明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

巳之助/右近/新悟/橋之助/辰之助/染五郎/緑/玉太郎/権十郎/幸四郎

 

 8月の歌舞伎、観るのはこれだけです🙇‍♀️ 牡丹燈籠といえば “幽霊が燈籠を手に下駄をカラン…コロン…と鳴らして愛する人の元へ夜道を行く” としか知らなかったので、始めて歌舞伎「怪談 牡丹燈籠」を観たときは想像していたのと違っていて驚きました💦 主役は、焦がれ死にして幽霊になったお露(辰之助)と彼女に取り憑かれて死んだ新三郎(染五郎)で・は・な・く! それに関わった伴蔵(巳之助)妻のお峰(右近)だったのと、怪談としての怖さというより、人間の業と因縁とねじれた愛情が絡み合う怖い話だったから。

 

 今回の上演では、そこに、旗本・飯島平左衛門=お露の父(権十郎)後妻お国(新悟)愛人の源次郎(橋之助)の場も入れた「通し」で、この形で観るのは2011年以来ではないか? でも私の記憶に残っているのは同じ通しでも2007年の仁左さま伴蔵玉さまお峰という黄金の配役のときで(お露は七之助、新三郎は愛之助)、天井から降ってきた百両の小判を、玉さまが興奮気味に目をキラキラ輝かせニッコニッコしながら「ちゅうちゅうたこかいな」って数えるシーンが今も脳裏に焼き付いています😆

 

 今回のお峰は右近。右近の世話もの女房役って私は初めて観るかも。働き者で人情味があって(というか感情過多で😅)、夫の伴蔵も好きだけどお金も同じくらい好きという、気持ち良いくらいにスキッとした感じの女房だった。「百両くれるならお札を外してあげるって、幽霊に取引条件を出せば?」と悪知恵がキラッと働く感じとか、傑作。2幕では夫が酌婦(=お国)に入れ上げていると知って嫉妬と悲しみと夫への憎しみとでグチャグチャになるところに哀れさを感じました。

 三津五郎の当たり役とされる伴蔵は巳之助で、今回は「父のやり方で見せる」と言ってました。全体の演出もそうなのかな(今まで観てきたのと違うとこ色々あった)。伴蔵って、大金欲しさとはいえ妻に急かされて新三郎を死に追いやるわけで、小悪党というわけではないのよね。巳之助は、1幕では恐妻家気味の小心者(言い換えれば根は真面目)や、幽霊がらみではちょっと弱腰の感じが上手く出ていて、2幕で大店の旦那になり羽振りが良くなってからは威勢を張って羽目を外しちゃうとか、その変化の中に生身の人間臭さが感じられて、どうしても憎めないのでした。

 で、この夫婦、1幕ではコミカルな台詞のキャッチボールが痛快でそこに仲睦まじさが感じられたのに、最後には、伴蔵は「百両欲しさに幽霊と契約して自分のご主人さまを死なせてしまった」という自分の過去を思い出させるお峰が鬱陶しくなって殺し、そのお峰の霊に操られて伴蔵も川底に引き摺り込まれるという陰惨さ😰 そのシーンは「女殺油地獄」を思わせる殺しの様式美にあふれ、伴蔵が本水の雨の中ずぶ濡れであがくところも含め、リアルだけど型の美しさがあり「ああ、歌舞伎だなあ」って思いながら観ました。2人がいなくなった川縁、夏の夜の闇に2人の魂のように2匹の蛍が飛ぶ光景が余韻を引きずります。

 

 もう一つの転落カップルお国と源次郎。新悟のお国が男前で色っぽくて大変良かったです。不倫相手の源次郎が好きで好きで一緒になりたくて、だから「邪魔な夫の平左衛門を殺しちゃって」と源次郎をグイグイと煽るところ、見ていてスカッとするくらい😅 お峰もお国も「意気地が無い男の尻を叩く女」だけど、お峰はお金のため、お国は愛のためで、お国の方が思いは強く、そのぶん、邪魔者を殺すという悪事に対する罪の意識が薄いのね。平左衛門殺しをためらう源次郎に「今よ!さっさと殺しなさいっ」とけしかけるお国がもう “マクベス夫人” でした😆 2幕では最期まで源次郎一筋という思いを貫くお国が哀れで美しかったな。新悟にはこういう一途な悪女もっと演ってほしいです。

 橋之助の源次郎は芝翫も勤めたことある役なのですね。大川の船遊びのとこで、平左衛門を殺す悪巧みをお国と画策するところはそこそこワルに見えたけど、やはり端正さが勝っていたな。でも、その小悪党になりきれないヘタレ優男っぷりが1幕ではむしろハマっていたかも。お国に叱咤されて平左衛門を殺したあとのブルッと怯える姿が情けなくも滑稽。2幕の、おちぶれた男の方が橋之助はニンで、傷ついた脚をひきずり、お国に捨てられそうだと思い込み疑心暗鬼になって恨みが殺意へ変わっていくところは悲しい性(サガ)を感じました。

 源次郎とずっと一緒にいたいから、働けない彼に代わって酌婦として働くお国、その彼女に伴蔵が入れ込んでいるのを知って嫉妬に駆られる源次郎。2人とも相手への愛の強さは同じなのにそれが変にすれ違ってしまうのね😢 最後は、蛍に呼び寄せられるようにふらふらと歩くうちに(何かによって)刀で刺される源次郎、その彼を抱こうと近づき、突き出た刃先に被さる形になって死んでしまうお国。2人の最期は美しかったです。

 

 応援している若手のひとり玉太郎くん、今回は、1幕ではたまたまその場に現れたことで源次郎に殺される平左衛門とこの女中お竹と、2幕ではその妹で酌婦お梅の2役。いつも思うのだけど、綺麗なお顔だから女方もいいんだけど、わりと身長がある玉太郎くんには立役をやってほしい🙏 つっころばし系の優男とか品の良い若さまとか、ニンだと思うんだけどな。芸としてはまだ弱いけど、お役をつけてあげないことにはどうしようもないのですよね。役者は本舞台に立ってなんぼのものですから。

 

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監督 フィル・ロード/クリス・ミラー

原作 アンディ・ウィアー

ライアン・ゴズリング/ザンドラ・ヒュラー

 Amazonのプライム・ビデオで観ました。今年3月に映画館公開され、好評が挙がっていたので、どんなかなと思って。ナルホド、SFの硬質さと発想の意外性とエンタメとしての面白さが混ざっていて楽しめた🎉 ある任務で宇宙に行かされた人間が同じ目的の異星人と出会い、協力して目的を遂行していくお話です(↓トレイラー)。

 

 

 ネタバレあらすじ(長い🙇‍♀️)→宇宙で、太陽の光度を減少させる微生物アストロファージが見つかる。このままだと地球の温度は下がり続け人類の滅亡が危惧される。他の恒星にも同じ現象が見られる中、地球から12光年離れた恒星タウ星はアストロファージによる被害を免れていることも分かる。宇宙開発研究機関長官エヴァ(ザンドラ・ヒュラー)はその理由を調査するプロジェクトを立ち上げ、ヘイル・メアリー号でクルーを宇宙に派遣することに。中学校で科学の教師をしているグレース(ライアン・ゴズリング)は、かつて分子生物学の科学者だったことからクルーの1人にさせられる。他のクルーは宇宙航行の際の人工冬眠中に死亡し、グレース1人でミッションを遂行することに。

