のびのびボランティア紀行
(危ない危ないマニラの街かど。子どももスリやかっぱらいになる)


マニラおのぼりさんであることを忘れ、余裕しゃくしゃくでかまえていた、私たち。



大きな荷物を抱えて、乗り合いバスに乗った。メータータクシーにのったら、値段交渉がめんどう、とか思ったかもしれない。



もしかしたら、乗り合いバスに乗った時点で、その後の運命は決まっていたのかも。



乗り合いバスで、エドゥサ通りまで下った。



そのあたりには、センセイが、以前ひとりでマニラに来たとき、泊まったという、とっても「安全な」ホテルがあった。



そこへ泊まろうという話になったのだ。



そのホテルの名前は「マハル・キタ」

フィリピンの言葉で”I love you ”

それだけでも、人生の荒波をくぐってきたアラサー、アラフォーの人には、どんなホテルか分かるはず。



あらら、ほわほわと、ほんわか路線で行くと決めていたのに、だんだん雲行きが怪しくなってきた。



いけない、いけない。

気をひきしめる、もとい、気をゆるめないと。



ほわ~

ほわ~



よし。



センセイと、交差点でバスを降りた。

何だか、とってもざわついてる交差点。

大きな歩道橋があって、モノレールの駅もある。



人がたっくさんいて、あんまりお金の無さそうな人がいっぱい。



うす汚れたシャツの、はだしの男の子が、駅の階段にすわって、「お金ちょうだい」とやっている。



何だかホラーハウスみたいな、おそろしい感じのゲストハウス。その前には、若い女の子たちが、たくさんいて、なぜか、ニコニコ、ぼくに笑いかけてくる。



なんか、顔についてるのかな。はじめはそう思っていた。

何の心配も不安もなかった。ただ暑い。



「ちょっと、そこのミスタードーナツで、コーヒー飲んでいこう」とセンセイ。



そこは秋葉原の古い電気ビルみたいな建物の前だった。なんというか、奇妙なつくりのミスタードーナツ。



入り口が、あっちとこっちに2つある。

お堂みたいなつくりというか、円形の店になってる。

通り側の入り口から入って、向こうの電気街の方へすうっと抜けられるようになっていた。



センセイはコーヒーを頼んだ。

ぼくは、暑かったし、何も頼まなかった。

急にトイレに行きたくなった。



店の人にきくと、そのミスドにはトイレはなかった。

となりのファーストフードの店に行かなきゃならない。



「ちょっと、となりの店のトイレに行ってくるね」

といって、暑いので、肩掛けバッグを、椅子の上に置いた。



「うん」とセンセイ。



センセイは、コーヒーを飲みながら、テーブルについていた。だからぼくは、無意識に、バッグを置いていっても大丈夫だと思ったらしい。



それが運の尽き。



隣の店のトイレに行くと、長蛇の列。

長く長く待った。



やっと用を済ませて、人ごみをかきわけて、ミスタードーナツにもどった。



「・・・ん?」



何かが、店を出たときと違う。

いっしゅん、間違い探しみたいな気分になった。



何かが足りない。

そう、いすに置いた肩掛けカバンが無い。

すーっと血の気が引いていった。



中には、カメラや、パソコンなど、大事なものをたくさん入れていた。



なるべく平静をよそおって、センセイに、

「ここに置いてあった、バッグ知らない?」

ときいた。



「あれ・・・」



無い。念のためファーストフードの店まで見てまわったけど、ない。



セキュリティーの、マシンガンを持った男の人にもきいてみた。全く見てない、という。



センセイと、どんな状況だったか、話し合った。



センセイは、ぼくがトイレに立ったあと、タバコが吸いたくなった。そのとき、店内は禁煙だったので、ほんの1分ほど、タバコを吸うために、外に出た。



そのとき、ちょうどテーブルのかげになって、ぼくのカバンが目に入ってなかった。



その一瞬の間しかない、盗まれるとすれば。



ほぼ、置き引きにあったことが、確実になった。

こういうとき、怒ったり、どなったりすると、余計に疲れて、判断力がにぶる。



だから、冷静に、冷静に、ベストの方法を探した。カメラには、その日までの活動をうつしたメモリーカードが入っていた。パソコンにも、重要な書類を入れていた。



そのことが頭をよぎったけれど、つとめて考えないようにした。



セキュリティーの男が、通りの向こうに警察署があるので、そこに行け、という。



確かに、それくらいしか、今のところ、できることはない。



重い荷物を抱えて、セキュリティーに教わったとおり、乗り合いバスに乗った。



ただ一つ、運がよかったのは、パスポートや、財布やカード、お金の類いを、前の日に、何を思ったのか、たまたま別のカバンに入れかえていた。



それで、ほんとうの最悪の事態は、ぎりで免れた。



前の日に、ホテルで何の気なしに、財布類をバッグに入れ替えたけど、今思うと、ホントにフシギ。



何かを予感してたのかな。



(つづくでしょ)




