話を聞き終えた若菜は、二人のこれからの関係を見直すため、何よりも由衣の身の安全のために、一時的にでも、すぐに別れるべきと由衣を説得した。しかし、由衣は頑なにそれだけは拒んだ。
「彼のことが好きだから、それはできないよ…。それにまだ、私は彼のことを信じていたい…。」
由衣の気持ちは若菜にも痛いほど理解していた。愛する人の裏切りを認めることがどれだけ苦痛か、この数ヶ月の経験から、若菜も頭の中では理解していた。しかし、若菜にはこのまま由衣の彼からの暴力が止まるきっかけを見出だせなかった。何より、このまま由衣への暴力がエスカレートしていくことを何よりも恐れた。
そうしている間にも龍之介のDVは激しくなるばかりであった。そして、とうとう恐れていたことが現実になってしまった。その日、由衣は左目に大きな青アザができていた。原因はやはり、龍之介のギャンブルであった。仕事帰りに、そのままパチスロをしていき、大負けしたのである。それが口論の火種となり、そのまま由衣への暴力に繋がってしまったのだ。
「大変だったね、由衣」
「ケガは大丈夫なの?早く先生に診てもらわないと…。」
同僚たちはみな、由衣のことを心配して気遣った。だが、事情を知っていた若菜は、それだけでは収まらなかった。
「女性に、それも顔に手を挙げるなんて…もう許せない!」
龍之介に対して、若菜は完全に堪忍袋の緒が切れた。
土曜日、若菜は由衣の反対を押しきって2人のアパートに乗り込んだ。龍之介も、その日はアパートにいた。由衣が若菜を部屋に通し、3人はテーブルについた。
「僕に話があるということですが、一体どういった」
何も知らないような顔をする龍之介の態度は、若菜の怒りをさらにあおっていった。どうにか気持ちを落ち着かせつつ、単刀直入に、若菜は告げた。
「由衣に対して、暴力を振るうのは止めてください!それができないというのであれば、彼女との関係を考え直してください!!」
一瞬、龍之介の表情が曇った。しかし、すぐに冷静な表情に戻して、若菜に反論した。
「ハハハ、僕が彼女に手を上げるなんて、そんな馬鹿な話あるわけないでしょう。噂やデマといった、何かの間違いじゃないんですか?」
受け流そうとする龍之介を、若菜はさらに厳しく追及し始めた。
「あなたはギャンブル癖があり、そこで負けが込むとお酒をあおる癖がある。由衣とはそのことで度々、口論になっていますね。」
「まぁ、確かに多少のギャンブルはしているので、そのことでよく怒られてもいますが、別にそれは、よくあることでしょう。」
そう話す龍之介の表情は、先程までより少し険しくなっていた。真剣に取り合おうとしない龍之介に、若菜はさらにたたみ掛けた。
「問題はそれから先です。口論で収まるならともかく、あなたはそのことで由衣に問い詰められると、手を上げるようになってきた。由衣の手や足に、ここ最近、小さな傷が目立つようになってきました。少なくとも、今、由衣の左目にある大きな青アザは、あなたが彼女に負わせたケガですね。お酒に酔っていた、イライラしてついって言うのは、言い訳になりません!」
追い詰められた龍之介は沈黙した。そして、両方の手のひらでテーブルをたたき、立ち上がりざまに吐き捨てた。
「分かった。由衣、別れればいいんだろ?さっさと荷物まとめろよ…!」
そう言い放つと、龍之介はそのまま自室に籠ってしまった。龍之介の態度に、若菜は一気に頭に血がのぼった。無理矢理にでももう一度テーブルに着かせようと若菜が立ち上がった。
すると、由衣が渾身の力で若菜を引き止めた。
「由…衣…!?」
「若菜ちゃん、もういいよ…。今の私には、彼と別れることのほうがイヤなの。心配してくれる若菜ちゃんの気持ちは痛いほど分かるし、それだけで十分だから。それに、これは私たち2人の問題だから…。」
少しだけ落ち着きを取り戻し、若菜はがく然とした。そして、何も解決できていないという、目の当たりにした現実に、若菜は由衣に返す言葉を見つけられなかった。
返り討ちに遭い、事態はさらに悪化していた。精神的に動揺が酷くなってしまった由衣は、仕事も休みがちになってきていた。
由衣が休みがちになったのと同じ時期くらいに元気を無くし始めていた若菜を見て、和輝は何か事情を知っていると踏んだ。和輝は若菜に何か知っているか尋ねた。
「特に何もないですよ、大丈夫ですから…。」
それだけ繰り返し、最初、若菜は詳細を話すことを拒んだ。自分の抱えた案件だから、自らの力で解決したかったのだ。由衣のためにも、話を大きくしたくないという気持ちもあった。そんな若菜の様子を見て、和輝は諭すように話しかけた。
「俺たちの役割ってのは、相談者の悩みや問題を解決することだ。抱え込まずに周りに協力を頼むのも、これから複雑な案件を担当するようになると、大事な仕事になってくる。」
その和輝の話に、若菜は納得した。そして、若菜のちっぽけな意地など、見透かされている気がした。自身の小さなプライドやこだわりを脇に置き、若菜はこの件についてそれまでのいきさつを和輝に話した。
詳しい事情を聞いた和輝は、事態がここまで進行してしまった今、2人の手におえる案件ではないと判断した。そして、今時点での全力で取り組んだ若菜に落ち度はないとフォローしつつ、勇次への協力を依頼するよう勧めた。
若菜も、最後の手段として、それは考えていた。しかし、事態をこじらせたくなく、また、2人のこれからのためにも、出来ることならば本人たちの間で解決させたかった。しかし、状況がここまで至ってしまった以上、もう他に打つ手はなかった。