ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第4章:Berryz工房 二度とない感動の瞬間 | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

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前回は「ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第3章:Berryz工房の衝撃」です。



2007(平成19)年、私はBerryz工房のライブやイベントに加え、℃-uteのライブ、イベントの他、モーニング娘。のイベントにも参戦していた。
モーニング娘。には光井愛佳さんが加入した。お披露目イベントの抽選に応募していた私は当選し、品川でのお披露目握手会イベントに参戦した。

私はBerryz工房では、1推しに清水佐紀さん、2推しに徳永千奈美さんという状況になっていった。

大学は卒業式を残すのみとなり、大学院への入学が間近になっていた。
この時期には、サークル仲間とともに卒業旅行などに行った。


2月にはNHKとNHK厚生文化事業団が主催する大相撲のチャリティー興行、「福祉大相撲」にBerryz工房がゲスト出演した。

私は初めて、両国国技館を訪れ、国技館の椅子席で日本酒を飲み見つつ観覧した。

3月には、Berryz工房のファーストバスツアーが開催された。

私は当時、mixiで知り合ったハロプロファン仲間の方との相部屋で申し込んだ。

高倍率だったが、私たちは当選することができた。
「Berryz工房ファーストファンクラブツアー in Aichi」というイベント名だったファーストバスツアー、

行き先は愛知県の蒲郡市、刈谷市と刈谷市だった。

 

バスツアーでのファンの方との相部屋、深夜まで続くハロプロトーク、最後はサプライズでメンバーがバスに乗車してきてくれたこと…

すべてが忘れられない思い出であり、私にとっての大学の卒業旅行のようであったし、思えば最も充実した日々だったように思う。



そのような中、Berryz工房は、さいたまスーパーアリーナでの単独ライブの開催という発表がされた。

さいたまスーパーアリーナは埼玉県民の私にとっては聖地でもある。
そのさいたまスーパーアリーナで単独公演を行う。それも公演するアーティストとしては最年少記録を達成(平均年齢13.8歳)するということ。
さらにこの日は、私が大学院に入学する日。

かつては芸能界に憧れて、大学すら行こうか迷っていた自分が、大学を卒業し大学院に進学するという日。学問の道へ進む第一歩となる日。

その日をBerryz工房が祝福してくれる日のように感じた。


ただ入学を予定していた研究分野には迷いがあった。
公共政策の分野に進むということに対して、具体的な研究計画はあいまいなままだった。学部レベルの知識のみで大学院入試を突破してしまい、研究計画は完璧ではなかった…
迷いはあったが、自分にとっての節目に感じていた。

それでもさいたまスーパーアリーナ単独ライブに向けての準備は、大学院の入学準備よりも楽しんで行えた。
清水佐紀さんのタペストリーなど、ハロプロ私製グッズを作ったりした。
現在では使用が禁止されているが、扇形に改造した高彩度のサイリウムなども、ホームセンターで部品を買って作ったりもした。

またmixiでは、さいたまスーパーアリーナでのライブの際、アンコールで会場をピンクのサイリウムで埋めようという企画が、マイミクの中の人から提起されていた。
私も企画と宣伝を担当していた。

大学は卒業式を迎え、いよいよ大学院入学とBerryz工房単独ライブの日は近づいて来ていた。


そして、2007(平成19)年4月1日。
「2007桜満開 Berryz工房ライブ~この感動は二度とない瞬間である!~」
 

 

私にとって、人生最大の思い出に残るライブとなった。
 

 

この日に入場者に限定配布された、未発表曲のシングルCD「桜→入学式」「サクラハラクサ」。
その歌が、ライブで披露された時、自分自身の今と人生が重なり、感動して涙が出てしまった。

嗣永桃子さん、菅谷梨沙子さんがソロで歌う場面には、成長した姿を感じていた。

「2007桜満開 Berryz工房ライブ~この感動は二度とない瞬間である!~」
(2007(平成19)年4月1日)
<セットリスト>
01.ジリリ キテル
02.スッペシャル ジェネレ〜ション
03.BERRY FIELDS
04.VERY BEAUTY
05.笑っちゃおうよ BOYFRIEND
06.ハピネス~幸福歓迎!~
07.桜→入学式(昼)/サクラハラクサ(夜)
08.日直~芸能人の会話~ (徳永千奈美・熊井友理奈)
09.恋はひっぱりだこ (嗣永桃子)
10.図書室待機 (清水佐紀・須藤茉麻・夏焼雅)
11.愛する人の名前を日記に (菅谷梨沙子→全員)
12.素肌ピチピチ
13.TODAY IS MY BIRTHDAY
14.ありがとう!おともだち。
15.あなたなしでは生きてゆけない
16.ファイティングポーズはダテじゃない!
17.ピリリと行こう!
18.あいたいけど…
19.胸さわぎスカーレット
20.なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?
21.友情 純情 oh 青春
アンコール01.恋の呪縛
アンコール02.Bye Bye またね


