テムズ河の潮汐を眺めつつ -15ページ目

一時帰国のおみやげ配り

 

透に車の運転をして貰ってご近所のお世話になっているお友達に日本のおみやげの生菓子などを配って歩いた。抗がん剤の注射と点滴の日から4日目で外出する気になれるなんて過去の4サイクル中には考えられなかった。いや、3と4では最初は良くても4、5日位でどっと疲れた事もあったっけ。という事はまだ油断ならないけど。

 

Yさん宅では一緒においしい焙じ茶とお菓子を頂きつつおしゃべりした。もうすぐ4才になる娘さんが人懐っこく膝に乗って来る。かわいい!香蓮の小さな頃と見かけが似ていて人見知りしない性格も似ているよう。写真を撮ってくれたYさん、ありがとう。楽しくて15分のつもりが1時間もお邪魔してしまった。

 

モモちゃんとアカネちゃん

子どもの頃、家に『ちいさいモモちゃん』の本があった。きっと最初は親が読んでくれたのだろう。続編の『モモちゃんとプー』、『モモちゃんとアカネちゃん』も読んだがこれらは学校の図書室から借りて来て読んだのだと思う。

 

最近お友達が貸してくれた本の中に『モモちゃんとアカネちゃん』の文庫本があった。小学校の時に読んで以来、靴だけが帰って来るパパの話が心に残っていた。後年あれは夫婦不仲と離婚の話だったのではないかと気がついた。それを確かめる機会が得られて嬉しい。

 

読んでみるとやはり靴のくだりはパパの体は帰って来ても心はそこにない事の表現だった。ママが助言を求めた森のおばあさんは、パパはあるく木、ママはそだつ木でやどり木にはなれない木だと言う。パパにはやどり木のように自分の行く方向について来てくれる人が合っていて、ママのように自分は自分で仕事をして成長して行く人とは合わない。なるほどね。

 
1960年代に離婚や託児所の事を子ども向けの本に描くって先進的だった。松谷みよ子さんもまた強い人だったんだな。

 

 

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)

 

 

モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)

 

 

 
シリーズは第6巻まである。どうやら最後の巻ではモモちゃんとアカネちゃんのパパが亡くなってしまうよう。読んでみたい。そして子ども達に読んであげたい。ただ我が家の子ども達に全てを英語に訳して語るのはとても疲れる作業なんだよな〜。

 

 

 

 

病院のお昼

また1日中病院にいて抗がん剤の点滴と注射を受けた。髪の量が大幅に減っているのでコールドキャップがより冷たく感じる。キャップを始めて最初の数分は辛くてもう止めようかなと思った。でも髪の毛が少しでも残っていると日中にスカーフ無しでいても鏡に映る姿にぎょっとしないで済むんだよね。しばらくして耐えらる程になったのでキャップは外さなかった。

 

どうしてもコールドキャップをつけている時間にお昼がきてしまう。キャップを頭皮に密着させる為にアゴにバンドのついたカバーも被っている。このカバーのせいで口を開けるのも大変なのよ。最初の3周期位の辛かった頃の記憶で病院での昼ご飯の写真を見ると気持ち悪くなっちゃう。実際この所は点滴と注射当日もその後の数日も殆ど吐き気はないのに。

 

樹木希林さんの訃報を聞いて

樹木希林さんは『寺内貫太郎一家』というドラマで、寺内きんというお婆さん役で「ジュリー!」って叫ぶので初めて認識した。今調べてみたら1974年から1975年の放送だとある。私は3才から4才の時。ん〜、なんだか記憶よりも早い。小学生にはなっていたと思うのだが再放送を観ていたのかな。

 続いて郷ひろみさんとのデュエットの林檎殺人事件(1978年)とか、ユーモラスなやり取りのピップエレキバンやフジカラーのCMも覚えている。個性派女優としてその他数えきれない映画やドラマに出演されていて、永遠に年を取らないと思ったら出だしのお婆ちゃん役の時にまだ30才そこそこだったのね。

 

樹木希林さんの事を改めて面白くかつ賢い人だなと思ったのは、近年出演されていた『ぴったんこカン・カン』の番組を見てから。自由奔放に生きているように見えるけれどそれを日本で続けるのは相当の強さがないと出来なかったと思う。番組で1番印象に残っているのは「お子さん夫婦と良い関係を保つ秘訣は?」という内容の質問に対する「連絡し過ぎない、興味を持ち過ぎない。」という内容の答え。

