プロレスバカ1代・3
最初に余談。
本年1,2,3月に風邪をひき、「うわ、このままのペースだと、1年で12回風邪をひくことになってしまう」などと心配していたが、4月から9月末までは風邪をひかずに済んだ。
現在、風邪をひく前によくあるような体調である。
なるたけ無理しないようにしよう。
本文スタート
毎週1回獨協大学の中庭でやっていたプロレス。いつしか「中庭プロレス」と名づけられるようになり、名物となった。
そんなある日、ボクシング部所属、極真空手初段のピストン大山(仮名)が我々に挑戦してきた。
困ったな、と思った。
別に負けるのが嫌だとか、空手が怖いということではない。
問題点1
テレビ取材
実は、次回の試合をNHK教育の番組が取材することになっていた。
そこで、これにあたっては、もっとも盛り上がりそうな組み合わせで試合順を考えていたのである。こんな大事な時に、いつもと違う選手が急に入ってきて、空気も読まずに変なことをされては困る。
が、今なら取材という大事なことを最優先に考えるのに、当時の私は、「プロレスこそ最強の格闘技。いつ何時、誰の挑戦でも受ける」と考えていた。逃げたと思われても嫌だ。
後輩の上州・源竜・北城の3人は私よりはるかに強く、かっこよく、独協のスターになっていた。が、唯一、私は、他の格闘技との戦いについては3人より経験豊富だった。
テレビ取材前に万一どこか傷めて大技を出しにくくなっては困る。
ここは私がピストン大山と戦い、一日2試合やることにした。
問題点2
勝つか負けるかどうするか。
ボクシング部大山は、部の先輩から、「負けたらただじゃおかない」みたいなことを言われていた。私が勝つと大山が気の毒だ。
かと言って、私がわざと負けると、当時私が持っていたDWA(独協レスリング・アライアム)チャンピオンのベルトが海外流出ならぬ「会外流出」である。
その後、大山選手が毎週中庭に来て防衛戦を行ってくれれば良いが、高校時代も大学になってからも、常連選手以外にチャンピオンベルトを渡すと、その後1試合もせず、そのままうやむやになることが多いのだ。
天皇は(ところどころ継承が怪しいところがあるが・・継体天皇、応神天皇など)125代しっかり続いているから権威ができる。
プロレスでは最強の者がチャンピオンとなり、その者を倒した者が新しいチャンピオンになる。この連続性が権威になるのだということに私は中学時代からこだわってきた。私は中学時代から作った全てのプロレスチャンピオンについて、初代から順にチャンピオン全てを言える。
ところが時々、チャンピオンになっておいてその後1試合もせず、私にギャーギャー言われて「じゃあ、返すよ」と王座を返上する者が出る。これではチャンピオンの権威が下がる。大山もボクシング部の先輩にけしかけられてやっており、こういう奴にチャンピオンベルトを渡すとそのままになりそうだ。
問題点3は、試合の中で触れよう。
大山との試合が始まった。
NHKのカメラが来る前にこの試合は終えたい。
少し様子を見たら、やはり予想していた問題点3が的中してしまった。
技が地味なのだ。
私は観客に受けるならば、痛いのも負けるのも構わない。
空手の派手な飛び蹴りとか、後ろ飛び回し蹴りにやられるのなら本望だ。こちとら、出川哲郎を上回るリアクション芸人みたいなものだ。
が、単純な突きと蹴りしか来ない。
おまけにスピードがのろい。
実は空手は腰を入れた突き・蹴りを出すので、キックボクシングのように軽やかなフットワークでリズミカルにポンポン技を出しては来ない。確かに腰が入っている分、当たると威力があるが、観客を楽しませることを考えたら、腰なんか入れなくて良いからもっとポンポン打ってきてほしい。ボクシング部で空手初段ということで、ボクシングっぽい動きか空手っぽい動きか気になっていたが、どうやら動き方は空手っぽい。
それでも、他に突きや蹴りを使う選手が今までいなかったならば、これも「オンリーワン」としての価値がある。
が、たとえば源竜選手の「電撃キック」。
「グワアオオオー」と大声で吠えながら、後ろ回し蹴りをする。ものすごい迫力だ。
あるいは北城選手の「マシンガン・キック」。
こちらは、そんなに腰を入れてはいないが、すごいスピードの蹴りを何連発もする。
こういうのを毎週見ている観客の前で今更普通のレベルの蹴りなんかやっても受けない。
ますますこんな奴に負けるわけにいかない。が、私が勝つと彼が部の先輩に怒られそうだ。
勝つわけにもいかず、負けるわけにもいかず、こんなだれた試合で時間切れ引き分けまで粘るわけにもいかず。
そこで、タオルを使って首を絞めにいった。興奮した大山、シャツを脱いで私の首を絞める。そのままもつれながら、私は小声で「両者反則負けにしろ」とレフェリーに指示した。
両者反則負け。一応チャンピオンベルト防衛。
続いて塩浜対北城の試合がチャンピオンベルトをかけて行われる。その後のメインはもっとも大技を豊富に持つ、上州キリ対源竜天一郎の試合。
北城と戦いながらもいろいろ報告が入ってきた。
NHKのカメラはもう学内に入っているらしい。
目の前のことだけに夢中にならず、全体の様子を把握することは、プロレス、アイドル、政治家などに必要な資質である。
しかし、どこで何をしているのか、中々ここまでNHKのカメラが来ない。
3本勝負のうち、2本まで終わってしまった。
得意技もかなり使ってしまった。
どうした、NHK.。
(つづく)
本年1,2,3月に風邪をひき、「うわ、このままのペースだと、1年で12回風邪をひくことになってしまう」などと心配していたが、4月から9月末までは風邪をひかずに済んだ。
現在、風邪をひく前によくあるような体調である。
なるたけ無理しないようにしよう。
本文スタート
毎週1回獨協大学の中庭でやっていたプロレス。いつしか「中庭プロレス」と名づけられるようになり、名物となった。
そんなある日、ボクシング部所属、極真空手初段のピストン大山(仮名)が我々に挑戦してきた。
困ったな、と思った。
別に負けるのが嫌だとか、空手が怖いということではない。
問題点1
テレビ取材
実は、次回の試合をNHK教育の番組が取材することになっていた。
そこで、これにあたっては、もっとも盛り上がりそうな組み合わせで試合順を考えていたのである。こんな大事な時に、いつもと違う選手が急に入ってきて、空気も読まずに変なことをされては困る。
が、今なら取材という大事なことを最優先に考えるのに、当時の私は、「プロレスこそ最強の格闘技。いつ何時、誰の挑戦でも受ける」と考えていた。逃げたと思われても嫌だ。
後輩の上州・源竜・北城の3人は私よりはるかに強く、かっこよく、独協のスターになっていた。が、唯一、私は、他の格闘技との戦いについては3人より経験豊富だった。
テレビ取材前に万一どこか傷めて大技を出しにくくなっては困る。
ここは私がピストン大山と戦い、一日2試合やることにした。
問題点2
勝つか負けるかどうするか。
ボクシング部大山は、部の先輩から、「負けたらただじゃおかない」みたいなことを言われていた。私が勝つと大山が気の毒だ。
かと言って、私がわざと負けると、当時私が持っていたDWA(独協レスリング・アライアム)チャンピオンのベルトが海外流出ならぬ「会外流出」である。
その後、大山選手が毎週中庭に来て防衛戦を行ってくれれば良いが、高校時代も大学になってからも、常連選手以外にチャンピオンベルトを渡すと、その後1試合もせず、そのままうやむやになることが多いのだ。
天皇は(ところどころ継承が怪しいところがあるが・・継体天皇、応神天皇など)125代しっかり続いているから権威ができる。
プロレスでは最強の者がチャンピオンとなり、その者を倒した者が新しいチャンピオンになる。この連続性が権威になるのだということに私は中学時代からこだわってきた。私は中学時代から作った全てのプロレスチャンピオンについて、初代から順にチャンピオン全てを言える。
ところが時々、チャンピオンになっておいてその後1試合もせず、私にギャーギャー言われて「じゃあ、返すよ」と王座を返上する者が出る。これではチャンピオンの権威が下がる。大山もボクシング部の先輩にけしかけられてやっており、こういう奴にチャンピオンベルトを渡すとそのままになりそうだ。
問題点3は、試合の中で触れよう。
大山との試合が始まった。
NHKのカメラが来る前にこの試合は終えたい。
少し様子を見たら、やはり予想していた問題点3が的中してしまった。
技が地味なのだ。
私は観客に受けるならば、痛いのも負けるのも構わない。
空手の派手な飛び蹴りとか、後ろ飛び回し蹴りにやられるのなら本望だ。こちとら、出川哲郎を上回るリアクション芸人みたいなものだ。
が、単純な突きと蹴りしか来ない。
おまけにスピードがのろい。
実は空手は腰を入れた突き・蹴りを出すので、キックボクシングのように軽やかなフットワークでリズミカルにポンポン技を出しては来ない。確かに腰が入っている分、当たると威力があるが、観客を楽しませることを考えたら、腰なんか入れなくて良いからもっとポンポン打ってきてほしい。ボクシング部で空手初段ということで、ボクシングっぽい動きか空手っぽい動きか気になっていたが、どうやら動き方は空手っぽい。
それでも、他に突きや蹴りを使う選手が今までいなかったならば、これも「オンリーワン」としての価値がある。
が、たとえば源竜選手の「電撃キック」。
「グワアオオオー」と大声で吠えながら、後ろ回し蹴りをする。ものすごい迫力だ。
あるいは北城選手の「マシンガン・キック」。
こちらは、そんなに腰を入れてはいないが、すごいスピードの蹴りを何連発もする。
こういうのを毎週見ている観客の前で今更普通のレベルの蹴りなんかやっても受けない。
ますますこんな奴に負けるわけにいかない。が、私が勝つと彼が部の先輩に怒られそうだ。
勝つわけにもいかず、負けるわけにもいかず、こんなだれた試合で時間切れ引き分けまで粘るわけにもいかず。
そこで、タオルを使って首を絞めにいった。興奮した大山、シャツを脱いで私の首を絞める。そのままもつれながら、私は小声で「両者反則負けにしろ」とレフェリーに指示した。
両者反則負け。一応チャンピオンベルト防衛。
続いて塩浜対北城の試合がチャンピオンベルトをかけて行われる。その後のメインはもっとも大技を豊富に持つ、上州キリ対源竜天一郎の試合。
北城と戦いながらもいろいろ報告が入ってきた。
NHKのカメラはもう学内に入っているらしい。
目の前のことだけに夢中にならず、全体の様子を把握することは、プロレス、アイドル、政治家などに必要な資質である。
しかし、どこで何をしているのか、中々ここまでNHKのカメラが来ない。
3本勝負のうち、2本まで終わってしまった。
得意技もかなり使ってしまった。
どうした、NHK.。
(つづく)
世界連邦とは何か・1・塩浜の紙上講演会・8
塩浜の紙上講演会
皆さん、本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。
塩浜党の党首、アトラス塩浜です。
本日より、世界連邦運動について連続講演させていただきます。
今回は
1 世界連邦とは何か
2 本当にできるのか
という部分について語りたいと思います。
1 世界連邦とは何か
皆さん、皆さんは坂本竜馬は好きでしょうか。
私は坂本竜馬が大好きです。
幕末日本が外国からの侵略の危機にあったころ、「日本が危ない時に、長州だ薩摩だと言っている場合じゃないぜよ。日本が1つになってこの危機にあたらんといかんぜよ。」と薩長同盟を結ばせました。
世界連邦運動は、簡単に言えば、「現代の坂本竜馬になろう」という運動です。
国家はもちろん大切です。
しかし、今、国家・国益というものに捉われていては解決できないような問題が次々生じています。
たとえば環境問題。
ある国家がいくら頑張って環境を守ろうとしても、他の国が環境をどんどん破壊していけば、空気も水もつながっていますから、頑張った国家も含めて被害に遭います。
ここにいたっても、「環境対策なんかやったら、その分コストがかかり、国際競争力が弱まる」などと言う人もいるわけですが、「もうそんなことを言っている場合ではないぜよ、世界のみんなが1つになって何とかせんといかんぜよ」と思うのです。
あるいはテロの問題。
2001年911のテロ事件が本当にアフガニスタンにいるタリバン、ビンラディンがやったのかも怪しい面がありますが、仮にそうだとしても、なぜタリバンというグループで行ったことで、アフガニスタンが爆撃され、罪もない人が犠牲にならなければいけないのでしょうか。
今後は、ある国が「あの国を攻撃して領土を広げるぞー」などと言って真正面から攻めてくることは段々無くなってくると思います。
テロリスト、グループなどを単位とした問題が安全保障の中心テーマに変わってくることでしょう。その場合に、今、国家単位での侵略などを前提とした制度や理論が意味を失ってきます。テロリストは国境を越えてあっちに行ったりこっちに行ったりします。テロリストが前にいた国に報復攻撃をしても無意味です。
