明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 森新太郎

内野聖陽/川上友里/内田慈/清水くるみ/山路和弘/井之脇海/前田公輝/杉本哲太

 

 10日前に芝翫の「リア王」を観たばかりですが、今回の森新太郎さん演出、内野さん主役の「リア王」は、それとは全くテイストが違う舞台でした、当然ですが。

 特徴的だった点を挙げてみます。まず舞台美術。舞台の後ろと左右、三方がグレイの布で覆われている。終盤で、飛び散った血飛沫が跡を残さず下にスーッと落ちていくので、布ではなく、レインウェアなどに使うような撥水素材のモノなのかも。三方を覆うものを、板やアクリルなどパネルではなく布状のものにしたその意図は分からなかったです💦 舞台上には基本的に何もなく、シーンに応じてパイプ椅子や長テーブルなどを役者や黒衣(くろご)が出し入れする。

 このように「背景」がないので、目の前の出来事がいつ、どこでの話なのかが特定されない。結果として人物が喋る言葉(セリフ)が「今」のこととして際立ってくるので、生々しい人の心、例えば欲望、怒り、残酷さ、辛さ、悲しさ、哀れみといった本質的な部分が剥き出しになる感じです。衣装も特定の時代や地域を連想させないものだけど、それぞれの衣装が次第に変化していくことで時の流れやその人物の状況の変化を想像できる感じでした。

 

 そして、血による表現が際立っていました。森さんの演出は上述したようにいつも非常にシンプル&硬質なセットながら、その中に “毒” を入れてくるのだけど、今回の “毒” は「血糊」、血を視覚的に強調した「リア王」だった。一般的にはグロスター伯(山路和弘)の拷問シーンで血まみれにする演出は多いけど、今回のは、人の目を誤魔化すために自らを傷つけて血を流すエドガー(井之脇海)やエドマンド(前田公輝)、オールバニー公(和田正人)が刺されたときの胸や口からの血、天からドサドサと落ちてくる血まみれの死体(山積みになったそれは豚バラ肉の塊みたいだった😅)、そして、最後のエドガーとエドマンドの戦いでは黒衣がバケツに入れた血糊をドバッと2人にぶちまけていた。肉体的な傷の表れであるのと同時に、心を傷つけられた痛みの象徴のようにも見え、生きることの残酷さが突き刺さる舞台でした。

 

 さらには、コーディリアと道化を同じ役者が演じたこと。研究者などの話で「戯曲が書かれた当時は、コーディリアと道化は同じ役者が演じたのだろう」というのはよく聞きますが、それを窺わせるようなセリフをシェイクスピアも書いている。私が、この2役を1人の役者が演じているのを実際に観たのは、近年では2024年の藤田俊太郎演出、木場勝己主演の「リア王の悲劇」で、原田真絢が2役を演じていました。

 コーディリアも道化も、リアに現実の厳しさと真実とを突きつけリアの過ちや愚かさを諭させる役どころ。今回の清水くるみさんによる2役は、全く別人でありながら時々同一のように重なって見えるときもあり、とても良い2役だった。道化の定番的スタイルは、鶏のトサカのような「赤いトサカ帽」を頭にかぶっているのですが、今回、最後にリアは、中盤でいつの間にか居なくなった道化が残したトサカ帽を自分の懐から出し、死んだコーディリアの頭にそれを被せるんですね「俺の阿呆が死んでしまった……」と言って😢 上手い演出だなと感心しました。

 

 リア王の内野さんは、翻訳が松岡和子さんだからなのか演出意図なのか、大仰な話ぶりではなく自然体でのセリフ回し。その抑揚が生々しくリアルなゆえに、善悪合わせ持つ人間味が感じられました🎉 前半ではキレ良く勢いをつけて歩き回り、2人の娘を汚く罵るのだけど、嵐の中を彷徨うシーンは、後方に映されるリアの影がどんどん大きくなっていく演出で、リアが自分の影に飲み込まれていくように見えた。そのあと内野リアは老いを見せていくのです。腰が少し曲がり歩幅が狭くなり、シーンが進むにつれて見るからに老人になっていき、ガニ股でヨボヨボと歩く。その姿は悔恨と悲哀の重荷を背負っているように見えたけど、不思議と「狂気」は感じられなかったな🤔 自らの愚かさを受け止めそれが引き起こした悲劇の大きさにおののき縮こまっていく姿は痛々しかった。盲目になったグロスター伯(山路和宏)との再会シーンで感涙でした😭

 

 井之脇海さんのエドガーは、登場時は苦しみや悲しみもなく気楽に育った若造って感じで、疑うことを知らないボンボンが人生のどん底を味わうまでになる過程は痛ましい。その弟エドマンドは前田公輝さんで、星が決めた運命に逆らい野心を燃やしていくところは清々しいくらい。ゴネリルとリーガンに惚れられるのも納得の色悪っぷりでしたね。

 そのエドガーとエドマンドの父であるグロスター伯も、リアの写し鏡のように、息子たちに暴言を吐き真実を見抜けず愚かな行動をとるのだけど、山路さんの、クールな雰囲気を封印した人間臭い老伯爵がまたしみじみと良くてねー😢 両目を失った彼が、手を引いてくれるエドガーの顔を手で触り、息子だと分かったときの一瞬の動きがとても良くて、胸に込み上げるものがありました🥹

 

 川上友里さんの長女ゴネリルはその言動に年長らしい説得力と強さがあり、内田慈さんの次女リーガンは姉と妹に挟まれて育った娘らしい気楽な奔放さが見られた。「おや?」と思ったのは、冒頭の国土分割のシーンで、父リアに勘当された三女コーディリア(清水くるみ)を2人の姉たちが抱きしめたこと。コーディリアが姉たちに「先ほど誓った言葉どおり父を大切にしてあげて」と言う皮肉めいたセリフはカットされ、なので姉2人がコーディリアに浴びせる冷たいセリフもない。3姉妹はもともと仲が良いんだというのを見せているのね。国土分割、年取った父親の面倒、若い男(エドマンド)の登場などを経て姉妹の絆が切れていくことにしてあったのも興味深かったです。そんな感じで、ちょっとずつ演出家や役者たちの独自性が見られる舞台でした。

 

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演出/振付/台本 熊川哲也

音楽 カール・ニールセン

アナスタシア・マトヴィエンコ/栗山廉/石橋奨也/岩井優花/藤島恵太/遅沢佑介/ニコライ・ヴィユウジャーニン/鴻野寛太/中井皓己/堀貴文

 

 マトヴィエンコがクレオパトラを踊る回を観ました。このバレエ作品、私は今回初めて観ます。2017年初演で、その翌年にすぐ再演されたほど好評だったらしい。今回の公演でも絶賛コメントをたくさん拝見してたので期待したのだけど、自分のツボにはピタリと収まらなかったかも~💦 期待が大きすぎたのか、前方席で観ればきっと感動したのか(Kバレエはいつも一番お安い3階席で観ます😅)、ちょっと複雑な気持ちでした。