のびのびボランティア紀行




マニラにもどって来たテラの会一同。

ブティックホテルに泊まり、一晩休むことに。



さてホテルをとったはいいものの、まだ午後3時ごろ。

日は明るいし、ただホテルにいるのもつまらない。

ぼくは一人でマニラ見物に出た。



そこはマラテという歓楽街から、南へ下り、エドゥサ通りというマニラでももっとも大きな通りに向かう、途中。



たくさんの小路があって、ひとつひとつが活気にあふれている。



チリやホコリが、夕日のつよい光りを反射して、キラキラ。何だかロマンティック。



とっても安いロマンスにひたりつつ、道を下ると、どこまでも奥につづく小道の入り口があった。



そこは、フィリピン最大の、ペット動物の卸し売り街だった。

いろとりどりのインコやら、オウムやら、日本では見られない鳥が、ずらーっと並んでいる。



他にも、コイや、亀や、うさぎや・・・



きっと、この市場の端から端まで探せば、メガネザルの一匹や二匹は見つかる気がする。



ラムサール条約違反の、日本にもって帰ったら即逮捕されそうな動物が、売られている、みたいな。



ほわほわほ。



大きなトサカのあるオウムも魅力的だったけれど、日本にはもって帰れそうもないので、あきらめた。



しばらく歩くと。

薬屋さんが。よく見ると、周りを鉄ごうしで囲んであって、まるで牢屋みたいになっている。



その小さな隙間から、お客さんとお金と品物の交換をしている。



ふつうの薬屋が、この厳重警戒・・・

いったいどんな街なんだろう、ここは?



ぼくはフシギな気持ちだった。



何でもありそうな街だけど、ただ一つ見かけないのは、警察官。まったく目に入らない。



日本だったら交番のひとつかふたつは、あってもいいような街かどなんだけど。



いろんな「フシギ」を抱えてホテルにもどった。

次の日、チェックアウトして、次のホテルへ移ることに。



そしてとうとう、あの事件が起こるのである・・・



(つづけったらつづけ)







(マニラ湾。しつこいようですが写真と本文は関係ありません)


のびのびボランティア紀行
(マニラの不法占拠地帯。といっても屋台街みたいなもの)



新鮮な田舎の空気をいつまでも、吸っていたかった。

それが、マニラへ逆戻りすることに。



バスにのり、来た道をマニラへもどっていく。

だんだんとバスの外は騒がしくなる。

アジアでもっともカオスなメガロポリス、マニラへ入ったんだ。



何しろ1200万人も住んでいる。

どこまで広がるのか、どんどん膨張するマニラ。

キリスト教の教えで、妊娠中絶は、タブー。

だから公式の人口統計では、1億から1億2000万人いて、まだまだ増えると!



たぶん戸籍にものってない人もいる。

しっかり数えたら、いったい人口は何人になるんだろ?



ともかくバスステーションで、バスを降りた。

とりあえずおなかが減ったので、ファストフード店の「イナサル」で焼き鳥を食べることに。



店内は、お昼どきというのもあって、ぎゅうぎゅう。

相席でも、やっと座れるか、座れないか。

いきなりマニラの手荒い洗礼。



それでも何とか焼き鳥とご飯を、手づかみで食べ、今夜の宿を探しに。



そのあたりは、エルミタやマラテなどのふるい歓楽街からは、ちょっと離れていた。



だから全然地理が分からない。



路地の中にとりあえず入る。重い荷物をもったセンセイは、



「もうどこでもいィ!」とぷっつん切れた。

それでぼくは、路地の中を探しまわり、ブティックホテルみたいなのを発見。



若者たちが、2人づれで入っていく。わりと安かったので、そこに泊まることに。



ホテルの従業員に通された部屋は、大きなテレビとベッド、それなりに雰囲気のある部屋。



とりあえずシャワーを浴びていると、サイドベッドの電話がなった。



「いつまでいますか?」



「え? どういう意味ですか」



「何時まで部屋をお使いですか」


あーなるほど。ブティックホテルだから、時間割で料金をとっているんだ。2時間というカップルもいれば、6時間という2人もいるんだな。



「明日の正午までです」



「ということは、一日滞在ですね」



「はいそうです」



「1565ペソです。チェックアウトの際に受付でお支払い下さい」



なんともフィリピンとは思えない、システマティックな対応。後で知ったけれど、そのホテルは、SOGOといって、全国にチェーン展開している、ブティックホテルチェーンなのだった。



