てんのいと(天の意図)

てんのいと(天の意図)

実践から知り得た真実・・・そこには民族や宗教というカテゴリーは存在しない・・・
ただ【魂の法則】があるだけ・・・
*立証するためのオーブ写真・動画・録音などたくさん記録いたしました。
被験者と共に実体験から得た本当の魂の世界。

『ご相談申請について』 


心癖ではなく、本当に困っている方の気療をお受けしたいため、以下の手順でお願いいたします。


①先生著作の【てんのいと】をご一読ください。


②【てんのいと】本の感想をメール(アメブロメッセージ)にてお送りください。


購入はコチラ→ てんのいと  


*憑依されている方は読めない場合がございます。その時はその旨をできるだけ詳しくお伝えください。


③ご連絡内容を拝見したうえで、先生より直接返信が届きます。  


*急を要する方が優先になりますので、返信が遅れる場合もございます。


④返信が1か月以上届かない方は、ご縁がなかったと判断してください。


⑤紹介者の方がいる場合は、その旨お書きください。


 


※お電話でのご相談は受付けておりません。


 


『相談者履歴』 


元霊媒師・元ヒーラ-・僧侶・整体師・エステシャン・占い師・刑務官・ヘルパー・医師・看護師・セレモニー会館職員・憑依体質の方・難病患者・病が長期間改善しない方・霊障でお悩みの方など。 


 


『アメンバー申請・特典について』


〇どなたでもアメンバーになることはできません。申請の際に、自己紹介をお願いいたします。


 〇かなり深いお話、画像、動画など載せておりますので、閲覧は自己責任の上行ってください。


 〇アメンバー限定のご質問などお受けいたします。

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混沌たる水の中に生きているような状態が輪廻転生した人間。

自分の生き様の結果を輪廻転生し試行錯誤しながら彷徨うのが人間の魂。

何度も何度も同じようなことを繰り返し、体がなくなった時には何度も何度も後悔する。
学ぼうと思っていても自分中心の正義や中途半端な知識が邪魔をする。
 分かっていると思い込んでいるから真剣に考えようとしない。
 
勘違い人間が云った。
「光が見えたら飛び込めば良いのですね」
「生き方によっては、その光すら迎えに来ない魂もある」
 
実践で学んだ私の答えだった。
 
 この者は私を利用するだけして、唾を吐くような真似をして逃げた。
さて、そんな魂に光など与えられるのか?
いずれは分かる時が来る。見ものだ。
 
私にはその魂がどうなろうと全く関係ないけれど、後悔してもその時は既に遅い。
 
逃げ遂せたと思っているのは生きている間だけで、見合った永遠と続く魂の世界に移行するだけ。
そこには自分と同類の魂しかいない世界。
勿論、助けてくれる者などいないのだ。
 
