のびのびボランティア紀行
(ジャカルタのプンジャリガン地区のみなさん。ノリノリだぜい)




快食快眠運動、実施中なので、あんまり長く話せません。

次なるお話しは、何にいたしませう。



せうと書いて、しょうと読む。

ちょいと前は、みんなさふであつた(そうであった)。



ちかごろは、何でも早く進みすぎだと思ふ。

やはり、古いものは、大事にすべきではないか。

吾輩はさふ思ふ。



旧仮名づかひが、何となく、気持ちいい。

今宵は、このままいかうと思ふ。



さて、次はどうするか、といふ、話であつた。

吾輩は、せつかくうへにも、ジヤカルタの写真を出したのだし、爪哇(ジャワ)の話でも、しやうかと思ふ。



爪哇の話といへば、戦前にそこいらを無銭旅行した、金子光晴ちやふ詩人の、「マレー蘭印紀行」といふ紀行本に、けつかう出てくる。



ゑひ、めんだうだ。

もう、そのジャカルタの話にしてしまおうぢやないか。

ゑゝ、それでいいかへ。おまへさん。



ほんたうを言ふと、これからずつと、この文体でやりたいのであるが、それは、読みづらからうと思ふ。



だから、はなはだ残念ではあるが、次回からは、また新仮名遣ひに、もどさねばなるまいと思ふ。



この思ふ、というのが、もっとも気に入つた。

何回も使つていたいものだ。思ふ、思ふ、思ふ・・・



やア、うざつたいぢやないかいな。

許しておくれな、今回限りだから・・・




(つづくと思ふ)


のびのびボランティア紀行
(カメにワカメを食わす。だじゃれじゃないから)




いつもながらに尻切れトンボ、恐縮至極。

フィリピン編は、強制シャットダウンします。

ほら、Delet+Alt+Ctrl をばしばし押してもダメなとき、パソコンのスイッチをぎゅーっと押してけすでしょ?



あれと一緒です。



ただいま快食快眠運動中ですので、もう休ませていただきます。



かってながら、グッバイ。

グッナイ。

グッドラック。








やっとできました、テラの会活動地図!


のびのびボランティア紀行
ポチッとおしてリンクにとんで! とんでとんでとんでまわって




ちょっと重いです。

気合入れてつくり込みすぎました。

ぜひ見て。見てくれないと泣くよ(っていうアニメの予告がほんとうに昔あった)。



さて、いきなり雨が降り出す季節です。

外の支援物資の衣服が、雨に濡れるかも、というハラドキの日々。



濡れると、持ち上げるとき重いしさー、

いろいろたいへんなんだよねー。



と、ぼやけるうちが花です。

てへっ(;^_^A










みんなども~
五月病でぐずぐずしてるか!
それとも新しい彼女できてルンルンか?

まあいい。まずはフィリピン一の歌姫、アイザセゲラの「ずっと一緒にいるよ」
をきいてくれい!





メロディアスでスローな曲。
ラブソングというより、応援歌かな。
どんなに落ち込んだ時も、ぼくがそばにいるよ、という。


この曲、フィリピンで落ち込んだとき、何度助けてもらっただろう。


フィリピンのよさは、何といっても英語力が世界一だということ、
TOEFLの平均点もアジア一だって。


それは、ずっと昔アメリカが植民地にしていたとき、宣教師や、英語教師をたくさん派遣した。それで無料で英語教育を普及させようとした。そのときのおかげで、フィリピンには英語ができる人がおおい。


それから、日本みたいに自国語が公用語として広がっていない。タガログ語をもとにピノイ語をつくろうとしたけど、あえなく挫折。タガログ語も、マニラの近くで話されている地方言語にすぎない。


だから、フィリピン人は、本を読もうとするなら、英語ができなくてはならない。
雑誌もみんな英語。たいへんです。


その高い英語能力が、フィリピン人の海外出稼ぎのとき役立つのは、いうまでもありません。


そこで、私からの提言。いま日本の義務教育では、英語が必修科目となっています。小学校でアメリカ人の先生が英語を教えるのも、もう珍しくなくなりました。


彼らのことは、むかしALTといいました。ぼくの中学生のころは、イギリス人の女の先生と、オーストラリアの女の先生で、もちとん白人でした。


いまでは、ALTを白人しか雇わないというのは、人種差別だと、誰かがいいはじめたのか、中米系やアジア系、アフリカ系の先生をやとっています。


でも、小学校や中学校の英語を、必ず英語がネイティブの人から、ならう必要があるのでしょうか。


私は、思い切ってフィリピン人の優秀な英語能力のある先生を、小・中学校で教えさせるべきだと思います。


小中学校の英語は、はっきりいって、通じればいいレベルです。
発音の細かいところや、文法のやかましいところは、実際は必要ないのです。

つまり、

英語のネイティブスピ-カーにどうしても習わないといけないのは、英語を仕事にする人か、研究者か、アメリカやイギリス、オーストラリアなど、英語をおもな言語とする国に住む人だけです。


