のびのびボランティア紀行

ビートルナッツ屋さんの子どもたち。ビートルナッツとは… 第5回を見るべし!



前回のタイトルをみて、

じぶんでイラッとした。



ずいぶん人をバカにしてるじゃないか。



ラバウルを、裸馬、売るってか。

べつに、裸馬、得るでもいいじゃないか。



何か、”塞翁が馬”の漢文っぽい。



それは、どうでもいい。

さいきん見つかった、地球に似た

惑星3つに、人類が存在するか、

の方が、100×100倍、だいじ。



はい、それはいいのです。

ラバウルです。



なぜ、ラバウルのところで、

二の足を踏んでいるかというと、

あんまり覚えてないのだ。



ラバウルって・・・。



まず、第一印象は、やたら

やしの木が多いなってこと。



やしの木が多い、というより、

ほぼやしの木。

でなければ、ジャングル。



その中を、泥道なんだけど、

ずーっと奥へ奥へ入っていく。

すると、ぱかーんと視界が

ひらけて、ココポっていう感じ。



ココポは、いまとなっては、

ラバウルよりも、開けている。



ラバウルのほうは、

でかい火山がある。



それがもうもうと煙を出してる。

ほんと、その火山灰で、街はほぼ死滅。



ココポも、けむかった。

何しろ、海から見えるのだもの。

その火山が。



昔人間ギャートルズだ、ほんと、そのまま。

それにパプアのお金ってのが、また

かわいいというか、ギャートルズっぽい。



エミューみたいな鳥とか、

パプアにしかいないキツネザル

みたいなのとかが、絵になってる。



それで、けっこう大きくて重くて、

真ん中に、穴が開いている。



あの、石のお金を、ちっちゃくした

感じなのだ。



パプアについたわれわれの

ホテルは、わりかし居心地のいい

ところだった。



ポートモレスビーとは雲泥の差。

治安もよさそうだし、ホテルは

床が木でできていて、はだしで

歩くと気持ちいい。



それでもお値段は、1万円以上する。

かわいくない。



そうそう、思い出した。

何とか旅費を浮かそうとする

われらは、レストランには

決して入らなかった。



バカ高いうえに、たいしておいしくない。

そんなもの、食べるくらいならと、

スーパーのファストフード・コーナーに

通った。



ラバウルにもあった。



そこがやっぱりみんな万引きする

みたいで、出入りのチェックは厳しい。



ファストフードは、午後2時までで、おしまい。

お気楽商売。



どんなものが売られているかというと。



チャーハン。

焼きビーフン。

鳥の丸焼き。



こうしたものを、夜の分まで買っては、

部屋でもそもそ、かき込んだ。



野菜がない。

動物性タンパク質と、炭水化物のみ。

腹がだんだん、かたくなる。



それでも、わたしには、コカコーラ

という強い味方がいた。



コカコーラは、どんなおいしくない物でも、

飲み下すことができる、魔法の飲み物。



パサパサのチャーハンを口にいれ、

かみかみ、そしてコーラで流しこむ。



コーラのしゅわしゅわと、甘さとぴりぴりで、

味がぶっ壊れる。



だから、まずいもおいしいも、一緒。



さて、そんなパプア。



夜は更けていく・・・。



(つづくであろうぞ)





のびのびボランティア紀行
とうとう着いた、運命のラバル。こころなしか、暑さにからだがナナメってるセンセイ。




やっとパプアの空港についた。

ほんわかしたフンイキ。

首都とは大違い。



ここから、一時間半ほどかけて、

ココナツの森を街まで行くのだ。



すーっと電信柱が並んでいて、

えんえんとケータイ電話のための、

ケーブルが通っている。



そのおかげで、ラバウルでも

電話がつうじた。



ラバウルというと、

これといって、話すことが

ないんだ。



ホテルにつくと、わりにきれいだった。

日本で予約したところ。


一泊150キナ、まあ一万円以上。



テラの会で泊まるホテルとしては、

とても高い方です。



航空券も高し、ホテルも高し。

そして楽しみは、朝の海に入ることくらい。



ぼーっとする修行は、さんざんできる。



そんなラバウル。

はじまりました~。



(つづくんんだろうか)



