明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

 装飾写本の展示があると知り、見に行ってきました。いろいろ残念でした😔 内容をよく理解せず勝手に期待していた自分が100%悪いのですが……。見に行きたいけど家からだとアクセス悪いこともあり、ずいぶん悩んではいたのです。でも、行かなかったことをクヨクヨ後悔するより、行ったのに期待外れだったのを後悔する方が納得いくから、まあ見に行って良かったとは思ってます。

 

 主催側の紹介文をお借りしますと【中央大学図書館ではいわゆる「三大ケルト装飾写本」のファクシミリ版をすべて揃えることができた。また、当図書館はケルムスコット・プレス刊行本をすべて所蔵するなど、19世紀イギリスの「美しい書物」の収集に力を入れてきた。さらに、本学人文科学研究所では「ケルト」にまつわる研究が盛んに行われてきた。今回の企画展示ではこの3つの点をつなぎ、ケルトにまつわる装飾や挿絵の美しい書物を紹介する】これを読んで、なんか凄い exhibition を期待してしまったわけですよ。

 

 愚痴っぽいことをグダグダと書き連ねます🙇‍♀️ 場所は中央大学多摩キャンパスにある中央図書館。八王子市の多摩動物公園の近くです。家からだと、4回乗り換えて5つの電車に乗るという、とんでもない面倒なアクセスです。さらに駅から(迷いながら)15分ほど歩きました。降りる駅を間違えたのだろうか……💦 東京都内での移動なのに2時間くらいかかってしまった。これからの残りの人生でもう2度と訪れたくない場所でした😑

 

 大学ってキャンパスに校舎が入り組んで建っていて、図書館は割とその奥の方にあるわけで、ャンパスに入ってから10分くらいさまよいました(入り口で地図をもらったんですが随分と省略化された地図で)。その間、下校していく学生さんたちに尋ねたりしたのだけど、図書館の場所を知りたいだけなのに、みなさん、こちらを胡散臭そうに見ながら避けるようにそそくさと去っていき、4、5人目でようやく場所を教えてもらえました。今時の学生さんって、大学の教師やスタッフには全く見えない風貌のオバサンには、ああいう態度を示すのですか、そうですか😑

 

 ようやく図書館に到着しまして2階の展示スペースへ。てっきり2階のフロアをかなり使ってたくさん展示されていると思ったら、図書閲覧室内に3、4平方メートルほどのエリアを設け、そこに20冊ほどの本があるだけでした。ものすご~く粘っても10分もかからずに見終わってしまった。2時間以上かけてようやく辿り着き、でもって見るのは数分って、膝から崩れ落ちそうになりましたよ😑

 

肝心の「三大ケルト装飾写本(ファクシミリ版)」の展示です。

「ダロウの書」7世紀末にアイルランドで制作されたもので、現存するケルト装飾写本の最古のもの。左ページの、紐が絡み合う円の図柄、右ページの「IN」の文字を作る組紐紋様や渦巻き紋様が凄くいいです。

 

「リンディスファーン福音書」700年頃イギリスで制作されたもの。左ページは組紐や動物組紐で十字架が形作られている。右ページは「INP」の文字とその後の文章の文字の形と色が美しいです。

 

「ケルズの書」800年頃スコットランドとアイルランドで制作されたもの。「世界で最も美しい本」とも言われていて、アイルランドの国宝です。左ページはキリストとその左右に4人の天使が描かれ、右ページは組紐や渦巻き紋様で埋め尽くされた8個の円を持つ十字架。気が遠くなるような緻密さです。

 

 この3冊以外では、18世紀後半以降に書かれた「ケルト復興」期の印刷本が展示されていました。しばらく足を止めて見たのはアーサー王ものかな。

(左)ウィリアム・モリスが制作&出版した「ウェールズのサー・パーシヴァル」挿絵はバーン=ジョーンズ。この、イラストや本文の周りの余白を埋め尽くす装飾には、ある種の空間恐怖症=隙間まで埋め尽くさずにはいられない強迫観念を感じます。そこが好きでなんですけどね。

(右)J.M.デント社が出した「アーサー王の死」挿絵はビアズリー。

 

 

展示内容がちょっとあんまりだったんで、帰宅してからこの本を再読しました。

「理想の書物」by ウィリアム・モリス(ウィリアム・S・ピータースン編/ちくま学芸文庫2006年刊)

 モリスによる「書物芸術に関する講演や論文」を集めたもの。イギリスのヴィクトリア朝時代に興ったゴシック・リヴァイヴァルの中、モリスは中世の手稿本や木版本の美しさに魅せられゴシックの精神的・芸術的価値を評価・尊重しました。彼はケルムスコット・プレスというプライベート印刷所を設立し、自分の美意識に則った書籍を出版していく。モリスがこだわったのはタイポグラフィー(活字デザイン)、語間(文字同士の間隔や行間)、余白(1ページ内の文字面以外の部分=上下左右の空白面積の割合)、活字と装飾の調和、用紙作りなど。結果、(ある意味で)美術品としての本が創られていくのです。

 

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改訂振付 アラスター・マリオット

音楽 アドルフ・アダン

米沢唯/井澤駿/中家正博/吉田朱里/池田理沙子/水井駿介/花形悠月/金城帆香/関優奈 

 10月のプレミアム・シアターで放映されたのをようやく観たので、感想を簡単に。ロンドン公演のうち、米沢&井澤ペアの2回目の上演版です。他には小野&福岡、柴山&速水、木村&渡邊という全4組のキャスティングだったけど、奥村くんが無視されたのは酷い仕打ちだと思いましたよ😔 ずーっと新国で踊ってきて、引退も間近というときに、ロンドンの舞台を踏ませてあげて欲しかった。奥村くんのアルブレヒト、あの人とかその人とかよりもずっとずっと良いはずなのに……。彼のジゼル役としてロンドンの舞台に出せるほどのパートナーがいない、ということなのでしょうか。

 

 唯ちゃんのジゼル、素晴らしかったですね🎊 冒頭、家の扉を開けて外に飛び出したときの、風に乗ってふわりと浮かぶような動き、アルブレヒトを探すときの弾むようなステップ、ちょっとした感情の動きまで丁寧に見せるマイム、少し幼さを感じさせる唯ジゼルだった。アルブレヒトとヒラリオンが喧嘩しようと構えると顔を両手で覆ってしまう、あの可憐さときたら。ヒラリオンを決して嫌っているわけではなく、ただ「好き」の対象にはなり得ないだけ、という心根の優しさも垣間見えました。

