ブリティッシュ・エクスペリメンタル・パンク:The Wire(ワイヤー)
パンクのピークの時代にパンクバンドとは意識せずに活動したにも掛からずパンクらしいバンドと評価されたバンドがこのThe Wire(ザ・ワイヤー)。アート・パンク、ポスト・パンクのフィールドでも評論家より高い評価を貰っている、エクスペリメンタルなパンクバンドです。80年代にはR.E.M(アール・イー・エム)やBig Black(ビッグ・ブラック)等のバンドがカバーもしています。
バンド名:The Wire(ワイヤー)

アルバム:ピンク・フラッグ カバー
バンドメンバー:
・Colin Newman (コリンズ・ニューマン) ボーカル/ギター
・Graham Lewis (グラッハム・ルイス) ベース
・Robert Gotobed (ロバート・ゴートベッド)ドラム
・Margaret Fiedler McGinnis (マーガレット・フィルダー・マックギネス(ツアーのみ)) ギター
元メンバー
・Bruce Gilbert (ブルース・ギルバート) ギター
・George Gill (ジョージー・ジル)

結成場所:ロンドン、英国
代表アルバム:
・Pink Flag (ピンク・フラッグ)
・Chairs Missing (チェアーズ・ミッシング)
・154 (ワン・フィフティーフォー)
等。僕のはピンク・フラッグが特に好きですが、この三枚はどれもカッコ良いので聞きましょう。
代表曲:
・I Am the Fly(アイ・アム・ザ・フライ)
・Ex Lion Tamer(エックス・ライオン・テーマー)
・Lowdown(ローダウン)
・Strange(ストレンジ)
・Three Girl Rhumba(スリー・ガール・ルンバ)
・Outdoor Miner(アウトドア・マイナー)
等
来歴:
バンドは1976年にアートカレッジの生徒だたColin Newman(コリンズ・ニューマン)、George Gill(ジョージー・ジル)、Bruce Gilbert(ブルース・ギルバート)の三人がOverload(オーバーロード)というバンドで活動していて、Graham Lewis (グラッハム・ルイス) とRobert Gotobed (ロバート・ゴートベッド)をバンドに加えWire(ワイヤー)と成ります。
ワイヤーはロンドンでバンド活動をし、少しずつその評価が認められて行きます。ジルはエクスペリメンタルな曲を手が初めていきます。
1977にバンドは、ロンドンのThe Roxy(ザ・ロキシー)でギグを行います。
その会場で幸運な事にでEMIレコードのMike Thorne(マイク・ソーロン)に出会い、ライブ・パンク・アルバムThe Roxy, London WC2.(ザ・ロキシー・ロンドン・ダブリュー・シィー・トゥー)に3曲を入れて貰う事になります。
このThe Roxy, London WC2. (ザ・ロキシー・ロンドン・ダブリュー・シィー・トゥー)は当事The Roxyで活躍して
た沢山のパンクバンドを一枚に収めたアルバムです。Buzzcocks(バズコックス), Slaughter & the Dogs(スローター&ドッグス)、X Ray Spex(エックス・レイ・スペックス)等が収録されています。

アルバム:ザ・ロキシー・ロンドン・ダブリュー・シィー・トゥー カバー
このレコーディングにのお陰により、バンドはソーロンによりEMIえと招かれます。
同年ニューマンの強い希望によりソーロンのプロデュースでデビューアルバムとなるPink Flag(ピンク・フラッグ)をリリースします。このアルバムはパンクのピークの時代であった為、出来るだけパンクのから距離を置いた感じでという形で製作しましたが、最もパンクらしいという事で高い評価を受けたそうです。21トラックが収録されたこのアルバムはなんと曲の平均時間は1分半と、とても短くテンションと抽象感が良く表現されています。
1978年に2枚目のアルバムと成るChairs Missing(チェアーズ・ミッシング)をリリースします。
このアルバムでバンドは一気に急進します。アルバムは初期の“Pink Floyd(ピンク・フロイド)”と表現されバンドは不愉快だったようですが、結果的にはバンドの成功に繋がります。

アルバム:チェアーズ・ミッシング カバー
プロデューサーのソーロンがキーボードで参加しています。
収録曲のOutdoor Miner(アウトドア・マイナー)は後一歩でヒットと言う所まで行きましたが、EMIの賄賂が噂され全てが台無しとなりました。この曲はポップな曲です。
ワイヤーは1978年にUS初のツアー、1979年の3月にはRoxy Music(ロキシー・ミュージック)とヨーロッパツアーを行います。ヨーロッパツアーの際にはChairs Missing(チェアーズ・ミッシング)がリリースされてわずか一ヶ月にも関わらず、その後にリリースされる154(ワン・フィフィティー・フォー)の曲を何曲も演奏しました。
ワイヤーのコンサートではしばしば、未だ収録されていない新しい曲を披露する事も在った為、観客は戸惑ったという事です。
Chairs Missing(チェアーズ・ミッシング)はスタジオ収録ので出しえる可能性を未だ試し見ている段階のアルバムに対して、154(ワン・フィフィティー・フォー)は全ての全ての可能性を出し切ったと言うアルバムに仕上がりました。ワン・フィフィティー・フォーはワイヤーの中で最も完成した仕上がりとなり余した。べーシストのルイスもニューマンの隣に立ちボーカルをしました。

