翌日の放課後、俺たちはその人物を旧校舎の一室に呼び出した。

「何なのよ、小森。こんなところに呼び出して。」

「佐藤、お前なんだろ。絵玲奈の噂の張本人は?」

佐藤菜穂子、絵玲奈の中学からの友人である。しかし、俺と絵玲奈が頻繁に会うようになってしばらくしてから、2人はあまり一緒に行動しなくなっていた。

「は、いきなり何言っているの?大体、私とあの子はもう何の関係もないわ。私、携帯持っていないし、チェーンメールだって使い方わかんない。そもそも、あんな軽い子と一緒だったなんて、今じゃ恥ずかしい限りよ。」

「そうだ、だから山田を使って噂を広めたんだろ、学校のパソコン室に発信源と思われる書き込みとその経緯が残されていた。」

「じゃあ、その山田っていうのが犯人なんじゃないの?あいつ、パソコン得意だって聞いていたし。」

「実行したのは山田だ。それは間違いない。でも、自分の意思でやったわけじゃない。そもそも、佐藤、携帯持っていないのに、どうやってその噂がチェーンメールで広まったって知ったんだ?」

反論する菜穂に、俺は1つ尋ねてみた。あらかじめ答えが用意されていたかのような調子で、菜穂はその質問に答えた。

「確か、市川に見せてもらったのよ。知ったとき、もう恥ずかしいやら、情けないやら…。」

「今の言葉で、完全に墓穴を掘ったぜ。」

「え、何よ。どういうことよ!」

意味が分からず困惑する佐藤に、俺は矛盾点を指摘した。

「確かに、黒幕は山田に『チェーンメールで噂を広めるように』と指示していた。だが、実際に噂になったのは、裏サイトからだ。パソコンに詳しい山田は、チェーンメールから発信源が万が一にも暴かれるのを警戒して、裏サイトを利用して噂を広めたんだ。チェーンメールとその噂のつながりを知っているのは、山田と黒幕だけだ。」

「だからって…私がやったっていうことには繋がらないじゃない。さっきだって、たまたま取り違えていただけよ…。そこまで言うなら、証拠を出してよ。私が黒幕だっていう、決定的な証拠を!」

あくまでも自分が黒幕ではないと言い通そうとする佐藤に、今度こそ間違いのない決定的な証拠を、俺たちは突きつけた。

「あの噂の発端となったチャットのやり取りが、校内のパソコンに残っていた。日時は7月13日。あの日は落雷の影響で昼に一度、停電が起きていた。その後、ほとんどの電気機器は復旧したけれど、パソコン室のネットワークの復旧だけは翌朝まで掛かっていたんだ。その日は午前中にパソコンを使った授業もなく、入室管理に名前が載っていたのは佐藤、君だけなんだよ。」

「…」

すでに反論する余地もなく、また、佐藤自身にも、その気力は残っていなかった。真相を暴かれ、呆然としている佐藤に絵玲奈が尋ねた。それは、俺たちがどれだけ調べても分からなかったことであった。

「菜穂、最近、距離置くようになってきていたけど、どうしてこんなことを…。」

「…1ヶ月前のこと、覚えている?」

「ううん、そのくらいの時はまだ、菜穂ともよく話していたはずだけど…。」

佐藤にすでに抵抗の意志はなかった。彼女の口から、今回の事件の発端が語られだした。

「高校に入学してから、絵玲奈、メガネからコンタクトに変えて、髪もオシャレになって、急に男子の間で人気が出てきた。最初は、私もそれが誇らしくって、自慢の友達だって思っていた。でも、しばらくしてくると、人気のある絵玲奈の存在が、私にとってプレッシャーになってきた。絵玲奈のことはよく聞かれるけど、私のことは誰も聞いてきてくれなかった。絵玲奈が輝いているのに、私だけ取り残されているような気がしてきた。」

それは、誰しもが抱くであろう、どこにでもあるような感情であった。そして、今回の事件の核心が告げられた。

「そんな時、授業の移動中に絵玲奈と一緒にいたときに、男子が話しかけてきた。絵玲奈とは楽しそうに話しているのに、私はその輪の中に入っていけなかった。ようやく存在に気づいてもらえたら、『あ、いたの?』って。悲しくて、惨めで…悔しかった。私だってキラキラな学校生活にしたいのに、絵玲奈ばかりズルイって思ってしまった。私が輝けないのは、絵玲奈が、自分だけ輝きすぎているからだって思ってしまった。だから、絵玲奈の評価が下がれば、私だけが、こんな思いをしないで済むと思った。」