生まれ変わっても表現が違うだけで、その価値観の中の言動も何ら変わってはいないのだ。
前世でも今生でも同じこと。

そんな中で悟りの境地までたどり着いた魂は、真理を理解して行く末を案じ何らかの形で知らしめようとする。

しかし、娑婆に降りた魂は生まれ落ちると顕在意識から記憶は無くなり、よほど真剣に生きないと輪廻転生しながら何度も何度も同じ失敗を繰り返してしまう。
 
愚かな魂ほど、その度に重いコートをまた羽織ることとなる。
 
ある人が尋ねたこと、
「私の魂のレベルはどの辺ですか?」

いやいや。
魂のレベルなどあるようでない。

その歪な形になった魂の気質の問題。
大きさよりも、その形の重大さを知るべきと答えた。

オーブにも様々な意味のオーブがあるけれど、それぞれに深い意味があるのだ。
 
{写真のオーブは千年以上も前の志の高い魂たち。
それも解決済であるからUPした}

傷ついた魂のオーブには丸の中に穴があき、端が凹んでいるのもあるが、
どうもこれは体の一部の欠損のようである。
 
しかし、稀に丸形のはずのオーブが、その魂の本質により歪な形をしている時もある。
 
大いに修行。
大いに考えるべきの魂。

それはまるで
大昔の修行僧のように生きなければならない。
まるで原始仏教の教理の世界。

心の奥底までの全てを見ているモノにとっては根っこがブレやすい魂をみた時に
それらは分かりやすく、試される場面も増えるのであろう。
 
少しの不思議を見せられて勘違いする者を
「愚」と、S和尚は云った。
本当にそう思う。
 
自惚れてドンドンと深みにはまり、家族に飛び火して巻き添えにしたり、見えない所では落ちてゆく。
 
そしてその魂は、いずれ彷徨うこととなる。そのツケも輪廻転生しながら清算するまで続くことになる。
それを仏罰・神罰というのかもしれない。

魂の世界は誰も関与できない己との戦いであり輪廻転生の深き意味でもある。
 
誰のためでもなく己のために気づき悔い改めるしか魂の進化の方法はない。

2019年てんのいと日記より
 
#魂の進化#真理#輪廻転生#魂#オーブ#てんのいと #裏切り行為#言い訳しない#逃げグセ#自分勝手な人
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「私の嫁と娘が人には見えないものが、どうも見えるようで・・・
亡くなった叔父さん時々、庭に立っていると言うのです。
どうすれば良いのでしょうか?」

何年か前に、このようなご相談があった。

いろいろとお話をお聞きしていると、どうも家族のどの方にも信仰心が余りないようで、、。
でも、その割りには奥様などは目に見えない事への関心はとてもお持ちのようで、。

「見えて身体にとか何か変調などはありますか?
お仏壇などはどのような感じなんでしょうか?」

「お仏壇は永く放ったらかしですね、。私の両親が手を合わせている所などは見た事もないですね」

どちらかというとお嫁さん以外は目に見えない世界は否定派で(だが結局は彼の言う事を全て拒否し受け入れなかったので或る手術をすることになる、、。)

 「人間は死んだらオシマイ。霊の世界なんて有り得ない。」

ご家族全員が信仰心は全く無かったようだ。

それなのに叔父さん(オバケの)亡くなったとたんにウロウロ?(笑)
よくあるパターンである。

何かの想いが激しく残っていると逝きそびれるのだ。

ましてや本来が否定派なので頼るものも少ない、それに死んでいるので自分の力だけでは・・・ねぇ。

このような場合、まずは自分の存在をアピールする為に見える体質の人の所に行ったり、入り込みやすい人に憑依などして何か霊障の病を引き起こしたり、悪さを始めるのだ。

私はこの方と話していて正直、この人がヤバイとすぐに感じた。

「何かお身体の具合など悪くないですか?」

「はぁ・・・実は前々から心臓が少し具合悪いようで検査したら血流の良くなるお薬とニトロの軽いお薬とetc
・・・もらったばかりなんですよ。」

”やっぱり!この人まずい。
突然の心筋梗塞みたいな感じで、このままだと連れて逝かれる!”←心の声

勿論、このような脅しになるようなことは私は伝えない。

「その放ったらかしの仏壇の写真と家とその周りの見取り図を送っていただきたいのですが・・・

私が色んなことをアドバイスすることになるかも知れませんが、どうでしょう、、、
それを聞き入れることはできますか?
目に見えない世界のことで信じられないかも知れませんが、このままではマズイことはお分かりですよね?」

私は何度か、本人の気持ちを確かめた。

「はいっ。どうにかしたいと思いますので宜しくお願いいたします。
でも、このお薬はどうすれば良いのでしょうか?
飲まないほうが良いですか?」

「お医者さんから飲むように言われたお薬です。」

「私は飲むなっとは言えません。
ご自身で判断してみてください。」

写真はメールで、見取り図はFAXで着たので時間はさほどかからなかった。

2度目の電話でアドバイス。
かなりのことを改善し、或る場所を浄化するように伝えた。

彼は私の伝えたとおり一人で全てをこなした。
皆が理解ないのだから仕方が無い。。。

そしてそれと同時に私は彼の身体の改善の為にも数珠を創り早々に贈った。

元々、彼自体もどちらかというと目に見えない世界は
拒否派であると最初に電話で話した時に感じていたが、
私は数珠を着けてもらった。

お仏壇や家の周りなどの途中経過も気になり、私と彼は時々電話で話した。

「何か気のせいか数珠をつけたら夜、目が良く見えるようなんです!」

「そうなんですねっ。すぐに切れるかもしれませんが気にされないように。
それと、お薬はどうされているのですか?」

「実は一度だけ飲んだんですが、飲んだとたんに頭がクラクラして・・・
それから全然飲んでいません(苦笑)」

「大丈夫なんですか?身体の様子をよくみてくださね。」

「はいっ。もう少ししたら検査がありますので結果報告しますねっ。」

そして数日後、

「検査に行って来ました。
数値もだいぶん下がっていて、先生がお薬が効いているなぁ。っと言われたんですよ(笑)
飲んでいないこと言えませんでしたので、またお薬もらいました(苦笑)」