のびのびボランティア紀行

これが4000メートル級のオーウェンスタンレー山脈だ! まじハンパじゃなく高かった



ポートモレスビーの空港から

ラバウルへ飛び立ったわれわれ。



その飛行体験は、旅客機というより

戦闘機みたいだった。



というのは、ポートモレスビーは

周りを高い、それは高い山々に

取り囲まれている。



だから、離陸して、すみやかに

急上昇しないと、山にぶつかるのだ。



それもどれくらい高いか。

4000メートル超だ。

富士山より高い山が、えんえんと

連なっている。



これっぱかしは、ホント、

見とれました。



自然はここまで雄大になれるのかって。



そのもっとも高いのが、オーエンスタンレー。

頂上は、ちょうどワシの爪みたいに、

がぎっと天空をひっかく。



すごいとしかいいようがない。



またそれにましてすごいのは、

かつて日本人が、まともな食料も無しに、

しかも大砲や銃器を持って、

その山脈をこえていったこと。



南海支隊という陸軍の部隊だった。



ウンチクくさくなるけど、何度思い返しても

胸があちっとなるので、ちょっとがまんして

きいて下さい。



その山脈は、ポートモレスビーを

自然の要塞にしていた。



そこにはオーストラリア軍を

はじめとした、連合軍の基地があったんです。



そこで、海軍と陸軍が合同作戦で、

これを攻めようということになった。



陸軍が4000メートル級の山脈をこえ、

海軍が、ぐっと南を迂回して、

港から乗りこむ。



だがしかし、その作戦は、すでに

連合軍に見破られていた。



海軍は、南をまわろうとしたところで、

敵軍の猛攻にあい、けっきょく

引き返してしまった。



陸軍は、もう限界以上の力を出して、

前人未踏だった、山脈を踏みこえた。



そして、夜にはポートモレスビーの

明かりがみえるほど近くまで来て、

海軍の進撃を待った。



しかし、いつまでたっても海軍は

来ない。



やがて作戦中止となり、南海支隊の

兵隊たちは、涙ながらに、もと来た

道を引き返すしかなかった。



帰り道は悲惨なことになって、

多くの将兵が、マラリアなどで

亡くなった。



これを思いながら、飛行機の窓から

ながめたとですよ、その山脈を。



もう、感情もふり切れんばかり

だったですよ。



だって、いまでも、完全にジャングルの、

そのとき南海支隊がきりひらいた道の

他は、登山道ひとつない、ものすごい

険しい山なんです。



それも、東海岸の、日本軍の基地の

あったところまでは、なだらかに、

いやらしいくらいにゆるゆると

長い斜面がつづくんです。



この道を、死ぬ思いで越えた兵隊の

ことを思うと・・・。それも、戦うつもりで

目の前まで迫っていながら、

帰るしかなかった無念を思うと・・・。



これは第二次世界大戦の戦史に残すべき

悲話だと思います。成功しなかった義経の

”ひよどりごえ”です。


こうして戦争のことをふり返っていると、

いつしかこの戦争も、平家物語みたいな、

千年後の日本人が泣きながら読むものに、

いつかはまとめられるだろうと、思います。



話はとびました。



機内でつい鼻水だらだらになって、

パプア人のCAさんに、



「すいません、か、紙!」



とたのんだ私。もってこられたのは、

ウェットティッシュで。



これじゃあ、よけいべしゃべしゃじゃないか~。



とかいっているうちに、

ラバウルに着いたとさ。



(つづくぞー!)




のびのびボランティア紀行

ぽくぽく歩いていた親子。リュックサックをあげた。




ほろりときちまったよ。

何にって、新聞でよんだフィギュア選手の

Aさんのことばにだ。



将来は子どもが欲しい、

いい人を見つけて、幸せになりたいって。



ぐっときた。

あやうく、喫茶店なのに、

つっぷして鼻じる出しそうになった。



Aさんほど、さっこん沈みがちな

ニッポンを、元気づけてくれた人は

いなかったんでないですか。



個人的には、アメリカで球の投げ打ちを

やるIさんのスコアより、Aさんの

演技や順位のほうが、気になっていた。



おとなりの国のKさんとの死闘も

ドラマティックだし、運命的だし、

何度、テレビの前で「あー!」と

叫んだことやら。



さて運命カウンセラーとして

5万人をみてきたセンセイが、

ぼそっとつぶやいたことによれば;