アルバム:ワン・フィフィティー・フォー カバー
しかし皮肉な事にワイヤーとEMIレコードの関係が悪くなり、その後直ぐにEMIからはずされる事と成ります。
1981年の2月にロンドンのElectric Ballroom(エレクトリック・ボールルーム)でコンサートは行いますが余りに無秩序で行われ反感を食らいます。そのパフォーマンスはコンサートと言うよりアートショウとだったそうです。
その後バンドは5年間の活動停止期間へと入ります。
1985年に復活。1968年にEP Snakedrill(スネーク・ドリル)をリリース、現在に至ります。
ニューヨークでのコンサート:
ロンでのバンドのせいか、又は古いバンドのせいか殆どニューヨークには来ません。主に英国、又はヨーロッパでのツアーを行っているようです。
半年程前に、一度だけフィラデルフィアのJohnny Blenders(ジョ二―・ブレンダーズ)でコンサートをしました。勿論ン見に行きました。
豆知識:
ペンシルバニア州のフィラデルフィアはニューヨークよりバスで2時間半位で行けます。ニューヨーク程は
大きくないですが、綺麗で美術館等も沢山在ってこじんまりした感じの良い街です。
ニューヨークのチャイナタウンから、チャイニーズバスで往復で$30で行けます。日帰りも十分可能です。
ジョ二ー・ブレンダーズは、今まで行ったクラブの中では1,2番目に小さい場所でした。僕はワイヤーは結構大きなバンドだと思っいましたので、驚きました。収容人数は100人以下だと思います。昔の曲もやっててくれて感動しました!フィラデルフィア迄行った甲斐が在りました。

コリンズ・ニューマン

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バンド名:The Wire(ワイヤー)

アルバム:ピンク・フラッグ カバー
バンドメンバー:
・Colin Newman (コリンズ・ニューマン) ボーカル/ギター
・Graham Lewis (グラッハム・ルイス) ベース
・Robert Gotobed (ロバート・ゴートベッド)ドラム
・Margaret Fiedler McGinnis (マーガレット・フィルダー・マックギネス(ツアーのみ)) ギター
元メンバー
・Bruce Gilbert (ブルース・ギルバート) ギター
・George Gill (ジョージー・ジル)

結成場所:ロンドン、英国
代表アルバム:
・Pink Flag (ピンク・フラッグ)
・Chairs Missing (チェアーズ・ミッシング)
・154 (ワン・フィフティーフォー)
等。僕のはピンク・フラッグが特に好きですが、この三枚はどれもカッコ良いので聞きましょう。
代表曲:
・I Am the Fly(アイ・アム・ザ・フライ)
・Ex Lion Tamer(エックス・ライオン・テーマー)
・Lowdown(ローダウン)
・Strange(ストレンジ)
・Three Girl Rhumba(スリー・ガール・ルンバ)
・Outdoor Miner(アウトドア・マイナー)
等
来歴:
バンドは1976年にアートカレッジの生徒だたColin Newman(コリンズ・ニューマン)、George Gill(ジョージー・ジル)、Bruce Gilbert(ブルース・ギルバート)の三人がOverload(オーバーロード)というバンドで活動していて、Graham Lewis (グラッハム・ルイス) とRobert Gotobed (ロバート・ゴートベッド)をバンドに加えWire(ワイヤー)と成ります。
ワイヤーはロンドンでバンド活動をし、少しずつその評価が認められて行きます。ジルはエクスペリメンタルな曲を手が初めていきます。
1977にバンドは、ロンドンのThe Roxy(ザ・ロキシー)でギグを行います。
その会場で幸運な事にでEMIレコードのMike Thorne(マイク・ソーロン)に出会い、ライブ・パンク・アルバムThe Roxy, London WC2.(ザ・ロキシー・ロンドン・ダブリュー・シィー・トゥー)に3曲を入れて貰う事になります。
このThe Roxy, London WC2. (ザ・ロキシー・ロンドン・ダブリュー・シィー・トゥー)は当事The Roxyで活躍して
た沢山のパンクバンドを一枚に収めたアルバムです。Buzzcocks(バズコックス), Slaughter & the Dogs(スローター&ドッグス)、X Ray Spex(エックス・レイ・スペックス)等が収録されています。