 私はてっきり、クレオパトラとアントニウスの悲劇的恋愛を主軸に描いたお話かと思っていたら、本当に「クレオパトラの半生」で、歴史を追いながら、彼女の人生にいろんな男たちが現れては消えていくという展開なんですね。

 

 マトヴィエンコは、3月に香港遠征して観たボッレさまの「カラヴァッジョ」で、カラヴァッジョを誘惑する「闇=死・悪」の役で出ていて、良い意味で、そういう資質をもったダンサーなんですね。ここでは、クレオパトラは蛇の化身で、蛇は聖なるものという位置付けらしい。ちなみに歴史的には、クレオパトラは毒蛇に自分を噛ませて自殺したとされています(毒薬を飲むなどして自殺したという説もある)。

 そのマトヴィエンコはバレエダンサーとしての恵まれた身体とクールビューティー系の美貌で文句なくクレオパトラはハマり役🎊 女王としての気高さ、野心、自信などが溢れていた。時々見せるクネクネッとした蛇の動きも手脚が長いので映えます。神殿男娼を誘う時の、蛇というより雌豹のような肉食系色気、カエサルを味方につけるための妖艶なダンス、アントニウスの真摯な愛に次第に惹かれていくエレガントな踊りなど、相手によってそのダンスの雰囲気を巧みに変えてくるところもサスガです👏 アントニウスを失ったときの嘆きも共感を呼びました。

 

 クレオパトラと絡む5人の男性のうち、彼女が真に愛した男という意味でアントニウスが(キャスト表的には)一番にくる人物で、今回は栗山廉さん。マトヴィエンコとは「ロミオとジュリエット」ですでに組んでいることもあってかサポートも無難、クレオパトラと再会してのPDDはマトヴィエンコのゴージャスさに負けない恋人っぷりでロマンスを語っていました。

 一方、クレオパトラとは絡まないけど重要な人物はオクタヴィアヌスで、石橋奨也さんは、後にローマ帝国の初代皇帝になる人物に相応しい高貴さと力強さ、そして高い政治手腕を持つ知的な雰囲気もありました。軍隊を率いての「スパルタクス」で見られるようなダンスでも魅せてくれた。

 アントニウスの政略結婚の相手となるオクタヴィアは岩井優花さんで、2人のPDDはクラシックのテイストが濃く、大変よかったです👍 岩井さんの可憐な雰囲気がその役に合っていて、ダンスもテクニックをきちんと見せてくれた。

 最初と最後の演出(ピラミッド状の階段の頂上から降りてくるクレオパトラと、そこに昇っていくクレオパトラ)は、聖なる蛇が地上(エジプト)に降り立ち、再び蛇となって亡くなった男たちを誘導して冥界に昇っていくという意味なのだろうか。歴史の一幕の円環がつながるみたいな見せ方でしたね。

 

 以下は辛口です🙇‍♀️ そんな感じで、お話や登場人物はゴージャスで個々のダンサーの踊りも良いのだけど、ストーリーとしてメインの山場がはっきりしないというか、小さい山場が複数あるというか、そのためお話が割と淡々と進んでいく感じで、感情をガシッと掴まれるところがなかったな。

 例えば、クレオパトラの半生とはいえ、特定の男性とのシーンが少ないのが物足りない。クレオパトラとアントニウスとの出会いと死の別れがそれだとしても、それは2幕の後半からだし、2人の出会いのPDDは美しいけど、そこはもっとたくさん踊ってほしかった😞 むしろアントニウスとオクタヴィアのPDDの方がロマンティックで華やかで見応えがあったりして。

 また、アンサンブル、例えば男娼たちの踊りとかカエサルの前で踊る4人の女性とかは良いのだけど、圧倒的な群舞によるダンスがないとか、クレオパトラが聖なる蛇の化身であることの物語への影響が希薄で、そこをもう少し象徴的に見せる演出がほしいとか、いろいろ思ってしまいました。

 

 あと、細かいことだけど、カエサルの部屋の背後にあるタペストリーがイスラムの意匠っぽかったのが違和感ありました(私の気のせい?)。古代ローマにそういう美術概念はないのでは? そのカエサルを殺害したブルータスは(歴史的には自殺したと言われてるのだけど)ここでは火刑にしてあって、まあそれはいいとして、古代ローマにおいて十字架に磔にされるのはおかしくないか? 両腕を後ろ手に縛って木杭に縛り付けるのだと思いますけど。

 そもそも、ブルータスの火刑シーンを入れる必要ないと思いました(エピソード入れすぎ)。同じような意味で、プトレマイオスの成長シーン(やんちゃ→剣に目覚める→姉クレオパトラから実権を奪おうという野心を抱く)も不要に思えたな。クレオパトラに関わる男性を1人選んでその背景を見せるとしたらアントニウスではないでしょうか。彼はカエサルの忠実な側近で、オクタヴィアヌスとはライバルであり同盟者であり宿敵でもあるという、とても複雑な背景があるので、その辺を見せておくと面白いのに。

 まぁ、壮大な歴史ものであるだけに、個人的に気になるところも出てくるわけでして💦 バレエもあれこれ観てくると自分がどういうのが好きかはっきりしてくるよねー😅

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 中屋敷法仁(柿喰う客)

振付/ステージング 中村蓉

吉見一豊/吉田久美/石原由宇/谷川清美/瑞木健太郎/但馬爽/豊浦奏斗/上杉陽一

 

 演劇集団円によるシェイクスピア劇を観るのは2023年の「ペリクリーズ」以来です。今回も、あのときと同じ演出家で、同じく振付&ステージングが入っていました。

 舞台中央に立方体の台が置かれていて、それを椅子とか彫像の台座とか、さまざまなモノに見立てている。天井から、長さが異なる細い金属棒のようなものが無数に垂れ下がっているのだけど、それが何を表しているのかは分からなかったな💦 衣装は現代のもので、宮廷人はスーツ、女性陣は主としてロングドレス、庶民はラフな普段着だったりしてた。

 

 演出家独自の解釈・変更は特に見られず、キャラクターの造形もテキストにある通り。セリフのカットはあったけどシーンは全て入れている感じで新構築はせず、その意味で正攻法な作り。そこに色を添えているのが振付&ステージングでした。

 役者さんたちがアンサンブルとなり、シーンの背景として、あるいはシーン転換時に、踊ったりフォーメーションを組んだりとダンスパフォーマンスを見せる。人物の心の動きだったり時間の流れだったり、その登場&退場が全く違和感なく、物語の展開とシームレスにつながっていました。

 役者さんたちのセリフには力があり、それでグイグイ聞かせ進めていくのも素晴らしかったけど、そこに動き&ダンスが加わることで芝居がさらに立体的になり、物語にダイナミズムが生まれて生き生きしてくる。「冬物語」が持っている荒唐無稽な “奇跡” のうねりみたいなのを感じました。例えば2幕は、1幕から16年が経ったという設定ですが、その冒頭で役者さんたちが出てきて、舞台上を前に進んだりスローモーションで戻ったりし、そのあと「時」が登場して口上を述べると彼らがその “翼” のような形を組んで広がるところとか、良かったです。その2幕で登場する、2本脚で立つ(しかも人間のやってること分かってる風な)羊さんたちがとてもキュートだった😊