あるいは難民の問題、核兵器の拡散の問題、飢餓の問題・・・国家を単位としていては解決が難しい問題が次々と生じています。
藩がバラバラだった時代から、日本を1つにして危機を乗り切ったように、このような問題に、それぞれの国家がバラバラな時代から、世界を1つにして環境・テロ・核拡散・難民・飢餓などの問題に対処していこうというのが世界連邦運動です。
2 本当にできるのか
では、世界連邦なんてものが本当にできるのか、という話をしましょう。
世界連邦のことを話すと、「そりゃあ、世界がみんな手をつないで協力しあうのは理想だ。でも、本当にそんなことができるの?」と聞かれます。
中東では毎日のように紛争があるし、北朝鮮と仲良くできると思えないし・・・。
しかし、私はそれでもなお、世界連邦は必ずできると思っています。
唐突ですが、皆さん、鎌倉幕府ができたのは何年でしょうか。
「いい国作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせで覚えた人も多いでしょう。
いい国・・で1192年です。
歴史の教科書を見ると、将軍、執権がいて、中央には侍所・政所・問注所、地方には守護と地頭、京都には六波羅探題があったという組織図が出ています。
これらが1192年にいっぺんにできたわけではありません。
源頼朝が弟の義経と仲悪くなり、義経を捕まえるために全国に追捕使を設置し、これがやがて地頭になりました。
後鳥羽上皇が鎌倉幕府に戦いを挑んだ後、「朝廷を見張っておく必要がある」ということで京都に六波羅探題を置きました。
このように、必要に応じていろいろ作っていくうちに、歴史の教科書に載っているような組織になっていったのです。
最近では、頼朝が征夷大将軍になった年を基準とすることはない。それより前から鎌倉幕府の組織はでき始めていたとして、鎌倉幕府成立を1185年とする説も出てきています。
さて、世界連邦を作るについて、私個人の言い方ですが、「日本国憲法型」と「鎌倉幕府型」という言い方をしています。
「日本国憲法型」というのは、日本国憲法ができて1947年に立法・行政・司法などの仕組みがそろっていっぺんにできたように、「世界連邦憲法」ができて、世界警察、世界裁判所、世界議会などがいっせいに動き出すというやり方です。
ここは世界連邦運動を行っている人の中でも考えが分かれるところですが、私はそういう形で世界連邦ができるのではないと思っています。
後にお話しますが、ICC国際刑事裁判所というものができました。これが発展して世界裁判所の元になっていくと思います。
環境問題に対処するための国際的な仕組みもできていくでしょう。
貧困・開発のための資金は、今はそれぞれの国家がODA政府開発援助という形で出していますが、これでは国家の都合で増えたり減ったりする。国際社会が直接の財源を持つべきではないかということで、「国際連帯税」というものが議論されています。
あるいは、国連には今、選挙で選ばれたのでもなんでもない、外交官試験に受かった人たちが行っています。つまり、政府代表は行っているが、人民代表は行っていない。
一度に変えることはできないでしょうが、国連に政府代表だけでなく、選挙で選ばれた人も行くべきだ・・というような議論が起きてくるかも知れません。
実際「EU議会」には、選挙で選ばれた人が行くのですから、そういう議論が起きる可能性は十分にある。
国連憲章22条によれば補助機関を作ることができるので、まずは補助機関として選挙で選ばれた人が話し合う場を作ることが可能です。これは将来的に「世界連邦議会」の元になりうる。
鎌倉幕府の組織のように、必要に応じて個別の仕組みを国際社会で作っていったら、「あ、気がついたら世界連邦になっていた」というようになるのではないか、こういう個別の制度の積み上げによるやり方ならば、世界連邦は十分実現可能だと思うのです。
こういった理論とは別に、世界連邦ができると私が思う理由は、歴史の流れです。
歴史の流れは止められない。
人類はどんどん行動範囲を広げています。
人も物も金も情報もどんどん広がる。それを止めることはできないのです。
人も物も金も情報も国家を超えて移動しています。
「反対だ」と言おうがどうしようが止まりません。
世界連邦ができるかできないか、作るべきかどうかというよりも、歴史の法則として世界連邦はできる。早くなるか遅くなるかの違いに過ぎない。私はそう思うのです。
(つづく)
10月25日、世界連邦運動60周年記念大会が国連大学で行われます。
国連大学は当日いきなり行くことができないのが短所。事前申し込みが必要です。(私は国連大学で行われた行事に当日行って入れず、むだ脚を踏んだことがある。)
詳しくは
第27回世界連邦日本大会実行委員会事務局
電話 03-3353-4341
〒160-0004 東京都新宿区四谷4-23 FAX 03-3353-9300
電子メール axiomta@gmail.com
オタクのコーナー
10年くらい前だろうか、「奥菜恵さんの妹がよく池袋で男からナンパされるのを待っている」「奥菜恵さんよりも妹の方がかわいい」という怪しげなうわさが流れていて、私もナンパしに行ったものである。
「アイドルは、クラスで一番かわいい人よりもクラスで4,5番目くらいの人が向いている」と鈴木まりえさんが言うように、アイドルは笑顔や雰囲気がかわいいが、よく見るとそれほど美人でもないものである。
奥菜恵さんはそんな中で相当の美形だと思う。それよりもかわいい人が池袋に立っていたらかなり目立つはずだが、それらしい人を見つけることはできなかった。
皆さん、本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。
塩浜党の党首、アトラス塩浜です。
本日より、世界連邦運動について連続講演させていただきます。
今回は
1 世界連邦とは何か
2 本当にできるのか
という部分について語りたいと思います。
1 世界連邦とは何か
皆さん、皆さんは坂本竜馬は好きでしょうか。
私は坂本竜馬が大好きです。
幕末日本が外国からの侵略の危機にあったころ、「日本が危ない時に、長州だ薩摩だと言っている場合じゃないぜよ。日本が1つになってこの危機にあたらんといかんぜよ。」と薩長同盟を結ばせました。
世界連邦運動は、簡単に言えば、「現代の坂本竜馬になろう」という運動です。
国家はもちろん大切です。
しかし、今、国家・国益というものに捉われていては解決できないような問題が次々生じています。
たとえば環境問題。
ある国家がいくら頑張って環境を守ろうとしても、他の国が環境をどんどん破壊していけば、空気も水もつながっていますから、頑張った国家も含めて被害に遭います。
ここにいたっても、「環境対策なんかやったら、その分コストがかかり、国際競争力が弱まる」などと言う人もいるわけですが、「もうそんなことを言っている場合ではないぜよ、世界のみんなが1つになって何とかせんといかんぜよ」と思うのです。
あるいはテロの問題。
2001年911のテロ事件が本当にアフガニスタンにいるタリバン、ビンラディンがやったのかも怪しい面がありますが、仮にそうだとしても、なぜタリバンというグループで行ったことで、アフガニスタンが爆撃され、罪もない人が犠牲にならなければいけないのでしょうか。
今後は、ある国が「あの国を攻撃して領土を広げるぞー」などと言って真正面から攻めてくることは段々無くなってくると思います。
テロリスト、グループなどを単位とした問題が安全保障の中心テーマに変わってくることでしょう。その場合に、今、国家単位での侵略などを前提とした制度や理論が意味を失ってきます。テロリストは国境を越えてあっちに行ったりこっちに行ったりします。テロリストが前にいた国に報復攻撃をしても無意味です。
あるいは難民の問題、核兵器の拡散の問題、飢餓の問題・・・国家を単位としていては解決が難しい問題が次々と生じています。
藩がバラバラだった時代から、日本を1つにして危機を乗り切ったように、このような問題に、それぞれの国家がバラバラな時代から、世界を1つにして環境・テロ・核拡散・難民・飢餓などの問題に対処していこうというのが世界連邦運動です。
2 本当にできるのか
では、世界連邦なんてものが本当にできるのか、という話をしましょう。
世界連邦のことを話すと、「そりゃあ、世界がみんな手をつないで協力しあうのは理想だ。でも、本当にそんなことができるの?」と聞かれます。
中東では毎日のように紛争があるし、北朝鮮と仲良くできると思えないし・・・。
しかし、私はそれでもなお、世界連邦は必ずできると思っています。
唐突ですが、皆さん、鎌倉幕府ができたのは何年でしょうか。
「いい国作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせで覚えた人も多いでしょう。
いい国・・で1192年です。
歴史の教科書を見ると、将軍、執権がいて、中央には侍所・政所・問注所、地方には守護と地頭、京都には六波羅探題があったという組織図が出ています。
これらが1192年にいっぺんにできたわけではありません。
源頼朝が弟の義経と仲悪くなり、義経を捕まえるために全国に追捕使を設置し、これがやがて地頭になりました。
後鳥羽上皇が鎌倉幕府に戦いを挑んだ後、「朝廷を見張っておく必要がある」ということで京都に六波羅探題を置きました。
このように、必要に応じていろいろ作っていくうちに、歴史の教科書に載っているような組織になっていったのです。
最近では、頼朝が征夷大将軍になった年を基準とすることはない。それより前から鎌倉幕府の組織はでき始めていたとして、鎌倉幕府成立を1185年とする説も出てきています。
さて、世界連邦を作るについて、私個人の言い方ですが、「日本国憲法型」と「鎌倉幕府型」という言い方をしています。
「日本国憲法型」というのは、日本国憲法ができて1947年に立法・行政・司法などの仕組みがそろっていっぺんにできたように、「世界連邦憲法」ができて、世界警察、世界裁判所、世界議会などがいっせいに動き出すというやり方です。
ここは世界連邦運動を行っている人の中でも考えが分かれるところですが、私はそういう形で世界連邦ができるのではないと思っています。
後にお話しますが、ICC国際刑事裁判所というものができました。これが発展して世界裁判所の元になっていくと思います。
環境問題に対処するための国際的な仕組みもできていくでしょう。
貧困・開発のための資金は、今はそれぞれの国家がODA政府開発援助という形で出していますが、これでは国家の都合で増えたり減ったりする。国際社会が直接の財源を持つべきではないかということで、「国際連帯税」というものが議論されています。
あるいは、国連には今、選挙で選ばれたのでもなんでもない、外交官試験に受かった人たちが行っています。つまり、政府代表は行っているが、人民代表は行っていない。
一度に変えることはできないでしょうが、国連に政府代表だけでなく、選挙で選ばれた人も行くべきだ・・というような議論が起きてくるかも知れません。
実際「EU議会」には、選挙で選ばれた人が行くのですから、そういう議論が起きる可能性は十分にある。
国連憲章22条によれば補助機関を作ることができるので、まずは補助機関として選挙で選ばれた人が話し合う場を作ることが可能です。これは将来的に「世界連邦議会」の元になりうる。
鎌倉幕府の組織のように、必要に応じて個別の仕組みを国際社会で作っていったら、「あ、気がついたら世界連邦になっていた」というようになるのではないか、こういう個別の制度の積み上げによるやり方ならば、世界連邦は十分実現可能だと思うのです。
こういった理論とは別に、世界連邦ができると私が思う理由は、歴史の流れです。
歴史の流れは止められない。
人類はどんどん行動範囲を広げています。
人も物も金も情報もどんどん広がる。それを止めることはできないのです。
人も物も金も情報も国家を超えて移動しています。
「反対だ」と言おうがどうしようが止まりません。
世界連邦ができるかできないか、作るべきかどうかというよりも、歴史の法則として世界連邦はできる。早くなるか遅くなるかの違いに過ぎない。私はそう思うのです。
(つづく)
10月25日、世界連邦運動60周年記念大会が国連大学で行われます。
国連大学は当日いきなり行くことができないのが短所。事前申し込みが必要です。(私は国連大学で行われた行事に当日行って入れず、むだ脚を踏んだことがある。)
詳しくは
第27回世界連邦日本大会実行委員会事務局
電話 03-3353-4341
〒160-0004 東京都新宿区四谷4-23 FAX 03-3353-9300
電子メール axiomta@gmail.com
オタクのコーナー
10年くらい前だろうか、「奥菜恵さんの妹がよく池袋で男からナンパされるのを待っている」「奥菜恵さんよりも妹の方がかわいい」という怪しげなうわさが流れていて、私もナンパしに行ったものである。