アルバム:ザ・ロキシー・ロンドン・ダブリュー・シィー・トゥー カバー
このレコーディングにのお陰により、バンドはソーロンによりEMIえと招かれます。
同年ニューマンの強い希望によりソーロンのプロデュースでデビューアルバムとなるPink Flag(ピンク・フラッグ)をリリースします。このアルバムはパンクのピークの時代であった為、出来るだけパンクのから距離を置いた感じでという形で製作しましたが、最もパンクらしいという事で高い評価を受けたそうです。21トラックが収録されたこのアルバムはなんと曲の平均時間は1分半と、とても短くテンションと抽象感が良く表現されています。
1978年に2枚目のアルバムと成るChairs Missing(チェアーズ・ミッシング)をリリースします。
このアルバムでバンドは一気に急進します。アルバムは初期の“Pink Floyd(ピンク・フロイド)”と表現されバンドは不愉快だったようですが、結果的にはバンドの成功に繋がります。

アルバム:チェアーズ・ミッシング カバー
プロデューサーのソーロンがキーボードで参加しています。
収録曲のOutdoor Miner(アウトドア・マイナー)は後一歩でヒットと言う所まで行きましたが、EMIの賄賂が噂され全てが台無しとなりました。この曲はポップな曲です。
ワイヤーは1978年にUS初のツアー、1979年の3月にはRoxy Music(ロキシー・ミュージック)とヨーロッパツアーを行います。ヨーロッパツアーの際にはChairs Missing(チェアーズ・ミッシング)がリリースされてわずか一ヶ月にも関わらず、その後にリリースされる154(ワン・フィフィティー・フォー)の曲を何曲も演奏しました。
ワイヤーのコンサートではしばしば、未だ収録されていない新しい曲を披露する事も在った為、観客は戸惑ったという事です。
Chairs Missing(チェアーズ・ミッシング)はスタジオ収録ので出しえる可能性を未だ試し見ている段階のアルバムに対して、154(ワン・フィフィティー・フォー)は全ての全ての可能性を出し切ったと言うアルバムに仕上がりました。ワン・フィフィティー・フォーはワイヤーの中で最も完成した仕上がりとなり余した。べーシストのルイスもニューマンの隣に立ちボーカルをしました。

アルバム:ワン・フィフィティー・フォー カバー
しかし皮肉な事にワイヤーとEMIレコードの関係が悪くなり、その後直ぐにEMIからはずされる事と成ります。
1981年の2月にロンドンのElectric Ballroom(エレクトリック・ボールルーム)でコンサートは行いますが余りに無秩序で行われ反感を食らいます。そのパフォーマンスはコンサートと言うよりアートショウとだったそうです。
その後バンドは5年間の活動停止期間へと入ります。
1985年に復活。1968年にEP Snakedrill(スネーク・ドリル)をリリース、現在に至ります。
ニューヨークでのコンサート:
ロンでのバンドのせいか、又は古いバンドのせいか殆どニューヨークには来ません。主に英国、又はヨーロッパでのツアーを行っているようです。
半年程前に、一度だけフィラデルフィアのJohnny Blenders(ジョ二―・ブレンダーズ)でコンサートをしました。勿論ン見に行きました。
豆知識:
ペンシルバニア州のフィラデルフィアはニューヨークよりバスで2時間半位で行けます。ニューヨーク程は
大きくないですが、綺麗で美術館等も沢山在ってこじんまりした感じの良い街です。
ニューヨークのチャイナタウンから、チャイニーズバスで往復で$30で行けます。日帰りも十分可能です。
ジョ二ー・ブレンダーズは、今まで行ったクラブの中では1,2番目に小さい場所でした。僕はワイヤーは結構大きなバンドだと思っいましたので、驚きました。収容人数は100人以下だと思います。昔の曲もやっててくれて感動しました!フィラデルフィア迄行った甲斐が在りました。

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グラムロックからパンクへ:New York Dolls (ニューヨーク・ドールズ)
CBGB全盛の時代より更に前にニューヨークでパンクロックをしていたのがバンドです。the Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)のダーティーロック&ロール、the Stoogesのアナーキーなノイズ、そしてDavid Bowie(デビッド・ボウイ)とT.Rex(ティー・レックス)のグラムロックを取り入れて新しい音楽を生み出したバンドがこのNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)です。後のパンクバンドの影響は大きいです。僕も大好きでよく聞きます。衣装もカッコいいです。
バンド名:New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)

アルバム: ニューヨーク・ドールズ カバー
メンバー:
・David Johansen(デビッド・ヨハンセン) ボーカル
・Sylvain Sylvain(シルベイン・シルベイン) ギター
・Steve Conte(スティーブ・コンテ) ギター
・Sami Yaffa(サミ・ヤッファ)ベース
・Brian Delaney(ブラインアン・デラ二ー)
元メンバー:
・Johnny Thunders (ジョ二―・三ダース) ギター 死去
・Jerry Nolan (ジェリー・ノーラン)ドラム 死去
・Arthur Kane (アーサー・ケーン) ベース 死去
・Billy Murcia (ビリー・マーシア)ドラム 死去
・Gary Powell (ゲーリー・パウエル)ドラム
・Rick Rivets (リック・リベッツ)ギター
・Blackie Lawless(ブラキー・ローレス) ギター