 アルブレヒトがバチルドの手を取った時の「え…何!?」という表情、状況が理解できなくて両手で頭を抱えた時のこわばった指の関節、真実を知り、顔を上げた時の正気を失ったような目、焦点が合っていなくて何も見ていない……過去を見ているだけだった🥲 手にした剣をヒラリオンに奪われたところで、口元を歪め微かに笑みを浮かべたあと、もう完全にウィリの世界に行ってしまってましたね🥹

 2幕、新米ウィリになった唯ジゼルの、体重を感じさせないダンスはたおやかという表現がぴったりで、ジャンプの時も力みが全くない。無表情だけど、アルブレヒトを見る時の眼差しは柔らかで慈愛に満ちてました。最後、夜明けの鐘の音を聞き安堵して見せた笑顔が、少し「人間」になっていて、思わずウルッときました。

 

 アルブレヒトの井澤さん、私としては久しぶりに拝見します。あと先をあまり考えず、なんとなく唯ジゼルに惹かれてしまった……みたいな純粋な好青年に見えました。バチルドの関昌帆さんは唯ジゼルとは全く雰囲気が違っていて(配役の妙?)、井澤アルブレヒトは唯ジゼルの方が好みっていうの分かりすぎ😊 ダンスで見せる演技も上手くなったな~(エラそうにスミマセン🙇‍♀️)。欲を言えば、貴族らしい立ち振る舞い(踊りの方ではなく、姿勢とか歩き方とか)が出るともっといいのかも。2幕のダンスは美しく決めまくっていましたね。

 

 ミルタの朱里さんがとても良かった。アゴをクイッと上げ背中を反らせた姿勢が女王の貫禄。手脚が長いのか、ダンスが大きくて力強いのもあって、ミルタのキャラをきっちり現していました。夜明けの鐘が鳴る直前、踊り疲れて崩れ落ちたアルブレヒトを鋭く指差し、左右にウィリたちを従えて立つミルタの決めポーズがカッコよかった。

 ペザントの水井さん、ダンステクニックが安定しているのサスガ。上半身の動きがしなやかでとてもいいです。理沙子さんは最初ちょっと緊張しているように見えたけど無難にこなし、コーダではずいぶん落ち着いた感じでのびのびと踊っていましたね。

 

 1幕の群舞(村人や貴族たち)の小芝居がとってもよかった。ひとりひとりが自分の物語を作っているのが分かり、それに合わせて表情もしっかりとつけている。そして、ベルタの関優奈さん、ウィリ伝説を話すところが真に迫ってたけど、それ以上に、アルブレヒトに対する態度がきっぱりしていて、いい👍 彼を「あなたどこの誰?」って感じで胡散臭そうに見たり、ジゼルを連れて家に入る時に睨みつけ「娘をほっといてちょうだい」って風にプンッとそっぽ向いたり、倒れたジゼルに近寄るアルブレヒトを突き放したりと、アルブレヒト嫌悪ビームが強くて最高でした😆

 

 すごく気になったのは照明です。背景が暗すぎる😩 1幕冒頭から、家や小屋や踊るエリア以外、(背景の木々の後方が)真っ暗で、まるで夜みたいだった。しばらくすると木々の隙間が少し明るくなるんだけど、それでも秋の宵闇みたいに暗い、昼間に見えない! 2幕は夜だから空には朧月がぼんやり出ているのだけど、背景が真っ暗すぎて、後方に十字架がいくつも立っているのが全く見えない。そこが森であることすら分からないくらいに背景が見えない。夜明けになってもあまり明るくならなかったですよね。そこはオレンジ色の朝焼けを見せて欲しい、お話的にもそういう明るさを感じさせるエンディングなんだし。う~む、日本での上演では照明が気になった記憶はないので、これはTV映像だからなのか? 生舞台では背景はもっと見えていたのだろうか?

 

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作 中島かずき

演出 いのうえひでのり

小池栄子/羽野晶紀/高田聖子/向井理/古田新太/橋本さとし/橋本じゅん/早乙女太一/粟根まこと/木野花/右近健一/川原正嗣/中谷さとみ

 

 劇団☆新感線45周年興行という記念すべき公演です。新感線の舞台はあまり観てませんが、本作は江戸時代の芝居小屋や歌舞伎役者など、歌舞伎が題材というので足を運びました。

 作者の中島かずき氏の言葉をお借りすると「芝居人たちが押さえ付けられ、女が舞台に立つことが禁じられていた時代、それに逆らってでも歌舞伎を演じたいという女たちを中心に、自分たちがやりたい芝居をやるために突き進む芝居人たちの話」です。すごく面白かった🎊 観客も含め芝居に関わる全ての人へのエールみたいな作品でした。

 

 ネタバレ概要(休憩30分入れて4時間近い作品でプロットはすごく複雑ゆえ大筋を簡単に🙇‍♀️)→質素倹約を強いる天保の改革時代(1841~1843)江戸の芝居は衰退状態。かつて役者だった荒蔵(あらぞう:橋本じゅん)は娘お破(おやぶ:小池栄子)に役者修行をつけ「いつか『忠臣蔵』の舞台で大石内蔵助を演じるんだ!」と夢を託したまま姿を消す。

 江戸で芝居小屋橘川座を営む橘右衛門(きつえもん:粟根まこと)、妻おきた(高田聖子)、その息子夜三郎(よさぶろう:早乙女太一)、座付き戯作者天外(てんがい:向井理)、芝居大好きな遠山金四郎(きんしろう:橋本さとし)らの前で即興で演じ皆を感心させるが、そもそも女は舞台には立てない。一方、無宿頭の弾兵衛(だんべえ:古田新太)が営む芝居小屋では女も演じる闇歌舞伎を上演しており、弾兵衛の妻おゆみ(羽野晶紀)や、おきたも役者として立っていた。お破はそこで役者を目指す。夜三郎、天外、金四郎も応援する。

 一方、歌舞伎を目の敵にしている幕府側役人の采女(うねめ:向井理2役め)は取り締まりを強化。しかし皆は反骨精神を奮い起こし「忠臣蔵」を登場人物実名で、女の役者も入れて、江戸の街のあちこちで野外芝居として見せ、大評判となる。その「忠臣蔵」の最終幕で役者たちは「泉岳寺で本当に切腹する(これは幕府に対する抗議であり、そうすれば後世まで語り継がれるだろうから)」と迫る。采女は彼らと和解せざるを得なくなり、荒蔵、お破、天外、夜三郎は新天地を求めて江戸を去る。おわり。

 