 

 それにしても、レオンティーズの、妻ハーマイオニと自分の親友ポリクシニーズの仲が良すぎる、という嫉妬から火がついた疑心暗鬼がエスカレートしていくサマに呆れるし、最後には妻が自分の殺害を企てたと結論づけちゃう。あるいは、ハーマイオニの親友ポーリーナの、王や自分の夫への叱咤は凄まじく、火がついたように糾弾する。さらにはポリクシニーズの、自分の息子に対する態度はモラハラレベルで、もはやレオンティーズと同じ穴のむじなになっている。彼らの言動が極端すぎて滑稽味すら感じるほど😅 そして家臣カミロの冷静さがすべてを束ねていくという図式でした。

 

 もちろんこれは再会と和解のドラマで、終盤は理屈抜きで激しく感動しました。16年経った(幽閉した妻が死んだと聞かされ、一人息子をショックで死なせてしまい、生まれたばかりの娘パーディタを捨てて来させたという罪に苛まれ悔恨の16年を生きた)レオンティーズ(吉見一豊)の、虚ろな姿で台座に座るその背中が一回り小さく見えて痛々しかった😢 ハーマイオニの彫像が、最初は客席から見て後ろ向きに立っているのは割と珍しい見せ方で、息を吹き込まれたそれが振り返るという演出は、よりドラマティックに感じられました。

 

 今回の舞台は「冬物語」をまっすぐ見せるという感じの舞台で、セリフのカットも最小限に抑えて丁寧に聞かせているし、この戯曲の面白さを改めて味わうという意味では良かったけど、自分としてはやはり、もう少し潤色・読み替えなどを施した舞台を観たいな。

 

 以下は余談ですが、コレを観るたびにいつも疑問に思うのだけど、廷臣アンティゴナス(ポーリーナの夫)はなぜ熊に食べられて死ななければならないのでしょうか?😔 今回も、着ぐるみを被った熊が出てきて普通に襲っていた。芝居の最後の方で「パーディタを捨てることに手を貸した者(アンティゴナスと従者たち)は死ななくてはならない」みたいなことを言うけど、それを決定し命令したレオンティーズは生きるよね。王の命令に逆らえなかった人たちが「パーディタを捨てた罰」として死ぬの納得できないのよね。シェイクスピアはそこで何を言いたかったのだろう。また、レオンティーズは未亡人となったポーリーナと家臣カミロを無理やり結婚させる。それ断ったら罰せられそうで、やっぱりレオンティーズって暴君、何も変わってないのでは?思います。みんな戻って、ポーリーナは夫アンティゴナスと再会しました、でいいじゃーん。

 それを思うと、8月に観た河内大和の「冬物語」では「アンティゴナスは熊に追われて退場」のシーンを別解釈の見せ方にしていて、ポーリーナとカミロが無理やり結婚させられるシーンも全カットしたのは良かったなとつくづく思いました。

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 井上尊晶

中村芝翫/松下由樹/朝月希和/井上小百合/三浦涼介/大野拓朗/村田雄浩/二反田雅澄/小倉久寛/駒井健介/中村松江/大堀こういち

 

 芝翫のリア王を観ました。面白くはあったんだけど、感動はしなかったというか、心は動かされなかったなあ。なぜだろう🤔

 外枠と、その枠の中で行われる劇中劇としての「リア王」という二重構造でした。外枠の方をネタバレすると、架空の戦争中の現在、新橋演舞場が爆撃を受け、焼け落ちた劇場で役者たちが「リア王」を演じるという設定。飛行機の轟音、爆撃音、瓦礫化した舞台の周りには赤い炎がまだくすぶっている。そこに役の衣装を着た役者たちが出てきて円陣を組み「よし!芝居を始めよう」という感じでお辞儀をする。舞台上に布を敷き小道具や大道具をセットし、後方に半壊した松羽目が置かれ、能舞台という感じになる。

 そして「リア王」を演じ終わると現在に戻った状態になって紗幕が降り、再び飛行機の轟音、爆撃音。どこかから赤子の泣き声が聞こえる。演じた衣装のまま役者たちが再び舞台に現れ、エドガー役だった三浦涼介くんが瓦礫の中から赤子を拾い上げ、リア役だった芝翫がその子を抱きかかえ、皆がその子を囲んで微笑む。絶望的な現実の中にあって未来への一筋の希望を見出したみたいな?

 

 外枠を戦争中にしたのは、戯曲内のブリテン王国の世界と重ねたかららしい。プログラム内の解説文を読むと、戯曲は「リアの過ちが、①家族の断絶と②民心の荒廃と③社会の混乱と④(フランスとの)戦争を招き、⑤王室は滅亡し⑥国家は灰燼に帰す、という惨劇」になっているとあり、その状況を現在に反映させたのだと理解しました。ただ、個人的には「リア王」って家族の悲劇の話であり、国家云々といった壮大な物語ではないと思うし、そもそも戯曲では②③⑥ははっきりとは描かれてはいないのでは? ⑤の王室もオールバニー公(中村松江)が引き継ぐだろうし。

 

 劇中劇である本編「リア王」は、新橋演舞場は歌舞伎を上演する劇場でありそこのモノを使って演じることになるので、外枠である現在の状況と重ねて “日本の戦国時代” をイメージしたらしいです。嵐の場面では床に雷車を転がして音を出し、別シーンでは「土蜘」などで使う古塚みたいなのを出し、リアがグロスター(村田雄浩)と出会うところでは2人の黒衣(くろご)が差金を使って2羽の蝶を飛ばしていた。お話の展開に合わせて春→夏→秋→冬と季節の変化を見せていて、満開の桜の木、紅葉の落ち葉、降り注ぐ粉雪などは歌舞伎の舞台を思わせる。最後が春ではなく冬で終わるのが象徴的かも。

 

 リア王の芝翫はサスガの演技で、セリフの一語一語が粒立ち、きちんと私たちの耳と心に響いてきます🎉 役作りとしては最初から、モラハラしまくりの傲慢不遜な老父でエネルギッシュ。ちょっと声を張り上げ過ぎでは?とも思ったけど、演出家に「とにかく怒ってください」と言われたらしい。「身体を通してさまざまな怒りを表現して」と。嵐の荒野を雷雨に打たれて彷徨うところも怒りの狂気を纏っている。個人的にはそのあたりで人生を振り返り後悔し学びを得て、哀れみを漂わせるリアを見たかったけど、芝翫リアはむしろ嵐にも立ち向かう強さをまだ持っていて、声に力があり、血気を失わない、元気な狂人でした😊 それでも、グロスターと再会したあたりから、人生の辛苦を味わい尽くし孤独を噛み締めるかのように、急に年老いて見えましたね。

