諏訪大社上社、下社、元御射山神社を巡ってみて感じたのは、上社はミシャグジ様の男神で御神体は守屋山。
上社の結界から考えると建御名方神はミシャグジ様を恐れて封印しようとしたのではないかと思います。
下社のエネルギーと元御射山神社のエネルギーから考えると、下社の御神体は御神木とされていますが、もともとは霧ヶ峰のある車山か八ヶ岳だったのではないかと思います。
建御名方神が諏訪地域に入る以前は狩猟中心の生活をしていました。それの名残が御頭祭ではないでしょうか。
狩猟中心の時代には、神様に何かを願うというより感謝を込めて御頭祭をしていました。
建御名方神の時代より農耕が始り、天気を祈るようになったのだと思います。
神道には神様を恐れる信仰があります。怨霊を神様として祀ったり、山や石に封印します。
上社はミシャグジ様の力を封印したのではないか。
それに対して下社は元御射山神社を参拝しやすいように諏訪湖の辺りに勧請したのだと思います。
上社辺りの土地のエネルギーは重いのに対して、下社周辺は観光地も多く軽やかです。
江戸時代は中山道の通る下社の方が賑わっていたそうです。