 宇宙船がタウ星に近づいたところで別の宇宙船と遭遇、乗船していた異星人は同じ任務を帯びていた。グレースは意思疎通ができる装置を造り彼をロッキーと名づけ、ヘイル・メアリー号に呼び入れて協力してミッションにあたることにする。調査の結果タウ星の惑星にアストロファージを捕食する生命体がいることが分かり、タウメーバと名付けたそれを集めてそれぞれの故郷の星に送ることにしてグレースとロッキーは別れる。

 1人になったグレースは、タウメーバが宇宙船の燃料を食べてしまうことを発見し、何とか自船でのそれを阻止。しかしロッキーの宇宙船も危険であることに気づき、戻って彼の宇宙船を追いかけ彼を救い出す。グレースはそのままロッキーの星に留まり、年月が過ぎた今、そこに住む子どもたちに科学を教えている。おわり。

 

 「ヘイル・メアリー」は「(ラテン語)アヴェ・マリア」の英語表現で、「聖母マリアへの祈り」を意味する言葉だそうです。そこから「マリアさま、どうかお救いください」→「最後の望みをかけた土壇場の試み」「運を天に任せてやってみる」、日本語だと「一か八かの賭け」みたいなときにも使われるようです。

 

 グレースとロッキーがどうやってミッションを成し遂げ、そのあと2人がどうなるか、お話はその一点に向かってまっすぐ進む。舞台が宇宙で相棒が異星人で任務はハードで、と中身は十分濃いのだけど、カラリとしていて純粋に物語として楽しめました👍

 そう思えた理由の1つは、地球上の人間に(権威を振りかざしたり私利私欲で奸計をめぐらしたりして任務を邪魔する)悪役が出てこないからかな。そういう余計な要素がないのでミッション遂行のプロセスに集中でき、物語がストレートに伝わってくる。また、地球に残した家族や恋人など “愛する人” とグレースとの感傷的なシーンが全くないのも良い。グレースのプライベートな過去話やエヴァとのやり取りには心の琴線に触れて感傷を誘うものもあるけど、それ自体は物語の展開に影響を与えません。

 

 もう1つは異星人ロッキーが、好奇心に溢れユーモアと知性と技術がある可愛い奴だったこと😊 彼は大きな石を集めて球形に固めた岩のような身体で、石を繋いだような肢が5本あり、人間でいうところの「顔とそれに付随する目鼻口」などが見当たらないという外見。体内から発する「音」で話し、グレースが教えた英語をものすごい勢いで学習していく。グレースはパソコンに音声認識翻訳プログラムを作り、ロッキーの発する音=言葉を英語音声に変換してそれを聴く形でコミュニケーションを取るのです。すごくよく考えられている👏

 人間が高度な科学的知識を持っているのに対してロッキー(とその星の生物)は工学技術がずば抜けて優れていて(ロッキーの宇宙船と比べるとヘイル・メアリー号がとてもチャチに見えた😆)、互いに足りないとこを補いつつ、彼らの間に理解と信頼と友情が芽生えていく過程がよくできています。

 

 グレースが、地球に帰還するチャンスを犠牲にしてロッキーを救いに戻るシーンは感動のクライマックスですが、その前には、グレースがタウメーバを集めている時に事故で気を失い、その彼をロッキーが自らの命の危険を知りつつも救出するドラマがあり🥹 そのことで2人の絆が強まるんです。最初の方でヘイル・メアリー号の他の乗組員が死んでしまいグレースが「独りは辛い……」と呟くシーンがあり、これは、のちに彼とロッキーが紡いでいくバディ物語の伏線的言葉だったのかな。

 

 グレースを演じたライアン・ゴズリング、物語の半分くらいはロッキーとのシーン、つまり一人で演じているわけだけど、ユーモラスな面とセンチメンタルな情の見せ方に人間味があり、適役でした。彼を宇宙に送り出したエヴァ役のザンドラ・ヒュラーもとても魅力的で、プロジェクトの責任者としての知性と統率力と勇気とで固めたような印象ながら、それがふとした瞬間に緩んで弱さや優しさを覗かせるあたり良かったな。

 

 映画「未知との遭遇」で宇宙人との交信に使った5音の音階(レ・ミ・ド・ド・ソ)が一瞬だけ流れたり、グレースが地球のスタッフにロッキーのことをビデオ報告する時「寄生する奴ではない」と映画「エイリアン」のパロディーか?って感じのセリフを言ったり😅往年の名作を観てきた者として思わずニヤニヤしてしまいました。

 

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作 近松門左衛門

監修/補綴 木ノ下裕一

演出/作詞/作曲 糸井幸之介

 

 木ノ下裕一さんが主催する「木ノ下歌舞伎」は、歌舞伎を現代に合わせた形で上演する “劇団” ではなくて、そもそも所属する役者や演出家はいない。木ノ下さんが古典演目の補綴(すでにある台本に現代的解釈を取り入れて、削除・加筆・再編集・構成し、上演台本を創る)と監修をし、その作品ごとに役者や演出家を招いて上演するプロジェクト、というか “制作土台” のようなもの。

 この「心中天の網島」の初演は2015年で、今回は3度目の上演だそうです。再再演されるくらいだから面白い!という人が多いのでしょうが、自分としては上演台本と演出において、ちょっとイマイチだったな🙇‍♀️

 

 まず演出について。私は木ノ下歌舞伎を観るのは今回で3回目ですが、木ノ下さんが独自に創り直した歌舞伎作品というのが核ではあるけど、演出家のカラーがかなり出るので、そこのところが合わないとダメなんだなということがよく分かりました。

 今回演出された糸井幸之助さんについて全く知らずに観たのだけど、その演出は “妙ージカル” という、歌とセリフでドラマを紡ぐ独自の手法なのだと、見終わってから調べて知りました。

 本作では、その場に登場しない役者たちがコロスとして出てきて、人物の心情や情景などを背景的に歌うのですが、その部分が割と長くて……💦 楽曲は浄瑠璃を元に書き下ろしたそうで、歌舞伎の中で義太夫節として聞く分にはあまり気にならないんだけど(ちゃんと聞き取っていないから……かな😅)ちょっとセンチメンタルが too much だった。ちなみに、衣装はもちろん現代服だけど、刀が必要なシーンでは腰に刀を差して出てくるとか、こういう時代のミックス表現は面白かったです。

 

 次に上演台本について。お話は歌舞伎の通りで、ものすごっく簡単に言うと「妻子ある治兵衛が遊女の小春と恋仲になるも、お金がなくなって会うことができなくなり、行き場を失った2人は(二転三転いろいろあって💦)心中する」というもの。セリフは現代の話し言葉風に書き換えてあり(シーンによって歌舞伎調になったりする)、時にはそこに新たなセリフやシーンを加えている。それは良いとして、私が気になったのは、治兵衛と妻の思い出シーンが作ってあったこと。これは歌舞伎には無いのだけど、もしかしたら近松の原作には似たような場があるのだろうか? 