 最初↑に「心は動かされなかった」と書いたけど、それでも、リアとコーディリア(井上小百合)が再会するシーン、いろんなことをもう覚えていないリアが「どう考えても、目の前のこのご婦人が娘のコーディリアに思えてならないのだ」と言うシーンでは感涙でした😭 あのリアは認知症になった普通の老人でした。2人が寄り添って舞台から去るところで、演劇では珍しいことに、客席から拍手が湧きましたよ👏 歌舞伎好きの方が思わず手を叩いたのかも。コーディリアを失ったリアの最期は見得を切るような死に方で、歌舞伎でした〜。

 

 ゴネリルの松下由樹さんが良かったな。傍若無人な父親をたしなめ諭し諦め追い出すのだけど、ご本人がコメントしているように「長女としての責任感、地位的なプライド、頑固な性格など、父親に一番似ている」と。その通りで、ゴネリルとリアとの言い争いは似た者同士の終わりなき喧嘩でしたね。松下さんからは時々「それでもこの人は自分の父親なのだ」という哀れみの気持ちが見えたりしていた。エドマンド(大野拓朗)を取り合って妹リーガン(朝月希和)と競うところでは女としての色も見えました。

 道化は小倉久寛さんなんだけど、芸風が違うというか、何か浮いてたなあ😓 セリフ回しにも力がなくてう~む……だった💦 道化=リアの影法師=黒衣ということで、出番の前にすでに黒衣姿で舞台上にいてリアの後ろに見え隠れしている。で、出番になって黒衣の衣装をとって道化として振る舞い、退場すると再び黒衣姿になる。道化を黒衣にするのは面白い発想なんだけど、(前述した)蝶を飛ばす2人の黒衣うち1人が道化だったように、舞台上にもっと出すなどもう少しうまく使えばいいのにとも思いました。

 

 それにしても演出の、盛り過ぎとも思える重厚さ、センチメンタルなBGMも含めて、コッテリ&ネットリした空気感は蜷川氏のテイストだったな😓 「翻案などはせず、上演時間に合わせてのカットのみで物語を紡いだ」そうですが、原作を尊重するという姿勢も蜷川氏に倣ったのかも。ちなみに、演出の井上尊晶さんは蜷川氏の演出助手を長年に渡って務めておられました。たぶん、もう私はそういうシェイクスピア劇は求めていないのかも。

 

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改訂振付 ウラジーミル・ブルメイステル

第2幕 レフ・イワーノフ/(3羽の白鳥)アレクサンドル・ゴールスキー

秋山瑛/大塚卓/柄本弾/二山治雄

 

 全幕主役デビューの秋山さんと大塚さん、そして二山さんも初役の道化と、“初” オンパレードのこの回を観ました。すでにロットバルトを何度も踊ってきているベテラン柄本さんが全体をまとめて締めているという感じです。

 ブルメイステル版ではプロローグとして、湖畔で花を摘んでいるオデットがロットバルトの魔法で白鳥に姿を変えられるシーンを入れている。そんな寂しい場所へどこぞのお姫さまが一人で花を摘みに行くかい?🙄と思うところですが、まあそれは置いといて😅その花摘みの仕草からしてもう可憐で無垢な秋山オデットです。ここでオデットが着ている衣装を、最後、呪いが解けて人間に戻り湖から王子に救われて現れる時にも着ていることで、お話の円環が繋がったことが強調されますね。

 

 2幕での秋山瑛さんのオデットは、突然に人間(=王子)と遭遇した驚きとおののきから始まり、次第に心を開いていく過程(表情や動きの変化)に気持ちの揺れを表すニュアンスがあり、王子に惹かれながらもどこか控えめな感じ。それが高貴な女性としての凛とした姿を見せると同時に、一抹の不安を感じているようにも思える。ダンスはたおやかで優美、手脚の大きな動きがとても雄弁で、リフトされた姿には何かにすがるような気持ちも感じられました。終盤では王子を見つめる眼差しに「彼への信頼」という希望を得たようだった。

 3幕でのオディールは妖艶だけど “陽” の雰囲気があり、王子が自分に騙されていくのを楽しんでいるようにも。じっと見つめて王子のハートを射抜いたかと思えばさっと目を逸らして焦らし、流し目でビームを送り、上目づかいで王子の心を覗く。コロコロと変えるその動きに秋山さんらしい無邪気さも感じられます。王子の心をかき乱しておいて最後に鷲掴みするような、完璧なフェッテでした🎊

 4幕では憂いを溜めたダンスが悲劇性を雄弁に語っており、王子の元を去る時の引き裂かれるような表情が印象的。それが最後に、愛する人を救うために自らを犠牲にするという究極の行動をとる説得性につながります。その前、白鳥たちに促されて皆で湖を去ろうとする時に、そこに倒れている王子を振り返って走り寄るところに王子への愛情が溢れていて切なかった🥹

 

 大塚卓さんのジークフリート、そこにいるだけで漂うエレガンスとノーブル味、王子としての資質(歌舞伎でいうところの “ニン” ね)を持ち合わせたダンサーであることを証明してくれました。まあ、ダンスの方はあと一歩という感は否めないけど💦見せるべきとこはきっちり見せていて、例えば1幕でのソロは、テクニック的にすごく優美とまではいかないものの、良い意味で気負いがないぶん上品さは失われない。大塚さんは腕の動きというか肩が硬いのか、ポージングの時の硬直したような形が気になります。エレガンスを出すための形作りなのかもだけど、そのせいか、踊っていても大きさがちょっと不足ぎみ。2幕でのオデットのサポートはたいへん安定していました。3幕でオディールとその仲間たちに翻弄されるところ、誘われるままに引き寄せられ、遮られて戸惑い……と、世間知らずのボンボンらしいナイーヴさがもう可愛いレベル😅「オディールに愛を捧げます!」という気持ちを爆発させるソロは、もう少し弾けてもいいのでは?と思ったけど、王子らしい気品を失わない踊りでした。

 この版で残念なのは王子の踊りの見せ場が少ないこと。4幕も王子の行動シーンが少ないのね。そもそも、許しを乞うために湖まで来たのにもはや手遅れと知ってその場に倒れちゃうの、よくわからないし🙄(ロットバルトに倒されたわけでもないのに)。ロットに連れ去られていくオデットを引き留めようとか、ロットと戦おうとかしないので(ブルメイステル版でもバレエ団によっては対決する演出もある)「気の優しい王子が愛することを知りその人ために命をかける」という “王子の成長譚” にならないんですよね~。

 

 踊りという意味で王子のしどころが少ない分、そこを道化が代わりに踊りまくってくれます。二山治雄さんの道化、足にバネが入っているんじゃない?と思うような軽やかなステップ、脚から床に軸が刺さってるんじゃないかって感じの回転、そして背中に羽?って錯覚させるような空中浮遊、どの形も美しい。王子を気遣う道化としての役割もちゃんと見せているし、宮廷人や村人たちとのコミカルなやり取り(演技)も上手かったです。

 