「良かったですね。まずは一段落です。
時間の有る時は、お仏壇に手を合わせてくださいねっ。」

「はい。頑張ってみます。」

そのうち数珠が切れ、私が直す間と直し終わり彼が装着した時
「やはり目が良く見えますよ~^^」

「時々、浄化してくださいね」

「あの~
嫁がまだ叔父さんが立っていると時々言うのですがどうすれば・・・?」

「無視していれば良いですよ。何もできないですし、そこまでの力も無いです。
信仰心がなかった罰です(苦笑) 」

「・・・分かりました。」

「でも何かあったら連絡くださいよ、

その時にどうにかすれば良いのです。
私が行く事になるかもですけどね」(苦笑)

結局、彼は薬も飲まず心臓は良くなったようで・・・
良かった。良かった。

でも最近はどうなのかなぁ~
2年は経ったよな~
連絡ないのが元気な証拠かな~。
時々日記もUPしているみたいだし。。。

てんのいと2015年の記事より

#てんのいと#魂#霊界#先祖#浄化
#お仏壇#見えない存在#仏罰#偽善者#霊能力者#霊感体質#

ひろさちや著書「般若心経」生き方のヒントより抜粋


『取り越し苦労』

飢えたロバがいました。

腹をペコペコにすかしていて幸運にも 乾し草の山を見つけました。

だが、2つの乾し草の山を見つけたのです。

それは不幸なことでした。

ロバは「どちらを食べればよいかの?」と迷ってしまったのです。
どちらを食べてもいいのだから、ちっとも迷う必要はないと思うかも しれませんが、それは大きな間違いです。

迷いというものの本質は迷う必要がないから迷うのです。

たとえば、
昼めしに鰻重を食べるかお寿司を食べるか迷います。
それは、鰻重を食べても、お寿司を食べてもどちらでもいいからです。
迷う必要がないから迷うのです。
鰻の嫌いな人は、迷わずお寿司を食べるでしょう。

人間は「未来」に対しても迷います。
それは未来が「わからない」からです。

ロバは最初、右の乾し草がおいしそうだと思ってそちらに歩いて行くのですが、
途中で左の方がうまそうだと考えて、それで左に行きます。

しかし、左に向かって 歩いているうちに、やはり右の方がいいと思い直して再び右に引き返す。

すると、こんどは左の方がうまそうに思える。
それで左に向かう。

そうしているうちに、とうとうロバは翌日、2つの乾し草の中間で飢え死にをした。

そういうオチがついている話です。
愚かなロバです。

しかし、わたしたちは、このロバを嗤(わら)えません。

わたしたち自身、このロバと同じ迷いを迷っているからです。

どちらを食べても同じなのに、だからちっとも迷う必要がないのに、それを迷いに迷って苦しんでいます。

それが人間なんです。

実は、その問題を、われわれは『般若心経』に聞いてみたいのです。

『般若心経』であれば、そのような問題にどう答えるか? 

それがわれわれの テーマなのです。

たとえば、あなたが癌を宣告されたとします。
あなたが癌にかかって、あと1年の 寿命と言われたとします。
そのまま何の治療もしなければ、1年の寿命しかない。

しかし、放射線療法をすれば、ひょっとしたら癌を克服できるかもしれません。
だが、その成功率は7パーセントです。

さあ、あなたはどうしますか?

放射線療法を受ければ、いろんな副作用があるようです。
頭髪が全部抜け落ち、 肌にはしみが出てきます。
全身にむくみが出てきます。
そして、精神的にも げんなりとし虚脱状態になるようです。
そうなることを覚悟で、成功率 7パーセントに賭けて、あなたは放射線療法を受けますか?

それとも、まあ普通の状態で死んでゆきますか?

そこで、迷いが生じます。

いや、迷いが生じる人がいます。

でも、言っておきますが、 私は迷いませんよ。私はそのような状況に立たされたら、ためらうことなく治療を 拒否します。
普通の状態で死んでゆくことを希望します。
けれども、この点を誤解しないでほしいのですが、それが『般若心経』の教え ではありません。

『般若心経』は、
頭髪が全部抜け落ちて、見るも無惨な姿になって生きるよりは、むしろ人間らしい姿のままで死ぬほうがましだと、そんなことを教えているのではありません。