たぶん、経営者は、中華系だと思う。だって、入り口のドアに、わけのわからないゲイシャみたいな、着物の日本女性の絵があったから。てきとー。



やっと、ふかふかの布団で休める。

外の喧騒と物騒なチンピラを忘れ、ぐっすりと眠ることにした。



つづくきね (北九州弁で) 


のびのびボランティア紀行
(ネグロスのお年寄り。写真と本文は無関係です)




パグザンハンはフィリピンの田舎。

夜はとっても静か。

川の音と、ときどき橋をわたるバイクの音。



夜、ふとのどがかわき、コンビニエンスストアに水を買いにいった。



パグサンハンでも、夜のコンビニには若者が集まっていた。



アメリカ人やスペイン人の血が入っているので、彫りの深い顔立ちだったり、日本人とはちがうスタイル。



そういう若い子たちを、面白いなあと眺めてすごした。

ちなみにコンビニの中にはテーブル、座って休めた。



すぐとなりには24時間営業のファストフード店。

こんなところでも、ひらけてる方なのかな。



外の空気は、ひんやりして、心地いい。

川風がそよそよ、田舎はいいな。

もうマニラには帰りたくないな。



本当にそう思いました。

銃器がはびこり、スリやかっぱらいがうようよしていて、空気が極端に悪いマニラ。



フィリピン人でさえ、「マニラは危ない」という。

おのぼりさんだと、外国人観光客と同じように、だまされまくるとか。



次の日はマニラに帰らなくちゃならない。

今夜は思いっきり、きれいな空気を満喫しとこう、と屋上のブランコで星を眺めながらうとうとした。



やっと本気でほわほわした。満天の星空はほんとうに綺麗だった。



ほんわりもつかの間。

またもや無限地獄ともよばれるマニラへ逆もどり。



(つづけるっきゃない)


のびのびボランティア紀行



さて、比島寺とガリラヤ庭園の慰霊をおえ、やっとほわほわできるようになった。



肩の力を抜いて、川の流れでもながめてみる。

ゆく川の流れは絶えずしてェ、とかうなってみたい気分。



パグサンハンという街は、とにかく小さい。

警察署とスーパーがあるくらい。

人はとにかくバカ明るい。



そうだ、髪を切りにいったんだ。

パグサンハン唯一の、美容室。

中に入ると、女装のおネエが。フィリピンではバクラという。



もう60才くらいのお年で、昔は都会で働いたんだろうけど、田舎に帰って店をひらいた、みたいな感じだった。



先客がいて、地元のお姉さんが、楽しくおしゃべりしながら、カットしていた。



となりには20才くらいのバクラ。

ハデなキャミソールをきて、どぎつい化粧。

顔が濃いから、何だかすごい。



その若いおネエは、客とだべるだけの役目で、仕事は何にもしない。



「きょうは調子どうなの~?」



「う~ん、まあまあ」



みたいな会話をえんえんとしている。



ぼくの番になった。店の中をみまわすと、最低限の設備。

ばーんと壁に鏡がはってあって、いすは壊れかけ。

気持ち、なんか花ばなの壁紙が、てきとうにはってある。



美容師の60才くらいのバクラは、ほとんど笑わない。

なんというか、ニワトリみたいな顔だったな~。

ほわ~。



ゆるいフィリピンの田舎の真昼間のエアー。

その中で、2人のおネエと、はさみのチョキチョキいう音。何というか、異次元体験だ。



おわると、にこりともせず、バクラのおネエはいった。



「150ペソ・オンリー」



なんとカット300円!