 ブルメイステル版は3幕が面白くて、ロットバルトが娘オディールを連れてくるだけでなく、各国のダンサーたちも皆ロットの手下という設定で、みんなして王子を絡め取ろうと惑わしていく。スペインの平木菜子さん、ナポリの金子仁美さん、マズルカの伝田陽美さん(頭をギュインギュインと振るところいい👍)と、女性陣が蠱惑的なダンスで王子を翻弄するのがカッコイイです。王子がオディールに惹かれていくたびに、みんな「イケイケ!」って感じでグッと身を乗り出し、スペイン男性軍はマントを翻し、グランフェッテでも皆さん後方で景気付けてくる。これらがストーリーの一部になっているので、単にディヴェルティスマンを楽しむ以上に気持ちが高揚します。

 

 2幕と4幕の白鳥たちの踊りも格別でした。ポーズをとったときの手や脚の角度が分度器で測ったような揃い方で😅 その位置に行くまでの動かし方も速さや間隔が揃っており、それゆえに(人だけど呪いがかかっているから “人にあらざるもの” としての)幻想性や神秘性が生まれる。それでいて個の塊としての感情=悲しみ怒り諦めなどが表現されていて、とても秀逸な群舞の踊りです。

 東バはこの「白鳥の湖」を割と頻繁に上演しており、それだけ同バレエ団を代表する自信作なんですね、と納得。今回アンサンブルを踊った女性ダンサーたちの主役デビューが待たれます。

 

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作 ベルトルト・ブレヒト

翻案/上演台本/演出 藤井ごう

 

 ブレヒトの代表作のひとつで、強烈なメッセージ性に打ちのめされました。作品の背景としてブレヒトと戯曲について、今年3月に静岡市でSPACの舞台を観た時の感想ブログから一部引用します。

 

 イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を改良して月、木星の衛星、太陽の黒点などを観測し、当時言われ始めていた地動説を支持するも、カトリック教会の教義に反することから異端審問に掛けられ自説を撤回しますが、終生カトリック教会の監視下にありながら最後まで自説を信じ、研究を続けた科学者です。「ガリレイの生涯」はそうしたガリレイの後半生(1609年45歳~1637年73歳)を、科学と権力(カトリック教会)をテーマに描いたものです。

 

 ドイツの戯曲家ブレヒト(1898~1956)は反体制的な政治思想の持ち主ゆえにナチス政権から危険視され、著作は焚書の対象となり、ドイツ市民権を剥奪され、欧米各国で亡命生活をし、戦後の1948年にようやく東ベルリンに居を構えます。「ガリレイの生涯」は亡命中の1938年に書き上げられたのち何度か改訂されました。戯曲は、教会の圧力と戦い続けたガリレイと、ナチスの支配から逃れつつ作家活動を続けたブレヒト自身とを、弾圧されても意思を貫いたという部分で重ねています。

 

 本作は科学の可能性と危険性を問うています。最初に書き上げた「ガリレイの生涯」では、ガリレイがとった行動(異端審問において自説の地動説を撤回したこと)を一種の抵抗戦略として肯定的に描いていたそうです。その後ブレヒトは、アメリカ軍による日本への原爆投下を知ってショックを受け、社会の発展に寄与してきた科学者たち(原爆の場合はアインシュタインとか)を手放しに称賛することに疑問を持ち、科学が権力側に悪用されることに恐怖を覚える。そしてこの戯曲を、ガリレイが自分の行動を批判的に客観視する形に改訂したのだそうです。今回の芝居ではそこが明確に表されていました👏

 

 冒頭は異端審問のシーンから。客電はついたままで観客もその傍聴人となっている。そこでガリレイ(斉藤淳)は自らの地動説を撤回し、うつむいて悶え苦しんでいる。そこから過去に遡ってお話が始まります。望遠鏡を改良して天体を観測し、太陽ではなく地球が動いていることを突き止めるところから、その地動説を撤回したものの研究を続けて「新科学対話」を完成させ、その原稿がガリレイの元弟子により国境を超えて持ち出されるまで(その著作は後にオランダで出版される)。

 

 戯曲は全部で15シーンあるのだけど、戯曲では出てこないブレヒト(森 一)が各シーンの冒頭にMCふうに登場して、そのシーンで何が起こるかを観客に向かってナレーションする、という構成です。それによって異化効果が生まれ、物語を客観的な視点で観ることができる。なので、ガリレイの人生をなぞり体感するのではなく、その生きザマから生のメッセージを受け取ることになり、まさにブレヒト劇でした。

 

 ガリレイが異端審問にかけられた理由は「地動説を説くこと=太陽が中心にあり地球がその周りを回っていること=万物を創造した神はそこには存在ないと否定したこと」が、「カトリック教会が唱える宇宙観=地球が万物の中心であるという神の摂理」に反するからで、それはカトリック教会のトップにある教皇とその権威を愚弄するものだから。ガリレイはその異端審問に屈して持論を撤回したことで「私は科学を権力者に渡してしまった。彼らがそれを勝手に利用し悪用するのを許してしまった」と自分自身を非難する。

 

 ガリレイは権力による科学/思想/真理の取り締まりを危険視し、かつての弟子に言います。「科学の目的は人々の生きる苦しみを軽くすることなのに、科学者が利己的な権力者の手に絡め取られたら、科学は厄災にしかならない。科学への人々の喜びが、恐怖の叫びになる日が来るかもしれない」(←大意)。このガリレイの言葉はブレヒト自身の危惧でもあり、明らかに原爆を意識していますよね。

 

 エピローグでブレヒトが語る言葉が心に突き刺さります。「科学の光が火の玉になりいつか私たちを焼き尽くしたりしないように、その光を監視することだ。何か問題が提示された時、強い者に従う(権力に迎合する)か、立ち止まって自ら考えるか、その選択は私たち一人一人に委ねられている」(←大意)。それは今の日本の私たちに突きつけられている問題です。最後、真っ暗な舞台に「科学の光」がボワ……と浮かぶのだけど、それは未来を照らす希望にも、人々を殺戮した原爆の炎にも思えました。

 ガリレイを演じた斉藤淳さん、自信に満ちた生き生きとしたセリフから、弱々しく内省的な呟きまで、人間臭くて説得力ある見事な演技でした。

 

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仁左衛門/歌六/孝太郎/隼人/松之助

 今年6月に観た映画「歌舞伎役者(十三代目)片岡仁左衛門/芸と人の巻・上巻」で、1987年6月に大阪中座で上演された「沼津」のダイジェスト映像があり、当時83歳の十三代目が平作を、当時43歳の仁左さま(当時、孝夫さん)が十兵衛を演じていて、実の親子による共演ということもあってかすごく濃密な舞台で、ボロ泣きしました😭 胡弓の音色が悲しみを煽るという泣きの芝居は基本的に苦手なのですが、涙をこらえるの無理でした。

 

 そして今回、仁左さま82歳で(平作ではなく!)十兵衛を勤めて全く違和感ないという、この驚異的な若さと美しさよ🎊 ちなみに十兵衛は28歳という設定です。

 仁左さま十兵衛は2011年平成中村座以来で、15年ぶり。あのときの平作は勘三郎でした。それ以前には南座や大阪松竹座で十兵衛を勤めているけど、歌舞伎座ではこれが2度目です。