昔

今
来歴:
もともと各メンバーはニューヨークで他のバンドで活動をしていました。
1971年にギタリストのJohnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)とRick Rivets (リック・リベッツ)、べーシストのArthur Kane (アーサー・ケーン) 、ドラムのBilly Murcia (ビリー・マーシア) にボーカリスストのDavid Johansen(デビッド・ヨハンセン)が加わりNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)と成ります。
1972年の初めにリベッツが辞め代わりにSyl Sylvain(シル・シルベイン)が入ります。
バンドは、ローワー・マンハッタンでレギュラーでコンサートを開いていました。特にthe Mercer Arts Center(マーサー・アーツ・センター)でコンサートをしていました。
ファンからの人気もかなり高まりましたが、その過激な様子と、無作法な態度によりレコード会社から受け入れを拒否されレコードが出せません。
1972年の暮れに初のイギリスツアーに行きます。ツアーの途中にドラマーのマーシアがアルコールとドラッグを混ぜて服用し死んでしまいます。彼の代わりにJerry Nolan(ジェリー・ノーラン)がドラマーと成ります。ジェリーがバンドに参加しその後ようやくマーキュリーレコードと契約が決まります。
1973年にデビューアルバムとなる一枚目のアルバムNew York Dolls(バンド名と同じ)はTodd Rundgren(トッド・ラングレン)によりプロデュースされます。かなり良い評価を受けましたが社会的に大き現象とまでは行きませんでした。U.Sチャート116 位です。
その後1974年にガールズグループの伝説のプロデューサーGeorge Shadow Morton(ジョージ・シャドウ・モートン)により2枚目のアルバムToo Much Too Soon(トゥー・マッチ・トゥー・スーン)をリリースします。このアルバムは当時の流行多少そっていたにも掛からず167位止まりでした。

アルバム: トゥー・マッチ・トゥー・スーン カバー
2枚共アルバムが不成功に終わった為ドールズはマーキュリーレコードより下ろされます。その後バンドは新しいレコード会社が見つからず、新マネージャーMalcolm McLaren(マルコム・マクラーレン)を起用し活動をします。
マクラーレンはドールズの後にthe Sex Pistols(セックス・ピストルズ)で成功する事は皆さんご存知だと思いますが、ドールズの際には成功を得られなかったようです。
マクラーレンの指揮の間ではバンドメンバーの衣装を全身赤のレザーにし、ソビエト連邦の旗の前でパフォーマンスをする等でした。試みは斬新でしたが、当時のレコード会社からは受け入を更に拒まれた一方でした。それに伴いバンドのメンバーが離れ始めていきました。
1975年中盤までにはサンダースとノーランがバンドを離れ、ヨハンセンとシルベインが残りました。マクラーレンはバンドを首にされました。2人は他のメンバーを起用し2年間活動をしますが、特に成功は無く、1977年にはバンドの解散を決意します。その後20年間いろいろなレコード会社よりLiveアルバム等リリースされますが、いずれもトップチャートには届きません。
解散後はヨハンセンはBuster Poindexter(バスター・ポイントデクスター)としてソロ活動を開始、サンダースとノーランはバンドを離れて直ぐ1975年にthe Heartbreakers(ザ・ハートブレーカーズ)を結成し、後70年代後半まで活動をします。ジョ二ーサンダースは当事としても有名なドラック中毒者であった為、ヘロインの過剰摂取により1991年に死亡します。またその追悼のトリビュート・コンサートをしたノーランも、その4ヶ月後に突然の発作により、わずか40歳にして亡くなります。

ジョ二ー・サンダース
ハートブレーカーズはRichard Hell(リチャードヘル)も居たという伝説のニューヨークパンクバンドです。今度改めて紹介します。
2004年にSmiths(スミス)のボーカリストMorrissey(モリシー)がドールズ大のファンであった為、Meltown Festival(メルトダウン・フェスティバル)に残存のメンバーを招待します。モリシーはブリティッシュのドールズ・ファンクラブの会長を務めたこともある程の大ファンです。
ドールズはヨハンセンとシルベインに加えべーシストにオリジナルメンバーのArthur Kane(アーサー・ケーン)が合意、ギターリストにヨハンセンのソログループよりサンダースの代わりにSteve Conte(スティーブ・コンテ)、ドラムとしてthe Libertines (ザ・リバーティンズ)のGary Powell(ゲーリー・パウエル)でバンドメンバーを構成しました。バンドの登場はは地元のファンにと評論家にとても良い評価を受けました。
ところがフェスティバルの数週間後ケーンが体調を崩しインフルエンザの疑いで病院に入院します。しかし検査の結果で病気は白血病という思いもよらぬ重いものでした、その数時間後にケーンは死亡します。2004年の7月13日。年は55歳です。
ケーンの他界ご代わりとなるべーシストとし、Hanoi Rock(ハノイロック)Sam Yaffa(サム・ヤッファ)がバンドに加わえ、2004年に再結成しニューヨークのLittle Steven's International Underground Garage Festival(リトル・スティーブンズ・インターナショナル・アンダーグラウンド・フェスティバル)でコンサートを行います。
そして現在に至ります。2009年にはTodd Rundgren(トッド・ラングレン)のプロデュースにより'Cause I Said So(コーズ・アイ・セッド・ソー)をライノレコードよりリリースします。
ニューヨークでのコンサート:
僕は2004年のリトルスティーブンのコンサート行きました。もう5年も前の話ですが、未だ印象強く残っています。メインはストゥージーズでした。ドールズは3番目のメインでした。なぜかStrokes(ストロークス)が2番手!その点は納得いきませんでした・・・が未だこれより良いコンサートは無いと思っています。約30-40(大御所を含む)のバンドが12時間にわたり3つのステージでコンサートを行いました。
その他に、2度見ました。一度はConey Island(コ二ー・アイランド)での無料コンサート、そしてIrving Plaza(アービング・プラザ)で一度。現在ドールズは年に数度定期的にコンサートを行っていて、人気は高まっています。実は2日前ブルックリンでコンサートが在ったのですが、仕事帰りで疲れていたので、行きませんでした。行った方が良かったかな?また今度があります。