 私は去年からテレフォン人生相談にはまり聞き込んでいる。息子や娘夫婦との折り合いの悪さについて悩む相談者への先生方からの回答は樹木希林さんの考えと一致している!もちろんたまには会って一緒に食事をしたりお誕生日とか入学卒業などの節目にはお祝いをしたりする。でも普段は息子や娘夫婦の方ばかり見ていないで、自分で趣味を持って自分を楽しませる方法を見つけましょうというもの。

 それ以来、ネットで樹木希林さんについて取り上げた記事を探して読んでいる。彼女の言葉を読むと、素晴らしい、なるほどな〜と思う。特に私はがんを患っているので彼女のがんについての考え方もとても参考になる。名言集が出たらきっと買って読む。それまでは信憑性がどこまであるかは不明ながらネットで探して読んでいる。

 

樹木希林さん、演技や言葉を通じて真実に生きるってどういう事か教えてくださってありがとう。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

最初の4サイクルの抗がん剤の処方後の休憩期間中の副作用と経過

はじめに

私の病気は腹膜転移のあるステージ4の胃腺癌(印鑑細胞癌/スキルス胃がん)で診断が出たのは2018年5月16日だった。余命は延命治療をしないと6ヶ月で、しても平均で12ヶ月というもの。HER2タンパクの検査結果は過剰発現無し。胃がんの他は健康。 運動不足で平日の夕食後にソファーで寝落ちはあったが、日常生活に問題なくフルタイムで働き家事育児も夫と協力してこなして来ていた。体型は日本だとLサイズ、イギリスだとS/Mサイズ。非喫煙者。

 2018年5月21日からECX抗がん剤治療で延命治療を受けている。薬の組み合わせはエピルビシン(Epirubicin)とシスプラチン(Cisplatin)カペシタビン(Capecitabine)。初日に病院で注射でシスプラチン、点滴でエピルビシンの投与を受けて、翌日日から3日は自宅で各種の吐き気止めと共にカペシタビンの錠剤を朝食と夕食後に服用する。4日目以降最終日の21日目まではカペシタビンの錠剤のみを朝食と夕食後に服用する。

 2018年8月12日をもって最初に処方された1サイクル3週間x4の抗がん剤治療が終わって休憩に入った。2週間国内で待機してスキャンと医師の診察を受けてOKが出他ので8月末から3週間の間日本に一時帰国した。

 

8月13日から15日

これまでの治療を続けるとしたら13日にまた抗がん剤の点滴や注射を受けるタイミングだ。でも休憩中なので無し🎵。無いのになぜかエネルギーが低く体が怠い。実家から送って貰ったヨックモックのラングドシャ、ドゥーブルショコラオレをかじってエネルギー補給。

 それでも家計の引き渡しの最後の一押しをした。夫名義の口座の不必要になった振込みを消して新しく作った口座群への振込を設定した。自分名義の口座も同様にして私が意識がなくなっても生きている間は自動的にお金が回り当座預金と定期預金で高い金利を稼げるようにした。私が死んだらこちらの口座群は全て一時停止になるけれども夫が当座必要になるお金は彼名義の口座にあるから大丈夫。手続きが済んだらこちらのお金は教育費とか家の改装とかの紐は付いていないので自由に使える。落ち着いたら3人で気晴らしにホリデーにでも行くのに使って欲しい。

 

8月16日

1週間ほど前から薄々気がついていたがやはり所々眉毛が抜け始めている。そろそろ欠けた所を書き足さないとおかしい。眉毛は立派な方でこれまで書き足した事がないのでアイブローパウダーを買いに行かねばならない。まつ毛はまだそんなに減っている感じはしない。

 お友達に会ってお茶したらなんだか家にいるより元気になった。

 

8月19日

抗がん剤の錠剤を服用しなくなってから1週間経つが影響はまだ残っているのか、髪の毛が抜ける量が増えた気さえする。それと足の裏の全体的な黒ずみとシミは相変わらずある。左右とも小指とか指の腹に当たる所の皮がむけた。痛みも痒みもないけど。これも抗がん剤の副作用なのかな。

 

