『ゴジラ-1.0』 (2023) 山崎貴監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

結論から言おう。この作品は、ゴジラシリーズの中で高い評価を得ている前作『シン・ゴジラ』を越え、ゴジラシリーズのみならず怪獣映画の金字塔である1954年の初代『ゴジラ』すら越えたと思える。但し、その評価には若干のバイアスがあるので説明させてもらいたい。

 

前作の『シン・ゴジラ』は、庵野秀明を総監督とし、ガイナックスの盟友樋口真嗣(碇シンジの名前の由来、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』と併映された『巨神兵東京に現わる』の監督)を監督とする作品。そしてその作品は、アニメでの絶対的評価に比し実写映画では成功していなかった庵野秀明が「勝ちに来た」作品。エヴァンゲリオンの勝利の方程式をそのまま持ち込んだ作品が面白くないはずがなかった。ただエヴァ・ファンにとっては単なるエヴァの焼き直しであると感じられ、自分は世間の評価ほどは高く評価しなかった。

 

その『シン・ゴジラ』から7年のブランクは、東宝が『シン・ゴジラ』を越える作品を作るために相当苦労したということだろう。その監督に抜擢されたのが山崎貴監督。東宝の愛国ビジネスというべき『永遠の0』(2013)のようなクソ映画を撮った(撮らされた?)山崎監督であり、しかもまたもや特攻をモチーフにするとあって、その出来には懐疑的にならざるを得なかった。しかし、「特攻を美化し、命を軽んじた」という『永遠の0』への批判に対する山崎監督の回答がこの作品であり、その回答は満点だったというのが自分の高評価の大きな理由である。

 

即ち、エヴァンゲリオンを知らない人や『永遠の0』を無批判に受け入れた人は、この作品の評価は自分ほどには高くないかもしれない。

 

エメリッヒ版ゴジラ(『GODZILLA』1998)が「イグアナの映画」と酷評されているように、ファンはゴジラの造形にはこだわりがある。その点において、この作品のゴジラ(特に放射能を浴びて成長した後)は文句なくファンが期待するゴジラだった。そして成長前のゴジラに関して言えば、それがミニラというわけにはいかないのだろう、頭のバランスが大きく、少し前かがみの姿がTレックスっぽい(つまりどこかエメリッヒ版ゴジラの雰囲気を帯びていた)のは興味深いところだった。

 

「マイナスワン」と読むタイトルの意味は、敗戦によって焦土=ゼロとなった日本をゴジラが襲うことで更にマイナスになるということなのだが、初ゴジの1954年以前の終戦直後に時代設定を持ってきたということは非常に意味がある。朝鮮戦争を機にGHQが占領政策を転換する以前においては、日本は軍備を持たず、アメリカはソ連との関係が微妙になっておりアジアに積極的軍事介入はしたくないという時代。つまり自衛隊や集団的自衛権というものが、最大の国防の危機に際して不在だったという皮肉な設定は、現代の日本に通ずる本作のメッセージだろう。それは初ゴジが掲げていた反核というメッセージとは異なるものの、安っぽい愛国ビジネス映画とは一線を画した骨太なテーマであり、初ゴジに通ずる批判精神と言える。

 

ゴジラというと海から登場するイメージがあるが、この作品で最初にゴジラが登場するのは南の島。これは初ゴジのオマージュであり、その島の名前大戸島(小笠原諸島にあるとされる架空の島)も1954年の作品に登場したもの。

 

この作品が優れているのは人間のドラマがしっかり描けていること。単純なエンタメ怪獣映画に終わっていない。そのため「ドラマパート」に対してゴジラが登場する「怪獣パート」の分量は、歴代ゴジラ映画でも最少のイメージ。体感的には8:2くらいなものか。それがこの作品に対する批判の一つであることは想像できるが、自分は「ドラマパート」がこの作品のよさであると思っているので全く気にはならなかった。

 

その「ドラマパート」において、山崎監督は、先に述べた『永遠の0』批判に対する回答をしているのだが、それが「戦争においては人の命が軽視された。ゴジラ掃討においては一人の犠牲者も出さない」と吉岡秀隆演じる「学者」に言わせていること。映画の宣伝コピーの「生きて、抗え」はその精神を標榜している。そして、ゴジラを特攻攻撃によって仕留め自分の戦争を終わらせようとする敷島浩一に対し、整備技師の橘宗作が取った行動はそのテーマと一貫性があり、この作品の展開で重要な意味を持ったものだった。

 

ツッコミどころも少なくはない。自分が不満に思うところは、この作品が子供から大人まで楽しめることを期待され、性的な描写や残酷な描写が完全に隠されていること。どこか中性的な雰囲気を持つ神木隆之介の配役は後からなるほどなと思ったのだが、あの状況で浩一と典子が大人の関係を持たないということは少々子供だましのままごとのような印象があった。また、海外のレイティングを意識しているのであろう、死体や流血がほとんどないのも少し刺激に乏しかった(「ゴジラは人を食べない」ということは知っていたが)。

 

初ゴジは原爆が生み出した怪物なのだが、この作品では「ゴジラはどこから来たか」という科学的究明は全くオミットされ、反核というメッセージ性は後退している。放射能フォビアの現代日本においては、放射能はタブーなのだろう。いかにゴジラが放射能熱線を発しても、残留放射能に関しては驚くほど触れられていない。

 

『シン・ゴジラ』の興行収益は82.5億円だったが、この作品はそれを越え三桁に達すると予想する。本来12月に入ってから公開する正月映画となるべき作品を、ロングランを見越して11月初めから公開した東宝の意気込みを感じる。エンディングロールの映像は続編の可能性を示唆している。平成はガメラの時代だったが(『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』『ガメラ3 邪神覚醒』)、令和はゴジラの時代となることを予感させる。続編が作られるとすると、ゴジラ vs 人間という構図が継続するのだろうか。昭和ゴジラシリーズでは第二作『ゴジラの逆襲』 (1955)でアンギラスが登場し、以降ゴジラ vs 新怪獣という構図が定番となった。この作品の続編を監督するのはハードルが高いだろうが、続編ができることをファンとしては期待する。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『ゴジラ-1.0』予告編