俺は迷っていた。このままバトミントン部への入部を諦めれば、恐らくはあの頃と同じ高校生活になるだろう。それはそれで不満はないのだが、本当でそれでいいのだろうか…。

その考えが、どうしてもぬぐいきれなかった。

教室のベランダ越しに、俺はぼんやりと教室の外を眺めていた。部活に青春を燃やす彼らを見ているうちに、自分の中にある思いが沸き起こってきた。

「このままで、本当にいいのか…?せっかく戻って来れたのに、また俺は、何もできずにいるのか?」

その夜、俺は帰ってくるなり、バトミントン部への入部を母親に頼み込んた。

「母さん、すまないけど、やっぱり俺、バトミントン部に入りたいんだ!」

「何バカなこと言っているのよ、勉強はどうするのよ!周りが3年間必死になっているのに、他の子に遅れてしまうじゃない。」

猛反対する母親に怖気づきそうになったが、今ここで乗り越えないと、こちら側での生活にも悔いが残ると考え、俺は説得を続けた。

「大丈夫だって。先輩たちだってちゃんと受験を乗り越えているんだから、やれるはずだよ!」

「そんな悠長なこと言っていたら、あっという間に大きな差が開いてしまうって言っているのよ。それが分からないの?」

「分かっているさ。でも、やらないで後悔することだけは、絶対に嫌なんだ!」

「…勝手にしなさい!成績がひどかったら、すぐにでもやめてもらうからね!!」

心配する気持ちが、当時以上に分かる分、申し訳なさで後ろ髪を引かれるような思いを抱きつつ、俺は一抹の不安とともにバトミントン部へ入部した。

俺は中学時代にも、バトミントン部に「一応は」所属していた。しかし、他校に比べて、ものすごくゆるい部活であったため、練習量についていけるのかという心配があった。そして、得てして、そういった不安は的中するものであった。
「ナイスショット、いいぞ小森!」

あれから2ヶ月、俺はひとまず、今の環境を受け入れることから始めていった。もがいてもどうしようもない以上、ここでの生活を、できる限り楽しんでみることにしたのである。

今、俺はバトミントン部に所属している。元々は、中学の時から続けていたのだが、学業優先を求められたため、高校進学と同時に断念していた。今回のタイムスリップでも、バトミントン部に入部すること、そして、こうして続けていくまでには、大きな障壁が何度かあった。

タイムスリップから1週間後、学校では部活登録が行われていた。俺の高校では、一応全員が部活に所属しなくてはならなかったのである。

「なぁ、亮介。お前、部活どこにするんだ?」

尋ねてきた真人に、俺はあいまいな返事しかできなかった。

「分かんね、できればバトミントンってところだけど、見てみないとなんともね。」

気持ちとしては、せっかく過去に戻ってきたのだから、もちろんバトミントン部へ入部したかった。両親が心配している学業面も、いわば「一度は経験済み」であるため、まぁ、何とかなるはずだと考えていた。しかし、学業優先を求める両親を説得しきる自信が、俺にはなかった。それができれば、最初からそうしていたからである。

帰宅後の夕食で、俺はそれとなく部活の話題を出してみた。

「母さん、部活の登録が来週末までにあるんだけどさ。」

そこまで言うと、まくし立てるように母は釘を刺してきた。

「ああ、全員登録は必須だったわね。もちろん、運動部はだめよ。そんな時間があったら勉強して、3年後の大学受験に備えてちょうだい!」

まぁ、案の定の展開であった。当時の俺には分からなかったが、親としては、子どもの将来のために、まずは勉強を頑張ってもらいたいという気持ちは、今の俺になら分かった。それでもなお、あの頃と同じく、くすぶった気持ちも、俺の中にあった。

そうこうしているうちに、あっという間に部活の本登録を明後日に控えた。
「私たち2人はタイム・スクエアという組織に所属しているの。あなた方の世界で例えるなら、神や天使といった類ね。ただ、私たちは史実を記して記録していくだけの存在であって、一般的にイメージされるような、運命をコントロールする権限なんて存在しない。理屈で言えば、あなたがタイムスリップして、この時代に来ることなんてありえないはずだったの。それなのに、時也が隠れて変な装置を発明していたのよ。『恐竜をこの時代に持ってくるんだ!』とか言ってね。それで、それを取り上げようとしたら…。」

「驚いて、装置のスイッチを押しちまったんだよ。設定とか全く調整していなくて、たまたまあんたが、この時代に転送されてしまったんだ。」

一応は説明がつき、俺は自分が置かれた状況を理解した。はたからすれば、突拍子もない説明ではあるが、すでに今の状況が突拍子もない状況であったため、納得するしかなかったのである。

「まぁ、事情は分かったよ。簡単に言えば、俺はタイムスリップしちまったってことだな。元の時代の俺はどうなっているんだ?いきなりいなくなっていたら、流石に妻と子どもが驚いてしまうと思うんだが…。」

「それなら心配いらないわ。一応、昏睡状態っていうことで、肉体は存在しているから。時間の経過は、こちらの時間よりはかなり遅くなっているはずよ。」

「ああ、それなら安心した。まぁ、とりあえず、状況からして、元の時代に帰してもらえるっていうことだよね。早く帰ってやんないと、流石に心配だし…。」

そこまで言ったとき、未来がため息をついた。別に、同じ転送装置で戻せば良いだけじゃないかと、俺は思っていた。

「甘いわね、それができるなら、最初から夢落ちで処理しているわよ。」

そして、未来の先程のため息の理由が明かされた。

「時也の造った装置は使い捨て型だったから、新たに装置を開発しなくてはならない。しかも、それは偶然造りだされたから、どうすればあなたを元の時代に帰せるかもまだ分かっていない状況なの。」

