このブログ、だいぶん凍結してました。


もしも、誰か様が、見ていただけているなら。


ちょいと近況報告を。





昨日まで、ほんの一日だけ、


北部九州のあっけらかん県に


帰っていました。



あまりに短いステイだったので、


誰にも知らせず・・・



とはいえ、フランスのマルセイユで


子育てをがんばっているS君が、


たまさかF県にいたので、


その人と、奥さんやお子さんとは


会えました。



ほんの2時間くらいだったけど・・・



それで、あっけらかん県で


何をしたかというと、


地味に山菜をとったりしてたの。



英語っぽくいうと、


Mt. Black Hair


なる神山がありまして。



そこはほんとの神山で。


「またぁ、なにゆってんの」


と言われても。


やっぱり、私や、土地の人のフィーリングでは、


”かみさんの おんさあ”


山なのです。



水神を祀るほこらがそこら中にあって、


地元の人たちは、昔から祭祀を


欠かせません。



それというのもその山の水が、


ほんとに桃源郷から流れてるの、


てくらいにきれいで、おいしいの。



その水でいれるお茶は、


どんな葉でもスーッと舌の上でとける。


茶がとけるって、分かるかしら?


じっさいとけるの。



で、そんなすんばらしい山をば、


私などは L  O  V  E ワイオーユー


なのでして。



その滝の近くで、何の気なしに


竹笛なんど吹きながら、


録音してみたのです。



ちょーてきとうに吹いたので、


ぜんぜん期待してなかったのだけど、


あとできき返したら、びっくり!



滝の音と、いろんな山の音と、


竹笛がものすごく共鳴してて、


自己陶酔です。



あ~きもい。己に酔うワタシ。


でも、いままで、そんな録音とか


やらなかったけど、こんごやってみよか~と、


思いました。



帰りのバスで、その録音を


イヤホンできいてると、


なんかよだれ出てきて、


なんべんもきき返して、


またよだれ。



ふわーとしてるうちに、


いつの間にか1時間20分たってました。


何で、こんなによく録れたのかしら。


ナゾナゾ。二度と同じのはムリ。


だからそのうち、ユーチューブに


アップするね。


けっして、うそついてませんゆえ。


サンキュー、MT. Black Hair !!









(センセイ。それヤンキー座りですけど・・・)


「○○ですが、何か?」


というネット文法みたいなの、

もう流行らないのかな。



流行りが終わったころに使ってみる。

これ、お得。



一世代前のアイフォンとかが安いのと

同じ。



それはいいとして、

いま、わたくしは、地味ぃーな

作業をつづけています。



テラの会メーソート活動の

写真や、ビデオを編集し、

ウェブにのっける。



何をかくそう、わたくしチーフ・エディター

ですから。



というより、他の人が

PCやウェブにとっても弱いので、

やる人がわたくししかいない。



わたくしだって、最新機種にはうとい。



おニューの(この言い方も型落ちか)

アイフォンとか使うと、音楽付きの

動画がかーんたんに、さくっとできるらしい。



もうモンキーがバナナむくくらい

イージーに。



そんなこんなで、今年もたまには

テラの会ホームページも見てみてな。



お願いだからな。



目と肩といためて、つくってるから。







のびのびボランティア紀行



放して、置くことを、放置といいます。


わたくし、このブログを、かなーり放置していました。


放す。置く。つまり無責任。



でも!



放して、棄ててはいない。


つまり、「放棄」はしてないのです。


さらに、遺して、棄ててもいない。


つまり「遺棄」はしてない。


ということは、無罪。



どうでもいいことは、放流して。


テラの会一行は、タイとビルマに、行っていたのです。


わたくしは、気持ちだけ、行ってました。


別の言い方をすると、お留守番をしていました。


何でも、ビルマでは、とても貴重な発見があったとか。


ルビー鉱山を発見したとか、そういうのじゃないけど。


わたくしも、活動に出たいのは、やまやまなのですが、


どうしても、今はいけない事情がありまして。


だから、毎日電話をかけて、様子をきいていました。


そんな活動の様子も、そのうち、アップさせて


いただきますので。


放棄はしません!


