のびのびボランティア紀行

台風で家を流されても、元気いっぱいのフィリピンの子ども!



フィリピンの南に、ミンダナオ島はあります。

その上のほうにある、カガヤン・デ・オロ。

去年の12月、台風センドンが上陸して、

河川が氾らんし、1400人とも、1500人ともいう

死者・行方不明者が出ました。



その、台風で家財道具ごと、流されて、

命だけ助かった人々のすむエリア。



被災者のために、

日本から衣服をおくり、また飛行機で

持参しました。



そのときの写真をぞくぞくと

アップしているので、見て下さい。



台風センドン被災者支援のページへ



ことばより、写真の方が、

説得力があるかとおもいます。



これからも、どんどん

アップしますので、よろしく!




のびのびボランティア紀行

カガヤン・デ・オロ。台風で大水が出たとき、15名の命をすくった”生命の木”



フィリピンへ行くのにジェットスター航空を

使いました。



わたくしにとって楽しくて仕方がなかったのは、

CA(キャビンアテンダント)の二人がタイ人だったこと。



すかさずタイ語で話しかけました。

なぜって、外国語は使わないと、どんどん

忘れる一方だから。



しかしジェットスター機内はてんやわんや。

フィリピンのごきげんな下町と、

なんにも変わらない雰囲気でして。



だから、客もてきとー、テキトー。

そんなでっかい手荷物、チェックイン前に

預ければいいのに、と思うようなバッグを

抱えたお兄さん、お姉さん。



あちらの方たちは、あの手この手で、

大量の荷物を、お金を出さずにのせようとする。



たとえばよくある手口は、

チェックインのときに、あらかじめ、

重い方の荷物を、ちょいと端によけておく。



なにくわぬ顔で、かるい方の荷物を

預ける。



そして、重い方の荷物を、チェックインの後に

しっかり持って、そのまま飛行機に

のっちゃえ、というもの。



ケチといえばケチ、

頭いいと言えば、頭いい。



私たちなどは、マジメな方なので、

ちゃんとお金を先払いにして、

70キロくらい持っていきました。



タイやインドネシアで、格安航空に

なれているので、だいたいのことは

へいちゃら。



なのに。

今回ばかりは、タイ人のCAさんと

おしゃべりしすぎて、

ちょいとひと悶着。



わたくしことコータ、4時間半の

フライトとはいえ、腹は減ります。



腹が減っても、空のうえだと

コンビニもない。



だから、予め食事をオーダー

しておきました。チャリンと1300円だったかな。



それがですねー。

一向にもってきてくれんのですよ。



腹はきゅーきゅーなり、

どこかで誰かが機内食を食べる

においもしてくる。



それなのに、なぜか、

わたしの分の食事が来ない。



これには伏線があり、

飛行機を安全運転するためとかで、

出発前に、後ろの席の人のなかから、

前に座ってくれる人を、

ボランティアで呼ばれまして。



それに、「別に、いいですよ」と

応じたのが私でして。



多分、そのときにCAたちのあいだで

連絡がうまくいかず、

席を移動した私の食事が、

宙ぶらりんになってしまったのでしょう。



ぐるぐる鳴る腹で、

それでも、きっといつか来るだろう、

と自分からは声をかけなかった。



そのままフィリピンに到着。

あれぇ~?



