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激越のCBGBパンクバンド:Dead Boys (デッド・ボーイズ)

CBGBの出身のバンドを何バンドか紹介してきましたが、このバンドは中でも最初の過激で無情なパンクバンドであり、CBGBとも関係が深いバンドです。

バンド名:Dead Boys (デッド・ボーイズ)

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート
アルバム:ウィ・ハブ・カム・フォー・ユア・チルドレン カバー

バンドメンバー:
   ・Stiv Bators (スティーブ・バータース)ボーカル 死去
   ・Johnny Blitz (ジョ二―・ブリッツ) ドラム
   ・Cheetah Chrome (チーター・クローム) ギター
   ・Jeff Magnum (ジェフ・マグナム) ベース
   ・Jimmy Zero (ジミー・ゼロ) ギター

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート

結成年:1976

結成場所:クリーブランド、オハイオ州、米国

代表アルバム:
   ・Young Loud and Snotty (ヤング・ラウド・アンド・スノッティ)
   ・We Have Come for Your Children (ウィ・ハブ・カム・フォー・ユア・チルドレン)
    等
代表曲:
   ・Ain't It Fun (エイント・イット・ファン)
   ・3rd Generation Nation (サード・ジェネレーション・ネーション)
   ・Sonic Reducer (ソニック・リデューサー)
   ・Down in Flames (ダウン・イン・フレーム)
    等

来歴:
Johnny Blitz (ジョ二―・ブリッツ)とCheetah Chrome (チーター・クローム)がもともと地元のクリーブランドでRocket from the Tombs(ロケット・フロム・チューム)と言うバンド活動しいます。
このバンドは、the Stooges(ザ・ストゥージズ)、 Alice Cooper(アリス・クーパー)、 the New York Dolls(ザ・ニューヨーク・ドールズ)に影響されているバンドで、ハードでカッコ良いバンドです。機会があったら今度改めて紹介します。

しかしバンドは1975年に真っ二つに2つに分かれます。

ブリットとクロームの2人は新しいバンドを結成に取り組みます。Stiv Bators(スティーブ・バータース)をボーカリスト、Jimmy Zero(ジミー・ゼロ)をギタリスト、Jeff Magnum(ジェフ・マグナム)をべーシストとして、新しいバンドFrankenstein(フランケンシュタイン)結成します。

他のロケット・フロム・チュームのメンバーはPere Ubu(ピュア・ウブ)を結成します。

フランケンシュタインは思いの他、地元での人気が上がらず、消え掛けて行きます。

そんな折、当事のパンクロックのリーダー的存在のThe Romones(ザ・ラモーンズ)がツアーでクリーブランドを訪れ、フランケンシュタインのバンドメンバーと友達になります。ラモーンズのボーカリストJoey Romone (ジョーイ・ラモーン)の協力により、バンドはCBGBでショウを開く事になります。(この時マグナムは不参加)

しかもその後、CBGBのオーナーHilly Kristal(ヒリー・クリスタル)がバンドマネージャーと成り、バンドはレコード会社Sire(シアー)より、アルバムをリリースする事となります。
バンドは名前をThe Dead Boysと改名します。一枚目のアルバムの10曲目のDown in Flames(ダウン・イン・フレームス)の中のフレーズです。
バンドのボーカルのバータースはIggy Pop(イギー・ポップ)的素質の持ち主として、一気に観客より注目を浴びます。

1977年にデビューアルバムと成りるYoung Loud and Snotty(ヤング・ラウド・アンド・スノッティー)をリリースします。このアルバムはクラシック3コードパンクロックです。Genya Ravan(ギニヤ・レブン)によりプロデュース、Bob Clearmountain(ボブ・クリアーマウンテン)がベースで参加しています。バンドがプロモーションツアーに出る頃にべーシストのマグナムがもう一つのバンドとも契約をしてしまった為です。
ツアー内容にはアメリカではイギー・ポップの、イギリスではThe Damned(ザ・ダムド)のオープニングで高い評価を得ました。しかし、当時未だアメリカではロックファンによるパンクロック自体への理解の相違が在った為、売り上げは上がりません。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート
アルバム:ヤング・ラウド・アンド・スノッティー カバー

アルバムには偉大なパンクアンセムの一つSonic Reducer(ソニック・リデューサー)が含まれています。この曲はパンク好きの人は必ずといっていい程皆さん口ずさむ曲ですね!

