いや~、なんで読んじゃったかなーという感じ。キリスト教徒でもなく、キリスト教を研究しているのでもなく、キリスト教に特別に強い興味があるのでもなく、英文学を研究しているのでもなく、そういう自分が読むような本ではなかったかも。
じゃあなぜ読んだのかというと、「イギリス小説入門」という本で最初に紹介されていた文学だからです。そこでは「小説以前の小説」という見出しがついていました。イギリス最初の小説家はデフォー(「ロビンソン・クルーソー」1719)だけど、この「天路歴程」は小説的特性をもった作品だ、ということで扱っていました。で、どんなものだろうと興味が湧いたのです。面白くなかったわけではないんだけど、正直言って、読んでいくのが辛かったです。
原題は「The Pilgrim’s Progress」。「破滅の町」に住んでいたクリスチャン(正篇)と、その妻クリティアーナ+その4人の子ども+隣人(続編)が、「虚栄の市」「麗しの家」などを通りながらさまざまな試練や助けを経て、天の都に至るまでを描いた寓意物語。それが、語り手が見た夢として書かれている入れ子状態の作品です。夢の形で物語る文学形式は、中世以来流行っていたのだそうです。
クリスチャンが出会う人には全て寓意的な名前が付いていて、例えばEVANGELIST(伝道者)、Obstinate(強情者)とか、日本語訳が面白い。出会った途端に、この人物が良いモンか悪モンかがわかります。訪れる場所もSlough of Despond(落胆の沼)、City of Morality(道徳町)などなど。このように、すべてのシーン、出会う人がアレゴリーになっている、まさしく聖書のような説教の本、伝道の書です。
あまりに道徳的、宗教的で、もう感想も何もないんだけど、読み物として感心したのは、人物設定が明確でかつバラエティーに富んでいて、表現が自然で具体的なこと。だから文章がすごく生き生きしている。人間観察も深くて、すべて、バニヤンが実際に(本職のかたわら説教をしていたらしい)出会った人たちでしょうし、クリスチャンが辿った道は、彼自身が体験した、信仰上の苦悩とか困難とか悲しみとか喜びなのでしょう。作品全体に、神に対する真摯な態度、信仰に対するゆるぎない意志みたいなものがあふれていました。
バニヤンは1628~1688年の人だから、チャールズ1世の時代から名誉革命まで、まさにステュアート朝というか、ピューリタン革命のど真ん中を生きた人ですね。宗教的に二転三転した時代です。彼自身はアングリカンチャーチかと思ったら、十代の頃から宗教的に感受性が豊かで、あるきっかけでバプティスト教会(カルヴァンの流れを汲む)に入ったらしい。で、アングリカンチャーチの許可なくして公に説教をしたなどの罪で逮捕・投獄を何度かされている、ナルホドね。本そのものより、当時の宗教的背景をいろいろ調べることの方が面白かったです。