のびのびボランティア紀行
(これはトンド地区。カルデロンさんの両親の出身ということで、日本でも有名に)




マニラというのは、とっても治安のよくない街です。

ほわほわしてられない、本当は。



何せ、セブンイレブンのドアをガードマンが開け閉めしていて、散弾銃に実銃を込めて、いつでも撃てるように、もっている。



けっしておどしや酔狂じゃない。本当に強盗が入るので、コンビニエンスストアでも、厳重警戒態勢なのだ。



かくいうぼくも、長いアジアの経験のなかで、いっかいだけ、本気で財布をすられかけた。



それはソリエンテホテルの近くの交差点。

ご飯を食べたあとで、ちょっと心がゆるんでいたのか、うっかりウェストポーチを、背中にまわしてたすきがけにしていた。



すると、交差点で信号待ちをしていたら、何だか、ひやーっといたな予感がした。



はっとして、ウェストポーチを前にまわした。

とじていたはずのジッパーがあいていて、財布が半分はみ出ていた。



カード類も入れてたから、危ない危ない。

ひんやりほわほわ。



それからは、何があろうと、ゼッタイウェストポーチは、胸の心臓の前でしっかり固定した。



万が一誰かがすろうとしても、もっとも敏感な心臓の前だから、必ず分かる。



そんなマニラの、さらには不法占拠地帯に入るのは、それなりの覚悟がいる。



なにしろ、そういうところには、ガンマン(殺し屋)が潜伏していたりする。



実話だけど、セブの有力新聞、セブ・スター・ニュースにのっていた、仰天の話。



2年前に、小さな町の政治家を殺して、ゆくえをくらましていた犯人が、丘の上にひろがるバリオ(スラム)の中で、美容師として、2年間も仕事をしていた。



顔写真ものっていたけど、女の子みたいな、可愛い顔立ちの、とても殺し屋には見えない青年だった。



それが客のひげをカミソリでそったり、はさみで髪をじょぎじょぎやっていた・・・



ゾーッとしないかい。



そんなマニラをはなれ、パグサンハンという田舎へ、慰霊に行くことに。



そこまではバスでしかいけない。

朝、ホテルの受付の、くりくりっとしたつぶらな目の女の子に、バス乗り場までの行き方をきいてみた。



「えーと」とまじめに応えようとする女の子。


すると横から、散弾銃をかまえた中年のコワイおじさんが、


「バス停まではタクシーでいけ」という。おそらく、受付の女の子のお父さんなのだ。どこの馬の骨かわからない、日本人などに、近づいて欲しくないのでしょ。



ありがとうねえ、と外に出てタクシーをつかまえる。コワイおじさんがタクシーを止めた。だが、止めたはいいが、値段交渉はしない。



地図でみると、そんなに遠くない。メーターで行ってというと、雨が降っていたのもあり、運転手は強気。



「メーターじゃいけねーな。200ペソだ」



「うーん、分かった、160ペソでどうた(本当は100ペソしないのはわかってるけど)」



「じゃあ180ペソ」



立っていると、どんどん濡れてくる。もう仕方ない。180ペソで商談成立。



バス停に着くと、まさしくパグサンハン行きのバスが出るところだった。



ちょっと余裕があったので、サツマイモのまんじゅうをかう。道中少しずつ食べた。



ただぼくの熱はまだ下がっておらず、香港のツアーバスジャック事件のこともあって、けっして落ち着けなかった。



4時間後にはパグサンハンだ。



つづくっちゃ (C)うる星やつら




のびのびボランティア紀行
(マニラの子どもたち。路上に住み、食べ物を乞う)




