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てんのいと(天の意図)

実践から知り得た真実・・・そこには民族や宗教というカテゴリーは存在しない・・・
ただ【魂の法則】があるだけ・・・
*立証するためのオーブ写真・動画・録音などたくさん記録いたしました。
被験者と共に実体験から得た本当の魂の世界。

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これは、朝日ですか?
それとも夕日?

 
実はそんなことなどはどうでも良いのです。
 
朝日も夕日も同じこと。
光が差しているのか、いないかの違いだけで
自らがそれをどう捉えるのかだけのこと。
 
日本は元々、旧暦でお正月を迎えていました。
それは季節の変わり目、作物のバランス、、、
もっと大切なのは体のバランス。
 
人は嫌でも毎日、食せねば生きられない、、
 
全てが便利になった現代では西暦で充分なのかもしれませんが、わたし個人的には先人の知恵を捨てるような・・・
そんな寂しいことだと感じています。
 
私のお正月は世間と違い、西暦2月5日のようです(苦笑
 
人は100%間違いなく死にます。
 
朝日も夕日も・・・
人が光に魅力を感じるのは、そんな気構えを魂が理解しているからなのか?
 
魂と戦い終わりギブアップしたその霊が云いました。
 
「あげてくれ!帰りたい」
 しかし迎えの光が中々こない。
 
誰にでも光が迎えに来るとは限らない、、、
ということですね。

仕方がなく・・・
更に懺悔させ心から詫びさせました。
 
{お天道様はお見通し}とはこのこと。
 
光はあがり損ね暗黒の闇にいる霊たちにとり希望なのです。
魂の逝く場所によって迎えの光の種類も鮮明度も違うようです。
 
「ここも真っ暗。だから生きている人間にへばりつく。
この身体から出して、行く所を創ってだしてくれ!」
 
 
生きている間は光のありがたさを知ってか知らずか、朝日や夕日が好きな人は多い。
 
魂(自分)が自覚しようがしまいがそれが自然の摂理のようです。
 
・・・なんて様々な事柄を考えながら
窓に差し込む柔らかで厳しい朝日を感じています。

2019年てんのいとの日記より

#てんのいと
#死後の世界
#魂
#霊界
#一日一生
#感謝
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24時間TVの癌のドラマ見て、単純に涙腺が緩む私がいました。
 
・・・
というのも実際に私自身が、関わった方々を思い出していたのです。
 
それまで何をしても上がり続けていたガンマーカーが4~5日で3度目の移植の数値まで下がった幼児、、、、

肺ガンといわれ最後の最後は良性に変わっていた初老の男性、、、

助けたいと願い、思い一緒に合宿までしたけれど助けられなかった40代男性、、、
 
思い出しました。

私は緩和ケアやホスピスに関わる方々と組めればと改めて感じながら、ドラマを見ていたら気づけば泣いていました。

目に見えない世界も、病との関連性がないとは言い切れません。

加齢による病は長年の生活習慣などの影響があるということは拭えませんが、幼児・若い方の病の改善には、まだまだ色んな可能性があると感じています。

医学的に証明されていなくても、命がかかっておられる方や、その家族には改善さえすれば方法などは本当にどうでも良いのです。
 
またそんな気持ちを利用し儲けている人間がいるのも悲しいですが事実です。

それでもどんな結果になるか分らない状態でも、医学がサジを投げた方が私のような者の所に来られる。
 
確かに関わってみないと、やってみないとどうなるかは私にも分りませんが、、、
 
こんな私に理解を示す、どこかの医師や医療関係の方々と組めればと・・・
24時間のドラマを見る度に思います。
 
なぜ数値に現れたり、それがプラシボ効果でない幼児や動物でも短時間で改善してゆくのですか?
 
そんな立証できないような世界が現実にあることが理解できないのか・・・?
 