デビッド・ヨハンセン


シルベイン・シルベイン
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バンド名:New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)

アルバム: ニューヨーク・ドールズ カバー
メンバー:
・David Johansen(デビッド・ヨハンセン) ボーカル
・Sylvain Sylvain(シルベイン・シルベイン) ギター
・Steve Conte(スティーブ・コンテ) ギター
・Sami Yaffa(サミ・ヤッファ)ベース
・Brian Delaney(ブラインアン・デラ二ー)
元メンバー:
・Johnny Thunders (ジョ二―・三ダース) ギター 死去
・Jerry Nolan (ジェリー・ノーラン)ドラム 死去
・Arthur Kane (アーサー・ケーン) ベース 死去
・Billy Murcia (ビリー・マーシア)ドラム 死去
・Gary Powell (ゲーリー・パウエル)ドラム
・Rick Rivets (リック・リベッツ)ギター
・Blackie Lawless(ブラキー・ローレス) ギター

昔

今
来歴:
もともと各メンバーはニューヨークで他のバンドで活動をしていました。
1971年にギタリストのJohnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)とRick Rivets (リック・リベッツ)、べーシストのArthur Kane (アーサー・ケーン) 、ドラムのBilly Murcia (ビリー・マーシア) にボーカリスストのDavid Johansen(デビッド・ヨハンセン)が加わりNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)と成ります。
1972年の初めにリベッツが辞め代わりにSyl Sylvain(シル・シルベイン)が入ります。
バンドは、ローワー・マンハッタンでレギュラーでコンサートを開いていました。特にthe Mercer Arts Center(マーサー・アーツ・センター)でコンサートをしていました。
ファンからの人気もかなり高まりましたが、その過激な様子と、無作法な態度によりレコード会社から受け入れを拒否されレコードが出せません。
1972年の暮れに初のイギリスツアーに行きます。ツアーの途中にドラマーのマーシアがアルコールとドラッグを混ぜて服用し死んでしまいます。彼の代わりにJerry Nolan(ジェリー・ノーラン)がドラマーと成ります。ジェリーがバンドに参加しその後ようやくマーキュリーレコードと契約が決まります。
1973年にデビューアルバムとなる一枚目のアルバムNew York Dolls(バンド名と同じ)はTodd Rundgren(トッド・ラングレン)によりプロデュースされます。かなり良い評価を受けましたが社会的に大き現象とまでは行きませんでした。U.Sチャート116 位です。
その後1974年にガールズグループの伝説のプロデューサーGeorge Shadow Morton(ジョージ・シャドウ・モートン)により2枚目のアルバムToo Much Too Soon(トゥー・マッチ・トゥー・スーン)をリリースします。このアルバムは当時の流行多少そっていたにも掛からず167位止まりでした。

アルバム: トゥー・マッチ・トゥー・スーン カバー
2枚共アルバムが不成功に終わった為ドールズはマーキュリーレコードより下ろされます。その後バンドは新しいレコード会社が見つからず、新マネージャーMalcolm McLaren(マルコム・マクラーレン)を起用し活動をします。
マクラーレンはドールズの後にthe Sex Pistols(セックス・ピストルズ)で成功する事は皆さんご存知だと思いますが、ドールズの際には成功を得られなかったようです。
マクラーレンの指揮の間ではバンドメンバーの衣装を全身赤のレザーにし、ソビエト連邦の旗の前でパフォーマンスをする等でした。試みは斬新でしたが、当時のレコード会社からは受け入を更に拒まれた一方でした。それに伴いバンドのメンバーが離れ始めていきました。
1975年中盤までにはサンダースとノーランがバンドを離れ、ヨハンセンとシルベインが残りました。マクラーレンはバンドを首にされました。2人は他のメンバーを起用し2年間活動をしますが、特に成功は無く、1977年にはバンドの解散を決意します。その後20年間いろいろなレコード会社よりLiveアルバム等リリースされますが、いずれもトップチャートには届きません。
解散後はヨハンセンはBuster Poindexter(バスター・ポイントデクスター)としてソロ活動を開始、サンダースとノーランはバンドを離れて直ぐ1975年にthe Heartbreakers(ザ・ハートブレーカーズ)を結成し、後70年代後半まで活動をします。ジョ二ーサンダースは当事としても有名なドラック中毒者であった為、ヘロインの過剰摂取により1991年に死亡します。またその追悼のトリビュート・コンサートをしたノーランも、その4ヶ月後に突然の発作により、わずか40歳にして亡くなります。