「アイドルは、クラスで一番かわいい人よりもクラスで4,5番目くらいの人が向いている」と鈴木まりえさんが言うように、アイドルは笑顔や雰囲気がかわいいが、よく見るとそれほど美人でもないものである。
奥菜恵さんはそんな中で相当の美形だと思う。それよりもかわいい人が池袋に立っていたらかなり目立つはずだが、それらしい人を見つけることはできなかった。
衆議院解散は憲法違反・2・塩浜流憲法入門・20
塩浜流憲法入門・20
内閣・2
9月19日のブログで、衆議院を解散して良いのは、第69条、つまり、不信任決議がなされたときだけであり、そうでもないのに、一方的に解散するのは憲法違反である、ということを主に日本語の解釈の面から述べた。↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=937974976&owner_id=2663509
憲法の条文上どうなっていようとも、結果的に政治がうまくいく仕組みのほうが良い・・という考え方もあろう。
私は司法試験を目指していたころ、「試験では多数説に合わせた方が合格しやすい。でも、いくら自分をだまそうとしても、69条を読む限り、不信任決議を出された時しか解散できないように思える。どうしよう」と思い、説得力ある理由を必死に探した。
そうしたら、佐藤功という人が書いた憲法に、大体次のようなことが書いてあった。
「思うに、衆議院は解散すべき時に解散しないことが問題なのであり、解散して選挙で民意が問われることは、むしろ歓迎すべきことである」
とあった。なるほど、と思い、どうにか自分を納得させて多数説、つまり、不信任決議がなくても内閣は衆議院を解散できる、という説をとることにした。
司法試験をあきらめ、試験と関係なく、「どうしたらみんなが幸せになるか、どうしたら官僚の横暴を止めることができるか」という観点からもう一度憲法を見つめ直した。
結果、やはり、「衆議院を解散して良いのは、不信任決議がなされたときだけ」としたほうが良いと考えるにいたった。
1 国会と政府の力のバランス
「解散して民意を問う」と美しく言うが、衆議院議員からすれば一回クビになるということである。「あの人だけは大丈夫」と思っていた議員が落ちることもある。大変な労力と金をかけて選挙を戦う。
国会と内閣と裁判所はさまざまな形で力を及ぼしあい、「抑制と均衡」を図っているというのが、中学の社会科の教科書による説明だ。
が、選挙によって選ばれた国会の議員たちと、直接は選挙で選ばれていない内閣の大臣たちの力関係で、内閣がいつでも好きな時に衆議院議員をくびにできるというのは、内閣が強くなりすぎるのではないか。
不信任決議がなされた時のみ、「だったら相打ちだあ」と解散するというだけにした方が、バランスがとれるのではないか。
2 与野党のバランス
実際の政治を見て痛感するが、内閣が与党に一番有利なタイミングを見計らって解散の時期を決めることができるということが、特に衆議院の選挙戦において与党、もっと言えば自民党を有利にしてきた。
ここ20年くらいで言うと、参議院(解散がなく、選挙がいつあるか決まっている)では時々野党が勝つ。
参議院自民党敗北例
1989年社会党土井たか子マドンナ旋風
1995年新進党が自民に勝つ
1998年自民党惨敗、橋本総理退陣
2007年民主党が参議院で第一党に
ところが衆議院で自民がまともに負けたのは1回だけ。
1993年、野党が出した不信任決議案に自民党からも小沢一郎軍団(後の新生党)と武村正義軍団(後の新党さきがけ)が謀反を起こして賛成し、不信任決議成立、予測もしなかった時期にいきなり解散となった後の選挙だけである。
内閣側から都合が良い時期を選んで解散するというのはこれくらい与党に有利なのだ。
以下実例。
1986年 中曽根総理は「衆議院解散は絶対にしない」「私がうそをつく顔に見えますか」と散々言って油断させた直後の選挙では自民党が歴史的大勝。
1996年 上述1995年新進党が参議院選挙で勝ち勢いに乗ったが、いくら求めても解散はせず、1996年秋に民主党ができたちょっと後に解散。新進党と民主党で「自民が嫌いだけど保守」という層の票が分かれ、漁夫の利を得る形で自民党が勝った。
2000年 上記1998年の参議院選挙で与野党逆転。次に衆議院選挙をやれば政権交代かと思われたが、そういう時には解散をしない。自由党と公明党を与党側に引き抜いて1999年盗聴法やら国民葬背番号制などの悪法を成立させ、なおも解散せず粘り、2000年小渕総理が国会中に死に、少しは同情したくなるタイミングで解散、しかも小渕総理の誕生日を投票日にし、小渕総理の娘を呼んで立候補させるという小細工を総動員した。実は得票数では与野党逆転、言い換えると小選挙区制がなければここで政権交代していた。その意味で自民が負けたとも言えるが、一応さまざまな小細工で政権交代まではいかず、やはり解散のタイミングを選べるというものの有利さを見せる結果となった。
3 衆議院議員がそわそわする
いつ解散総選挙があるかわからないということが、議員の本来の仕事の妨げになっている。
彼らは政治こそが仕事のはずである。しかし、彼らは政治のことよりも次の選挙で当選することに頭がいきすぎている。
もちろん、当選しなければ政治もできなくなるので選挙もおろそかにはできないが、問題はどちらが手段でどちらが目的か、ということだ。選挙に夢中で政治のことなど考えていられないというのでは本末転倒だろう。(註)
解散は不信任決議がなされたときだけ、ということにすれば、いつ選挙があるか予測できる。選挙前半年くらいはどうしても選挙中心になるだろうが、それ以外の時は少しは政治にも打ち込める。
以上の理由により、日本語の解釈としても、結果的に政治をよくするためにも、衆議院解散は不信任決議成立のときだけとした方が良い。
なお、塩浜政権樹立の際は憲法を改正し、内閣からではなく、国民から「衆議院解散請求」ができるようにしたい。「解散して民意を問う」時期は民意が決めるのである。
註 よく聞かれるが「塩浜はなぜ立候補しないのか」という問いへの答えがここともつながる。
私では選挙に勝てない。
いろいろな政治家と接し、彼らが「とにかく当選したい」という思いの強さには圧倒される。
国民・住民にとっては不幸なことだが、「選挙で勝ち、議員になることそのものが目的」という人間は「政治を変えるのが目的で、選挙で勝ち、議員になるというのはあくまで手段」という人間より選挙そのものには強いのである。
「勝つ」のが目的の人間は勝つためには何でもやる。勝つのが手段で、目的は別にあり、「必ずしも勝てば良いというものではない」という人間は、ギリギリの勝負では不利である。
オタクのコーナー
私は女性のうなじが好きである。うなじなら幼女から熟女まで好きである。
アイドルの撮影会でいつもうなじをリクエストするのはどうも私だけである。その割に私のリクエストでアイドルが髪をかきあげ、うなじを見せると、他の人もうなじをバシャバシャ結構撮影している。これはどういうことか推理した。
推理1 他の人もうなじが好きだが言い出せない
推理2 アイドルはたくさんいるカメラマンに順に視線を送る。自分に視線が来た人がポーズも要求できるというルールである。ところが、うなじを写すときは顔が見えない。よって自分に視線がせっかく来たときは視線を含めた顔を写し、うなじは他の人がリクエストしたときに便乗したほうが得である
推理3 笑顔を撮りたい、胸を撮りたいなどの自分の願望は意識しており、リクエストもするが、うなじの良さは普段意識認識しておらず、リクエストしない。しかし、他の人がリクエストしているのを見ると、結構いいので便乗して撮っておく。
内閣・2
9月19日のブログで、衆議院を解散して良いのは、第69条、つまり、不信任決議がなされたときだけであり、そうでもないのに、一方的に解散するのは憲法違反である、ということを主に日本語の解釈の面から述べた。↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=937974976&owner_id=2663509
憲法の条文上どうなっていようとも、結果的に政治がうまくいく仕組みのほうが良い・・という考え方もあろう。
私は司法試験を目指していたころ、「試験では多数説に合わせた方が合格しやすい。でも、いくら自分をだまそうとしても、69条を読む限り、不信任決議を出された時しか解散できないように思える。どうしよう」と思い、説得力ある理由を必死に探した。
そうしたら、佐藤功という人が書いた憲法に、大体次のようなことが書いてあった。
「思うに、衆議院は解散すべき時に解散しないことが問題なのであり、解散して選挙で民意が問われることは、むしろ歓迎すべきことである」
とあった。なるほど、と思い、どうにか自分を納得させて多数説、つまり、不信任決議がなくても内閣は衆議院を解散できる、という説をとることにした。
司法試験をあきらめ、試験と関係なく、「どうしたらみんなが幸せになるか、どうしたら官僚の横暴を止めることができるか」という観点からもう一度憲法を見つめ直した。
結果、やはり、「衆議院を解散して良いのは、不信任決議がなされたときだけ」としたほうが良いと考えるにいたった。
1 国会と政府の力のバランス
「解散して民意を問う」と美しく言うが、衆議院議員からすれば一回クビになるということである。「あの人だけは大丈夫」と思っていた議員が落ちることもある。大変な労力と金をかけて選挙を戦う。
国会と内閣と裁判所はさまざまな形で力を及ぼしあい、「抑制と均衡」を図っているというのが、中学の社会科の教科書による説明だ。
が、選挙によって選ばれた国会の議員たちと、直接は選挙で選ばれていない内閣の大臣たちの力関係で、内閣がいつでも好きな時に衆議院議員をくびにできるというのは、内閣が強くなりすぎるのではないか。
不信任決議がなされた時のみ、「だったら相打ちだあ」と解散するというだけにした方が、バランスがとれるのではないか。
2 与野党のバランス
実際の政治を見て痛感するが、内閣が与党に一番有利なタイミングを見計らって解散の時期を決めることができるということが、特に衆議院の選挙戦において与党、もっと言えば自民党を有利にしてきた。
ここ20年くらいで言うと、参議院(解散がなく、選挙がいつあるか決まっている)では時々野党が勝つ。
参議院自民党敗北例
1989年社会党土井たか子マドンナ旋風
1995年新進党が自民に勝つ
1998年自民党惨敗、橋本総理退陣
2007年民主党が参議院で第一党に
ところが衆議院で自民がまともに負けたのは1回だけ。
1993年、野党が出した不信任決議案に自民党からも小沢一郎軍団(後の新生党)と武村正義軍団(後の新党さきがけ)が謀反を起こして賛成し、不信任決議成立、予測もしなかった時期にいきなり解散となった後の選挙だけである。
内閣側から都合が良い時期を選んで解散するというのはこれくらい与党に有利なのだ。
以下実例。
1986年 中曽根総理は「衆議院解散は絶対にしない」「私がうそをつく顔に見えますか」と散々言って油断させた直後の選挙では自民党が歴史的大勝。
1996年 上述1995年新進党が参議院選挙で勝ち勢いに乗ったが、いくら求めても解散はせず、1996年秋に民主党ができたちょっと後に解散。新進党と民主党で「自民が嫌いだけど保守」という層の票が分かれ、漁夫の利を得る形で自民党が勝った。
2000年 上記1998年の参議院選挙で与野党逆転。次に衆議院選挙をやれば政権交代かと思われたが、そういう時には解散をしない。自由党と公明党を与党側に引き抜いて1999年盗聴法やら国民葬背番号制などの悪法を成立させ、なおも解散せず粘り、2000年小渕総理が国会中に死に、少しは同情したくなるタイミングで解散、しかも小渕総理の誕生日を投票日にし、小渕総理の娘を呼んで立候補させるという小細工を総動員した。実は得票数では与野党逆転、言い換えると小選挙区制がなければここで政権交代していた。その意味で自民が負けたとも言えるが、一応さまざまな小細工で政権交代まではいかず、やはり解散のタイミングを選べるというものの有利さを見せる結果となった。
3 衆議院議員がそわそわする
いつ解散総選挙があるかわからないということが、議員の本来の仕事の妨げになっている。
彼らは政治こそが仕事のはずである。しかし、彼らは政治のことよりも次の選挙で当選することに頭がいきすぎている。
もちろん、当選しなければ政治もできなくなるので選挙もおろそかにはできないが、問題はどちらが手段でどちらが目的か、ということだ。選挙に夢中で政治のことなど考えていられないというのでは本末転倒だろう。(註)
解散は不信任決議がなされたときだけ、ということにすれば、いつ選挙があるか予測できる。選挙前半年くらいはどうしても選挙中心になるだろうが、それ以外の時は少しは政治にも打ち込める。
以上の理由により、日本語の解釈としても、結果的に政治をよくするためにも、衆議院解散は不信任決議成立のときだけとした方が良い。