 ちなみに、江戸時代に作られた歌舞伎作品は実際の事件を題材にしたものが多いけど、当時の検閲制度により、実名を出したり、事件をそのまま描写したりできなかったので、名前や時代設定を変えて上演したんですよね。

 本作の主役はお破で、同じく闇歌舞伎の舞台に立つ女性おきたおゆみ、この3人が真ん中にいると言う、なかなかカッコいい構成です。演じた小池栄子さん高田聖子さん羽野晶紀さんがとにかくパワフルで、芯の強い女性を胸のすくスカッとした演技で見せてくれて素晴らしかった。

 彼女たちの周りを男たちが、影響を受けたり与えたりして囲んでいるんだけど、その役者さんたちがまたキャラが立っていて面白い。遠山の金さんを演じた橋本さとしさんのお茶目な演技が妙に可愛かったし、素敵な美声を聞かせてくれました👏 早乙女太一さんは歌舞伎役者として女方と立役を演じたのだけど、女方でのしっとりとした妖艶さと、立役での痛快キレッキレな立ち回りに惚れ惚れ。善玉(座付き戯作者)と悪玉(歌舞伎を目の敵にする幕府の役人)の2役を演じた向井理くんも、戯作者のときの流暢で軽やかなセリフ回しと、権力者のときの冷たい強さの切り替えが見事でした。

 

 彼らが演じるのがなぜ「忠臣蔵」なのか、なんだけど、幕府という体制による理不尽な裁定(吉良上野介はお咎めなし、浅野内匠頭は切腹&お家断絶という処分)を「それは筋が通らない!」と、悩み苦しみながらも目的である仇討ちを果たす浪士たちの物語と、「芝居はやるな!」と強制する幕府権力に屈せず、それに抵抗して工夫を凝らし、芝居を打とう、女だって舞台に立っていいじゃないか、と奔走する人たちの信念を通す姿とが重なるからなんだろうな。とても上手い設定ですね。

 生真面目な采女が芝居を憎む理由は、芝居のもつ虚構性、非現実的な世界が嫌いだから。でも、芝居モノたちは言う「嘘を誠にするのが芝居なのだ」と。芝居は「作り話」だけどその中に「真実」が現れている、という言葉には全ての芝居関係者、芝居好きたちは賛同するのでは? あ……演劇に真実などいらないと言う人もいるでしょうが。

 

 そして、もちろん完全にエンターテインメントになっていて、冒頭が「仮名手本忠臣蔵」五段目ってとこから「わぁ!」ですよ😆 荒蔵扮する斧定九郎が「ごじゅぅりょうぉぉぉ」とほくそ笑むところね。娘のお破が勘平を演じるんだけど、そこにイノシ……いや、クマが出てきて……😅(仕草がなんか可愛い)。劇中劇では他にも、三段目の、高師直が内匠頭を「ふな侍」とバカにする場を演じたりと、「仮名手本忠臣蔵」好きにはご馳走です。

 さらに様々なパロディー劇中劇があり、「ロミオとジュリエット」ならぬ、伊賀と甲賀の敵同士であるミオ之助とジュリ姫がバルコニーシーンを演じたり、「オペラ座の怪人」ならぬ「桶狭間の怪人」で橋本さとしさんが「The Phantom of the Opera」の替え歌を熱唱したり(上手いっ🎉)。

 個人的なツボは、討ち入りシーンで吉良上野介が7人(というか、そのうち1人はクマ)が出てくるところで、これも何かのパロディーらしくて客席は大喜びでしたが、私は分からなかった。新感線の過去作品のセルフオマージュも沢山あったそうですが、これも全く分からず申し訳ないです😓

 

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原作 ジェームズ・グレアム

演出 中村ノブアキ

 

 イギリスの作家ジェイムズ・グレアムが書いた政争劇です。初演は2012年@ロンドン。イギリス議会は、上院である貴族院と、下院である庶民院で構成されていて、首相は下院の第1党の党首がなります。下院は「House of Commons」ですが、タイトル「This House」は、下院議員が自分たち下院につけた名称に由来するらしい。

 グレアムの作品は政治的・社会的なテーマのものが多いけど、一見お堅いお話のように見えて、実は熱いヒューマンドラマなんですよね。私は彼の作品の「インク」を劇団俳優座の公演で、「ベスト・オヴ・エネミーズ」と「ディア・イングランド」をNT Live で観てますが、どれも激しく感動しました。

 

 私は本作のロンドン再演版を、数年前にNational Theatre at Home(オンライン)で観てるのですが、今回の日本初上演をとても楽しみにしてました。日本語だから細部までいろいろ腑に落ちたこともあり、期待どおり、すっごく面白かったです! 

 まず、とにかく戯曲がよく出来てるのですよ👍 1974年にイギリス総選挙でキャラハン率いる労働党が僅差で勝利して政権を保持してから、1979年に内閣不信任決議を受けてサッチャー率いる保守党に政権を奪還されるまでの、5年に渡る下院の舞台裏の話。実話に基づいているけど、ドキュメンタリーではなくフィクションです。会話は架空のもので、登場人物は変更され、出来事が追加され、時系列も調整されているそうです。

 

 党首や首相は名前のみでの登場。主人公はウィップ(whip)と呼ばれる、日本の議会にはない役職議員たちです。彼らは党の方針通りに党員に投票させる執行役。そして、本作で重要な鍵になるのがペアリング(pairing)という慣習です。与野党どちらかの議員が病気や遠方での公務や休暇中などで法案の投票に出席できない場合、ウィップ同士で話し合い、相手の党の議員も同人数で欠席させる(ペアを組ませる)。投票議員の数においてフェアプレイを貫こうという慣習で、いわば紳士協定です。与野党の議席数の差がほとんどない場合、1票、2票が採決を左右するので人数は大事なんですね。

 

 ネタバレ概要(長い🙇‍♀️)→1974年の総選挙で労働党は勝利したものの、保守党と議席数がヒトケタという僅差だったため、法案を通す、あるいは否決するには、1票が大切な状況になる。そして法案が出るたびに様々な問題が起こり、ウィップたちは票の確保のために奔走する。自党の議員に投票を周知させ、造反や離党や補欠選挙で議席を失うなど予期せぬ出来事で投票する議員数が足りなくなると、他の少数政党(自由党、スコットランド国民党、ウェールズや北アイルランドの地域政党など)に見返りを約束して交渉し、さらに、誰かが投票に出席できないとなれば相手の党とペアリングの交渉をする。