ジョ二ー・サンダース
ハートブレーカーズはRichard Hell(リチャードヘル)も居たという伝説のニューヨークパンクバンドです。今度改めて紹介します。
2004年にSmiths(スミス)のボーカリストMorrissey(モリシー)がドールズ大のファンであった為、Meltown Festival(メルトダウン・フェスティバル)に残存のメンバーを招待します。モリシーはブリティッシュのドールズ・ファンクラブの会長を務めたこともある程の大ファンです。
ドールズはヨハンセンとシルベインに加えべーシストにオリジナルメンバーのArthur Kane(アーサー・ケーン)が合意、ギターリストにヨハンセンのソログループよりサンダースの代わりにSteve Conte(スティーブ・コンテ)、ドラムとしてthe Libertines (ザ・リバーティンズ)のGary Powell(ゲーリー・パウエル)でバンドメンバーを構成しました。バンドの登場はは地元のファンにと評論家にとても良い評価を受けました。
ところがフェスティバルの数週間後ケーンが体調を崩しインフルエンザの疑いで病院に入院します。しかし検査の結果で病気は白血病という思いもよらぬ重いものでした、その数時間後にケーンは死亡します。2004年の7月13日。年は55歳です。
ケーンの他界ご代わりとなるべーシストとし、Hanoi Rock(ハノイロック)Sam Yaffa(サム・ヤッファ)がバンドに加わえ、2004年に再結成しニューヨークのLittle Steven's International Underground Garage Festival(リトル・スティーブンズ・インターナショナル・アンダーグラウンド・フェスティバル)でコンサートを行います。
そして現在に至ります。2009年にはTodd Rundgren(トッド・ラングレン)のプロデュースにより'Cause I Said So(コーズ・アイ・セッド・ソー)をライノレコードよりリリースします。
ニューヨークでのコンサート:
僕は2004年のリトルスティーブンのコンサート行きました。もう5年も前の話ですが、未だ印象強く残っています。メインはストゥージーズでした。ドールズは3番目のメインでした。なぜかStrokes(ストロークス)が2番手!その点は納得いきませんでした・・・が未だこれより良いコンサートは無いと思っています。約30-40(大御所を含む)のバンドが12時間にわたり3つのステージでコンサートを行いました。
その他に、2度見ました。一度はConey Island(コ二ー・アイランド)での無料コンサート、そしてIrving Plaza(アービング・プラザ)で一度。現在ドールズは年に数度定期的にコンサートを行っていて、人気は高まっています。実は2日前ブルックリンでコンサートが在ったのですが、仕事帰りで疲れていたので、行きませんでした。行った方が良かったかな?また今度があります。

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アート・スクール・パンク:Talking Heads (トーキング・ヘッズ)
以前にB-52sを紹介した時に多少触れましたが、今回は70年代後半のCBGBデビューのアート・メロディック・パンクバンドのTalking Heads (トーキングヘッズ)に付いて話します。このバンドはファンク~メロディックポップに至るまでの音楽をやり遂げたバンです。
バンド名:Talking Heads (トーキング・ヘッズ)

アルバム:モア・ソングス・アバウト・ビルディング・フード カバー
バンドメンバー:
・David Byrne(デビッド・バーン)ギター/ボーカル
・Jerry Harrison(ジェリー・ハリソン) キーボード
・Chris Frantz(クリス・フランズ) ドラム
・Tina Weymouth(ティナ・ウェイマウス)ベース

結成年:1974年
結成場所:ニューヨーク
代表アルバム:
・Talking Heads: 77(トーキング・ヘッズ:77)
・More Songs About Buildings and Food(モア・ソングス・アバウト・ビルディング・フード)
・Remain in Light(リメイン・イン・ライト)
・Don't Worry About the Governmnt(ドント・ウォーリー・アバウト・ザ・ガーバメント)
等
代表曲:
・Psycho Killer(サイコ・キラー)
・Once in a Lifetime(ワンス・イン・ア・ライフタイム)
・And She Was(アンド・シー・ワズ)
・Burning Down the House(バーニング・ダウン・ザ・ハウス)
・Pulled Up(プルド・アップ)
等
来歴:
バンドはボーカリストDavid Byrne(デビッド・バーン)、 ドラマーChris Frantz (クリス・フランズ)、 キーボードリストTina Weymouth (ティナ・ウェイマウス)が70年代初期にRhode Island School of Design(ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン)というアートカレッジで出会い、1974年にニューヨークに行きバンド活動を始めます。元々はアート・パンク・バンドです。翌年、The Ramones (ザ・ラモーンズ)の前座をCBGBでやります。
1967年にキーボドリスとしてJerry Harrison (ジェリー・ハリソン)加わります。
先週紹介しましたが、ハリソンはTalking Headsに入る前は地元のボストンで、Modern Loversで活動していました。
なんだかんだアメブロを始めてから20バンド位パンクバンドを紹介してきましたので、そろそろ、多少のコネクションがお分かり頂け始めてきたでしょうか?
1977年にSire Record (シア・レコード)よりTalking Heads: 77(トーキング・ヘッズ:77)をリリースします。このシンプルロック&ロールのレコードは高い評価を受けました。特にバーンのお宅ぽくてインテリでな歌詞と特徴のあるボーカルが受けました。