 その流れとしては、小春が他の男に身請けされそうと知った治兵衛があまりに落ち込んでいるので、妻は、夫(治兵衛)が小春を身請けできるよう、自分がコツコツと貯めてきた貯金を全て夫に渡し、さらに「これをお金に換えて」と自分の衣服や宝飾品なども手放す。で、そこで2人の思い出シーンが始まるのです。中学時代にラブレターを渡すところ、プロポーズするところ、妻が出産するところ……と、ラブラブな2人が回想される。

 それ要る?🙄 物語の焦点がブレない? 治兵衛のスタンスが分裂しない? その時点で治兵衛はもう小春のことしか頭にないよね? だから治兵衛と小春が愛の道を失った末に心中するのはいいとして、上記のような治兵衛と妻の、過去の愛の日々を見せると、治兵衛の「どうしようもないダメ男の3倍増し」みたいなのは強調されるものの、治兵衛がなんだかよくわからない立ち位置になってしまうし、妻も何考えているのか分からない女だなあという思いが増し増しになるばかり

 

 もちろんそこに、理性や常識では割り切れない人間の悲しい性(サガ)や背負っている業(ゴウ)みたいなものが見え、江戸時代と現代が繋がるし、人の愚かさやクズ加減が滑稽味のある悲哀を持たせて描かれているのは興味深いです。でも、歌舞伎というフィルター越しではなく、現代にもありそうなリアルな話として観るとなると、そのあまりに強いセンチメンタルな感触は、自分にはちょっと合わなかった💦

 

 2人が心中する場に決めた網島の寺に向かって歩いていく “道行” で、その途中にある橋の名が次々と読み込まれている「道行名残の橋づくし」がコロスによって現代風の歌詞で歌われるところは名場面です。先に書いたように、歌の部分は長く感じてしまったけど、黒い舞台の床面に描かれた白い不規則な網目模様が水面の模様に見え、それはとても美しかったです。

 

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 ただいま何度目かの「観たいものが無い」ブラックホールに突入中😑 以前に観ていて割と満足した場合、キャスト違いでの再演があっても、もう観なくていいかな……となってきています。7月8月に限っても、観ようと思ったけど結局パスというのが多くて。そういうわけで、今回はAmazon提供のプライム・ビデオで観た映画の感想です(↓トレイラー)

 

 

監督 カイル・バルダ

ヒュー・ジャックマン/モリー・ゴードン/ニコラス・ガリツィン/ニコラス・ブラウン

 5月に映画館公開され好評だったので期待してましたが、それ以上に面白かった🎊 自分たちを養ってくれていたご主人さま(羊飼い)が殺され、羊たちが奔走して事件の手がかりを掴み、警察に提示して犯人を暴くというお話。割とちゃんとした犯人探しもので、羊の群れを通して人間社会の風刺も盛り込んである。羊たちは人間の言葉が分かり、羊同士も人間の言葉で会話をするけど人間にはメェメェとしか聞こえない、という前提です。

 

 ネタバレあらすじ→イギリス、のどかな村で牧羊業を営むジョージ(ヒュー・ジャックマン)は羊たちを家族として可愛がっており、仕事が終わると羊たちを集めて推理小説を読み聞かせるのが日課。羊たちもそれを楽しみにしている。かつて貧しかったジョージは妻を亡くしたあと幼い子供2人を養子に出していた(娘レベッカはアメリカへ、息子ピーターは南アフリカへ)。ある朝ジョージが毒殺死体で発見される😱 ティム巡査が捜査を始めるが、頼りない彼に任せてはおけないと、羊たちは独自に犯人探しを始める。村祭りの取材で外部から訪れていたルポライターのエリオットも協力する。ジョージは羊特有の病気の特効薬(←実はこれが事件解決の鍵!)を開発しその特許で莫大な資産を残していた。たまたま父と会うため村を訪れていたレベッカに不利な証拠がいくつか見つかり、遺産欲しさに父を殺したとして拘留される。しかし推理を重ねた羊たちは決定的証拠を掴む。真犯人は息子ピーターが変装していたエリオットで、レベッカを犯人に仕立てて遺産は自分がもらおうと企んだ殺人だった。釈放されたレベッカは父の牧羊業を継ぎ、羊たちに本の読み聞かせを始める。おわり。

 

 羊たちが殺人事件の手がかりを探していくのは無理がありそうだけど、ジョージに推理小説を読んでもらっているうちに、誰が犯人かを推理し合うほどに、羊たちは犯人探しのセオリーが身についているわけです。羊たちのセリフの中に、このあと起こる事件の解決のヒントが隠れているなど伏線もあり、物語はよくできています。

 

 羊たちの群れは人間社会の映し絵(縮図)として描かれていて、例えば偏見と差別かな。羊は一般に春に産まれるため、冬に産まれた子羊は “よそ者” として仲間はずれにされていて、その無視され方が結構リアル。人間社会のそれと重ねざるを得なくなる。で、いつも群れから離れてポツンといるその子羊が目撃したあることがきっかけで真犯人の糸口が見つかるという展開になっていて、もちろん最後はその子羊への偏見はなくなるのですけどね。

 同じく冬生まれで群れに馴染めない孤高の雄羊が、犬に襲われた仲間を助け、自ら傷を負って死ぬというシーンがあって、う~む、羊さんたちは1頭たりとも死なせないで欲しかったな😢

 

 もちろん飼い主のジョージはそんな冬生まれの羊たちを可愛がっていました。最後にレベッカが羊たちに読み聞かせる本(ジョージが書いた「ひつじの育て方」)の中の「羊はみんな同じと思われがちだが、一頭一頭、性格はまるで違う。優しい者、とっつきにくい者、利口な者、間抜け、内気、目立ちたがり……。羊はしばしば愛と無垢と平和の象徴とされ、彼らは人と同じく集団を大切にする……」という文が素敵でした。

 

 また「忘れないこと」の大切さも強調されていました。羊は苦しむようにできていないから嫌なことや辛いことは3つ数えて忘れる、という習性があることになっている。でも1頭だけ、過去の出来事を忘れることを選ばない羊がいて、そのことが事件解決の鍵につながっていく。忘れないことは現実から目を背けず真正面から受け止め、そのことを考えていくことだけど、同時に、亡くなった人を思い続けることでもあるのですね。

 

 ヒュー・ジャックマンが羊飼いとして実にいい味を出していました。ちなみに、彼が育てている羊は食用ではなく羊毛用なのですよ、もちろん👍 そしてティム巡査の間抜けっぷりが可愛かったな。演じたニコラス・ブラウンはサム・ロックウェルにちょっと雰囲気が似てました。犯人役のニコラス・ガリツィンは、やはりプライム・ビデオで観たブロマンス映画「赤と白とロイヤルブルー」に出ていたイギリス王太子役の人だった😊

 

