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前稿「親父その3」からの続きです。
2020年2月17日(月)
15時30分前後
一旦自宅に戻った私達は、支度を整え、父の入院している病院に向かって車を走らせました。
まだ昼ご飯を食べていなかったので、途中、コンビニに寄って腹ごしらえをしました。
この時の時間が、16時くらいだったと思います。
ここのコンビニの駐車場に、555や8888、3355などのナンバーの車が止まっていました。
「これ、刻印ちゃうん?」
と妻の「猫」が言いました。
※一般的にエンジェルナンバーと呼ぶものを、我々は刻印と呼んでいる。
スピリチュアルな事に関心が無い方は、参考程度に読んでいただきたいのですが、天使が人間に何かを伝えたいと考える時に、数字を使って意思を伝える事があります。それをエンジェルナンバーと言い、数字の並びによって色々な意味があります。
この時にコンビニに止まっていた車のナンバーが、意味ありげな数字の物ばかりだったので、刻印(エンジェルナンバー)だと思ったわけです。
実は、コンビニを出た後も、555などの並び番号のナンバーをやたらと目にしました。
この異常な事態を、当時の私達は意味も分からずに体験していました。
しかし直ぐに、この時に異常な数の刻印を目にした事の意味を知る事になります。
病院に到着したのが、16時25分頃でした。
ロビーを通り、5階までエレベーターを使って移動しました。
エレベーターを降りた私は、5階にあるナースセンターの人に声を掛けました。
「あの、すいません。●●の身内の者なのですが、父は今どこに居ますか?」
と私が言うと、奥の方で様子を伺っていた眼鏡をかけた看護師が、私達に近づいて来ました。
「●●さんのご家族の方ですか?」
と、その看護師は言いました。
「あ、はい。そうです」
私はそう答えました。
「こちらです。どうぞ」
看護師はそう言って、私達を誘導しました。
「はい」
と私は返事をし、足早に歩く看護師の後ろを、私達はついて行きました。
「●●さん、午前中急に容態が悪化しまして」
「ええ、そうみたいですね。母から聞いて急いで来たんですよ」
「そうですか。病室はここです」
そう言って看護師は、横に引くタイプの扉を開けてくれました。私達は入り口にあるアルコール消毒液で手指消毒をしてから病室に入りました。
「私は看護師なので、あくまでも先生の判断によるのですが、●●さんは、私が目を離している間に、恐らく今から30分程前だと思うのですが、呼吸が停止したようなのです」
私は最初、看護師が言っている意味を理解出来ず、呆けたような表情をしてしまいました。
「え?それはどう言う意味ですか?」
と私は言いました。
「あの、ですからあくまでも先生の判断にはよるのですが、機器の数値はこのように0になっている状態でして」
「え!?じゃあ親父は死んでるって事ですか?」
「ええ、機器の数値上ではそのような状態かと思われます」
医療機器の数値は0のまま、ピクリとも動いていませんでした。
通常ならば、ピッピッピッと音がして数字の変動があるはずです。それが無いと言う事は、つまり既に死んでいる状態なのです。
我々が来た時には、父は既に亡くなっていました。
一旦自宅に戻ったばかりに、死に目には会えなかった事になります。
恐らく、我々が異常に刻印を目にした16時位に、父は亡くなったのだと思います。もしかしたら天使達が、父が死んだ事を我々に伝えていたのかも知れません。
本文に戻ります。
「先生に確認して頂くのは、お母様が到着してからにしましょう」
看護師はそう言って、病室を出て行きました。
「お父さん、ごめんね間に合わなくて」
妻はそう言って、泣き出しました。
私は父の傍に寄る事が出来ず、病室をせわしなく歩き回り、時にはジャンプしてみたり、手をぐるぐると回したりしました。苦しくて息がつまりそうでした。とにかく何かをしていないと、頭がおかしくなってしまいそうだったのです。