アルバム:トーキング・ヘッズ:77 カバー
Psycho Killer(サイコ・キラー)は必ず聞きましょう。
1878年にMore Songs About Buildings and Food(モア・ソング・アバウト・ビルディング・アンド・フード)をBrian Eno(ブライアン・エノ)のプロデュースでリリースします。アーティーなポップな曲に仕上がっています。アコースティックとエレクトロニックにファンクの要素が加えられています。
続いて1978年のアルバムFear of Music (フィア・オブ・ミュージック)もエノよりプロデュースされます。このアルバムではヘビーなリズムにアフリカン・スタイルのポリリズムを加えています。
前回のアルバムで実績を収めたトーキングヘッズは1980年にRemain in Light(リメイン・ライト)をまたもやエノプローデュースでリリースします。このアルバムにはアフリカンの打楽器を取り入れ、ファンクのベースとキーボードを取り入れポップなソングに仕上げました。
その後長いツアーにここにソロ活動を始めます。

アルバム: リメイン・イン・ライト カバー
1983年にSpeaking in Tongues(スピーキング・タンズ)をリリースします。このアルバムブライアン・エノのテイストをそのまま受け継いだアルバムに仕上がりました。感じ的には前回のアルバムと似ていますが、更にポップな感じとなっています。
その後Little Creatures, Naked 等のアルバムをリリースします。
豆知識:
1986年ににリリースされるTrue Stories(トゥルー・ストーリー)の6曲目のRedioHead(レディオヘッド)
はその名前から想像出来ると思いますが、後にデビューするバンドReadiohed(レディオ・ヘッド)の名前
の元と成っています。
後のポストパンク、オルタナティブ・ロックバンドでこのバンドに影響されたバンドは多いです。

アルバム:トゥルー・ストーリー カバー
しかし、徐々にメンバーのソロ活動と他のが中心となり1991年に事実上解散と成ります。
バーンと、ハリソンはソロ活動、フランズとウェイマウスはサイドプロジェクトのTom Tom Club(トム・トム・クラブ)の活動を中心としました。バーンはその他にプロデューサー活動も行っています。
1996年にバーン以外のオリジナルメンバーでThe Headsの名前でNo Talking Just Head(ノー・トーキング・ジャスト・ヘッズ)をリリースします。
1999年にはオリジナルメンバーで、Stop Making Sense(ストップ・メーキング・センス)の15周年記念バージョンのプロモーションをしました。
ニューヨークでのコンサート:
デビッド・バーンは時々ニューヨークでコンサートをします。今年は3日連続で、Radio City(レディオ・シティ)でコンサートをしていました。新しいアルバムのリリースのツアーでした。ツアー名にブライアン・エノの名前があったので、ひょっとしたら、エノも来るのかなーと思いましたが、出演は無かった様うなので、チケットも高かったし僕はパスしました。エノはコラボレーションで製作に加わっただけだそうです。
また今度があるなと思っていたところにBrooklynのProspect Park(プロスペクト・パーク)で無料でコンサートが在るという事で仕事帰りに行きました!が・・・ 長蛇の列・・・5000人は軽く居たんじゃないでしょうか。入れませんでした(涙)。ニューヨーク市よ、次はもっと広い場所を用意してくれ!
僕は5年程前にCentral Park(セントラル・パーク)で一度見た事があるので、次回まで我慢します。その当時は$50という大金を払ってみた記憶があります。パフォーマンスがかなり面白いです。

デビッド・バーン

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バンド名:Talking Heads (トーキング・ヘッズ)

アルバム:モア・ソングス・アバウト・ビルディング・フード カバー
バンドメンバー:
・David Byrne(デビッド・バーン)ギター/ボーカル
・Jerry Harrison(ジェリー・ハリソン) キーボード
・Chris Frantz(クリス・フランズ) ドラム
・Tina Weymouth(ティナ・ウェイマウス)ベース