 羊はすべて3DCGアニメでクリエイターが少しずつ動かして表情や動きをつけるという制作方法で、役者が羊と絡むシーンでは羊のパペットをスタッフが操り、役者はそれを相手に演技していたそう。羊の動きはもちろん、それに連動する光の受け具体や作られる影の完璧さ、そして羊たちの感情を表す繊細な表情の変化が素晴らしくて、そのリアルさに、本物の羊が演技しているとしか思えなかったです。

 ロケ地はイングランド南東部の田園地帯で、時間が止まったような美しい村 Hambledenや、周辺に広がるチルターン丘陵にある農場など。このように、穏やかな牧歌的風景と、殺人という陰惨な事件との対比の面白さを味わえるものを「コージー・ミステリー/心地よいミステリー」というらしい。


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脚本/作詞 ドン・ブラック/クリストファー・ハンプトン

作曲 アンドリュー・ロイド=ウェーバー

演出 ポール・ワーウィック・グリフィン

サラ・ブライトマン/ティム・ドラクスル/マイケル・コーミック/メアリー・マッコリー

 

 “あの” サラ・ブライトマンがノーマを演じる名作ミュージカル、観てきました。このプロダクションは2024年にメルボルンで初演→シドニーでの上演の後アジアツアーに出て、シンガポール→中国4都市→台湾を経て東京に来てくれたもの。サラは「キャッツ」以来ロイド=ウェーバーのミューズとなり、彼との結婚→離婚を経た後にソロ歌手として活動していて、今回は30年ぶりのミュージカル復帰だそうです。

 

 ミュージカル自体の初演は1993年ロンドンで、4年間ロングランしたのですが、私はその時期にロンドンで観まして、異常に感動してリピートしました。そのあと日本版(安蘭けい主演)も観た。で、今回のこれ、ミュージカルのシャワーを浴びました~🎊 サラはもちろんのこと、他のキャストもミュージカル俳優としての精度が半端ではなく、圧倒的な歌の力と、それによって物語を進めていく演技の力。自分としては久しぶりのミュージカル観劇ですが、こういうのを観てしまうと、日……以下自粛💦

 

 ネタバレあらすじ(知ってる人は多いでしょうが)→1949年、ハリウッド。売れない脚本家のジョーは、借金取りに追われて車で逃げまわり、サンセット大通りに建つ古びた豪邸へ逃げ込む。そこには、かつてサイレント映画で一世風靡した大女優ノーマ(50代)が、執事のマックスと共に暮らしていた。トーキーの時代になった今、人々から忘れ去られたノーマは銀幕への復帰を渇望している。ジョーが脚本家だと知り、自分のために脚本を書くよう頼んで、彼を屋敷内に住まわせる。ジョーは贅沢な暮らしと引き換えにその仕事を受ける。

 しかし彼は、脚本家志望の若いベティと組んで別の脚本も書き始めており、2人は惹かれ合っていく。外出しがちになったジョーを疑ったノーマは彼とベティとの関係を知り、2人の仲を引き裂こうとする。それを知ったジョーはベティに別れを告げ、同時に、ノーマとの仕事も辞めて屋敷を出ていくと決める。絶望したノーマはジョーを銃で撃ち殺す💥 屋敷に警察と報道陣が押し寄せると、マックスは、精神の均衡を失ったノーマに “映画撮影が始まる” ように思わせる。ノーマはフラッシュの光を浴びながら、階段を堂々と降りていく。おわり。

 

 最後のノーマの、過去の栄光に浸るかのような恍惚とした表情で階段を(警察と報道陣が待つ地獄の場に)降りていく姿が強烈に刺さりました😭

 

 これは、年齢的に第一線から外された老女優の話ではなく、サイレント映画からトーキーに移った映画産業界の変化に追いつくことができなかった役者の悲劇です。サラのノーマは歌っているとき両腕を振り上げたり振り回したり、と不自然なくらいオーバーアクションを見せる。私は最初、これはサラの演技の癖なのかなと思ったんだけど、いや、サイレント映画時代にノーマの身に付いてしまった演技表現なのだと思い直しました。サイレント映画ではセリフが入らないから演技が大袈裟になりがちで、いざトーキーになると、セリフ術が下手だったり声が良くなかったり、というのが分かって捨てられていったのですね😔

 彼女は大女優として君臨した思い出にしがみつき、時々その過去を追体験しているかのように目が宙を泳ぐ。「自分は大スターのまま変わっていない。映画界が小さくなっただけ」「カムバック(返り咲き、復帰)ではない、リターン(もといた場所に戻るだけ)よ」と、自分に言い聞かせてきたであろう言葉を口にする。でも「復帰したいけど立ち方を忘れているかも……」と怖がる本音も見せる。サラのノーマは少女のように純粋なままであり、繊細な儚さが感じられ、却ってそれらが狂気と背中合わせに見えました🥹

 

 ノーマに献身的に仕える執事のマックスは、元監督で、ノーマを見出し大スターに育て彼女と結婚して離婚したけど(これってサラとロイド=ウェーバーじゃん😅)、監督を辞めて執事としてノーマのそばに寄り添う人生を選んだという設定で、彼のノーマに対する愛情はちょっと異常だよね💦

 マックスは再びの栄光を夢見るノーマを静かに見守っているように見えるけど、ノーマの現役復帰はマックスの夢でもあるんだな。彼女が再び銀幕で輝く姿を見たいという彼自身の欲望。だから彼はノーマを現実と向き合わせず、過去の時間で止まったままの世界を保たせる。彼は今でも心底ノーマを愛しているのですね。ノーマとジョーが次第に親密になっていくと、マックスは室内の背景に溶けるように存在を消し(この演技がすごいのです)、2人がキスをすると顔をスッと背ける。切ない……😢

 ジョーを銃殺したノーマが階段を降りてくるラストシーン、マックスが報道陣に向かって「ライト! カメラ、スタート!」と合図するところは、元監督だった彼の最後の晴れ舞台でもあったのですね。演じたマイケル・コーミックがまたイケオジで、困ったー😊

 

 ノーマに捕獲され😅逃げようとするところを撃たれるジョー。ノーマが映画で演じたがってるのがオスカー・ワイルド作「サロメ」で、なぜこの戯曲なのかな?と思ってたんだけど、これ、2人の関係のメタファーなんだと分かりました。戯曲「サロメ」は「サロメが囚われの身である預言者ヨカナーンに惹かれ、彼が自分の誘いを拒み続けるので処刑させ、彼の首を所望してその唇にキスする」というお話。ジョーはノーマにとってのヨカナーン、ノーマ(=サロメ)に魅入られた餌食なのか。ジョー自身も「自分はヨカナーンのように囚われの身だ」とつぶやくし、ノーマは彼を銃殺した後「彼は降伏するような人ではなかった」とサロメのセリフを吐くのです。ノーマはジョーを殺すことで、「もう一度脚光を浴びる」という夢を手に入れたのか……、殺人者としてだけど。

 ジョー自身は、才能はイマイチだけど決して悪いやつではなくて、脚本家という夢を強く追うが故に心の緩みに落ちてしまう男。演じたティム・ドラクスルもそういう役にぴったりで、若さと熱量、軽薄さと真面目さをバランスよく出していました

