ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第3章:Berryz工房の衝撃 | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

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前回は「ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第2章:安倍なつみさん推し・ファンクラブ入会」です。
 

また番外編としてハロヲタ以前の私です。
 

 

ハロプロのファンクラブに入会した私は、会報などからハロプロのユニットをこれまでよりも知ることになっていった。

なっち推しだった私にとっては、当時結成されていた「後浦なつみ」や「DEF.DIVA」なども見てはいたが、

その頃から、ハロプロキッズのメンバーが気になっていた。

 

Berryz工房のライブツアーがあるということ、さらにはちょうど、石村舞波さんの卒業のニュースが大きく取り上げられていた頃だった。

 

それ以前にもハロプロキッズを安倍なつみさんの現場などでは何度か見ていたし、

テレビ雑誌の「B.L.T.」のインタビューで学校生活のことを語っているのを読んだりしていた。

 

その時、少し懐かしさを感じた。

小学生や中学生の頃の思い出が、彼女たちのインタビューで思い出されるようだったのある。

 

 

大学は4年生の春休みを迎えていた。

自分は大学院進学を目指すべく、学術書を近くの書店に買いに行っていた時である。

たまたま併設されたCDショップで、Berryz工房のアルバム「2.5枚目の彼」が売っていた。

私は吸い寄せられるように購入したのである。

 

家に帰り聞いてみる。すると、懐かしさと自分の中で忘れていた過去の思い出が蘇る気持ちになった。収録曲のすべてに衝撃的な感動したのである。

「ありがとう おともだち」には、自分が見失っていた過去さえもが、鮮やかに映し出されるようだった。

 

 

さらにアルバム「1st超ベリーズ」「第②成長記」も購入した。

「蝉」「安心感」「さぼり」…

どれも子供の頃の思い出が蘇った。懐かしく淋しく感じた。

特に「さぼり」には、中学受験で塾通いをしていた頃が鮮やかに、そして淋しくよみがえったのである。

 

中学受験の時、勉強は確かに辛かった。

でもその時、塾には好きな女子がいた。

もっとあの時、好きな人への好きな感情に素直な自分であったなら……

淡い過去の恋心が、Berryz工房の歌で思い出されてしまったのである。

 

シングルVクリップスも購入した。

視聴するとさらに衝撃を受けた。小中学生なのにこんなにダンスをするのかと思った。

さぞや大変な練習をしたのだろうと思うと、かつての自分を思い出させるようだった。

 

Berryz工房は結成当初、学校行事の優先等を理由に、メンバーの入れ替えの可能性が示唆されていた。

学校生活と両立する彼女たちの姿に、かつての自分を重ねていったのである。

 

 

その後にリリースされた「ジリリキテル」はリリース当日に購入した。

同時に「初夏 初単独 ~まるごと~」のライブDVDを購入した。

このツアーライブで石村舞波さんが卒業した。彼女の卒業シーンに感動してしまったのである。

 

次のライブはぜひ参戦したい。そう思った。

「Berryz工房コンサートツアー 2006春 ~にょきにょきチャンピオン!~」は、当時1推しだった安倍なつみさんのおとめちっくBankよりも先にファンクラブの先行予約をした。

 

 

2006(平成18)年3月、「Berryz工房コンサートツアー 2006春 ~にょきにょきチャンピオン!~」のツアーが始まる。

私は埼玉県戸田市での公演に参戦した。

 

そして、ライブでのVTR「愛する人の名前を日記に」PVコーナー。

熊井ちゃんのランドセル姿に、心からの衝撃を受けたのである。

 

それは懐かしさや感動などと言う言葉では言い表せないほどの衝撃だった。

小学生の時に好きだった人、淡い恋心、あの頃の思い出、失っていたもの、中学受験は大変だったけど楽しみを見つけて頑張れたこと、

すべてが、まるで現実の自分を離れ、過去に戻っていくように思い出されたのである。

 

そして私はその日から、現実の恋愛もすべて忘れるほどにBerryz工房推しになってしまったのである。

 

 

教職課程を大学で履修していた私は、その年の6月には教育実習に行った。

母校ではあったがあまり気乗りはしなかった。大学の付属高校での実習も考えたが、基本は母校という方針、ただそれだけで行ったというのが本音である。

 

教育実習の最中でもBerryz工房の歌は頭の中で流れ続けた。

しかし自称進学校を名乗る母校は、単に押し付けるだけの教育をしているようで、常に疑問を感じその環境に馴染めずにいた。

 

帰っても教材研究をしながらBerryz工房の歌を聴く。

自分がされてこなかった教育、失ってしまっていた過去とは何だったのかというものを考えていた。

 

あまり良い教科指導はできなかったのが正直な感想である。

母校の高校の教育方針には最後まで反感しか持たなかったし、卒業したことさえ後悔した。

結局高校のことは好きにはなれなかった。

 