結成年:1974年
結成場所:ニューヨーク
代表アルバム:
・Talking Heads: 77(トーキング・ヘッズ:77)
・More Songs About Buildings and Food(モア・ソングス・アバウト・ビルディング・フード)
・Remain in Light(リメイン・イン・ライト)
・Don't Worry About the Governmnt(ドント・ウォーリー・アバウト・ザ・ガーバメント)
等
代表曲:
・Psycho Killer(サイコ・キラー)
・Once in a Lifetime(ワンス・イン・ア・ライフタイム)
・And She Was(アンド・シー・ワズ)
・Burning Down the House(バーニング・ダウン・ザ・ハウス)
・Pulled Up(プルド・アップ)
等
来歴:
バンドはボーカリストDavid Byrne(デビッド・バーン)、 ドラマーChris Frantz (クリス・フランズ)、 キーボードリストTina Weymouth (ティナ・ウェイマウス)が70年代初期にRhode Island School of Design(ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン)というアートカレッジで出会い、1974年にニューヨークに行きバンド活動を始めます。元々はアート・パンク・バンドです。翌年、The Ramones (ザ・ラモーンズ)の前座をCBGBでやります。
1967年にキーボドリスとしてJerry Harrison (ジェリー・ハリソン)加わります。
先週紹介しましたが、ハリソンはTalking Headsに入る前は地元のボストンで、Modern Loversで活動していました。
なんだかんだアメブロを始めてから20バンド位パンクバンドを紹介してきましたので、そろそろ、多少のコネクションがお分かり頂け始めてきたでしょうか?
1977年にSire Record (シア・レコード)よりTalking Heads: 77(トーキング・ヘッズ:77)をリリースします。このシンプルロック&ロールのレコードは高い評価を受けました。特にバーンのお宅ぽくてインテリでな歌詞と特徴のあるボーカルが受けました。

アルバム:トーキング・ヘッズ:77 カバー
Psycho Killer(サイコ・キラー)は必ず聞きましょう。
1878年にMore Songs About Buildings and Food(モア・ソング・アバウト・ビルディング・アンド・フード)をBrian Eno(ブライアン・エノ)のプロデュースでリリースします。アーティーなポップな曲に仕上がっています。アコースティックとエレクトロニックにファンクの要素が加えられています。
続いて1978年のアルバムFear of Music (フィア・オブ・ミュージック)もエノよりプロデュースされます。このアルバムではヘビーなリズムにアフリカン・スタイルのポリリズムを加えています。
前回のアルバムで実績を収めたトーキングヘッズは1980年にRemain in Light(リメイン・ライト)をまたもやエノプローデュースでリリースします。このアルバムにはアフリカンの打楽器を取り入れ、ファンクのベースとキーボードを取り入れポップなソングに仕上げました。
その後長いツアーにここにソロ活動を始めます。

アルバム: リメイン・イン・ライト カバー
1983年にSpeaking in Tongues(スピーキング・タンズ)をリリースします。このアルバムブライアン・エノのテイストをそのまま受け継いだアルバムに仕上がりました。感じ的には前回のアルバムと似ていますが、更にポップな感じとなっています。
その後Little Creatures, Naked 等のアルバムをリリースします。
豆知識:
1986年ににリリースされるTrue Stories(トゥルー・ストーリー)の6曲目のRedioHead(レディオヘッド)
はその名前から想像出来ると思いますが、後にデビューするバンドReadiohed(レディオ・ヘッド)の名前
の元と成っています。
後のポストパンク、オルタナティブ・ロックバンドでこのバンドに影響されたバンドは多いです。

アルバム:トゥルー・ストーリー カバー
しかし、徐々にメンバーのソロ活動と他のが中心となり1991年に事実上解散と成ります。
バーンと、ハリソンはソロ活動、フランズとウェイマウスはサイドプロジェクトのTom Tom Club(トム・トム・クラブ)の活動を中心としました。バーンはその他にプロデューサー活動も行っています。
1996年にバーン以外のオリジナルメンバーでThe Headsの名前でNo Talking Just Head(ノー・トーキング・ジャスト・ヘッズ)をリリースします。
1999年にはオリジナルメンバーで、Stop Making Sense(ストップ・メーキング・センス)の15周年記念バージョンのプロモーションをしました。
ニューヨークでのコンサート:
デビッド・バーンは時々ニューヨークでコンサートをします。今年は3日連続で、Radio City(レディオ・シティ)でコンサートをしていました。新しいアルバムのリリースのツアーでした。ツアー名にブライアン・エノの名前があったので、ひょっとしたら、エノも来るのかなーと思いましたが、出演は無かった様うなので、チケットも高かったし僕はパスしました。エノはコラボレーションで製作に加わっただけだそうです。
また今度があるなと思っていたところにBrooklynのProspect Park(プロスペクト・パーク)で無料でコンサートが在るという事で仕事帰りに行きました!が・・・ 長蛇の列・・・5000人は軽く居たんじゃないでしょうか。入れませんでした(涙)。ニューヨーク市よ、次はもっと広い場所を用意してくれ!
僕は5年程前にCentral Park(セントラル・パーク)で一度見た事があるので、次回まで我慢します。その当時は$50という大金を払ってみた記憶があります。パフォーマンスがかなり面白いです。

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