放置はしても。



(寿町の支援の様子。名前はめでたいけれど…)

タイトルに異議あるひと、

勇気をもって、手を上げて。



みんな目つぶって

下むいてるから、ほら。



「いやー、11月3日のような

気がする」



とかいろいろあるだろう。



ともかく。

ひさびさの更新です。



テラの会関係では、

センセイの手記が北海道の

温泉雑誌「いい旅」に

のりました。



もういっかいのるそうで。

編集長の館浦あざらしさんと

センセイは長い付き合いなのです。



ときどき、テラの会

事務所にも、



「あざらしさんから

ききました」



と電話がかかってきます。



一瞬、動物系の知り合い

いたっけな、とか思うけど、

あーそうだ、北海道のあの人か、

と安心。



まったく前後の文脈ぶっちぎりだけど

昨日いのしし見ました。



生まれてはじめて。



九州は唐津の鏡山ってとこに

ふらっといきまして。



その鏡山、知る人ぞしる

パワースポットなんです。



それも最近のはやりとかじゃない、

それこそ1500年前からの。



かんたんに説明すると。



むかーしむかし。

韓国の南のほうに、

小さな国がありました。



そこは日本人もたくさん

住んでました。



そこで、ちょっといまでいう

内戦みたいなのがあって。

日本からも、自衛隊派遣みたいな

のがあったのです。



いまと違って、手漕ぎボートしかないから、

海を渡るのはめっちゃたいへん。



できるだけ近くから行こうってことで、

唐津あたりから船が出たわけで。



それで、ある若者といい仲になっていた

ぴちぴちギャルがいたわけですね。



せっかく結婚しようってときに、

彼氏が「韓国行け」と上官から

いわれる。



いまの感覚でいえば、

アフリカのソマリアあたりに

派遣されるような感じ。



帰って来れるか、

ぜんぜんわかんない。



それでそのぴちギャルはサヨヒメ

っていうのだけど、もう泣きが入る

わけです。



で、彼氏がいよいよ船出ってときに、

もっとも遠くまで彼の船が見える、

たかーい山にのぼって、

見えなくなるまで「ひれ」をふった。



とうじのファッションは少し

そでが長くて、魚のひれみないに

なっとったんでしょうな。



でね、その山にサヨヒメが

ひれ振ったっていう展望台が

あるんだけど、もうものすごい

いい景色。


はるか遠く、まじに

韓国まで見えちゃってるんじゃない

くらいのいきおい。


でも、船が見えなくなるまで

そでを振ったってのは、

そうとう体力ある。



たぶん、平気で5時間くらいは

ふってたと思う。



船が見えなくなったとき、

サヨヒメは、



「あーまじ、手ぇちょーいてえ。」



といったとかいわなかったとか。

その山から降りるのも

一苦労で。



16回カーブがある。



そんな山おりながら

サヨヒメは、



「つーかすんげぇ

カーブ多くね?

まじたりぃんだけど」



といったとか、いわないとか。

そんな古式ゆかしき

鏡山、いまではしっかり

恋愛運向上のための

パワースポットとして、観光客を

集めています。



(おわり)



けっきょく700バーツ出して、

タクシーに乗ったんだけど。



今から思っても、正しい選択だった。



なぜって、タークからメーソートの道は、

うわさにたがわず”デンジャラス”な

道だったから。



まあ人気(ひとけ)がないない。



どこまでも果てしなく

つづく、つづら折りの

山道。



タクシーでも、

午後2時くらいに出発して

もう日が落ちかけたころ着いたと

思う。



けっこう長く乗ってた。



その途中、銃をかまえた軍隊が、

車を検問したり、なにやら

モノモノしい。



というのも、そのときは

知らなかったのだけど、

ビルマ側が一方的に国境を

閉ざした直後だったのだ。



国境をとざすということは・・・

およそ、何が起きてるか

わかりますね。



とにかく、何かしらデンジャーな

状態なわけです。



その頃は、今みたいに自由化の

動きもゼロだった。



アウンサンスーチーさんが

軟禁を解かれるなんて、まったく

誰も想像すらしてなかった。



それで、やーっとこ、

メーソートまで着きましたとさ。



チャンチャン。

じゃない、こっからが大事なのだ。



(つづく)




