ニューヨーク 60-80年代 ロックコンサート -4ページ目

最長の成功を続ける英国パンクバンド:The Stranglers(ザ・ストラングラーズ)

パンクは60年代に始まり80年代に終わりを告げ、次々にバンドも解散して行きました。ロッカー達も死んで行きました。ストラングラーズはパンクのピーク時にデビューし、現在も絶えず一定の人気を解散もせず最も長く保っているバンドと言えるでしょう。

バンド名:The Stranglers(ストラングラーズ)

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アルバム:ノー・モア・ヒーローズ カバー

メンバー:
   ・Jean-Jacques Burnel (ジャン・ジャックス・バーネル) ベース/リードボーカル
   ・Baz Warne (バズ・ワーン) ギター/リードボーカル
   ・Jet Black (ジェット・ブラック) ドラム
   ・Dave Greenfield (デーブ・グリーンフィールド) キーボード/ボーカル
元メンバー:
   ・Hugh Cornwell (ヒュー・コーヌェル) ギター/リードボーカル
   ・Hans Wärmling (ハンス・ウォーミング) キーボード/ボーカル
   ・John Ellis (ジョン・エリス) ギター/リードボーカル
   ・Paul Roberts (ポール・ロバート)ボーカル

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結成年:1974年
結成場所:ギルドフォード、サリー、英国

来歴:
バンドは英国の南部のGuildford(ギルドフォード)の近くの小さな町Chiddington(チェディントン)で1974年にThe Guildford Stranglers (ザ・ギルドフォード・ストラングラーズ) として結成します。しかし、バンドのメンバーは誰一人として、ギルドフォードの出身ではありません。

オリジナルメンバーの中では唯一コーヌェルだけが良い家柄の血筋でした。
コーヌェルは以前、Emil & the Detectives(エミール&ザ・ディテクティブ)と言うスクールボーイのブルース・

バンドに所属しRichard Thompson(リチャード・トンプソン)と共に、短い間ですが、活動した経験もありました。
バーネルはクラシックギターの経験があり、オーケストラでも演奏しました。

ブラックはジャズドラマーでした。

グリーンフィールドはミリタリーでベースの演奏の経験が在りました。

バンドはDoors(ドアーズ)に強い影響を受けたバンドです。又、当事の英国はではパブロックが全盛だった為パブロックバンドにも影響を受けます。

1975年頃には地元を中心意活動をし、未だ見ぬロンドンでしたが、バンドの実力には自身を持っていました。
バンドはこれから全国に繰り出す為に、ローカル名であったギルドフォードを取り除きThe Stranglers(ストラングラーズ)と名前を縮めます。

時代はパブロックの終わりに差し掛かり、バンドはプロモーターの提案により流行であったパンク・ロックを取り入れ始めます。

力をつけたバンドは1976年の中盤までにはThe Ramones(ラモーンズ)のオープニングを出来るまでに成っていました。

バンド曲は時にはDoors(ドアーズ)、又時にはTelevison(テレビジョン)でそれでありながら、バンド個性が十分にあるといった様に雑誌には書かれました。

同年10月には名誉となるPatti Smith (パティー・スミス) のオープニングも遂げます。
その後バンドの初のツアーも行い、プロデューサーMartin Rushent(マーティン・ルーセント)にデビュー・アルバムのも準備開始します。初めてのツアーでは観客の殆どが、コンサートの最後までは居ず、帰ったそうです。

1977年にデビューアルバムのRattus Norvegicus(ラッツ・ノーベギクス)はバンドがパンクシーンでもっも早い展開を見せるバンドである事を証明しました。

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アルバム:ラッツ・ノーベギクス カバー

バンドの曲は非難される事が多く1977年の夏には“Peach(ピーチ)”がUKトップ10ヒットと成ったのにも関わらず、一度も雑誌に撮りあげられることも無かったそうです。バンドまたバンドは性差別、人種差別等の曲もあった為バンドの世間からの評価は悪の一途を辿っていました。
バンドのブラック・ヒューマーは当事の人の心を打つ事は出来ませんでしたが、後にバンドが人気が出てから聞き直した人も多かったそうです。