なお、塩浜政権樹立の際は憲法を改正し、内閣からではなく、国民から「衆議院解散請求」ができるようにしたい。「解散して民意を問う」時期は民意が決めるのである。
註 よく聞かれるが「塩浜はなぜ立候補しないのか」という問いへの答えがここともつながる。
私では選挙に勝てない。
いろいろな政治家と接し、彼らが「とにかく当選したい」という思いの強さには圧倒される。
国民・住民にとっては不幸なことだが、「選挙で勝ち、議員になることそのものが目的」という人間は「政治を変えるのが目的で、選挙で勝ち、議員になるというのはあくまで手段」という人間より選挙そのものには強いのである。
「勝つ」のが目的の人間は勝つためには何でもやる。勝つのが手段で、目的は別にあり、「必ずしも勝てば良いというものではない」という人間は、ギリギリの勝負では不利である。
オタクのコーナー
私は女性のうなじが好きである。うなじなら幼女から熟女まで好きである。
アイドルの撮影会でいつもうなじをリクエストするのはどうも私だけである。その割に私のリクエストでアイドルが髪をかきあげ、うなじを見せると、他の人もうなじをバシャバシャ結構撮影している。これはどういうことか推理した。
推理1 他の人もうなじが好きだが言い出せない
推理2 アイドルはたくさんいるカメラマンに順に視線を送る。自分に視線が来た人がポーズも要求できるというルールである。ところが、うなじを写すときは顔が見えない。よって自分に視線がせっかく来たときは視線を含めた顔を写し、うなじは他の人がリクエストしたときに便乗したほうが得である
推理3 笑顔を撮りたい、胸を撮りたいなどの自分の願望は意識しており、リクエストもするが、うなじの良さは普段意識認識しておらず、リクエストしない。しかし、他の人がリクエストしているのを見ると、結構いいので便乗して撮っておく。
がんばれロリコン・3
がんばれロリコン・3
今回は獨協大学で、「論理学入門」として発表した文章を思い出しながら書いたものです。ロリコンでない人は内容もさることながら、論理の展開というものに注目してお読みください。
ロリコン批判1 ロリコンの人って、大人の人に声をかける勇気がないから、扱いやすい子供を狙うんでしょ。
反論1
その批判はピントはずれである。
そういう人は本当のロリコンではない。
私を「真性ロリコン」とすれば、それは「仮性ロリコン」である。
大人の女性と幼い女の子と、仮にどちらかを自由に選べる状態だとして、その場合に幼い女の子を選ぶのが真のロリコンであり、大人ではだめだから仕方なく子供というのは真のロリコンではない。
私は今の安藤美姫選手と3年前の浅田真央選手とどちらかとデートできるならば、後者を選ぶ。
私は美少女仮面ポワトリンより、ポワトリン・プティットが好きだ。(もっとわかりやすい例を出せ・・と自分で突っ込み)
反論2
子供に声をかける方が断然難しいという点でも上記批判はおかしい。
私はナンパの時はやむなく大人の女性に声をかけている。
ロリコン批判2 子供は判断力が乏しいので、ロリコンは危険である。
反論1
犯罪という手段を用いてまで欲望を満たそうとするかという問題と、趣味・嗜好の問題は別である。また、文句言われても、趣味・嗜好は内面の問題であって、どうしようもない。自分に催眠術でもかけて、「大人を好きになあれ」とでもやれというのか。
趣味・嗜好の段階で非難すると、かえってみんなロリコンであることを隠し、危険性が増すのではないか。
反論2
仮に犯罪を行う決意をした場合に犯罪が容易であるということが、なぜ趣味・嗜好そのものを批判される理由になるのか。そういう論理でいけば、次のようなおかしな結論も出てくる。
(背理法による証明)
主張ア
犬より猫が好きな人はけしからん。
なぜなら犬は鎖でつながれていて、牙もあり、大声で吠えるので盗みにくいが、猫は盗みやすいからである。
主張イ
すきやの牛丼が松屋の牛丼より好きな人はけしからん危険人物である。
なぜなら松屋は先に食券を買って注文するので食い逃げできないが、すきやは食べてから料金を後払いする方式なので食い逃げしやすいからである。
反論3
本当に子供相手の方が犯行が容易であろうか。私は親元から毎日通う子どもよりも、親元を離れ、一人暮らしをし、合コン大好きな女性のほうが狙いやすいと思う。
ロリコン批判3
神様は成熟した異性を求め、子孫を増やすように人間をつくったはずで、成熟していないほうが良いというのは、自然の摂理に反する異常なことである。
神様なんかそもそもいないのだが、「自然の摂理」という言葉と同じだと解釈してあげよう。
この批判3はバチカンやらカトリック信者から言われたのではない。面白いことに、性の問題になると、異様に自分の価値観を押し付けたがる人間が多く、しかも、環境問題などでは自分勝手なくせして、急に神やら自然やらを持ち出す人間が多いから面白い。
反論1
そこまで子孫を増やすことが絶対正義なのだろうか。この批判は同じ論理で独身を貫く人、子供を産まない人、同性愛者などなどへの批判にもなるので、みんなで連帯しよう。
反論2
神様だか自然の摂理だか知らないが、別に悪魔と契約したわけでもないのに、ロリコンやら同性愛やら晩婚やら何やらで少子化が進むのは、「地球を破壊する先進国の人間がこれ以上増えると地球が危ない」という、それこそ自然の摂理、おおいなる地球の意思ではないか。
反論3
小さい子がかわいくていとしくて仕方ないという感情こそ、むしろ自然の摂理ではないか。
オタクのコーナー
せっかくだから本文と関連させよう。
長い間、私は胸の大きい女性は苦手だった。
大人になると胸が大きくなる。→胸が大きくなったら大人だ→よって胸が大きい女性はロリコンである私の対象外である・・・とこんなふうに考えていた。
今も浅田真央選手とか、デビュー直後の松田聖子さんくらいの胸が好きではある。
が、胸が大きい人の中にしばしば、童顔の人がいることに気づいた。
酒井若菜さんは20歳で酒のCMに出たら、「子供を酒のCMに使うな」という抗議が殺到したという。
ほしのあきさんのネット写真について、ネットの児童ポルノを監視する外国団体が問題視したという。
他に夏目理緒さん、沼尻さやかさんなど、胸が大きい人の中に、特にほっぺたの肉が子供みたいにふよふよしていてものすごくかわいい人がいることに気づき、次第に胸が大きい人も大丈夫になった。
今回は獨協大学で、「論理学入門」として発表した文章を思い出しながら書いたものです。ロリコンでない人は内容もさることながら、論理の展開というものに注目してお読みください。
ロリコン批判1 ロリコンの人って、大人の人に声をかける勇気がないから、扱いやすい子供を狙うんでしょ。
反論1
その批判はピントはずれである。
そういう人は本当のロリコンではない。
私を「真性ロリコン」とすれば、それは「仮性ロリコン」である。
大人の女性と幼い女の子と、仮にどちらかを自由に選べる状態だとして、その場合に幼い女の子を選ぶのが真のロリコンであり、大人ではだめだから仕方なく子供というのは真のロリコンではない。
私は今の安藤美姫選手と3年前の浅田真央選手とどちらかとデートできるならば、後者を選ぶ。
私は美少女仮面ポワトリンより、ポワトリン・プティットが好きだ。(もっとわかりやすい例を出せ・・と自分で突っ込み)
反論2
子供に声をかける方が断然難しいという点でも上記批判はおかしい。
私はナンパの時はやむなく大人の女性に声をかけている。
ロリコン批判2 子供は判断力が乏しいので、ロリコンは危険である。
反論1
犯罪という手段を用いてまで欲望を満たそうとするかという問題と、趣味・嗜好の問題は別である。また、文句言われても、趣味・嗜好は内面の問題であって、どうしようもない。自分に催眠術でもかけて、「大人を好きになあれ」とでもやれというのか。
趣味・嗜好の段階で非難すると、かえってみんなロリコンであることを隠し、危険性が増すのではないか。
反論2
仮に犯罪を行う決意をした場合に犯罪が容易であるということが、なぜ趣味・嗜好そのものを批判される理由になるのか。そういう論理でいけば、次のようなおかしな結論も出てくる。
(背理法による証明)
主張ア
犬より猫が好きな人はけしからん。
なぜなら犬は鎖でつながれていて、牙もあり、大声で吠えるので盗みにくいが、猫は盗みやすいからである。
主張イ
すきやの牛丼が松屋の牛丼より好きな人はけしからん危険人物である。
なぜなら松屋は先に食券を買って注文するので食い逃げできないが、すきやは食べてから料金を後払いする方式なので食い逃げしやすいからである。
反論3
本当に子供相手の方が犯行が容易であろうか。私は親元から毎日通う子どもよりも、親元を離れ、一人暮らしをし、合コン大好きな女性のほうが狙いやすいと思う。
ロリコン批判3
神様は成熟した異性を求め、子孫を増やすように人間をつくったはずで、成熟していないほうが良いというのは、自然の摂理に反する異常なことである。
神様なんかそもそもいないのだが、「自然の摂理」という言葉と同じだと解釈してあげよう。
この批判3はバチカンやらカトリック信者から言われたのではない。面白いことに、性の問題になると、異様に自分の価値観を押し付けたがる人間が多く、しかも、環境問題などでは自分勝手なくせして、急に神やら自然やらを持ち出す人間が多いから面白い。
反論1
そこまで子孫を増やすことが絶対正義なのだろうか。この批判は同じ論理で独身を貫く人、子供を産まない人、同性愛者などなどへの批判にもなるので、みんなで連帯しよう。
反論2
神様だか自然の摂理だか知らないが、別に悪魔と契約したわけでもないのに、ロリコンやら同性愛やら晩婚やら何やらで少子化が進むのは、「地球を破壊する先進国の人間がこれ以上増えると地球が危ない」という、それこそ自然の摂理、おおいなる地球の意思ではないか。
反論3
小さい子がかわいくていとしくて仕方ないという感情こそ、むしろ自然の摂理ではないか。
オタクのコーナー
せっかくだから本文と関連させよう。
長い間、私は胸の大きい女性は苦手だった。
大人になると胸が大きくなる。→胸が大きくなったら大人だ→よって胸が大きい女性はロリコンである私の対象外である・・・とこんなふうに考えていた。
今も浅田真央選手とか、デビュー直後の松田聖子さんくらいの胸が好きではある。
が、胸が大きい人の中にしばしば、童顔の人がいることに気づいた。
酒井若菜さんは20歳で酒のCMに出たら、「子供を酒のCMに使うな」という抗議が殺到したという。
ほしのあきさんのネット写真について、ネットの児童ポルノを監視する外国団体が問題視したという。
他に夏目理緒さん、沼尻さやかさんなど、胸が大きい人の中に、特にほっぺたの肉が子供みたいにふよふよしていてものすごくかわいい人がいることに気づき、次第に胸が大きい人も大丈夫になった。
和の国を斬る・終 中学歴史・6・塾を作ろう実践編
塾をつくろう・実践編 中学歴史・6
聖徳太子が作った「17条の憲法」では、1番目に「和をもって尊しとなす」、2番目に「厚く3宝を敬え。3宝とは仏・法・僧なり」として仏教の大切さを説き、3番目に「詔=天皇の命令を受けたら大切にしろ」とあります。
井沢元彦さんの本を読んで気づきましたが、普通ならば、天皇の言うことを聞けを1番にして、次に宗教のことを2番、和のことなどもっと後にしそうなものです。
和を最初にしたのは、聖徳太子がそうしたかったというよりも、そうせざるを得ないほどに日本が既に和の国になっていた・・というのが井沢元彦さんの指摘です。なるほどと思いました。
現在の日本のさまざまなことに和がしみついているのを感じます。
渡部昇一さんの著作、「日本・そして日本人」は名作です。
彼は和という言葉はあまり使っていませんが、農耕民族だった日本人は正義を貫くことよりも周囲と協調していくことを大切にするとして、たとえば体育の時間に跳び箱が既に飛べるからいい加減に練習していた小学生よりも、跳び箱が飛べなくても一生懸命練習していた小学生に良い成績をつけたりするなどさまざまな例をあげています。
私は、日本が早く和の国を卒業し、正義のためには怒ることの大切さをしってほしい。また、論争というものは、あくまでその主題についての争いにすぎず、全人格を否定しているのではないということを早く理解してほしい。
和のまずい点
1 実力者が活躍できない
実力というものは数字ではっきり表れるものではありません。実力ある者をとりたてようとすると、争いが起き、しこりが残る。
そこで和の国日本では、「年齢が高い者が上」など、誰しも文句がつけようがない基準で地位などが決められがちです。これでは若いうちは実力があっても中々能力を発揮できない。
目の前での争いは少ないかも知れませんが、これでは国際競争で勝てるわけがない。
2 強い主張が通ってしまう。
私がやっている「世界連邦運動」という平和運動などは、それこそ争いを好まない「いい人」が集まっています。
時々、「自分の意見が聞き入れられないならば、やめてやる」などと主張する人が出ますと、その意見が正当かどうか、多数かどうかに関係なく、和を保つためにその人の意見に引きずられる傾向があります。