イギリス人のネイティブに、「これが英語だ」、と習って、アメリカの中西部に行くとぜんぜん通じない。


そんなものです。

小中学校で習うべき英語は、「国際語としての英語」です。
べつに英語といっても、いろいろな地域でアクセントも何もかもかわります。
だから、おおよそ通じれば十分なのです。


そんなとき、エイティブがべらべらしゃべる英語は、あまりにもうますぎ、子どももききとれないし、やる気をなくします。


フィリピンの英語が達者な人が教えれば、先生も自分自身英語が分からず、苦労した経験があるので、子どもが何につまずいているのか、すぐに分かるはずです。


フィリピンは近いから、航空券代も安いし、白人みたいに、権利ばかり主張したりしないから、おとなしい。


給料も、少々安くても、喜んで働いてくれるだろう。

さあ、教育関係者のみなさん。
英語はイギリスやアメリカなどのネイティブから習わなくてはいけない、というジンクスを捨て、すぐとなりの宝の山をつかって、未来をになる子どもを楽しく勉強してもらいませんか。


(つづく、か)






さて、マニラとパグサンハンの旅も、そろそろ終わりです。
なかなか、ほわっとできなかったけど…


この旅から帰ったときは、ほんとうにほっとしました。


やっぱり日本がいちばんね、なんて月並みなことを思ったり。
だってマシンガンの銃口を毎日のぞかなくていいし。
ごはんは何でもおいしいし、栄養あるし。


それでもふしぎに、フィリピンへの興味はつのりました。
日本から数時間、沖縄からは2時間足らずで、まったく文化の違う国がある。そのことが、いままで以上にはっきりとわかりました。


フィリピンは、いうなれば、アジアの中のラテン。


朝、市場でヒゲのおじさんが、コーヒーカップをもち、マンボを爆音で流しながら、踊っているような国は、アジアではフィリピンだけだと、断言します。


おにくのついたお尻をふりふり、


「へい、兄ちゃん! 一緒に踊らないか?」

なんて声がかかったり。ただの電気屋さんの開店準備なんだけどさ。


ずばり言って、フィリピンはおんもしろい。
死ぬか生きるか、ぎりぎりの線なので、スリルもあるかも。
そんなフィリピンで、ぼくの気に入ったのは、何よりもポップスです。
それでは、フィリピンで大人気のアーティスト、
アイザ・セゲラの”パラランサヨ”をどうぞおきき下さい!


(ちゃんと再生ボタンを押すんだぞ。押さなきゃ逆恨みするぞ)






いいでしょ~。
音質がよくないけど、雰囲気は分かりますか。
ほんとに、フィリピンのシンガーは、作曲もうまいし、アレンジもこっているし、歌も抜群にうまい。


アメリカ本土のアーティストにも、全くひけをとりません。


アイザは才女で、子役からシンガーソング・ライターに転向した、異色の経歴の持ち主。もっと異色な個性が、彼女にはあるのですが、ここではふれません。彼女のセクシュアリティーについてです。興味がある人は、調べてみて。


アイザは英語の歌も歌います。これがハンパなくうまい。欧米でいつ人気が出てもおかしくないのに・・・と思います。


マニラのライブハウスに行くと、ホイットニー・ヒューストンや、マライヤ・キャリーの歌を、生声で全音域かるがると出して歌う、もろごっついシンガーが、つくだ煮になるほどいます。


そんなプロの歌を、安いビールを頼むだけできけるのは、マニラの魅力のひとつ。


なぜかフィリピン人は、イギリスのロックバンド、クイーンが大好きで、今でもライブハウスで盛り上がる定番は、クイーンの”ボヘミアン・ラプソディー”。


これもとっても高い声が必要とされる歌だけど、ステージでバンドの生演奏で、かるがると歌います。すごいったらすごい。


次回は、フィリピンのもっとも私の注目する、「英語力」についてお話したいです。


つづくに決まってら!(バンカラ番長風っぽく)


のびのびボランティア紀行
(お金はなくても愛嬌は世界一! フィリピン・ガールズ)