8月20日

スキャンを受けたがCT検査なのかPET検査なのか分からない。多分CT検査だけどPET検査の時のような造影剤を血管に入れられた。PET検査の時は入れた後に待機時間があったしもっと厳重に隔離されていたし。やっぱりCT検査だったと思う。もうすぐ主治医に会うのでその時に分かるだろう。結果は聞くまでもなく抗がん剤は効いているのだと思う。

 検査の4時間前までに朝食を済ませてその後は水やお茶なら飲んでも良いと言われていた。美容院に行くのに外に出ていたので水を飲まずにいたら検査前に少しは飲んでいた方が良いと1リットルの水を渡された。15分位かけて飲んだら教えてと言われた私は検査を早く終えて昼食の約束に出かけたかったので5分位で一気飲み。

 最初のコップ2杯は喉が乾いていたのでおいしかったけどその後は3杯は義務感で飲んだ。飲んですぐに知らせのになぜか30分声がかからなかった。おかしいと思って聞いたら一気飲みした場合は胃の上の方に貯まっちゃっているから30分位待った方が撮影の結果が良いそう。あれ〜、早くと思ったのに裏目に出た!

 

この日は朝9:00からヘアカット、CT検査、お友達とランチ、カフェに移動してデザートで17:00頃に帰宅した。大忙しでも結構スタミナが続いて喜んだがやはり帰宅してから疲れて寝落ちした。22:00に起こされてベッドに移動してまた朝まで寝た。

 

8月21日

昨日の疲れが残っているよう。こんなんだと日本でも1日元気に観光できても翌日は休憩にする必要があるかな。少なくとも今までよりは頻繁にオフの日を設定しないとダメかも。今日は疲れている中でも日本大使館に出向いて在留届のコピーを発行して貰い、その足で現代トラベルまで行ってJRパスを発行して貰った。日中の気温はせいぜい27度程だったはず。それでも日の照る中歩いているとスカーフを巻いた頭が暑くてふらふらした。

 そして私の握力が落ちているかもしれないと思う出来事があった。スーパーマーケットでアプリコットのデーニッシュをトングで取って袋に入れようとしたら床に落とした。家に戻ってから夕食時に棚からお皿を取ったら手からすり抜け床に落ち割れてしまった。偶然の可能性もあるけれどどうだろう。これからパスタを茹でて流しで茹で汁を捨てる時なんかは特に集中して手に力を込めなくてはと思う。(後日談: その後は大丈夫。第5サイクルの抗がん剤点滴と注射の直後の脱力期でも大丈夫だった。)

 体重は胃がんが発見される前のレベルにほぼ戻った!

 

9月7日

指から指紋が消えてツルツルになっているのに気が付いた。いつからかな〜、日本行きの飛行機に乗った8月27日にはもう既にiPhoneの指紋認証がほぼできなくなっていると思っていた。指紋が消えるなんて病院から貰った副作用のリストには載っていなかったような・・・。設定し直したらまた変わったなりの情報を読み取っているらしく再び指紋認証が使えるようになった。半分位の確率だけど。

 

9月18日

前日に無事に日本一時帰国の日程を終えてイギリスに戻って来た。3週間弱の日程でほぼ毎日出かけたので最後の最後は疲れたけれどもそれ以外はまるで病気じゃないみたいに動けた。がんの診断を受けて抗がん剤治療の最初の3周期が終わる頃までは、例え元気な時期でもレストランの後にカフェへ移動とか考えられなかった。それを思えばこんな風に家族やお友達と出かけられる機会がもう1度与えられて本当に嬉しかった。おいしいものを沢山食べて体重も健康な頃の通常より少し太った。おなかが空いたっていう感覚も正常に近い感じになった。髪の毛が少なくなって外出にスカーフと付け前髪が必要な以外は自分が病人とは思えない。

 

 

 

羽田空港で中学時代のお友達と会う

東京最後の朝。終わってみれば猛暑は滞在前半の数日だけで後は耐えられる程度の暑さで済んだ。夜は寝室のエアコンを弱くてもずっとつけてはいたけれど。

 

 

なんだかもう秋の気配さえする。大家さんが短期旅行者向けの民泊を止めるそうなので、この11階からの景色もこれがもう見納めだ。2013年の春以来この有楽町線の新富町駅と日比谷線の築地駅が最寄の便利な立地を大いに楽しんで来た。残念だな〜。

 

 

わざわざ羽田空港まで来てくれた中学時代のクラスメートのSちゃんとKちゃん。20分位だったけれど一緒にお茶する時間も持てて良かったよ〜。

 

 

プレゼントありがとう!Sちゃんが香蓮にくれたファーの小物は香蓮が109で買ったエレッセのファーのバッグにぴったり!私へのピンクのファーのスカーフは柔らかくて暖かくて家の中でも愛用するだろう。Mちゃんに貰ったお米、米びつに移してしまって袋だけ。帰宅後に炊いたらつやっつや光っていてなんとおいしい事!