 

 ネタバレ概略→江戸に帰る途中の呉服屋十兵衛(仁左さま)が沼津の宿でたまたま出会った平作(歌六)とその娘お米(孝太郎)は、自分の実の父親と妹だった。お米の夫の和田志津馬(登場しない)は仇である沢井股五郎(登場しない)を討つ途中で傷を負い療養していて、逃げた股五郎の行方を知りたい。十兵衛は股五郎の行方を知っているのだけどいろいろ義理があって教えられない。そこで平作は自ら腹を斬り、冥土の土産にどうか……と股五郎の行方を教えてもらう。お米が陰でそれを聞き留めていた、というお話。

 

 前半の可笑しみ味あるほのぼのとした展開が、後半になると怒涛の悲劇へと真っ逆さまです。まず「沼津棒鼻」では、出会った十兵衛と平作のコミカルで軽い会話のやり取りが楽しくて笑いを誘う。ここでは特に歌六の平作(70過ぎという設定)が傑作。十兵衛の荷物を担いで駄賃を稼ごうとするのだけど、重くて、ヨタ…ヨタヨタ…とおぼつかない足取り、その見せ方がとても上手くて、荷物の重さ、老人らしい足腰の弱さがリアルに伝わってきます。少しでもお金を稼ぎたいので頑張るわけで、したたかで頑固な感じも出ていて憎めない。

 結局、十兵衛が荷物を担ぎ、でも運び賃は払うという気の優しいところを見せる仁左さまの(江戸の人だけど)はんなりした雰囲気がこの場を和ませます。この2人が最初からなぜか自然にウマが合うのは親子だったからなのね、と後で気がつきました。そして、この心温まるシーンがあるから、その後の急転直下の展開があまりに酷で泣けるのですよ🥹

 

 続く「平作住居」では、平作の娘のお米に惚れて、勧められるままに平作の家に泊まりたい十兵衛が、迎えに来た荷持(松之助)を必死で追い返す仁左さまが可愛い。そして、目の前の2人が実の父と妹だと分かってからの父妹を思う細やかな演技が絶品なのです。平作が、息子を養子に出した経緯を話すと「それは自分だ」と思い当たり、力が抜けて口にしていたキセルをポロ…と落とす。2人を見つめる目がふわっと優しくなり、見つめている時間も心持ち長くなり、声に愛情と優しさがこもる、なんて繊細な演技なの👏 すでに亡くなっている母の仏壇に手を合わせる仁左さまの背中が切なすぎました。

 

 最後の「千本松原」はもう胸が詰まる思いで観ましたよ。お米の夫・志津馬の仇との皮肉な縁を知り、そそくさと平作宅を後にした仁左さま。まとまったお金と志津馬の傷を治す薬が入った印籠をこっそり置いてくるのだけど、それらから平作とお米は、十兵衛が自分たちの家族であることと股五郎の行方を知っていることに気づくのですね。

 十兵衛を追いかけて千本松原で引き留めた平作。まだ夜が明けない暗闇の中。顔が見えない相手と話したり手探りしたりという2人の細かい演技が丁寧です。そしてこの闇の中だからこそ、平作は気付かれずに十兵衛の脇差をそっと抜き取ることができたのね。歌六の、婿の仇の所在をどうしても知りたいために自ら腹を斬り十兵衛に義理を立たせる、その、優しさが嵩じての死を覚悟した気迫がすごい。そして仁左さまの、最後の最後に堰を切って溢れた感情に押され「おやじさま!」と瀕死の歌六をガシッと抱く姿に涙腺崩壊でした😭

 

 仁左さま十兵衛の、町人とはいえ風格と品のある佇まい、柔らかな所作からこぼれる優しさと人柄の良さ、たまらないですね。後半に見られる、そこはかとなく滲み出てくる悲しさ辛さが仁左さまらしいリアルさで迫ってきます。

 孝太郎のお米は、かつて江戸の遊女だったという面影を感じさせる所作を見せつつ、貧しい家で細々と暮らす父思い夫思いの気立ての良い娘だった。夫の傷を治して仇討ちを成就させたいという気持ちが高じて十兵衛が持っている薬を盗んでしまうという、大胆な、でも間違った行動に出てしまう、愚かだけど一途な女を好演していました。

 終盤で登場する隼人が演じる池添孫八はお米の夫の家来で、正直、出なくてもいいようなお役なんだけど😅 仁左さまの舞台に隼人が出ていると、あー、この仁左さまのお役をいつか隼人がやる時がくるのかなと思います。よく見ておいてね、芸を盗んでねという……ね。

 

 この芝居は最初の「沼津棒鼻」で十兵衛と平作の客席降りがあります(上手通路に降りてから1等席と2等A席を区切る横通路を通って花道に上がる)。なので今回は2等Aの最前列をしっかり取りましたよ。期待通り、目の前1メートルもない近さのところでお二人が止まりアドリブ風やりとりを見せてくださって、それはそれは眼福でございました😊

 

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作 トム・ストッパード

演出 金澤菜乃英

那須凛/久留飛雄己/角田萌果/横堀悦夫/佐藤祐四/前田聖太/遠藤好/市橋恵/万田千尋

 

 久しぶりに観るストッパード作品です。初演は2015年@ロンドン。10年ほど前にそれをNTLiveで観たのだけど難しく、日本語字幕を追うのがやっとって感じで作品の面白さを掴めなかった。今回はそのリベンジを込めて観たのだけど、やっぱり手強かった~😩 脳科学、人間の意識や感情(とは何か)がテーマのお話です。

 

 ネタバレあらすじ→現代のイギリス。10代で未婚の母となりその娘を里子に出した過去を持つヒラリー(那須凛)は大学で心理学を専攻し、脳科学研究所に研究員として採用される。このあと所員・研究者たちによるさまざまな会話が繰り広げられる(←雑😅)。終盤、ヒラリーはアシスタントのボー(角田萌果)と共同で「人間の意識はどうして生まれるか」について、ボランティア数十人を使って実験しその研究レポートを提出する。しかしヒラリーを崇拝するボーが、ヒラリーが望む結果が出るようにデータを改ざんしていたことが分かる。ヒラリーはその責任を取り研究所を去る決心をする。しかし実験に協力したボランティアの一人がヒラリーの里子に出した娘で、研究所の所長がその子を養子にしていたことが分かる。ヒラリーはオフィス内の私物を片付け持って出て行こうとするのだけど、結局それら荷物を持たずに去っていく。終わり。

 

 タイトルは「“どう説明すれば明らかになるのか” すら分からない問題」のことで、脳科学の専門用語「hard problem of consciousness」=「物質である脳からどのようにして主観的な意識が生まれるのか、現代科学では解明が難しいとされる “人間の意識の問題”」を指すらしい。言い換えればそれは、宗教、哲学、道徳の分野なのだと(以上はパンフレットから🙇‍♀️)。

