私が見た小泉純一郎 | アトラス塩浜のブログ

私が見た小泉純一郎

私が特に問題だと思うのは次の2つ。
「このくらいの公約違反はたいしたことではない」
「憲法上の厳密な整合性を問われたら、私も答えに窮してしまう」
「涙は女性の武器」とか、「人生いろいろ会社もいろいろ」どころではない、民主主義や憲法の根幹に関わる問題だ。
が、ここでは、総理になってからの有名な発言は省略し、「私が見た、聞いた」ものを書こう。

世界連邦関係の中で意義深いのが、イスラエルとパレスチナの子を招いての交流事業。小泉氏は3年連続、イスラエル・パレスチナから来た子と会ってくれた。
その1年目のセリフ。
「日本もねっ、今から60年前っ、アメリカとはっげしい戦いをした。ところが今は、そのアメリカは日本の一番の友達。だからっ、皆さんも、今は大変かも知れないかもしれないけれどっ、必ず仲良くなれる。
シャラームッ、サラームッ、ピース。
絶望はっ、愚か者の結論。」
とまあ、得意のワンフレーズ。

森田健作氏の演説会に行ったら、多分立正佼成会の人の集まりだったみたいで、ゲストが厚生大臣時代の小泉氏。このときは、かなり変だった。
「還暦に親が出てくる長寿国」
という川柳を披露したところ、会場から笑い。
ここから発展して高齢化社会の話でもするつもりだったのだろうが、笑いをとれたら小泉氏は嬉しそうな顔で
「わかりますか、昔は60まで生きられる人が中々いなかったからこそ、還暦には赤いちゃんちゃんこでお祝いしたというのに、今は、その親が出てくるんですから、」などと、面白さの説明をはじめ、とうとう政策の話が出ないまま終わってしまった。

「憲政の父」尾崎行雄没後50年の集い。
中曽根氏、海部氏など、総理経験者が次々とメッセージを述べた。常識的にここでは、尾崎行雄氏がいかに民主主義の発展に寄与したか、またいかに彼が骨のある政治家だったかをほめるのだが、小泉氏はマイペース。
「尾崎行雄先生は初当選以来、連続当選25回、すごいねっ。わたしなんか、まだ11回ですから。25回なんてとてもとても。」
ここで会場から「頑張って」との声。
小泉氏、嬉しそうに笑いながら、「いや、あと14回なんて、無理無理」
皆さん優しいので、「おまえのことを聞きにきたんじゃないよ」などという野次は出なかった。

わが世界連邦の日本全体の大会に総理大臣のメッセージが来ていた。いつごろからやっているかは知らないが、羽田・村山・橋本・小渕・森の各総理大 臣にメッセージをお願いし、もらったのは私も見た。2000年秋に森総理に世界連邦の前事務局長がメッセージを頼み、その数日後に前事務局長が入院したの をよく覚えている。
私が事務局を引き継いでからが小泉総理の時代。
小泉総理にメッセージを頼んだら断られてしまった。
今までうまくいっていたのに、事務局を私がやってから断られては、私が無能みたいで困る。が、小泉総理は、うちに限らず、ただ形式的にメッセージ を出すことを全面的にやめたようだ。それを言うと、世界連邦運動の皆さんも、「小泉さんらしい」と思ったのか、あまり責められずに済んだ。

オタクのコーナー
私が大学4年のときにものすごくプロレスに詳しい1年生が3人わがサークル「アトラスプロダクション」に入ってきた。
ヘッドロックという技は、腕で力任せに締め上げるのだと思っていたら違った。手首近くの骨をこめかみに当てたり、ほお骨に当てたりすると、たいして力を入れなくても涙が出るほど痛いのだ。
私はあまり急所にピタリと骨を当てるのがうまくない。アキレス腱固めも、たいていの人が痛がるが、たまにぽっちゃりした女の人にアキレス腱固めをかけると、まったく効かないことがあり、多分ポイントが少しずれているようである。
裏アキレス腱固めは自信あるので、希望者にはかけます。