Aさんは、いい人と結ばれて、

幸せになり、しずかな暮らしが

できるという。



あらためてセンセイの人を見る目の

確かさと、鋭さに驚きます。というのは、



そうした見方を、すでにバンクーバーの

直後に、いっていたこと。



Aさんが引退の「い」の字も出さず、

次の五輪まで精いっぱい頑張る、

としかいってなかった時期に。



すでに、Aさんの心中にあった

ほんとうの願いを、センセイは

見抜いていたわけだよ。



これって非常にすごい事だ。

いまセンセイは仕事で北海道にいる。

もう人の運勢は、限られた人しか

みない。疲労困憊するからだとか。



長くなっちまった。

パプアのお話しを、させてもらって

いるんであった。



わたくしことコータも、

荷物もちとして参加したパプア行き。



第一の目的地は、ラバウルだった。

ラバウルときいて、ぴんとくる人は、

若い世代では少ないでしょう。



かつてそこは、日本軍の飛行場が

あって、毎日のように、戦闘機が

とびたっていたんです。



太平洋の戦場へ、

20代や30代の兵隊さんたちが、

勇ましく出発したところ。



だけど、戦争末期は、もう

ほとんど飛行機は撃ちおとされて、

とても飛行技術の高かった

プロの戦闘機のりたちは、

あらかた死んでしまったのです。



それを知ったら、

哀しい哀しい、ラバウルなのだ。



アメリカでスポーツをしにいって、

成績があげられなくとも、

現代なら、しょげて帰国すれば

すむこと。



でも、その当時は、成績が上がっても、

または上がらなくても、けっきょくは

亡くなるか、重傷を負うかのどちらかしか

なかった。



過酷なものです。



そんなラバウル。



うきうきした気分で、行けないのは

もちろんのこと。



九州くらいの大きさの島全体が

ジャングルらしい。



それでもセンセイも行くことを

願ったし、わたくしも、長年夢に

抱いていた、ニューブリテン島行きを

形にできるチャンスだった。



そんなこんなで、

えっちらおっちら、航空機に

乗っていったのだった。



(つづく、つづく・・・と自分に言いきかせ) 


のびのびボランティア紀行

謎の日本人(センセイ)から、おみやげをもらう、男の子。ちょっとおびえている。




さてポートモレスビー。

とてもホラーなところなんだけど、

ぐっとこらえて、衣服支援に出ました!



出かける直前に、センセイは

スーパーに買い物にいった。



そのとき日本人にであった。

何しに来たんですかと、きかれ、

衣服を手渡しにきた、というと、

即、



「赤十字に持っていった方がいいですよ」



とにべもなく否定された。



何でも、このあたりは、

たいへん治安が悪いらしい。



それでも、ラバウルまで

持っていける衣服は限られているし、

ポートモレスビーで支援を

することは、もう決定事項であった。



わたくしスタッフ①も、

ケツゼンとして、出かけた。



そうしたら、予想以上の

大騒ぎになった。



無料で衣服をもらえるとなって、

道ばたの人々の興奮は瞬間的に

沸点に達した。




のびのびボランティア紀行



もうもみくちゃ。

10人、20人に取り囲まれる

センセイをみて、

身の危険を感じた。



「うごくよ!」



と叫びつつ、ひとところに

とどまろうとするセンセイを

ひっぱって、5メートルずつくらい

移動していく。



そうしないと、人々の波がどんどん

重なっていって、圧死しかねない。



5メートル、また5メートルと

動くうちに、ついてくる人のうねりは

どんどん大きくなった。



気がつくと、100人くらいに

取り囲まれていた。



それが、みんなこんなパプア人で・・・




のびのびボランティア紀行


キケンとか、治安がとか、

しつこく言われる意味もよく

分かった。



あーよくよく分かった。

死なないで、何とかこの

人の波から脱出しなくては

ならない。



さいごは、政治集会みたいな

狂乱の群集に。




のびのびボランティア紀行


さいごは、テンザーンとか、

みんなでシュプレヒコール。



このフンイキだと、この街の

区議会選くらいには、

かるく受かりそうだ。



すったもんだのあげく、

やっとこみなさんのエネルギーを

出すだけ出させ、

ささっと逃げ出した。



ふ~。


さすがに今回ばかりは

ぎりぎりだった。



へっとへとに疲れたわれわれは、

狭いのに1万5千円くらいする部屋で、

ぐったりとへたり込んだのであった。



(つづくかね)



のびのびボランティア紀行

ここはニューヨークのダウンタウンか? 否、ポートモレスビーだ




パプアのポートモレスビーは、

車で入ることができない。



その上、いろんな島や山から

でてきた人たちが、そのへんの

崖や丘に住んでいる。



ひとことで言うと、無法地帯みたいな

ものである。



そんなハチャメチャなパプアの

日常を、すこし和らげるのが、

ビートルナッツの存在だ。



ビートルナッツって、何?