現実に起こっていても、それらのことを偶然と
見て見ぬフリをする医療機関も多い気がしてなりません。
 
それなら私の周りは偶然だらけです。
 
科学は、元々目に見えない世界を調べ立証するためにできたと聞きました。
否定だけで済ませられない世界があるのです。
現代人は自分たちの研究のためにとか、
利益ばかりを追い求めている気がしてなりません。

人の命の尊さより本当に命の意味が理解できるのかと、ドラマを見ていてこれまでに私が関わった方々と担当医とのやりとりを思い出してしまいました。
 
福島の原発事故なども紛れもない人災です。
どんな業界にも利権を守ろうとしてる人間が
少なくともいるということ。
 
さまざまな日々の出来事の中で、私たちの目に触れない所で不条理なことは沢山あります。

今夜は何だか悲しく腹立たしいです。
2013年の日記より

#てんのいと
#不条理
#魂
#霊界
#一日一生
#感謝
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10年前のお便りから、、、✉️


私が今まで色々な方と出会った中で、後にも先にも先生を超える人はいないと思います。
1か月前に学生時代の友達から1冊の本をもらいました。
りんあん先生が書いた「てんのいと」と言う本です。
憑依された人を施術する・・・‼️
成仏できない魂を癒して浄化する・・・✨

最初は面白くて笑って読んでいましたが・・・・
だんだん・・・・恐ろしくなってきました。
成仏できない魂の怨念というか・・・
怖すぎて・・・💦
生半可に霊体質を喜んでいた私は恐ろしくなりました。
霊視できるようになりたかったけど・・・・
やだやだ。
無理無理~~~と思いました💦

これ以上読むのは怖いと思いましたが、最後まで読みたいという気持ちの方が強くて、あっという間に読み終えました。

そして、この本を誰かに紹介したくなりました。
最初は母親に「読んでみて、面白いから」と
ススメました。
母の感想は「色々な人がいるのね」というひとことでした。
友達にもススメてみました。
「うーん、、、読みたい気もするけど、、、
なんか、、、いいわ」✋
「読んでみたいわ」✨
など、表紙だけでも色々な反応がありました。

後に知ったのですが、何かに憑かれてる人は読めないそうです💦😱

てんのいとの本の内容は時々笑えるところはあるのですが・・・・
なんていうか・・・・
そのへんの本ではないんです。
りんあん先生の生き方・・
施術が命がけ・・・
生き様がビンビンに伝わって・・・
てんのいとの本を軽い気持ちで読んで欲しくないというのが1番の感想です。

世の中に命がけで施術してる人がいる。
すごい。
すごいんだよ。
医者も治せないことを治すんだから・・・
すごすぎるのよ~~
だから、本当に、真剣に、魂の存在をわかっている人、信じたい人に読んでほしい本と思いました。
様々な案件とかかわるうちに、
人間として生きている期間がとても貴重であり、
それらが、いずれ自らが移行する死後の世界に多大な影響を及ぼすということ。
また今の自分の行いや価値観が必ず来生の種になるということなど、ここでは書ききれないほどに深く・・・どんどんと深く、
嫌でも知ることとなりました。
 
そして、
魂の世界には一定のルール・法則めいたものが存在するということへの確認と確信がこれまで以上にもてた気がしました。
巷の情報のいい加減さにも
驚きの連続です。
 
これは宗教という小さな括りでなく、誰もが生まれた以上は必ず死ぬということにおいて現実に存在する次元があるという話なのです。
それらが分かり易いように・・・
証明や説明するために録音や録画するようにしています。
自分の知り合いの変貌ぶりほど
確認の取れることはありませんからね、、、

しかし現在はますます誤解をうむSNSや誤った情報が蔓延し、
宗教の教理の中にもその時々の権力を持った人間の都合で湾曲されていた出来事も多く、世の中の常識とされている事柄の中にも嘘が見え隠れ、、、
ゾッとします。