激安だ。



鏡で自分の頭をみると、なんか、昭和30年代のまじめな会社員みたいになっている。まあいいか。



ほんわり、またパグサンハンの街をうろついてみた。



(つづく)

(ネグロス島の少女。本文と関係ありません)


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ほわほわしてないニュースです。

マニラの湾沿い、ちょうどこのブログでずっと写真を紹介していた地区が、火事になりました。



かなり広い範囲で焼けたようで、1万人も避難者が出たそうです。こんな話をきくと、いますぐにでも、とんでいって助けたい気になります。



それでもいまは、時期も許さず、天の恵みもないので、いけないのが悔しいです。



どうせ一度きりの人生なので、自分のやりたいことをやりたいのはやまやまですが、なかなか、ねえ。



ほわ~。



さて比島寺に参ったテラの会。

そのつぎの日は、ガリラヤという森の奥にある慰霊公園を訪れました。



慰霊公園、といったのは、それほど広い敷地があるということ。



パグサンハンの街からは、はじめ乗り合いバスで行こうとしていました。それでも30分ほど待ってもバスが来ないので、トライシクルに乗っていくことに。



ドライバーのお兄ちゃんと交渉すると、往復300ペソとのこと。ちょっと大目にいわれているかな、と思ったけど、どれくらい遠いか分からないので、OKしました。



仮面ライダー2号のサイドカーにのって、出発進行!

なぜか気分はうきうきです。

サイドカーは、2号のより豪華で、ちゃんと屋根がついてます。



遊園地のゴーカートにのった幼児の気分です。

地面と同じ目線で、すいすい流れる風景を見るのは楽し。



道は坂道になり、どんどん登ります。

かなり高い山へ登っていきます。その道ぞい、ニッパ椰子で葺いた小屋が点々としています。



付近はとうもろこしやすいかをつくる、農家の人たちが暮らしているのです。見るかぎりでは、とてもとても貧しい。



ほとんど木々や山と同化した生活です。



さてどんどこ行きました。街からは相当離れました。

意外に遠かった。



やっとついた先は、立派な米国式の自然公園でした。

門があり、申請をして中に入ります。

中に入ってから、またトライシクルにのって、3分ほど走ります。それくらい広いのです。



そこはよく整理された庭園になっていて、さまざまな木が植えられており、手入れが行き届いています。公園のまわりは山また山。その公園だけが、文化的な施設として、他とは一線を画しています。



公園の奥に慰霊碑はありました。




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写真ではわかりづらいですが、この壁全部が慰霊碑です。日本人、フィリピン人、アメリカ人の戦没者を、慰霊しています。



これがとても大きい。どのくらい大きいのかというと、よこはば30メートルくらいはあったかな。



それが、よく手入れされた緑の芝生の庭園の中にあります。見てのとおり、定期的に係り員がタワシやシャワーで掃除するので、壁面はピカピカ。



ここはアメリカ政府が出資しています。今でも継続的に出資があるのでしょう。その日も、現地人がたくさん、掃除道具を持って、手入れをしてくれていました。



「比島寺」の小さなたたずまいと比べて、このガリラヤ”ジャパニーズ・ガーデン”の豪華で、立派なこと。やはり太平洋戦争に勝ったアメリカという国の、力の強さがなせる技でしょうか。



慰霊を終え、またトライシクルで一路パグサンハンへ。

とても美しい山の風景です。

途中で、ひろびろとした湖にも寄りました。

フィリピン人の行楽客が、足こぎボートで遊んでいました。



湖のほとりには、例によって牛が草をもしゃもしゃ。

きっと、牛乳をとったり、場合によってはビフテキにしたりするために、飼われているのでしょう。そうとは知らず、牛はほわほわ。



帰りがけ、とうもろこしの直売店によりました。

ちょうど食べごろのようで、もう今までに見たことないくらいに、ぴっちぴちのぱんぱんに大きくなったトウモロコシでした。

ゆでて食べると、また甘い甘い。



なんておいしいトウモロコシかと驚きました。

大きいし甘いし、日本に輸入したら売れるのになあ。

すいかも真っ赤で巨大でした。



フィリピンには、知られざる名産品が、宝のように埋もれています。その宝をいっぱつ掘り出そうという、ガッツのあるトレジャーハンターがいないかな~。



つづくダワサー (c)ドロンジョさま

(マニラ湾沿いの路上生活者。段ボールの小屋で暮らす)


