thackeryのブログ -203ページ目

宇宙(71) 原子の正体(5)

原子の正体を明らかにするために「量子力学」が生まれた。


1897年にトムソンが電子を発見して以来、 人々は電子を粒子と考えていた。 1913年に原子モデルを考え出したボーアもその当時は電子を粒子と考えていた。 ところが1920年代に入り、 この考え方は完全に覆されてしまった。 ボーアも考え方を変えざるを得なくなった。 では、 原子の正体とはどのようなものなのだろうか。


原子の姿をめぐっては、 当時の物理学者の間で多くの議論が交わされた。 その結果出来上がったのが、 「量子力学」という、 非常に小さな世界を説明するための学問だった。 オーストリアの理論物理学者エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1961)やイギリスの物理学者マックス・ボルン(1882~1970)らによれば、 原子核の周囲に存在する電子は、 その位置と運動の様子を特定することはできない。(※但し、 観測すればその瞬間の位置は定まる。 しかし一方で、 観測してしまうとそれまでどのような運動をしていたのかがわからなくなってしまう。 結局、 電子の位置と運動を正確に知ることはできない。) そのかわり、 「電子が存在し得る領域」なら知ることができるという。 1個の電子は、 その領域の中で、 無数の場所に同時に無数に存在していると考える。 理解しがたい考えだが、 そのように考えることで、 さまざまな実験結果を説明することができたのである。 そのような電子をあらわすには、 電子の存在する領域を「」のように描くのが一般的である。 


●電子を雲のように表現する。
この「雲のように存在する」というのが、 量子力学が明らかにした原子の姿である。 電子が存在し得る領域は、 境界がはっきりしている訳ではなく、 ぼんやりしたものである。


●電子は「動きまわる粒子」ではない。
科学者達は数式を駆使して原子の正体をあばいていった。


→ ニールス・ボーア(1885~1962) 1913年にボーア仮説を発表。 その後、 量子力学では指導的な立場にあった。 1992年にノーベル物理学賞受賞。


→ ルイ・ド・ブロイ(1892~1987) 1924年に「物質波」を提唱。 電子は波の性質を持つと唱えた。 1929年にノーベル物理学賞受賞。


→ エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1961) 1926年に「波動方程式」を提唱。 これによって波の性質を持つ電子のふるまいを説明できるようになった。 1933年にノーベル物理学賞受賞。


→ マックス・ボルン(1882~1970) 1926年に「確立解釈」を提唱。 これにより、 電子を雲のように描くようになった。 1954年にノーベル物理学賞受賞。


→ ヴォルフガング・パウリ(1900~1958) 1924年に電子の状態をあらわす「排他律」を提唱。 1945年にノーベル物理学賞受賞。


⇒ 上記物理学者は全員、 ノーベル物理学賞受賞者。 今日我々が享受する文明社会の背後には、 このような智恵者がいたから実現しているという事実。 このような貴重な人間社会を平和裡に維持・発展させていく責任と重要性を痛感する。 世界のリーダー、 日本のリーダー達はこのことを認識し、 人間社会の平和的建設に当って欲しい。


― - - つづく

宇宙(70) 原子の正体(4)

電子はどこをどのように動いているのだろうか。


ラザフォードの実験結果が発表された後、 科学者達は真の原子の姿を求めて更に追求をしていった。 その筆頭にいたのが、 デンマークの理論物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)である。 


●電子は原子核の周囲を自由に動き回る。
ボーアは、 ラザフォードの実験結果を満たすような原子モデルを考え、 「原子の中央にあるプラスの電気のかたまりを取り囲むように、 電子が自由に動き回る。」とし、 プラスの電気のかたまりに「原子核」と名前を付けた。 太陽系では、 惑星が太陽の周囲を回っていることから、 原子と太陽系には共通点があるようにも見える。


●電子は光を出して原子核に衝突してしまうのか。
電子が原子核のまわりを回っているとすることには問題があった。 電磁気学によると、 電気を帯びている電子が原子核の周囲を回ると、 光を出してエネルギーを失いながら原子核に近づいていってしまうからだ。 そして最終的には衝突する。 この場合、 原子は安定して存在し得ない。