バンドは自らMonty Python(モンティー・パイソン)風の馬鹿げた笑いのパフォーマンスをすると表現したそうです。
数々の問題を抱えたバンドでしがのブリティッシュチャートでは、ピーチーズの後のSomething Better Change(サムシィング・ベター・チェンジ) 不動の地位を確保します。

実はバンドは裏でthe Mutations(ザ・ミューションズ)と言う名前でシンガーのCelia Gollin(セリア・ゴーリン)と共にプロモーション活動をしていました。このバンドはMonyMony(モニ・モ二)等の曲が在りますが、ストラングラーズとは雰囲気の違ったバンドで、全く気付かれずに活動をしていたそうです。

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セリア&ミューテーションズ 
アルバム:モニ・モニ カバー

地位の上がった、ストラングラーズは影でthe Mutationsを名乗る必要も無くなり1977年の暮れには二枚目のアルバムNo more Heroes(ノー・モア・ヒーローズ)をリリースします。アルバムは短い時間に大急ぎで作成した為、満足の行くものには仕上がらなかったにも関わらず、大ヒットと成ります。

その数ヵ月後には Black and White(ブラック・アンド・ホワイト)をリリースします。このアルバムは以前の2枚のアルバムを凌ぎ、当時の社会のに衝撃を与えました。

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アルバム:ブラック・アンド・ホワイト カバー

1979年にThe Raven(ザ・リベンジ)をリリースしますが、このアルバムではバンドがサイケデリアとフレンドリーポップの方向に向かっている事を見せられます。

バンドが終わりが近いのではとも噂されます。その事を指し示すかのように1980年の1月、音楽活動とは別にコーヌェルが大麻所持により、3ヶ月間の懲役を受けます。

しかしバンドは解散はせず、3ヵ月後の活動を開始します。直ぐに2枚のアルバムMeninblack(メンインブラック)とLa Folie(ラ・フォリエ)をリリースします。Golden Brown(ゴールデン・ブラウン)はバンド一番のヒットと成ります。ブリティッシュ・シングル・ヒット・チャートでトップ2に入ります。

その後The Collection 1977-1982(ザ・コレクション1977-1982)のリリースにより、バンドはトップ10に咲き戻ります。
バンドはその後も活動を続け現在に至ります。

1990年にバンドの創設者であるHugh Cornwell(ヒュー・コーヌェル)はバンドを離れます。バンドはJohn Ellis(ジョン・エリス)を代わりに起用します。

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ヒュー・コーヌェル

2000年にはエリスもバンドを辞めBaz Warne(バズ・ワーン)が現在のボーカルとなります。

ストラングラーズはKinks (キンクス)や? & the Mysterians(クエッションマーク&ミステリアス)等のカバー曲も歌っています。

ニューヨークでのコンサート:
バンドは確実に未だツアーを行っていますが、未だニューヨークで見た事がありません。見逃しただけかもしれませんが。是非今年こそ来てください!

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ジャン・ジャックス・バーネル

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バズ・ワーン

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華麗に散った最高のパンク・ロッカー:Johnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)

リチャードヘルの事はこの間書きましたが、今日は同じ位重要なニューヨーク・パンクロッカーのジョ二ー・サンダースとそのバンドHertbearkers(ハート・ブレーカーズ)に付いて書きます。

名前:Johnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)
本名:John Anthony Genzale, Jr.(ジョン・アンソニー・ゲンザレ・ジュニア)

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ジョ二ー・サンダース

生年月日:1975年7月15日

出生地:クイーンズ、ニューヨーク州、米国

死去:1991年4月23日 (38歳)

死去地:ニューオーリンズ、ルイジアナ州、米国

所属バンド名:
   ・New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)
   ・The Heartbreakers(ザ・ハートブレーカーズ)
    他

代表曲:
   ・Born to Lose(ボーン・トゥー・ルーズ)
   ・Chinese Rocks(チャイニーズ・ロックス)
   ・You Can't Put Your Arms Round (ユー・キャント・プット・ユア・アームス・アラウンド)
    等。この三曲は絶対聴きましょう!