「それで、あのサイトの内容で噂にしようとしたってわけか。」

「ほんの少し困らせるくらいの、いたずらのつもりだった。それがまさか、こんな騒ぎになるなんて…。ごめんね、絵玲奈。お願いだから、友達でいて…。私がわがまま言えるのは、絵玲奈だけなの…。」

彼女が告げた真実、それは、些細なすれ違いと嫉妬、そこから生じたほんの少しの悪意が生み出した、悲しい事件であった。その日のうちに、俺は山田に頼んで裏サイトで噂をかき消すように工作した。

翌日、絵玲奈は1週間ぶりに登校をしてきた。噂がデマであることはある程度広まっていたが、傍観していた彼女の友人やクラスメイトは、絵玲奈にどう接すればいいのか分からなかった。

しかし、そんな空気は、朝のうちに吹き飛ばされた。俺が大慌てで宿題を借りに来たからであった。今回の件に掛かりっきりであったため、予習が追いつかなかった古文と英語のノートを、それぞれ間に合わせられなかったのである。

「頼む、ノート貸してくれ!古文は2限目で英語が4限目から、さすがに隠れて予習しても、両方は間に合わない!」

「もう、しょうがないわね。はい、これ。昼には返してよ、私も午後からあるんだから。」

そう言って、絵玲奈は予習済みのノートを俺に貸してくれた。

「悪い、助かったよ。」

「亮介君!」

そういって俺を呼び止めた絵玲奈は、何から言えば迷っているようであった。

「その、何て言うか…ありがとう!」

シンプルなその一言に、絵玲奈の気持ちが凝縮されていた。そして、久々に見た絵玲奈の笑顔が、ここにたどり着くまでの全ての苦労に報いてくれるような気がした。照れ隠しのように、少しだけ微笑を向けて、俺は絵玲奈に応えた。

「どういたしまして。」
翌日、俺はまず、真人に協力を頼んでみた。流石に一人では皆目見当もつかないし、精神的にも、相棒がいたほうが心強いからだ。

最初、その噂がデマであるという話を、真人はほとんど信じてはいなかった。痺れを切らして、他を当たろうと思ったとき、それでも、俺が言うならば、調べてみる価値はあるということで、協力してもらえることになった。

噂で瞬く間に広まり、3年掛かっても真相が判明しないまま、うやむやになった事件であり、俺は長期戦を覚悟していた。しかし、意外にもあっさりと、真人が犯人を見つけ出した。

「あー、亮介。お前の言うとおりだった。学校の掲示板からその噂が書き込まれていたよ。しかも、ご丁寧にも履歴が残らないように。まぁ、そうはいっても、パソコンルームに入るには学生証で受付をしなくちゃならない。そのメールが流れたのが、確か7月15日だったろ?その日にパソコンを使っているのは一人だけ、そいつが犯人だ。亮介が三嶋から聞いた話とも動機が繋がる。真実って、意外なところに転がっているもんだな。」

その日、俺と真人は「犯人」をパソコン室に呼び出した。

放課後、A組の山田泰史は先にパソコン室にやってきていた。彼もまた、絵玲奈に好意を寄せていた一人であったが、俺と付き合う前に、絵玲奈に告白して振られていた。その事実を知っているのは、俺を除けば、山田と絵玲奈だけであった。

「やぁ、小森。お前の彼女、噂になっていたぜ。お前もついてないな、ははは!」

ニヤニヤしながら近づく山田に、真人が入室管理簿のコピーを見せた。

「お前、この日ここのパソコン使っただろ?」

「あ、それが何だっていうんだよ?」

シラを切る山田に、俺たちは「動かぬ証拠」を突きつけた。

「あの噂、ここのパソコンが発信源だったぜ。履歴で消しても、別のやり方でちょっと検索をかければ、発信源は残っているもんなんだよ。その日、ここのパソコン室を使ったのはお前だけだ。大方、絵玲奈に振られた腹いせっていうところだろ?」

事実を暴かれ、明らかに山田は動揺した。入り口近くにあったモップを手に取ると、身震いしながら俺たちを脅しに来た。

「は、話すなよ、そのことを誰にも!さもないと…!!」

そう言って襲い掛かってきた山田であったが、真人がモップをへし折り、あっという間に組み伏せた。すでに戦意喪失しており、これ以上追い詰める必要はなくなっていた。

「まったく、匿名だからって、ネットで陰口なんか書くような性根だから、お前は絵玲奈に振られるんだよ。」

事件は解決した―。そう思い、パソコン室の机に寄りかかったときであった。スリープ状態の画面が立ち上がった。そこに映し出されたチャットの画面は、また違う事実を伝えてきた。