前にも例をあげましたが、部落差別も和と関係あると思います。
「和ならば、むしろ被差別部落出身者とも仲良くするのではないか」と思うかもしれませんが、私に言わせれば、現在の和なんてものは、同質の小集団だけで通用している馴れ合いであって、かえって博愛精神のさまたげになっていると思うのです。(註)
多分、部落差別の意識がある人はそんなにはいない。
でも被差別部落の人と結婚するとなると、大勢いる親戚の中で1人くらい「だったら縁を切る」とか言い出すバカが出てくる。
そうすると和の精神あふれる人が「他にもいい人はいるでしょう」などと一見優しいことを言うようでいて、親戚づきあいという小集団の和を平等・博愛よりも優先させるわけです。
私は和がどうなろうが、親戚関係が気まずくなろうが、部落差別意識ある親戚をつるし上げることが大切だと思っています。
多分、いろいろな教育者が、「みんなと仲良くしなさい。親兄弟の言うことをよく聞きなさい」と言うことでしょう。
私くらいは塾生の皆さんに言っておきます。
「いざとなったら親兄弟と喧嘩する心構えを持っていてください。特に、結婚と就職の時までには親兄弟と喧嘩できるようにしておいてください。」と。
さて、少し例は異なりますが、「運動会を中止しないと火をつける」「その本の出版記念会をやったらただではおかない」などという脅しがあると「万一の場合を考え、みんなの安全のため」と称して運動会や出版記念会を中止したりします。
私はいつも思うのですが、だったら、「中止したらただじゃおかない」と反対向きの脅しもかけたらどちらを優先するのでしょうか。
やはり、「争いが起きない」ことを最優先するのではなく、何が正義かを考えるべきなのではないでしょうか。
註・・「和と民主主義」についての私の文章を読んだ世界連邦前次長・木戸寛孝氏より異論があった。彼に言わせると、「今の日本は本当の和になっていないのだ」と言う。
このあたりは定義の違いであり、そういう言い方もあろう。
現状の和を和としてその問題点を主張するのが私、現状は本当の和ではなく、本当の和はもっと素晴らしいものだというのが木戸氏である。
私の友人がイギリスの大学に留学しました。
期日までに課題を提出できませんでした。彼は優秀だったこともあり、ある程度のお金が大学から出るのですが、それだけでは足りません。アルバイトで学費・生活費を稼ぎながら勉強するのは大変でした。そういったこともあって遅れたのだということをバババーッと主張した後、ふと彼は我にかえり、「あ、でもこんなの言い訳ですよね」と言いました。
すると、教授が言ったそうです。
「いや、同じ遅れたにしても、それなりに理由があって遅れた人と単になまけて遅れた人をきちんと区別して評価するのが私の仕事である。だからそういうことは言ってくれた方が良い」
私は感動しました。「言い訳するな、自己主張するな。はいはいと言って従え」という社会よりも健全だと思いました。
先日、日本にいるイスラム教の人の世話をしている人の話を聞きました。
イスラム社会では、真剣に聞く時に腕組みをするそうです。
日本では、上司の話を腕組みして聞いていたら、生意気だと思われます。そして、説明もしないでクビにしてしまう。
「なんて日本人は冷たいのだ」と言う人が後を絶たないそうです。
私は日本人は優しくて温かい人が多いと思っています。
しかし、和の文化の中で、自己主張してはいけない、言い争いをしてはいけない、周りに合わせるのが当然だという生き方がしみついてしまいました。
これは似たような価値観を持つ小集団の中ならば良いのですが、異なる価値観・異なる文化の人には通用しません。
異なる文化・異なる価値観の人とも仲良くするためには、しっかりと自己主張し、言葉で伝えていくということが必要です。
今後の日本を考える意味で和について長く語ってきました。
次回からようやく先に進みます。
オタクのコーナー
テレビ「ありえへん世界」で総集編があり、「ママドル」我妻さおりさんが20位として出てきた。
番組が始まる少し前の「これからこういう番組がありますよ」というような予告に我妻さおりさんが真っ先に出てきた。この時点で順位に関係なく勝ちではないか。
以前私が「銭形金太郎」に出た時に、勝負では負けたが、番組の予告には私が「まりエックス」と叫びながら飛び跳ねている様子が使われていた。これで「実質的に私の勝ちだ」と思った。
「勝ち負けなんか関係ない」と思う人もいるかも知れないが、プロレスの魂を持つ私としては、形式的な試合での勝敗以上に、「どれだけ見ている人の心に残ることができたか」という勝負にこだわるのである。
話変わって、先日、鈴木まりえさんを応援するに際して、初めて「マトリックス」というヲタ芸に挑戦した。
マトリックスは、体を反らして背中越しにアイドルを見ながら腕を動かして応援するものである。ヲタ芸の中でも最高の難易度だ。
昔は立った姿勢からそのまま体を反らしてブリッジができたし、後ろから首を絞めてきた奴を体を反らして頭越しに蹴るというすごいこともできたのだが、もはや背中越しにはまりえさんを見ることができなかった。横から鏡で見ると少しは反っているのだが、正面や背後から見ると反っていることすらよくわからないであろう。
聖徳太子が作った「17条の憲法」では、1番目に「和をもって尊しとなす」、2番目に「厚く3宝を敬え。3宝とは仏・法・僧なり」として仏教の大切さを説き、3番目に「詔=天皇の命令を受けたら大切にしろ」とあります。
井沢元彦さんの本を読んで気づきましたが、普通ならば、天皇の言うことを聞けを1番にして、次に宗教のことを2番、和のことなどもっと後にしそうなものです。
和を最初にしたのは、聖徳太子がそうしたかったというよりも、そうせざるを得ないほどに日本が既に和の国になっていた・・というのが井沢元彦さんの指摘です。なるほどと思いました。
現在の日本のさまざまなことに和がしみついているのを感じます。
渡部昇一さんの著作、「日本・そして日本人」は名作です。
彼は和という言葉はあまり使っていませんが、農耕民族だった日本人は正義を貫くことよりも周囲と協調していくことを大切にするとして、たとえば体育の時間に跳び箱が既に飛べるからいい加減に練習していた小学生よりも、跳び箱が飛べなくても一生懸命練習していた小学生に良い成績をつけたりするなどさまざまな例をあげています。
私は、日本が早く和の国を卒業し、正義のためには怒ることの大切さをしってほしい。また、論争というものは、あくまでその主題についての争いにすぎず、全人格を否定しているのではないということを早く理解してほしい。
和のまずい点
1 実力者が活躍できない
実力というものは数字ではっきり表れるものではありません。実力ある者をとりたてようとすると、争いが起き、しこりが残る。
そこで和の国日本では、「年齢が高い者が上」など、誰しも文句がつけようがない基準で地位などが決められがちです。これでは若いうちは実力があっても中々能力を発揮できない。
目の前での争いは少ないかも知れませんが、これでは国際競争で勝てるわけがない。
2 強い主張が通ってしまう。
私がやっている「世界連邦運動」という平和運動などは、それこそ争いを好まない「いい人」が集まっています。
時々、「自分の意見が聞き入れられないならば、やめてやる」などと主張する人が出ますと、その意見が正当かどうか、多数かどうかに関係なく、和を保つためにその人の意見に引きずられる傾向があります。
前にも例をあげましたが、部落差別も和と関係あると思います。
「和ならば、むしろ被差別部落出身者とも仲良くするのではないか」と思うかもしれませんが、私に言わせれば、現在の和なんてものは、同質の小集団だけで通用している馴れ合いであって、かえって博愛精神のさまたげになっていると思うのです。(註)
多分、部落差別の意識がある人はそんなにはいない。
でも被差別部落の人と結婚するとなると、大勢いる親戚の中で1人くらい「だったら縁を切る」とか言い出すバカが出てくる。
そうすると和の精神あふれる人が「他にもいい人はいるでしょう」などと一見優しいことを言うようでいて、親戚づきあいという小集団の和を平等・博愛よりも優先させるわけです。
私は和がどうなろうが、親戚関係が気まずくなろうが、部落差別意識ある親戚をつるし上げることが大切だと思っています。
多分、いろいろな教育者が、「みんなと仲良くしなさい。親兄弟の言うことをよく聞きなさい」と言うことでしょう。
私くらいは塾生の皆さんに言っておきます。
「いざとなったら親兄弟と喧嘩する心構えを持っていてください。特に、結婚と就職の時までには親兄弟と喧嘩できるようにしておいてください。」と。
さて、少し例は異なりますが、「運動会を中止しないと火をつける」「その本の出版記念会をやったらただではおかない」などという脅しがあると「万一の場合を考え、みんなの安全のため」と称して運動会や出版記念会を中止したりします。
私はいつも思うのですが、だったら、「中止したらただじゃおかない」と反対向きの脅しもかけたらどちらを優先するのでしょうか。
やはり、「争いが起きない」ことを最優先するのではなく、何が正義かを考えるべきなのではないでしょうか。
註・・「和と民主主義」についての私の文章を読んだ世界連邦前次長・木戸寛孝氏より異論があった。彼に言わせると、「今の日本は本当の和になっていないのだ」と言う。
このあたりは定義の違いであり、そういう言い方もあろう。
現状の和を和としてその問題点を主張するのが私、現状は本当の和ではなく、本当の和はもっと素晴らしいものだというのが木戸氏である。
私の友人がイギリスの大学に留学しました。
期日までに課題を提出できませんでした。彼は優秀だったこともあり、ある程度のお金が大学から出るのですが、それだけでは足りません。アルバイトで学費・生活費を稼ぎながら勉強するのは大変でした。そういったこともあって遅れたのだということをバババーッと主張した後、ふと彼は我にかえり、「あ、でもこんなの言い訳ですよね」と言いました。
すると、教授が言ったそうです。
「いや、同じ遅れたにしても、それなりに理由があって遅れた人と単になまけて遅れた人をきちんと区別して評価するのが私の仕事である。だからそういうことは言ってくれた方が良い」
私は感動しました。「言い訳するな、自己主張するな。はいはいと言って従え」という社会よりも健全だと思いました。
先日、日本にいるイスラム教の人の世話をしている人の話を聞きました。
イスラム社会では、真剣に聞く時に腕組みをするそうです。
日本では、上司の話を腕組みして聞いていたら、生意気だと思われます。そして、説明もしないでクビにしてしまう。
「なんて日本人は冷たいのだ」と言う人が後を絶たないそうです。
私は日本人は優しくて温かい人が多いと思っています。
しかし、和の文化の中で、自己主張してはいけない、言い争いをしてはいけない、周りに合わせるのが当然だという生き方がしみついてしまいました。
これは似たような価値観を持つ小集団の中ならば良いのですが、異なる価値観・異なる文化の人には通用しません。
異なる文化・異なる価値観の人とも仲良くするためには、しっかりと自己主張し、言葉で伝えていくということが必要です。
今後の日本を考える意味で和について長く語ってきました。
次回からようやく先に進みます。
オタクのコーナー
テレビ「ありえへん世界」で総集編があり、「ママドル」我妻さおりさんが20位として出てきた。
番組が始まる少し前の「これからこういう番組がありますよ」というような予告に我妻さおりさんが真っ先に出てきた。この時点で順位に関係なく勝ちではないか。
以前私が「銭形金太郎」に出た時に、勝負では負けたが、番組の予告には私が「まりエックス」と叫びながら飛び跳ねている様子が使われていた。これで「実質的に私の勝ちだ」と思った。
「勝ち負けなんか関係ない」と思う人もいるかも知れないが、プロレスの魂を持つ私としては、形式的な試合での勝敗以上に、「どれだけ見ている人の心に残ることができたか」という勝負にこだわるのである。
話変わって、先日、鈴木まりえさんを応援するに際して、初めて「マトリックス」というヲタ芸に挑戦した。
マトリックスは、体を反らして背中越しにアイドルを見ながら腕を動かして応援するものである。ヲタ芸の中でも最高の難易度だ。
昔は立った姿勢からそのまま体を反らしてブリッジができたし、後ろから首を絞めてきた奴を体を反らして頭越しに蹴るというすごいこともできたのだが、もはや背中越しにはまりえさんを見ることができなかった。横から鏡で見ると少しは反っているのだが、正面や背後から見ると反っていることすらよくわからないであろう。
世界連邦60周年記念大会+歴代天皇の覚え方・4
歴代天皇の覚え方・4
イメージ
ゴジラ退治にスザンヌとゴレンジャーが出て行ったが、弱そうなのでしらけた。
ゴジラがほっとしたところに、急に固め技(ロック)が決まった。
暗記言葉
ゴー、スザンヌ!ゴレンジャー!ゴー参上!