7月のタイは、猛暑です。



その日も、とけんばかりに

暑かった。



バスの待合所で、

3時間待ちときかされ、

どうすんべー、と一人

たたずんでいた。



するとセンセイが、



「あんた!

よかったよ。

この人が車にのせてくれるって」



と興奮していう。



センセイがやたら喜んでいるときは

要注意。



たいへんなかん違いのことが多い。



かつてフィリピンで、



「このホテル、カギもかけなくていいから!

もーすごい安全」



と、スリやかっぱらい、

非行少年少女だらけの

モーテルに泊まらされそうになったときは、

背すじに冷たいものが

流れた。



だから、わたくしは、半信半疑であった。



「このお婆さん、」

紹介された。



何というか、いい人なんだろうけど、

もっとも信用できない、

マイペンライを絵に描いたような

お婆さんで。



話をきくと、



「まァ~、心配しなさんな。

娘がそのうち迎えにくるからさ。

ダ~ィジョブ、ダイジョブ」



みたいな感じで。

これは、期待しちゃいけない、と

瞬時で判断した。



たぶん、そのお婆さんは、

娘が来るまで、翌朝まででも

待ってるだろう。



というわけで、

期待は止めにして、

別の方法をさがすことに。



「何で!

あの人が連れていってくれるって

いってるのに」



と口をにわとりみたいに

とんがらかすセンセイ。



チェンマイの心強き、Kさんに

電話して、説得してもらった。



タークからメーソートまでの道は、

山賊が出る可能性があること。



タイの中でも、何があるか

分からない場所なので、

知らない人の車にのったら、

それこそ身ぐるみはがされ

かねないこと。



それから、私がもっとも危険視したのは、

お婆さんの家が、「道の途中」

にあったらどうすんの、ということ。



親切に甘えたはいいが、

山奥の村に連れていかれ、



「わしの家は、ここじゃ。

泊まってけ」



とか言われたら、断れないじゃないか。

そこで夕飯とかご馳走になってたら、

いつメーソートに着くか

わかったもんじゃない。



というわけで、

バス乗り場の後ろにいた、

昼寝タクシーに声をかけた。



(つづく)



のびのびボランティア紀行

メータオクリニックで。




じつはバンコクから10時間で、

メーソートへ着くバスがあった。



日本の夜行バスを想像して

下さいますな。



市バスより乗り心地悪い

バスだから。



そのうえ山また山。

道も舗装されてたり、

されてなかったり。



たぶん、移動だけでしぬ、

と判断して、半分は飛行機で、

ということになった。



で、スコータイまで飛行機で来たはいい。



それから、市内まで行き、

バス乗り場でタークっていう

ところまで行こう、となった。



そこで誤算!



いわばタイのお盆休みにあたってた。

乗車率200パーセント以上。



やっとこさ走るお古いバスに、

荷物をぎゅうぎゅう、もう思いっきり

のせ、さらに客もモノみたいに

押し込める。



そんなバスに、われらも乗り。

スタンディング・オベーションだか

なんだか、とにかく立ちっぱなし。



これがまたノロい。



エンジンはオーバーヒート寸前で、

どれだけアクセルふかしても、

ちっとずつしか進まない。



2時間くらい乗ってたかな。



エアコンもきかない車内は、

汗だく汗まみれの客でいっぱい。



やっとこタークまで着いた。

そこでメーソートまでのミニバスの、

チケット取ろうとすると、

100人以上、並んどる!