『ルシフェル:嫌だよ、その話が本当だとしても、俺がそれを広めるなんて。』

『ミカエル:いいから、あんたがやるの!じゃないと、絵玲奈に告白して振られたって、噂にするわよ!』

『ルシフェル:そ、それだけは止めてくれ。』

『ミカエル:なにをためらっているのよ、上手くいけば、私は絵玲奈に報いを与えられるし、あんたは絵玲奈を奪えるかもしれないんだから。』

思ってもいなかった展開に、俺は真人に教えてもらいながら、偽造かどうか確認できるか調べた。その結果、そのチャットでのやりとりは、間違いなく実際に行われたものであったことが明らかになった。

「泰史、お前じゃないな。本当の黒幕は…!」

「ち、違う。僕がやったん…」

山田がそこまで言って幕引きを図ろうとしたとき、俺は言葉を遮らせた。事実ではあるが、真実ではないからである。それでは、何の解決にもならないからだ。

「どうして、そいつをかばうんだ!?このチャットは偽ものじゃない。俺の携帯からでも履歴がさっき確認できた!」

「僕が犯人ってことにしておけば、僕だけが悪者ですむ。君たちの気も晴れるし、それで丸く解決できるなら…」

もうこれ以上の面倒はこりごりだ、そんな態度の山田に、俺は先ほどよりも強い口調で説き伏せた。

「いや、だめだ。それにこのままじゃ、何かあったとき、泰史、お前、ずっとそいつにピエロにされるぞ。それでいいわけないだろ!」

「わ、分かったよ!知っていること全部言うから、僕が話したってことだけは本当に隠してくれ!」

山田はそう言って、実際に噂を広めたこと、そして、それは誰かに脅されて行ったことを認めた。また、先にパソコン室に来ていたのは、先ほどのチャットのやり取りのデータを消して、今回の一連の事件の証拠を完全に抹消するためであったとも話した。ただし、実際に誰が黒幕なのか、そこまでは山田自身は知っていなかった。

そこで、俺たちは改めて、もう一度パソコンルームの受付簿とチャットが行われた日時を付き合わせてみることにした。すると、もう一人の人物が浮かび上がってきた。
「絵玲奈…。ずっと、泣いていたのか。」

俺の存在に気づくと、絵玲奈は俺を睨みつけ、俺の顔など見たくもないかと言うように顔を背け、すぐにその場から足早に去ろうとしていた。

「待てよ、何で逃げるんだよ!」

「別に。関係ないでしょ、あんたには。」

「そんなことはない、君は俺にとって、大事な友達だから。」

「ふふふ…。友達、ね…。」

背を向けたまま、自嘲するかのように、絵玲奈は少し笑ったようであった。そして、振り返ると、俺を突き放すかのように、絵玲奈が話し出した。

「それじゃ、教えてあげるわ。サイト見て知っているんでしょ、遊んでくれる男を待っていたのよ。今日は誰も来なかったけどね。」

明らかなウソであった。俺の中には、悲しみとも憤りとも区別がつかない感情が、ごうごうと渦巻き始めた

「良かったじゃない、そんな女と別れられて。どうせ私は、男好きで軽い、寂しい女よ…!」

「絵玲奈!」

俺は思わず絵玲奈に手が出てしまった。荒んでしまった彼女を、このままにするわけにはいなかったからだ。

「そんな悲しい嘘を言わないでくれ!絵玲奈には…10代の少女には、あまりにも過酷な現実であること、それは百も承知だ。それでも、今まで俺に見せてくれていた君であってほしい。明るくて優しい、笑顔の素敵な、本当の君の姿であってほしいんだ!」

そう叱責すると、絵玲奈はしばらく動かないでいた。そして、ポツリとつぶやくように、うつむいたまま言葉を発した。

「何よ…、私に気があるように見せておいて、本当は、私のことなんて、どうでもいいと思っていたくせに!!」

大粒の涙を瞳にたたえて、絵玲奈は俺に、やり場のない、ありったけの悲しみや怒りを込めたこぶしを向けてきた。俺はそれを受け止め、そのまま絵玲奈を逃すまいと、全力できつく抱きしめた。

「離して!あんたなんか…大・大・大・大嫌いなんだから!」

突き放そうとする絵玲奈に、俺は自らの願いを伝えた。

「離さないよ、絶対に。今、このまま君を離してしまったら、もう二度と、絵玲奈が帰ってこなくなってしまいそうだから…。」

次の瞬間、絵玲奈の力が全身から抜け落ちていた。

「どうしてよ…。そこまで私のことを思って、信じてくれているなら、どうして、あの時…。」

強がっていた先ほどまでとはうって変わり、絵玲奈は自分の素直な感情を俺に伝え、懇願した。

「私、何か困らせることしていたの?だったら教えてよ…。それとも、他に誰か気になる子でもできたの?だったら、どうしたら私、その子に勝てるの…?負けたくないよ。いつだって私が、亮介君の一番でいたいよ…。」