そして、長い長い、入国審査の

行列に並ぶことに。



そのときに、いっしょにいた

センセイに、事情を話した。

すると、残酷なひとこと。



「じぶんから声をかけなかった

お前が悪い」



・・・ぶつっと脳の神経が、

まとめて切れました、はい。

腹が減って減って、その気持ちに

共感してほしいところに、

そのひとことは無いでしょうに。



どぶに落ちた犬に

石を投げるがごとし。



それから、ややしばらく、

この問題が(大問題だ)、自分のせいでなしに、

航空会社の過失であると、

センセイに認めさせるため、

ずーっと論理的に話した。



センセイは、何の問題もなく、

向こうからCAが食事をもってきた、

いわば「勝ち組」。



私は、無視された「負け組」。



弱者が強者に、いい分を認めさせるには、

デモしかなく、また私もぜったいに

退くまいと意固地になったので、

入国審査前に、泥沼のけなし合いに。



けっきょく。

さいごは私の言い分が通った。

もち、日本に帰ってから、

ジェットスター航空に、

クレームの電話をかけた。



できる限りクールに、しかし

怒髪天をつく怒りをにおわせつつ。



食い物のうらみは、おそろしい。

ジェットスターさんは、すぐに返金の

手続きに入った。よほど私の怒りの

オーラがびしびし伝わったのでしょうネ。



ジェットスター航空は、

オーストラリアの会社とかで、

CAもタイ、韓国、日本など

多国籍であって、たがいの連携が

とりにくいんだと思う。



いちおう、公用語は英語にしてある

はずだけど、タイ人と韓国人が、

せっぱつまった空の上で、

英語でコミュニケもむずいってのは、

わ・か・る。



さてその日は、トラブルはそれで

終わらなかった。



センセイが、パスポートを

失くしてしまったのであります・・・。

それもよりにもよって、セブパシフィックという、

フィリピンの格安航空会社の

機内で。



センセイは、自分を信じるタチなので、

「うーん。きっと見つかると思うけど」

とおっしゃっていた。



だが私は、フツウに考えて、

まず見つからないといった。



フィリピンのLCCだよ。

仕事なんか、まともにやってないよ。

もしパスポートが見つかっても、

それが、きちんと紛失物として

処理されるわけがない。



「めんどくせーな」

くらいでゴミ箱にポイだよ。



そうして、「見つかる!」

「見つからない!」の、

またも答えのない泥仕合で、

カガヤン・デ・オロの夜はふけたので、

ありました。



チャチャン。










のびのびボランティア紀行

灼熱の太陽の下。台風で家ごともってかれた人たちに。



フィリピンは、あつい。

やっぱり日本とは緯度がちがう。

日光はほとんど殺人的。



そんなフィリピンに行こうと思う人へ。

とっても役に立つ、フィリピンの旅の仕方を、

大公開してしまいます。



リゾートホテルや高級ロッジに泊まる

予定の人には役に立ちません。



ほとんど安ホテルとかにしか

泊まれない、フィリピンの下町っ子と

同じ生活をする他ない旅人のための

情報です。



まず;

①小さなポシェットを常にたずさえるべし


これがなくては話になりません。

そのポシェットに、私たち日本人にとって、

快適にフィリピンの旅をする、

いろんな道具を入れるんです。


②ポケットティッシュを常に持つ


これは非常に重要です。

フィリピンのトイレ事情にまつわることです。

ときに、お店のトイレに入っても、

洋式便器と、バケツとひしゃくがあるだけ、

てなことがあります。



それってどうゆうことかというと、

・・・をし終わったら、ひしゃくで水をくみ、

デリケートゾーンをやさしく(激しくでもいい)

洗ってください、という心づかいなのです。



もち、使うのは”手”です。

水をうまく使いながら、きれいに「ぬぐう」。

これになれるのは至難の技。



だからポケティがいるんです。

もうかんのいい人は分かりましたね。

だいたいトイレには、親切にゴミ箱も

置いてあります。



だから、手と水で洗うのがムリな人は、

日本風に、ティッシュでそっとふきとって、

ゴミ箱にポイ。

ほらノーストレス。



これだけのことに気付くのに、

ややしばらく悪戦苦闘しました。

だからこの情報は、私の血みどろ(・・・みどろ?)