いうまでもなくカブト虫とは

関係ない。



それは、見た目としては、

スイカかウリを、ぎゅーっと

小さくして、手のひらサイズに

したような感じ。



かなり固い。

ナイフでないと、皮がむけない。



ということは、皮をむいて

実をどうにかするってことだ。



ぶりっと固い皮をむくと、

真っ白のかわいらしい実が

でてくる。



ちなみに、ポートモレスビーでも

ラバウルでも、ビートルナッツは

大人気。



道を歩くと、30メートルおきに、

売っている。むしろとかをひき、

一人だけで、並べて売っているのだ。



ずばりいうと、これは嗜(し)好品。

お茶とか、コーヒーみたいなもの。



まさかそんなもの、とは知らない私は、

道ばたで売ってるこのへんな果物

みたいなものに、興味しんしん。



「これ、どうやって食べるの?」



「いんや。食べない。噛むのじゃ」



みたいな感じで、目の前で実演してくれる、

おばさん。



なれた手つきで実をくりむく。

ライムと呼ばれる、白いチョークの粉

そっくりの石灰といっしょに、

口に入れる。



そのとき、まずいので、ちょっとレモン味の

えんどう豆みたいなのを、ぽきりと

かじる。



「あんたも、噛んでみい」



といわれ、20キナ(パプアの貨幣な)で

3コ買い、おばさんのまねをして、

噛んでみた。



第一印象。

おいしくない。

なんでこんなもの、

みんな朝から噛んでるのか。



小学生でも噛んでいる。



それを噛み噛み歩くので、

みんなほっぺたがかたほう、

ぷぅーっとふくらんでる。


ま、それはさておき。



確かにおいしくないので、

レモン味のスティックをかじかじ

しつつ、ホテルにもどったんだ。



そしたらば。



何か、身体に異変が。

心臓が、



ズド  ズド ズド 



みたいな具合に、

心拍音が、耳にまでせまってくる。



なんだこりゃぁ。



ホテルの受付の前をとおった。

すると女性が、



「あなた、何噛んでいるの?」



「え? イヤ・・・」



「ビートルナッツでしょ。

グッド、グッド!」



なぜか大うけ。ほめられちゃいました。



なぜ女性にばれたのか。

それは、歯がまっかっかに

染まるからだ。



部屋にもどると、

なぜか監獄そのものの部屋が

極楽のように見えてきた。



いいな~。

パプアって、楽しいぞ~。

みたいな感じで、何かへん。



どうも、ハイになっている。



鏡で自分の顔をみると、

パプアの人と同じ顔になってる。



なんというか、パカーンと

ひらいた笑顔って感じ。



そういうふうに、幸せ感が

増幅するものらしい、ビートルナッツは。



とはいっても、断トツにまずい。

ちょっと幸せになるために、

あのまずさと、心臓ドキドキを

こらえるのは、チョッときつい。



だから、ビートルナッツは

一回だけでよしました。



噛みおわったナッツを

洗面所にばぁーと吐くと、

血みたいにまっかっか。



道路の血みたいなのは、

これだったのだ!



(つづく、うん)