今でもこの日は、私の人生にとっての節目。
まさにライブタイトルの通り「この感動は二度とない瞬間」だった。


その二日後、大学院の入学式を迎えた。
頭の中では「桜→入学式」のフレーズが流れ続けていた。


研究室の新歓に行く。しかしその時点から馴染めるかは不安に感じていた。
講義(大学院ではほぼすべての講義がゼミ形式で行われる)が始まっても、どこかついていけないと感じることが増えていった…

入学した4月の段階から、自分の選考に悩んでしまった。そして自分にとっては混乱の一年となってしまったのである…


5月にもさいたまスーパーアリーナのライブに参戦する。
「モーニング娘。コンサートツアー2007春~SEXY 8 ビート~」mixiのマイミクの人からチケットを譲ってもらったのである。
吉澤ひとみさんの卒業公演だったこの公演は、凱旋ライブにもなり大変盛り上がっていた。
「悲しみトワイライト」と「Hand made CITY」を通学途中に聞くようにもなっていた。

また、ハロプロフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P」の試合を観戦に幕張メッセへ行った。
高校生になったももちを見た時、自分はベリメンに比べて、人生遅れを取ってしまっているのではないかと感じたりもしていた。


その頃、全国の大学を中心に「はしか」が流行した。
大学院も臨時休校となったが、私はこのまま通い続けるべきなのか、もしかしたら中途退学して別の専攻でやり直すべきなのか真剣に悩んでいた。

6月には、Zeep東京が開催されたBerryz工房ファンの集いに参戦する。
新曲「告白の噴水広場」のリリースもあった。

握手会で、佐紀ちゃんに自分の専攻を話すと、本当に感心してくれていた。
でも、ももちに自分が教員免許を持っていることを話すと、もっと興味深い表情をしてくれた。

やはり教育学分野の方が、自分は合っているのか…
今自分が専攻している公共政策系よりも、教育学系の相互履修の方が、楽しいし研究計画が明確になる…
そう悩んでいた。


前期末試験。成績はぎりぎりだった。自分の研究には自身が持てなくなっていた。

それは本来の自分を見失っていたのかもしれない。
もしもこの時、大学院での専攻が正しかったのか、もう一度自分を見つめ直していたなら、
ハロプロもまた、ただ追いかけるだけの日々に終始していなかったのかもしれない…


その年のハロコンもまた、さいたまスーパーアリーナだった。
「Hello! Project 2007 Summer 10th アニバーサリー大感謝祭~ハロ☆プロ夏祭り~」
席は良席で、ハロプロメンバー全員の姿がはっきりと見られた。
感動は再び、さいたまスーパーアリーナで蘇ったのである。

ハロコンが終わる時間、その日に投開票が行われていた、参議院議員の選挙の開票速報が流れていた。
当時の第一次安倍内閣は、民主党に惨敗していた。
その頃、民主党が提案した「マニフェスト」で、政策分野はより一層トレンドになっていった。

4月1日にここで、研究の道にこれから進むと決めたではないか。
自分は今、時代の最先端の研究をしている。このままで良い。
どこかそのように感じてしまっていたのかもしれなかった…。


夏季休暇に入ると、大学院の集中講義がある。
大学院を中退して受け直すべきか、最後の決断の時期だった。

しかし途中であきらめるということ、中退しても再び合格できる保証はないことなどに悩んだ。
結局そのまま継続することにした。
大学院中退には踏み切れなかったのである。

その頃自分は一人暮らしを始めていた。
すると環境が変わり、再受験は完全に考えられなくなってしまったのである。


8月1日にリリースされたBerryz工房のアルバム「愛のなんちゃら指数」を購入する。
「愛のスキスキ指数 上昇中」「サヨナラ 激しき恋」は本当に朝から晩まで聞き続け、
「スプリンター!」「思い立ったら 吉でっせ!」には成長したベリメンに感動した。

悩んでいる姿はもうBerryz工房のメンバーには見せられない…もう次へ進もう。そう考えた。
今の専攻分野を生かして、公務員採用試験を受ければ良いと考えたのである。


コンサートツアー、「Berryz工房コンサート2007夏~ウェルカム!Berryz宮殿~」が始まる。
東京中野サンプラザ、そして初めて遠征し、北海道の札幌、さらに札幌から名古屋へ飛行機で直行し、名古屋の公演に入場した。