バンドはその後Lou Reed(ルー・リード)のプロデュースによるレコードを希望しますが、レコード会社の強要により破棄となります。

レコード会社はバンドの曲を少し柔らかくするようにと要求。プロデューサーとして元Cream(クリーム)のプロデューサーFelix Pappalardi(フェリックス・パッパラーディ)を起用します。パッパラーディCreamの師弟バンドMountain(マウンテン)のべーシストでも在ります。しかし当然のことながら、元ヒッピーに若手のパンクの事を理解できる訳も無く、次のアルバムでもバンドの成功は適いません。

噂ではバンドは元のストゥージーズのギタリストJames Williamson(ジェームス・ウィリアムソン)をプロデューサーとして起用しようとしましたが、断られパッパラーディが代わりに行ったそうです。

新しいアルバムWe Have Come for Your Children(ウィ・ハブ・カム・フォー・ユア・チルドレン)は、これまた有名なクラシックパンクソングAin't It Fun(エイン・イット・ファン)を含みますが、1枚目のアルバムよりも売れ行きは上がりません。その上、ブリッツがストリートで強盗に襲われ大怪我を覆い、暫くの間その後予ツアー予定を全てキャンセルせざる終えなく成ります。

CBGBではJohn Belushi (ジョン・ベールッシ)and Divine(デバイン), Blondie(ブロンディー)やthe Ramones(ラモーンズ)、Alice Cooper(アリス・クーパー)等のメンバーによりブリッツの医療費支援コンサートが行われました。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート


その後もバンドはレコード会社により曲の質の変更を強要されますが、耐えかねず、1979年に解散となります。しかし、レコード会社との契約上の問題、数ヵ月後に強制的に再結成をさせられ、Live At CBGB(ライブ・アット・CBGB)の作成を強制されます。

怒ったバーターはわざとオフマイクで歌います。その為このレコード発売されませんでした。後に別のレコード会社the Bomp(ザ・バンプ)よりバーターの声をスタジオで再録音してリリースされます。
80年代に入ても、度々バンドは再結成を強制されます。バータースはそんな状態での活動に疲れ切っていました。その前まではバータースはWanderers(ワンダーラーズ)で活動をしています。
1981年にバータースは元ダムドのBrian James(ブライアン・ジェームス)にらと共にゴス・パンク・バンドLords of the New Church(ロード・オブ・ニュー・チャーチ)を結成します。82年~84年の間に数枚のアルバムを出します。

その後、バータースは活動の拠点をパリへと代え、スーパーパンクバンド結成を試みていました。メンバーはJohnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)とDee Dee Ramone(ディー・ディー・ラモーン)を含むという大物です。

ところが1990年の6月4日に悲劇は起こります。バーターは車に跳ねられ重傷を負いそのまま帰らぬ人と成ります。
バータースの死後もライブやコレクションエディションのアルバムはリリースされました。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート
スティーブ・バータース

ニューヨークでのコンサート:
勿論デッドボーイズは、バータース亡き今ではオリジナルメンバーでは再結成不能ですが、4年前のCBGB閉鎖の前“SAVE CBGB!”イベントの際にに再結成コンサート開きました。行きたかったのですが、時間が合わず断念です。ロケット・フロム・チュームとピュア・ウブは時々コンサートを行っています。



   
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ラモーンズを驚嘆させたバンド:The Undertones(ザ・アンダートーンズ)

アイリッシュのバンドを紹介するのは今回が2回目ですが、このバンドはパンクのピーク時のデビューということもありピストルズ、バズコックス、クラッシュ、ラモーンズにモロに影響されています。初期の曲はラモーンズを彷彿させます。短くて勢いのある曲がカッコいいです!