 

 

スーツケースで『お家』を作って喜んでいる。まだ子どもだな。

 

 

羽田空港の免税店に並んでいたキットカット。お子さんをイギリスに留学させる親御さん、持たせるおみやげはこんなキットカットの変わり種をお薦めする。大抵のイギリス人は柿ピーやおせんべいならまだしも、和菓子の例えば羊羹を貰っても黒っぽくて怖くて食べられない。いかにも日本って感じじゃないかもしれないけれど洋風焼き菓子やチョコレートの方が喜ばれる事確実だ。

 

最後にこの旅行記を少しづつ更新していた間に上のメッセージボードに掲載していた文をここに移しておく。

 

8月28日から9月17日までの東京への一時帰国、家族と両親と行った黒部宇奈月と金沢の旅、響の十三詣りと結婚20周年の記念写真以外は全く予約をせずに出かけた。病状によっては一時帰国自体もキャンセルになるかもしれない状況だったから。
 本当だったら日本のお友達全員に声をかけて会いたかったけれど、家族や両親や妹との時間も確保したいとなるとそれは難しかった。自らはどうも動けず待ちの姿勢になっていた。一時帰国を知って積極的に声をかけて会いに来てくれたり、同窓生に声をかけてまとめて会わせてくれたお友達、どうもありがとう。とても助かったよ。
 
今回の日程もがんの事すらも知らされてなかったよというお友達、そして私の体調を気遣ってあえて声をかけないでいてくれた思いやりのあるお友達、ごめんなさい。次の機会に是非会いましょう。
 この後おいおい滞在日記を更新して行くのでそれを読んでいただければ分かる通り、抗がん剤治療を離れて1ヶ月経っていた私は大分元気でした。余命8ヶ月とは自分でも信じられない。
 これから、年末年始に多分私だけで札幌、その後もイースターホリデー中(3月下旬から上旬)にはまた家族で東京滞在を中心にJRパスを使って国内旅行もしたいと思っています。地方に住むお友達とも会えるように日程を立てたい。

 

 

 

渋谷の皮膚科、ドンキホーテ、牛タン炭焼き利休、ヒカリエ、原宿

明日はもう朝一番で空港に向かうので実質の日本滞在最後の日になった。香蓮の渋谷の皮膚科の予約が9時に入っていたのでまずはそちらに向かった。4回目の予約で傷が順調に治っているのを確認して30秒で終わり。素人目に見てもちょっと赤味があるだけで平らでもう既に傷という感じでもない。律儀に行かないで相談すれば予約キャンセルも実は許されたのかも。
 
他の店は10時からしか開かないので24時間営業のドンキホーテへ。値段はスーパーマーケットと変わらないので、ここで香蓮がおみやげ用のお菓子を爆買いした。夏だから溶けるかもしれないという私の助言を無視してチョコレート類もたっぷり。新生児1人分位の重さがあった!
 私はごく軽い、強風の日は絶対に使っちゃダメそうなWater Frontの傘を3本買った。イギリスではいつ雨が降るか分からないから常にバッグの中に折り畳み傘を入れている。なので軽さ重視で選んだ。免税手続き用のレジの列に並びながら傘がちゃんと開くか確認していたら、レジのお姉さんに「買う前に傘開くな、金払ってから確認しろ。」って英語で怒られた。口調、そのまま。「不良品だったら困るので確認していた。」と答えたら、「いや、買ってからにしろ。」という反応。ま〜、日々戦っているんでしょう。絶対に開けちゃいけないような包装を開けちゃうようなお客さんと。
 
3度目の109の後は渋谷の街を懐かしみながら東急ハンズまで行った。中学生になって親の付き添いなしで買い物に出かけるようになった最初の頃に行ったのがこの渋谷の東急ハンズだった。中学時代のクラスメートのYちゃんとY山さんと、駅から少し離れているので不安になりながら歩いて緑のロゴを見つけた時は嬉しかったな。東急ハンズではイーストパックのバッグでも買おうと思っていたのに売り場の場所も変わり取り扱いもなくなっていた。残念。
 