 脳の機能は科学的に説明できるけど、悲しいとか悔しいとかいった主観的感情や意識は脳のどこからどういう仕組みで生まれるのか? そこから発展して、ヒラリーは、無償の愛、利他的行動はどうして生まれるのか? と問いかけます。

 ヒラリーを支配する思考・理念には2つあって、1つは①「人間には科学では説明しきれない何かがある、と信じていること」、もう1つはそれと関連していて②「利他的行動(=説明しきれない無償の行為)の存在を信じていること」です。

 

 最後のヒラリーの行動は「彼女は研究所を辞めないことにした」のだと私は理解したんだけど、何故そうしたのか、あーだこーだ考えましたよ。

 ボーがヒラリーのために(ヒラリーが望む結果が出るように)データを改ざんしたことはヒラリーに対する利他的行動です。でもヒラリーはそれに対して責任を取り辞職を決意する。それは彼女のボーに対する利他的行動でもあるけど(以上は②)、辞職するとボーのとった利他的行動を否定・拒否することにもなると、自分の中の矛盾にうっすら気づいている。

 そのとき、自分の実の娘と再会するという思わぬ事件が起こる。これは偶然や奇跡なのか、数学的確率で証明できる “人との結びつきの連鎖” の結果なのか。ヒラリーは里子に出した娘の幸福を願って毎晩、神に祈りを捧げていたのだけど、その祈りが通じて「娘と再会する」という奇跡が起こったのだと受け取ったんじゃないかな(以上は①)。で、このときヒラリーは自分の信念は間違っていないと思ったのかもしれません。だから、このまま研究を続けようと、辞職を思い直したのではないか?

 

 演出は良い意味で手堅かったです。頻繁に専門的な会話が繰り広げられるのですが、舞台に3つのエリアを作ったことによるスムーズな場面転換やちょっとコミカルな見せ方など、動きの多い演出で、あまり肩苦しい舞台ではなかった……のですが、それにしても、ハァ〜😮‍💨ム・ズ・カ・シ・イ。でも、その難しさがほどよい心地良さをもたらすという不思議。これが「脳が刺激される」ってことなのか? 

 主役ヒラリーを演じた那須凛さんがとにかく素晴らしかったです🎉 聡明さの中に女性的な繊細さや弱さも感じさせる、たいへん深みのある演技だった。ロジックで固められた世界の中で非論理的な意識や行動の存在を信じ、それを証明したいという、その揺れ動く姿に共感を覚えました。

 

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幸四郎/又五郎/八代目菊五郎/雀右衛門/錦之助/吉弥/錦吾/松緑

 

 初日を観てきました。歌舞伎の初日を観るのは本当に久しぶりで、1階のロビー(というにはお粗末だけど💦)のあちこちで、上品な着物姿の奥さま方とご贔屓さんたちが笑談していたりと、華やぎに満ちた独特の雰囲気ありますね✨

 

 さて、私は「逆櫓」は観たことありますが、今回そこに付いている、その前段の「大津宿屋」「笹引き」は初めて観ます。歌舞伎座では58年ぶりだそう。「逆櫓」は木曽義仲の忠臣である樋口兼光(最初は船頭・松右衛門に身をやつしている=幸四郎)の、主君を思う忠義と恩愛を題材にした時代物で、そこに、木曽義仲の嫡子・駒若丸と、その子に間違えられて殺された老船頭・権四郎(又五郎)の孫息子の話が絡むのだけど、あくまでも主役は兼光です。

 

 「大津宿屋」「笹引き」では、その駒若丸と権四郎の孫息子が入れ替わった顛末が描かれているのだけど、そのため「逆櫓」だけを観たときとは違った印象を受けました。

 最初の「大津宿屋」では、駒若丸を連れて逃げている一行と権四郎家族との、宿での出会いがあり、駒若丸を捕えに来た追手から逃れる際に2人の子供が入れ違ってしまう。

 続く「笹引き」では駒若丸の母(吉弥)が連れ逃げていた我が子が捕まって殺されるのだけど、実はそれは権四郎の孫息子だったわけで、権四郎も自分が連れて逃げたのが自分の孫息子ではないと後で気づくのだけど、取りあえず自分の家に連れ帰る。いつか駒若丸一行の誰かが、自分の孫息子を連れて探し訪ねてきて、2人の子供は無事にそれぞれの家に戻れると期待しながら。

 

 権四郎の孫息子が駒若丸と勘違いされて首を斬られるところは草葉の陰でやるのだけど、斬り取った首を追手が掴んで「駒若丸の首、討ち取ったり!」みたいな感じで花道を勢いよく去っていくので、かなり陰惨な印象を覚えるんですよね。

 なので「逆櫓」では、駒若丸の家の腰元(菊五郎⑧)が尋ねて来て「孫息子が誤って殺された」ことを知った権四郎のいたたまれない気持ちが伝わってきて「その子は木曾義仲の嫡子。その身代わりとなって孫息子が死んだのは名誉と思え、だからその駒若丸を早くこちらに引き渡せ」みたいなことを言う兼光(幸四郎)の言い分が残酷に思てしまう。

 

 そんな訳で、「大津宿屋」の最初から「逆櫓」の最後まで出ている権四郎の役割や存在が際立ち、しかもその権四郎を演じた又五郎がとても良かったのです🎉 私には兼光ではなく権四郎がほぼ主役に思えたくらいです。大津宿屋の店先に現れた又五郎を見た時、ああ、立役の大きなお役をあまりやらないうちにいよいよ老け役になるのか……としみじみとしてしまったのですが、観ていくうちに、この老け役(権四郎)は大役なのだと分かりました。後で知ったけど、これは吉右衛門、二代目又五郎、歌六などが勤めてきていて、播磨屋が代々受け継いでいくお役なんですね。又五郎は情感豊かで、孫を思う気持ち、それを失った哀しみからの怒り、それらを堪えての気丈な振る舞いや忠義心など、重さがありリアルすぎず、時代と世話が程よくミックスされた演技で、とても心を動かされました🥹

 

 「逆櫓」から登場する幸四郎は、前半は敵の水軍にもぐり混むため船頭・松右衛門となって権四郎の娘(雀右衛門)の後婿として登場し、のちに実は木曾義仲の忠臣である樋口兼光だと正体を顕す。前半は柔らかさと控えめな態度がまろやかで、どことなく品性を伺わせる佇まい。後半の高潔な武将姿とその重厚さは絵柄として立派で、例の「権四郎、頭が高いっ!」は十分響いて良かったです。ただ、個人的つぶやきだけど🙇‍♀️幸四郎は声が細いので、張り上げるふうになると、力を込めているのだろうけど高音が強くなってしまう。声質だから仕方ないけど貫禄がイマイチ感じられなくて惜しいです。後半では兼光を襲うよう命ぜられていた船頭たちとの大立ち回り。櫓や「碇知盛」を思わせる縄と碇を使った派手な動きとか、六方で花道から本舞台へ戻るとか、物見の松のシーンとか、実に楽しいです😊