来歴:
ゲンザレはニューヨーク州のクイーンズのジャクソンはいつでローマンカソリックのイタリアの家族の元で生まれました。ストーンズのKeith Richards(キースリ・チャード)は子供の頃のアイドルでした。

ゲンザレ名前をJohnny Volume(ジョ二ー・ボリューム)と名乗り高校時代にJohnny and the Jaywalkers(ジョ二―・アンド・ジェイウォーカーズ)と言うバンド名でバンド活動を始めます。

暫くするとそのバンドを辞め、他のバンドActress(アクトレス)のメンバーに加わります。アクトレスのメンバーには、後のNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ) のメンバーArthur Kane(アーサー・ケーン)とBilly Murcia(ビリー・マーシア)がいました。

アクトレスは1971年にバンド名をNew York Dolls と改名、同時にジョ二ー・ボリュームもJohnny Thunders(ジョ二ー・サンダース)とします。

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ニューヨーク・ドールズ

1975年にドールズは解散します

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ジョ二ー・サンダース

サンダースはドールズのドラマーJerry Nolan(ジェリー・ノーラン)とTelevision(テレビジョン)のべーシストRichard Hell(リチャード・ヘル)とギタリストのWalter Lure(ウォルター・ルール)とThe Heartbreakers (ザ・ハートブレーカーズ)を結成します。

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ハート・ブレーカーズ

しかしヘルは直ぐにバンドを抜け、自らのバンドThe Voidoids(ザ・ボイドイズ)を結成します。

代わりのべーシストとして、Billy Rath(ビリールース)が加わり、ハートブレーカーズは、アメリカとブリティッシュツアーに出ます。

1977年に正式なアルバムでは最初で最後と成るL.A.M.F(エル・エー・エム・エフ)をリリースします。その後バンドは、活動拠点をUKへと移します。当事はパンクバンドの人気はUKの方が高く、ハート・ブレーカーズの人気もUKの方が高かった為です。
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アルバム:エル・エー・エム・エフ カバー

サンダースはダラダラした感じの酔っ払いパフォーマンス、付け加え、予告無しの突然の他のアーティストのステージへの登場に評判と成りました。

その後数ヶ月UKにての活動後アメリカに戻り解散コンサートをしバンドは解散となります。

1978年にサンダースはソロアルバムでSo Alone(ソー・アローン)をリリースします。
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アルバム:ソー・アローン カバー

このアルバムはにはthe Sex Pistol(ザ・セックス・ピストルズ)のSteve Jones(スティーブ・ジョーンズ)、Small Faces(スモール・フェースィーズ)とHumble Pie(ハンブル・パイ)の Paul Cook (ポール・クック)とSteve Marriott(スティーブ・マリオット)、Eddie and the Hot Rods(エディー・アンド・ホットロッド) とthe Damned(ザ・ダムド)のPaul Gray(ポール・グレイ) それからThin Lizzy(シィン・リズィー) のPhil Lynottフィル ・リノットと言ったパンクの著名人が参加しています。

その後直ぐにサンダースはSex Pistols(セックス・ビストルズ)のSid Visous(シド・ビシャス)とthe Living Dead(ザ・リビング・デッド)と言うバンド少しの間活動します。

80年代の初め、サンダースはハートブレーカーズを再結成します。そして、沢山のツアーをし、1984年に最後のアルバムを作成します。

80年代の殆どをサンダースのレコードはでたらめな未完成な物、もしくはデモアルバムでしが、1985年にリリースする新曲のコレクションアルバムQue Sera Sera (ケ・セラ・セラ)では、未だサンダースにはパフォーマンスをする力が在る事を示しました。

その3年後、ボーカリストPatti Palladin(パティー・パラディン)と共にロックとR&BのカバーアルバムCopy Cat(コピー・キャット)をリリースします。
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アルバム:コピー・キャット カバー