マニラ湾ぞいには小道がたくさん。

その小道ひとつひとつが、不法占拠地帯になってる。

でもその中は意外と平和。



むしろ、みんなで助けあう、あたたかい雰囲気さえある。

風呂なんてないから、タライに水を入れて体を洗う。


のびのびボランティア紀行




みんな同じくお金が無いので、貧しいことは、恥ずかしいことじゃない。



こういう中から、アメリカや日本へ出稼ぎに出る人たちがいる。そんな人たちが海外から送金するお金で、フィリピンの経済は成り立っているともいわれるほど。



服なんて、すりきれのボロ。

とくに子だくさんなので、子ども服は、お下がりのお下がり。

その上都会暮らしは、排気ガスとか、いろんな汚れがつきやすい。



だから、子供たちに服をもってくと、まわりを取り囲まれて、たいへん。

もちろん、子どもたちに渡すために服を持って来てるのだから、嬉しい悲鳴でもある。



衣服の手渡しは、とっても体力がいるけれど、たいへん楽しいですよ。



元気ありあまる、アジアの子どもたちと、ふれあえる貴重な時間です。




のびのびボランティア紀行



写真の右上、半分しかうつってない女性、かなりセクスィな服そうだけど、マニラでは普通です。



でもあんまりミニスカートとか、ホットパンツとかの若い女子は、いないかな。キリスト教の国なので、厳しいみたい。



そのへんの露出の過激さ、大胆さは、意外や意外に、たぶん日本の渋谷とかが、世界一だと思います。



東南アジアから帰ってきて、日本の女の子たちの「女子力」の強さには、圧倒されます。



どうしてそれなのに、日本では草食系男子が増えてる、なんていわれるんでしょうね。



ほわ~。



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さてさて話をもどして。

ホテルに帰って、マニラ湾ぞいに、ホームレス家族がたくさんいることを、センセイに伝えた。



「よし行こう」

となり、えっちらおっちらバッグを抱えて、マニラ湾へ。



遊歩道の道路をはさんで、内側に、茂みがある。

そこに、ホームレス家族たちが、段ボールで家をつくって住んでいた。



衣服を渡すと、それはそれは喜んでくれた。

どうして家族みんなでホームレスになったのか。

お母さんにきいてみた。



「つい最近まで、あっちの方の路地に住んでたんだけど、去年の10月に火事があって。


みんな焼け出されちゃったの。政府は、家を建て直して、私たちを収容するっていうけど、まだまだ先の話なの。


そういうわけで、新しい住むところが見つかるまで、ここで寝泊りするしかないのよ」



うーん。火事になって、不法占拠地帯を、焼け出されてしまった様子。フィリピンのセブやマニラなど、大都会では、しょっちゅう火事がある。



そしてそのたびに、避難民が出る。

この家族も、そんな人たちだったわけ。

マジメな話、衣服でも、日本じゃ捨てられるようなものを、こういう人たちのところに持っていってあげたら、どれだけ喜ばれるかさ。



簡単な話じゃないけれど。

衣服を集めて、保管するのも、現地にもっていって、必要な人の手に確実に渡すのも、けっして楽じゃない。



でも苦しいばかりじゃないから、6年もやって来れたんだと思う。



(つづきます)