しらー。
ほっとするこのゴジラにロック。
ゴー、スザンヌ!ゴレンジャー!ゴー参上!・・・後朱雀、後冷泉、後三条
しらー。・・・白河
ほっとする・・・堀川、鳥羽、崇徳
このゴジラにロック。・・・近衛、後白河、二条、六条
「世 界 連 邦 を 実 現 し よ う」
~世界連邦運動の更なる進展と、地球環境について考える~
世界連邦運動60周年記念・第27回日本大会
主催:世界連邦推進日本協議会
http://www.wfmjapan.org/images/27thtaikai.pdf
<日 時>
2008年10月25日(土)
日本大会 午後1時~午後4時(午後12時開場)
懇親パーティー 午後4時30分~午後6時30分
<場 所>
国連大学 ウ・タントホール
〒150-8925 東京都渋谷区神宮前5-53-70
(JR渋谷駅より徒歩8分・地下鉄表参道B2出口から徒歩5分)
世界に真の安全と平和を確立するために、今、私たちがなすべきことは何でしょうか。講演とパネルディスカッションを通して学び、明日からの活動の糧にしたいと思います。事前申込が必要です。下記参照。
基調講演「人類共生のために地球環境を守ろう」
講師 田中 優 氏
1957年東京都生まれ。環境、経済、平和などの、さまざまなNGO活動に関わる。現在「未来バンク事業組合」 理事長、「日本国際ボランティアセンター」「足温ネット」理事、「ap bank」監事を務める。著書(共著含む)に『環境破壊のメカニズム』、『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』、『世界の貧しさを なくす30の方法』などがある。
▼受 付 (12:00~13:00)
▼開会行事 (13:00~13:40)
▼基調講演 (13:45~14:30)
▼パネルディスカッション
(14:40~15:40)
▼閉会行事 (15:40~16:00)
▼懇親パーティー(16:30~18:30)
パネルディスカッション
「これからの世界連邦運動について」
コーディネーター
植木 光教氏
世界連邦推進日本協議会会長
世界連邦運動協会会長
元国務大臣
パネリスト
森山 眞弓氏
世界連邦日本国会委員会会長
元国務大臣
四方八洲男氏
世界連邦宣言自治体全国協議会会長
綾部市長
鹿子木 旦夫氏
世界連邦日本宗教委員会常任理事
人類愛善会副会長・大本 副本部長
-------------------------------------------------------------------------------
世界連邦運動60周年記念・第27回日本大会参加申し込み (締切:10月10日)
氏 名
住 所 〒
電話番号 FAX
日本大会(13:00~16:00) □ 一般 3,000円
□ 学生 1,000円
懇親パーティー(16:30~18:30)□ 参加費 7,000円 ※希望の□欄にチェックしてください。
事前申込み・参加費納入の方に入場引換券をお届けします。入場引引換絵券がないと会場に入れませんのでご注意下さい。
振込先口座 三菱東京UFJ銀行 新宿支店 普通 5753726 世界連邦推進日本協議会
ゆうちょ銀行 00140-1-503061 世界連邦推進日本協議会
お問い合わせ・送付先
第27回世界連邦日本大会実行委員会事務局
電話 03-3353-4341
〒160-0004 東京都新宿区四谷4-23 FAX 03-3353-9300
電子メール axiomta@gmail.com
イメージ
ゴジラ退治にスザンヌとゴレンジャーが出て行ったが、弱そうなのでしらけた。
ゴジラがほっとしたところに、急に固め技(ロック)が決まった。
暗記言葉
ゴー、スザンヌ!ゴレンジャー!ゴー参上!
しらー。
ほっとするこのゴジラにロック。
ゴー、スザンヌ!ゴレンジャー!ゴー参上!・・・後朱雀、後冷泉、後三条
しらー。・・・白河
ほっとする・・・堀川、鳥羽、崇徳
このゴジラにロック。・・・近衛、後白河、二条、六条
「世 界 連 邦 を 実 現 し よ う」
~世界連邦運動の更なる進展と、地球環境について考える~
世界連邦運動60周年記念・第27回日本大会
主催:世界連邦推進日本協議会
http://
<日 時>
2008年10月25日(土)
日本大会 午後1時~午後4時(午後12時開場)
懇親パーティー 午後4時30分~午後6時30分
<場 所>
国連大学 ウ・タントホール
〒150-8925 東京都渋谷区神宮前5-53-70
(JR渋谷駅より徒歩8分・地下鉄表参道B2出口から徒歩5分)
世界に真の安全と平和を確立するために、今、私たちがなすべきことは何でしょうか。講演とパネルディスカッションを通して学び、明日からの活動の糧にしたいと思います。事前申込が必要です。下記参照。
基調講演「人類共生のために地球環境を守ろう」
講師 田中 優 氏
1957年東京都生まれ。環境、経済、平和などの、さまざまなNGO活動に関わる。現在「未来バンク事業組合」 理事長、「日本国際ボランティアセンター」「足温ネット」理事、「ap bank」監事を務める。著書(共著含む)に『環境破壊のメカニズム』、『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』、『世界の貧しさを なくす30の方法』などがある。
▼受 付 (12:00~13:00)
▼開会行事 (13:00~13:40)
▼基調講演 (13:45~14:30)
▼パネルディスカッション
(14:40~15:40)
▼閉会行事 (15:40~16:00)
▼懇親パーティー(16:30~18:30)
パネルディスカッション
「これからの世界連邦運動について」
コーディネーター
植木 光教氏
世界連邦推進日本協議会会長
世界連邦運動協会会長
元国務大臣
パネリスト
森山 眞弓氏
世界連邦日本国会委員会会長
元国務大臣
四方八洲男氏
世界連邦宣言自治体全国協議会会長
綾部市長
鹿子木 旦夫氏
世界連邦日本宗教委員会常任理事
人類愛善会副会長・大本 副本部長
-------------------------------------------------------------------------------
世界連邦運動60周年記念・第27回日本大会参加申し込み (締切:10月10日)
氏 名
住 所 〒
電話番号 FAX
日本大会(13:00~16:00) □ 一般 3,000円
□ 学生 1,000円
懇親パーティー(16:30~18:30)□ 参加費 7,000円 ※希望の□欄にチェックしてください。
事前申込み・参加費納入の方に入場引換券をお届けします。入場引引換絵券がないと会場に入れませんのでご注意下さい。
振込先口座 三菱東京UFJ銀行 新宿支店 普通 5753726 世界連邦推進日本協議会
ゆうちょ銀行 00140-1-503061 世界連邦推進日本協議会
お問い合わせ・送付先
第27回世界連邦日本大会実行委員会事務局
電話 03-3353-4341
〒160-0004 東京都新宿区四谷4-23 FAX 03-3353-9300
電子メール axiomta@gmail.com
塩浜はここが良くない・1
塩浜ここが良くない
今回は自分に言い聞かせる意味も込めて書く。
仕事に対して正当な報酬をもらうことをためらうことなかれ。
私は、政治活動のためということを考えなければ、自分自身のためならば月5万円で生きていく自信がある。
また、塾にしても世界連邦の仕事にしても、あるいは時々来るテレビの仕事にしても、基本的には好きであり、金のためというよりも好きだからやっているという面が大きい。
金儲けにガツガツしていないというのは、美徳のようでいて、さまざまなひずみを生じさせる。
今回強調したいことは、ある程度しっかりした金をとらないと、「需要に対する緊急性、必要性を読み誤る」ということだ。
つまり、厚かましいだけで対して必要ともしていない人間のところに供給がなされ、本当に必要な人に行き渡らなくなるということだ。
よく言われる例に次のようなギャグがある。
老人への医療費を安くしていたら、それほどの病気でもない老人が大量に病院に行って、待合室で互いに世間話をしている。
「あれ、今日は佐藤さんが来ていないがどうしたんだ」
「佐藤さんは病気になって今日は来られないそうだ」
私も他人のことを言えないのである。
世界連邦が忙しくなって返上してしまったが、私は塾の他に行政書士という法律の仕事もしていた。
「困っている」と言われるとつい無料で面倒みてしまうことも多かった。
ところが、困っている、困っているという割に、「こういう書類を用意してくれ」と簡単なことを頼むと、大体やってこない。こちらが10倍くらいの努力をしている一方で、相手が本当に簡単なこと、(例・法律上のトラブルに至るまでの経緯を簡単なメモにすることなど)をやってこないので愕然とすることも多かった。
9月中、私のブログの更新がスムーズではなく、また、過去のネタの再放送が多かったことにお気づきだっただろうか。
実は9月、塾と世界連邦の他に、もう1つ、ある仕事を引き受けていた。
最初の話では、「どうしても時間が空かない日は来なくても良い。ただし9月27日だけは絶対に空けておいてほしい」ということなので仕事を引き受けた。
ところが、「ここだけはどうしても」が次々と連発。
8月29、30、9月2,3,5,9,15,19,20,21,23,24,25,26,27に呼ばれた。(9月5日は先方の都合で取り消し)
私は8月29と9月9、24は休んだが、後は全部出た。おまけにほとんどが終電ギリギリ。終電に間に合わなかったことが2回。
9月中旬あたりでかなり腹が立ってきた。
「ふざけるな。私は忙しい。塾の生徒がやめたらどうしてくれる。本当に必要な日だけにしぼってほしい」と言ったら、9月24と26はいなくてもなんとかなるということになった。(ただし、26は私の判断で重要と考え、出席)
私はこの仕事を途中で放り出しても、良心の呵責を除けば、痛くもかゆくもない。
というか、むしろ、世界連邦本部事務局の人が休日も自主的に出勤して仕事をしているのに、私が本業でもない仕事を引き受けていることこそ問題である。
何度やめようと思ったかわからない。
ただ、現場の人は一生懸命やっているのはわかるし、私を気遣ってもいたし、私が好きな種類の仕事であったし、良い仕事ができそうではあった。(仕事が一段落した日には、現場の人は感動して泣いていた)
さて、これはどこがまずかったかと言えば、ズバリ、安すぎたのである。
悪いのは私なのだ。
他のメンバーにはフリーターもいて、彼らにとってはおいしい仕事だったかも知れないが、私は、塾を休み、場合により他の先生に給料を払ってこちらの仕事に出るので、出れば出るほど損なのである。