「ちょっと母ちゃんに電話してくるよ」
病室内に息苦しさを感じた私は、そう言って病室の外に出ました。
そしてズボンのポケットから携帯電話を取り出し、母に電話を掛けました。数回のコールの後、母は電話に出ました。
「もしもし」
母が言いました。
「あ、母ちゃん?俺だけどさ」
「あ、うん。お父さんどうなった?」
「俺らが来た時には、既に死んでたよ」
「そっか……」
母は静かにそう言い、父の死を受け入れました。
私は一旦電話を切り、母の到着を待ちました。
母が病院に到着したのは、それから30分程経過してからでした。
「お父さん、良く頑張ったね」
母は、父の頭を優しく撫でながらそう言いました。
私は相変わらずベッドの傍には寄れずに、入り口近くでその光景を眺めていました。
「お父さん、こんな冷たくなっちゃって」
母は暖かい眼差しで、冷たく横たわる父を見つめていました。
父は何も言わず、生前と同じように柔和な表情を浮かべていました。
「しかし、幸せそうな顔してるよね」
と私が言うと、妻も母も頷きました。
「本当にこの人は幸せな人生だったよ」
と母が言いました。
それから暫くして、担当医が病室に入って来ました。
医師は、父の瞼を開き、ライトを当てて瞳孔の動きを確認しました。その後股の部分に手を当て脈拍を確認した後、こう言いました。
「午後5時24分。ご臨終です」
感傷に浸る間もなく、看護師が言いました。
「ではお着換えさせますので、ご家族の皆様は一旦外に出ていただけますか?それと葬儀社の方の手配をお願いします」
母は分かりましたと言い、私達は一旦病室の外に出ました。
その後私は、父が入会していた葬儀社に電話をして、遺体を引き取りに来てもらう事になりました。
数十分後、
「お父様のお着替えが終わりました」
と看護師が言い、私達は再び父の眠る病室で葬儀社を待つ事になりました。
話題は先月の、施設での父の元気な姿に関する事が主でした。
食事を誰よりも早く食べ終えた父は、ふっくらとした血色の良い顔をしていました。来訪したのが1月2日だったので、丁度正月のおせち料理が振る舞われていたようで、料理が美味いと父が嬉しそうに言っていたのを思い出します。あの時にはまさか次の月に亡くなるとは夢にも思いませんでした。父親の死を目前にしても、私はどこかそれが現実では無く、夢のような気がしていたのかも知れません。
それから小一時間程が経過し、葬儀社の人達がやって来ました。
私達夫婦は乗って来た自分達の車に乗り込み、母は葬儀社の人達の車に同乗し、葬儀社に移動しました。
葬儀社に到着した私達は、広い応接間に通されました。
「本日はとりあえずご遺体の方をお預かりして、詳しい打ち合わせは明日にしましょう」
と葬儀社の人が言ったので、私は了承し、次の日も会社を休む事にしました。
この日の晩と次の日は、父の死を悲しんでいる暇が無い程考える事が沢山ありました。
まずは父が死んだ事によって、年金が目減りしてしまう為、実家のライフラインの料金を私が支払う運びとなりました。ですから翌日、電気、ガス、水道の会社に連絡し、名義変更と引き落とし口座の変更を行う事。他にも父の土地の遺産相続に関してや、父の銀行口座の解約、葬儀社に預けるハンコを買う事、入院費の清算、翌日は車で走り回る事が予想されましたので、ガソリンを入れて空気圧を見て洗車して……と、翌日にやらなければならない事が山積みでした。今思えば、色々と考える事が沢山あったので、この日の晩は乗り切れたのかも知れません。
帰りの車中、とても胸が重く息苦しかったです。病室から鼻が詰まって仕方ありませんでした。
翌日は早朝から起きて動き回る必要があったので、自宅に戻った私は日本酒を大量に胃に注ぎ込み、酔った勢いで直ぐに寝てしまいました。
そして夜が明けました。
2月18日(火)の始まりです。
※同じような批判コメントを付ける方が多いので、それに答えた各記事があります。
批判をする前に、まずそちらに目を通して下さい。→ 中傷、反論する者に答える。