 そういう状況の中、ある法案に対する投票において労働党の議員1人が出席できないと分かり、ペアリングで保守党からも議員1人を欠席させてもらったところ、手違いでその労働党議員が出席&投票してしまう。保守党はこれに怒り「もうペアリングは一切しない!」と断言。労働党は以後、法案採決で勝つのが難しくなっていき、とうとう内閣不信任案が出される。その投票において、病状が悪化し登院するのが厳しい状態にあった労働党議員(バトリー)を、労働党のウィップ(ウォルター)は彼の健康のために投票に呼ばないことにする。そして保守党のウィップ(ジャック)にペアリンの依頼をする。ジャックは「ペアリングはもうしない」と決めた保守党の姿勢を捨て、党内における自らの立場が危うくなるのを覚悟で、ウィップである自分が投票を棄権すると申し出る。それを理解したウォルターは「ペアリングの話は無かったことにしてくれ」と言って去る。1979年、労働党政府の不信任案が1票の差😖で可決され、その後の総選挙で保守党が勝利する。終わり。

 

 党のために自分の生死を掛けてでも病身に鞭打って投票に出向こうとするバトリー、そんな彼を気遣い投票に呼ばなかったウォルター、ウォルターの同僚に対する暖かい情を理解し自ら犠牲になって投票を棄権すると言う敵党のジャック、その誠意と潔さを知ってペアリング依頼を撤回するウォルター。この、議員である前に1人の人間であるという立場に帰った、忠義、責任、倫理、信頼、尊厳などが彼らの胸に沸いてくるところは感動的で、その、党派を超えた友情と尊敬のシーンでは胸に込み上げるものがありました🥺

 そこに至るまでの、ウィップたちが1票のために奔走する姿や、党を守るための駆け引きにはユーモアが盛り込まれ、さまざまななてんやわんや、すったもんだ、時には子どものケンカみたいなやりとりには、もうドカドカと笑えます😆 シリアスだったりコミカルだったりしてお話にメリハリがあり、全く退屈しないのです。

 

 舞台はウェストミンスター宮殿(イリギスの国会議事堂)内にある、労働党と保守党のウィップ用の部屋。舞台の下手側を与党、上手側を野党の幹事室に見立ててるので、シーン転換は一瞬です。少数野党を含めメイン以外の議員は役者さんたちが何役も兼ねていて、客席最前列の席を空け、そこに座って登退場することで、スピーディーな展開にさらに拍車を掛けるのでした。

 労働党は赤を基調にしたネクタイ、保守党は青を基調にしたネクタイで、登場したときにどちらの議員かすぐに分かる。さらに、労働党員はラフな口調で喋り、保守党員は標準語で喋るなど、言葉遣いで党の雰囲気の違いを上手く出していた。また、労働党と保守党以外の議員が登場する際にその人がどの政党か(←コレとても重要)字幕で教えてくれるのは非常に助かりました。イギリスの議会&選挙関係の硬いセリフが飛び交うのだけど、とてもわかりやすい翻訳で耳にスルスルと入ってくる。そしてもちろん役者さんたち、演技すごく良かったですよ👏

 芝居は T.レックスの「Get It On」でいきなりノリノリで始まり、ある議員の偽装自殺のところではボウイの「Rock'n Roll Suicide」が歌われるのが可笑しく、「オレたち5年の任期を全うしようぜ!」みたいなシーンでは、やはりボウイの「Five Years」を皆で歌うところは胸熱でした~☺️

 

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 NDTは、NDT1(23~40歳前後の経験豊富なダンサーたちから成る)と、NDT2(18~23歳の若い精鋭ダンサーたちから成る)の2つのカンパニーで構成されていて、今回はそのうち NDT2が約20年ぶりに日本公演を行う、というものです。

 ちなみに昨年は NDT1の来日公演がありましたが、全4演目のうち、苦手なマルコ・ゲッケの作品があったので観るのやめたんですよね~。クリスタル・パイトの作品は観たかったけど、それくらいゲッケが苦手っていうことで😓 今回の NDT2の公演は3演目です。

 

「Folkå」振付 マルコス・モラウ

 タイトル「Folkå」はスウェーデン語、英語だと「folks」と出てきたんだけど、そういうことでいいのかな? プレトークで「生と死がテーマで、神秘的&儀式的な営みを通して生を賛歌する」みたいな紹介をしてました。死の恐怖があるからこそ、その対極にある生への喜びが生まれるみたいな。

 民族性を感じさせる独特の音楽、衣装もエスニック柄。ダンサーがひとかたまりになったりライン状になったりというフォーメーションを描いていき、時々その集団から1人がこぼれ落ちるようにして外側で倒れたり、その倒れた人を他のダンサーが抱き上げたりという動きが入る。ダンサーたちがひとつに固まるとそれ自体が生命体のようにも見え、はみ出た人物は瀕死者に見える。そして確かに、鎮魂というより祝祭を感じるのが不思議で、たぶんダンサーの動きから生命力が発散されているからかな。全体を通してプリミティヴな世界観で、その原始的な動き、そこから湧き上がってくるパワー、腰を低く落としたダンスなど、アクラム・カーンの作品がちょっと重なったりしました。

 照明が秀逸で、例えばダンサーたちを斜め上から当てると床に投影された彼らの影もダンサーの動きに合わせて動くわけですが、その影も意思を持っているかのような動きになる(照明の当たる角度が絶妙なのね)。最後、光の玉の洪水が舞台から客席に流れていくという演出が印象的で、新しい生命が生まれていくような感じでした。

 

「Watch Ur Mouth」振付 ボティス・セヴァ

 タイトル内の「ur」は「your」で良いと思うのだけど(それとも「our」?)、タイトルの意味と振付作品との関係が分からなかった(「口を見ろ」って? ま、深く考えませんが💦)。ヒップホップをベースにコンテンポラリーダンスを組み合わせた振付というものだけど、ヒップホップに詳しくないので、そのことには特に良かったも良くなかったもなく、そのコンビネーション自体は何か新鮮でした。

 ダンサーたちはストリート系っぽいダークな衣装&キャップ姿で、その格好は私にはアーバン・アウトローに見えた。集団、ペア、個、のダンスが展開していくんだけど、集団から逃げていく人を皆が囲んだり、1人がポツンと離れて踊ったり、激しく対立したりする。集団でのダンサーたちの動きはうねりになって襲ってくるような怖さがあり、ペアになったダンサーが踊る横で1人がステップを踏むときは、どうしようもない孤独がじわじわと迫ってくる感じ。

 都会に生きる若者(年代は限らず「私たち」としていいのかも)の日常にある孤独や怒りや苦悩といったネガティヴなものとの戦い&葛藤、閉塞感や圧迫感からの逃避、そこからの回復、仲間との融合などが感じられる作品でした。全体的にちょっと重苦しい空気が広がるんだけど、最後には救い(というのか、誰かと共に前へ進むことで目の前の景色が変わっていくこと?)があることを思わせたかな。

