうちの数曲は当時のパンクシーンには合わなかった為却下されます。録音された残りの曲は後のバンドのアイコンと成るカーティスのテーマである絶望的と不安をよく表現しています。

このアルバムは伝説のパンクロックアルバムと成ることの出来る一枚でしたが、スタジオ・エンジニアによるシンセサイザーサウンドの追加等の要求によりモメ、結局発売をしませんでした。

アルバムは、ワルシャワと言うタイトルで10年後にブートレックアルバムとして発表されます。

同年の6月に本当のデビューと成るEP An Ideal for Living (アン・アイディール・フォオ・リビング)をインディーレーベルをよりリリースします。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Joy Division2
アン・アイディール・フォオ・リビング カバー


1979年にプロデューサーMartin Hannett(マーティン・ハネット)によりUnknown Pleasures(アンノウン・プレジャーズ)をトニー・ウィルソンのファクトリーレーベルよりリリースします。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Joy Division3
アルバム: アンノウン・プレジャーズ カバー

このアルバムは良いです。ダークなのにメロディーが確りしていて聞いていると何故か落ち着きます。しかし決して静かな曲ではありません。むしろ激しいです。

UKインディーズ・ヒットチャートでかなり長い間残っていました。

同年の暮れ、ジョイ・ディビジョンの人気は高まりコンサートも数々行いました。

しかしバンドは徐々に異常な状態へと成って行きます。世間はボーカリストのカーティスが病気のせいだと噂しました。その後カーティスはステージで前も向いていられず、その後、発作やけいれんお越し活動を行えない状態になりました。

バンドは短い期間の間クリスマスブレイクを取りその後ヨーロッパツアーを翌年1980年1月に行います。しかし、カーティスの精神状態が不安定だった為幾つかのコンサートはキャンセル。

その後同じくハネットのプロデュースにより2枚目のLPの製作に取り掛かり始め、4月にはLove Will Tear Us Apart(ラブ・ウィル・テア・アス・アパート)をリリースします。

このシングルは聞きましょう!僕はふと聞きたくなって、電車の中や、家で聞きます。悲しいけど、いい曲です。

ラブ・ウィル・テア・アス・パートもインディズ・チャートをよりは上には行きませんでした。

その後USを行う予定でしたが、ボーカルのカーティスが首吊り自殺を自宅でし、中止となります。

何とカーティスの死の前にバンドのメンバーが一人でも辞めるようならバンドを解散するとメンバー全員皆で誓ったそうです。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Ian Curtis
イアン・カーティス

そしてバンドは解散へと。

皮肉にも1980年にラブ・ウィル・テア・アス・パートがUKシングルヒットチャートに入り、その後のリリースのCloser(クローサー)が6位に、8月にはアンノウン・プレジャーズもチャートに入ります。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Joy Division4
アルバム: クローサー カバー

カーティスを除いた他のメンバーは翌年の1月には約束どおり、新しいバンドNew Order(ニューオーダー)を結成します。

残念ながらニューオーダーは始めの方はまあまあですが、徐々に時代の流れの共にダンスロック的と成って行きます。ジョイ・ディビジョンのようなインパクトのある曲は出しません。

ジョイ・ディビジョンファンの方はイアン・カーティスのドキュメンタリー映画Control 2006 (コントロール)是非見てください。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Joy Division5
映画: コントロール

良くその当時の様子が描かれています。
やっぱり早く結婚しすぎたのが原因でしょうか・・・?



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CBGBで最初のパンクバンド:Television(テレビジョン)

パンクファンの皆さんは70年代にはCBGB より沢山のパンクバンドがデビューした事はご存知だと思いますが、このバンドが一番初めにCBGBでコンサートをしたバンドです。

バンド名:Television (テレビジョン)

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Television1
アルバム:マーキューイー・クイーン カバー

メンバー:
   ・Tom Verlaine (トム・バーレン) ボーカル/ギター
   ・Billy Ficca (ビリー・フィッカ)ドラム
   ・Richard Lloyd (リチャード・ロイド)ギター
   ・Fred Smith (フレッド・スミス)ベース
元メンバー
   ・Richard Hell (リチャード・ヘル)

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Television2

結成年:1973年

代表アルバム:
   ・Marquee Moon (マーキュウイー・クイーン)
   ・Adventure(アドベンチャー) 等

代表曲:
   ・Marquee Moon (マーキューイー・クイーン)
   ・See No Evil (シー・ノー・イーブル)
   ・Venus (ヴィーナス) 等

来歴:
70年代の初めThe Neon boys(ネオン・ボーイズ)と言う名バンドで、バーレンとフィッカとヘルの3人で活動をしています。1973年にロイドを加えテレビジョンにバンド名を改名し活動を始めます。

その当時はで安くて誰でもコンサートができるダウンタウンのBowery St(バワリー・ストリート))の小さなCBGBというクラブでショウを開きますが、後にCBGBはパンクバンドの聖地となり、テレビジョンは一番初めのCBGBにコンサートをやったバンドということに成ります。その後定期的にCBGBでショウをすることと成ります。バーレンはこの年にはパティ・スミスとも活動をし彼女のバンドでギターリストを勤めてました。

   豆知識:
     テレビジョンが世間にCBGBで初めのパンクバンドと言われるようになった後、CBGBのオーナーの
     HillyKristal(ヒリー・クリスタル)の息子が「テレビジョンが活動する前に既に他のパンクバンド
     が居た!」と抗議したそうですが、テレビジョンがバワリー・ストリートでストリートミュージシャン
     活動を元々していたので、クレジットをもらったと言うことです。
     こう言うクレジットは誰がもらうか難しいものですね(笑)。