また同時に様々な人間が
根拠もなく
証明できない事柄を信じてしまっていることの怖さを感じています。

そのひとつの中に、
生きているときが全てだという
概念は輪廻転生した魂を惑わせる
一番の
「誤解を生む言葉」だということ。

何人も犯した罪の償いは
必ず自分に降りかかる仕組みがあるということ。

人は誤魔化せても
決して逃げることのできない法則
なのです。
 
ある意味、どんな道徳を学ぶよりも知るべき事柄だと感じています。

また身体がなくなり魂の世界に
移行すると生きている時の時間軸は全く通用しません。

生きている時のように
容易く誤魔化しながら
過ごせるものではないようです。

時々耳にする言葉のなかに、
輪廻転生しないと云い切って
信じて生きている人ほど
輪廻転生するでしょうね。
間違いなく。

そんなのとも
沢山話したり、戦いましたから。

体験もなく大した情報もないのに
師匠?に学んだとかで
目に見えない世界のことを全て鵜呑みにしてしまい、、、
何を根拠に信じるのかが
私には理解できません。

 よく観察していると、
心の中にある自分の隙や弱いところを認めたくない人ほど、
根拠のないものにのまれる
傾向があるようです。

そして、
現世利益の宗教にも
はまり込みやすいようです。

私のかかわったある宗教(宗派)の一件はとても分かりやすかったです。
皆がマインドコントロール
されています。
しかし、他の宗教も同じようなもなのかもしれないですね。
 
私は大自然に宿るエネルギー
(神といわれているもの)や、
元人間が移行した(魂の世界)仏を心から信じてはいますが
宗教は???です。

何を根拠に信じているのかが
理解できないのです。

様々な文献などもありますが、
有名なことが正解ではないという
ことを自分の体験や関わったことで知りました。

私も生身の人間ですから
その度にうろたえ
驚きしかありませんでした。

ですから、自分の体験で確認がとれたことしか私は信じられないのです。

それを皆に伝えているだけの
話です。

世の中が便利になったぶん
人間は自分の生まれた本当の意味を真剣に考えることも無くなったようです。



死後の世界はあります。
また、
それぞれがクリアしないといけない課題も輪廻転生した以上は
必ずあります。

それは自分というものが
この世に生まれ落ちた意味でもあるのです。
 
理想や夢は誰にでも
描ける世界ですが、それ以上に自らの定めや課題からも逃げられないのです。

全ては必然。
良いことも良くないこともです。
掘り詰めると殆どの原因は
自分の中(魂)に隠れているようです。
 
輪廻転生すると記憶は
リセットされてしまいますから
本来の気質が現れて前世と同じような失敗を繰り返しやすくなり、
自惚れや自己満足の妄想がそれらを邪魔するのです。

これを宗教的にいうと煩悩というのかも知れません。

人間は生活をするためにだけに
生まれ落ちたのではないのです。

全てに意味があり、
それに気がつき、魂を進歩させなければ生まれ落ちた意味もないのです。

受け付けない、分かろうとしない人は死んで嫌でも理解するだけの話をしているのです。
実際に私はそんな魂を戒め癒し
会話してきたのです。

先月、大分に行ったときにUFOは
信じるけれど霊は信じないという人がいましたが、自身が記憶がなくなり憑依されて変貌しました。
それを身内が動画に撮って……

その後はお察しのとおり
戸惑う日々で今は心と気持ちの
整理中のようです。

あるんですよ、本当に死後の世界や、それぞれに見合う世界(次元)が。

理解しない人も学ぶ心のない人にも時間の無駄ですから
これ以上は他人事。

先のみえない暗黒の苦しみの世界に行こうがどうなろうがしりません。
死んで理解し後悔すれば良いのです。
その時は既に遅しですが、、、

本来強運の私がなぜにこんなに苦しいのか私は答えを知っています。
それを手放すことが
私にとって手っ取り早く簡単なことも知っています。
踏ん張ってきました。
全てにおいて。