さいきん天気がいいので、ほんわかいけそう。

ほんわかマニラ、やっと2回目。



マニラについたときは、へとへとだったけど、その後ホテルまでタクシーにのったんだった。



ソリエンテっていうホテルで、1500ペソくらい。

だいたい、3000円ナ。

ほわ~。



一泊3000円でも、清く正しい私たちには、チョット高いの。

ふつうの日本のツアーの人たちが、泊まるようなホテルには、泊まってられなくて。



というのは、月に一回くらい慰霊と支援の活動にいっているので、出費をおさえないと、いけないから。



ソリエンテ・ホテルは、とっても安全。

清潔、とはあんまり言えないかも・・・



そこで、しばらく休んだと思う。



ぼくは熱が下がらなかった。

ぐでーっと寝ていた。



外に出るのは、ご飯を食べるときくらい。

なるべく安く済ませたいので、地元の食堂に行くんだけど。

マニラの食堂は、あんまり大きな声でいっては、いけないけれど、美味ではないの。



何でなのかは、わかりません。

魚も豊富だし、調味料とか、スパイスとか、たくさんあるのに。

それでも、あとあと、何とか食べられるスパゲティーの店を見つけた。



ちなみに、タコスやハンバーガーは、やたらおいしかったな。

でも毎日タコスにハンバーガーってわけにもいかない、もんね。



それで何してたっけな。



次の日、センセイは一人で、小道に衣服をあげにいったみたい。

センセイの旅日記には、「コータは翻訳をしていて夜型になっていて、寝ていた」とあるけれど、正確には違う。



風邪をひいて熱が下がらず、寝ていることしか、できなかった。

ほわ~。



あっ、そのあと体調が少しよくなって、部屋で寝ているのも、くさくさするので、マニラ湾にいったんだ。



マニラ湾ぞいは、遊歩道になっている。

そこには、お金がなくて、行き場があんまりない、人たちが、たくさん、タダで夕涼み。



自分も、熱っぽいあたまで、ぶらぶら歩いた。

すると、向こうの方から、ぼろ自転車に、青年がのってくる。

よく見ると、若いカノジョ(↑)を前にのせてる。



この、前にのせるっているの、分かるかなあ。

ハンドルとサドルの間に、カノジョ(↑)さんを、はさみ込んでるわけ。



多分、車もバイクもないので、自転車でデートしてるんだ。

それでもカノジョサンは、大はしゃぎ。

ものすっごく楽しそう。



カップルだと、何しても楽しいよね。

恋する10代だもの。



ぼくの横をとおりすぎざま、カノジョサンはいう。



「はろー! アーユーハッピー!?」



ぼくは、その勢いにたじろぎつつ、



「イエース。アイム・ハッピー」

と言っといた。



ハッピーを分けてくれたみたい。



マニラ湾沿いの夕暮れを見てから、路上生活者がわんさかと、いるのをちらりとうかがって、ホテルにもどった。



(つづくサ)


テラの会事務局のお仕事させていただいて、丸6年になります。もともと事務かたのお仕事は、そんなにハデなもんじゃないです。



さいきんはまさに事務ならぬ、地味な仕事のオンパレードで、不肖わたくしもジミキョク長となりました、



というのは、寄付された衣服の整理作業を、半年以上つづけているからです。



まァ半年くらいじゃ終わりません。



倉庫三つ分、6畳の部屋天上スレスレ、さらには廊下から洗面所、その他いたるところに、ぎゅうぎゅうにありますから。



受付を中止することにしたのが、やっと今年の3月。

ほんとうはその一年以上前から、これ以上は受付られない状態だったんです。



強制的に衣服受付を中止にさせられたのは、事務所の入っているマンションの大規模工事のため。



ベランダに山づみになっていた支援物資を、どかさなくてはならなくなりました。



それをきっかけに、「いったいどれくらい衣服があるのか?」をつかもうとする方向に動きました。



すると、2トン車2台分以上はあることに、気がつきました。

そのほとんど、8割は成人女性の服でした。



もちろんもらい手はいません。



日本では、いちど他人が着た服を着ると、ビンボーに見られる、というイメージがあります。



それに、さいきんでは某ユ●ク●などが、新品を990円で売っていたりするので、中古品を着る意味なんて、全くないのです。



それでも、日本のばあい、「衣」「食」「住」のうち、かんたんに満足感を得られるのは、まず「食」。



だから食べすぎて、ダイエットまでするはめに。



その次が「衣」、なんですね。



ゼッタイに満足できないのが「住」です。マンションでも一戸建てでも、基本的にはみんな狭いところに暮らしてる。



ワタクシの仮説ですが、この「住」がゼッタイ満たされないために、その他に欲望のしわよせが行くんでないか。



「食」か「衣」に。



で、「食」の方は、ケーキであれ、焼肉であれ、食べればなくなる。(ホントは無くならないけどね。ウンのつくものになるだけだけど)



食べずにほっときゃ、くさる。で、捨てれる。



さあ困ったのが「衣」です。安いからボンボン買う。1回か2回着てみる。そんときゃルンルン。



でもすぐ飽きる。そりゃー飽きるよ。安物だもの。



で、次のを買う。でも捨てられない、むかし買った衣服。

というわけでもってる衣服のダイエットは、脂肪のダイエットよりむずかしい。



全部が全部とはいわないけど、そういうのの何割か、私たちテラの会の方に来たんでしょう。



で、本当に支援できる衣服は1割ていど、残りの8~9割は、処分する他ないもの、というシチュエーションに。



でも難しいのは、さっこん、捨てるのもお金がかかること。

1キロ300円だから、2トン車2台分だといくらになるでしょう?



まあそういうわけで、市の廃品回収サービスを利用することになるんです。



だーがしかし!



マンションの工事のため、私物置き場に、衣服を移動させたところ。雨がふって、衣服が濡れネズミ。



濡れてると、そのぶん重くなるので、業者に出しても、ムダに高くつく。



それに市の廃品回収でも、濡れた服は持っていってくれない。



だから、どうするかというと、一枚一枚、手で干すしかないのですよ。



ほとんどは女性物なので、そのあと処分することになるでしょう。



それを、私物置き場から、事務所まで運び、干す干す。



ほれ、事務局も、ジミキョクになるでしょう?