『般若心経』が教えている ことは、そんなことはどっちだってかまわないということです。

そんなことにこだわるな、というのが、『般若心経』の教えです。

キリスト教のイエス・キリストも「明日のことまで思い悩むな。

明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6)と言っています。

私たちは、取り越し苦労をやめて、今日のことだけ考えていればいいのです。

だから、癌を宣告されたとしたら、そのときに迷えばいいのです。

そういうときには誰だって迷うのですから、そのときになってしっかりと 迷えばいいのです。

それが『般若心経』の教えです。

私は迷わない、といったことは、考えてみると『般若心経』の教えに反する ものです。
『般若心経』がわれわれに教えてくれているのは、迷っていいのだよ、大いに迷いなさい、ということです。

それを、偉そうに私は迷わない、と断言する なんて、もってのほかです。

われわれは、もし癌を宣告されたらどうしよう...と、なにも取り越し苦労をする必要はありません。

浪人生が、来年も受験に失敗しら....と思い悩むのも取り越し苦労です。

いっさい、取り越し苦労はやめましょう。

私たちは、取り越し苦労はやめて、そのときになって真剣に考えればいいのです。

・・・なるほど~。
一日、一生!
毎日、精進!
生きて死ぬまで皆平等に与えられた課題です。

2019年の日記より

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なぜ

死にたいなんて言葉を気安く言える?

お前の親は、お前を死なすために産んだわけじゃねーだろ?…

なぜ
気分で死にたいなんて言葉が出る?

死にたいなら死ねばぃぃ。

お前が死んで笑う奴なんてどこにいる?

泣くだろ?…

生きたくても生きられない人は、この世界には山ほどいるんだ。

その言葉で沢山の人を裏切ってるんだぞ…

おまえのことが好きな人はどーするんだ?

お前を愛している人はどーなるんだ?

お前の友達も…。

悲しいのはお前だけじゃない。

辛いのはお前だけじゃない。

そんな言葉はもぅ一生言うな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記は、

16才のお誕生日を迎えたばかりの少年が
「生還した!」

「死にたい」とすぐに口にする友人に向けて

書き込んだ言葉

若者が夢を持てない・つまらない世の中を作っているのは...

傲慢・自己中心的、世間体を気にしたイイ人ぶりっ子などの大人!

目標を懸命に模索しながら、しっかり生きている若者もたくさんいるんです。

踏ん張れ!子供たち・若者!

頼りない大人たちは大いに反省するべ~し!

生まれた以上いずれは死を迎えます。

死んでしまいたいような辛く苦しい場面は、
人生の中では誰もが一度や二度はあるかと思います。

軽々しく口に出すということは、周りの人間をも巻き込もうとする行為。

単なる自己満足。

打開策を見つけることのほうが余程価値のあることだと思います。

本当に死んでしまう人間は、周りに黙って死んでしまいます。

若い頃、私はそんな友人を二人亡くしました・・・

本当の自分の姿を知り認めることが

「生きる意味」

でもあるのかも知れませんね~

カウンセリングの中で人のことよりも
自分を理解できていない人が意外と多いと・・・

本当に感じます。。。

「馬の耳に念仏」

状態であるのならば聞かなきゃいいのに。

要するに愚痴、。

自分を分ってほしいだけで
、本気で変わる気すらないんですよね~。

てんのいと
こころのいとより抜粋

#てんのいと#霊界#死にたい人へ #偽善者#自己中心的#かまってちゃん #生還
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弘法大師が胸元に持っている五鈷杵という法具。

生前に入院していた父が肌身離さず枕元に置いていたことを思い出した。
私の手元にある五鈷杵は、父を供養するために弘法大師が胸元に持っているものと同じものを
何もわからず・知らずの25年前に取りあえず購入したものでした。
 
供養というものをどうやって行うのかすらわからず、法具だということ以外の使い道も知ることもなく、興味もなく遺影の前に飾っていました。
 
 先日、名古屋へ出向いた時、汚くなったその五鈷杵を見られた方が見るに見かねてわざわざ持ち帰って磨いて下さり、翌日に持ってきて下さいました。
お陰様で真鋳で出来ている五鈷杵は驚くほどピカピカになりました。
 
ともかく25年間一度も磨くことすらせず、薄汚れてしまってましたからね。
 
 それから、その方とホテルの部屋で3~4時間さまざまな話をしていました。

私は余りにもピカピカになった五鈷杵が嬉しくて、話しの合間に手に取ったりしていました。


 
私の持つ五鈷杵は20cmくらいあります。
五鈷杵は両側に4つの爪が付いており、中央に1本の柱になるようなものがあります。

写真が少しピンボケしていますが・・・
 
そして、、、
いつもの如くあり得ないことが起こりました。
 
その片方の4つの爪部分の2つが、私達が話している間にくっついてしまった!