パルコがあった所は建て替え中。駅の周辺も大規模工事中だし、渋谷は時代とともに確実に変わっている。渋谷から原宿に行きそこから青山までとか、恵比寿から代官山を通って渋谷までとか、高校、大学時代にお店を見て回っていたルートをまた歩いてみたいな。全行程を一気にはもうきっとエネルギーが保たないか。
 

 

ヒカリエの上階の牛タン炭焼き利休でお昼にした。香蓮は鳥の唐揚げと写真には取らなかった牛タンの3切れを注文した。

 

 

私はこれ。ローストビーフに〜、トロロに〜、卵に〜、ウナギ。そして下の写真の牛タン2切れも。どの味もちょっとづつが嬉しい。お漬物やスープまでも全ておいしかった。

 

 

 

レストランの電気のかさが和風で素敵。

 

食後は下に降りつつ渋谷ヒカリエにのお店をいくつか見られて嬉しかった。ここで香蓮のずっしり重い赤ちゃん お菓子を引き取りWifiは渡して、私は荷造りしに宿に帰る事にした。香蓮は1人で原宿まで行って更に買い物を楽しみ、午前中は別行動でカメラ屋などに行っていた透と響と落ち合って帰って来た。透も欲しかった自分のビデオカメラ用のパンケーキレンズを買って嬉しそうだった。

Mr. Farmer、土佐料理祢保希、Cavatappi Italian

イギリスへの帰国が迫っている最後の週末は、新宿のカフェでのKさんとの待ち合わせで始まった。Kさんとは彼女が旦那さんのロンドン駐在に帯同して来ていた時に共通のお友達のパーティーで知り合った。東京に戻ってから早くも数年経つのにまだこうして一時帰国の度に会っておしゃべりできてとても嬉しい。

 

ミロードのMr. Farmerというカフェでリンゴとニンジンのジュースをご馳走になった。私がこの後に西新宿での同窓会に行くのでそこに行きやすく分かりやすいお店を指定してくれた。どうもありがとう!11:00からたっぷり2時間おしゃべりして店を出たら入店待ちの人達の行列が出来ていた。昼時というのもあるけれど人気店なんだな〜。

 

 

お店の外で行列に並んでいる方にお願いして撮って貰った写真💖。

 

 

Kさん手作りのポーチとOggiというお店のお菓子を頂いた。1枚づつ上品な薄切りになった数種類の違う味のフルーツケーキ、おいしかった。

 

 

新宿の地下道は私が使ってた95年夏まではこんな白い化粧板では覆われていなかったと思う。あの頃は左の部分はホームレスの人達のダンボールの寝床が続いていた。新宿の目もまだあって写真を撮ったけどブレてて残念。

 

 

学生時代に学芸員実習で受け入れて貰った東郷青児美術館の入っていた安田火災海上保険本社ビルだ。ゴッホのひまわりの額を拭かせて貰ったのが良い思い出。裾の広がりがスカートみたいで茶色と白のツートンカラーも変わらず、でも名前はそれぞれ東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館と損保ジャパン日本興亜本社ビルになった。長い!

 

 

野村ビルに入った所で向こうから歩いて来たS重ちゃんに会った。また何とタイミングの良い!全身のコーディネートがかわいい。珊瑚色が似合うね。

 

 

野村ビル50階からの景色。お手洗いの先のバックヤードの入り口が空いていた。バックだからか窓際のペンキの剥げたのがそのままで結構な迫力。

 

 

外れたカーテンや床に放置してある何か。

 

 

午後1時半からの予約で午後3時の閉店時間に間に合うよう、もの凄い勢いでお料理が出て来た。私は話しつつもパッパと食べて行ったが他の女性の前には数品が渋滞していた。2時半にはとうとう私の前にもご飯物と汁物に並びデザートもという事態に。2時半過ぎに到着していたらしい他の元同級生は顔を見せる為に入店する事も許されず。予約を入れた時間に元々無理があったのかしらね。お料理はとてもおいしかったので次回があるとしたら閉店まで最低でも2時間はあるようにしよう。

 

卒業以来初めて会った人達、2年ぶりの人達と近況の交換や昔の思い出話で盛り上がった。特に誰と誰が実は付き合っていたとか、実は誰々さんが好きでしたとかね〜。

 

 

 

 

この焼き魚が特においしかった。

 

 

 

 

 

 

確か食事のコースの値段が4千500円(約30ポンド)だった。

 

 

絶景!