この作業、梅雨が来る前に終わらせなくては、なりません。

もし。

終わらなかったら・・・



ギャ~~~~~



考えたくない。

濡れちゃ干し、干しちゃ濡れ、の永遠ループ。

ニアデス。



まあそういうわけで、頑張りますんで、ヨロシク!!





ストリート・チルドレンというときこえはいいけれど、

ぼくたちの出会ってきたのは、鼻つまみものの

悪がきたちだった。



街中の人から嫌われる。

店に入ればサンダルを万引きする。

チキンの店には、夜中に忍び込んで食べ物を盗む。



殴られ、たたかれても、2回、3回とやる。



すすまみれ、泥まみれのボロを着て、風呂にも入らない。

臭い。見るだけでうざったい。

そんな8才や10才だ。



もちろん性格はゆがんでいる。

自分たちの状況に絶望して、毎日シンナーを吸う。

悪ガキ同士で縄張り争いをする。



じゃあどうやって少しでもまともに金をもらえばいい?

ゴミひろいだ。

とても危険な工事現場のゴミ捨て場に入って、

捨てられたガラス戸をみんなでひろう。



それを道路にたたきつけて、ガラスを割る。

その枠が金属で出来ているから、金になる。



それで小さな金をかせいで、ひとにぎりのバナナの葉で

つつんだ米をかう。



アジアの路上で暮らす悪ガキどもよ。

今日も元気でやってるか。



ぼくは、お前たちのような子どものいない、ゆたかな

日本で暮らしているが。



誰からも無視され、おとしめられ、けむたがられる

お前たち。誰をうらんだらいいのか。



そんな状況におちたのは、お前たちのせいじゃないのは

確かだ。



それでも生まれてきたからには、生きぬかなきゃならない。

どんなハードなストリートでも渡っていくしかない。



銃、麻薬、人身売買。

あらゆる破滅の罠がすぐ近くにある。



お前たちは首尾よく大きくなれば、大人たちに目をつけられ

拳銃を渡されて、政治家の命を狙うヒットマンになるかもしれない。



もしもお前が運よく見た目がよければ、身体を売れるかもしれない。



いずれにしても、大きくなったってヘビーな状況は変わらない。



そんな悪ガキたちに数多く会ってきたが、みんな、ぼくたちの前ではふつうの子どもだった。



よく笑い、ふざけあって、何もないところから何かをつくって、生きていた。



だからときには食べ物を渡し、服を着せたんだ。



だって、そうすれば、お前たちが、一回でも万引きしたり、食べ物やに盗みに入ったり、しなくてもよくなるだろう?



これからだってお前たちは、かんたんには変われないから、

100回でもチキンを盗みに入るだろう。



そして警察につき出され、暗い牢屋に閉じ込められて、いじめられるだろう。



その100回が、99回に、98回に減るのなら、ぼくらが行ったことに意味はある。



お前たちがクリスチャンなら、わかりやすいかもしれない。

神への罪が、一つでも減るのだから。



あるいはお前たちは仏教徒かもしれない。それなら、未来につくる悪いカルマをひとつ減らすことになる。



いいかお前たち。ぼくたちは善意で行ったわけじゃない。

日本だってお前たちみたいな悪ガキにあふれてたんだ。

いつまでも同じ苦しみにいるなんて、誰が決めた。



知ったかぶって、アジアの貧しい国は、あと100年はそのままだとか、予想屋はいうだろう。



いい学校を出て、いい教授に学んで、誰からもちやほやされる高みにいながら、お前たちをいつまでも泥の下に顔をつっこませるだろう。



だが未来のことは、誰にも分からない。

明日のことは、誰も知らない。



世界一のスーパーコンピューターの予測だって当たるとは限らない。



アジアの路上の悪ガキたち。

だから何とか生きのびて、今後の世界をいっしょに見ようじゃないか。



いつか輝ける未来において、ガキのころにもらった一杯のご飯とか、一着の古着のことを、思い出してくれるなら、それが最高のぼくたちへのご褒美だ。



同情だったら誰でもできる。

だが、匂いがきつくて、何するかわからなくて、何日も風呂に入ってない悪ガキに近づいて、その手に何かを渡すことは、誰にでもできることじゃない。



Can YOU understand what I say?

I'm talking to YOU!