吃驚です。
ありえません。
 
この五鈷杵は真鋳で作られてる為、男性の力でも曲げることはできないほど頑丈にできているからです、、、
 
25年持っていた五鈷杵。
何が起こったのか・・・⁉︎
 
磨いて下さった方も何度も首をかしげておられましたが、、、
どうしてなのか、、、
解らないものは解らないです。
 
あり得ない現象には慣れっこになっている私ですが、形として残ってしまうと、、、
気のせいでは済みません、、、

何でもありの私ですから、、、
いつものように深く考えないことにします
(苦笑

2019年の記録より
 
 
#五鈷杵
#霊界
#法具
#弘法大師
#不思議な現象
#形見
#真鋳
#魂
#意味不明
#てんのいと
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本当は・・・

目に見えないと思っている世界がリアルで
目に見えていると思っている世界が
光を失っていて思い込みだけの世界なのかもしれない

・・・っとフッと感じることがある。

価値観は、時代と文明により変動し人間の本能を狂わせ
そして、余計な想念が生まれる。

迷う奴らが(オバケ)増えたのも人間の自業自得なのかもしれない。


もう油断も遊び部分も大分なくなってきていると感じる。

二極化がドンドン進み、
少しの隙を見逃さない奴らがそこにいるのを感じる。

何かよく判らないが、、何とかベルトのせい?
何かよく判らないが、、ダブっているせい?

本当は、

辛い今こそブレてはいけないのだ。



そして今こそ自分のブレを正さなければいけないと感じる。

理解できない者はドンドン理解できず

理解する者もドンドン深くなっていく

そこには焦りよりも不安よりも

確信が必要なのだ。


キレイな悟りの言葉ではなく、

身の周りからそれはサインを送っている

中途半端な情報でなく

ピュアで素直な感性が必要なのだ。


人の作った教科書なんてない。

目印は至る所にある。

ただ見えていないだけ・・・



教科書は必ず自分の中に隠れている。
人間に大差はないのだから。

ただ、踏ん張る仲間は必要‥

単なる傷の舐めあいの仲間は不必要


心はいつもオープンである。


一代で巨万の富を得た人は

心がいつも寂しく幸福すら感じれず不安で迷っていた。


私のこれまで見た人、全てと言ってよいほどそうでした・・・

夢を人に向けている人は
いつも目が輝いて何が自分にとって幸せなのかを判っている人でした


所詮ひとりでは幸せを味わえない

のが人間の本能の幸。


だから人間で生きてることが

修行なんでしょうね・・・


心が乾くと生きる気力すら

失うようです。


水を与えるのは神ではなく

紛れもなく人間同士なのですね。


植物は一見キレイですが、

私の撮ったドアップの花

どうですか?


凄く自分を主張しているでは

ありませんか?私は懸命に生きているって。


色も形も

これでもか~っというほどに

グロテスクなくらいです(笑)

今は、誰に限らず

踏ん張りどきですからねっ。




2017年てんのいと記事より

#てんのいと
#死後の世界
#魂
#霊界
#今世修行
#感謝
#一日一生


亡くなった父が頻繁に
夢に出てくるようになりました。

生前、
法力にたけていた父の寺には
全国から
酷い憑依の人、
回復の難しい難病の人、
また家庭環境の複雑な中高生などを預かり更正させる等々‥‥
寺はどんどんと大きくなりました。

もちろん私たち家族は寺と別々に
商売しながら生活をしていましたから、互いに日常の些細な様子は分からないままでした。

毎日多忙な父は元々おおざっぱなので金銭的なやりくりには金庫番なる男性に任せていました。

ところがある時、
その金庫番の男性が消えた。
それも手形を乱発して‥、。

どんどんと増築しながら
大きくなった寺は
たちまち火の車になりました。

最終的に寺の負債は約五億円。
寺も家も競売は免れませんでした。

そして父は病に倒れ

二年ほど闘病しましたが亡くなりました。



私たちの生活は手形を乱発して逃げた金庫番のために一変していました。



カリスマ性のある父と違い、

何もできない母親を知っている従業員たちは目に見えて好き放題するようになり、母といえばストレスと

不安から投げやりになり‥

今でいう鬱状態でした。


しかし、当時23才の私は悲観する間もなく、生きていくためには現状をどうにかするしかありませんでした。


数件あった店舗を何とか整理しながら銀行と話しをつけて

ようやく落ち着いてきた頃、

夢の中に亡くなった父が時々でてくるようになり‥、成仏できず

さ迷っているのが私には分かりました。



でも生前の父が話していたのは

「法力を使っていた者が迷うとあげ    ること(浄土へ送ること)は出来ない」

父の力をもっても出来ないと

言っていたのです。

多くの人たちを助けるために翻弄していた父があがれない?