の戦いの成果です。



③ミニタオルかナプキンを用意しよう。


これは手を洗ったあとや、もしくは

お尻を水で洗ったあと、水でびしょびしょに

なるため、ふきとっておくのです。


まああちらは暑いですから、

ほっとけばかわきますが、

しばらくパンツとかが

気持ち悪かったりします。


そして、裏表をちゃんと覚えておいて、

裏はその用途のため、

表は汗をふくために使うんです。



外は猛暑。歩くだけで汗だく。

額の汗など、ふいてないとやばいです。



ちなみにミンダナオ島では、

顔ふきタオルを、Tシャツの背中の

くびのところに、おしゃれにかける

スタイルが、はやっていました。



すぐにまねした私は、10メートル歩く

うちにぽとと落とし、ひとつミニタオル

なくしました。



その他、文化の違う、衛生観念の

かなり違う、フィリピンを楽しむには、

ちょっとしたコツがいります。



ときどき思い出したように、

そんなコツを、教えていくことに

しましょう。






のびのびボランティア紀行

”セルドン台風”で家財道具をいっさい流された人たちに。衣服支援。



帰ったんだって。

無事に。

へえ、誰が?



テラの会一行がだ!

パプアの話をしているうちに、

フィリピン行きの日が来て

タイムアウト。



そして、また今回のフィリピンが強烈

だったため、パプアのことを忘れました。



・・・ってくらいに、あらゆるアクシデントに

見舞われほうだいだった、旅でした。



ちゃんと、健康な身体でもどって来れて、

何ものかに感謝したい気分です。



まずはじめに、わたくしことコータの

機内食が忘れられた。



ハラペコ・キューキューで、いつご飯が

食べられるのやらと、ジェットスター機内で

5時間がんばった。



なのに来な~い!

ちゃんと機内食予約したのに。



そして、わたくしは、心底知った、

「腹の減った人間は、野獣みたいなもの」

だと。



きゅーきゅー鳴る腹で、マニラに着いた

そのまま国内線でカガヤン・デ・オロに。



着いたころには、わたくしは、絶滅した

ニホンオオカミもかくや、という血走った目で。



そこへもってきて、センセイのパスポート騒動・・・。

あとあと、いつの日か、もう少し落ち着いてから

お話しいたします。



ゆるりと。

ゆ~ゆるりと。




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病院にて。魚はくん製が好きなみんな。




病院があります。

ラバウルのココポです。



もっと分かりやすくいうと、

九州くらいの大きさの島の、

90パーセントがジャングルの、

その中のほんとうに数少ない

文明施設です。



というよりラバウルの人には

あんまり病院は必要ないのでないか。

と、思うほどみんなタフ。



でも、マラリアがまだまだある。



そんな病院に、とつげきし、

衣服を手渡してきました。




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でもやっぱり治安が悪いんでしょうか。

オリがついています。




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いま見てもすごい絵だ。

日本国旗と、ゆかたとラバウルのみんな。



なんか、写真を見てたら、

お話しする必要ない気がします。



(つづく)






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ラバウルの病院で。衣服をわたすと、「こんにちは、ありがと」だって



ラバウルの人には、

喜怒哀楽の中で、怒と哀がない。

そんなふうに、思えてならない。



うわーい、と嬉しいか、

わきゃーっと楽しいか。



それしかない。



とても幸せだ。



われわれ現代日本人は、ストレスを

抱えている。



会社や学校など、外ならまだしも、

家庭が最大のストレスという、

時代もきている。



綾小路きみまろさんのギャグで、



「会社で上司の顔みて精神安定剤1こ、

家で女房の顔みて2こ」



というのがある。リアル。

親や兄弟というのは、なまじ

関係が近いから、ひとことが

しゃくにさわる。



ラバウルだと、そんなことはない。



ひたすら嬉しい。楽しい。

病院での支援です。




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こんな形である。

また、次回も、

こんな感じである。


(つづくだろう)




ちょっと寄り道。

こんかいは、ラバウルのことばを、

教えます。



誰も知りたくない、というまともな意見は、

置いといて。




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こーんな感じにピーカンの晴れのとき。

あいさつは、「ケアケ」といいます。



それは、太陽が真上にあるから。

その他おはよう、夕方のこんにちは、

など、みんな太陽の位置をあらわしています。



ラバウルへいったら、真昼にはみんなに

「ケアケ!」とあいさつしよう。



そうしたら人気者になること、うけあい。

ふと、ここで立ち止まって考えてみると、

日本語の「こんにちは」って、なんで

「こんにちは」なんでしょう。



漢字でかくと、「今日は」。

たぶん、「今日は、調子どうですか?」

の省略だとおもう。



ということは、どっちかというと、

How are you?

