『ジョーカー』 (2019) トッド・フィリップス監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

結論から言おう。この作品はこれまでのアメコミ原作映画化作品のベストの作品であると共に、歴史的カルト作品の名作となる可能性がある傑作である。そしてその評価は、今日よりも10年後、20年後には更に高まるであろうことを予感している。

 

スーパーヒーローは、ヴィランの存在感が高ければ高いほど輝く。その点において、バットマンはジョーカーという稀代のヴィランの存在により得をしていると言える。それほど、数あるヴィランの中でジョーカーは傑出した存在である。何ら超能力を持たずして、彼をヴィラン中のヴィランとしているのは、その無目的の悪意である。人を恐怖に陥れ、その動機はと問われて「ジョークだよ」というほどの悪意は存在しないだろう。

 

監督はコメディ映画出身のトッド・フィリップス。日本においてはピンク映画出身の一般映画の巨匠というパターンには枚挙にいとまがないが(滝田洋二郎、周防正行、若松孝二、相米慎二、黒澤清、園子温、金子修介ほか)、ハリウッドにおいてはコメディ映画出身の一般映画で傑出した監督は少なくない。近年においては『グリーンブック』のピーター・ファレリーしかり、『バイス』のアダム・マッケイしかり。トッド・フィリップスも、『ハングオーバー』の大ヒットがあり(続編は第三作まで作られている)、この作品の前作の『ウォー・ドッグス』も、実話を基にした若い二人の武器商人を登場人物としたエッジの利いたコメディに仕立てられていた。エロと笑いという路線は違えど、人間の根幹を掘り下げた者には人生を見る力があるということだろう。

 

コメディ出身の監督であるからこそ、このシリアスな作品においても、コミカル&ペーソスの要素は少なからず見られる。例えばそれは、劇中にチャールズ・チャップリンの『モダン・タイムス』を観ているシーンを使っていることにも表れている。チャップリンの名言に"Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot."(人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ)というものがあるが、この作品はまさにその精神を体現していると言える。冒頭近く、ジョーカーたるアーサー・フレックが、トゥレット障害で笑いを止められないシーンがあるが、「顔で笑って、心で泣いて」という道化師の悲哀を存分に表現していた。そのつかみのシーンで、この作品の精神性は十二分に表現されていると自分は感じた。

 

チャールズ・チャップリンと共にトッド・フィリップスの敬愛する映画人がマーティン・スコセッシであることは明らかだろう。この作品の主人公アーサー・フレックの、スタンダップコメディで成功を夢見る妄想癖という人物像は、スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』のルパート・パプキンそのものであり、社会と自分のギャップに精神を病んでいく姿は、『タクシー・ドライバー』のトラヴィスを映し出していた。両作で主演を務めるロバート・デニーロの起用は必須だっただろう。

 

これからネタバレに踏み込んで、この作品を考察する。

 

映画作品の内容全てがつじつまが合う必要もなければ、監督の意図通りに解釈する必要もない。この作品も、観客の解釈の余地を残した作品である。それはラストシーンの解釈である。なぜ民衆に救い出されたジョーカーが、精神病棟に監禁されているのだろうか。

 

この作品にはアーサー・フレックの妄想が幾度も描かれている。それと明らかに分かるシーンとしては、アーサーが母親とマレー・フランクリンのTVショーを見るシーン。彼が観客の中から選ばれ、ステージに呼ばれる場景は、彼がTVを見ているシーンが直前にあることから妄想だとすぐに分かる。ソフィーと恋愛関係に落ちる状況も妄想なのだが、それはすぐに妄想とは分からず、ソフィーの部屋に入ったアーサーを侵入者として拒絶して初めて分かる。つまり、この作品には虚と実が入り混じっている。ラストシーンは、劇中のある時点からアーサーの妄想であることを物語ってはいないだろうか。もしそうだとすると、その時点とはいつだっただろうか。

 

作品では、自殺のモチーフが何度も出てくる。複数回出てくるのは、『タクシー・ドライバー』のオマージュである、指で作ったピストルをこめかみに当てて撃つものだが、一つはアーサーが冷蔵庫に入るシーン。このシーンの展開は回収されていない。直後に続くシーンは、アーサーの元にTV局から電話がかかり、マレーのショーに出演することを打診される。少々、突拍子もない印象がぬぐえないのだが、冷蔵庫のシーン以降がアーサーの妄想だと考えることもできるだろう。つまり、冷蔵庫のシーンの後にアーサーは逮捕されてしまったと解釈することで、違和感の残るラストシーンを説明することができる(ちなみにラストシーンで、アーサーと精神病院スタッフが袖に走り込んで、反対方向に出てくるのは典型的なスラップスティック・コメディのパターン。ここにも監督のコメディ精神が表れている)。

 

また音楽の使い方のセンスのよさも特筆すべきだろう。特に、ジョーカー誕生というべきシーンで、長い階段をアーサーがゲイリー・グリッターの「ロックンロール・パート2」に合わせて踊りながら降りてくるシーンは最高にイカシている(しかし、小児性愛で有罪判決を受けているゲイリー・グリッターの楽曲を使うことで批判が起こっていることは付け加えておく)。クリームの「ホワイト・ルーム」も(少々ベタかもしれないが)やはりかっこいい。

 

ホアキン・フェニックスの演技はオスカー確定もの。彼の演技なくして、この傑作は生まれなかったであろう。

 

ケチをつけるとすれば、この作品を絶賛するには世の中が余りにも右傾化してきな臭い状況であるということだけであろう。必見。

 

★★★★★★★★ (8/10)

 

『ジョーカー』予告編

 

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