カゼでぐだぐだな上に、余震まで来て、あらたいへんだの、ぼく。



マニラで置き引きにあった後、やっと落ち着けるホテルに入り、ゆっくりできた。



ちょっと心に余裕が出てきたので、もしかして、カバンがひょっこりもどって来てないかなーと、甘い期待をもってミスタードーナツへ。



店員の女の人が、



「本当にすいません。カバンはやっぱりないです」



と自分のことのように、同情してくれた。

何となく、もういいやという気になった。

もともと、モノへの執着があまり無い性格なので、パスポートやお金をなくさなかったことだけでも、ありがたかった。



ミスタードーナツの周りを見てみると、ほんとうに、可わいそうなくらいに治安が悪い。



人ごみでごった返していて、おなかを空かせたストリート・チルドレンが、そこかしこに座っている。



若い女の人たちが、何となくひとまち顔して、辺りに立っている。



お金をかせぐために、自分の若さを売るしかない境遇の人たちなんだ。



フィリピンでは、落ちるところまで落ちても、まだその下がある。それをかいま見させられる街だった。



さて、次の日。

のどもと過ぎれば何とやら、でホテルを出て、マニラ湾の方へいってみた。



夕日でもみて涼もうと思った。



それが大間違い。

どこまで歩いても、全然海は見えない。

ずっとずっと、野原がつづいている。



どうしたのかな、と思っていると、とつぜんお城のようなものが見えてきた。



かなり驚いた。超・超・巨大なショッピングモールが、どどでん、と建っているのだ。



その大きさたるや、ハンパではない。

とりあえず日本で、ここまで大きな建物は、建てられないと思う。六本木ヒルズとか、まったく太刀打ちできない。



それはSMモールという。



ドロボウや、人さらいがうようよしている街中とは、全く関係なさそうに、冷たく建っている。



これこそ、いまのフィリピンの格差社会の象徴だとおもう。



考えられないような大金持ちと、想像つかない貧乏人とが、となり合わせに暮らしているという。



SMモールのまわりは、だだっぴろい野原。

現地の人によれば、夜になるとならずものが虫のようにわんさと集まるという。



歩くだけでも危ないみたい。



車で、スピードを落とさずに走り抜けないと、襲われるとか。つまり街中より治安が悪いわけ。



そんな、おっとろしいマニラに23日いると、日本の感覚はマヒする。



常に背中や、右と左に気をつけてないと、いけない。どこから手が伸びてくるか分からない。



そんな感覚をもったまま、日本に帰ると、しばらくそれが抜けないで、ちょっと困る。



エレベーターに乗るときなど、知らない人がのってくると、何故かものすごく警戒したり。カバンを、脇の下で、ぎゅっとおさえこんでいる自分。



そこら中に本物の銃口がちらほらしている、マニラ。

丸腰で行くのは、まっぴらです。

行くとするなら、本当にいっちょう拳銃が欲しい。



(つづくよねー)


カゼっぴきでございます。



へんちくりんな天気にやられたのかな。



それも、熱を測っても、36度の平熱。

カゼの症状は、鼻の奥が痛むのと、のどが少し痛むのと。



なんだか、よく、わかりません。



昨日くらいから気分がへんちくりん。

半分くらいは、カゼのせいのようです。



さいきん、もうカゼの季節は終わったと思い、

ずっとつづけていた「外から帰ったら、手洗い・うがい」

をおこたっていました。



そしたら、とたんにこれ。

ばたんきゅー。



カゼには、皆さん気をつけて下さいね。

気分も落ち込むようですから。



るん♪



(つづきません)



のびのびボランティア紀行
(マニラのスラム、トンド地区で。本文とは関係ないよ~だ)




PC、カメラ、その他をカバンごと置き引きされ、しょげしょげだった。



警察署で盗難届けをつくってもらったあと、ホテルへ向かった。



「とっても安全なところだよ。鍵もかけなくていいし、門番がずっと見張ってくれる」



とのセンセイのことばをうのみにしていた。



ついたところは、置き引きにあったミスタードーナツと、目と鼻の先。ものすごく人通りが多い。それも、ぱっと見でかたぎじゃない人ばかり。



ズボンの背中に、でっかいジャックナイフをさして歩く男。



マハルキタ・ホテルは、まさにそんなやばい街角のど真ん中だった。

これがどこが安全なんだろう。



ホテルに入ると、ようするにドライブスルーのブティックホテルだった。



門番がいつもいる、というのは、車で入ってくる人のための、駐車係だった。確かに鍵はかけなくていい。というより、かけられない。



一階の部屋に通された。

天井が低く、薄暗い。それに、窓がひとつもない。

空気とりの窓わくがあったので、あけてみた。

もう目の前すぐが壁。真っ暗。



きぶんがみるみるみ~ると沈んできた。

盗難にあったあげく、今夜はこんな監獄みたいな部屋で眠るのか・・・



ムリ!

