『あのこと』 (2021) オードレイ・ディヴァン監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

今年2022年ノーベル文学賞は、フランスのアニー・エルノーが受賞した。彼女は自身の経験を基にしたフィクション=「オートフィクション」の作家。彼女の作品『事件』を原作として映画化されたのがこの作品。

 

近年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞は、北・中南米の作品が続いていたが(2017年『シェイプ・オブ・ウォーター』、2018年『ROMA/ローマ』、2019年『ジョーカー』、2020年『ノマドランド』)、昨年はフランスのこの作品が受賞している(ちなみに今年は、アメリカのドキュメンタリー『All the Beauty and the Bloodshed』が受賞)。

 

人工妊娠中絶(堕胎)をモチーフにした作品には傑作が少なくない。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『4ヶ月、3週と2日』しかり、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した『17歳の瞳に映る世界』しかり。この作品は、それらよりもより直截的にその題材を扱っている。『あのこと』とは、まさにそのことなのである。

 

題材が題材だけに、人に勧められるかと問われると答えにくい部分はあるが、自分は観てよかったと心底思った(「全ての男性は観るべき」などという正義感は全く持ち合わせていないが)。

 

この映画を観て、堕胎は命を殺める行為であり非人道的だと感じたが、堕胎を禁ずるのはそれ以上にとてつもなく非人道的だと感じた。この作品は、中絶が非合法だった1963年のフランスが舞台になっているが(フランスでは1975年に合法化されたが、カトリック教国では初めてだった)、今年アメリカで米最高裁が女性の人工中絶権を認めた1973年の判例を破棄したように、今日的問題でもある。堕胎を認めないのは命の尊厳を貴ぶ理想的な考えかもしれないが、フランスでは非合法時代には年間100万人の女性が非合法的に堕胎し、少なからずの女性が命を失った事実は軽視できないだろう。

 

この作品の舞台は過去ながら、ヒロインの生き様が非常に現代的だと感じた点が二つ。一つは、妊娠の不安に際して男性に救いを求めず自ら活路を開こうとしていること。そしてもう一つは、中絶に際して自分の人生を優先して母性との葛藤がないこと。

 

前者に関しては、男性に救いを求めたところでどうせ男はクズばかりだから正しい選択なのだが、当時は中絶に関与した者は全て犯罪の共犯とされるため、医者は勿論、友人すら犯罪に加担したくないと避ける状況が描かれており、それがとても辛かった。妊娠するとそれを診断した医者が当局に報告するのであろう、「妊娠証明書」が送達されてくるシーンがあった。それが意味するところは、非合法で堕胎しても「闇から闇」というわけにはいかず、医師の「流産」という診断がなければ犯罪者として摘発されるということである。それで文字通り誰にも相談できない状況は、想像を絶するほどの不安だっただろう。

 

そして後者に関しては、堕胎がモチーフになる作品であれば、自分の体内に宿る命と自分の将来とを天秤にかけ、生まれ来る命を愛おしむ母性と自我との葛藤がテーマになりそうなものだが、本作のヒロイン(つまり原作者アニー・エルノー)は全くそこには躊躇がない。自分の才能によほど自信があるのかもしれないが、そのドライな感覚が現代的だと感じさせた。

 

この作品において、観客はヒロインの姿を外から見る以上に、彼女の視点に同化し、不安と孤独に立ち向かう彼女の状況を追体験することになる。それは実に辛く、痛い経験である。そして、そこから得るものは少なくないと思われる。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『あのこと』予告編