●原子からの光はどう見えるか。
電子が原子核のまわりを自由に動き回るとすると、 生じる問題がもう一つあった。 それは、 原子からの光(スペクトル)である。 電子が原子核に近づいていくときは連続的に光が出る。 この光を波長別に分けて調べると、 連続的になるはずだが、 実際には、 原子からの光の波長は飛び飛びになっていた。


●ボーアの考えた新しい原子モデル
「原子核のまわりには、 さまざまな形や半径の軌道が存在し得る。 しかし、 電子はどんな軌道でも辿れるわけではない。 電子に“許可”されているのは、 沢山あるうちのある限られた軌道だけだ。」とボーアは考えた。 電子は、 最も原子核に近い軌道より更に内側に入り込むことはない。 従い、 原子核に衝突してしまうこともない。 強引なルールのようだが、 ボーアは、 それまでの物理学とは別の物理学を考え出したのである。 その後、 ボーアは他の研究者と共にこの考えを発展させ、 「複数の電子の軌道を含むグループがいくつか存在する。」と考えるようになり、 このグループを「電子殻」と呼んだ。
→ K殻(電子が2個含まれる)・L殻(電子が8個含まれる)・M殻(電子が18個含まれる)


★電子の軌道は、 自由な大きさをとるのではなく、 グループ分けされている。 そして最内側の軌道K殻(電子が2個含まれる)より内側には電子は入り込むことができないので、 原子核に衝突することはない。


★電子はグループ間を移動するときにだけ光を出すので、 光の波長が飛び飛びになる。


― - - つづく

宇宙(69) 原子の正体(3)

原子の内部構造はどうなっているのだろうか。


トムソンによる電子の発見以来、 原子の構造については多くの憶測が飛び交っていた。 普通の気体や液体は、 それ自体は電気を帯びていない。 つまり、 原子はもともと電気的に中性と考えられる。 ところが原子の一部である電子はマイナスの電気を帯びていた。 そうであれば、 「それを打ち消すプラスの電気がどこかにあるはず。」である。 それは一体どこにあるのか。 


その答えを出したのは、 イギリスの物理学者アーネスト・ラザフォード(1871~1937)だった。 当時は、 X線等の「放射線」が発見された時代であり、 放射線は最先端の研究テーマだった。 ラザフォードも「アルファ線」という強い放射線の研究を進めていた。 アルファ線の正体を明らかにしたのはラザフォード自身であり、 それは「電子より約8000倍重く、 プラスの電気を帯びた粒子」だった。 アルファ粒子は非常に速く飛ぶ重い粒子である。 そのため、 この粒子を原子に向って放っても、 素通りするだけだろうと、 ラザフォードは予想していた。 但し、 電子の影響を受けてわずかに進路が変わるとも考えていた。 


ところが、 1909年に研究室の若手のハンス・ガイガー(1882~1945)とアーネスト・マースデン(1889~1970)に測定させてみたところ、 結果はまったく予想外のものだった。 約1万回に1回と非常にまれなことではあったが、 「大きな角度で曲がるアルファ粒子確認された。」のだ。 ときには進行方向と逆方向にはね返されたものもあった。 8000分の1の質量しか持たない電子が、 はるかに重いアルファ粒子をはね返すとは考えられない。 そこでラザフォードは実験結果をふまえて次のように考えた。 「原子の中央の狭い領域にプラスの電気が集中していれば、 強い電気力が生じるため、 アルファ粒子ははね返される。」(1911年に発表) 


●アルファ粒子
プラスの電気を帯びた粒子。 金の薄膜を通過する際、 さまざまな角度に曲げられる。
※アルファ粒子の正体はヘリウムの原子核である。


●粒子と粒子をぶつけてその構造を調べる方法(ラザフォードが考案)
この方法は、 現代の原子核研究の主な手段となっている。 粒子を高速に加速し、 何かと衝突させてその性質をさぐる「加速器」もこの原理を受け継いだものだ。 ラザフォードは、 近代物理学の重要な実験方法を見つけ出した人物としても記憶されている。 尚、 ラザフォードは1908年にノーベル化学賞を受賞している。 受賞理由は、 元素の崩壊と放射性物質の化学に関する研究だった。


→ 上記の如く、 科学者達の研究結果の引継ぎと更なる研究発展は素晴らしいものであり、 驚異的な人間の智恵とも言える。


― - - つづく