のびのびボランティア紀行
(マニラの街角の子どもたち。おいかけっこして遊んでいた)




ほわ~っとした気持ちで、読んで下さい。

ほわほわ、マニラへ、レッツゴー。



はじめに、全くほんわりしてないニュースから。

この旅に出る直前、マニラで観光ツアーバスの

ハイジャック事件があったの。



元警察官が、貧しい人から、お金をまき上げた罪で、

お仕事を辞めさせられた。その腹いせなのか、香港からのツアー客でいっぱいのバスをバスジャック。



「もういっかい警察官やらせろ」

と要求はしっちゃかめっちゃか。



でもフィリピンは銃がそこらじゅうにあふれてる。

その犯人も、銃をもっていた。



ほとんどやけだったのか、人質をひとりひとり、

銃でうった。



その一部始終が、香港ではテレビで生中継されて。

それを見ていた香港人たちは、じけんの後、うなされたり、悪夢を見たり、そうとうひどいトラウマをおってしまった。



ほわ~としてない。



テラの会がマニラ入りしたのは、その事件直後でしたから。

気持ちとしては、もうバリバリ・サバイバル。

まえに一回マニラには行っていたので、どれほどホラーな街かは、身に染みていた。



何しろ人口1100万人の大都会!

その半分以上が、スラムや貧民街のひとびと。

町会議員でさえ、会議でもめると、ヒットマンに夜道を襲われる。これほんとう。



さらにほわほわしてないのは、そのとき不肖わたくし、カゼをひいてて。



飛行機の中から熱が下がらず、ぐったりしてた。

またそんなときって、ほわほわしてないことが、重なるのね。

となりに座ってたおやっさんが、日本酒のんで酔っ払って、のべつまくなしに話しかけてくる。



こちらは熱が出てて、返事を返すことさえできない。

それを、何をかんちがいしたのか、おやっさんは、静に話をきいてると思って、話す話す。



で、ワタクシはストレスのリミッターがばちんと切れた。

いっきに噴出す冷や汗、心臓ばっくばく。

今にも、脳いっ血か心臓マヒで倒れるかと、マジ真剣に思った。



そーんな、ほわほわしてないマニラの旅は、はじまったの。

これからも、かなりギリギリの体験がつづくけど、

精一杯ほわ~んほわ~んと描いてみる。



ムーミン谷の仲間たち、どうか見まもっておくれ。



(ふんわりつづく)


のびのびボランティア紀行
(ミクロネシア・トラック島のジュニオ、元気かぁ~! 写真と本文は関係ありません)




だんだんとおのれの状況が笑えてきた。

めちゃくちゃタイソウな決意でやってきたテラの会。



はじめにこんなことを考えていた。



さいきんの日本人は根性がない。

それどころか、自分が日本国籍を持っているのに、

日本人という意識さえ薄れている。



それでいいのか。



ふりかえるに、戦時中の日本人の根性はすごかった。

今より比べものにならないほど、貧乏だったのに、

世界一の軍事大国、いまもってダントツ・チャンピオンの

アメリカと真剣勝負した。



そういうことを、鼻でわらうヤツがいる。



現在の、だいぶ経ってから見通しがよくなったあとの

知識でもって、「バカなことをした」とか平気でいう。



そんなヤツが子どもに愚にもつかんことを教えとる。



それに乗じて、近くの最近力をつけて来た2つの国が、

けちょんけちょんに、ウソ八百までならべて、日本を

けなしてくる。



こんな状態に甘んじておらりょうか。

冗談じゃない。



大東亜共栄圏だって、今ではアホの妄想とでも片付けられる。

本当にそうか?



経済的に軍事的に、互いに協力しあい、アジア人の

ためのアジアをつくろうというのが、そんなにアホな考えか?



だいたい、戦争はいけない、よくないって、誰もがいうけど、じっさい日本がどんな戦争をしてきたか、少しでも知ろうとしているか?



してないし誰も教えない。



ホントのホントに、太平洋戦を戦った日本人は、

何から何まで悪かったのか。



だいたいからして、いまは経済的に発展してるけど、

この発展のもとのもとである、九州、沖縄、本州、

四国、北海道、その他離島といった島々を、

まもったのはそもそも誰だ。



兵隊さんだ。



それを忘れて、ハナクソほじって暮らしとって、

本当にいいのか?