1975年にRoxy Music(ロキシー・ミュージック)Brian Eno(ブライアン・エノ)の協力の下、デモテープを録音するのですが、レーベル会社の不合意の為、レコードは発売されませんでした。

その後、何とヘルがバンドを離れ、別のバンドを自分で始めます。
リチャード・ヘルはものすごーくパンクの歴史で重要でカッコいい人なので、後日改めて書かせてもらいます。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell
リチャード・ヘル

ヘルの代わりにBlondie(ブロンディ)を辞めたFred Smith(フレッド・スミス)がベースとして加わります。
この人はMC5(エム・シィー・ファイブ)フレッドと名前が同じですが、別人です。

1976年にインディーレーベルでLittle Johnny Jewel(リトル・ジョニー・ジュエル)と言うアルバムを出し、アンダーグラウンドで注目されます。

1977年にデビューアルバムと成るMarquee Moon(マーキュウイー・クイーン)をリリースしますが余りアメリカでは売ませんでした。でも、UKでのリリースではチャート28位迄入ります。

その後、ブロンディと一緒にツアーをして結構売れるのですが、ギターのスミスブロンディに戻ることになり、バンドは解散へとなります。

1991年に復活、今に至ります。

活動期間は短いですが、今逆にアメリカでは若世代にも受け入れられ、人気はあります。

ニューヨークでのコンサート:
僕は2回見ました。やっぱりパティス・ミスと一緒でした。トム・バーレンが昔パティ・スミスと付き合ってたせいか分りませんが、今でも友達なので、コンサートをたまに一緒にやってます。
マーキュイー・クイーンのジャムはレコードでも長いですが、コンサートだと更に長い気がします。レコードだと10分ですが、15分くらいアドリブのジャムが続きます。カッコいいけど長い(笑)!

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Televitsion6 
トム・バーレン

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Television4
フレッド・スミス

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Televitsion5
リチャード・ライド






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アイリッシュクラッシュ:Stiff Little Finger(スティッフ・リトル・フィンガー)

いろんな国のバンドを少しづつ紹介して行っているので、沢山かっこいいバンドが居るアイルランドのロックバンドを一つ位語らずに先に進むのは失礼だと思い、今日はアイルランドのクラッシュといわれたバンド、スティッフ・リトル・フィンガーズの事に付いて書きます。

バンド名:Stiff Little Fingers (バンドスティッフ・リトル・フィンガーズ(SFL))

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL3
アルバム:ノーバディーズ・ヒーロー カバー

メンバー:
   ・Jake Burns (ジェーク・バーンズ) ボーカル
   ・Ali McMordie (アリ・マックモーディー) ベース
   ・Steve Grantley (スティーブ グラントリー) ドラム
   ・Ian McCallum (イアン・マックカルム) ギター

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL1

代表アルバム:
   ・Inflammable Material (インフレーマブル・マテリアル)
   ・Nobody's Heroes (ノーバディーズ・ヒーロー)
   ・Go for It (ゴー・フォー・イット)等

代表曲:
   ・Alternative Ulster (オルタナティブ・アルスター)
   ・Suspect Device (サスペクト・デバイス)
   ・Barbed Wire Love (ベーブ・ワイヤ・ラブ) 等

 オルタナティブ・アルスターはパンクファンは聞きましょう!

来歴:
SFLはデビュー当時のスタイル、時期がThe Clash(クラッシュ)に似ていた為、アイルランドのクラッシュと少しあいまいな表現で報道されました。政治的なことを歌う等。しかし実際はクラッシュとは違い余り荒々しいコンサートシーン等なく健全なパンクバンド的な活動を行っていました。良くも悪くもそのアイルランドのクラッシュという表現が、このバンドの名前を売るのに繋がったのも事実です。

バンドは元々はボーカリストのバーンズが学校の友達と結成したバンドです。バンドの名前はブリティッシュパンクバンドのVibrators(バイブレー・ターズ) の曲より付けました。元々はHighway Star(ハイウエイ・スター)という名前のバンドだったのですが、名前がパンクぽく無かったので、改名。

バンドはバーンズはのガラガラ声に特徴があります。1978年にUKに行きの初めはTom Robinson Band(トム・ロビンソン・バンド)の前座でUKツアーを回ります。

1979年のインフレーマブル・マテリアルがデービューアルバムです。オルタナティブ・アルスターサスペクト・デバイスのバンドの代表曲を含みます。この荒々しい曲のせいにより北アイルランドの治安が悪くなったと言う話です。このアルバムはUKヒットチャートの14位にも入っています。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL2
アルバム:インフレーマブル・マテリアル カバー

1982年に発売したNow Then...(ナウ・ゼン...)が余りにパンクっぽく無かったせいか、これによりバンドが日陰の方に追い遣られてしまう事になります。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL4
アルバム:ナウ・ゼン... カバー

このアルバムはポップですね。

それでバンドは5年間で解散します。

1987年に再結成し、元The Jam(ザ・ジャム)のべーシストのBruce Foxton(ブルース・フォクストン)がメンバーに加わり活動もしています。しかし、2006年にフォクストンはバンドを離れオリジナルべーシストのAli McMordie(アリ・マックモーディ)が戻ってきます。
その後現在に至り活動中です。

ニューヨークでのコンサート:
昔、一度Irving Plaza(アービング・プラザ)に見に行った事があります。その時はフォクストンが丁度辞めた後だったと思います。SLFはニューヨークでのコンサートは1年か2年おきに、たまにやってます。当時のコンサートの写真は在りません。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL5
ジェーク・バーンズ

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL7

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-SFL6


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