バンド名:The Undertones (ザ・アンダートーンズ)
ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Undertones7
アルバム:ザ・アンダートーンズ カバー

バンドメンバー:
   ・John O'Neill (ジョン・オニール) ギター
   ・Michael Bradley (マイケル・バードレイ) ベース
   ・Billy Doherty (ビリー・ドへルシー) ドラム
   ・Damian O'Neill (デミアン・オニール) ギター
   ・Paul McLoone (ポール・マックロー二) ボーカル
元メンバー:
   ・Feargal Sharkey (フィアゲル・シャーキー) ボーカル

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Undertones5

結成年:1976年

結成場所:デリー、北アイルランド

代表アルバム:
   ・The Undertones (ザ・アンダートーンズ)
   ・Hypnotised (ハイポノティスド)
   ・Positive Touch (ポジティブ・タッチ)
    等
代表曲:
   ・Teenage Kicks (ティンネージ・キック)
   ・Get Over You (ゲット・オーバー・ユウ)
   ・Jimmy Jimmy (ジミー・ジミー)
   ・My Perfect Cousin(マイ・パーフェクト・カズン)
    等。ティーンネージキックは良い!

来歴:
John(ジョン) と Damian O'Neill (デミアン・オニール) の兄弟は60年代のガレージ、70年代のグラムロックに大きく影響され育ちます。ボーカリストのFeargal Sharkey (フィアゲル・シャーキー) と出会いバンドを始めます。

元々はカバーバンドとして活動していました。1976年頃にはパンクのピーク時だった為、バンドはThe Sex Pistols(セックス・ピストルズ)、Ramones(ラモーンズ)、The Clash(クラッシュ)等に影響をされ始めます。

1977年迄にはオリジナルのパンクの曲も始めます。同年の2月には“Teenage Kick(ティーンネージ・キック)”をコンサートで演奏します。夏にはデモテープを製作します。

そのテープを各レコード会社に送り連絡を待ちますが、一行に来ません。タダ一つ連絡があったのはBBCのラジオDJのJohn Peel (ジョン・ピール)です。

ピールはバンドの曲を気に入り、彼のラジオ番組で流しました。しかもピールはバンドのレコーディングをサポートするとまで言ってくれました。

1978年の夏、ピールのおかげで、デビューEP Teenage Kicks(ティーンネージ・キック)を製作する事が出来ます。ピールのサポートの甲斐もありこの曲はヒットと成ります。
リリース直後より、デミアン・オニールは観客よりサインを求められるように成ったそうです。

1979年にデビューアルバムと成るThe Undertones(バンド名と同じ)をSire Records(シアー・レコード)よりリリースします。

そして同年の秋、バンドは名誉となる、The Clash (ザ・クラッシュ)とのアメリカン・ツアーに向かいます。新しいアルバムHypnotised(ハイポノタイズド)もリリースします。アンダー・トーンズの初期の“Jimmy Jimmy(ジミー・ジミー)”や“My Perfect Cousin(マイ・パーフェクト・カズン)はラモーンズを彷彿、驚嘆させたという事です。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Undertones6
アルバム:ハイポノタイズド カバー

しかし、その後1981年にバンドはレコード会社をEMIに変え次のアルバムPositive Touch(ポジティブ・タッチ)を出して以来、売り上げが落ち込みます。UKヒットチャートは50位止まりです。

1983年に次に出すアルバムThe Sin of Pride(ザ・シン・オブ・プライド)では、何曲かソールとサイケデリックな曲のカバーをいれ、ずいぶんと違った方感じと成ります。前回のアルバムより多少印象が良かったのか、UKチャートは多少伸びますが、46位迄です。