のびのびボランティア紀行

「もの売りか?」とうたがう人。しかーし。われわれは、無料で配布するために来たのであった




パプアニューギニアの首都、

ポートモレスビーといいますのは、

別名”陸の孤島”。



どういうことかというと、

陸路で入る道がないということ。



オーストラリアがわの海か、

でなければ、飛行機で出入りするしかない。



そんな不便さで、首都といえるのか、

という疑いは、ちょっとおいといて。



さすがに首都だけあって、

地方出身者のるつぼなのです。



その兄ちゃんも、どこかの島から

来たといっていた。



身長2メートル。

ちょっとみるとやさ男っぽい。



「パプア・ニューギニアというのは、

パプア人と、ニューギニ人に、

大きく分かれるんだ。



パプアが山の民族で、

ニューギニが、島とか、海の

民族なんだ」



ときさくに教えてくれたりする。

われわれの泊まったホテルの

従業員だった。



わたしたちは、すっかり信用してしまった。



ポートモレスビーに着いた翌日、

さっそく日本のテラの会事務所、

いまは代表もつとめておられる

T女史に、電話しようとした。



そのために、携帯電話のシムカードを

買いに行った。



いまは便利な時代で、タイで買った

ケータイが、シムカードをかえるだけで

パプアでも、あるいはフィリピンでも

使えるのだ。



使えないのは日本だけ。



それはそうと、センセイを部屋に残し、

わたくし一人で、ホテルから100メートルほどの

スーパーに、シムを買いにいった。



門のところに、さっき知り合った兄ちゃんがいた。



「どこへ行くんだい?」



「ちょっとそこまで。電話のシムを買いに

いくのさ」



みたいなカジュアルな会話を交わし、

スーパーへ行こうとした。すると兄ちゃん、



「ここは、一歩外にでるのも危ないんだ。

オレがかわりに買いにいってやる」



「いやいや、親切はうれしいけど、

自分で買い物してみたいのさ」



「わかった、じゃあ、エスコート

してやるよ」



「大丈夫だよ。すぐそこまでだから」



やたらと親切な兄ちゃんだな、

と思いつつ、スーパーへ向かった。



子どもも一人で歩いている。

いうほど危険には感じられない。



道を歩いていると、そこかしこに

血しぶきみないな、真っ赤な液体が

とびちっている。



殺人でもあったのか、なんてことは

もちろんなく。



これはビートルナッツという現地の人の

大好きなものを、道に吐き出したあと。



それについては、後にお話しする。



さてスーパーでは、なかなかシムが買えず、

けっきょく近くの中国人の雑貨屋で、

買うことができた。



その雑貨屋も、鉄格子に囲まれていて、

およそお店という雰囲気ではなかったけど。



そうして、ぶじシムカードを交換し、

部屋にもどった。すると、センセイが



「あれ? あんた、100ドルはどうしたの?」

という。



わたくしは、ちんぷんかんぷん。

何の話かも分からない。



「だって、さっきのあの青年が来て、

『彼がシムカードを欲しがっているので、

オレに買ってきて欲しいと頼まれた。

100ドル欲しい』

といってたけど・・・」



うーん、おかしい。そんなこと頼んでない。

さては、あやつ、ケチなたかり野郎だな。



わたくしはセンセイに事の成り行きを

話し、「なんだって」と驚くセンセイを

なだめて、兄ちゃんを探しにいった。



兄ちゃんは、門のところにいた。



にやにやしている。とりあえず、部屋まで

連れていった。例の、通路が一本しかない

ところへ連れ込み、にこにこ、やんわりと

たずねた。



「ぼくの友だちが、ちょっと勘違いしたんだ。

君に誤解を与えてしまったね。

申し訳ないけれど、100ドル返してくれないかい?」



すると兄ちゃんは、にやにやしながら、



「ここは監視カメラがあるから、部屋の中で

渡したい」


とか。自分のやった詐欺のことを、よく分かって

おられる。



「いいから。ここで出しなさい」



と諭した。目をぐーっと見て、

(もし、ここでトラブルになったら、

あんたも職を失うよな。

われわれも、大目に見るから、

だまって100ドル返しなよ)

という思いを念力で伝えた。




しぶしぶ、ポケットから100ドル出す、

兄ちゃんだった。



無事100ドルを取り返し、

兄ちゃんを追い出してから、

部屋でひといきついた。



どちらからともなく、いった。



ここは、やっぱり一筋縄じゃいかないね・・・



そして、その窓もないような、せまっ苦しい

部屋の中にいるのが、もっとも安全だと

確認しあったのであった。



(つづく)


のびのびボランティア紀行

ポートモレスビーの道ばた.ぬいぐるみをあげた.ここで何しているのかしらん?




話す話すと、いうだけいって、

この二日間、雲がくれしておりました。

いや、失敬。



何してたかってきかれると、

テングさんとハイキングしてたっていうか・・・。

あな面しろの山めぐりィーー。



それはいいとして、パプアのことを

お話ししなければなりません。



パプアパプア、えー、パプアといえば・・・。



そう! 

いきなりカウンターパンチをくらったのだ。

なぐられたとか、そういうのじゃないが、

(これが悪名高き、ポートモレスビーか・・・)

とはっきり分かることに、

出会いまして。



パプアに行く前に、本屋や古本屋で、

観光ガイドブックをさがしたら。

まあ、あるの無いのといったら。

ほぼ皆無。



やっとこ見つけたのは、90年代の

ことしかのってない、ひたすら

リゾートとか精霊のうんぬんとか、

「ホンネ」でなく「タテマエ」しか

のってない本でして。



それでもこれでも、必死でウェブサイトを

探しまわり、泊まるホテルまで、

自分で予約してったのです。



だって、不安じゃないですか?