 

「ウェルカム!Berryz宮殿」は、私が最も多く参戦したBerryz工房のツアーとなった


この頃、ハロプロで知り合った人たちから「キャナァーリ倶楽部」のライブに良く誘われた。
キャナァーリ倶楽部は、「THEポッシボー」などが所属する「ナイスガールプロジェクト」で活躍するグループだった。
THEポッシボーはその年のハロコンでも見ていたし、彼女たちの歌やダンスには新鮮さを感じていた。
当時、地元活性化を目指すアイドルということで、ご当地アイドルの先駆けにも感じていた。

mixiのコミュニティで出会えた人、ブログで出会えた人、
そのような人との飲み会は、日常の自分とはまったく違う自分でいられた。周りの景色さえ違って見えたのである。
その方が素直な自分でいられた気がしていた。

各地での終演後にはmixiコミュの方たちとの打ち上げに参加した。
「俺はもう限界だ…」とか言っていたら、みんなが励ましてくれていた。

あの時の気持ちや、みんなからの言葉をもっと大切にしておけばよかったのかもしれない…


秋になって、大学院は後期が開始する。
自分は一人暮らしにも慣れ、環境も変わってきていたが、相変わらず大学院の研究は進まなかった。
後期には授業で研究成果が出せず大失敗した。これはもう卒業できないかもと本気で思ったほどであった。
その事態に的確にアドバイスをいただけたのは、当時相互履修していた教育学研究科の先輩だった。

あまり体調的にもすぐれない日々は続いた。地元の秋祭りなどには、ほとんど出られなくなっていたが、
パシフィコ横浜での「モーニング娘。“熱っちぃ地球を冷ますんだっ。”文化祭2007 in 横浜」や、「劇団ゲキハロ第3回公演『リバース!~私の体どこですか?』」などは観覧した。
さらに慶應義塾大学三田祭の三田爆音でも踊ることができた。


Berryz工房だけではない。℃-uteもこの年には本格的に推し始めていた。
「まっさらブルージーンズ」はハロプロナイトや三田爆音への参戦で踊れるようになっていたし、「都会っ子 純情」はリリースからほぼ毎日聞いていた。
℃-uteのダンスもすぐに踊れるようになっていたのである。
そしてその年のレコード大賞での最優秀新人賞受賞には、本当に驚き感動した。

さらにこの年にデビューした「Buono!」にも注目していた。

ハロプロはすでに私生活のすべてになりかけていたのである。


しかしながら自分にとって、大学院の専攻選びは完全に間違っていた。
結局一年間、研究発表を万全の態勢で行った事がない。完全に「ダメ院生」になっていた。

大学院は高校や大学までの勉強の延長ではない。勉強は理解や暗記をしていくことだが、
研究とはまさしくその暗記や理解すべき理論を新たに作っていくことである。
いわば後の人が暗記し理解していく「勉強すべきこと」を作っていくのである。

自分にそのことができたのは、教育分野であったと思うし、それはハロプロが気がつかせてくれたことであった…
元々芸能志望だった私には、研究とは何かを生み出すかっこいいものにしか見えなかった。その「何か」がわからなかった。
勉強と研究の本質を理解していなかったこと、政策分野に関して学部レベルの知識はある、
俺はすごいと勘違いして自惚れていたことが、すべての過ちだったのである。


あの日のライブとそれに続くBerryz工房推しが、その迷いを取り払っていったのか、逆に混迷を深めてしまったのか、それは今もわからずにいる。
それでも確かに、2007(平成19)年4月1日は、時が流れても自分にとっての節目である。

限定配布された「桜→入学式」「サクラハラクサ」のCD本体は、その後、数奇な運命をたどることになる。

それから10年後の2017(平成29)年にも、私はさいたまスーパーアリーナのライブに参戦していた。
やはり運命を感じている。


そしてBerryz工房ライブから12年後、2019(平成31)年4月1日。
「平成」に代わる新しい元号「令和」が発表された。

私の人生にとっての二度とない感動の日、4月1日は、日本においても歴史的な一日となった。

この公演をベースにしたコンサートはゴールデンウィークに愛知・大阪で「Berryz工房コンサート2007春 ~続・桜満開 ゴールデンウィーク編~」として行われた。
新元号発表が4月、5月に改元した日程とどこか似ている。


大学院生活は確かに辛かった。その後の社会人生活も成果の出せない日々が多かった。
でも確かに私にとって、あの日は二度とない感動の瞬間だった。

それは平成の時代から令和の時代に引き継がれていくように、今は感じている。