私は悲しくて仕方がありませんでした。

裏切った人間が許せませんでした。




私は幼い頃からたくさんの
不思議な体験をしていましたが、

巷の祈祷僧や霊能者なる人たちの

ことは全くといって良いほど信用していませんでした。



それは父が回復の望めない病を治したり、風もないのに物を動かしたり、遊び半分でアルミ缶や割り箸をくっつけたり、方位磁石をクルクル回したりするのを目の当たりしていたので、その力の差は比にもならなかったのです。

また幼い頃から私の家庭環境も良くなかった。

しかし、祖母の影響で神仏は信じていても神頼みや占いなどで幸せになれないという考えがありました。


それは父の二度の失敗をもろに被ることになった経験から、現実的な

努力しかないというのが基本となっていたのです。



その頃の私からすると現在の私の

スタンスは青天の霹靂で信じられないことです。



そんな私でしたが、さ迷っている父を放っておくことは出来ず浄土に

あげると決心したのです。



あまりにも不憫で可哀想すぎます。
一生かかっても成し遂げると決めたのです。

さて、決心したものの父が桁違いの法力があったとはいえ側で見ていたわけでも学んだわけでもなく私は何も知らない‥分からない。



私は父の小さな写真を飾り

経をあげるでもなく心を込めて祈ることしかできませんでした。



ある日、見るに見かねたのか父の寺で三年修行経験のある弟が、
自分が寺にいる時に父からもらったという経本と数珠を私に差し出し

「般若心経をあげたらいいと思う」という。



それからというもの朝と夜には三度づつ般若心経をあげながら様々なことを調べ模索しましたね、本当に。

どうすれば浄土にあげることが出来るのか?僧侶でも出来ないのに?



しかし、なんせ自分で決めたことです、やるしかない。


試行錯誤しながら四年半も過ぎた頃にとうとうその祈りが届きました。

それは一瞬でした。

父が上がったことが分かりました。




数日後に父が夢に出てきました。
とてもリアルな夢でした。

それは六道の見合った世界で修行をやり直している父の姿でした。



とうとうやりました!

上手くいったのです。

たったの四年半。されど四年半。



その後、5年ほど経った頃に

自然療法とは何なのか?との

ヒョンな疑問から医療機関では原因不明で回復しない体調不良を改善させることが出来る自分がいることを知ってしまったのです。

私のボランティアが始まりました。



心霊とか魂など目に見えない世界を力説するのではなく病を治せば

そんな世界を立証することが出来ると考えたのです。



私は様々なことを調べ実践して身につけました。全て独学ですが
要は言葉でなく所詮は結果です。

結果がでなければ学んでも、

修行なるものをおこなっても

絵空事で意味がない。



どんどんと深く掘り下げていくうちに魂の世界の深さとその意味を
知ってしまいました。

そんな中で私の知り得たことと同じようなことを語っているのが
「原始仏典」でした。

現世利益を望む現代人には内容が厳しく受け入れがたい教えですが
魂の世界の的を得ています。

真理は時代が変わっても
同じなのです。

生きている時が全てと考えている

人間には手に取ることも

必要もない本ですが。


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腎臓透析と診断され寸前のところで突然回復したり胆石やガン細胞が消えたり
 
ニトロを服用していた心臓が回復したり原因不明の病の回復など説明のつかない様々な結果が出ました
 
実際に今も医学的に限界のガンの方などとも関わっています
 
この方の身体は施術のたびに反応しています
これも本人・傍にいるご家族には理解できること
 
病の全てが霊魂に関係していると考えるのは危険ですが全く関係ないとも言えないのです

実際、緩和ケアの域に入ると突然スピリチュアルなことや宗教的な部分でのケアが必要になるようです
 
人は自分の死が目の前にぶら下がった時に死後のことを真剣に考えるようになる
死というものと向き合うのです
 
私は依頼者と身内の死という場面を一緒に関わることがあります

そして説明のつかない不思議な出来事を目の当たりにしたご家族の方々も、神仏や霊魂の世界を再確認したり確信したりして、それまでの価値観が変わったりします
 
私は全ての人に私がここでお話していることを理解してもらおうとは考えていません。なぜならば、いずれは必ず皆、死を迎えるのですから身体がなくなれば分かることだからです

