塩浜はここが良くない・1
塩浜ここが良くない
今回は自分に言い聞かせる意味も込めて書く。
仕事に対して正当な報酬をもらうことをためらうことなかれ。
私は、政治活動のためということを考えなければ、自分自身のためならば月5万円で生きていく自信がある。
また、塾にしても世界連邦の仕事にしても、あるいは時々来るテレビの仕事にしても、基本的には好きであり、金のためというよりも好きだからやっているという面が大きい。
金儲けにガツガツしていないというのは、美徳のようでいて、さまざまなひずみを生じさせる。
今回強調したいことは、ある程度しっかりした金をとらないと、「需要に対する緊急性、必要性を読み誤る」ということだ。
つまり、厚かましいだけで対して必要ともしていない人間のところに供給がなされ、本当に必要な人に行き渡らなくなるということだ。
よく言われる例に次のようなギャグがある。
老人への医療費を安くしていたら、それほどの病気でもない老人が大量に病院に行って、待合室で互いに世間話をしている。
「あれ、今日は佐藤さんが来ていないがどうしたんだ」
「佐藤さんは病気になって今日は来られないそうだ」
私も他人のことを言えないのである。
世界連邦が忙しくなって返上してしまったが、私は塾の他に行政書士という法律の仕事もしていた。
「困っている」と言われるとつい無料で面倒みてしまうことも多かった。
ところが、困っている、困っているという割に、「こういう書類を用意してくれ」と簡単なことを頼むと、大体やってこない。こちらが10倍くらいの努力をしている一方で、相手が本当に簡単なこと、(例・法律上のトラブルに至るまでの経緯を簡単なメモにすることなど)をやってこないので愕然とすることも多かった。
9月中、私のブログの更新がスムーズではなく、また、過去のネタの再放送が多かったことにお気づきだっただろうか。
実は9月、塾と世界連邦の他に、もう1つ、ある仕事を引き受けていた。
最初の話では、「どうしても時間が空かない日は来なくても良い。ただし9月27日だけは絶対に空けておいてほしい」ということなので仕事を引き受けた。
ところが、「ここだけはどうしても」が次々と連発。
8月29、30、9月2,3,5,9,15,19,20,21,23,24,25,26,27に呼ばれた。(9月5日は先方の都合で取り消し)
私は8月29と9月9、24は休んだが、後は全部出た。おまけにほとんどが終電ギリギリ。終電に間に合わなかったことが2回。
9月中旬あたりでかなり腹が立ってきた。
「ふざけるな。私は忙しい。塾の生徒がやめたらどうしてくれる。本当に必要な日だけにしぼってほしい」と言ったら、9月24と26はいなくてもなんとかなるということになった。(ただし、26は私の判断で重要と考え、出席)
私はこの仕事を途中で放り出しても、良心の呵責を除けば、痛くもかゆくもない。
というか、むしろ、世界連邦本部事務局の人が休日も自主的に出勤して仕事をしているのに、私が本業でもない仕事を引き受けていることこそ問題である。
何度やめようと思ったかわからない。
ただ、現場の人は一生懸命やっているのはわかるし、私を気遣ってもいたし、私が好きな種類の仕事であったし、良い仕事ができそうではあった。(仕事が一段落した日には、現場の人は感動して泣いていた)
さて、これはどこがまずかったかと言えば、ズバリ、安すぎたのである。
悪いのは私なのだ。
他のメンバーにはフリーターもいて、彼らにとってはおいしい仕事だったかも知れないが、私は、塾を休み、場合により他の先生に給料を払ってこちらの仕事に出るので、出れば出るほど損なのである。
金のためではなく、「困っている」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな仕事ということもあって、「ぜひやらせてください」などと言ったのだ。いつもの悪い癖が出た。
抽象的に「どうしても必要か」と言えば、先方は必要と答えるだろう。
が、たとえば、「私=塩浜を3時間拘束するごとに2万円」とでも言えば、(今後はそうする方針。)本当に必要な時にしか呼ばなくなるだろう。
その状況で先に述べた日付全てに私が必要だったとはとうてい思えないのである。
塾は、やろうと思えば、いろいろ変更することはできると言えばできる。
また、世界連邦や政治の仕事というのは、
1.できるだけたくさんの人に会って常に理解者を増やす・・・ことが重要だが、何月何日でなければならないというわけではない
2.資料作りはパソコン使って夜中でも何でもできる
というわけで、私は「常に忙しいが、絶対に塞がっている日というのは意外に少ない」という状況である。
そこで「困っている」とか言われると「ぼくは事前に言ってくれれば時間をあけることができるから」などと言ってしまう。
そうすると下手すれば
「安いから」「便利だから」という理由だけで厚かましい奴が「どうしても塩浜さんが必要だ」と言うのは、経済学上当然なのである。
