作 ウィリアム・シェイクスピア
演出 長塚圭史
吉田鋼太郎/山西惇/石原さとみ/松岡依都美/矢崎広/藤原竜也/山内圭哉/吉田美月喜
辛口感想です🙇♀️ 自分の感性/好みと、演出家のディレクションや役者の演技とが合わなかったということで🙏 演出家さんと主役の役者さんが発表になったとき、あまり期待しないでおこうと思ったのだけどその予想は当たっていた。だったらそもそも観なければいいのだけど、シェイクスピア作品だし、もしかしたら面白いかもという期待もあったしね。
「彩の国シェイクスピア・シリーズ」で吉田鋼太郎さんが演出から外れたことにはホッとしました。彼は役者であって、演出家としては……💦 彼が主催・演出する劇団AUNの公演は面白かったんですけどねー。で、その彼から依頼されて本作の演出を引き受けた長塚圭史さん。長塚さんの作品はいくつか観てますが、自分のツボにあまり刺さらないのですよ(彼が主催する劇団阿佐ヶ谷スパイダースの舞台は未見)。
舞台上に、円形に褐色の土が盛ってあり、演技はほぼその上で行われる。その大地はリアの国土を象徴していると捉えたけど、同時に不毛であることも感じました。その後方の床に椅子が並べてあり、役者たちが控えている。盛り土の上にコーディリアが横たわっていて、その後ろにリアが立ちそれを見つめている。後方にいた役者たちが舞台に登ってくるとコーディリアも起き上がって役者たちと一緒になり、リアは後方に一旦引き下がり、そこから芝居が始まります。
プログラム内の演出家のコメントによると、この冒頭シーンは「リアが自分の辿った道のりを見つめている」ところで「冒頭から終わりまで、リアは自分が大きな過ちを犯してきた時間と向き合っている」らしい。これはプログラムを読まなければ分からなかったことで、それが分かるような演出にはなっていなかった(私が感じ取れなかっただけかもですが🙇♀️)。本編が始まってからも、後方の椅子には出番を待つ役者たちが座っているのだけど、それが意図するところもよく分からなかった。リアの脳裏で自分の過去が「芝居の形」で再現されていくという構成だからその登場人物が控えているのだとしても、あまりうまく機能しているようには思えなかったな。
演出自体は拍子抜けするほどオーソドックスで意外性はなく、演出家独自の解釈も感じられない。そのぶん役者の言葉の力で引っ張っていく芝居だけど、総じて、作品に深みや味わいは感じられなかったです(←個人の感想です)。
リアを演じた吉田鋼太郎さんの演技スタイルは知っているから覚悟はしてたけど、案の定、ずっと怒鳴る&叫ぶのセリフ回しで辛かった😓 登場時は老齢の弱々しい男の感じだったけど、国土分割の段階になってコーディリア(吉田美月喜)のすげない返答を聞き、一気に傲慢で驕り高ぶった喋りになり、あとはずっとこの調子の、ガナリたてる喋り方だった。狂気を纏っていく嵐のシーンでは暴風のように声を張り上げ、目の前にいるエドガー(藤原竜也)に向かって話すだけなのに怒鳴り口調。このあとガクンと老人になるのでそれとの差異を付けるためなのかもだけど、とにかく熱いハイテンションのまま終盤に突入していく。1つのシーンや1つの長ゼリフの中でもう少しメリハリつけて欲しいなと思いながら観ましたよ。
コーディリアとの再会シーンになってようやくトーンが落ち、ホッとしたんだけど、ここからのリアはどういうわけか身体が小さくなっていて、その見せ方はサスガに素晴らしかったです。まさに「80の坂を超えた愚かな老人」だった。でも最後、コーディリアの遺体を抱いて登場したときはまた元気になって叫びちらかしてた😅 で、ここでコーディリアを地面に横たえ、冒頭のシーンに繋がるわけです。
リアは長女ゴネリル(石原さとみ)と次女リーガン(松岡依都美)に対して暴言を吐くのだけど、鋼太郎さんはこの調子で完全にDV化していて、そのためリアに何の同情も共感も覚えないのに対して、2人の娘が正当に見えてきました。実際、石原さんと松岡さんには自分の手で自らの立場を守り将来を切り開いていく強さがあった。まあ、清廉潔白な娘たちではないけど、そこは、この父にしてこの娘たちありですね😓
その2人をモノにし出世しようと企むエドマンドは矢崎広さんだけど、悪党っぷりや貪欲さや色悪の香りがちょっと薄味だった。ゴネリルとリーガンの陰に隠れてしまってたような。
リアに忠実なグロスター伯の山西惇さんがとても良かったです。山西さんがおっしゃっているようにグロスター伯とリアとは表裏一体。身勝手な父親で息子の本心を見抜けず裏切られ絶望する。プログラム内の配役紹介文に小見出しが付いていて山西さんのページには「“狂えなかった人” の人間臭さを」とあり「あ…そうか、狂ってしまった方が苦しみから逃れられる、ある意味、救われることもあるんだ」と思った。正気のまま悲しみを抱えて死んでいったグロスター伯の悲劇に涙しました🥹
観客の反応でちょっと驚いたのは、狂気に陥ったリアが頭に枯れ草をたくさん刺して現れたとき客席から笑いが起こったこと。また、リアに「この挑戦状を読んでみろ」と言われたグロスター伯が(両目をくり抜かれていたため)「読みたくても私は目がないのだ」と言ったところでも客席からドッと笑い声が。そこで笑うってどういう感覚なんだろう🙄 ここまで観てきて2人の運命に哀れさを感じないのだろうか? ドラマの悲哀が観客に伝わってないってこと? もし笑いが起こるとしたら道化のセリフのところだと思うのだけど。
ところがその道化(中山祐一朗)が全く印象に残らない存在になっていた。もう少しうまく見せられないものだろうかと思いました。あ、役者が悪いのではなく、演出の問題ね。道化はリアを映す鏡……ではないとしたら何なのでしょう? ただのおどけ者という捉え方なんだろうか。そういえば、狂って地に這いつくばったリアが土の中から帽子を見つけそれを被ろうとするんだけど、それは道化がかつてかぶっていた鶏冠つき帽子(に見えた)で、そこは上手く解釈したなと思いました。
う~む、鋼太郎さんが演じるシェイクスピア劇、悲劇ではなく喜劇で観たいなあ。それならいくらでもぶっ飛んでいいから。そういえば前回の「マクベス」での魔女役、最高でした。