金のためではなく、「困っている」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな仕事ということもあって、「ぜひやらせてください」などと言ったのだ。いつもの悪い癖が出た。
抽象的に「どうしても必要か」と言えば、先方は必要と答えるだろう。
が、たとえば、「私=塩浜を3時間拘束するごとに2万円」とでも言えば、(今後はそうする方針。)本当に必要な時にしか呼ばなくなるだろう。
その状況で先に述べた日付全てに私が必要だったとはとうてい思えないのである。
塾は、やろうと思えば、いろいろ変更することはできると言えばできる。
また、世界連邦や政治の仕事というのは、
1.できるだけたくさんの人に会って常に理解者を増やす・・・ことが重要だが、何月何日でなければならないというわけではない
2.資料作りはパソコン使って夜中でも何でもできる
というわけで、私は「常に忙しいが、絶対に塞がっている日というのは意外に少ない」という状況である。
そこで「困っている」とか言われると「ぼくは事前に言ってくれれば時間をあけることができるから」などと言ってしまう。
そうすると下手すれば
「安いから」「便利だから」という理由だけで厚かましい奴が「どうしても塩浜さんが必要だ」と言うのは、経済学上当然なのである。
たとえば仮に8月30、9月2,3,5、15,19,20,21,23,25,26,27日に、鈴木まりえさんと我妻さおりさんとほしのあきさんと小倉優子さんと安田美沙子さんと安めぐみさんがブルマー姿で私と遊んでくれて、おまけにおみやげにミヤマクワガタとかウルトラセブン12話のビデオなどのプレゼントを毎回くれるとしても、これだけの日数を空けるなんてことは絶対にない。
必要だ、必要だと言って私を呼んでいた人はそのあたりの重みがわかっていたのであろうか。
塩浜一押しアイドル鈴木まりえさんのライブに私は2008年、まだ3回しか行っていない。(しかもうち1度は仕事がらみ)
あるいは、私の彼女になっても、10日に一度会うというのは難しいと思ってほしい。
さて、「途中でぶちきれてやめる」のを思いとどまった理由をもう1つ。
「今やっている世界連邦だって同じじゃないか」と思ったのだ。
世界連邦も「必要だ」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな種類の仕事だということもあり、あきれるほど低いお金でやっている。
やめたい、やめたいと思いながら、気がつくとどんどん深みにはまって抜け出せない。
今回の仕事と全く同じではないか。
今回の仕事を持ってきた相手に文句つける前に、変わるべきは自分ではないか。
オタクのコーナー
以前、「行列のできる法律相談」というテレビ番組で、次のような事例問題があった。
若い人が大好きな食堂のおばあさんが、残された人生を生きていくに十分なお金を手にして、後は若い人の笑顔を見ることさえできれば・・・と、(細かい数字は忘れたが)コロッケ20円とか、トンカツ定食120円とか、べらぼうに安い値段でやり始めた。
そこに近所の商店街の人が来て、
「ここが不当に安い値段で食べ物を売るおかげで我々は商売にならない。こんなに安く売るのはけしからん。訴えてやる」
さあ、おばあさんの行為は違法か?
見解が分かれていたが、法律ではなく、経済学的に考えると、
「こんなことはどうせ続かない」というのが私の答えである。
私もこのおばあさんのような発想があるからこそわかる。
厚かましい客がいつまでも居座って、本当に安い物が必要な貧乏学生に行き渡らない。
あるいは、おばあさんが体を壊す。または、大勢の客をさばくため、人を雇うとなれば、そちらには普通の給料を払う必要がある。おばあさんの財産はたちまち消えていく。
厚かましい客がいつまでも居座っていれば、まともな客はここより高くても他に行く。だから近所の商店街も困りはしない。
今回は自分に言い聞かせる意味も込めて書く。
仕事に対して正当な報酬をもらうことをためらうことなかれ。
私は、政治活動のためということを考えなければ、自分自身のためならば月5万円で生きていく自信がある。
また、塾にしても世界連邦の仕事にしても、あるいは時々来るテレビの仕事にしても、基本的には好きであり、金のためというよりも好きだからやっているという面が大きい。
金儲けにガツガツしていないというのは、美徳のようでいて、さまざまなひずみを生じさせる。
今回強調したいことは、ある程度しっかりした金をとらないと、「需要に対する緊急性、必要性を読み誤る」ということだ。
つまり、厚かましいだけで対して必要ともしていない人間のところに供給がなされ、本当に必要な人に行き渡らなくなるということだ。
よく言われる例に次のようなギャグがある。
老人への医療費を安くしていたら、それほどの病気でもない老人が大量に病院に行って、待合室で互いに世間話をしている。
「あれ、今日は佐藤さんが来ていないがどうしたんだ」
「佐藤さんは病気になって今日は来られないそうだ」
私も他人のことを言えないのである。
世界連邦が忙しくなって返上してしまったが、私は塾の他に行政書士という法律の仕事もしていた。
「困っている」と言われるとつい無料で面倒みてしまうことも多かった。
ところが、困っている、困っているという割に、「こういう書類を用意してくれ」と簡単なことを頼むと、大体やってこない。こちらが10倍くらいの努力をしている一方で、相手が本当に簡単なこと、(例・法律上のトラブルに至るまでの経緯を簡単なメモにすることなど)をやってこないので愕然とすることも多かった。
9月中、私のブログの更新がスムーズではなく、また、過去のネタの再放送が多かったことにお気づきだっただろうか。
実は9月、塾と世界連邦の他に、もう1つ、ある仕事を引き受けていた。
最初の話では、「どうしても時間が空かない日は来なくても良い。ただし9月27日だけは絶対に空けておいてほしい」ということなので仕事を引き受けた。
ところが、「ここだけはどうしても」が次々と連発。
8月29、30、9月2,3,5,9,15,19,20,21,23,24,25,26,27に呼ばれた。(9月5日は先方の都合で取り消し)
私は8月29と9月9、24は休んだが、後は全部出た。おまけにほとんどが終電ギリギリ。終電に間に合わなかったことが2回。
9月中旬あたりでかなり腹が立ってきた。
「ふざけるな。私は忙しい。塾の生徒がやめたらどうしてくれる。本当に必要な日だけにしぼってほしい」と言ったら、9月24と26はいなくてもなんとかなるということになった。(ただし、26は私の判断で重要と考え、出席)
私はこの仕事を途中で放り出しても、良心の呵責を除けば、痛くもかゆくもない。
というか、むしろ、世界連邦本部事務局の人が休日も自主的に出勤して仕事をしているのに、私が本業でもない仕事を引き受けていることこそ問題である。
何度やめようと思ったかわからない。
ただ、現場の人は一生懸命やっているのはわかるし、私を気遣ってもいたし、私が好きな種類の仕事であったし、良い仕事ができそうではあった。(仕事が一段落した日には、現場の人は感動して泣いていた)
さて、これはどこがまずかったかと言えば、ズバリ、安すぎたのである。
悪いのは私なのだ。
他のメンバーにはフリーターもいて、彼らにとってはおいしい仕事だったかも知れないが、私は、塾を休み、場合により他の先生に給料を払ってこちらの仕事に出るので、出れば出るほど損なのである。
金のためではなく、「困っている」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな仕事ということもあって、「ぜひやらせてください」などと言ったのだ。いつもの悪い癖が出た。
抽象的に「どうしても必要か」と言えば、先方は必要と答えるだろう。
が、たとえば、「私=塩浜を3時間拘束するごとに2万円」とでも言えば、(今後はそうする方針。)本当に必要な時にしか呼ばなくなるだろう。
その状況で先に述べた日付全てに私が必要だったとはとうてい思えないのである。
塾は、やろうと思えば、いろいろ変更することはできると言えばできる。
また、世界連邦や政治の仕事というのは、
1.できるだけたくさんの人に会って常に理解者を増やす・・・ことが重要だが、何月何日でなければならないというわけではない
2.資料作りはパソコン使って夜中でも何でもできる
というわけで、私は「常に忙しいが、絶対に塞がっている日というのは意外に少ない」という状況である。
そこで「困っている」とか言われると「ぼくは事前に言ってくれれば時間をあけることができるから」などと言ってしまう。
そうすると下手すれば
「安いから」「便利だから」という理由だけで厚かましい奴が「どうしても塩浜さんが必要だ」と言うのは、経済学上当然なのである。
たとえば仮に8月30、9月2,3,5、15,19,20,21,23,25,26,27日に、鈴木まりえさんと我妻さおりさんとほしのあきさんと小倉優子さんと安田美沙子さんと安めぐみさんがブルマー姿で私と遊んでくれて、おまけにおみやげにミヤマクワガタとかウルトラセブン12話のビデオなどのプレゼントを毎回くれるとしても、これだけの日数を空けるなんてことは絶対にない。
必要だ、必要だと言って私を呼んでいた人はそのあたりの重みがわかっていたのであろうか。
塩浜一押しアイドル鈴木まりえさんのライブに私は2008年、まだ3回しか行っていない。(しかもうち1度は仕事がらみ)
あるいは、私の彼女になっても、10日に一度会うというのは難しいと思ってほしい。
さて、「途中でぶちきれてやめる」のを思いとどまった理由をもう1つ。
「今やっている世界連邦だって同じじゃないか」と思ったのだ。
世界連邦も「必要だ」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな種類の仕事だということもあり、あきれるほど低いお金でやっている。
やめたい、やめたいと思いながら、気がつくとどんどん深みにはまって抜け出せない。
今回の仕事と全く同じではないか。
今回の仕事を持ってきた相手に文句つける前に、変わるべきは自分ではないか。
オタクのコーナー
以前、「行列のできる法律相談」というテレビ番組で、次のような事例問題があった。
若い人が大好きな食堂のおばあさんが、残された人生を生きていくに十分なお金を手にして、後は若い人の笑顔を見ることさえできれば・・・と、(細かい数字は忘れたが)コロッケ20円とか、トンカツ定食120円とか、べらぼうに安い値段でやり始めた。
そこに近所の商店街の人が来て、
「ここが不当に安い値段で食べ物を売るおかげで我々は商売にならない。こんなに安く売るのはけしからん。訴えてやる」
さあ、おばあさんの行為は違法か?