 

「FIT」振付 アレクサンダー・エクマン

 自分は「何かに/誰かにフィット」しているのか?という面白いテーマの作品。誰かに帰属する意味、個人が集団にフィットすることでどういう関係・変化が生まれるのか。その問いかけの見せ方(振付や演出)にユーモアや遊び心があふれています

 冒頭、同じ衣装のダンサーたちが舞台前方に1列に並んで「私たちはフィットしている……」と声を発する。舞台下手から、皆とは違う色の衣装のダンサーがで出てきて前を悠々と歩いていく。暗転して本編が始まり、一人一人がバラバラに他人を見つめ合い、なんとなく集団ができたところで、さっきの異分子に敵意を示したり、彼がそこに入ろうとしたり、という感じでダンスが始まります。その1人は結局は集団と同化するんだけど、最後、冒頭と同じように彼らが1列になって同じセリフを繰り返すと、今度はまた別のダンサーが皆とはちがう衣装で出てきて、再び全員がバラけ「フィット! フィット!……」と繰り返して終わります。

 振付はユニーク且つスタイリッシュで、ダンサーたちのキレの良い動きが気持ちいいです。集団が作るフォーメーションにも視覚的な美しさがあり、また、個人と集団の動きの対比が面白い。自分たちと同じでない人、同じになろうとしない人への、集団意識の怖さとか、個性をなくすことに対する皮肉みたいなものも感じられ、あえて「フィット」しようとしなくても良いのでは?という思いも湧く。だから結局、ある人が皆とフィットしても、別の誰かが「私は違う!」と言って現れるわけですね。

 

 コンテ作品は基本的に自分の守備範囲ではないんだけど(すごく好きなコンテ振付家はいますが)、今回のは自分としてはけっこう刺激的で、脳内がリフレッシュされました。

 

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振付 マリウス・プティパほか

新演出/振付 ウラジーミル・ワシーリエフ

音楽 レオン・ミンクスほか

伝田陽美/ヴィクター・カイシェタ/柄本弾/政本絵美/樋口祐輝/平木菜子/足立真里亜/中島映理子/中川美雪/加藤くるみ

 

 

 なんと9月のKバレエ「ドン・キホーテ」以来の生バレエ鑑賞です。今回はキミン・キムのバジル目当てで、お相手は、これがキトリロールデビューという伝田陽美さんの回を選びました。キミンが怪我降板したのは本当に残念だけど、伝田さんのキトリは観られるので no problem です👍(今回の東バ「ドン・キホーテ」観るのはこの1回のみ)。

 代役で踊ってくれたヴィクター・カイシェタ(オランダ国立バレエから、今シーズンからフェリが芸監になったウィーン国立バレエに移籍)、昨年の世界バレエフェスでの全幕特別プロ「ラ・バヤデール」は観てないけど、Aプロでジャン=クリストフ・マイヨーの「くるみ割り人形カンパニー」をオリガ・スミルノワと踊ったのが記憶に残ってます。

 初めてキトリを踊る伝田さんとカイシェタくん、果たしてパートナーシップをどこまで詰められるだろうと心配だったのは確かで、最低限としてテクニック的な失敗がないことを祈る思いで劇場へ向かったのでした。

 

 そして! 伝田さんのロールデビュー、大成功でしたね🎉 GPdDのコーダを踊り終わった時の表情がとっても輝いていて、こちらがウルウルしてしまった🥹 チャキチャキした強さより陽気な優しさが勝ったキトリで、とても好感持てました。パッと咲き誇る華のようなオーラは少し弱いけど、その場その場の空気を制する存在感やキャラの感情を自分なりに料理して表現する力があり、初役とは思えない安心感。テクニックはもちろん安定で、ジャンプは軽やか、手脚の動きが大きいため優雅さが強調されていた。足捌きやアームスの動きが音楽と合っていて(時にタメを入れてずらして踊るとこも含め)小気味良い。芯が全く揺るがないグランフェッテ、素晴らしかったです🎊 カイシェタ君とのパートナーシップも良かった。彼がオレさま風ではなく、ラテン系男子の手慣れた?😅優しさで彼女を立てながらリードしてくれてる感があり、それも助けになったのではないかな? 

 

 そのカイシェタ君がもう東バのダンサーみたいに馴染んでいましたね😊 太陽のような笑顔を振り撒いて、すっごく楽しそう。その陽キャラと確実なテクニックで物語をグイグイと引っ張ってた感じです。とにかく彼のバジルはとってもチャーミングなのね。1幕でキトリがキホーテに誘われて踊ってしまうので、バジルは仕方なくキトリの友人と組むのだけど、横のキトリが気になって何度も何度もチラチラ見るものの、そのうち友人の方を気に入っちゃってイチャついちゃうとか、もう面白すぎる😆 キトリが闘牛士たちのマントに合わせてステップ踏んでるのを見ながら自分も腰をクイクイと動かしてリズムを取ってるとこも可愛かった。ダンスの方は思ったほど超豪快ではなかったけど(←個人の感想です🙇‍♀️)、軸をブラさずにゆ~っくり回転する技、背中をグイッと反らせた形、とても好きだな。今回のカイシェタ人気に乗じて、フェリ率いる新生ウィーン国立バレエ、久しぶりに招聘してほしいです🙏

 

 主役以外も皆さん良かった~。まず闘牛士たち(ロマの人たちも同じダンサーが踊ったのかな?)が素晴らしい。キレッキレのステップと大きく動く上半身、鮮やかなマントさばき、ロマの時のワイルドな身体表現、心躍らせながら観ましたよ。エスパーダを踊った柄本弾さんの影が薄くなるくらいに良かったです(←個人の感想です🙇‍♀️スミマセン)。

 メルセデスの政本絵美さんの踊りが華やかで大きく、キトリの友人&最後でのヴァリエーションを踊った加藤くるみさんと中川美雪さんもキチッと責任を果たしてました。今回、特にキューピッドの足立真里亜さんがとてもキュートで印象に残りました。腕や頭の動きに愛らしさ溢れていた。ここでのキューピッドってアクセント的なお役に感じていたのだけど、足立さんはまさに愛の力で夢の世界を仕切っているような存在感があったな。で、キューピッドが踊っている時、後ろに寝転ぶ子どもキューピッドたちがプット(羽を持つ子供👼)の形になっているのとても可愛く、そのときの手脚の動きもいい。ここでいつも、イタリアのファッションブランド「フィオルッチ」のロゴマークを思い出しちゃいます😅