バンドはボーカルのSharkey(シャーキー)が臆病者の性だと批判し、シャーキーはバンドを辞め、バンドは解散へとなります。

シャーキーはその後ソロ活動を始め、オニール兄弟は新しいバンドThat Petrol Emotion(ザット・ペトロール・エモーション)を始めます。このバンドはポリティカルなバンドで、ちょっとダンス・ロックな感じですが、僕はたまに聞きます。今度機会があったら改めて紹介します。

1999年にバンドは再結成しますが、新しいボーカルPaul McLoone(ポール・マックローニ)をバンドの地元デリーで起用します。

そして現在に致します。


ニューヨークでのコンサート:

僕は一度、6年程前にトライベッカのKnitting Factory (ニッティング・ファクトリー)のアイリッシュ・ロック・フェスティバルで見たのみです。“ジミー・ジミー!”はもちろん一緒に叫びました(笑)。場所も一番前だったので結構盛り上がってました。その後は噂は聞きませんが、ニューヨークには来てないと思います。

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ポール・マックロー二

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デミアン・オニール

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最もパンクな男:Richard Hell & the Voidoids (リチャー&ボイドイズ)

パンクロックの歴史の本を読みあさっているとやはりカッコいいバンドの他にカッコいい人物と言うのも出で来るものです。沢山いますが、最もパンクな感じの人で曲や詩、ファッション迄で影響力が在ったのはRichard Hell(リチャード・ヘル)です。以前にTelevision(テレビジョン)を紹介した際に多少触れ(べーシストだったので)、今回の内容でかぶる箇所もあるかもしれませんが、個人的にニューヨークパンクの中でとても重要な存在なので改めて書きます。

バンド名:Richard Hell & the Voidoids(リチャードヘル&ザ・ボイドイズ)
ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell & Voidoids2
アルバム:ブランク・ジェネレーション カバー

バンドメンバー:
   ・Richard Hell(リチャード・ヘル)
   ・Robert Quine(ロバート・クイーニ)
   ・Ivan Julian(イバン・ジュリアン)
   ・Marc Bell(マーク・ベル)
ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell & Voidoids1

代表アルバム:
   ・Blank Generation(ブランク・ジェネレーション)
   ・Destiny Street(デストロイ・ストリート)
    等

代表曲:
   ・Blank Generation(ブランク・ジェネレーション)
   ・Love Comes in Spurts(ラブ・カムズ・イン・スパーツ)
   ・Listen Now! Destiny Street(リスン・ナウ!デストロイ・ストリート)
   ・Time(タイム)
    等

結成年:1977

来歴:
70年の初めから中盤に掛けてパンクシーンにおいてリチャード・ヘルは音楽、詩、ファッションに至るまで、後のパンクロックシーンに大きな影響を与えた一人です。
  
    豆知識:
    リチャード・ヘルは一番初切に切れた洋服をファッションとして着たロッカーとして有名です。

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リチャード・ヘル

Richard Meyers(リチャード・メイヤーズ(本名))はケンタッキー州のレキシントン1949年10月2日生まれです。他の子供と同じようにThe Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)を通じロックに興味を持ち育ちます。

そして高校時代、同じくロック好きなTom Miller(トム・ミラー)と友達になります。その後学校を卒業せずにニューヨークに移ります。

メイヤーズとミラーは名前をRichard Hell (リチャード・ヘル)とTom Verlaine(トム・バーレン)に変え1974年にThe Neo Boys(ネオン・ボーイズ)としてバンドを始めます。The Velvet Underground(ベルベットアンダーグラウンド)やNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)等に影響されたバンドです。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell & Voidoids3
ネオンボーイズのアルバム

バンドは少しすると新しい、ギターリストRichard Lloyd(リチャード・ライド)、ドラマー(ビリー・フィッカ)を加え名前をTelevision(テレビジョン)とします。その後、70年代中盤にはCBGBでBlondie(ブロンディー), Talking Heads(トーキング・ヘッズ), Patti Smith(パティ・スミス), and Ramones(ラモーンズ)らと共にレギュラーとして活躍します。テレビジョンはバンド名を一気にニューヨークのパンクシーンに刻みます。