そのような想いもまた、ハロプロキッズをさらに好きになるきっかけになっていた。
これから高校へ行く小中学生たちのためにも、自分は教育分野と教育政策を研究していきたいと思った。

 

 

8月には大学院入試の本番を迎えた。

緊張はしていたが、そのような中でもBerryz工房の歌は私を励ましてくれた。

 

大学院には無事に合格していた。

正直、あまり自信はなかった。元々、社会学分野のゼミに所属して卒業論文を執筆していた私は、さらに深く研究するため、公共政策の分野を志願した。

大学での卒業論文のテーマをさらに深めるのが大学院修士課程の研究の王道と信じ、それのみで大学院を選んでいたからである。

 

当時、長く続いた小泉政権が終わり、第一次安倍内閣が発足していた。安倍首相は教育基本法の改正を掲げ、

構造改革の中でも教育改革を進めるとし、教育政策はトレンドになっていた。

 

Berryz工房の歌に感じた小中学生の頃の淡い懐かしさ、教育実習で感じたこと、今の教育政策に感じる疑問…

自分は政策立案を研究するより、純粋に教育技法を研究する方が向いているのではないかとも思い始めていた。

専攻などこれからの方向性に、これでよいのかと疑問に感じたのも事実であった。

 

 

それでも合格のご褒美のようにハロプロのライブに参戦していた。

 

ハロコン、Berryz工房サマーコンサートツアー 2006「夏夏!~あなたを好きになる三原則~」、そしてよみうりランドでの「笑っちゃおうよ BOYFRIEND」リリースイベント。

ツアーの中野サンプラザでは、最前列の席だった。とにかく歌い踊りまくったのが今でも思い出される。

ミニアルバム「③夏夏ミニベリーズ」の付録のサンダルを履いて参戦したのが良い思い出であるが…。

 

しかし次第に、本当に合格した大学院に行くことがよいのか、非常に悩むようにもなった。

それでも私は地元に残ることを決めていた。

 

地元の秋祭りに参加していたら、その真っ最中に℃-uteの村上愛の卒業があった。

その一報を見た時は、祭りで振る舞われる日本酒で泥酔しながらで、最初は酔っているからかと思ったが違っていた。

℃-uteも同時に好きになっていったのは、奇しくもその頃からだった。

 

 

12月には℃-uteのイベントにも参戦する。

卒業論文が追い込みとなる時期だった。

 

年が明けると冬のハロコン。正月の中野サンプラザと横浜アリーナで2日間開催していたハロコンに、泊まりがけで参戦した。

 

 

その頃私は、SNS(ソーシャルネットワークサイト)のmixiを通じて、多くのファンの人と知り合いになることができた。

いわゆる現場でのヲタ交流を始めることになったのである。

またネット上や現場での交流だけではなく、「ハロプロナイト」といったファン有志のクラブイベントなどにも参加することができた。

 

ネットで知り合ったハロプロでの友人知人は、学校や近所の知り合いとも違う仲間であり、

ヲタ仲間との交流やその時間は、どこか世界さえ違って見えるように感じていた。

 

ただ元々中学時代の同級生から誘われたmixiが、次第にヲタ仲間が過半数となり、mixiの記事もハロプロ記事ばかりになっていった。

mixiで再開した同級生に久々に対面すると、当時ハロプロのことばかり根掘り葉掘り聞かれたことは言うまでもなかったが…

 

 

2007(平成19)年の2月には、Berryz工房が出演した「NHK福祉大相撲」を観覧する。

 

帰りにはヲタ仲間とちゃんこ鍋を食べた。

大学でも近所の人たちとも違う、このような交流は初めてで、とても新鮮だった。

ハロヲタをしている自分は、普段の自分とはまったく違う自分でいられた。

 

そして福祉大相撲がテレビで放映されると、自宅はまるで異次元に吸い込まれるように感じた。

ヲタ仲間と過ごす時間は、私に新たな発見をもたらせたのである。

 

同時期には℃-uteのライブツアーも始まっていた。

東京の日本青年館に会場推しに行ったのである。

 

 

翌月の3月、Berryz工房初のバスツアーが開催された。

私はmixiで知り合った人と相部屋で参戦したのである。

 

夢のような時間は今までの人生で感じたことのない瞬間だった。

「胸さわぎスカーレット」や「VERY BEAUTY」を聞くと、今でもあの日のことを思い出す。

 

 

大学は無事卒業した。

しかし大学院での生活には、依然として大きな不安を感じていたこともまた事実だった。

本当にこの専攻でよいのか、この学校でよいのか…。

不安は日増しに多くなっていたが、それでもここで道を変えることは考えられずにいた。

 

 

そして、2007(平成19)年4月1日。

伝説のライブの日がやってくるのである。