私はそれを確信しているので理解しようとしない人はそれはそれで良いと考えています
 
自分の死を迎えた時に、戸惑い翻弄するのは本人です
 
魂の世界はあるのです
 
ただ、成仏できなければ残った家族に迷惑をかけることになるかも知れない、、
要は残された者に宿題を残す結果になることが多々あるのです
 
実際に私はそんな霊魂と会話してきました
 
そして必ずそこには今、生きている人間の病や苦悩があるのです
 
その場合、傍にいる霊魂は、生きている人間の耳元で懸命に話しかけているのに無視され続け、終いにはヒステリックになり何らかの形で訴えようとするようになるのです
 
自分が懸命に話しているのに無視され続けたら、あなたならどうしますか? 

これと同じ状態なのです
そのうち生きている人間側は具合が悪くなる
 
それはネガティブな負のエネルギーが少しずつ身体に浸透して自分の弱い部分に溜まっていくからです
 
生きている人間は、何も分からないので病院へ行く
 
病名がつけば、まだ良いのですが、病院へ行っても原因不明とか、長く改善しないなど後々苦しむ結果になり藁をもすがる思いで様々な方法を探す、、、

身体が回復すれば方法などはどうでも良いと思うようになり、そこに浸けこむのが自称霊能者、えせ祈祷師、カルト的な宗教です
 
私と知り合う前に多額なお金をいろんな所や物に使った人が多くいました
この気持ちは、そこまで病んだ人にしか分からないかも知れません
でなければ、目に見えない力など興味もなく信じもしないでしょう
 
すでに身体は悲鳴を上げ精神的にも限界がきているのです
 
そして、私の所に来られるのです

全ては必然なのです
自分たちの分からない所で魂の糸が絡み合っているのです
 
私はさまざまな魂と様々な会話をし、それを知りました
 
しかし出会いとご縁は微妙に違う

時々は負の出会いもあるのです

 それは、自分のカルマの清算の出会い
その出会いによって窮地に立たされても、自分で越えなければならないハードルなのです
 
そして、そこには学びが隠れています

ある一定のレベルの魂に尋ねたことがありました
「前世で家族であっても今また出会い、それが自分にとって良い出会いではない場合は何故なのか?」
 
「家族は元々、自分で選んだ修行相手なのだ。
上手くいっては修行にならんからな」
 
この言葉を聞いた時に自分の家族を置き換え考えた私は納得できました
 
自分と気質の違う相手こそ、自分と違う視点で物事を考え行動する
 
似ていると居心地よく、また利点もありますが、必ず、かばい合えない部分が出てきます
 
自分のことのように心配し、かばってくれるのが家族なのです
 
悲しいかな、、、
なかにはそうでない家族もいますが・・・
戦国時代などは、
親子・兄弟でも殺しあっていたのですからね
 
そして、自分と似ているようで似ていない価値観の違う家族が助言し、本人も気付ていない所を助力する
 
よくよく考えると、上手くできています
 
普段は、感性の違いでぶつかることがあっても家族だから許し許されるのであり、それだからこそ許せなくなることもある

 他にも魂に尋ねたことですが、赤ちゃんはこの親の子に産まれたら自分の環境がどうなるか判断して選ぶ
 
勿論、その時々の親の判断で大きく人生が変わることもあるのですが、生まれ降りる魂は大きな賭けをしているのです
 
もともと子は親よりもひと回り大きな成長した魂が降りて来るのです
 
 生まれた時は皆、天使
悪魔にしてしまうのは紛れもない親なのです
 
子供は親次第
いくら親が社会的に体裁もよく完璧でも子供が犯罪を犯すことは親にも重大な責任があるのです
 
よく観察してみると大体は子供への愛情不足、またはペットのような無責任な溺愛からであるような気がします

お天道様はお見通し

2012年の日記より

#てんのいと
#魂の世界
#霊界
#家族愛
#修行
#因果応報
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マトリックスの仮想空間は私たちのいる
今ココ。
まさに本来の姿の作用ですね。
私の行なっていることでもあります。