テレビジョンの活動が続き人気が上がっていくに連れて、バンドのリーダーはいつの間にかバーレンと言う風になっていました。ヘルが作曲した曲も在ったのでヘルは納得行かない状態ででした。

そんなおりニューヨーク・ドールズのJohnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)とJerry Nolan(ジェリー・ノーラン)がバンドを辞め、新しいバンドを結成するのでヘルに参加してくれと言ってきました。絶好のタイミングだった為、ヘルはテレビジョンを辞め新しいバンドThe Heartbreakers(ハート・ブレーカーズ)をサンダースらと共に結成しベースとして加ります。しかし、新しいバンドもテレビジョンと同じくヘルはバンドリーダーではありません。ジョ二ー・サンダースです。

バンドに対しての評価は悪くは在りませんでしたかが、ヘルは自分のバンドRichard Hell & the Voidoids (リチャード・ヘル&ボイドイズ)を結成します。

バンドメンバーのラインナップは一人目ギタリストにRobert Quine(ロバート・クイーニ)、二人目のギタリストにIvan Julian (イバン・ジュリアン)、ドラムにMarc Bell(マーク・ベル)と成ります。バンドは直ぐにCBGBに登場し、1976年には3トラックのEPを発売します。

1977年にデビューアルバムと成る、Blank Generation(ブランク・ジェネレーション)を発売します。このアルバムの曲例えばLove Comes in Spurts(ラブ・カムズ・イン・スプルーツ)等はパンク時代全体を通してクラシックなパンクの標準とされてきました。そしてこのアルバムで、世界ツアーに出る事に成ります。しかし皮肉な事にイングランドではthe Clash(クラッシュ)の前座をやる破目となります。もち論当時は既にヘルとボイドイズはキャリアでも、実力でもクラッシュより上でしたが、イングランドではクラッシュの方が上でボイドイズ認められませんでした。

ヘルはツアーの内容に納得行きませんでした。しかもヘルは(当事のバンドではよくある事ですが)ドラックを常用していた為、バンド活動が疎かになり、成功に繋がりません。そしてバンドは解散へと成ります。

1982年にボイドイズは復活します。しかしオリジナルのメンバーはヘルとクイーニのみです。同年Destiny Street(デスティ二ー・ストリート)をリリースします。しかし、今回も同じくバンドの成功は無くボイドイズの名前は消えて行きます。クイーニは同年ルーリードのバンドでも同時活動をしてます。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell & Voidoids2
アルバム:デスティ二ー・ストリート カバー

その後ヘルは80年代は自分の詩や映画等に出て忙しく過ごします。

   豆知識:
   映画ではDesperately Seeking Susan(デスパレートリー・シーキング・スーザン(1985))
   でMadonna(マドンナ)のボーイフレンド役で出演したのが一番有名だと思います。

同年1985年にボイドイズのライブ・アルバムR.I.P(リップ)がリリースされます。このアルバムを切欠にヘルは音楽業界に復活をします。

1992年に新しいバンドDim Star (ディム・スター)をSonic Youth(ソニック・ユース)のThurston Moore(サールストン・ムーア)とSteve Shelleyスティーブ・シェリーとGumball(ガンボル)のDon Flemingと再びボイドイズのギタリストRobert Quine(ロバート・クイーニ)でを始めます。一時的なプロジェクトとして活動しましたが、70年代の客には受け入れられ無かった曲も90年代客に受け入れられ、ハートブレーカーズ、やネオンボーイズの曲を演奏しました。

ヘルは音楽活動の他何冊か本も出しています。

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell & Voidoids3
リチャード・ヘル現在

ニューヨークでの活での活動
2000年にオリジナルメンバーのボイドイズで復活しましたが。それ以来コンサートは開いていないと思います。リチャード・ヘルは未だ健在で時々テレビ等で出ていますが。今だ僕はコンサートを見た事がありません。イベントもし出るようなら是非見に行きたいです!

ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート-Richard Hell & Voidoids4
ボイドイズ CBGBにて



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