「運命なんだ。どうしようもないんだ、こればかりは…。」

「そんな、どうして…。」

俺もまた、絵玲奈に自分の気持ちを伝えた。残酷であったが、今の彼女を救うためには、自分の辿り着いた「答え」を伝えることを避けては通れなかった。改めて彼女と向き合っていくためには、避けるわけにはいかなかった。

「それでも、俺はもう、ただ傍観して、誰かを失うことはしたくない。お願いだ、心当たりがあれば話してくれ。些細なことでも構わない。どうしてこんな事態になってしまったのか。」

しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した絵玲奈は、思い当たる心当たりを、俺に話しだした。大まかに区分して、心当たりは3つ、俺と付き合う少し前に振った相手、やや対立していた女子グループ、そして、最近距離が出来てきた友人であった。

俺が信じてくれていればそれで十分で、もう自暴自棄にはならないと絵玲奈は誓ってくれた。しかし、今の状況では、学校に戻ることはとても出来ないとも、俺に話した。
「絵玲奈、来ていないか!?」

「来ていないわよ。なによ、血相変えて?」

拓海からの携帯画面を見るやいなや、俺はすぐさま教室を飛び出し、A組に走っていった。

当時と同じように、しばらく前から、絵玲奈には、良くない噂があるという話は耳にしていた。だが、後になって俺が知っているのは、それが辛らつな内容であり、デマであるということくらいであった。そして、携帯画面に映し出されていたその内容は、俺の想像をはるかに上回っていた。


『絵玲奈、すごく遊んでいるらしいよ!』
『見た目は清純そうなのに、中身は獣みたいだな』
『やだ、マジで!?』

昼休みにもう一度着てみたが、絵玲奈は見当たらず、その日は学校を休んでいるようであった。

昨日の今日ということもあり、俺はまた明日、出直してくることにした。しかし、次の日も、また次の日も、絵玲奈は学校に姿を見せなかった。携帯電話に電話しても、すでに着信拒否にされてしまっていた。

打つ手がないまま、5日が過ぎた。一刻も早く絵玲奈のフォローをしないとという気持ちだけが焦り、空回りしていた。

そんなある日の夕方、俺は部活の後、コンビニに寄ってから帰っていた。すると、近くの公園にあるブランコで、うずくまっている絵玲奈を見つけた。髪を脱色し、不慣れな化粧と不似合いな派手な服装をしてはいたが、間違いなく絵玲奈であった。

絵玲奈は泣いていた。一体、いつからそこにいて、どれくらい涙を流していたのか。それを想像すると、胸がしめつけられる思いがした。
放課後、部活帰りに俺は絵玲奈に呼び出された。呼び出された理由は、何となく見当はついていた。

絵玲奈はやり場のない悲しみで、わなわなと震えているようであった。背を向けて、拳を握り締めたまま、絵玲奈は俺に問い詰めた。

「亮介君、あのお祭りの夜から、全然私のこと見てくれていない。話しかけても、ずっとうわの空…。」

「絵玲奈…。」

「本当に、私のこと、ちゃんと見てくれているの…!」

「…ゴメン。」

俺の言ったその言葉が何を意味しているのか、絵玲奈は理解した。悲しみは怒りに、そして憎悪に代わっていった。絵玲奈の手のひらが、全力で俺の頬を振りぬいた。

「最低!大っ嫌い!!」

そう言い捨てると、絵玲奈は俺の元から去っていった。

翌日、俺はやや重い足取りで登校した。絵玲奈に憧れていて、彼女と楽しく過ごしていきたいという気持ちがあったことに偽りは無かったのだから、このような結末になったこと自体は残念でならなかった。それでも、後悔は無かった。絵玲奈に真剣に向き合えないのであれば、それは自業自得であり、仕方ないことだと思っていたからだ。

「今日は絵玲奈と一緒じゃないのか?」

朝、教室に入るやいなや、そう拓海が尋ねてきて、俺は絵玲奈に振られたと話した。すると、拓海がおもむろに携帯を取り出して、画面を操作し出した。

「おい亮介、これ見ろよ。いやぁ、お前が絵玲奈と付き合いだしてから心配していたんだぜ。まったく、あいつもとんでもないやつだよな!」

そう言って拓海が見せた携帯電話の画面には、俺の想像をはるかに上回る、残酷な現実が映し出されていた。