のびのびボランティア紀行

これが4000メートル級のオーウェンスタンレー山脈だ! まじハンパじゃなく高かった



ポートモレスビーの空港から

ラバウルへ飛び立ったわれわれ。



その飛行体験は、旅客機というより

戦闘機みたいだった。



というのは、ポートモレスビーは

周りを高い、それは高い山々に

取り囲まれている。



だから、離陸して、すみやかに

急上昇しないと、山にぶつかるのだ。



それもどれくらい高いか。

4000メートル超だ。

富士山より高い山が、えんえんと

連なっている。



これっぱかしは、ホント、

見とれました。



自然はここまで雄大になれるのかって。



そのもっとも高いのが、オーエンスタンレー。

頂上は、ちょうどワシの爪みたいに、

がぎっと天空をひっかく。



すごいとしかいいようがない。



またそれにましてすごいのは、

かつて日本人が、まともな食料も無しに、

しかも大砲や銃器を持って、

その山脈をこえていったこと。



南海支隊という陸軍の部隊だった。



ウンチクくさくなるけど、何度思い返しても

胸があちっとなるので、ちょっとがまんして

きいて下さい。



その山脈は、ポートモレスビーを

自然の要塞にしていた。



そこにはオーストラリア軍を

はじめとした、連合軍の基地があったんです。



そこで、海軍と陸軍が合同作戦で、

これを攻めようということになった。



陸軍が4000メートル級の山脈をこえ、

海軍が、ぐっと南を迂回して、

港から乗りこむ。



だがしかし、その作戦は、すでに

連合軍に見破られていた。



海軍は、南をまわろうとしたところで、

敵軍の猛攻にあい、けっきょく

引き返してしまった。



陸軍は、もう限界以上の力を出して、

前人未踏だった、山脈を踏みこえた。



そして、夜にはポートモレスビーの

明かりがみえるほど近くまで来て、

海軍の進撃を待った。



しかし、いつまでたっても海軍は

来ない。



やがて作戦中止となり、南海支隊の

兵隊たちは、涙ながらに、もと来た

道を引き返すしかなかった。



帰り道は悲惨なことになって、

多くの将兵が、マラリアなどで

亡くなった。



これを思いながら、飛行機の窓から

ながめたとですよ、その山脈を。



もう、感情もふり切れんばかり

だったですよ。



だって、いまでも、完全にジャングルの、

そのとき南海支隊がきりひらいた道の

他は、登山道ひとつない、ものすごい

険しい山なんです。



それも、東海岸の、日本軍の基地の

あったところまでは、なだらかに、

いやらしいくらいにゆるゆると

長い斜面がつづくんです。



この道を、死ぬ思いで越えた兵隊の

ことを思うと・・・。それも、戦うつもりで

目の前まで迫っていながら、

帰るしかなかった無念を思うと・・・。



これは第二次世界大戦の戦史に残すべき

悲話だと思います。成功しなかった義経の

”ひよどりごえ”です。


こうして戦争のことをふり返っていると、

いつしかこの戦争も、平家物語みたいな、

千年後の日本人が泣きながら読むものに、

いつかはまとめられるだろうと、思います。



話はとびました。



機内でつい鼻水だらだらになって、

パプア人のCAさんに、



「すいません、か、紙!」



とたのんだ私。もってこられたのは、

ウェットティッシュで。



これじゃあ、よけいべしゃべしゃじゃないか~。



とかいっているうちに、

ラバウルに着いたとさ。



(つづくぞー!)