たとえば仮に8月30、9月2,3,5、15,19,20,21,23,25,26,27日に、鈴木まりえさんと我妻さおりさんとほしのあきさんと小倉優子さんと安田美沙子さんと安めぐみさんがブルマー姿で私と遊んでくれて、おまけにおみやげにミヤマクワガタとかウルトラセブン12話のビデオなどのプレゼントを毎回くれるとしても、これだけの日数を空けるなんてことは絶対にない。
必要だ、必要だと言って私を呼んでいた人はそのあたりの重みがわかっていたのであろうか。
塩浜一押しアイドル鈴木まりえさんのライブに私は2008年、まだ3回しか行っていない。(しかもうち1度は仕事がらみ)
あるいは、私の彼女になっても、10日に一度会うというのは難しいと思ってほしい。
さて、「途中でぶちきれてやめる」のを思いとどまった理由をもう1つ。
「今やっている世界連邦だって同じじゃないか」と思ったのだ。
世界連邦も「必要だ」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな種類の仕事だということもあり、あきれるほど低いお金でやっている。
やめたい、やめたいと思いながら、気がつくとどんどん深みにはまって抜け出せない。
今回の仕事と全く同じではないか。
今回の仕事を持ってきた相手に文句つける前に、変わるべきは自分ではないか。
オタクのコーナー
以前、「行列のできる法律相談」というテレビ番組で、次のような事例問題があった。
若い人が大好きな食堂のおばあさんが、残された人生を生きていくに十分なお金を手にして、後は若い人の笑顔を見ることさえできれば・・・と、(細かい数字は忘れたが)コロッケ20円とか、トンカツ定食120円とか、べらぼうに安い値段でやり始めた。
そこに近所の商店街の人が来て、
「ここが不当に安い値段で食べ物を売るおかげで我々は商売にならない。こんなに安く売るのはけしからん。訴えてやる」
さあ、おばあさんの行為は違法か?
見解が分かれていたが、法律ではなく、経済学的に考えると、
「こんなことはどうせ続かない」というのが私の答えである。
私もこのおばあさんのような発想があるからこそわかる。
厚かましい客がいつまでも居座って、本当に安い物が必要な貧乏学生に行き渡らない。
あるいは、おばあさんが体を壊す。または、大勢の客をさばくため、人を雇うとなれば、そちらには普通の給料を払う必要がある。おばあさんの財産はたちまち消えていく。
厚かましい客がいつまでも居座っていれば、まともな客はここより高くても他に行く。だから近所の商店街も困りはしない。
今回は自分に言い聞かせる意味も込めて書く。
仕事に対して正当な報酬をもらうことをためらうことなかれ。
私は、政治活動のためということを考えなければ、自分自身のためならば月5万円で生きていく自信がある。
また、塾にしても世界連邦の仕事にしても、あるいは時々来るテレビの仕事にしても、基本的には好きであり、金のためというよりも好きだからやっているという面が大きい。
金儲けにガツガツしていないというのは、美徳のようでいて、さまざまなひずみを生じさせる。
今回強調したいことは、ある程度しっかりした金をとらないと、「需要に対する緊急性、必要性を読み誤る」ということだ。
つまり、厚かましいだけで対して必要ともしていない人間のところに供給がなされ、本当に必要な人に行き渡らなくなるということだ。
よく言われる例に次のようなギャグがある。
老人への医療費を安くしていたら、それほどの病気でもない老人が大量に病院に行って、待合室で互いに世間話をしている。
「あれ、今日は佐藤さんが来ていないがどうしたんだ」
「佐藤さんは病気になって今日は来られないそうだ」
私も他人のことを言えないのである。
世界連邦が忙しくなって返上してしまったが、私は塾の他に行政書士という法律の仕事もしていた。
「困っている」と言われるとつい無料で面倒みてしまうことも多かった。
ところが、困っている、困っているという割に、「こういう書類を用意してくれ」と簡単なことを頼むと、大体やってこない。こちらが10倍くらいの努力をしている一方で、相手が本当に簡単なこと、(例・法律上のトラブルに至るまでの経緯を簡単なメモにすることなど)をやってこないので愕然とすることも多かった。
9月中、私のブログの更新がスムーズではなく、また、過去のネタの再放送が多かったことにお気づきだっただろうか。
実は9月、塾と世界連邦の他に、もう1つ、ある仕事を引き受けていた。
最初の話では、「どうしても時間が空かない日は来なくても良い。ただし9月27日だけは絶対に空けておいてほしい」ということなので仕事を引き受けた。
ところが、「ここだけはどうしても」が次々と連発。
8月29、30、9月2,3,5,9,15,19,20,21,23,24,25,26,27に呼ばれた。(9月5日は先方の都合で取り消し)
私は8月29と9月9、24は休んだが、後は全部出た。おまけにほとんどが終電ギリギリ。終電に間に合わなかったことが2回。