しかし‥
私にも時間の制限があります。

耳障りの良い言葉ほど
人を惑わす言葉はない。
目の前の現実がボヤけてしまう。

生活をするということは
娑婆行をするということ。
私は全てにおいて
実践しましたからね。
ですから戦いに勝ち続けられた。

いろいろと考えてください。
自身のことなのですから。
 
全てにおいて自己責任です。
だから輪廻転生がありそれを
残した大きな意味や仕組みが
あるんですよ。
 
今の自分を完璧だと考えている
自分の幼さを知るべき。

私も娑婆行中なのです。
しかし、時間がもうありません。
一日一生。
毎日そう思い生きています。

生活のためでなく輪廻転生した
自分の魂のためにもです。
まだこれからも娑婆行は
残ってはいますがね。
 
不浄霊よりも生きている
ずる賢い人間のほうが
余程怖いとつくづく思います。
まぁ、しかし
人は誤魔化せても魂には汚点として必ず残り清算する時がくるわけですが、そのような人は前世でも同じようなことをやっていたんでしょうね。
本当に愚かで哀しい魂です。。。

2019年の日記より。
人は間違いなく、いずれは死を迎えます。
目の前の現実に振り回されているのは私も同じです。
 
 神仏というものがあるとして、それを信じて毎日祈ることを否定するわけではないですが、それが全てと勘違いしている人を見ていると愚かと嘆くしかない。
努力することの意味を根本的に理解できていない。

それは歴史をみても分かること。
現実逃避しても何も現状は変わらないのです。
 
人の価値観は時代と共に移りゆくものだと思いますが、人としての倫理観は何一つ変わっていない。
バレなきゃイイって軽いものでもない。

それぞれの誰もが、もがきながら生きているのには大差はないのです。
ただ自分の利益を優先するということは見えない所では誰かの犠牲の上に成り立っているということを、どうも人は忘れてしまうようです。
 
 他者への感謝の気持ちが薄れてしまった時や、それが僻みや妬みに変わった時に、その人の本性が出る。
 また、それが独りよがりである場合は冷静に自分を判断できず、他者への責任転換へと変わる。
その秩序を保つために法律が出来たのだと思います。

自分が死した時に本当のその人の値打ちが分かるのかもしれません。
盛大な葬式を執り行うのが良いのでもなく、いかに本気で泣いてくれる人がいるのか、惜しまれて終わったか。。。
それはその人の生き様の結果でもあるのです。

死して惜しまれる人や、下手をすると周りの人間に「ざまあみろ」と思われる人もいる。
人の値打ちは長生きでなく、いかに生きたかなのです。
それが、娑婆行といわれる所以なのかもしれません。

最近になり、じわじわと広まり始めている直葬という葬儀があります。
 
日本では、遺体は死後二十四時間経過していなければ火葬できないという法律があり、そのために自宅ならまだしも、死体安置場から火葬場へ直行して五分ほどのお経の後に火葬するのが直葬というらしいのです。
とても格安でリーズナブル。

お通夜もなく、故人を偲ぶ場もなく死体安置場から火葬場へ直行してその場で短く読経で終わり。
これじゃ粗大ごみやペットの火葬と似たようなもので、下手をすると豪華ペットの
{お犬さま}{お猫さま}に負けているかもしれない、、、
余りにも寂しく悲しい終わり方だと思います。
 
この考え方の根本には
「死んだら終わりで何もない」という考えがあるのだと感じます。
 
しかし、直葬が生前から本人の希望であれば、死後も自己責任ですから良いかもしれませんが、子や身内との最後の別れにこれをされたら、故人も懸命に生きたはずなのに、どれほど寂しく虚しいでしょうか。
 
