混沌たる水の中に生きているような状態が輪廻転生した人間。
自分の生き様の結果を輪廻転生し試行錯誤しながら彷徨うのが人間の魂。
何度も何度も同じようなことを繰り返し、体がなくなった時には何度も何度も後悔する。
学ぼうと思っていても自分中心の正義や中途半端な知識が邪魔をする。
分かっていると思い込んでいるから真剣に考えようとしない。
勘違い人間が云った。
「光が見えたら飛び込めば良いのですね」
「生き方によっては、その光すら迎えに来ない魂もある」
実践で学んだ私の答えだった。
この者は私を利用するだけして、唾を吐くような真似をして逃げた。
さて、そんな魂に光など与えられるのか?
いずれは分かる時が来る。見ものだ。
私にはその魂がどうなろうと全く関係ないけれど、後悔してもその時は既に遅い。
逃げ遂せたと思っているのは生きている間だけで、見合った永遠と続く魂の世界に移行するだけ。
そこには自分と同類の魂しかいない世界。
勿論、助けてくれる者などいないのだ。
生まれ変わっても表現が違うだけで、その価値観の中の言動も何ら変わってはいないのだ。
前世でも今生でも同じこと。
そんな中で悟りの境地までたどり着いた魂は、真理を理解して行く末を案じ何らかの形で知らしめようとする。
しかし、娑婆に降りた魂は生まれ落ちると顕在意識から記憶は無くなり、よほど真剣に生きないと輪廻転生しながら何度も何度も同じ失敗を繰り返してしまう。
愚かな魂ほど、その度に重いコートをまた羽織ることとなる。
ある人が尋ねたこと、
「私の魂のレベルはどの辺ですか?」
いやいや。
魂のレベルなどあるようでない。
その歪な形になった魂の気質の問題。
大きさよりも、その形の重大さを知るべきと答えた。
オーブにも様々な意味のオーブがあるけれど、それぞれに深い意味があるのだ。
{写真のオーブは千年以上も前の志の高い魂たち。
それも解決済であるからUPした}
傷ついた魂のオーブには丸の中に穴があき、端が凹んでいるのもあるが、
どうもこれは体の一部の欠損のようである。
しかし、稀に丸形のはずのオーブが、その魂の本質により歪な形をしている時もある。
大いに修行。
大いに考えるべきの魂。
それはまるで
大昔の修行僧のように生きなければならない。
まるで原始仏教の教理の世界。
心の奥底までの全てを見ているモノにとっては根っこがブレやすい魂をみた時に
それらは分かりやすく、試される場面も増えるのであろう。
少しの不思議を見せられて勘違いする者を
「愚」と、S和尚は云った。
本当にそう思う。
自惚れてドンドンと深みにはまり、家族に飛び火して巻き添えにしたり、見えない所では落ちてゆく。
そしてその魂は、いずれ彷徨うこととなる。そのツケも輪廻転生しながら清算するまで続くことになる。
それを仏罰・神罰というのかもしれない。
魂の世界は誰も関与できない己との戦いであり輪廻転生の深き意味でもある。
誰のためでもなく己のために気づき悔い改めるしか魂の進化の方法はない。
2019年てんのいと日記より
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