9月中旬あたりでかなり腹が立ってきた。
「ふざけるな。私は忙しい。塾の生徒がやめたらどうしてくれる。本当に必要な日だけにしぼってほしい」と言ったら、9月24と26はいなくてもなんとかなるということになった。(ただし、26は私の判断で重要と考え、出席)
私はこの仕事を途中で放り出しても、良心の呵責を除けば、痛くもかゆくもない。
というか、むしろ、世界連邦本部事務局の人が休日も自主的に出勤して仕事をしているのに、私が本業でもない仕事を引き受けていることこそ問題である。
何度やめようと思ったかわからない。
ただ、現場の人は一生懸命やっているのはわかるし、私を気遣ってもいたし、私が好きな種類の仕事であったし、良い仕事ができそうではあった。(仕事が一段落した日には、現場の人は感動して泣いていた)
さて、これはどこがまずかったかと言えば、ズバリ、安すぎたのである。
悪いのは私なのだ。
他のメンバーにはフリーターもいて、彼らにとってはおいしい仕事だったかも知れないが、私は、塾を休み、場合により他の先生に給料を払ってこちらの仕事に出るので、出れば出るほど損なのである。
金のためではなく、「困っている」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな仕事ということもあって、「ぜひやらせてください」などと言ったのだ。いつもの悪い癖が出た。
抽象的に「どうしても必要か」と言えば、先方は必要と答えるだろう。
が、たとえば、「私=塩浜を3時間拘束するごとに2万円」とでも言えば、(今後はそうする方針。)本当に必要な時にしか呼ばなくなるだろう。
その状況で先に述べた日付全てに私が必要だったとはとうてい思えないのである。
塾は、やろうと思えば、いろいろ変更することはできると言えばできる。
また、世界連邦や政治の仕事というのは、
1.できるだけたくさんの人に会って常に理解者を増やす・・・ことが重要だが、何月何日でなければならないというわけではない
2.資料作りはパソコン使って夜中でも何でもできる
というわけで、私は「常に忙しいが、絶対に塞がっている日というのは意外に少ない」という状況である。
そこで「困っている」とか言われると「ぼくは事前に言ってくれれば時間をあけることができるから」などと言ってしまう。
そうすると下手すれば
「安いから」「便利だから」という理由だけで厚かましい奴が「どうしても塩浜さんが必要だ」と言うのは、経済学上当然なのである。
たとえば仮に8月30、9月2,3,5、15,19,20,21,23,25,26,27日に、鈴木まりえさんと我妻さおりさんとほしのあきさんと小倉優子さんと安田美沙子さんと安めぐみさんがブルマー姿で私と遊んでくれて、おまけにおみやげにミヤマクワガタとかウルトラセブン12話のビデオなどのプレゼントを毎回くれるとしても、これだけの日数を空けるなんてことは絶対にない。
必要だ、必要だと言って私を呼んでいた人はそのあたりの重みがわかっていたのであろうか。
塩浜一押しアイドル鈴木まりえさんのライブに私は2008年、まだ3回しか行っていない。(しかもうち1度は仕事がらみ)
あるいは、私の彼女になっても、10日に一度会うというのは難しいと思ってほしい。
さて、「途中でぶちきれてやめる」のを思いとどまった理由をもう1つ。
「今やっている世界連邦だって同じじゃないか」と思ったのだ。
世界連邦も「必要だ」「君しかいない」と言われ、また自分が好きな種類の仕事だということもあり、あきれるほど低いお金でやっている。
やめたい、やめたいと思いながら、気がつくとどんどん深みにはまって抜け出せない。
今回の仕事と全く同じではないか。
今回の仕事を持ってきた相手に文句つける前に、変わるべきは自分ではないか。
オタクのコーナー
以前、「行列のできる法律相談」というテレビ番組で、次のような事例問題があった。
若い人が大好きな食堂のおばあさんが、残された人生を生きていくに十分なお金を手にして、後は若い人の笑顔を見ることさえできれば・・・と、(細かい数字は忘れたが)コロッケ20円とか、トンカツ定食120円とか、べらぼうに安い値段でやり始めた。
そこに近所の商店街の人が来て、
「ここが不当に安い値段で食べ物を売るおかげで我々は商売にならない。こんなに安く売るのはけしからん。訴えてやる」
さあ、おばあさんの行為は違法か?
見解が分かれていたが、法律ではなく、経済学的に考えると、
「こんなことはどうせ続かない」というのが私の答えである。
私もこのおばあさんのような発想があるからこそわかる。
厚かましい客がいつまでも居座って、本当に安い物が必要な貧乏学生に行き渡らない。
あるいは、おばあさんが体を壊す。または、大勢の客をさばくため、人を雇うとなれば、そちらには普通の給料を払う必要がある。おばあさんの財産はたちまち消えていく。
厚かましい客がいつまでも居座っていれば、まともな客はここより高くても他に行く。だから近所の商店街も困りはしない。