のびのびボランティア紀行




この写真でみると、比島寺の慰霊碑は、昭和56年9月に建立とありますね。



昭和56年というと、1981年。終戦から数えて36年目、今年2012年から逆のぼること、31年です。



31年ものあいだ、厳しいフィリピンの日差しに耐えて、戦没者たちを慰霊してきた碑なのですね。



とはいっても、お寺の中は、もう雑貨屋さんになっていました。現地のひとが、生活の苦しい中で、何とか維持管理して下さっているようでした。



現地のひとの手が入らなければ、草は生え放題、木は伸び放題になり、あっというまに森に帰ってしまうでしょう。



じっさいに、比島寺の周りは、深い森でした。



熱帯の自然の力はほんとうにすごくて、アスファルトの道路など、手入れしなければ、だんだんと下から木が生えてきたりします。



上からは落ち葉が落ちてきて、腐って土となり、あっという間に道路のあとさえなくなってしまう。



比島寺も、建立したのはいいのですが、その後の維持管理が、とてもたいへんそうでした。



さて。慰霊を終わり、ホテルに帰ったところ。

ぼくのサングラスがない。

どうも比島寺に忘れていったみたい。



仕方なくもう一度山道をとって返し、比島寺にいってみました。

こんどは、境内にあるテーブルに、地元の子どもたちが座っていました。



遊ぶでもなく、何となく集まっている様子。向こうから、「ハロー」と声をかけて来ました。「ハロー」と返しました。



比島寺は、そのあたりに住む人々の、いこいの場になっているようでした。椰子の葉などでつくった、自作の掘っ立て小屋を建てて、住んでいる人たちが、けっこういました。



パグサンハンは、ほんとうに貧しく、道沿いに原始的な家が並んでいるのをよく見かけました。



比島寺の雑貨屋は、それなりに繁盛しているようでした。

サングラスは、偶然通りかかった、トライシクル(例の仮面ライダー1号2号のサイドカー付きバイク)のドライバーさんが、あずかっていてくれました。



お礼もかねて、ホテルまで運賃を払う約束で、乗せてもらいました。



「いくらですか」



「いくらでもいいですよ」



ホテルに着くと、だいたい100ペソ(200円)くらいかなと渡しました。にっこり笑って、「いい一日を」と去っていくドライバーさん。



パグサンハンの人は、みんなそんなふうに、とっても性格のいい、おだたかな人たちでした。



そんなところを、昔戦場にしてしまったなんて・・・

国際政治のもつれの果てとはいえ、何ともいえず理不尽です。このあたりの川には、飢えやマラリアで亡くなった、日本の兵隊さんたちのご遺体が、白骨となり、どこまでも流されていったという話です。



ホテルの屋上から、とうとうと流れる川を見るにつけ、平和なときに来れて、よかったなあと思いました。



これが戦時中だったら、どれほど美しい山も川も、体力と命を奪う、怖ろしい魔物にかわるのですから・・・



(つづきます)

(パグサンハンの比島寺にある慰霊碑)


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マニラから4時間ほどバスでいったところにある、パグサンハン。そこには日本人のつくった慰霊施設があります。またアメリカ政府の出資によるものも、あります。