生活が困窮していてどうしようもない状態でも自宅に連れ帰り、お通夜くらいはするでしょう。
 
これまでの私の経験から・・・・
自分が死んでも夢を見ていると勘違いしている霊魂もいました。
故人は全ての会話を聞き、見てもいますから、それほど生活に困窮しているのなら仕方がないかもしれませんが、そうではない場合の喪失感は誰もが想像できるものです。
これも生前の故人の倫理観や価値観、育て方が間違ったと諦めるしかないのかと思わなくもないです。

これを自業自得というのでしょうか。。。

想念の世界に移行するのですが、隠せるものは何もなく、その時間は体がある時よりも、はるかに長く、これを地獄というのかもしれません。

2019年に
電子書籍kindle から「てんのいと」という本を出版させていただきました。私的には紙本がお勧めですが。
私のこれまでの経験に基づいた答え全てを書いたつもりです。

今世でしかできない魂の修行のお役に立てばと思います。

2019年の日記より

 
 

 

元旦より、色々なことが起きています、、、


まさか、、、


正にまさか、、、です。


一日一生ですね、、、




 

 私の今年の漢字はズバリ!

「◯」

 

 

今年はどんな1年だった?

 

長年の答。

全ては言い訳なく必然。

「極」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事納めの日に思うこと

 

 一年というくくりが早く早く

感じるのは年のせいでしょうか、。


しかし、

人間がいつかは逝く世界。

そんな住人が苦悩していること‥‥

それって堀積めて考えると

全て自らの煩悩のなせる業。

 

「死んでその人の本当の値打ちが

  分かる」

ということ。


生きている時に

それなりの正義や道徳をかざして

いても

付き合いの中で人は知らず知らずに

それらを冷静に観ているし

差別でなく区別をする。


名誉でなく地位でもなく‥‥

人は嫌でも、

それぞれの心の価値観の中

で判断するようだ。


 中村元氏の

「肉は増えてもその知恵は増えない


そんな言葉が耳にしみる。


正義も道徳をも越えたものは

時代遅れの臭い言葉だけれど



「見返りを考えない本物の愛」


それしか‥、

逝く先も

生きる覚悟を持つにも

道しるべはないようである。

それでも一つ忘れていけないのは、

「目には目を歯には歯を」

同じ失敗を繰り返さないためにも‥

心を鬼にしてでも‥やるべき課題。


今年もお世話になりました❗ 

良いお年をお迎えくださいね(^.^)

 

 

 

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こりんです。

今、スマフォで書いたブログが消えてしまいました💦

カメラに切り替えてすずめを撮って、、、

又アメブロに切り替えたはずなのに💦

画面が真っ白に😭

操作を誤ったのでしょう💦


はい✋

内容を変えましょうとのことだと受け止めてます😅


今年も残すところ数日になりました。

一年が早いと感じる年頃です。


心身穏やかに過ごす。というのが本当に簡単ではない💦と感じます。毎年感じてます💦


今年は温暖差がある日が多いですね。

体調を崩す方も見られます。

特に声枯れや喉の疾患が多いようです。

中医学的には、温暖差が原因と思われます。

夜に急激に温度が下がるので血行不良になるそうです。

朝、喉が渇いていたりイガイガしていたら、まず熱めのお湯を飲んでみてください。

マスクして寝るのもオススメです✨


お試しください♪


今年は最後の記事になると思います。

先生にご質問、治療希望の方は

まずメール✉️にてご連絡下さい。


皆様良いお年をお迎えください✨




仏壇についての質問がありました。

Q
両親は他界しており、家に小さい仏壇を置いて
お世話をしています。
先日、知人にここに仏壇があるのはよくない。
と言われました。
後々子孫に影響があるとのことでした。

本当にそうなのでしょうか?

教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。

A
後々子孫に影響がある、、、❓

その方はどのような根拠を持って話されておられるかが私には分かりません。

勘で云われておられるのか?
霊能者みたいな方?
それとも何らかの新興宗教?の教え?