見解が分かれていたが、法律ではなく、経済学的に考えると、
「こんなことはどうせ続かない」というのが私の答えである。
私もこのおばあさんのような発想があるからこそわかる。
厚かましい客がいつまでも居座って、本当に安い物が必要な貧乏学生に行き渡らない。
あるいは、おばあさんが体を壊す。または、大勢の客をさばくため、人を雇うとなれば、そちらには普通の給料を払う必要がある。おばあさんの財産はたちまち消えていく。
厚かましい客がいつまでも居座っていれば、まともな客はここより高くても他に行く。だから近所の商店街も困りはしない。
麻生総理が世界連邦の行事を演説で紹介
麻生太郎総理が国連での演説で、市民社会においてイスラエルとパレスチナの交流事業が行われていることに触れている部分がある。
これは、わが世界連邦が行っている行事のことである。
このことの概略を聞いた時点では、「日本・イスラエル・パレスチナ学生連盟」や「ピース・キッズ・サッカー」などの団体もイスラエルとパレスチナ の子供の交流事業を行っていることから「必ずしもわが団体のこととは限らない」と思ったものであるが、演説の全文を読むと、イスラエルとパレスチナの「遺 児」を招き・・ということを言っている。
遺児を招いている点、高校生を招いている点などから、他ならぬわが団体のことであると確信した。
オタクのコーナー
アイドルオタクをやっていると、ゲームやフィギュアやメイド喫茶も好きだと思われがちであるが、全く興味がない。ゲームなどは使い方もよくわからない。
唯一やったのは将棋くらいのものである。プロレスや仮面ライダーV3のゲームも試したが、プロレスは、私が最強と思っているジャンボ鶴田がリングの下に下りたら、元の位置に戻れず、佐々木健介ごときに負けてしまった。
仮面ライダーV3も動かし方がよく理解できぬまま、たちまちハサミジャガーに突き殺された。
これは、わが世界連邦が行っている行事のことである。
このことの概略を聞いた時点では、「日本・イスラエル・パレスチナ学生連盟」や「ピース・キッズ・サッカー」などの団体もイスラエルとパレスチナ の子供の交流事業を行っていることから「必ずしもわが団体のこととは限らない」と思ったものであるが、演説の全文を読むと、イスラエルとパレスチナの「遺 児」を招き・・ということを言っている。
遺児を招いている点、高校生を招いている点などから、他ならぬわが団体のことであると確信した。
オタクのコーナー
アイドルオタクをやっていると、ゲームやフィギュアやメイド喫茶も好きだと思われがちであるが、全く興味がない。ゲームなどは使い方もよくわからない。
唯一やったのは将棋くらいのものである。プロレスや仮面ライダーV3のゲームも試したが、プロレスは、私が最強と思っているジャンボ鶴田がリングの下に下りたら、元の位置に戻れず、佐々木健介ごときに負けてしまった。
仮面ライダーV3も動かし方がよく理解できぬまま、たちまちハサミジャガーに突き殺された。
私が見た小泉純一郎
私が特に問題だと思うのは次の2つ。
「このくらいの公約違反はたいしたことではない」
「憲法上の厳密な整合性を問われたら、私も答えに窮してしまう」
「涙は女性の武器」とか、「人生いろいろ会社もいろいろ」どころではない、民主主義や憲法の根幹に関わる問題だ。
が、ここでは、総理になってからの有名な発言は省略し、「私が見た、聞いた」ものを書こう。
世界連邦関係の中で意義深いのが、イスラエルとパレスチナの子を招いての交流事業。小泉氏は3年連続、イスラエル・パレスチナから来た子と会ってくれた。
その1年目のセリフ。
「日本もねっ、今から60年前っ、アメリカとはっげしい戦いをした。ところが今は、そのアメリカは日本の一番の友達。だからっ、皆さんも、今は大変かも知れないかもしれないけれどっ、必ず仲良くなれる。
シャラームッ、サラームッ、ピース。
絶望はっ、愚か者の結論。」
とまあ、得意のワンフレーズ。
森田健作氏の演説会に行ったら、多分立正佼成会の人の集まりだったみたいで、ゲストが厚生大臣時代の小泉氏。このときは、かなり変だった。
「還暦に親が出てくる長寿国」
という川柳を披露したところ、会場から笑い。
ここから発展して高齢化社会の話でもするつもりだったのだろうが、笑いをとれたら小泉氏は嬉しそうな顔で
「わかりますか、昔は60まで生きられる人が中々いなかったからこそ、還暦には赤いちゃんちゃんこでお祝いしたというのに、今は、その親が出てくるんですから、」などと、面白さの説明をはじめ、とうとう政策の話が出ないまま終わってしまった。
「憲政の父」尾崎行雄没後50年の集い。
中曽根氏、海部氏など、総理経験者が次々とメッセージを述べた。常識的にここでは、尾崎行雄氏がいかに民主主義の発展に寄与したか、またいかに彼が骨のある政治家だったかをほめるのだが、小泉氏はマイペース。
「尾崎行雄先生は初当選以来、連続当選25回、すごいねっ。わたしなんか、まだ11回ですから。25回なんてとてもとても。」
ここで会場から「頑張って」との声。
小泉氏、嬉しそうに笑いながら、「いや、あと14回なんて、無理無理」
皆さん優しいので、「おまえのことを聞きにきたんじゃないよ」などという野次は出なかった。
わが世界連邦の日本全体の大会に総理大臣のメッセージが来ていた。いつごろからやっているかは知らないが、羽田・村山・橋本・小渕・森の各総理大 臣にメッセージをお願いし、もらったのは私も見た。2000年秋に森総理に世界連邦の前事務局長がメッセージを頼み、その数日後に前事務局長が入院したの をよく覚えている。
私が事務局を引き継いでからが小泉総理の時代。
小泉総理にメッセージを頼んだら断られてしまった。
今までうまくいっていたのに、事務局を私がやってから断られては、私が無能みたいで困る。が、小泉総理は、うちに限らず、ただ形式的にメッセージ を出すことを全面的にやめたようだ。それを言うと、世界連邦運動の皆さんも、「小泉さんらしい」と思ったのか、あまり責められずに済んだ。
オタクのコーナー
私が大学4年のときにものすごくプロレスに詳しい1年生が3人わがサークル「アトラスプロダクション」に入ってきた。
ヘッドロックという技は、腕で力任せに締め上げるのだと思っていたら違った。手首近くの骨をこめかみに当てたり、ほお骨に当てたりすると、たいして力を入れなくても涙が出るほど痛いのだ。
私はあまり急所にピタリと骨を当てるのがうまくない。アキレス腱固めも、たいていの人が痛がるが、たまにぽっちゃりした女の人にアキレス腱固めをかけると、まったく効かないことがあり、多分ポイントが少しずれているようである。
裏アキレス腱固めは自信あるので、希望者にはかけます。
「このくらいの公約違反はたいしたことではない」
「憲法上の厳密な整合性を問われたら、私も答えに窮してしまう」
「涙は女性の武器」とか、「人生いろいろ会社もいろいろ」どころではない、民主主義や憲法の根幹に関わる問題だ。
が、ここでは、総理になってからの有名な発言は省略し、「私が見た、聞いた」ものを書こう。
世界連邦関係の中で意義深いのが、イスラエルとパレスチナの子を招いての交流事業。小泉氏は3年連続、イスラエル・パレスチナから来た子と会ってくれた。
その1年目のセリフ。
「日本もねっ、今から60年前っ、アメリカとはっげしい戦いをした。ところが今は、そのアメリカは日本の一番の友達。だからっ、皆さんも、今は大変かも知れないかもしれないけれどっ、必ず仲良くなれる。
シャラームッ、サラームッ、ピース。
絶望はっ、愚か者の結論。」
とまあ、得意のワンフレーズ。
森田健作氏の演説会に行ったら、多分立正佼成会の人の集まりだったみたいで、ゲストが厚生大臣時代の小泉氏。このときは、かなり変だった。
「還暦に親が出てくる長寿国」
という川柳を披露したところ、会場から笑い。
ここから発展して高齢化社会の話でもするつもりだったのだろうが、笑いをとれたら小泉氏は嬉しそうな顔で
「わかりますか、昔は60まで生きられる人が中々いなかったからこそ、還暦には赤いちゃんちゃんこでお祝いしたというのに、今は、その親が出てくるんですから、」などと、面白さの説明をはじめ、とうとう政策の話が出ないまま終わってしまった。
「憲政の父」尾崎行雄没後50年の集い。
中曽根氏、海部氏など、総理経験者が次々とメッセージを述べた。常識的にここでは、尾崎行雄氏がいかに民主主義の発展に寄与したか、またいかに彼が骨のある政治家だったかをほめるのだが、小泉氏はマイペース。
「尾崎行雄先生は初当選以来、連続当選25回、すごいねっ。わたしなんか、まだ11回ですから。25回なんてとてもとても。」
ここで会場から「頑張って」との声。
小泉氏、嬉しそうに笑いながら、「いや、あと14回なんて、無理無理」
皆さん優しいので、「おまえのことを聞きにきたんじゃないよ」などという野次は出なかった。
わが世界連邦の日本全体の大会に総理大臣のメッセージが来ていた。いつごろからやっているかは知らないが、羽田・村山・橋本・小渕・森の各総理大 臣にメッセージをお願いし、もらったのは私も見た。2000年秋に森総理に世界連邦の前事務局長がメッセージを頼み、その数日後に前事務局長が入院したの をよく覚えている。
私が事務局を引き継いでからが小泉総理の時代。
小泉総理にメッセージを頼んだら断られてしまった。
今までうまくいっていたのに、事務局を私がやってから断られては、私が無能みたいで困る。が、小泉総理は、うちに限らず、ただ形式的にメッセージ を出すことを全面的にやめたようだ。それを言うと、世界連邦運動の皆さんも、「小泉さんらしい」と思ったのか、あまり責められずに済んだ。
オタクのコーナー
私が大学4年のときにものすごくプロレスに詳しい1年生が3人わがサークル「アトラスプロダクション」に入ってきた。
ヘッドロックという技は、腕で力任せに締め上げるのだと思っていたら違った。手首近くの骨をこめかみに当てたり、ほお骨に当てたりすると、たいして力を入れなくても涙が出るほど痛いのだ。
私はあまり急所にピタリと骨を当てるのがうまくない。アキレス腱固めも、たいていの人が痛がるが、たまにぽっちゃりした女の人にアキレス腱固めをかけると、まったく効かないことがあり、多分ポイントが少しずれているようである。
裏アキレス腱固めは自信あるので、希望者にはかけます。
歴代首相の覚え方 大正から昭和初め
麻生太郎氏、59人目の首相に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=616706&media_id=2
歴代総理大臣の覚え方
大正時代から
イメージ
ハワイで河田純子さんが裸で日光浴をしているが、蚊に食われるといけないので蚊帳を使っている。
暗記言葉
蚊帳おって裸焼き 河田ハワイさ
蚊帳おって・・・桂太郎、山本権兵衛、大隈重信、寺内正毅
裸焼き・・・原敬、高橋是清、加藤友三郎、山本権兵衛、清浦奎吾
河田ハワイさ・・・加藤高明、若槻礼次郎、田中義一、浜口雄幸、若槻礼次郎、犬養毅、斎藤実
首相の最初の1文字をつなげて、いくやまいまい・・と覚えるのは多くの受験生がやっていることであるが、そこに意味をつけたのはわが塾のオリジナルである。
オタクのコーナー
目覚まし時計にアイドルの声が入っているものがある。
私は山本梓さんが「おはよう、アズの声が聞こえる?」などと言うものと、熊田曜子さんが「おはよう、あなただけの曜子よ」というものの2つ持っている。
が、もう少ししっかりした作りにして実用性あるものにしてほしい。
どちらも電池を何度換えてもどんどん遅れるし、山本梓さんのは目覚ましをオフにしても鳴る(止めるには電池を抜くか設定時刻を変える)し、熊田曜子さんのは音が割れている。
http://
歴代総理大臣の覚え方
大正時代から
イメージ
ハワイで河田純子さんが裸で日光浴をしているが、蚊に食われるといけないので蚊帳を使っている。
暗記言葉
蚊帳おって裸焼き 河田ハワイさ
蚊帳おって・・・桂太郎、山本権兵衛、大隈重信、寺内正毅
裸焼き・・・原敬、高橋是清、加藤友三郎、山本権兵衛、清浦奎吾
河田ハワイさ・・・加藤高明、若槻礼次郎、田中義一、浜口雄幸、若槻礼次郎、犬養毅、斎藤実
首相の最初の1文字をつなげて、いくやまいまい・・と覚えるのは多くの受験生がやっていることであるが、そこに意味をつけたのはわが塾のオリジナルである。
オタクのコーナー
目覚まし時計にアイドルの声が入っているものがある。
私は山本梓さんが「おはよう、アズの声が聞こえる?」などと言うものと、熊田曜子さんが「おはよう、あなただけの曜子よ」というものの2つ持っている。
が、もう少ししっかりした作りにして実用性あるものにしてほしい。
どちらも電池を何度換えてもどんどん遅れるし、山本梓さんのは目覚ましをオフにしても鳴る(止めるには電池を抜くか設定時刻を変える)し、熊田曜子さんのは音が割れている。