 

 

多くの同級生達が医療、健康、スポーツといった保健に関わる仕事に就いていた。健康な体は幸せの十分条件ではないけれど必要条件ではある。社会的に意義のある仕事にやり甲斐を感じながら取り組んでいる様子が伺えた。偉いな〜。

 

 
記念写真。幹事をしてくれたSくん、S重ちゃん、ありがとう。

 

 

1次会に加われなかったM帆ちゃんも一緒に思い出横丁で2次会をした。M帆ちゃん、会うのは卒業以来初めてだけれど高校時代と同じ人懐っこい笑顔ですぐに分かった。そして彼女が現在は警部補として働いているとも聞いてビックリ!こちらのお店でも男性陣に更に飲み物をご馳走になった。ありがとう。アルコールは控えていた昨今だけど、抗がん剤を飲まずに1ヶ月経っていたせいか久しぶりにおいしく飲めた。

 

新宿駅の大江戸線の入り口でみんなとお別れした。まさかこれが最後とは思えない。「まだ生きているの?」と思われようと元気な内はまた東京に来たら声をかけるので会ってね!

 

 

M美ちゃんとMちゃんから頂いた。茅乃舎の汁物類、1つづつ楽しんでいる。クッキーも驚いちゃう位おいしかった。ありがとう。

 

私が不在の間、家族達はまずは原宿のネコカフェへ行きそれから買い物して宿に戻った。午後3時から近所のハンバーガーレストランで遅い昼食を取ったそう。

 

 

築地にあるCavatappi Italianというレストランで食事をした。

 

 

スズキのカルパッチョ、おいしかった〜。

 

 

野菜の下にチキンのグリルが埋まっている。

 

 

響はシェアしたくないというので専用スパゲティーを注文した。他の3人でシェアするようにもう1品スパゲティーを頼んだが写真なし。更にもう1品何か頼んだと思うけれど思い出せない〜。

 

 

 

この日は何の事情か早く店を閉める日だったみたい。午後8時半がラストオーダーでデザートメニューも渡されなかったのでデザートは試せなかった。

 



写真にない飲み物も含めてお会計は1万1千950円(約80ポンド)だった。家族で夕食を外食しても大体1万2千円で済んでいる。ロンドンだと昼食でも120ポンド(約1万7千800円)はかかるので割安に感じる。

 

ふらんすや、吉祥寺で買い物

札幌から出てきた妹も一緒に2日連続でふらんすやに向かった。前日不定休日で閉まっていて電話しても出なかったので、連日閉まっている可能性もあったのに猪突猛進!

 

 

結果・・・開いてたよ〜。感涙。開店早々お店に入る。

 

私と妹の覚えているオーナーご夫婦とは違うお2人がお店を切り盛りしていらした。お子さんかお弟子さんかな。

 

 

香蓮はおなかが空いていないというのでケーキセットを注文した。イチゴのショートケーキにワイルドストロベリーの食器、ピッタリ〜。

 

私が通っていた90年代半ばまでスパゲティーのメニューは数種類だったと思う。今回行ってみたら洋風以外に和風、中華風の味付けなど大幅に増えていた。近くに住んでいたならば全部1回は食べてみたい。

 

 

透の頼んでいたトンカツが乗っているの。響はミートソースのを頼んだ。

 

 

私は大好きだったホタテとシメジのクリーム煮を頼んだ。おいしい。昔と同じ味だ。量は増えているような気がする。

 

 

妹の頼んだカキとホウレンソウの。ソースは同じ味。妹とカキとホタテを1個交換した。こちらもおいしい。

 

 

ランチタイムはスパゲティーにドレッシングのおいしいサラダと食後の飲み物もついたお得なセットがある。5人でお会計がたったの4千580円(約31ポンド)とは信じられない。特にポンドでみるとロンドンでランチの1人分の値段だ。

 

 

あ〜、幸せ。ふらんすや、愛してる。末長く続いて欲しい。機会がある限り戻って来てまた食事をしたい。

 

 

日除けの所に書いてあるてづくりがしふらんすやの書体は、元々ももう少し南で駐輪場に面していた店舗の時と同じだな〜。懐かしい。

 

