第二次大戦末期の日本への原爆投下後の人々の原爆や核廃絶運動などをめぐる態度について、「怒りの広島、祈りの長崎」と言われることがあります。
それは一言でいって、広島は「原爆許すまじ」という傾向が強いのに対して、長崎は宗教問題が絡んで複雑なものがあると感じています。
そして今年2025年8月9日、石破首相による長崎の平和式典で行った挨拶について、相当な違和感を覚えました。
まずは、NHKより挨拶文の全文が掲載されているので、リンクしておきます。
「日刊スポーツ」では、石破首相が広島の平和記念式典では詩人の詩を引用、長崎の平和記念式典では故・永井隆博士の言葉を引用したことを、「すばらしい」などとべた褒めする記事を載せています。
しかも石破賛美の発言は、SNSのコメントを拾ったものばかり。
ほとんど芸能人のInstagram記事を取り上げたコタツ記事の中で、料理の投稿を「プロのシェフみたい」、女優が美容院に行った後のヘアスタイルを「まるでアイドルみたい」というコメントを拾って持ち上げた記事と同じレベルですね。
芸能人ならともかく、政治家、それも一国の総理大臣に対してこのような提灯記事を載せることは異常事態というべきで、全体主義への欲望を感じます。
トルクメニスタン、北朝鮮、エリトリアの報道など、このようなものでしょう。
石破首相が引用した故・永井隆博士について、石破首相は挨拶の中で次のように述べています。
「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ。
長崎医科大学で被爆された故・永井隆博士が残された言葉であります」。
確かに永井隆は放射線医学を学び長崎医科大学教授をとめた人物であり、長崎の原爆投下後は被爆者の治療に尽力した人物ですので、相応の評価はあってしかるべきでしょう。
他方では、永井隆はローマ・カトリック信徒として、原爆投下を神学的にとらえた発言をしています。
その点について、刊行当時ベストセラーとなった著書『長崎の鐘』が、青空文庫に収録されています。
本そのものは絶版になっていますが、ネットで全文読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/50659_42787.html
同書は著述の大部分は原爆投下と被爆者の救助や治療をめぐるものですが、ローマ・カトリック信徒として、次のようなことも書かれています。
「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きなみ摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」。
「あの日あの時この家で、なぜ一緒に死ななかったのでしょうか。なぜ私たちのみ、かような悲惨な生活をせねばならぬのでしょうか。私たちは罪人だからでした。今こそしみじみ己が罪の深さを知らされます。私は償いを果たしていなかったから残されたのです。余りにも罪の汚れの多き者のみが、神の祭壇に供えられる資格なしとして選び遺されたのであります」。
つまり、永井隆にとって原爆投下は「神の摂理」であり、その死者は「汚れなき小羊の燔祭」として神に捧げられた存在、生き残った者は「償いを果たしていなかったから残された」「罪の汚れの多き者」であり、総じて「神が与えた試練であり、神に感謝」すべきという考え方です。
こうした永井隆の論は、後に「浦上燔祭説」として批判を呼び起こすこととなります。
その批判は、米軍の原爆投下の免罪であり、アメリカのプロパガンダではないかという批判です。
たとえば詩人・山田かんによる永井隆批判は、『長崎新聞』(2003/08/04)の中で引用という形で取り上げられています。
「『原爆』の内質としてある反人類的な原理をおおい隠すべき加担にほかならなく、民衆の癒しがたい怨恨(えんこん)をそらし慰撫(いぶ)する、アメリカの政治的発想を補強し支えるデマゴギー(事実に反する扇動的な宣伝)」。
また関西大学の紀要論文で、永井隆と「浦上燔祭説」について考察した論文が読めます。
関西大学紀要論文「永井隆はなぜ原爆死が神の摂理だと強調したのか? : 「ケガレ」から考える試み」の中で岡本洋之は、江戸時代以前の隠れキリシタンの流れをくむ長崎のローマ・カトリック信徒たちは、近代以降も「ケガレ」として差別されてきたが(いわば被差別部落問題に近い存在か?)、それでも自らの信仰に誇りを持ってきたこと、原爆投下も日本の神を信仰せず外国の神を信じてきた天罰という揶揄があった中で、永井隆の「神の摂理」などの一連の発言は長崎のローマ・カトリック信徒の「癒やし」として発せられたものであると述べています。
上記論文では、「浦上燔祭説」批判は主に政治的な批判であり、擁護する側は信仰の立場から擁護する見方が多いとされています。
他の地方になりますが、同じカトリック教会の中からも、永井隆氏の言説をめぐっては複雑な見方がされてきたともいえると思います。