に近いのですね。



確かに、よく考えてみますと、

あんまり、私たちってば、

「元気ですか?」なんて

きかないのと違います?



さいきん、ノリの軽めなお兄さんなど、

「どう? 調子?」とか

「いい感じ?」とかいうようになった。



それでも上品な人は、いいませんよね。

ということは結論、日本語の「こんにちは」は、

英語でいうと、Hello + How are you?

なのですね。



ラバウルから、お話しがだいぶん、

それました。



次回から、ちゃんとど真ん中を

行きます。と、気分をつくりつつ。



(つづく)


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いっぱいあるでよ~。面白いものもあるよ~。



次の日。

ラバウルの朝は早く明けるのだ。

すぐに支援物資を入れたカバンを

持ち上げるセンセイ。



「行くよ」



どこへ行くともしらず、

とにかく歩いていってみた。



路上で衣服をひろげていると、

人々が寄ってきた。



「この辺に病院とか、

困った人の集まってるとこないですか」



「あん。 あるよ。そのバスにのってきな」



と乗り合いバスが来た。すぐにのる。

病院でおろして欲しいと頼みつつ。



さて病院でゲットオフ。



坂をのぼっていたら

そこには、衣服が欲しい人が

た~くさん集まっていたのだ。



(やらしいところで、つづく)


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とおくラバウルの火山へ! 届けとばかりに歌う「岸ぺきの母」!!




ラバウルの夜は、

風がびゅーびゅー。



どこまでが人が住んでいて、

どこまでがジャングルか、分からないので、

かなりどきどきする。



あったかいので、ときどき部屋の外の

階段に座って、水をのんだりしていた。



夕方までは、さまざまな集落から来る島民で

いっぱいだったが、夜はもう静かも静か。



ディスコもない。カラオケはなおさらない。



原始の夜である。

自分は部屋の中で、蚊とたたかっていた。

いっぴきだけいる。もしもそいつが

マラリア菌を持っていたら、

マラリアにかかってしまう。



それは何としてもさけたい。

それなのに、


「大丈夫だよ」


といって、半裸で寝てしまう

センセイの図太さがうらやましい。



蚊を追い回して、夜はふけるの

だった。



(つづけたい気持ち)


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海は広い。以前フィリピンで、着物の尻がベリッとやぶけた。




ついてそうそう、慰霊へ行く。

ラバウル、ココポの海岸線である。



こっちは、とてもマジメに、祈っているのに、

後ろのほうで、ラバウルの現地人たちが、



「何やってんだ?」



みたいな感じで、じーっと見ている。

わかりやすく、写真で見せる。

こんな人たちに、囲まれている。




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おしゃれのセンスが、すごいと

思わないか。



こんな人たちが、ビートルナッツをかみかみ、

真っ赤な液体を道路にはきつつ、

われわれをみる。



なかなかどうして、落ち着かなかった。



慰霊を終えて、御幣(ごへい)を海に流す。




のびのびボランティア紀行


くもり空で、なんだかさみしげ。



慰霊を終えると、もうなーんも、することがない。

ラバウルはエンターテイメント性、ほぼゼロ。



やることといったら、県営市場を、みるくらい。

これがまた、商品が・・・。



そのことは、後にお話ししよう。



ともかく部屋で休むしかなかった。

それと、ラバウルは火山のせいで、

粉塵がすごい。



昼になり、かーっと太陽が

照りつけると、

もくもくとチリやホコリがまう。



これが、目に入ると、しみるのなんの。

現地人は、みんなまつ毛も長いし、

皮膚も厚い。



だけど、日本人のわれわれには

ひたすら苦行であった。



涙は出る鼻は出る。



だから、昼間はほとんど

外を出歩けなかったのだ。



(つづけよう)