「え、それじゃ…」

俺は続ける言葉を失った。

「あなたに残された道は2つ。無事に戻れる方法が開発されて、元に時代に帰れるか、この時代を生きていくかよ。それじゃあ、私たちはこれで。」

そう現実を告げると、未来たちは亮介から姿を消していった。

一人残された亮介は激しく動揺していた。未来に戻ることもできず、かと言って、自力で打破することができない現状に、突然巻き込まれたからである。

『そんな…。そりゃあ、あの頃に戻りたいとも考えたけど、こんな形じゃない。いきなり過去にタイムスリップしてしまって…真希や子どもたちの生活はどうなる?それに、そもそも、本当に戻れるのか?一体、俺は…どうなってしまうんだ!!!』

不安に満ちた俺の心の叫びだけが、辺りにむなしく響いた。
驚いた俺に話しかけてきたのは、会ったことがない、一人の少女であった。

「あの、失礼ですが、どこかでお会いしたでしょうか?ちょっと思い出せなくて。ていうか、これって夢じゃないんですか?いわゆる、自分でコントロールできる類の…。」

そこまで俺が話すと、少女は突然、俺の頬をつまみ出した。

「いてて、何するんですか、いきなり!!」

「自覚症状あるでしょう。ここは夢じゃなくて現実よ!」

「それじゃ、今まで現実だと思っていた25年間こそが夢だったということなんですか?何か、考えにくいんですが…」

「それも現実、つまり、どっちも現実ってことよ!とにかく付いてきなさい、事情をお話しするわ。」

訳が分からなかった。その理屈だと、俺は40歳であり、15歳でもあるということになる。論理的に考えて、成立するはずのない回答であった。しかし、彼女の後についていく以外、今置かれている状況の手がかりはなかった。

仕方なく少女の後に従って歩いていくと、一人の少年が木から吊るされていた。

「お、おい!少年が木から吊るされているぞ、助けてやらないと!!」

そう俺が叫んだときであった、少女は目の前から姿を消していた。

少女は吊るされている少年の近くで浮かんでいた。そして、少年を怒り始めた。

「全く、あんたとんでもない事してくれたわね…。おかげで、前例がない事態に対処しなくちゃならなくなったじゃないの!!」

「何で俺だけが怒られるんだよ、半分は姉ちゃんだって悪いじゃないか。急に声掛けてきたから、驚いちまったじゃないかよ!」

「あんたが勝手なことするからでしょうが!大体、そういったことはしてはいけないってもう何度も注意されているのに…。」

ぶら下げられたまま、少年は姉である少女に反発した。どうやら、俺が25年前の時間にいるのは、この2人に関係があると思われた。

理解できない現状に、俺は頭の中を整理できず、ただ呆然としていた。そんな俺のことなど気にもかけず、2人の間でだけヒートアップしていた。

しばらくして、次第に、何だか俺のことを放置されている気がし始め、2人に向かって叫んだ。

「あの…そろそろ教えてもらえませんか?俺に何があって、あんたがたとどういった関係があるのか。」

「あ、ええ。そういえばそうね。」

亮介の声に、少女は我にかえった。

「まずは自己紹介、私が時元未来。こっちが…」

「時元時也、よろしく!」

自力で縄から脱出すると、少年はそう名乗った。

「信じがたいかもしれないけど、これは事実だから、ちゃんと聞いてちょうだい。」
 
そう前置きをした上で、未来は亮介にいきさつを説明し始めた。
「亮介、ここにいたのか。」

風間真人、小学校からの親友だ。やけに若いな、そう、中学か高校くらい…。って、この制服は高校の制服だから、高校の頃という設定なんだな。

今の自分の状況を、俺は意外にも冷静に受けてめていた。どうやら、入学式を終えたばかりのようであった。

しばらく真人と歩くと、かつての自宅が見えてきた。和室で仰向けになりながら、ひとつの考えが頭をよぎった。

ああ、これは夢なんだな。今の自分の心境を、実に良く映し出している。だから、もう一度ここで眠りについて意識が薄らいでいけば、また変わらない日常なんだな。

そして、そのまま、また眠りについた。

目が覚める直前、誰かが自分を起こす声が聞こえた。ああ、妻にまたいつものようにたたき起こされているんだな。

「ちょっと、お兄ちゃん。そんなところで寝ていたら風邪引くでしょう!」

声の主は、妹の明日香のようであった。

しかし、寝起きから意識がはっきりし、俺はすぐに違和感を感じた。

目の前に現れた妹は、まだ中学生の姿であった。そして何より、目が覚めたのは、いつものベッドではなく、25年前の居間であったのだ。

「ああ、すまん。ちょっと出かけてくる。」

そう言って、近くのコンビにまで行ってみることにした。記憶が確かなら、10分くらい歩いたところにあるはずであった。そこは、25年後には大型ショップに変わっている場所であった。

歩いてそこまで言ってみると、そこにあったのは25年前のコンビニであった。

これが夢にしては…リアルすぎる。ひょっとして、俺が現実だと思っていたこの25年こそが夢であったのか。しかし、それでは逆に、今度はそっちがリアルすぎる。俺の頭の中が、次第に混乱してきた。

「思ったとおり、あなた、ぜんぜん自分の状況が分かっていないようね!」

「うわっ!!」