就職して3ヶ月、いくつかの大きな事案も解決でき、若菜は今の仕事に自信を持ち始めていた。爽やかな日差しと南風が、若菜のやる気をさらに引き出していた。
金曜日、若菜は同僚たちと女子会に参加していた。そこには、普段あまり飲みにはこない、2年先輩の由衣が珍しくいた。
由衣は短大を卒業後、事務職で採用になった。若菜は物品の発注などでしばしば彼女を頼っていた。少しそそっかしいところがあったが、彼女の愛くるしい笑顔は若菜の楽しみの1つであった。
1時間もすると、アルコールも入り、仕事の話・恋愛の話と盛り上がってきた。その時、若菜は由衣の右手に光る指輪に気がついた。
「あれ、その指輪どうしたの?」
若菜が思わず尋ねた。由衣はそういったものを付けるタイプには見えなかったからだ。
「ふふ…、気付いちゃった?」
そう言うと、由衣から今まで隠していた幸せそうなオーラを感じた。そして、由衣がみんなに告白した。
「驚かないでね…。私、彼氏と一緒に暮らし始めたの…!」
「えーっ!?」
その日一番のビッグニュースであった。一番奥手に見えた彼女に彼氏がいるだけでも十分に驚きだった。それだけではなく、同棲しているというのだから、若菜たちにとっては相当な衝撃であった。由衣の話によると、彼氏は4歳年上で、去年の夏に二輪免許を取りにいった時に知り合ったということであった。
幸せいっぱいの由衣をその場にいた全員で祝福し、その日の女子会はおひらきとなった。
それから1ヶ月、由衣とランチの時にはもっぱらその話が話題となった。
「彼が嫉妬して怒っちゃうの。」
と、前のように一緒に外出することがなくなってきたため、昼休みのランチが唯一のプライベートな話をゆっくり聞くことが出来る時間であった。ちょっと束縛があるようだけど、由衣は愛されているなぁ、若菜は何の疑いもなくそう感じていた。
ある日、若菜は切らした蛍光ペンと封筒の発注を頼みに由衣を訪ねた。いつものように申請用紙を由衣に渡し、部屋に戻ろうとした時であった。由衣の右手に、細かな傷があるのに気付いた。
「あれ、どうしたのその傷は?」
何気なく若菜が尋ねるや否や、何かはっとしたかのように、由衣は反射的に右手を隠した。
「え、あ、これね。お料理していた時にできちゃって、私、とろいから…。」
そう笑って話す由衣の表情は、いつもの彼女の表情だった。しかし、若菜は直感的には、由衣が何かに怯え、悟られまいと隠しているように感じた。しかし、それ以外に確たる根拠もなかったので、その時は、若菜も話を合わせた。
それから、あえて口にはしないものの、注意して観察すると、由衣の手や腕に、頻繁にそういった傷やアザが目についた。そして、どうにもそのできる場所や頻度は不可解なものであった。
その謎を、若菜は意外な場所で知ることとなった。
月曜日、若菜は忘れていた今日が期限の案件を処理するために、いつもよりかなり早目に職場に来ていた。そして、更衣室で白衣に着替えようとした時、物陰で誰かが何かこそこそしているのに気付いた。
不審に思った若菜は音のする方向にそっと近づいてみた。すると、若菜の目に信じがたい光景が飛び込んできた。そこには、左半身のあちこちにできた外傷を泣きながら手当てしている由衣がいたのだ。その傷は、衣服で隠されていたら分からなく、そして、転んだりつまづいたりして出来るものとは明らかに違っていた。
「由衣、どうしたのそのケガは!?」
若菜の声に由衣は驚いた。いつもなら誰もいない時間に若菜がいたから、そして、今まで隠していた秘密に気づかれてしまったからだ。
昼休み、若菜は由衣が渋るのを押しきって昼食に連れ出した。場所だけは、予定していた院外ではなく、由衣が希望した院内の食堂にした。最初、由衣は「ただ階段から転んで出来た傷」だと言い張った。しかし、小さな傷が目につくようになった由衣の最近の様子、傷の出来かたが、自分で階段から転んだにしてはアザのある箇所が散在していること、院内の先生に掛からずに自分で手当てするなど不自然であることを若菜が指摘すると、由衣は押し黙ってしまった。
「考えたくないけど、どう見ても由衣と同棲している彼氏との間でトラブルがあったとしか思えない。何かあると感じて、同僚の仲間がただ傷ついていくなんて、私には出来ないよ。お願いだから、事情だけでも話して…!」
由衣は若菜に沈黙を貫き通せないと悟り、誰にも話さないことを条件に、詳しいいきさつを話した。
話を詳しく聞いていくと、何もない普段ならば問題ないのだが、龍之介には束縛の傾向とギャンブル癖があった。そして、負けた時にはよく外でやけ酒を煽っていた。それが原因で度々、2人は口論となった。由衣の傷やアザは、その時、龍之介による暴力で出来たものであったのであったのだ。
うっすらと感じていたとはいえ、実際に話を聞いた若菜は愕然とした。若菜にとっては小説やドラマでしか考えられない出来事が、こんなにも近くで起きていたからだ。