3時間待ちだと知って、

もう倒れんばかりだった。



(つづく)




のびのびボランティア紀行

飛行機おりたてのセンセイ。まだまだ余裕。この後、地獄のボロバスツアーが・・・




メーソート、前説(マエセツ)。



まったく、ピースと正反対の

メーソートだったけど、

ビルマの首都、ヤンゴンとそんなに

離れてない。



その国境付近は、ながーいこと、

内戦状態で。



そのへんの事情は、フクザツなので

自分で調べて下さい。



とにかく!



ここでは、メーソート、とくに

ビルマ国境付近は、気の抜けない

危険地帯、ということを、

いちおうおさえて下さい。



わたくしことコータ、

バンコクでタイ語を習ってました。



そのお盆休みみたいのを

利用して、メーソートへ、センセイと

行く計画を立てたのです。



しつこいようだけど、

その時期タイは大混乱。



銀座みたいなところを

反政府デモ隊が、どかっと

占領して座り込み。



それを、カンニン袋の緒が切れた

とばかり、強制排除に出た政府。



ひゅんひゅん、スナイパーが

狙いすました銃弾を撃ち込む。



もう映画「レオン」とか

話にならないって感じで。



それが落ち着いたころに、

われわれ出かけました。



センセイは、



「飛行機で行く」



と、タイの真ん中あたり、

スコータイまでバンコクエアで

行くことに。



それなのに、やったら苦労することに

なろうとは・・・



知るよしもなし・・・



(つづく)




のびのびボランティア紀行

メータオクリニック。ビルマから逃げてくる難民などに、無償医療を施す。




どんなところか、イメージわきますか。

メーソートって。

タイとビルマの国境って。



わかなーい、という人のために。

マエセツさせて。

念のため。



メーソート。

そこは長らく”ヤバイ”街だった。

タイとビルマの国境で、

バンコクからは遠く離れてる。



だから警察力など、

なかなか届かなかった。

いっしゅの無法地帯。



かつては違法薬物の中継地だった。

それらが、遠くアメリカ・ヨーロッパ、

また一部は日本へも来ていたとか。



そんなよくない噂をたちきったのが

タクシン元首相だった。



ドラッグの密輸人を、ばんばん

やっつけた。



ただそのやり方が荒っぽく、

逮捕、取り調べするより先に、

ショットダウンしたのだ。



関係ないのに、

うち倒された人もたくさんいた。



そんなぜんぜん、

ゆるくない街が、いわゆる

メーソートです。



そこに、おりゃっとわれわれが

乗り込んだのが、2010年のこと。



(つづく)





のびのびボランティア紀行

ミンダナオ島、ダバオの、日本人慰霊碑。現地の人は、お墓で涼む。



めっちゃくちゃ久しぶり。

いやもう暑さで。

メロンメロンになっててさ。



ふっと、こんな日本の暑さのなか、

フィリピンのことを思い出す。



たーしかにー、

フィリピンも暑かった。



だけど、何というか海風が吹いてて、

ときどきカラッと涼しかった。



それからあんまり、高い建物が

下町にはないので、

わりかし楽だった。



ほら、ぎらんぎらんの

ガラス張りのビルとか、

ばっきんばっきんのアスファルトの道路とか、

そんなにないから。



そのおかげで、暑いながらも、

ちょっとは心安らぐのです。



それに比べて日本は~!

暑い!

心安らがない!



と、文句ばっかり言っても

はじまらないけどね。



どうあれ、選挙のたびに、

対抗馬同士が、ストリート戦争したり、

しないからいい。



フィリピンのどえらいホラーな

ニュースは、あまりにもあっちでは

ポピュラーなので、

日本では報道されないのです。



外国人が被害にあった、とかじゃ

なければ、殺人放火は日常茶飯事と

いってもいいので、ニュースにしてたら、

紙面が足りない。



マニラにいたとき、何度背中に冷たいものを

感じたか。



ひやーっとする。



マニラでは、もしも殺られたら

殺られ損。



警察さんも、のんびり屋。



まーそんなフィリピンも

思いで深い国となりました。



(つづかないと思う)