その後80年代の後半はMC5(エムシィー・ファイブ)のWayne Kramer(ウェイン・クレーマー)とGang War(ギャング・ワー)をで活動し1枚アルバムをリリースします。

サンダースは1991年4月23日にニューオリンズのホテルでドラックの過剰摂取ににより、死んでいるのが見つかりました。検死の結果は死因を公表しませんでしが、最新の情報によるとメソァドン(ヘロイン中毒の治療薬)の過剰摂取だったそうです。悲しい最後を遂げた、サンダースですが、パンクロッカーに見合った生き方をしました。サンダース程ハード人生を歩んだパンクロッカーは居ないでしょう。

ニューヨークでのコンサート:
テレビジョンやドールズは見ましたが、サンダースは、残念ながら死んでしまったので見れません。偉大なパンクロッカーはどんどん亡くなって行きます。悲しい事ですが、仕方ありません。
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当事の様子。

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パンクとハードコア・パンクの堺:The Germs(ザ・ジャームス)

パンクは80年代初期にLAを中心に過激で、ハイテンポなハードコア・パンクと成り、その後ハードコアと変化を遂げていきます。ハードコア・パックと言うとBlack Flag(ブラック・フラッグ) , Dead Kennedys (デッド・ケネーディーズ)などが思い浮かぶと思いますが、このバンドが恐らく一番最初のハードコア・パンクだと思います。

バンド名:The Gearms(ザ・ジャームス)

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アルバム:ジー・アイ カバー

メンバー:
   ・Pat Smear (パット・スメアー) ギター 
   ・Lorna Doom (ローナ・ドーム) ベース
   ・Don Bolles (ドナ・ボレス)ドラム
   ・Shane West (シェーン・ウェスト) ボーカル
元メンバー
   ・Darby Crash (ダービー・クラッシュ) ボーカル 死去
   ・Belinda Carlisle (ビリンダ・カーリスル) ドラム
    他

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代表アルバム:
   ・GI(ジー・アイ)
   ・Complete Anthology(MIA)(コンプリート・アンソロジー)

代表曲:
   ・Forming(フォーミング)
   ・Lexicon Devil(レキシコン・デビル)
   ・What we do is secret(ワット・ウィ・ドゥー・イズ・シークレット)
   ・Sex Boy(セックス・ボーイ)
    等。 フォーミングがカッコ良いです!
   
結成年:1977年

結成場所:ロスアンゼルス、カリフォルニア州、米国

来歴:
このバンドはパンクのピークの時代に結成したバンドでThe Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のSid Viscous(シド・ビシャス)に似た生き方をしたと言われている、Darby Crash(ダービー・クラッシュ)が居ました。彼は22歳で自殺しました。

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ダービー・クラッシュ

ピストルズやブリティッシュパンク全体、CBGBシーンに影響された他、Iggy Pop(イッギー・ポップ)、David Bowie(デビッド・ボウイ)、Lou Read(ルー・リード)にも影響されています。

大学の友達だったJan Paul Beahm(ジャン・ポール・ビーハム) とGeorg Ruthenberg (グレッグ・ルーセンバーグ)の二人は非社交的な態度により大学を退学となります。

その後バンド結成をし自らの名前をビーハムはDarby Crash(ダービー・クラッシュ)、ルーセンバーグはPat Smear(パット・スメアー)と名乗ります。バンド名はSophistifuck & The Revlon Spam Queens(ソフィスティファック& ザ・レボン・スパム・クイーン )と命名します。

その後、余りにバンド名が長かった為Tシャツに名前を入れる際にお金が足らず、短いThe Germs(ジャームス)に改名。このネタ面白いです(笑)

1977年にLorna Doom(ローナ・ドーム)をべーシストとして加えます。又当事のラインナップにDottie Danger(ドッティー・デンジャー)がドラマーとして入りました。しかし直ぐにバンドを辞めます。(彼女は後にThe Go-Go’s (ザ・ゴー・ゴーズ)の シンガーBelinda Carlisle(ビリンダ・カーリスル)として有名になります。)