ランチの後は吉祥寺に移動してサムソナイトの軽量をスーツケースを2個買った。1個は72リットルでもう1個は機内持ち込みサイズだったのでこの後入れ子にして持ち歩いた。我が家は日本に来る時は大型スーツケース3個に行きは空の大型スポーツバッグを使っていた。この大型スポーツバッグを透が肩にかけて運ぶと痣ができていたのでお役御免にする事にした。子ども達も大きくなったので1人1個のスーツケース、ちゃんとエレベーターを使って移動すれば大丈夫だろう。その代わりにもう普通のタクシー1台には絶対乗れないので事前に大型タクシーを予約した。これが・・・。自前の電話番号を持っていないと難しい。

 

スーツケースの買い物の後は透と響、私と香蓮と妹と二手に別れた。私の方はほぼ100%香蓮の買い物のお付き合いだった。お気に入りの下着屋さんでまとめ買い、安いアクセサリー屋さんでおみやげも含めてまとめ買い。

 

 

吉祥寺のゴミゴミしたビルの風景も、「この古さは昔見ていたのと同じかな。」と思えるので不快じゃない。

 

 

昔通った予備校が今もある。

 

 

くたびれてしまったのでまた宿泊先で持ち帰りのお鮨で夕食にした。

 

ユザワヤ、上島珈琲店、パリジェンヌ洋菓子店本店、ダイソー、京橋図書館

この日はかつて住んでいた東京西部の武蔵野を訪ねて買い物をしたり懐かしいカフェに行ったりした。まずは吉祥寺駅で高校時代のクラスメートのS子ちゃんと待ち合わせ。時間より少し早めに着き「付近を少し歩いてから待ち合わせ場所へ行こう。」なんて思っていたら、向こうからS子ちゃんが歩いて来た!なんという引きの良さ。

 

 

行きたい店の開店時間まで15分ほどあったので駅を出て井の頭公園へ向かった。これは弁天池の写真。で2015年の春休みにここで家族でボート遊びをしたな〜。昔の記事の写真を見ると特に響が寸詰まりに見える。

 

過去記事: 2015年4月9日『ジブリ美術館、井の頭公園、李朝園』

 

野外劇場も改装中だったけれどまだあった。高校大学時代の自分や仲良しがそこに立つ姿がまぶたに浮かんだ。

 

 

吉祥寺での目的地はキラリアの中のユザワヤだった。ユザワヤ、前から同じ場所にあり、でも建物は寂れていて数階分売り場があったと思う。その後キラリアに建て替えられたんだろうな。とうの昔に消えてなくなっている香味屋というカフェの素朴な味のパフェや、京風らあめんナントカというあっさり薄味のラーメンを思い出した。これらは中学高校時代のお気に入りだった。

 

S子ちゃんがユザワヤの割引券を持っていて、わざわざ仕事で半休を取って買い物につきあってくれた。ありがとう!それでビーズやパーツをまとめ買いした。作ったらすぐに使えるように最近好きな洋服の色や秋冬っぽい落ち葉色を選んだ。べっ甲模様や暖かそうなニット生地のにも目が行った。私はスカーフを巻いていて耳元や襟足に髪がないので、その空白部分を埋めるようなピアスを作りたい。そこで長さを出す為に管のようになったビーズも選んでみた。

 

吉祥寺の後は隣の三鷹駅に移動してやはり高校のクラスメートのS重ちゃんと合流した。駅近くのふらんすやというカフェでスパゲティーを食べたかったのに、不運にもちょうど不定期の休業日に当たってしまった。ガーン。もう1軒かつてよく昼ご飯を食べた店が開くまで付近で時間を潰した。

 

 

三鷹ショッピングセンター、昭和の頃から変わっていない感じがする。もっと中を見たかったけれどこちらも休業日で叶わず。

 

 

どの辺が昔の職場だったかとか三鷹オスカーはこの辺にあったかなど話しつつ歩いた。

 

 

この建物の2階にある不動産屋のウィンドー代わりのパネルの熱量が凄い。

 

 

賢い。ユーモアがある。暑い中これを見たら「ちょっと2階に上がって涼しい中でもっと詳しく問い合わせようか。」と思うよね。

 

 

各物件のパネルも持ち上げられるようになていて、内装やレイアウトも一目瞭然!5万円以下の家賃で一人暮らしできるんだね。20年前と値段、変わっていないどころか安くなってない?!