 サンチョは後藤健太朗さんで、トランポリンのところでは飛び上がった時の高さがすごくあり、空中での形も綺麗。樋口祐輝さんのガマーシュは貴族感をきちんとキープしていて、下品にならない程度のコミカルさがうまく出ていました。最後にサンチョとガマーシュがマネージュやピルエットを披露するところ、ダンサーにとってダンスの見せ場がちゃんとあるのは嬉しいですよね。

 

 そのことも含め、ワシリーエフの演出&振付もとても好きです。プロローグからバジルとキトリが出てくるの、とてもいいと思う。キホーテは2人を見知っているわけで、だから2人の恋路を助けようとしてくれるの説得力ありです。そのプロローグでキホーテがキトリをドゥルシネアと勘違いした途端にキューピッドが出てきて彼女にスポットライトが当たるのも、キホーテが見るこの幻影が後の夢のシーンとうまく繋がる。最後、披露宴の幕開けをキューピッドたちが担うのもいい感じです。

 そして、音楽が笑っちゃうほど速いんだけど😆 この速さが、見終わったあと「楽しかったー😊」という気持ちで満たされる要因のひとつだと思う。高揚感を煽るスピードあるダンスが次から次へと展開していき、ホッと一息入れて気分をリセットする間などない。だから気分が高揚したままの状態で最後まで突っ走れるんだな、観ている方も。

 そういうわけで今回の「ドン・キホーテ」期待以上のパフォーマンスでした。リピートしたくなる気持ちもわかりますね。終演後フォワイエで追いチケ買っている人を何人も見かけました。

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

潤色/演出 上田久美子

 

 

 SPAC(Shizuoka Performing Arts Centre:静岡県舞台芸術センター)の芝居を観に静岡市へ遠征。事前に演出家のインタビューなどを読んでおきました。「ハムレット」を、水死したオフィーリアの視点から見つめ直すというコンセプトで「オフィーリアはハムレットという男の生きザマを彩る単なる悲劇のヒロインではない……オフィーリアは死後、自然界で無数に分解され動植物などさまざまな生命体に変容している。かつてオフィーリアだった “何か” たちが過去を振り返るようにハムレットを語り始める(=「ハムレット」を演じ始める)というのだそうで、どんな舞台なのかとても楽しみでした。

 

 でも残念ながら、観ている途中から何かよく分からなくなっていき、観劇後は頭の中が混乱した状態だった💦 意欲的で斬新で面白い演出なのかもだけど、私の理解力ではそこに届かなかったです😔

 

 舞台の床には透明ビニールシートが敷かれていて、後方壁も透明ビニールカーテンが覆っている(ここはオフィーリアが落ちた水の中の世界ということらしい)。芝居が始まる前、まだ舞台は薄暗く客電が点いているときから、身体に緑の植物を巻きつけた女性(オフィーリア)が登場していて、スローモーションでぼんやりと歩いたり床に転がったりという、有機体(演出家の言う「オフィーリアが自然界で無数に分解され変容した生命体」のことを私は以下「有機体」とします)の動きを見せている。

 そこにホレイシオが登場し、観客に向かって「自分は、死ぬ間際のハムレットに “この話を語り伝えてくれ” と頼まれた」と話し始め、「オフィーリアは話の中では取るに足りない存在なので、彼女がいなくても『ハムレット』の話は成り立つから、2025年の今の皆さんにはオフィーリアなしで『ハムレット』を上演します」と言う。

 すると、ビニールカーテンの後ろから有機体のオフィーリアたち(ドレス&ロングヘア姿の男女の役者すべて)が出てきて「オフィーリアなしで『ハムレット』をやるなんて許せない。自分たちがすべての登場人物になって『ハムレット』を上演します!」と宣言。こうして有機体オフィーリア・ズによる本編「ハムレット」が始まります。それぞれの役になった登場人物たちは現代服で、ハムレットはジャージの上下。

 

 と、ここまでとても面白いプロローグで、どんな芝居になるんだろうとワクワクしてたんだけど、いざ「ハムレット」の芝居が進んでいくと、あれ? 普通にオーソドックスな「ハムレット」劇じゃん🙄

 オフィーリアが(原作には書かれていない)自分の思いをラップ調で吐き出したり、ハムレットの独白を他の登場人物がしゃべったりはしているけど、基本、通常の「ハムレット」なのでした(ギルデンスターンを女性にしてあって、かつてハムレットと男女の関係があったのか?と観客に思わせたいようだけど、その改変は、芝居のコンセプトを考えると、不要なのでは?)。

 

 で、シーンによって、そこでは登場しない役者たちが「オフィーリアが変容した有機体」として舞台の周辺にユラユラと揺れながら居たりするんだけど、彼らがお話に絡んだり影響を与えたりはしないのです。なので、彼らがそこいる意味がよく分からない。演出家は解説で「人間界で起きている事に植物(=有機体となったオフィーリア)も何らかの反応を示すのではないか?と考えた」と言ってるけど、そういうシーンは見られなかったな😑

 私が期待していたような「オフィーリアの有機体たちが物語『ハムレット』にちょっかいを出す or 変えようとする話」ではないのかもだけど、だとしたらますます「オフィーリア(の有機体/分身)たちが『ハムレット』を演じる」という設定にする必要性が分からなくなる。オフィーリアの視点から「ハムレット」を語るということで何がどう変わったのか見えず、自分の中では、芝居自体が曖昧模糊とした印象で終わってしまいました😓

 

 芝居の最後は、ハムレット含め皆が死に、ホレイシオが舞台上に1人になると、ビニールカーテンの奥から、動物の被り物や植物を身につけた有機体が出てきて、彼らに口を塞がれたホレイシオが倒れ、再び起き上がるとホレイシオも皆と混ざって有機体のように空間をゆらゆら浮遊する。そのあと皆が去り、舞台にはホレイシオ1人、そして2本の剣と髑髏が残って、幕でした。

 現代口語に置き換えたセリフが多く、書き足したセリフ(特にオフィーリアの気持ち表現)もあり、その点は面白かったです👍 ビニールシートを使って水をイメージした舞台美術とその使い方が美しく、役者さんたちは皆すごく達者でした。

 

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 しばらくバレエ公演を観ていないこともあり、2年ぶりに開催されたコレ、楽しみにしていました。全てのバレエ団のアーカイヴ映像を観たわけではないけど、今年は今までとは趣向が少しが違ってましたね。

 

 今年のワールドバレエデーは「Access Becomes Art(ダンスを、あらゆる人が芸術を享受するための手段に……ていう感じかな?)」というテーマを掲げていて、障害者や少数民族などマイノリティーの人たちとバレエ団とのコラボ・プロジェクトの紹介が多かった。そういうのを行っていないバレエ団はクラスレッスン風景を流していた。でも、そもそも、毎年テーマを設定していたんでしたっけ?