 射殺されたジョーの遺体はプールに浮かんでるところを発見されるんだけど、ジョーは中盤で作品のテーマ曲ともいえる「Sunset Boulevard」を屋敷内のプールサイドで歌うのね。これはラストの伏線として上手い演出だなあと思いました。

 

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振付 貝川鐵夫

音楽 ドビュッシー、マスネ、ほか

米沢唯/速水渉悟/奥村康祐

 

 こどものためのバレエ劇場と銘打った作品で、お誘いを受けて観てきました。初演は2024年ですが、私は初見です。終演後に友だちとも話したのでそのまま書きますが、この作品の第一の観客はお子さまだから、まぁ、こんな感じでいいのかな。そのクォリティーを一般向けの普通のバレエと比較するのは酷なのかもですが、とにかく緩い……💦

 お話はアンデルセン「人魚姫」の複雑な部分を端折った形で進んでいくため、割とフラットな展開で、振付も特にハッとするような個性は感じられない。でも照明はとても良くて、特に深海の雰囲気や波の表現は美しかったです。

 

 原作童話では「人間の脚をもらう代わりに声を失う=喋れなくなる」のだけど、それを元々セリフのないバレエで表現するのは難しく、そのため人魚姫の悲哀さや皮肉味が際立ちません。大人向けの作品だったら、そこをバレエに適した形で変えられるだろうけど、例えば、踊り続けると息が苦しくなるみたいなハンディにしてもいいし(エラ呼吸の生き物だしね😅)、ノイマイヤー版では足が不自由でうまく踊れないという感じだったような気がする。でも、言葉を喋れないために、遭難した王子を救ったのは自分ですと伝えられない人魚姫、という悲劇でもあるので、そこは変えられないのか。そもそも、童話でのお話を知っているお子さま向けだから、無理に変えないほうがいいのだろうし。

 一方、王子と婚約者の結婚が発表される日の街の風景として、フルーツをめぐっての張り合いとか(「違いにこだわって争うのは止めよう」というメッセージが込められているそうですが、それ、この物語とは関係ないですよね)、新聞記者(これを、女性ダンサーが口髭を付けたメイクで踊る意味が分からない)の号外発布とか、けっこう長く見せていて、ちょっとダラダラ感ありました。必要なシーンだろうか?😑

 人魚姫と王子とのいくつかあるPDDシーン、古典バレエのスタイルではあるのだけど、これらも何か長いなと感じてしまった。ラスト、人魚姫と王子が海の中で愛のPDDを踊って幕。すでに泡となって消えた人魚姫が「楽しかった記憶の中の王子と踊る」幻想、願望ってことで、これは美しかったです。

 

 唯さんは、ある意味、予想通りの良さ。海の外の世界への憧れと好奇心、王子を見てときめく初々しさ、声が出ないもどかしさと悲しみ、恋を失ったショック、それでも彼を剣で刺すことなどできない悲壮感……ずっと少女のままで、お見事でした。

 速水さんは王子としての外見と雰囲気、バレエのテクニックは申し分ないのだけど、人物の内面の表現・演技は相変わらず苦手なのかな💦 2人の女性の間で揺れるところではお決まりの表情を見せるけど、王子の心的ドラマがあまり見えてこなかった。いや、そもそも本作品がそういう作りになってしまっているのか?🙄

 

 人魚姫に脚を与え、彼女を最後まで見守る深海の女王は奥村くん。それがなぜタコなの?と思ったけど、人魚姫に脚を与える魔法を使う存在として複数脚を持つタコにしたのか。そういえば人魚姫が「あなたのような脚がほしいの」と彼の脚を指差していた。奥村くんはその華やかさと、ポワントワークも含めたダンス表現や演劇的なコミカル味など出色でした。

 私は男性がコワモテ風の女性に扮してガバガバとコミカルに演じるのは好きじゃないのだけど(ファニーガラみたいのなら、そういうものとして楽しみますが)タコだから、ま、いいか😅です。でもこの役は女性ダンサーがやっても良かったのでは?と思うし、でなければ深海の “王” にすればいいのに。人魚姫を見守る=母的存在にする必要はないですよね。先に書いた、女性ダンサーが演じる男の新聞記者もそうだけど、わざわざジェンダーを変えてキャスティングする必要性が分からない。

 

 ところでアンデルセンはこの童話をフーケの1811年の小説「ウンディーネ」からも影響を受けたそうです。その「ウンディーネ」のお話を少し変えてバレエにしたのがアシュトンの「オンディーヌ」。(人魚ではなく)水の妖精オンディーヌと王子との悲恋で、都さんとエド・ワトソンのがDVD化されている。2009年の収録で、都さんはその翌年にロイヤルバレエを引退、ワトソンは30代前半で、彼は王子さまキャラではないので逆に貴重な映像です。

 

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 トリプルビルを観てきました。お目当てはローラン・プティ振付の「若者と死」です。ディスクや配信など映像では色々と観てきているけど、生では観たことなかったので。

 

「若者と死」振付 ローラン・プティ

山本雅也/オニール八菜

 これ、初めて観た時はちょっと心が震えましたよ。映画「ホワイトナイツ」ではバリシニコフが踊っていて(「女」はフローランス・フォーレ)、ずいぶん前だけど「若者」をヌレエフとパトリック・デュポンが踊るのを比べた映像がYouTubeに上がっていたなあ(遠い目✨)。

 パリの屋根裏部屋に住む若く貧しい画家が、訪れた「女=死」に翻弄され魅了され、彼女に促されるようにしてロープで自ら首を吊って死に、再び現れた女(髑髏の仮面を付けている)に死の旅路に導かれるというお話です。テーマは、若者が芸術家であることから「美と死」、究極の美を創造するための死への憧憬なのかなと。

 

 山本さんの「若者」苦悩する孤独な芸術家の焦燥感や渇望感などは踊りでとてもよく表現されていたと思う。山本さんはこれを2020年に上演する予定だったのがコロナ禍で中止になったという経緯があり、その時点でルイジ・ボニーノから表情や感情を徹底的に学んだと言っているので、役作りやダンス表現はある程度出来上がっていたのでしょう。

 彼を “死” へと連れていく「女」、八菜さんは初役だそうですが、同じくプティの「カルメン」「ランデヴー」は踊ったことがあるので、プティが求める役柄のテイストは掴めているのだと思う。官能性や残酷さは控えめに見えたけど、クールに迫っていた

 という感じで、それぞれは申し分ないんだけど、いざ2人が絡んでドラマが進んでいく段階になると、ケミストリーというか濃厚な空気があまり生まれていなかったような💦 若者が「死」に誘惑され、あらがいながらも拒みきれず、最後には飲み込まれていきロープを手にする……、そこまでの、見ていてゴックンするような、そういうのはなくて割ときれいにまとまっていたかな。作品の内容が内容だけに、初対面の2人としてはリハーサル期間がもう少し必要だったのかも。

 