と鼻息フーフーで、慰霊や支援の活動をやってきたはず。

それなのに。



とうの日本のみなさんから、なかなか理解していただけないとは。



いいんです。趣味です。



NPOやNGOにしなかったのは、それにすると、たくさんの

足かせが出てくるからなの。



活動ひとつするにしても、相手側の政府のお役人と

話をつけなきゃならんとか。



そうじゃなくて、直接目で見て、耳できいた情報をもとに、

手で触れ合える人々と交流したいじゃないか。



そんな心意気でやってきたのにさー。

ビニール袋に鼻をかんだ鼻紙とか、弁当がらとかを

入れて支援物資の中に、わざとつっこまれたりとか、

誰だか分からん人から、ヤーなことされて。



そんなちーっこいことで、げんなりしたり。



アジア人のためのアジアを!

でもみみっちい嫌がらせがイタイ。



人間的な、あまりに人間的な、わたくしでございましての。



わが世の春はきっと来るぞー(美空ひばりの歌です)



はい次回からマニラほわほわ紀行。






のびのびボランティア紀行



セブ、マクタン島の子供たち!

元気、パワー爆発!



この子たちは、フィエスタという、お祭の練習を見に

集まっていたんだ。



空き地に、太鼓と鉄琴のおとがするから、行ってみた。

すると、10代の少年少女が、一生懸命踊りの練習を

してた。



さすがにダンスと歌をやらせたら、天下一品の

フィリピーノ。



日本の踊りと違って、ふくざつなステップを

ばしばし決めて、足をクロスさせるだの、

からだをくねらせるだののふりつけを、一糸乱れず

やってました。



まあその熱気たるや、暗い夜空が真っ赤に見えたほど。



それを見ながら、子どもたちは遊ぶ。

自然とお兄さん、お姉さんをみて、踊りをまなぶ。



子どもでも、踊りはマジ真剣。



日本にも、”しょ、しょ、しょーじょーじのにーわは”とか、

お互いに向き合って手と手を合わせる遊びがあるでしょう。



”かーぼーちゃーの種をー”とか。



そういうのに、セブのマクタン島では、さらに難度が加わって、足までつく。



足をぱっぱとものすごい速さでクロスさせ、そのさなか、手と手をパチンパチン。



すっごい運動神経です。



こんな子たちは、近くのバリオから来てる。

バリオとは、スラムのこと。

粗末な家が密集する地帯。



はだしだったり、ボロを着ていたり・・・

でもみんな同じだから恥ずかしくない。



そんな写真を見ていると、またスマイルがもどってくる・・・







さいきん、ある目上の方から言われたこと。



6年間活動してきたけれど、「あんたはただ私についてきただけ」



「役立たず」



そのとーり!

まさしくその通り。



ぼくはただ言われたことをやっていただけ。

くっついていっただけでごんす。



さらに役にも立たない。

たんに食当たりして七転び八倒れしてただけ。



それは分かっている。

だからなおさら、少しでも前進しようと思う。






やつぎ早につぎのシリーズに行きたいと、思います。

なので、ゆるくハノイのことを語ってきた、「ゆるゆるハノイ」は強制的にシャットダウンしましょう。



パソコンをやっていて、なんか疲れてきて、もう電源スイッチ長押しで、強制終了した、みたいな。



そしてお次の行き先は・・・



6年近くのあいだ、ほとんど間を空けずにアジアをとびまわっていました。



だから、ご紹介したいシリーズはたくさん、たくさん、引き出しいっぱい。



ではどれがいいのかな。



前回はゆるゆるでいったので、こんかいは、ほわほわで行こう。

(まったくの思いつきで失礼します)



では、次回からは、”ほわほわマニラ・パグサンハン”がはじまります!



ちなみにこの旅は、それまでの旅の中でも、とってもシビアな旅でした。



支援活動、慰霊活動、ともにちゃんとやれたけれど、ある大事件にあって、写真も何ものこってなし。



そんな、まーったくほわほわしてなかったマニラ(フィリピンの首都ですよ)のことを、いかにほわほわ語るか、というところが、見所といえば、見所。



いまはいない朝青龍と本番場所で相撲をとって、思いっきり土俵の外3メートルくらいふっとばされ、その後インタビューを受ける力士みたいな、気持ちかな。



そんなとき、

「どうだったですか?」とマイクを向けられ、



「うん、すごい、ポーンッてかんじ」



と答えるような。ほわほわのニュアンスが伝わりますか?



そんなこんなで、烈・ゴー。