 

 でもって、その、マイノリティーの人たちとのコラボは、もちろん良い事だし素晴らしい試みだと思いますが、そのレッスン風景やパフォーマンスを自分が観たいかどうかは、別の話です🙇‍♀️ また、クラスレッスンは、ご自身やお子さんがバレエを習っている人には興味深いかもだけど、そうではない自分の場合、馴染みのないバレエ団や知っているダンサーがいないレッスン風景は💦ですね。

 

 私がこの祭典で楽しみにしているのは、各バレエ団がこれから上演する作品のリハーサルの様子なんです。プリンシパルたちのリハ風景もいいけど、その下のダンサーたちが初役に挑んでいる様子も好き。そこで気になったダンサーがやがて昇級したりすれば「あ、あの時の!」というちょっとした喜びを味わえます。

 例えば2015年、英国ロイヤルバレエのリハで、ファーストアーティストになったばかりの(20歳そこそこの初々しい💓)マシュー・ボールがアコスタ振付「カルメン」でエスカミリオを初役で踊る、そのリハを見せてくれた。その彼がすごく気になったのでした。マシューはそのあとトントントンと昇進、3年後にはプリンシパルになり🎊何か嬉しかったな。あの時以来ずっと応援してます。リース・クラークも2017年ソロイストのときにアーサー・ピタ振付「The Wind」のリハで注目したのです。

 

 また前回の「ワールド・バレエ・デー」ではバイエルン国立バレエ(ミュンヘン・バレエ)の「ル・パルク」のリハ映像で、芸監であり「ル・パルク」のオリジナルキャストのローラン・イレールが指導をしていたんだけど、つい自ら踊って見せてしまう😊という貴重な映像が観られました。パリオペ時代のイレールの大ファンだった自分にはご馳走映像でした。だからね、そういうのを今回も期待していたのですよ~😔

 

 今年は、各バレエ団のアーカイヴ映像のサワリだけ観て終わったのがほとんど。そんな中、ヒューストンバレエはこれから上演する作品の紹介として、「オネーギン」、Brett Ishida振付「what i was thinking while i was waltzing」、ジャクリーン・ロング振付「Illminate」、ローリングストーンズの曲にインスパイアされたクリストファー・ブルース振付「Rooster」、スタントン・ウェルチ振付「Vi et Animo」といった作品のリハ風景や舞台映像、インタヴューを流していました。なかなか攻めのプログラムですね。「オネーギン」ではシュトゥットガルトの芸監を引退したリード・アンダーソンが指導に来ていました。東バも「オネーギン」そろそろ再演すべきじゃないでしょうか。アンダーソン氏、来てくれると思いますよ。

 

 そしてモンテカルロ・バレエも、テーマは無視、というかマイペースで😅 12月に上演するジャン=クリストフ・マイヨーの新作「マ・バヤデール」のリハ風景を見せてくれました。「ラ・バヤデール」をマイヨーが大胆に再解釈したものだそうで「ヒンドゥー寺院と聖なる踊り子たちが舞台という、その東洋主義的なビジョンを捨て、バレエ団の日常に置き換え、ダンススタジオを舞台に、ダークなユーモアと激しい人間喜劇が繰り広げられる……」のだそうです。「古典を改変/再解釈/翻案」というのに惹かれる自分は、コレ観たい!と思いましたよ〜。それにしても、マイヨー氏の指導が相変わらず熱くて良い👏

 

 

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Amazon のプライムビデオで観たので感想をごく簡単に。

 

 

原作 ヘンリック・イプセン「ヘッダ・ガブラー」

脚本/製作/監督 ニア・ダコスタ

テッサ・トンプソン/ニーナ・ホス/イモジェン・プーツ/トム・ベイツマン

 

 イプセンの戯曲「ヘッダ・ガブラー」(1891年初演。舞台はオスロ)を、1950年代のイギリスに移して再構想した映画。アメリカの一部の映画館で公開された後、今はプライムビデオで配信されてます。今年のいくつかの映画祭でヘッダ役のテッサ・トンプソン、アイリーン役のニーナ・ホス、監督のニア・ダコスタなどが賞を取っている。

 

 ネタバレあらすじザッと→結婚したばかりのヘッダその夫は豪華なカントリーハウスでお披露目パーティーを開く。学者の夫は大学の教授職を欲している。同じように教授職を狙っているアイリーン(ヘッダの昔の恋人)彼女の現在の恋人であるセアもパーティーに現れる。その2人に嫉妬したヘッダは、アイリーンが研究成果をまとめた草稿を盗んで燃やす。草稿を教授職への切り札にしていたアイリーンは絶望して銃で自殺するが、草稿をアイリーンと共同執筆していたセアは、アイリーンの仕事を完成させるため、ヘッダの夫と協力して再執筆を始める。ヘッダの友人ブラック判事は彼女の悪事を知り肉体関係を迫るが、ヘッダは湖で入水自殺する。おわり。

 

 ストーリーはイプセンの原作とほとんど同じだけど、違う点もいくつか。原作では数日間の話ですが、ここでは一夜のパーティーでの出来事にしてある。その退廃的でクレイジーなパーティーシーンがちょっと映画「ソルトバーン」っぽい雰囲気だったな。

 夫と教授職を競うのは、原作では男だけど、ここでは女性アイリーンになっている。アイリーンは同性愛者でその恋人セアも(もちろん)女性。なので、かつてアイリーンと恋人同士だったヘッダはバイセクシャルということ。そのためヘッダとアイリーンとセアという3人の女性の愛憎ドラマが展開される😓

 さらに、ヘッダはガブラー将軍の婚外子で混血(パーティーのゲストに「肌がダークなのね」と言われてた)にしてあり、ジェンダー、血筋、人種、階級など複数のパワーフェイズが絡む、愛や地位への欲望、女性らしさと自立、支配欲、嫉妬と劣等意識などの問題が提起されている。

 あと、ヘッダは原作では銃で自殺するけど、ここでは水死にしてあるのは、やはりバイセクシャルで入水自殺したヴァージニア・ウルフを意識したのかな(ポケットに石を詰めて入水とか、同じことやってた)。

 