2つの国が、同じ地域に慰霊施設をいくつもつくるということは、かつて、このあたりがいかに激しい戦地だったか、わかるというものです。



テラの会はまず、「比島寺」に行きました。

日本人の有志による、民間の慰霊施設です。

まあよくもこんな山の奥の、谷間に、このようなお寺を建てられたものです。



慰霊へかける思いが伝わってくるようです。



まるでお寺とお墓のように、慰霊碑が並んでいます。

一人一人、というわけではないようで、部隊単位で慰霊されています。おそらく、個人を慰霊しだしたら、この程度の敷地では足りないからでしょう。



太平洋戦争における、フィリピン全土での日本人の死傷者は、およそ50万人(千鳥ヶ淵英雄墓苑の資料より)。



50万人です。想像がつきません。

そのほとんどは、終戦の前3年間のあいだ、とくにさいごの一年間で亡くなりました。



マラリア、飢餓、などが、主な死因だったようです。




のびのびボランティア紀行



写真は残念ながら、数枚しかありません。

慰霊碑のうしろに、現地人の管理者の方が、洗濯物を干していました。



慰霊碑も、暑い熱帯の太陽にやけて、前面がはがれおちていたり、少しかわいそうな気がしました。



後に訪問した、アメリカの政府主導による、慰霊公園とは、あまりにも規模も、手入れの行き届きようも、違いました。




のびのびボランティア紀行



「比島寺」のような、まさに兵隊さんの戦ったあたりで、慰霊をするのは、靖国神社に参ったりするのとは、また違った感覚があります。



とうじ、兵隊さんが、どんな辛い思いをしたか、肌を通して感じるのです。



照りつける太陽、流れる汗。

群がってくる虫、蚊やアブ・・・



そんな中を、食べ物もろくになく、逃げ惑わなくてはならなかったなんて。



あまりにも、あまりにもです。



ぼくは、センセイの慰霊について、いろんな太平洋戦争の戦跡をまわりました。



ただ後ろからついていっただけですが、それでも、さまざまなことを考えさせられました。



そして、自然と、戦時中の兵隊さんに感謝する気持ちが芽生えました。また、太平洋戦争を、現実感をもって、受け止めることができるようになりました。



戦争は、昔むかしの話ではなく、ぼくたちの、おじいさん、おばあさんが、実際に経験したことなのです。



また、その戦争の影響は、いまの日本に、大きく、また小さく、いろんな形で残っている。



忘れられるどころか、ぜったいに記憶は薄れないはずです。

もしも戦争の記憶が風化していくとしたら、それは、日本人が、日々のぜいたくや、平和になれて、とぼけてしまったときでしょう。



そんなときに、再び戦争は起こります。



あるときインドネシアの青年たちに、「私たちの祖父たちは、ほとんどみんな元兵士でした」というと、絶句していました。



そこまでして戦った、ということが、やはり他の国の人には、わかりづらいようです。



いまでも、アフリカの紛争地帯で、元兵士だった少年が社会復帰する話とか、ききます。あれと一緒です。



みんな、いやおうなく、人を殺傷するために、武器をもったのです。



忘れていい記憶でしょうか。

いいえ。永遠に語りつぐべき記憶です。



(つづく)




のびのびボランティア紀行
(ネグロス島ドマゲッティの不良少年。夜にフライドチキンを盗みに入る)





やっとほわほわできる、パグサンハンについた。

みーんな田舎の人で、性格がほがらか。

やさしい。



ついてすぐ、おなかが減ったので、レストランに入った。

イタリアンと中華料理が食べれるという、めっぽうでたらめな店だった。



そこのウェイトレスの女の子に、「かわいいねえ」と話かけると、にっこり。



「ありがとう」だって。



何だか旅の気分が味わえた。

パグサンハンは、街といっても、メインストリートは数百メートル。



♪この街のメインストリートわずか 数百メトォル



って浜田ショーゴの歌みたいじゃないか。



コンビニがあって、深夜まで開いている。

マニラと違い、ぜんぜん警戒してない。

それでもストリートチルドレンはいて、コンビニに来る人に、お金をねだっていた。



ちょっと離れるとやけに洒落たタイ料理やもある。



昔はラグーナ州の州都だったとか?



次の日は、慰霊に行くことにして、夜はよく寝ることに。

久しぶりにしずかな夜にひたった。

どこか遠くで、若者たちの遊ぶ声。



誰かが、向こう岸で川にとびこむ。

ボッチャンと音がする。



パグサンハン 川にとびこむ 水のおと



どうでもいい川柳だこと~。

ほわ~ ほわ~。



そして朝。

まぶしい太陽の光。

ぼくはようやく元気が出てきた。



今日は、日本人が、日本の兵隊さんのために建てた慰霊施設、「比等寺」を探しにいくんだ。



どうも山の向こうの谷間にあるらしい。

場所がわからないので、歩くっきゃない。

ぎらんぎらんの真っ赤に燃えた太陽だからーの中を、ひたすら山に登る。



途中でなぞのお姉さんに遭遇。



どんな趣味なのか、帽子にCDを数枚縫い付けて、かぶっている。しかも裸足。



自由な服装で楽しそうだ。ちょっとおかしくなった子なのかな。



どんどこ歩くこと数十分。もう無理、とあきらめかけた時、やっと谷間のめじるしが見えた。



そこから今度は急に下る。下る下る。

谷間の底につくと、ミニチュアのお寺のような境内があった。



つづくとぶぁい (c)おぼっちゃまくん





のびのびボランティア紀行
(路上生活の家族と・・・)




雨のなかマニラを出たテラの会一行。

向かう先は、ずっと南の、パグサンハン。

しばらくは交通渋滞につかまっていたバスだけど、マニラから出たとたん、すいすいと走りだした。



バスはきっちきちの満員。

何しろ安い。市バスみたいなもの。

ぼくはあいかわらず熱でふらふら。

センセイはこっくりこっくり舟をこいでる。



うらやましいな、と思っていたら、しばらくしてバスが止まった。

何やらたくさんの子どもたちが、道を占領している。

パレードをやっていた。



何だろう、とよく目をこらすと、まあ可愛らしい新婚カップルが!



