どうもみなさま、ご無沙汰しております。輝です。
カナダ留学をスタートした際にブログもスタートさせたはずが......気づいたら、3年以上放置状態。笑
そんな2020年7月11日からスタートしたカナダでの生活、2024年7月25日にてピリオドを打つことに決めました。
約4年間の振り返りを備忘録として少しずつまとめていこうかなと思います。
結論からすると、長いようで短いカナダ生活でした。気づけば、ダラダラと4年もこっちにいたみたいです。笑
そもそも、留学を決めた理由.....
- ちょうどコロナの影響で建材が届かないという事態を直面し、サプライチェーンマネージメントに興味を持ち、学ぼうと思った。学問として発展しているのが、海外であったため、日本を飛び出すことを決意。
- 職人さんもかなりグローバル化してきているので、英語を話せた方がいいと考えた。
- 仕事上、客先とのコミュニケーションや、客先へのプレゼンなどに苦手意識があり、少しでも改善できるような環境に身を置きたかった。
が、留学後の転職活動を行うために考え出した留学理由です。(つまり、建前。笑)
え、本音?
そんなの、
職場環境から逃げ出したかった
海外で生活をしてみたかった
当時の彼女と籍を入れたかった
です。笑
日本社会からどうしても逃げたかった。
仕事にも、生活環境にも一切不満などは何もなかったのですが、この生活が定年まで続くのか.....この会社と自宅を行き来する生活を30年間続けるのか、と考えた瞬間に少し怖くなってしまったのです。大学からずっと建築をしてきた私には、建築の道しかないため、転職を考えたとしても同業他社。そうなると、周りの人間関係が少し変わるだけで、大して変化もないだろうな、と。かといって、他業界に行くのは収入が落ちることを考えると、当時の私的には、あり得ない選択肢でした。
海外で生活をしてみたかった。
小さい頃から、何度も海外でホームステイを経験しているのですが、どれも1ヶ月など短期間。ようやく慣れてきたぞ!と思った時には、帰国....。そんな経験を何度も繰り返しているからこそ、いつか年単位の長期で海外滞在をしてみたいと夢見ていました。旅行をするのと生活するのでは、雲泥の差がありますよね😅
当時付き合っていた彼女と、籍を入れたかったんです。。
(結局、カナダ留学中に彼女とか別れてしまったので、この目的は無くなりました。笑)
LGBT当事者の私には、当時、同性の彼女がいました。日本ではパートナーシップ宣言がありますが、あれって法的効力が基本的には一切ありません。そのため、私の資産はたとえパートナーシップを誓約した彼女でも、存続されません。(あくまで一例)当時の彼女と籍を入れたかった私は、同性婚が法的に可能である海外に目を向けるきっかけの一つになりました。
当時、彼女と話していて、オーストラリアを移住先として考えていたのですが、
- 物価
- 永住権の難易度
- 留学生に対する学校制度
- 気候
を考慮した際に、
カナダの方がいいのでは.....?と考えに至り、カナダに留学を決意いたします。(2020年の話なので、現在とは大いに異なりますのでご注意ください。)
カナダに留学をすると決めてからのスピードは異常に早かったと記憶しています。留学エージェントさんもかなりのスピードで私と彼女の2人分のサポートをしていただきました。
私:語学学校(半年)→COOP(2年半)→ワーホリ(1年)
彼女:ワーホリ(1年)
今だからこそ言えますが。この時のスピード感のおかげで、良くも悪くも、後戻りできなくなってしまったのかなと。ちょっと時間を置いて考え直して、「あ、やっぱり、やめようかな。。」といった時間もなく、とにかくすごいスピードで進んでいきました。気づけば、語学学校への入学許可書が発行され、入学金の支払いを何日までにという案内。もう後戻りできないところまで、一気に進んでいました。だからこそ、コロナ禍においても、私だけ無事にカナダに入国することができました。
カナダ入国時に関しては、当時詳しく記事に記載しておりますので、割愛いたします。気になる方は、当時の記事をぜひ読んでみてください。当時はコロナ禍だったので今と全然状況が違って、ある意味面白いかもしれません。笑
実際、何度も挫折しそうになり、何度も何度も日本に帰ろうと思ったことたくさんありました。が、コロナ禍の影響で簡単に飛行機が乗れなかったおかげ?せいで?なんとか学校を卒業して、今に至ります。
そんなカナダでの生活を、次回から詳しく話していきたいと思います。でも、隔離生活があったため、実際にカナダという地に飛び出すのは、また少し後のお話。
では、また