 「気まぐれと衝動に突然襲われ、私はそれを抑えることができず、突拍子もないことをしてしまう」と言うヘッダは、自己愛と社会的枠組に縛られ、その苦悩から逃れたくて他人を破滅に追いやる残酷で無慈悲なアンチヒロイン😑 とても面白い人物ですね。

 時代を1950年代に設定したことで、経済成長と消費生活の拡大で沸き立つイギリスで、浮かれる富裕層の狂乱の様相がヘッダの精神的な混乱と重なり、急かされるように破滅へと突っ走るヘッダが小気味良いくらいです。退廃味が漂う映像が、ある種の美しさを放っていました。

 

 話は変わりますが、映画「国宝」をサスガにいよいよ観なければならないかな~と思い始めてます。ネット上で配信になるのを待つ気でいるんだけど😅まだ映画館上映は続きそうだし……。

 

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原作 ゲオルク・ビューヒナー

翻案 ジャック・ソーン

上演台本/演出 小川絵梨子

森田剛/伊原六花/伊勢佳世/浜田信也/冨家ノリマサ/栗原英雄

 

 プレイハウスの規模で全席一律11500円という腹立つ料金設定で😠 それでも、仕方ないと思いつつ買ったのに、チケ売れ行き悪いらしくて、ほどなくして某チケット関連サイトで半額以下の5000円で売り出されたことにかなり怒り心頭😡 だったら最初からそういう料金の席を出してよ!と思うわけですよ😑 この、あと出しジャンケン詐欺みたいな目にあったのがずっとしこりになっていて、これで芝居がフツーだったら怒るよ、予想を超えてきてよねと、なんか喧嘩腰状態で😅劇場に向かったのですが、不安的中で、ちょっと not for me でした😔 実際のところ私が観た日は、2階はお客がいなくて、1階も後方の左右のブロックはガラガラだったな。

 

 ビューヒナーというドイツの劇作家(私は初耳です)が1835年頃に書いた未完の戯曲を、イギリスの作家ジャック・ソーン(日本では「ハリー・ポッターと呪いの子」や、NTLiveでやった「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」の脚本で知られてる)が、舞台を1981年のベルリン(まだ壁を隔てて東西に分断されている時期)に変えて翻案し、2017年に初演した作品。私はビューヒナーの未完の戯曲は知らないし、オペラにもなっているそうだけどそのオペラ作品も観たことない。ジャック・ソーンの翻案というのと、演出が小川絵梨子さんというのに惹かれて観ました。

 

 ネタバレ概要→ヴォイツェック(森田剛)はベルリンに駐留しているイギリス軍の下級兵士で、西側の検問所で警備に就いている。このベルリン駐留以前、北アイルランド紛争さなかに赴任したベルファストでマリー(伊原六花)と出会い、子が産まれ、正式な結婚はしないままマリーと赤子もベルリンに同行している。

 ヴォイツェックは4歳の時に母に捨てられ、その後、孤児院から連れ出されるも母に虐待され、12歳の時に母が亡くなった後はいくつもの里親を転々とし、学校に行かせてもらえず読み書きはほとんどできないまま、誰からの愛も受けずに成長した(父親のことは分からない。もしセリフで言ってたとしたら聞き逃しました🙇‍♀️)。

 彼はそうした幼少期のトラウマからPTSDに悩まされており、子どもが産まれたことでベルリンでの生活は経済的に厳しく、お金のために地元の医師(栗原英雄)の治験に協力。毎日飲まされる薬の影響で幻覚や幻聴に襲われるようになる。貧しさから抜け出せない生活のなか、母の幻影(伊勢佳世)に苦しみ、マリーが同僚兵士(浜田信也)と浮気していると思い込み怒る。マリーは袋小路の生活から逃れるため一旦アイルランドに帰ると言うが、ヴォイツェックはそれを許さず「君を愛しているから」と言ってマリーを絞殺し、自分も銃で自殺する。おわり。

 

 貧困や無教養という状態にあるヴォイツェックは社会的弱者であり、偏見や差別など外部からの抑圧に押しつぶされそう……という状況もあるけど、メインのテーマは愛ということでいいのかな🤔 かつて母に「あんたを愛したことなんか一度もない」と言われて自分の存在を否定され、幼少期から誰にも愛されず虐げられてきたヴォイツェックは、誰かに愛されたい、誰かを愛したいと渇望するのだけど、愛されることがどういうことなのか、どうすれば誰かを愛していることになるのか、分からないのですねー。

 今の彼の愛の対象はマリーなんだけど、彼女の愛を受け取ろう、彼女に愛を与えようとすると、母の幻影が出てきて邪魔をする。ヴォイツェックは「必要とされることが必要なんだ」と言うのだけど、誰かの役に立つこと、誰かが自分の役に立ってくれることで、愛を実感しようとするのは、ちょっと違うのではないか?😓 愛し方や愛され方がわからないヴォイツェックは真っ黒な不安と孤独の壁に囲まれていて、やがてその壁が崩れていく……という感じかな。

 

 小川絵梨子さんがいかにも好きそうな作品でしたが、私は主人公ヴォイツェックを全く理解できず、なので共感も寄り添うこともできず😔 2幕後半から冷めた目で観てしまっていた。もちろん彼が固執する愛(求め方&与え方)や、彼を苦しめる外因(個人的&社会的背景)は頭では理解できるけど、そういうのは自分の心には刺さらなかったな🙇‍♀️

 なんとなくだけど、小川さんの演出が割とあっさりで、核心にグサッと迫らずちょっと手探り風に感じた。森田剛のヴォイツェックは最初からずっとイライラ・カリカリした風に荒れていて、もう少しメリハリというのか、次第に狂気へ突っ走っていく緩急、行き着く先へのドラマ性が欲しかったかも。

 

 舞台を冷戦下のベルリンにしたことで「壁」が象徴的アイテムになっていたかな。可動式の壁が出たり入ったりして、その壁が具体的にも比喩的にも障害になっている。東西を隔てるベルリンの壁、人と人(理解し得ない者同士)を隔てる壁、人の心(愛)を通さずに跳ね返すような壁……、でもヴォイツェックの脳裏にある現実と幻影(妄想)を分ける壁は、その境界が何度も曖昧に揺れていましたね。

 プロローグで、少年(幼少期のヴォイツェック)が出てきて壁を黒く乱暴に塗りたくる。その壁が透けて向こう側にヴォイツェックが立っている。そうして暗転して本編が始まる。エピローグでは、ヴォイツェックが自殺して暗転したあと、その少年が今度は真っ赤なペンキで壁を塗り、その前に座り込んで終わりだった。彼の心を占めていた黒い壁が血で染まっていくように思えました

 

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