自分で発するネガティブエネルギーは、人を傷つけ結局は自分をも傷つける結果になるのですよね。

何事も原因は自分の中に隠れています。

記憶があるないに関わらず、自分の蒔いた種は自分が刈り取らなければいけない。

必然の結果なのです。

心が震える感動する話がありますので紹介します。

祈りは通じる✨

アメリカの研究でこんな実験がありました。

末期がん患者を無作為に選んで、AとBの2つのグループに分けます。

彼らから遠く離れたところに住む
10人の健康な人に、Aグループの患者さん
10人の名前を伝えて回復を祈ってもらいます。

Bグループの患者さんには、まったく何もしません。

その結果は驚くべきものでした。

祈ってもらったAグループの患者さん
(自分が祈ってもらっているとは知らない)は、
あきらかに回復率が高かったのです。

祈っている人は、相手が誰かも知らないし、
祈ってもらっている人は何も聞かされていない
にもかかわらず、、、です。

ニューヨークの病院の患者さんでもロサンゼルスの病院の患者さんでも
同じ結果になりました。

祈りの効果には、距離も関係がないことが
わかったのです。

現代の科学では、そのメカニズムはまったく解明されていませんが、その効果は科学的に証明できたわけです。

それほどまで祈りには力があるのです。

私がおもしろいと思ったのは、祈るほうもたいして信心深い人ではなく特別に気合いをいれて祈ったわけでもないのに効果があったという点です。

キリスト教や仏教の熱心な信者でなくても、
自分の祈りの効果を信じていなくても、
効いたというのですから驚きです。

自分のために祈っても無心の状態にはなれませんが、誰か自分よりも大変な人を思い浮かべて
祈ってあげると一生懸命になれます。

あなたよりも経済状態が悪かったり、
病状がひどかったり、
人間関係に苦しんでいたりする人のために、
ぜひ祈ってあげてください。

そういう人が周りに思い浮かばない人は、
外国で戦争やテロの犠牲になったり、
食事を満足に食べれない子どもたちのために、
祈ってあげてください。

すると、不思議なことに、、、
心が安らかになってきます。

無心になって人の幸せを祈ると、
自分にもそれが返ってくるからです。

愛は、差し出すことで、
いくらでも自分の中から湧いてくるという
不思議な性質を持っています。

でも、相手からその見返りが欲しいと思った途端、愛が返ってこないと感じて
イライラしたり落ち込んだりします。

欲しいと思うと手に入らないのに、
他人にあげようと思った途端に
手に入るとはユニークな仕組みです。

人間の心に、この仕組みがプレインストールされているのなら、宇宙の摂理がそうなっているのかもしれません。

もし神様がいるとしたら、
ユーモアのセンスがありますね。

「与えるものは、与えられる」ので
誰かのために祈ってあげてください。

2017年の日記より

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てんのいと(天の意図)
てんのいと
実践から知り得た真実・・・そこには民族や宗教というカテゴリーは存在しない・・・ ただ【魂の法則】があるだけ・・・ *立証するためのオーブ写真・動画・録音などたくさん記録いたしました。 被験者と共に実体験から得た本当の魂の世界。
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これは、朝日ですか?
それとも夕日?

 
実はそんなことなどはどうでも良いのです。
 
朝日も夕日も同じこと。
光が差しているのか、いないかの違いだけで
自らがそれをどう捉えるのかだけのこと。
 
日本は元々、旧暦でお正月を迎えていました。
それは季節の変わり目、作物のバランス、、、
もっと大切なのは体のバランス。
 
人は嫌でも毎日、食せねば生きられない、、
 
全てが便利になった現代では西暦で充分なのかもしれませんが、わたし個人的には先人の知恵を捨てるような・・・
そんな寂しいことだと感じています。
 
私のお正月は世間と違い、西暦2月5日のようです(苦笑
 
人は100%間違いなく死にます。
 
朝日も夕日も・・・
人が光に魅力を感じるのは、そんな気構えを魂が理解しているからなのか?
 
魂と戦い終わりギブアップしたその霊が云いました。
 
「あげてくれ!帰りたい」
 しかし迎えの光が中々こない。
 
誰にでも光が迎えに来るとは限らない、、、
ということですね。

仕方がなく・・・
更に懺悔させ心から詫びさせました。
 
{お天道様はお見通し}とはこのこと。
 
光はあがり損ね暗黒の闇にいる霊たちにとり希望なのです。
魂の逝く場所によって迎えの光の種類も鮮明度も違うようです。
 
「ここも真っ暗。だから生きている人間にへばりつく。
この身体から出して、行く所を創ってだしてくれ!」
 
 
生きている間は光のありがたさを知ってか知らずか、朝日や夕日が好きな人は多い。
 
魂(自分)が自覚しようがしまいがそれが自然の摂理のようです。
 
・・・なんて様々な事柄を考えながら
窓に差し込む柔らかで厳しい朝日を感じています。

2019年てんのいとの日記より

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