作 ウィリアム・シェイクスピア
演出 森新太郎
内野聖陽/川上友里/内田慈/清水くるみ/山路和弘/井之脇海/前田公輝/杉本哲太
10日前に芝翫の「リア王」を観たばかりですが、今回の森新太郎さん演出、内野さん主役の「リア王」は、それとは全くテイストが違う舞台でした、当然ですが。
特徴的だった点を挙げてみます。まず舞台美術。舞台の後ろと左右、三方がグレイの布で覆われている。終盤で、飛び散った血飛沫が跡を残さず下にスーッと落ちていくので、布ではなく、レインウェアなどに使うような撥水素材のモノなのかも。三方を覆うものを、板やアクリルなどパネルではなく布状のものにしたその意図は分からなかったです💦 舞台上には基本的に何もなく、シーンに応じてパイプ椅子や長テーブルなどを役者や黒衣(くろご)が出し入れする。
このように「背景」がないので、目の前の出来事がいつ、どこでの話なのかが特定されない。結果として人物が喋る言葉(セリフ)が「今」のこととして際立ってくるので、生々しい人の心、例えば欲望、怒り、残酷さ、辛さ、悲しさ、哀れみといった本質的な部分が剥き出しになる感じです。衣装も特定の時代や地域を連想させないものだけど、それぞれの衣装が次第に変化していくことで時の流れやその人物の状況の変化を想像できる感じでした。
そして、血による表現が際立っていました。森さんの演出は上述したようにいつも非常にシンプル&硬質なセットながら、その中に “毒” を入れてくるのだけど、今回の “毒” は「血糊」、血を視覚的に強調した「リア王」だった。一般的にはグロスター伯(山路和弘)の拷問シーンで血まみれにする演出は多いけど、今回のは、人の目を誤魔化すために自らを傷つけて血を流すエドガー(井之脇海)やエドマンド(前田公輝)、オールバニー公(和田正人)が刺されたときの胸や口からの血、天からドサドサと落ちてくる血まみれの死体(山積みになったそれは豚バラ肉の塊みたいだった😅)、そして、最後のエドガーとエドマンドの戦いでは黒衣がバケツに入れた血糊をドバッと2人にぶちまけていた。肉体的な傷の表れであるのと同時に、心を傷つけられた痛みの象徴のようにも見え、生きることの残酷さが突き刺さる舞台でした。
さらには、コーディリアと道化を同じ役者が演じたこと。研究者などの話で「戯曲が書かれた当時は、コーディリアと道化は同じ役者が演じたのだろう」というのはよく聞きますが、それを窺わせるようなセリフをシェイクスピアも書いている。私が、この2役を1人の役者が演じているのを実際に観たのは、近年では2024年の藤田俊太郎演出、木場勝己主演の「リア王の悲劇」で、原田真絢が2役を演じていました。
コーディリアも道化も、リアに現実の厳しさと真実とを突きつけリアの過ちや愚かさを諭させる役どころ。今回の清水くるみさんによる2役は、全く別人でありながら時々同一のように重なって見えるときもあり、とても良い2役だった。道化の定番的スタイルは、鶏のトサカのような「赤いトサカ帽」を頭にかぶっているのですが、今回、最後にリアは、中盤でいつの間にか居なくなった道化が残したトサカ帽を自分の懐から出し、死んだコーディリアの頭にそれを被せるんですね「俺の阿呆が死んでしまった……」と言って😢 上手い演出だなと感心しました。
リア王の内野さんは、翻訳が松岡和子さんだからなのか演出意図なのか、大仰な話ぶりではなく自然体でのセリフ回し。その抑揚が生々しくリアルなゆえに、善悪合わせ持つ人間味が感じられました🎉 前半ではキレ良く勢いをつけて歩き回り、2人の娘を汚く罵るのだけど、嵐の中を彷徨うシーンは、後方に映されるリアの影がどんどん大きくなっていく演出で、リアが自分の影に飲み込まれていくように見えた。そのあと内野リアは老いを見せていくのです。腰が少し曲がり歩幅が狭くなり、シーンが進むにつれて見るからに老人になっていき、ガニ股でヨボヨボと歩く。その姿は悔恨と悲哀の重荷を背負っているように見えたけど、不思議と「狂気」は感じられなかったな🤔 自らの愚かさを受け止めそれが引き起こした悲劇の大きさにおののき縮こまっていく姿は痛々しかった。盲目になったグロスター伯(山路和宏)との再会シーンで感涙でした😭
井之脇海さんのエドガーは、登場時は苦しみや悲しみもなく気楽に育った若造って感じで、疑うことを知らないボンボンが人生のどん底を味わうまでになる過程は痛ましい。その弟エドマンドは前田公輝さんで、星が決めた運命に逆らい野心を燃やしていくところは清々しいくらい。ゴネリルとリーガンに惚れられるのも納得の色悪っぷりでしたね。
そのエドガーとエドマンドの父であるグロスター伯も、リアの写し鏡のように、息子たちに暴言を吐き真実を見抜けず愚かな行動をとるのだけど、山路さんの、クールな雰囲気を封印した人間臭い老伯爵がまたしみじみと良くてねー😢 両目を失った彼が、手を引いてくれるエドガーの顔を手で触り、息子だと分かったときの一瞬の動きがとても良くて、胸に込み上げるものがありました🥹
川上友里さんの長女ゴネリルはその言動に年長らしい説得力と強さがあり、内田慈さんの次女リーガンは姉と妹に挟まれて育った娘らしい気楽な奔放さが見られた。「おや?」と思ったのは、冒頭の国土分割のシーンで、父リアに勘当された三女コーディリア(清水くるみ)を2人の姉たちが抱きしめたこと。コーディリアが姉たちに「先ほど誓った言葉どおり父を大切にしてあげて」と言う皮肉めいたセリフはカットされ、なので姉2人がコーディリアに浴びせる冷たいセリフもない。3姉妹はもともと仲が良いんだというのを見せているのね。国土分割、年取った父親の面倒、若い男(エドマンド)の登場などを経て姉妹の絆が切れていくことにしてあったのも興味深かったです。そんな感じで、ちょっとずつ演出家や役者たちの独自性が見られる舞台でした。