ぼくの中で、ほっぺのふっくらした赤ちゃんみたいなのが、ムリ! ムリ! と首をふった。



「あのう、自分でお金出すので、もうちょっと落ち着ける部屋に泊まります」



「あ~もううるさい! じゃあ好きなところに行けばいい!」



そそくさと荷物を運び出す。部屋には1時間しかいなかったので、とうぜん宿泊代を返して、と門番にいった。



「ノーノー。一度払ったものは、返せない」



ちっくしょー。

これがタイなら、必ずいくらかは、返してくれるのに。

こういうところが、フィリピンが観光で稼げない理由なんだ。



なんて思うけど、仕方ない。

ピノイクラブという、受付のある、ちゃんとしたホテルが近くにあった。



そこまで行くと満室だという。

もうひとつ、同じ系列のホテルなら、空き室があるとのこと。安心できるなら、どこでもいいから連れてって。



さいごに辿り着いたところは、セキュリティーのしっかりした、中級ホテルだった。部屋代は3000ペソ(6000円)したけど、安心と、疲れをとるためには、そのくらい出しても惜しくなかった。



やっと、長い長い一日が終わった。



広いバスタブにお湯をためて、ながながと身を横たえて、リラックスした。



明日のことは、明日の自分が考える。

今は、起きたことにくよくよせず、カードやパスポートを失くさなかったことを、幸運と思おう。



そうしているうちに、気持ちの切り換えができた。

海外の旅の途中は、気持ちの切り換え方が、とっても大事。



何かイヤなことに出会っても、すぐに気を取り直さないと、どんどん悪い方向に向かっていってしまう。



それは日常生活でもいえるかもしれないナー。

ナーンテ。



ほわりほわほわ。



(本当につづく)



のびのびボランティア紀行
(マニラのスラム。衣服支援してるとこ。ちなみに本文とは・・・もう分かるよね)




