ブログテスト日記 -5ページ目

ハッピーバースデーUN

 国連は24日、創設から60周年を迎え、ニューヨークの本部内で様々な行事が行われた。

 本部ロビーでは同日朝、アナン事務総長やエリアソン総会議長が、職務中に犠牲になった職員に献花。世界から集まった子供たちが「ハッピーバースデーUN」を合唱した後、2人は用意された巨大なケーキのろうそくを吹き消した。

 この日は国連60周年と同時に、今年生誕100周年を迎えた第2代事務総長で、死後ノーベル平和賞を贈られたダグ・ハマーショルド氏の業績をたたえるさまざまな記念イベントも行われた。同氏は61年9月、現職のままコンゴに向かう飛行機の事故で死亡した。

前フィンランド大統領を特使に任命へ

 国連安全保障理事会は24日、セルビア・モンテネグロ(旧ユーゴスラビア)コソボ自治州の最終的な地位を確定する国際的な協議について「安保理はこのプロセスを全面的に支援する」などとする議長声明を採択した。アナン事務総長は同日、国連を代表して、この最終地位確定協議に参加する特使として、フィンランドのアハティサーリ前大統領を今週中にも任命することを記者団に明らかにした。

核廃絶決議案、過去最多の賛成で採択

 広島・長崎の被爆60年にあたって核廃絶を訴える決議案が26日、軍縮・安全保障問題を協議する国連総会の第1委員会で、賛成166、棄権7、反対2で採択された。反対したのは米国とインドだった。

 決議案は日本が提出していた。日本による核廃絶決議案は94年以来、毎年提出され、採択され続けてきたが、これまでの最多だった昨年の賛成151カ国を15カ国上回った。

 昨年まで決議案を「生ぬるい」と批判して棄権していたブラジル、エジプト、スウェーデン、ニュージーランド、南アフリカなどの核廃絶を求める「新アジェンダ連合」(NAC)の7カ国が今年は賛成に回ったほか、やはり昨年は棄権だったイランも賛成した。

 米国の反対は01年以来連続。棄権したのは中国、北朝鮮、イスラエル、パキスタン、ブータン、ミャンマー、キューバの7カ国だった。

計器故障で貨物便、関空に着陸

 28日午前2時ごろ、仙台市の北東約800キロ、高度1万700メートルの太平洋上を飛行中の香港発アンカレジ行きの貨物便、ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)6993便(ボーイング747―100型機、乗員6人)で、飛行位置を確認する三つの計器のうち二つが作動しなくなった。同便は目的地を関空に変更し、同4時29分に着陸した。けが人はなかった。国土交通省によると、同機は関空で部品を交換し、同日中には離陸する予定という。

メキシコが13回目出場決める

 サッカーW杯ドイツ大会の北中米カリブ海最終予選は7日、3試合があり、メキシコがホームでパナマに5―0と圧勝し、4大会連続13回目の出場を決めた。出場決定は8カ国となった。コスタリカもホームでトリニダード・トバゴを2―0で下し、W杯出場に大きく前進した。グアテマラはホームで米国と0―0で引き分けた。

雨風呂テスト

テーマ:人文書

丸山 真男『日本の思想』(岩波新書)

現代において丸山を読まんとするひとが彼のことを「戦後民主主義のイデオローグ」と前提しているとも思えず、ただことあるごとに出現するその名が脳裏に刻まれ、この薄い本ならととりあえず本書を手に取り、だいたい本文の5ページ目あたりの細かい注記にめまいを覚え、そのまま本を閉じ再び日常に帰ってゆくのがよくある光景だと思うが、この本、どう考えても最後の二編から読むのが正解で、そこで提出された考え方を実際に近代日本思想史に即して展開したものが前半部の論文といえる。

その意味で、最初から読まねば気がすまないという完ぺき主義者には、本書は非常にきつい。何しろ前半部分は、常人が一読してそのまま理解できるとは思えないほどの難解さである。というか、最低限の近代日本思想史と文学史の知識が要求されるからである。

ところが後半の二編は、頭をつかってゆっくりと読めば必ずわかる、前提条件をまったく必要としないもので、丸山を読みたいというひとがいたら、わたしは必ず本書の後半部分を勧めている(最近も一昨年あたり日銀総裁に就任した福井俊彦に丸山眞男はすごいと散々吹き込まれたらしく、知人がしきりに丸山、丸山と連呼するのでとりあえず本書を勧めておいた)。

さて後半の2論文のなかでも特に最後の「『である』ことと『する』こと」という一編から読むのが賢明である。ある意味で、これを読むだけでも本書の効能はあったといえるような代物なのだ。

では、この論文はいかなるものなのだろうか。実はその答えは意外なところに明記されている。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(日本国憲法第12条)

つまりすでに何々「である」というかたちで、鎮座ましましているものを押し頂いているだけではダメだということ、何かに対する「不断の努力」こそが肝要であるということが、この一編のいわんとするところであり、この主張にさまざまな味付けをしてゆくのが、またおもしろいところである。

味付けといえば、丸山は「である」と「する」を概念実在論と唯名論といいかえつつ、それらをさらに次のように説明している。

「プディングのなかに、いわばその属性として味が内在していると考えるのか、それとも食べるという現実の行為を通じて、美味かどうかがそのつど検証されると考えるかは、およそ社会組織や人間関係や制度の価値を判定する際の二つの極を形成する考え方だと思います」

つまり実際に食べずとも、もともと美味「である」と前提してこと足れりとするのか、それともそいつが美味「である」かはわからんと、実際に食「する」ことで、美味か否かを判断するという違い。これが社会組織などの「価値」を判定する二つの極を形作るのだと。

先の憲法の例でいうならば、

この憲法が国民に保障するものは自由及び権利「である」

しかし

国民の不断の努力によつて、これを保持「する」

ということになる。つまり憲法で「保障」されているからとって、のんべんだらりとあぐらをかいているだけではなく、「不断の努力」によってはじめて、それら「自由及び権利」は「保持」されるんだということである。

さて、ではこの「である」「する」によって、「社会組織や人間関係や制度の価値」をどのように考えてゆくのだろうか。彼はこの「である」論理及び価値が、「する」へとシフトするところにいわゆる「近代」を見る。つまり「である」に基づく血縁関係や地縁に基づいた人間関係を基礎とした社会から、目的を目指して動くという「する」論理による組織が中心を占める社会へと移行するのだと。

しかしながら、こういった社会変動論的な視点を提出して歴史を見るというだけではさほどの意味はなく(つまり社会変動を論じて満足している、富永健一とかいう学者の某一派はそれほど存在価値がない)、上記の二つの論理と価値がつねにその比率を変えながら、あらゆる時代と地域の「国家」において機能していることを意識することで、具体的な判断の道具を手に入れることになる。丸山の言葉を引用すれば、

「具体的な国の政治・経済その他さまざまの社会的領域での『民主化』の実質的な進展の程度とか、制度と思考習慣のギャップとかいった事柄を測定する一つの基準を得ることができます」

ということである。そしてこれこそこの一編における結論の伏線なわけだが、もう少し本編を読み進めてみよう。
※「2」へ続く

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上海で反日デモ、市民ら1万人以上参加

 中国国内で反日デモの再燃が懸念される16日、上海市中心部で若者らが中心となって1万人以上のデモを行った。今月2日から始まった反日デモが、日系企業と在留邦人が最多の上海市で行われたのは初めて。デモが許可されたものかどうかは不明。上海に近い浙江省杭州市でも市民ら2000人規模のデモ行進が始まった。

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