 初演は1946年、プティ22歳の時だそうです。ひえ~、22歳でこれを創ったのか。「ランデヴー」もそうだけど、プログラムに「プティは “死と一体となった美女” に生涯を通じて魅せられた」とある通りなのですが、しかし、男が女に足蹴にされるとか突き飛ばされるとか、プティってマゾっ気あるよね😓

 

「サイド・ショウ」振付 ケネス・マクミラン

木下乃泉/山田博貴

 初演は1972年、マクミランが英国ロイヤルバレエの芸術監督になって始めて創った作品で、評価は、当初は賛否両論だったらしい。すごく分かる😅

 タイトルは「メインの出し物ではない/余興」の意味で、ここでは、男性はサーカスでの力自慢の芸人、女性は最盛期を過ぎたバレリーナという設定で、男性はマッチョ感丸出し、女性はミュージックホールで愛嬌を振り撒くような踊りっぷり。息が合わないのに合わせようとしながら踊るところが見せ場で、オフバランスの多用、タイミングやポジションのズレ、動きの誇張などがあり、相手を差し置いて自分が前に出ようとしたりと、技を見せつつも、ちょっとドタバタ喜劇風です。

 マクミランのこの手の、コミカル味を出した作品、「エリート・シンコペーションズ」にも見られるけど、ユーモラスなんだけど今やちょっと古臭さは否めません😑 そこを突き抜けてお洒落に見せれば味わいも増すのかな。今回は山田さんがそのあたりの吹っ切れ感が良く、素晴らしいテクニックで魅せてくれました。木下さんは「全盛期を過ぎたバレリーナ」には見えなかったな。

 

「ダイヤモンド(『ジュエルズ』より)」振付 ジョージ・バランシン

日髙世菜/石橋奨也

 正直言って、バランシンの作品って、どういうのが良いのか悪いのかよく分からなくて苦手です😔 今回のように全編を観られるのは貴重ですが、その中のPDDはガラ公演でよく観ますよね。いつ観ても、どれも良く見えて、感想はだいたい毎度「綺麗だった」で終わってしまう💦 むしろダメなやつを見てみたいくらいです。それも「これはダメなやつ」と言われても何がどうダメなのか分からないので、その辺を説明してほしいし。

 PDDに関しては、全ての宝石の中で女王のように君臨するダイヤモンドと、崇高なそれをエスコートするナイト(騎士)という風に見るものだと教えてもらいました。恋人同士に見えてはいけない、と。今回はどうだったんだろう。日髙さんも石橋さんも良かったし(といつもの感想🙇‍♀️)群舞の図形フォーメーションは綺麗だった、特にラストね。

 

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著 北村紗衣

刊行 書肆侃侃房

 

 英文学者/イギリス演劇の研究者の北村紗衣先生が、サバティカル(大学などの教員に与えられる、研究のための長期休暇)でアイルランドのダブリンに1年間滞在し、その時の体験を綴ったエッセイ本です。地元の食べ物や祝日など生活習慣、映画や演劇や文学などの話の他、アイルランド以外の地に出張した際の体験も書かれていて、大変おもしろかったです。

 タイトルに「素面(しらふ)」とあるのは、アイルランドはギネスビールやアイリッシュウィスキーが有名な「お酒の国」だけど、北村先生はお酒が飲めなくて、でも、飲まずに素面でもダブリンは楽しめるよ、という気持ちを込めたそうです。

 私自身は、アイルランドの歴史や文化・文学にはとても興味があるのに、一度も行ったことがないのですよ。死ぬまでに絶対に訪れたい国なんだけど「いつでも行けるから」という気持ちが先走り、旅行のキッカケが掴めず先延ばしになってしまっている😓

 以下は、書かれていた中で個人的に心に残ったことやその関連で思ったことなどです。一部、本文からの引用文もあります🙇‍♀️

 

●イギリスがEU離脱したことで「EU加盟国のうち、英語を公用語とし、国民の大半が、第一言語として普段から英語を使う環境で暮らしている国は、アイルランド共和国だけ」という指摘に「あ、そうなのか」と改めてビックリ。ちなみに、アイルランドの公用語はアイルランド語と英語ですが、EUに公用語として登録しているのは英語ではなくアイルランド語なのだそうです。アイルランドは長い間イギリスに支配されていたので(1937年に事実上の独立)、言語の問題はその歴史的背景から、かなり複雑なんですよね😔

 

●それと絡めた話で、アイルランド語に英語を混ぜたラップ音楽を出しているヒップホップトリオのニーキャップのことも。彼らの歌詞は「過激で反体制・反権威主義的」。その彼らの結成までを描いた2024年の映画「KNEECAP ニーキャップ」を紹介していて、私も観ましたが、シリアスだけどユーモアもあり、すごく面白かったな、と思い起こしたり。

 

●演劇関連で「あー、これね……」と思ったのが、クリスマス時期の定番として催される「パント」というエンタメ舞台。これはイギリスでも定番です。お芝居に、セリフのほか歌やダンスなどを組み入れた、親子で楽しめるコメディーショーなんだけど、お約束のひとつが、ベテラン男優がド派手な衣装とメイクで女性役を演じ笑いを取るというやつ。19世紀のショーの伝統だそうですが、私はこれがホント嫌いでなー😩 大柄な男性が女装してドタバタと演技して笑わせるの、面白いとは全く思えない。バレエではアシュトン版「シンデレラ」の母親とアグリーシスターズや「リーズの結婚」の母親シモーヌなどがそれ。ミュージカル「マチルダ」の女校長先生もそれなんだけど(私はロンドンで観た)、日本版では若手イケメン男優がやっていて、それはそれで違うだろう?と思いましたけどね😓

 

●演劇では他に、ショーン・オケイシーの「銀杯」に触れていました。日本でも上演されて私も観ました。お話の背景は第一次世界大戦で、そのころアイルランドはイギリスの一部だったため、アイルランド人はイギリス軍の一員として徴兵され多くの人が亡くなったんですよね。反戦メッセージ性の強い芝居なんだけど、ず~んと重く救いようのないお話で好きになれなかったのを思い出しました。

 

●アイルランド人が生んだ非アイルランド人キャラクターで最も有名な人物ということでブラム・ストーカーの「ドラキュラ」に登場するドラキュラ伯爵についての話もあり、面白かった。ドラキュラは「不在地主だ」という解釈、イングランドの支配下にあったアイルランドの歴史を知っていると「ナルホド、そうか!」となる。

 それとは関係ないけど、ブラム・ストーカーとオスカー・ワイルドは学生時代からの知り合いで(2人ともダブリン大学トリニティー・カレッジ出身だけど同級生ではない)、ひとりの女性を巡って恋のライバル関係にあったんですよ。結局その女性はストーカーと結婚し、ワイルドは失恋したのです🥹

 

●アイルランド共和国ではなく、イギリス連合王国を構成する地域の1つ北アイルランドの町デリー(アイルランド人はデリーと言い、イギリス人はロンドンデリーと言う)に行かれた時のことも書かれています。私は、前述したように、アイルランド共和国には行ったことないけど、北アイルランドのデリーは訪れたことがあります。この街にはイギリスとの抗争の歴史とその傷跡が生々しく刻まれ残っており、そのことを思い出しました。