「これに対して原爆についての考え方や態度において、長崎市民の間に温度差や対立が生じました。ある人は「原爆は長崎ではなく浦上に落ちた」とか、またある人は「お諏訪さん(諏訪神社)が原爆から守ってくれた」と言う人など、様々な考え方が起こりましたが、そんな中で信徒を慰める葬儀の場で永井博士は、長崎の原爆投下は、「神の摂理」であり、原爆による死没者は「汚れなき小羊の燔祭」である。そして生き残った者は、「神が与えた試練であり、神に感謝」すべきと話されたそうです。
ところがこの永井博士の話は、彼の意図を越えて「アメリカの原爆投下を正当化している」などと言って、教会内外から数々の批判が起こりました。
この永井博士の「神の摂理」論に影響を受けて、長い間、被ばくを宿命ととらえていた信者も多かったようですが、その流れを変えたのが、1981年に来日した教皇ヨハネ・パウロ2世の「戦争は人間の仕業です」という言葉でした」。
神奈川県横浜市にあるカトリック都筑教会の主任司祭・西本裕二はこう述べています。
また、長崎の原爆投下と「浦上燔祭説」をめぐる問題は、2025年8月9日(土)放送のTBSテレビ『報道特集』の中でコンパクトにまとめる形で取り上げられています。
8月9日(土)放送分
8月17日(日)12:00 終了予定
『長崎原爆の日 詩人が問う「戦争責任」』
https://tver.jp/episodes/epixzr4szq
さらに付け加えておけば、古代ローマ帝国末期のキリスト教教父のひとり、聖アウグスティヌスは自由意志を「何人も神の扶助なしには善をなす自由を有しない」(*1)と、「神の恩寵」と結びつけて解釈しました。ここでは「善をなす自由」とあるのは、プラトンを引き継いだ「悪は善の欠如」という考え方も関係しています(*2)。そして、近世以降の西洋哲学において、決定論と自由意志をめぐる議論があったことを書いておきましょう。
このうち決定論については、キリスト教以前からあり、古代ギリシア世界における神々さえ逆らえない運命という世界観があり、のちキリスト教以降は「神の摂理」という形で展開され、近世以降に様々な批判が沸き起こっています。
たとえば16世紀イギリスの経験論哲学者デイヴィッド・ヒュームは、自由と必然が両立する考えで展開していたが、同時に因果論については、神の存在証明としての「デザイン論証」を批判的に探究し、「デザイン論証」は起きた結果から原因を推論だけしかできず、原因と結果の恒常的連接を欠いているという疑問を投げかけました(*3)。
この議論をすると話が広がりすぎますが、とりあえず、米軍が行った原爆投下は「地の国」(*4)による政治的判断の結果であり、「神の摂理」などではないことは明らかですが。
現代の、それもローマ・カトリックでもキリスト教の信者でもない大多数の人々からみて、「神の摂理」という発言は、東日本大震災での地震や津波を「天罰」と言った石原慎太郎東京都知事(当時)の発言と同類でしかないでしょう。
ここでの私の立場を明らかにしておくと、私はカトリックの信徒ではないし、そもそもキリスト教の信者ではありませんが、過去にカトリック教会の聖書講座に通って勉強をしていたことはあります。
その後、フリードリッヒ・ニーチェの思想(彼岸こそ本来の世界とすることで現世での「生の弱化」をもたらす)と、永井隆氏の浦上燔祭説を知って根本的な疑問を抱きました。信徒ではないので棄教ではありませんが。
確かに原爆投下の直後からしばらくの時期において、永井隆の「浦上燔祭説」は、長崎におけるローマ・カトリック信徒の様々な事情に照らして出された考え方であるといえなくもないでしょう。
だが、そういう事情とまるで無縁な石破総理が、戦後ずっと賛否両論を呼び起こしてきた永井隆氏の言葉を安易に引用し、マスコミが「クリスチャンならではの素晴らしいお言葉」などと持ち上げることには、強い怒りを覚えます。
*1 アウグスティヌス『省察と箴言』ハルナック編、服部英次郎訳、岩波文庫、1937年、156ページ。
*2 アウグスティヌス前掲書、また谷隆一郎『アウグスティヌスと東方教父―キリスト教思想の源流に学ぶ―』九州大学出版会、2011年、61ページ以降、クラウス・リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社ライブラリー、2000年、218-219ページ、参照。
*3 一ノ瀬正樹『功利主義と分析哲学―経験論哲学入門―』放送大学教育振興会、2010年、参照。
*4 アウグスティヌスは『神の国』において、「地の国は自己への愛から生じ、神をなみするに至り、天の国は神への愛から生じて自己憎悪に至る」という形で対比している。これは地の国は現世と物質的欲望、肉体と精神の快楽を指し、神の国は来世と信仰を指す。アウグスティヌス『神の国』J.C.W.ワンド編、日本基督教団出版局、1968年、327-328ページ、参照。