ジャームスの最初のショウはコンサート言うよりはタダ、ノイズを撒き散らしただけだったそうです。余りの無秩序さにバンドはコンサートクラブより追い出しを食らったそうです。 

1978年にDon Bolles (ドナ・ボレス)がドラマーとして加わります。

こんな無法なバンドにレコード会社も付くはずも無く、又クラッシュが自殺してしまう為、活動期間はわずか2年足らずで、事実上1枚のアルバムGI(ジー・アイ)のみです。GIはジャームスのファンであったJoan Jett (ジョアン・ジェット)によってプロデュースされます。 このアルバムは後のthe Zeroes(ゼロズ)、the Weirdos(ウィアドーズ)に影響を与えLAパンクシーンのを大きく変えます。

アンダーグランドシーンではヒットしました。

1980年12月7日、クラッシュは友人のCasey Cola(キャッシー・コーラ)と共にヘロインの過剰摂取による自殺を図ります。クラッシュは死亡し、コーラは生き残ります。クラッシュは死ぬ間際にHere lies Darby Crash(ヒア・ライズ・ダービー・クラッシュ)と言う詩を壁に書き残そうとしますが、未完成の状態でした。

彼の死は多くのジャームスファンにい悔やまれ大きなニュースで報道されましたが、その翌日に起こるJohn Lennon(ジョン・レノン)暗殺の事件により一気に掻き消されます(涙)。

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ギターのスメアーはその後、ジャームスに影響されたバンドNirverna (ニルバーナ), Foo Fighters(フー・ファイターズ)で活躍します。

1993年に詩人で、作家で、ミュージシャンのPleasant Gehman(プリーザント・ゲハマン)によりジャームスのほぼ全ての曲を含むComplete Anthology(MIA)(コンプリート・アンソロジー)がライナーノート同梱でリリースされます。
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アルバム: コンプリート・アンソロジー:カバー

2008年に8月8日にジャームスのバイオグラフィー映画What We Do Is Secret(ワット・ウィ・ドゥ・イズ・シークレット(ジャームスの曲名から))が上映されます。主演がShane West(シェーン・ウェスト)で、クラッシュの役です。演技力が買われ、ウェストがバンドのボーカルとして起用され、バンドは再結成をします。

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映画:ワット・ウィ・ドゥ・イズ・シークレット(2008)

ニューヨクでのコンサート:
活動時期が短かったので、伝説の一つのバンドとしてしか、思っていませんでしたが、一週間程前にローアー・イースト・サイドのMarcury Lounge(マーキュリー・ラウンジ)にリストが上っているのを発見!目を疑いましたが、直ぐにチケットを購入。

先日コンサート見てきました!

ウェストは俳優の割には良い仕事してました。他のメンバーは寛大な感じでした。マーキュリーラウンジは、収容人数わずか100人程度の小さな場所なので、コンサートを見るのにとても良い感じの所です。

ファンは熱い奴が多く、ハードなコンサートで見られがちな、“コンサートを見に来ているのか、ケンカしに来ているのか分からない”様な奴も数人いました(迷惑)。それとは別に、絶対パンクのコンサートには来なそうなモデルの様な女の子も沢山いました。多分、ボーカルが俳優なので、そのファンか何かでしょう。異常な感じでした(良かったけど)。

コンサートが終わり、バンドのメンバーもラウンジで飲んだりしていたので、一緒に飲みながらいろいろ話が出来ました!僕はベーシストのドームと話をしていたのですが、25年ぶりのコンサート、昨日がツアー初日だったそうです。本当に行って良かった!

彼女の話によると2010年の2月に、日本(場所未定)でもコンサートをやるそうですので、パンクファンは絶対行きましょう!詳しくはオフィシャルサイトのツアー日程を参照してください。

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シェーン・ウェスト

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パット・スメアー

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左:ローナ・ドーム

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