 

 アイルランド島の歴史を知ってしまうと(ウェールズもだけど)、それらの地域や人々に対してイギリスが歴史的にやってきたことの酷さが浮き彫りになり、基本、イギリス贔屓の自分としては、いたたまれない気持ちになります。とにかくアイルランド共和国には行かねばなーと、この本を読んで思いを新たにしました(いつになることやら……💦)。

 

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 夜の部は團十郎が座頭となっての座組、配役も團十郎の思いがこもっているようで、それがまた大変良い具合です。松竹さんは最近、染五郎、團子、辰之助をセットで売り出していて、実際、集客も良いのだろうし、3人はどんどん力を付けていくと思われるけど、その煽りを食った同世代の役者さんも大勢いる。團十郎はそうした若手役者たちのポテンシャルに期待をかけ、力を伸ばすべくお役を付けてあげてるの、偉いと思います。

 

 

 

「鎌髭」

福之助/右團次/虎之介/廣松/男寅/市川右近/九團次

 私の好きな、おおらかでユーモラスで豪快で派手で様式美も楽しめる荒事。1774年に四代目團十郎が初演した時の台本は失われており、当代團十郎(海老蔵時代)と父十二代目團十郎が、これまでほとんど上演されていなかった歌舞伎十八番の景清もの「関羽」「鎌鬚」「景清」「解脱」を復活させたいと構想を練っていたらしく、平家の残党、悪七兵衛景清のお話を描いた通し狂言「壽三升景清」として再構成、十二代目亡き後2014年に上演が実現しました。私はそれ観ましたが、面白かった記憶がある。

 今回はそこから「鎌髭」だけを独立して上演ということで、通しのと比べると最後を少し変えてあった。景清に髭を剃ってほしいと言われた敵が、剃ると思わせて景清の首を鎌で掻き切ろうとするんだけど、景清は不死身ゆえ斬れませ~ん😆ていうお話で、最後、景清はわざと縄にかかり(頼朝を暗殺するために?)都に向かう

 本来なら自身が勤めてもよい景清を若手に託す團十郎。福之助と鷹之助のWキャストで私は福之助の回を観ました。今年1月に團十郎を座頭とした新橋演舞場での「鳴神」もこの2人のWキャストで、若手に真ん中を勤めるチャンスをあげる團十郎、立派👏

 で、今回の福之助の景清鷹揚で豪傑で大変よかったです。重みはまだないもののその分凛々しさがみなぎり、セリフは歯切れ良く、大きな盃でお酒をゴックンゴックン飲むところも楽しげ。後半は、ド派手な衣装に百日鬘と大量の長いシケというヘアスタイルで登場。隈取もよく映えるし、紅隈の中に青い隈が一本入っている、その青の持つ翳りが福之助の雰囲気と合っている。奴たちとの立ち回りがおおらかで楽しいです。

 景清を討ち取りたい三保谷四郎は右團次で、大鎌を手にした姿は威圧感があった。猪熊入道の虎之介はおどけた演技が上手く、福之助とは同級生らしくて、呼びかけても無視されたんで「むねお~(福之助の本名の宗生)同級生だろ~」って笑いをとってました😆

 

「神明恵和合取組」め組の喧嘩

團十郎/扇雀/歌昇/歌之助/右團次/新之助/芝翫/男女蔵/種之助/幸四郎/梅玉

 團十郎の辰五郎はすでに何度も勤めていることもあり、お役がすっかり板についていて、團十郎なりの鳶頭でした。正直なところ、辰五郎といえば菊五郎7というイメージが強いので、もう少し軽い雰囲気の方が江戸っ子の粋が出るのでは?とは思う。最初のところはちょっと幡随院長兵衛と重なったりもしました😓 でも團十郎の持ち味としての重さやほんのり悲劇性を感じさせるところが逆に男気を感じさせたりもします。喧嘩っ早い鳶たちを諌める言葉には有無を言わせぬ圧があり、力士への怒りをグッと溜め込むときに見せる凄みもいい。女房がお酒を飲んだところで、それを「別れの盃」とし、手を硬く握りしめて覚悟を決めるところで少し切なくなりましたよ。 

 鳶たちの顔ぶれもずいぶん若くなっていて、ここにも團十郎の、若手役者に経験を、という思いを感じます。例えば歌昇、歌之助などが威勢の良さを見せる。歌昇は他でも活躍しているので、私は歌之助が目立ったお役でいい演技をしているのが嬉しかったな。軽やかな所作やセリフ回しで、喧嘩っ早い血気盛りの江戸っ子火消しがサマになっていた

 力士の方は、四ツ車が芝翫九竜山が男女蔵で、2人の役者としての大きさでもって芝居を盛り上げてるし、辰五郎の兄貴分である焚出し喜三郎が幸四郎で、これは昼の部「時今也桔梗旗揚」で團十郎が幸四郎光秀にお付き合いしたのと対を成してる感じ。こういう要所要所の配役で舞台が締まって見えました。

 カンカンいや新之助くんも鳶の一人として出ていて、一番若い奴から水盃を、てことで、「よし!」って新之助くん、口に含んだ水をプップッと足に吹き付けるとこ、なかなか上手かったですよ👍 声変わりしていたし身長も伸びてたけど、意外にも身体がひょろっと華奢なのね。今後、荒事をやるにはもう少しガッシリしてたほうがといいと思うので、筋トレで体を鍛えてね~。

 で、ここでみんなが水盃するのは「死を覚悟して力士たちに殴り込みに行く」という決意の表れなんだけど、このあとの派手で賑やかな大立ち回りは見ていて楽しく、命をかけた喧嘩なのにニヤニヤしながら観てしまいました😅

 

「春興鏡獅子」

團十郎/市川ぼたん/新之助/九團次/家橘

 これは今年1月、新橋演舞場で同じ配役で観ましたが、今回の上演にあたって「ご好評にお応えして再演決定!」と銘打っているように、大変良かったんですよね。團十郎の前シテの弥生が本当に可憐で……。ちょっと前までは女方の舞踊だと團十郎は筋肉パンパンという感じで重く硬い動きだったけど、今回の弥生はしなやかで繊細、可愛らしいといってもいいくらいの踊りです。扇子の扱いは美しく決まるし、獅子頭を手にした途端に霊気が乗り移って操られていくところは真に迫ってた。後ジテの獅子の精の良さは言わずもがなです。華があり、その体幹の強さゆえ、毛振りのスピードを上げていっても毛先のラインはあまり崩れない。回転の回数を多くすることにこだわらなくなっている感じで、形の美しさが際立ちました

 胡蝶の精はぼたんちゃんと新之助くん。ぼたんちゃんサスガに所作がやわらかくて細かいところまで丁寧で形が決まる。新之助くんもそれに劣らず綺麗な踊り。ぼたんちゃんは年齢的に(7月25日で15歳)そろそろ歌舞伎の舞台には立てなくなるだろうから、親子3人での舞台はこれが最後かもと思うと、華やかな踊りなんだけど、ちょっとしんみりしてしまった。