 

 菊五郎⑧は駒若丸に付き添う腰元で、「大津宿屋」では駒若丸と権四郎の孫息子を挟んで両家族のやりとりに絡み、「笹引き」では駒若君を狙う追手たちと勇ましい立ち回りを見せ、「逆櫓」では駒若丸を探して権四郎宅を訪れる。で、菊⑧の見どころは立ち回りですね。刀を手に追手たちを薙ぎ倒す姿は美しくも勇ましく、追手たちはトンボをポンポン見せ、本人は怪我一つ受けずにその場を乗り気るのです、カッコい~👏 その父親役である錦之助は「大津宿屋」で追手にやられてすぐ退場。見せ場がなくて気の毒だし、ちょっともったいな😔

 「大津宿屋」「笹引き」が付いたため、全体的に親子の情とか主への義理だてとかで涙を誘うシーンが多くなり、個人的にはちょっとそういうの苦手なんだけど、目に楽しい立ち回りがあるおかげでダレずに観られて助かったって感じです😅

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出/美術/上演台本 河内大和

河内大和/真以美/萩野崇/エミ・エレオノーラ/横井翔二郎/土屋神葉/笠井日向

 

 河内大和さん主催のG.GARAGE///(ジーガレージ シェイクスピア道カンパニー)の舞台です。奇を衒ったような大胆な脚色ははなく、予想してたよりも割と正攻法の演出でした。

 

 ネタバレあらすじ(長い🙇‍♀️)→シチリア王レオンティーズ(河内大和)とその妻ハーマイオニ(真以美)には幼い息子がおり、妻は2人目を妊娠中。王は幼馴染のボヘミア王を招いていたが、彼は妻とボヘミア王が不倫をしているのでは?と疑いだす(実際にはそのような関係ではない😞)。身の危険を知ったボヘミア王は急遽ボヘミアへ帰り、レオンティーズは妻を牢獄へ監禁。妻は獄中で娘パーディタを産む。レオンティーズはその娘をボヘミア王との子だと思い込み、家臣にどこかに捨てくるよう言う。幼い息子は傷心で亡くなり、妻もショックで死亡したと侍女が告げる。自分の勝手な思い込みによる罪を知ったレオンティーズは深い後悔に苛まれる。一方、家臣はパーディタをボヘミア領内へ捨てる。

 16年が経つ。パーディタは羊飼いに拾われており、ボヘミア王の息子フロリゼルと恋に落ちる。父王に結婚を反対されたフロリゼルはパーディタを連れて、父王の幼馴染であるレオンティーズを頼ってシチリアへ駆け落ちする。そこでパーディタはレオンティーズの娘であると判明し、王はパーディタとフロリゼルとの結婚を認める。侍女はハーマイオニの彫像を造らせており、今それが完成したことを知らせる。彫像を見たレオンティーズはそれが本物である(妻は実は死んではいなかった)ことを知り、夫婦と娘パーディタは16年ぶりに親子の再会を果たす。おわり。

 

 レオンティーズの脳裏に一瞬浮かんだ「妻と親友は不倫しているのでは?」という小さな疑惑、そこから疑心暗鬼になり、妄想が妄想を生んで膨らんでいき、最初の疑惑は確信に変わり、親友も妻も生まれた娘も憎くなり自分の前から消し去ろうとする。家族も友情も崩れ、結局はその本人が孤独の闇の中に閉じ込められる。最後は丸く収まったように見えるけど、失った人(幼い息子や熊に襲われた家臣)や年月は戻らない……というビタースイートなお話です。私たちも普通に犯しがちな、人間の愚かしくも悲しい習性をドラマティックに描いている。

 

 タイトルは「冬の夜に語られる荒唐無稽で幻想的なお話」のことで、イギリスでは古くから、寒くて長い冬の夜に暖炉の火を囲みながら不思議な物語を話して聞かせる慣習があったらしい。本作の序盤でハーマイオニが幼い息子に「何か楽しいお話をして」と頼むと息子は「冬のお話は怖いのがいいんだよ」というシーンがあります。

 舞台の中央に円形の白い布が敷いてあり、舞台の四隅の天井からは白い幅広帯状の布が垂れ下がっていて(この白い垂れ布の意味がちょっと不明💦)、1幕のシチリアのシーンでは舞台後方に粉雪がずっとハラハラと降っていました。衣装は和テイストで、それに準じてなのか、正座したり床に頭をついて懇願したりと、座って演技するところが結構あった。

 

 割とオーソドックスな演出ではあるけど、もちろん河内さんなりの味付けはありました。それが「時」の存在。冒頭と終盤のほか要所要所に「時」が登場して舞いを見せるのだけど、それが、時の流れ=優しく、そして残酷に人間の運命を操る存在に見える。

 1幕の最後で、赤子パーディタを捨てに行った家臣が熊に襲われて食べられるという、びっくりなシーンがあるのだけど、そこも「時」が熊のお面を顔に掲げて臣下の背後に現れるという見せ方でした。これは今まで見たことのない演出でとても面白かった。実のところ「冬物語」を観るたびに、熊に襲われて死ぬという理不尽&不条理な臣下の顛末の意味が分からなくて、パーディタを捨てるのは王の意思・命令であって臣下は何も悪くないのに😖……と思うのですが、今回は「時」がそれをすることで、強い無常感を覚えました。最初、それは「時」ではなく「死神」にも見えたし。

 もう1つ印象に残った演出はラストです。家族3人が再会を果たした後(原作戯曲にはないシーンとして)ハーマイオニと娘パーディタが床に座り、ハーマイオニが1冊の本を開いて娘に読んで聞かせるのです。この本は最初の方で幼い息子が読んでいる本だったんですよね🥹そしてそこに「時」が現れて踊り、幕でした。とても感動的な絵柄でした。

 

 シーンカット部分では、ボヘミアの場面に現れる詐欺師オートリカスを登場させないのはプロットがスッキリして正解だった👍 また、熊に襲われた臣下の妻がハーマイオニの侍女なのだけど、戯曲ではレオンティーズがその侍女を別の忠臣と有無を言わさず結婚させるという、文字通り余計なお世話🙄をするのだけど、そこもバッサリとカットしてあるのもよかったです。

 

 レオンティーズの河内大和さん、妻とシチリア王が楽しそうに語ってるのを後方でチラチラ目撃しながら、表情がどんどん硬くなり目に怒りが現れていくところ、他者に有無を言わせない暴君味、疑心に囚われ自分の内側に閉じこもっていくダークな雰囲気、妻と息子を失ってから自分の過ちに気付いての絶望感と自分がしでかしたことにおののく脆さ、最後に再会した喜びで身体を震わせるところなど、レオンティーズという王のさまざまな面をとても繊細に表現していた。

 ハーマイオニの真以美さんは、夫に頭を下げる従順な妻ではなく、無垢と自信とで自分を律する女性であり、審判の席では身の潔白を毅然と述べることのできる聡明な面を見せ、とても説得力がありました。総じてとても良い舞台でした🎉

 

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