ジャングルの中にほっぽり出されて、

さあどうする、となるよりは、

目的地があった方がいい。



安心できる。



そんな中で、パプアのことをネットで

調べると、まずわれらの着く、

首都ポートモレスビーでは、

部族間抗争のまっさい中というじゃないか。



通りで殺しょう事件が起きたり、

何があってもフシギじゃないようで。



ひじょうに、わたくしことコータは、

ひっじょうに、ナーバスになりました。



ともかく。

首都に着いたは着いた。

そしてまっすぐホテルへ向かった。

真夜中だったけど、パプアの人が、

空港から電話をかけてくれた。



親切。少しほっとする。



しばらくすると、まるでサファリパークにでも

行くような、ごつい車が来た。



それで、ホテルまで行く。



空港から出ると、暗い中でも

様子が何となく分かる。



まさしく荒廃している。

荒れはてとる。

”北斗の拳”もかくやとばかり。



道路もでっこぼこ。直す気はなさそう。



でも、さすが熱帯、自然だけはすてき。

ホテルに着くと、5メートルくらいの

鉄柵に囲まれている。



おおげさではなく、ほんとうに危険地帯なのだ。



車が入るときも、警備係が、厳重に

門のあけしめをチェックする。



ホテルの受付なんて、牢屋みたいだった。

だがおどろくのは、まだ早かった。



われらの通された部屋こそ、

監獄そのものだったからである。



まず、部屋にはいるための通路が、

わざと一本にしてある。

というのは、よからぬ輩が入りこまないため。



そして、その通路に入るには、キーカードが

必要だった。そのキーカードをドアノブに

かざすと、ピーとかなんとかいって、開く。



これが、一日に3回くらい、パスワード(?)が

かわる。毎回のように、入ろうとすると、

ブーとかいって、開かない。



そのたびに、フロントへ行き、キーカードの

磁気パスを、更新してもらう。



しちめんどくさいけれど、

そのくらいしなければいけないのだ、

防犯上な。



それが、心の底から身に染みて

分かったのは、次の日でした。



つづくったら、つづく。






のびのびボランティア紀行
超キケン地帯、パプアのダウンタウン。衣服支援すると、まるで奇祭「玉せせり」みたいだった




わたくしこと、コータ、

そろそろお話しせなならん、

と思っておりました。



パプアニューギニアのことです。



やたらキョウレツなとこだったので、

今まで、ちょっと整理できてなかった。



だから、お話しできなかった。



だーが、話す!

話すと決めてしまった。



まずですね、

なぜパプアに行くことになったか、

といいますと。



何より、そこが太平洋戦争の

激戦地中の、激戦地だったから。



そこで慰霊をするのが、ながらくの

センセイの夢だった。



そこへもってきて、わたくしの

中学生いらいのドリーム、



「いつか、パプアに行きたい」



というのが、どかんとぶつかり、

えいこら、行くべと、決まったわけで

ありました。



その一ヶ月前に、センセイは

ひとりでパラオにも慰霊に

出かけておりました。



一ヶ月のスパンで、

パラオとパプアを行き来するのは・・・

ちょっと、体力的にもキツイし、

金銭的にもめちゃ苦しい。



それなのに、あの時のセンセイの

勢いったら、なかった。



「行く。

行かなかったら、

死ぬ」



くらいのことを、おっしゃっていた。

こういうときは止めてもムダ。



わたくしは、パラオは止めといた。

なにせ、観光地なので、ホテル代も

飛行機代も高かったから。



パプアも、観光地ではない、

というま逆の理由で、旅行費用は

やたら高い。



それでも孫の代まで借金つくる

決意で、行きました。



第一の目的地は、

ニューブリテン島のラバウル。

かの有名なラバウル航空基地があった

ところ。



山本五十六長官が、さいごの

ひと時を過ごした場所でもあります。



ウンチクは置いといて、

パプアの情報は、極端に少なかった。



そんなとき、今ではテラの会代表

とおなりになったT女史が、

たまたま近所のゴミ捨て場から、

タイムリーな本をひろってきた。



それこそは、わたくしの敬愛する

水木しげる大先生の、

『総員玉砕せよ!』

という漫画だったわけ。



その舞台は、まさしくその後、

ぐうぜん私どもの行き着くことになる、

ラバウルのココポで。



ちょうどそのとき、ラバウルでは

大噴火が起きていて、もう街は

壊滅状態。



それなもので、ココポという、

かつて日本軍の野営地のあった

集落へ、いろいろ移ってきていた。



ウンチクは、ここまで。

さあ、話す、話しますよ。



いいですか。

パプアのおっそろしい旅のことを・・・



(つづく)