 

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「時今也桔梗旗揚」(本能寺馬盥、愛宕山連歌)

幸四郎/松也/團十郎/米吉/染五郎/高麗蔵/扇雀

 武智光秀(=明智光秀、幸四郎)が公の面前で小田春永(=織田信長、松也)のネチネチとした陰湿ないじめに遭い、度重なる辱めを受けて怒り心頭に発し、本能寺の変を覚悟するまでのお話です。幸四郎の光秀、初役なんですね。野心家で熱い男というより、むしろ繊細で生真面目な武将に見えました

 

 春永に蟄居を命じられていた光秀が花道を神妙な面持ちで登場し、春永に対面を許される。会っていきなりあれやこれや嫌味を言って意地悪する春永に対して、ひたすら平伏し堪える様子を目の動きで見せる幸四郎。例えば、飲めと強要された酒が馬盥(馬の体を洗うための大きなたらい)に注がれているのを見たとき、ギョッとして目を見開くけどすぐに目を閉じて怒りをグッとこらえ飲み干す。心の動き、声無き怒りを伝える繊細な演技です🥹

 極め付けは、貧しかった頃、客人をもてなすために光秀の妻が髪を切って売りお金を工面したことがあったのだけど、その時の切り髪を春永が手に入れていて、ここでそれを光秀に「プレゼントした」こと。妻にそこまでさせるのは武士としての恥。皆の前でそれを暴露され、幸四郎の顔が屈辱と怒りで歪んでいく😖 煮えたぎる感情を見せた瞬間でした。花道に出たところで怒りに染まった顔に変わり、荒々しい足音を立てて帰っていく幸四郎。ここで謀反(本能寺の変)の覚悟を決めたのだろうけど、爆発的な殺気の表情にしないところが幸四郎らしいなと思った。

 

 松也の春永は、格というか威厳はちょっと薄味だけど、颯爽とした姿には武将らしい気品も見えました。低く抑えた声には重みがあり、光秀を強要し攻撃し愚弄し嘲笑し、というパワハラ上司っぷりが結構サマになっていて実に憎たらしかったです😅

 最後の最後に登場する御注進役(四王天但馬守)の團十郎が立派(すぎた😆)。滅多に見られないであろう幸四郎と團十郎が並んで絵面の見得を決める幕切れが、何気に豪華すぎて思わずニヤニヤしてしまうレベルでした~🎊

 

「御浜御殿綱豊卿」

仁左衛門/幸四郎/歌六/孝太郎/莟玉

 大石内蔵助に仇討ちの覚悟があるのか探ろうとする綱豊卿(仁左さま)と、それを悟られまいとする赤穂浪士のひとり富森助右衛門(幸四郎)のハラの探り合いドラマ

 いきなり申し訳ないけど、心の内までセリフにしてしまう、理詰めの真山青果の歌舞伎作品、本当に苦手です😔 例えば綱豊卿が新井勘解由(歌六)が居る席で「討たせたいのぉ、浪人たちに本望を遂げさせてやりたいのぉ……」という浪士への気持ちを吐露するセリフとか、最後、吉良と勘違いして討ち掛かった助右衛門を制した綱豊卿が「吉良を殺しさえすれば仇討ちが成るというものではない」と理路整然と諭すセリフとか、「歌舞伎」はそこまで具体的に心情を言葉で “説明” しなくても、と思うのです。

 

 しか~し、仁左さま綱豊卿はそのセリフに血と心を通わせドラマを立ち上がらせる。贔屓目で観ているからかもだけどね😊 仁左さまは綱豊卿を「浪士に対する愛情があり、上から目線でありながらも対等に考えようとする」人物にしているとおっしゃってます。実際、もう何度も勤められているこのお役、今回も深い洞察と浪士への温かい思いが窺えました。

 冒頭は酔態での登場ですが、気品がありながら、おおらかで愛嬌のあるセリフと表情、柔らかな物腰から甘い香りが漂ってくるよう。助右衛門の無礼な言葉に怒って立ち上がり刀をキリッと構えた姿が美しい✨ 最後の能装束姿の仁左さま、助右衛門が突き出した槍を桜の木の影に寄って避けた拍子に桜の花びらが上からハラハラと散り落ちる。その瞬間の写真、筋書に載せて欲しいです🙏 能のお役に戻っての引っ込みはいつ見ても惚れ惚れ~😍

 

 好きなシーンは、助右衛門の態度から浪士たちの真意を悟った仁左さまの、胸のつかえが取れたかのような安堵の表情から、ちょっと微笑みながら「そちはわしに憎い口をききおったぞ」と言うときの、助右衛門をからかい面白がっているようなところ。これは「だから、お家再興は願い出てやらないよ(仇討ちはできるぞ)」と言っているわけで、その裏の意味が分からない助右衛門は、次の場で焦って吉良を討とうとしちゃうのね。

 綱豊卿の真意を掴めないその助右衛門は幸四郎。このお役は仁左さまの胸を借りて何度も勤めているだけに、無骨で義に熱くまっすぐな男を完璧に演じてました。綱豊卿が「お家再興を願い出るつもりだ」と言うのを聞いて(そうなると仇討ちはできなくなるから)「それだけは……💦」と敷居を超えて綱豊卿に近付きひれ伏すところ、いつ見ても良いですね。

 

今回の観劇での雑感

動きが少なくセリフで見せる作品が2つ続く昼の部、3階を中学生の団体が占めていたんだけど(私が観たのは平日)、この2作を連続して観るの、中学生にはかなり辛いだろうと思うと気の毒だった。「歌舞伎って面白い」と思った人はいないのでは?😔 今月に限って言えば夜の部の方がだんぜん初心者向きなのだけど、学校行事として時間的に無理なのは分かる。荒事やケレンの多い作品が上演される月に観ればいいのにな。先生方もその辺はよく分からない人が多いのだろうか。

今回、私の横ひとつ置いた席の方がシャワシャワ素材の袋を膝の上に置いて観ていて、観劇中、役名と役者をチラシで確認したり、ペットボトルの水を飲んだりするたびに、その袋がシャワシャワガシャガシャと賑やかな音を奏でる😖 両隣はお知り合いらしいけど何も注意しないし、前席の人がその度に振り向くのだけど、そのおばさまは意味が分からないご様子。私は、言葉で注意すると反発くらいそうなので幕間に劇場スタッフに伝えたのだけど、次の開幕5分前にいつもの注意喚起アナウンスを流すだけ。それがおばさまの耳に入っていても自分のことだと気づくはずもなく、終演までずっとそれ。

「時今也桔梗旗揚」で幸四郎が死装束姿になり無言で覚悟を決める数分間、舞台も客席もし~~~んとしてピンと張り詰めた空気の中、突然、🎵ピリリリ、ピリリリ、ピリリリ……と軽やかに鳴り渡るスマホの着信メロディ~😩 十数回ご機嫌に鳴り響いてようやく止まった。

もうね、とかとか、ほんっっっっっっっとに勘弁してほしいです😡

 

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