まずは仏壇の役目をお話します。

仏壇はあの世とこの世を繋ぐ窓口のようなもの。
お墓参りを毎日出来るわけでもないのですから、
その代わりのようなものだと捉えると分かり易いかと思います。

先祖代々とかの仏壇ならば長男がお世話をしなければいけないことはお分かりだと思いますが、
そうでなければ他の誰かがお世話するしかないです。

ましてや昔の人の考えは長男が!なんて思って亡くなっている人も多いでしょうから、
成仏していなければ生きている人間には聞こえないだけで文句を言っているかもしれません。

そのような場合は生きている人間に悪影響を及ぼしかねないですね。
実際によくあることです。

ただ今回の場合、家に仏壇を置くのが良くないという理由がよく分かりません。
誰も供養することなく放置するのが良いわけもありません。

先日から二件、仏壇の中を整理しました。

一件は、仏壇と仏像を購入して勧請なしで
ご位牌を置いて毎日お世話をしておられましたが、そこには余計な写真やお守りや
お札がゴチャゴチャになっていました。
私は仏壇の中の余計なものを処分し、
仏像に仏様を開眼勧請して、キチンとしたお世話の仕方を改めて指示しましたが、その日からよく眠れるようになったと話されておられました。
少しずつ部屋だけでなく家の気も変わってくることと思います。

もう一件も仏壇を購入して開眼勧請せずに手を合わせておられたようでしたが、問題が勃発。
仏壇の中には三つの掛け軸。
両側はお坊さん。真ん中に阿弥陀如来。
私からすると単なる絵であり(仏像の場合も単なる置物)掛け軸の3枚の絵を切り抜き曼荼羅と盧舎那仏に変えて開眼勧請しました。
飾り終えた後、からだが軽くなったらしいです。

二件ともやり直したわけですが、
仏壇の中を開眼勧請したからと供養が終わったわけではありません。

濃い絵の具に少しずつ水を加えて薄めていくように積み重ねていかなければいけないのです。
てんのいとの本にも供養の意味は記載しております。

最近は浄土宗や浄土真宗は仏壇と中身を購入して
お坊様が開眼勧請するわけでもないことが殆どだとお坊様に聞いてちょっと驚いたのですが。

しかし仏壇すらない御家も多いですけれどね、、、
仏壇を用意してもたいしてお世話もせずオブジェのように放置の御家も意外と多い。
仏壇を家に置いているだけで満足しているんですよね。

お世話をしなければ何の意味もありませんし、
出来の悪い先祖が増えればそれこそ
「後々子孫に影響があるそうです」
にもなりかねません。

憑依されて相談者の先祖らしきモノが出てきて
「ワシ等の先祖のほとんどが成仏していない。
 このままではいずれは血が絶えてしまう。
どうかこの者に
(この亡くなった人からすると相談者は甥っ子)
供養の仕方を教えてやってください!」
と懇願されました。

さて・・・
「後々子孫に影響があるそうです」
これを話した人の意図はどこにあるのでしょうか?
誰一人手を合わせることなく
供養することもなく・・・で良いのでしょうか?

確かに血統での業など清算しなければならないことが浮いてくることもあるでしょう。
しかし逃げてばかりいても何の解決にもなりません。
例えそれがお嫁に行って氏が変わったから関係ない?
いえいえ自分の中には両親と同じ血が流れているのですからそうではない。
ましてや自分の子がいれば尚更です。

受け継ぐのは良いものだけ!
そんなものは皆おもってます。
しかし
同時に良くないものも受け継ぐのが血統なんですよね。
よく冷静に考えれば、理解できることなんですけれどね。

Q
また、仏壇のない家はどうすれば良いでしょうか?

A
仏壇のない家は、お墓のある方向を向いて目を閉じてお墓の前にいるイメージで手を合わせる。
これくらいしか出来ないですね。
それと何よりも定期的なお墓参りですね。