のびのびボランティア紀行
プノンペンのストリート・チルドレンに、サンダルを。12時の舞踏会に間に合うかしら…




電光石火で、たずねてまいりました、

北部九州を。



そこは、新幹線もブツ切れの、

まさしく秘境で。



泊まるところもないから、

知る人ぞ知る、

ほっこりおおらかな、

Do Inaka.



そんな土地に、

わたくし、のっぴきならない縁が

ありますもので。



時折りたずねるのです。



そこでいつも相手にしてくれる、

Kさん。



かつてはダンスでばりばり

ターンを決めていた女性ですが、

いまはすっかり「山ガール」。



近くの山へ、ごりごり

連れていってくれました。



ちょいと車で遊びにいくのかと

思っていたら、どっこい。



ばっちり山登りで。



わたくしことコータは、

革靴に、コートといういでたち。



大丈夫か~と

思っていたけど、

難なく登頂できたり。



その山は。

黒髪山といいまして。



黒曜石の産地でもあって、

そこでつくられた石器が

だいぶ遠くでみつかったりも

してるんだそうで。



つまり、

ジョーモンなピーポーの

時代から、とっても

大事な山だったのですね。



いまでは、すっかり

ハイキングの山になってるけど、

少し前までは、人の入っては

いけない、神様の山だったの。



そうして保護されて来たからか、

すごく古い(ジュラ紀!)のシダとか

黒髪ランなどの固有種が、

たっくさん自生しているの。



ここで、黒髪山のウンチクを

ぶちまけても、誰もついて

来てないよね~(と、後ろをふり返る)。



さあいきなりスピリチュアルな本題に

入ります。



「うざっ」と耳をふさぎたい人は、

どうぞ、サンドウィッチなど、食べていて

下さい。



その山が、ほんとうに

「霊山」なのを発見したのは、

かれこれ10年も前のこと。



そんなに標高は高くないけど、

フクザツに入り組んでいて、

いくつもルートがあったり、

誰も知らない滝があったりと、

フシギスポットなのですよ。



もっとも「ヤバイ」のは

天道岩といって、てっぺんの岩。



これは、まえまえから、地質学で

調べて欲しいと思ってるんだけど、

たぶん、でっかいインセキです。



だって、手で触ると、なんか

ざらざらしていて、見た目も

フツウじゃない。



で、その天道岩のあるてっぺんからは、

四方八方360度が見渡せる。



つまり。広い盆地の真んなかに

どでーんとある。



ということは、でっけー仮説が

成り立つ。



だいぶ昔に、この前ロシアに

落ちてきたみたいな隕石(天道岩)が

ずどーんとめりこんだ。



そのいきおいで、何か地価のマグマとかが

うごいた。



そんでそんで、地球は、

(なんかヘンなもんが、ついとるぞ)

てな感じで、それを押し出そうとした。



ちょうどひとの肌にささったトゲなんかが、

自然と外に出るようなものでさ。



で、それで、メリメリとマグマの力で

その天道岩をば、ひたすら上に突き上げてった。



じっさい黒髪山は、休火山です。

てっぺんから見ると、マグマの流れたあとが

ハッキリみえます。とくに冬の、木々の葉が

落ちた後、地肌が見えると。



んで、そんで、

いまでも、山は、天童岩をば、

上へ上へ、つきあげつづけている。



いつか、もう2・3回トライして、

噴火の力で、宇宙へ放り出すために。



えらいでっかい話になってきた。

けど、そのくらいのスパンの物語が、

あの山にはあるんです。



人間なんて、ほんと、かわいいもの。



「自然を大事に」なんて、

ほんとうは、お笑いみたいなもの。



大事にされてるのは、こっちであって。



もし、「もういいや」と見放されたら、

そこまでです。



と。

パプアニューギニアなんかの

九州と同じ広さの島がいまだに

ジャングル、神秘そのものなのを

見てきたワタクシなんどは、

思っているのです。