『ケイコ 目を澄ませて』 (2022) 三宅唱監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

これは素晴らしい。佐藤泰志原作を映画化した前作『きみの鳥はうたえる』が素晴らしかった三宅唱監督。そして本作は、その前作に勝るとも劣らない傑作だった。今年の日本のインディペンデント映画を代表する一作になるだろう。

 

本作は、生まれつきの聴覚障害と向き合いながらリングに立った元プロボクサー、小笠原恵子の実話を基に描いた作品。彼女の自伝『負けないで!』を原案としながらも、彼女をモデルとした三宅唱による新しい物語が脚本となっている。

 

洋の東西を問わずボクシングを題材にした映画作品にはなぜか良作が多いが、この作品もそれに加わった感がある。しかしこの作品では、ボクシングはあくまで遠景であり、本来「ボクシングもの」であればクライマックスとなる試合(作品の中では、2試合の模様が描かれている)ですら物語の中心となっていない。それは試合の描写で、カメラがリングに入ることが少ないことからも伺える。「女性」「ろう者」「ボクサー」といった属性とは関係なしに、ケイコという一人の人間を描いたドラマだと言える。

 

ろう者を扱った作品では、無音にして観客にろう者の視点を疑似体験させるという演出が少なくない。しかしこの作品では、逆に、日常の様々な環境音が増幅されたサウンドデザインによって、観客に「聴く」ということを意識させるところが興味深かった。自分が劇場で観たバージョンは、音声や環境音が全て字幕となっている「バリアフリー上映」だったため、更に強調された印象だった。

 

岸井ゆきのの演技は圧倒的な存在感があった。彼女のろう者の演技は実際のろう者でなければ正しく評価できないだろうが、ろう者を感じさせる演技として、例えば、人が近づいてきた時に気付くまでの一瞬のラグを感じさせる演技には説得力があった(気配とは音なのだと気付かされた)。またボクシングジムの会長と二人のスタッフを演じた三浦友和、三浦誠己、松浦慎一郎のハマり具合も申し分なかった(松浦慎一郎はプロフェッショナルなボクシングトレーナー)。

 

希望を感じさせるエンディングも特筆すべきもの。現実の小笠原恵子は4戦のキャリアだが、その3戦目までを描いたのは脚色の妙と言える。

 

もしこの作品が批判されるとすれば、ろう者の役を健常者が演じている点。近年ハリウッドでは、社会的マイノリティに対する機会の不平等を是正する配慮がなされ、例えば、昨年のアカデミー作品賞受賞作『コーダ あいのうた』ではろう者の役を実際のろう者の俳優が演じていた。ただ日本においては、そのレベルまで意識が高くないことは厳然たる事実だろう(本作での岸井ゆきのと同じだけの演技をできるろう者の俳優がいないということが現実問題としてあるだろう)。いずれそうなってほしいものだが。

 

いわゆるスポ根ものにありがちな、苦境を乗り越えて華々しい活躍をするカタルシスはこの作品にはない。しかし、ケイコの生き様には「結果は二の次、とにかく応援するから」とこちらから寄り添いたくなる。そのじわっとくる滋味深い物語が、粒状感を感じさせる16mmフィルムで撮影された映像美によって作られた作品。見逃すべからず。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『ケイコ 目を澄ませて』予告編