カンヌでパルム・ドールを受賞した『ピアノ・レッスン』 (1993)が素晴らしかったジェーン・カンピオン監督。彼女の12年ぶりの新作が、NETFLIXでオリジナル配信されている本作。
1925年モンタナ。威圧的ながらカリスマ性のあるフィルと温厚な弟のジョージは二人で牧場を共同経営していた。ある日、ジョージが地元の未亡人ローズと出会い、彼女の心を慰め、やがて結婚し家に迎え入れる。ローズをこころよく思わないフィルは、ローズや彼女の連れ子ピートに辛く当たる。しかし、あることをきっかけにフィルのピートに対する態度が変化する。
2021年のアカデミー作品賞にノミネートされた10本の作品の一本だが、サスペンスではないにも関わらず、ノミネート作の中では最もサスペンスに満ちた興味深い作品。この作品が優れているのは、状況を説明するセリフが少なく、次に何が起こるのだろうと全く予想できない展開で、最後に驚くべき結末を迎えること。しかも、そのショッキングなエンディング直前に伏線が回収される用意がされ、「ああっ、これはそういうことだったのか。そうに違いない...やっぱり!!」という推測の喜びを観客に与えていること。実にうまく作られたクレバーな作品。但し、好みは分かれるだろう。
それゆえ、作品鑑賞前にはなるべく情報を入れない方がよいと思われる。(以下ネタバレ)
フィルの態度があまりにマチズモむき出しであるがため、彼がホモフォビアのゲイであることは容易に推測できた。それゆえ、ピートがウェイターとして初めて面と向かうシーンから、「この二人が何らかの関係になるんだろう」と思って観ていた。
フィルのキャラクターは実に複雑なもので、やはりそれは1920年代アメリカ西部において同性愛差別が顕著であったことの影響であろう。彼が単に粗野なカウボーイではなくインテリであることは、彼がイェール大学出身であることが語られる以前に、彼の言葉の端々から感じ取れた。
例えば冒頭近く、牛追いの休憩に乾杯するフィルの言葉は次のようなものだった。
「So, to us brothers, Romulus and Remus, and the wolf who raised us.」
字幕では「俺たち兄弟と育ててくれたオオカミに」となっていたが、ロムルスとレムスは、ローマの建国神話に登場するローマの双子の建設者(ロムルスは伝説上の王政ローマ建国の初代王)。自分たち兄弟をローマ建国の伝説の英雄の双子に例えるのは、並の教養ではできないことだろう。
家では風呂を浴びないフィルが彼の聖域である泉で沐浴し、ブロンコ・ヘンリーを思いながら自慰行為にふけるシーンではスカーフの「BH」のイニシャルを見落とすべきではない。ピートがその泉でフィルを見かけて、激怒したフィルに追い立てられた後に、フィルの態度が一変することは、意外でもあったが、誰にも知られようがない泉を発見したことでピートを見直したということだろう。その心境の変化は、丘に「吠えてる犬」をピートが最初から見えていたことを知って決定的となる(このシーンでは、はっきりと「吠えてる犬」が見て取れるが、その前のほかのカウボーイたちには見えないシーンに戻ってみると、そのシーンでも「吠えてる犬」が見えていた。自分は最初のシーンでは気付かなかったが)。また、彼と弟ジョージは共依存の関係にあったと考えられ、ローズにジョージを取られたことの意趣返しとしてピートをローズから奪い、彼女を精神的に追い込もうとする狙いもあっただろう。
フィルが、ブロンコ・ヘンリーと自分の関係におけるブロンコ・ヘンリーの位置に自身を置き、ピートにかつての自分を見ていたことは明らかだったが、自分にはピートの真意はなかなかつかみきれなかった。彼が一人で馬に乗って遠出をし、炭疽病で死んだであろう牛の死骸からサンプルらしきものを採取しているシーンでも彼が何を企図しているかは分からなかった。全てが氷解するのは、フィルとピーターが納屋でロープを完成させた翌朝、フィルがなかなか起きてこず、ジョージが起こしに行った時に汗をかいたフィルの顔を見た瞬間だった。その瞬間に、母を守るといったピートの言葉、炭疽病の牛からはぎ取った革、ウサギを追い立てる時に負った手の傷、革ロープを作るシーンで革をなめす水に傷口から流れる血といったそれまでの伏線の意味することが一気につながり、ピートの悪魔的な計画が腑に落ちた。あとは予想通りの展開でエンディングを迎える。フィルが心変わりしてピートを受け入れても、ピートは決して心を許すことなく、エンディングの彼の笑みは全てを計画通りに遂行したことの満足を表しているのだろう。
ベネディクト・カンバーバッチの演技は主演男優賞もの。受賞できるか注目されるところ。そして彼と同じくらいの存在感を示したのが、ピート役のコディ・スミット=マクフィー。『ぼくのエリ 200歳の少女』のハリウッドリメイク『モールス』 (2010)のオーウェン役が印象深いが、当時14歳の少年がそれから12年経つとこんな風に成長したんだと驚きもした。
あと特筆すべきは音楽。担当はレディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッド。グリーンウッドのサウンドの特徴はメロディというより、観ているこちらの神経を刺激する「音のリフレイン」で、ドラマの不安定な雰囲気が加速されていた。2017年の『ファントム・スレッド』に続き2度目のアカデミー作曲賞ノミネート。
第66回アカデミー賞では、『ピアノ・レッスン』で作品賞と監督賞にノミネートされたジェーン・カンピオン監督。その時は、『シンドラーのリスト』とスティーヴン・スピルバーグに両賞を奪われている。スティーヴン・スピルバーグは、今年、『ウエスト・サイド・ストーリー』で作品賞と監督賞にノミネートされている。リベンジなるか、注目されるところ。
★★★★★★★ (7/10)