 

 

こちらの酒屋も情報満載。

 

 

 

スパゲティーを食べるはずが皿うどんになった。これはこれでそれなりにおいしかったががっかりした。魚介類の具がエビが1個、アサリが5つとか数えて入れているんじゃないかという量で。たぶん昔はもっと気前良く入っていたと思う。

 

三鷹駅からさらに1つ西の武蔵境駅に移動して昔よく行ったケーキ屋さんに向かう。その前に駅近くのカフェ、上島珈琲店でおしゃべりした。

 

 

駅前の便利な場所にある武蔵野プレイス。「1960年代に夢見た未来」という雰囲気のデザイン、好きだな〜。図書館、青少年健全育成、市民活動支援、生涯学習など複数の機能を担っている施設だそう。

 

 

豆の形の1人用ベンチもかわいい。寝っ転がっての使用防止も目的としたデザインかな。

 

 

上島珈琲店にてS重ちゃん。大学卒業して就職した会社の仕事で3ヶ月位?!武蔵境に通勤していた事があったそう。

 

 

S重ちゃんに貰ったシナモン味の紅茶、クリスマスっぽい。おいしいね。柑橘類のアロマオイルはMujiのディフューザーで使ってるよ。イギリスは戻ったすぐの日は25度位あったけどその後順調に日も短くなって秋の気配が濃くなっている。クリスマス迄ももう遠くないな〜。

 

 

S子ちゃんと私。

 

自分用メモだけど武蔵境駅の駅ビルの中には持ち帰り専門のトップスのケーキ屋さんもあった。

 

 

武蔵境駅から南に徒歩3分の所にあるパリジェンヌ洋菓子本店。中学生だった私は自転車をこいでこのお店に来てピアノの先生にお出しするケーキを買っていた。ん〜、これは35年前から建物も看板も変わっていないと思う。

 

 

所狭しと並ぶケーキ達!

 

 

冷蔵ショーケースの外には焼き菓子類もいっぱい並べられていた。

 

 

私が1番懐かしいのはこの濃いパステルグリーンのメロントルテ。家族の分も買って宿泊先に戻った。

 

妹は実は朝の割と早い時間の飛行機に乗って東京に着いていて、マッサージのお店を見つけて私の戻りを待っていた。うっかり昼頃に着くのだと思ってたよ、ごめんね。宿泊先に戻って連絡すると程なくやって来た妹は、私のがんの診断と余命が長くない事について感想を述べつつ泣いた。代わりに死にたいとか、私の病気が重くなったら仕事を休職してイギリスまで看病に来るとか、響はまだ12才で母親が必要だから困ったねとか。そうなんだ、困った。でも仕方がない、なるようになる。

 

 

妹と一緒に食べたメロントルテ。クリームの量が多いようだけど果肉がどかっと入ってるので大丈夫。この下の方のココア生地が味に変化を加えて嬉しいんだった。メロンの風味の緑のクリームは甘目が強め。でも量は少ないのでちょうど良いアクセントになっている。

 

高級で繊細な味のケーキではない。他にもっとおいしいケーキはいくらでもあると思うだろう。それでも私には昔の思い出込みの懐かしい味わいが嬉しかった。

 

ケーキを食べた後、気持ち的にはまた近くの銀座に出てウィンドーショッピングでもしたかった。今回の旅行ではゆっくり自分の興味のある店を見て回る時間がないで来ているから。でもその体力はないなと思ってたら妹が近くにダイソーができているのをネット検索で発見したので一緒に行ってみた。

 

 

あった!下は免税の免許も持っている薬局で上階はダイソーという築地に来る外国人観光客が喜ぶ組み合わせだった。錦糸町のダイソーで買い漏れた品々を見つけて私も満足した。

 

帰り道に妹にも付き合って貰って閉館間際の京橋図書館でしまおまほさんの『ガールフレンド』を1章だけ読んだ。近くにあるのにこれまで1回も使っていなかったので形だけでも入れて嬉しかった。この後もう1回戻って更に3章位進んだ所で読みかけになっている。

 

 

透と子ども達が東京ディズニーランドで1日を過ごして戻って来ていた。みんな疲れているのでまたしても持ち帰り鮨で夕食にした。

 

 

我が家の子ども達はドナルドダックが好き。