とはいっても、馬車にひかれて、しゃれた車にのっているのは、10才に満たない、男の子、女の子。



ばっちりタキシードを着て、ウェディング・ドレスを着ている。



結婚式ごっこ、みたいなフィエスタだったのだ。

フィエスタとはお祭のこと。フィリピンではフィエスタがしょっちゅうある。



田舎へ行くと、毎週のようにどこかでフィエスタ。



さて可愛い新婚カップルは、村の子供たち総出の行列に導かれつつ、道の向こうに消えた。



あんまり可愛らしかったので、デジタルカメラで、バスの中から撮影した。



その画像も、ご紹介できません。その後のマニラで、事件が起きたので・・・



さてマニラを出ること4時間。

ようやく、パグサンハンのとなりの街についた。

ここから、バスを降りて、ミニバスか、バイクタクシーに乗り換える。



寝起きのセンセイは、ものすごく不機嫌だった。

そのセンセイに、タクシーの兄ちゃんたちが、群がる。



「のってきな! お2人さん」



センセイはうなずいて、荷物をバイタクに乗せようとする。

しかしこのバイタク、とっても小さい。



仮面ライダーの1号と2号が「あいのり」する、バイクとサイドカーをご存知だろうか。



あれそっくり。そのサイドカーに、荷物もふくめて、2人ものれってわけ。



ムーリムリ!



べちゃーっと2人暑苦しくくっついて、得たいの知れない田舎町へ向かうなんて、バッドドリーム。



「ぼくはいやだ。ミニバスにのる」



「あーうるさいね! そうやって自分の好き勝手にしてればいい!」



センセイがいきなり怒り出した。どうやら疲れてたみたい。

それでもぼくは自分の意見を押し通し、近くのミニバスをつかまえた。



「パグサンハンまで行きますか?」



「んあ? 行くよ」



この一言で、とびのった。あとは楽チン。

フィリピンの田舎のミニバスは、地元の人とふれあえて、とても楽しい。



おばあさんが話しかけてくる。



「あんたたち、パグサンハンまでかい?」



「ハイ」



「それなら、さいごまで乗っていきな。私たちはとちゅうで下りるから」



ちなみにフィリピンのミニバスは、ジプという。昔、米軍の払い下げジープを使ってたかららしい。



のびのびボランティア紀行

(ネグロス島バコロドの女子大生たち。ジプで乗り合わせた。左から2人目の子は、お父さんが日本人。日本語が話せた)




ジプは楽し。たまーにスリもいるけど。

お会計は、「バヤッド!」と叫んで、20ペソ硬貨を、お客さんがじゅんじゅんにパスしながら、前の運転手までゲームみたいに運ぶ。



たまに悪いこさんが、そうやってる隙に財布をする。



それはいいとして、ミニバスはパグサンハンについた。

やーっとついた。

重い荷物をもっていったり来たりしつつ、泊まりの宿をさがす。中ぐらいの川があり、その両脇に、ホテルが並ぶ。



けっきょく、ガイドブックにのっていた、リバーサイドなホテルにする。水シャワーだけど、安いからよし。川風も入る。マニラの鼻の曲がるような悪臭にへきえきしていたぼくも、ふーっと肩の力が抜けた。



千年も変わらないような、パグサンハンの街。

ホテルの前には貧民街。井戸で水を汲みあげている。

センセイは、さっそくタバコをばかすか吸う。



タバコがあると、センセイは落ち着く。

だからタバコを吸わないぼくも、煙がきつくても、文句はいわない。なぜなら、タバコを吸わせないと、チンピラみたいに性格が悪くなるからだ。



それなのに日本では、タバコが高くなってきた。

センセイからタバコをうばったら・・・

面倒なことになるのにな。



それはさて置き。

パグサンハンは、有名な映画のロケ地になったことで知られている。



ベトナム戦争の映画だけど、「地獄の黙示録」というやつ。

その最後の、生首がごろごろ転がってる、とっても怖いシーンで使われた。



いまのパグサンハンは、そんな雰囲気は全然ない、ふつうの田舎。



ホテルで身支度をしたら、ご飯を食べに外に出た。



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