マニラで置き引きにあったぼくです。

アジアの旅をはじめたのは、19才になりたてのときだったけど、盗難にあったことはなかった。



生まれてはじめて、置き引きされて。

カバンの中には、カメラやPCが入ってた。

もうひとつ、とっても大事なものも・・・



竹でできた、穴があいてて、音が出るやつ。



それをなくしたのには、ホント、3ヶ月くらいへこんだ。



それはいいとして、マニラのパサイの警察署。

英語のたんのうなポリスの親分が、盗難届けを、子分に後述筆記させる。



口述筆記というのは、口で文面をいって、それをタイプ係りが、一字一句もらさずかくこと。



そうしてバッチリ盗難届けが出来た。

これで、日本の保険会社に出すことができる。

とりあえずほっとした。



それで、転んでもタダでは起きないゾーと思い、

おまわりさんにインタビューした。



「フィリピンでは、どうやったら警察になれますか?」



「はい、警察学校をでなければ、ならんのです」



「どんな勉強するのですか」



「ほとんどは、体育と運動です。こういうことを、やらされました」



といって、その場でうさぎとびをはじめる、若い警察官。やったらめったら明るい。



するとポリスのボスがいう。



「フィリピンは犯罪が多い。日本でも、こういうことはあるかい?」



「ありはしますが、とても少ないです。それに、日本の警察は犯罪捜査をとても一生懸命やります」



最後の方は、ちょっと皮肉った。



さてその警察署には、拘置所、いわゆるブダ箱がついていた。



ポリスのボスがいう。

「おれたちもスリやかっぱりを、毎日つかまえるんだが、全然数が減らないんだ。警察の方の手が足りない。ほら、ここをみるといい」



と後ろの牢屋を指差した。



すると、暗い鉄格子の向こうに、年はのゆかない子どもたちが、何人もこっちを見ていた・・・



フィリピンの暗い底を見た気がした。



ほわほわできな~い。



「この子たちは、つかまえても、2-3日で釈放するしか方法がない。そしてしばらくすると、またつかまってこの牢屋にもどってくる、というわけだ」



そう。フィリピンの警察官の方も、困っているのだ。

政治の問題なんだと思う。偉そうなことを言わせてもらえれば、ネ。ネコニャンニャン。



ニャンといったついでに、偉そうなことを、もちょっといいます。政治家の方たちは、汚職するお金を、ちゃんと警察の方にまわして、仕事をしやすくするべきです。



フィリピンのマフィアなどは、警察より資金を持っているので、まったく取り締まれません。



まずは治安をよくしないことには、人々が安心して暮らせません。警察の人も給料安くて、それなのに身体をはる仕事をするので、それはやる気もなくなるってもの。



そしてスリやかっぱらいは野放しになる。



ケチなスリなんかでしか、生活費を稼げないストリート・チルドレンも、気の毒だ。



問題は複雑に絡みあっているんです、ネ。ネコミャーミャー。



警察署では、さいごに、本部の方に調書をもっていかなくてはならない、といわれた。



はじめは、自分で持っていけ、という。

その次は、係りのもの(警察アシスタントがいる。これは東南アジアではよくあること)に持っていかせる、という。



そのときの交通費が100ペソ必要だが、負担できるか、と言われた。



ちょっとした賄賂みたいなものかな、と思ったけど、すぐに払った。もう早くホテルに入って休みたかった。



警察署の仲良くなった人たちに、手をふってお別れ。

すぐにタクシーをひろい、センセイが「安全」というマハルキタ・ホテルへ。



もうこれ以上、神経を使いたくなかった。

はっきりいって、疲れはピークに達していた。



(トゥー、ビー、コンテニュー)


のびのびボランティア紀行
(マニラのスラムの子どもたち。底抜けの明るさです。本文とは直接関係ありません!)





社会活動系のブログからは、だいぶん外れたことばかり、お話ししているこのブログ。



それなのに、どなたか”ペタ”をつけて下さってる。

ありがたいと思うけれど、いったいどんな人が共感してくれてるのかな~。



そんなことが気になる。



置いといて、それは。

マニラのパサイ市という、ざわざわした街かどで、カバンを置き引きされたぼく。



どうしようもないので、警察署に行くことに。



パサイのエドゥサ駅の近く、警察署はこぢんまりとあった。

古い石づくりの建物の一階で、中に入ると、とっても狭い。



「どうぞ。何がありましたか」

と奥のカウンターにつめている、その警察署の責任者らしい中年男性がいう。



この中年男性、まるで古いアメリカ映画に出てきそうなポリスマン。



そして新人っぽい20代前半の、明るい警官たちが、3、4人たむろしている。



本当に、「たむろ」しているようにしか、見えない。

奥のいちばん偉いポリスマンに、置き引きにあった、といった。



「場所はどこだ?」



「駅前のミスタードーナツです」



「ふーむ。あそこはスリやかっぱらいがたくさんいるからな」



何と泥棒をするのは、たいがい子どもだという。



子どもは背が小さいし、警戒されにくい。

エドゥサ駅前あたりは、そんなコソ泥にあふれているという。



若い警官が、「例えば、こんなふうにやるんですよ」とお手本(?)を見せてくれた。



大きなビニールバッグを持つ。買い物バッグみたいなものだ。それを売るふりをして近づく。片方の手を、ふたつのバッグの間に隠しておく。



そして客がバッグを見ているあいだに、かくした手を下から伸ばして、財布をとる。



たんじゅんだけれど、だからこそ、この街になれた現地人でもやられる。



なおのこと、マニラおのぼりさんの私たちなんか。

とんで火にいる夏の虫。



警察官に、盗難にあった状況を教えて、調書をつくってもらった。



そのときに、もういちどセンセイと、どうやって置き引きされたかを話しあった。



犯人の気配も感じなかったようだ。犯人は、エドゥサ駅前をシマにしている、プロ中のプロだろう。



そしておそらくは、子どもだ。

というのは店の人にきいても、怪しい人は見かけなかったというから。



店の人にさえ分からないような、いっしゅんの隙をついて、通りに面した入り口から入り、電気街の方の出口から抜けて出たのだ。



さて、警察署。

若い警官たちは、やたら明るい。

パソコンをいじっている。てっきり仕事をしてるかと思えば、テトリスで遊んでいた。



ほんわか。ほわほわ。

マニラって、とっても危ないのに、楽しいの。



で、署長が、「書類をつくれ」と命令。そのとたんに、テトリスを止めて、ワープロのプログラムをひらく。



さすがにフィリピン、英語力はアジアでいちばん。署長は正確な英語で、調書の文面を、口でいう。



それを、若手の警官が、つづりのミスもなく、タイピングする。盗難届けは、スムーズに出来上がっていった。




(づづきは次回へ)