けれど、
自分を削り続けることにも
限界がある。 

ボランティアを続ける
私を見て、ある時
長く会話を交わした
名の残る高僧は
人を眠らせ声帯を借り言った。 

 「何故にお金を貰わぬ? 
  ワシらは寺までも建てて
       もらったぞ」 

 数年もの時間をかけて思案の末、
 「お金は悪」
という呪縛を解き、

正しい循環を生み出すことは、
自分を守るためだけではない。

相談者と私との間で真剣に
向き合うための
「覚悟」の
証ではないのか。 

 長い時を経て、 
 私はようやく気づいた。


苦々しい出来事の始まり…、
2014年初頭…

私が本当の魂の世界を
広めようと悪戦苦闘している
時のこと…

私の初版本を読んだという
業界の人間から
「題材にさせてほしい」
と持ちかけられた。

私を支えるためにと、
スポンサーを引き受ける
人物まで現れた。

当初は本気だったのだろう。
病み上がりの体を整え、
精神的にも支えた。

もちろん、
彼らも説明のつかない摩訶不思議な事や神秘的な体験もされた。

しかし、
途中から話が二転三転し、
結果的には騙され、
逃げられてしまった。

弁護士を立てても
「無い者からは取れない」
私は泣き寝入り。。。

このように、
「出世払いでいい」
と施しを与えても、
ほとんどの者が良くなれば
知らん顔をするか、
去るための言い訳作りに
私を悪者にした。

それもそのはずだ。

例えば、軽自動車が普通車に
なり、次はベンツへ。

人間の
「出世」や「欲望」
にはキリがない。

だからこそ、去っていくのだ。

悲しく、
そして愚かなことだと思う。

このような行いは
魂に深く刻まれ記録となるに…。

次回、彼らが新たに
憑依されるとしたら、その空席に
今度は煩悩の塊のような
法力悪僧や落ちた眷属にでも
入られるだろう。
欲はドンドン深くなる。

そして、本人はそれも分からず
力が付いたと勘違いする。

憑依されているのだから、
それも当然の結果。

それこそが悪霊の
「格好の獲物」
せっかくの更正も霊感も
歪んでいく。

また憑依されている自覚があるのであれば救いようもあるが、
分からない人間がほとんどだと
高僧は言った。

「誰でも出たり入ったり
  されておる」



今は、
何を思うでもなく、
ただ己の人生を振り返っている。

未来への不安よりも、
この胸を占める空しさを埋める
ことに、私はもがいているのかもしれない。




お金を受け取ることは、
「慈悲の心を汚す悪ではないか」

そんな思いに縛られながら、
私は家族の生活を支えるため、
過酷なブラック企業で働きつつ、10年以上にわたり無償で
人生相談や憑依による霊症
を引き受け続けていました。

切実な悩みを抱え、
藁をも掴む思いで
やってくる相談者たち。

彼らと向き合うのは、
仕事の合間や深夜。

幼い子供の育児にも追われ、
自分の時間は一分一秒たりとも
ありませんでした。

しかし、
一度かかわった以上、
途中で手を放せば相手をさらに
貶めてしまうかもしれない。

本当の怖さを知っている私は
その恐怖から、
止めることができなかった。

相談者は「無償」という
安堵感からか…、
時にこちらの状況を顧みない。

具合が悪くなると時間構わず
電話が入る。

私の過酷な日常を
想像する余裕など、
彼らにはなかったのだろう。

それでも、
彼らが救われることが
私の喜びでもあり、
自ら選んだ道だと
自分を納得させていた。

私はこの実践を通じて、
多くの真理を学んだ。

魂の世界の深遠さ、
死後の真実、
神仏という存在の役割。

最初は
「仏」の力に導かれていたが、
研鑽を積むにつれ、
それは
「神(自然エネルギー)」
という、より大きな領域へと
移行し、
同時に宗教の壁をも
超越してしまった。

渡米でのシャーマンとの戦いに
対処できたことが証になる。
勿論、相談者は正常になった。



死してなお、現世で志を遂げようとする名の残る高僧の魂。

人間と共に修行に励む
人間でない異質の魂の存在。

善悪を超えた多様な
エネルギー体が渦巻く中で、
知れば知るほどに私たち人間は
「生かされている」
のだということを
痛感させられた。

しかし、
目に見えない世界を
扱うがゆえの苦悩も深かった。

私の献身を裏切り、
恩を仇で返されることは
少なくない。

それが何よりも悲しかった。

「結果には、必ず本人の中に
   原因が隠れている」

という現実を、
嫌というほど突きつけられた。

私には本人の気質や性格を
直すことなどできないのだから。

私は神でも仏でもない。
血の通った一人の人間に
過ぎないのだ。



相談者の精神的ステージが
上がる直前には、必ず本人に
不可解な出来事やトラブルが
訪れる。

人の善意を平気で踏みにじるような、…
次のステップへ移行する際の
歪みとして、
信じがたい問題が必ず起こる。

これらは彼らの脆弱さを試す
「見極め試験」なのか。

それとも憑依体質特有の
精神的に耐えられない
貧弱な気質ゆえなのか。。。

あるいは、私自身が
試されているのだろうか。

裏で自分を正当化するために、
私を悪人に仕立て上げる
人間もいた。

都合よく利用される行為を
「仕方ない」と
割り切れるほど私は強くないし、ボランティアで生きていけるほどの支えもなければ、
生活に余裕があるわけでもない。

人間の良心を信じたい。

けれど、自分を削り続けること
にも限界がある。


昨年のお話です


遺品整理で見つかった
親御さんの数珠の処分について、施術の際にご相談を受けました。

魂の世界のことを
知ってしまうと、
自分たちでハサミを入れて
処分するのが怖いとのこと。

そこで、私が1本ずつ糸を
切ることになりました。

その最中、
ご姉弟の弟さんが
「足がつった」
と言いながら、
縁側の椅子のほうへ
歩いていかれました。

当時の私は数珠を切ることに
集中していたため、そのことには気づいていませんでした。

しかし後から考えると、
弟さんの足がつったのは、
まさに私が数珠を切っていた
タイミング。

私は
「もしかして……」と思い、
「これを足の裏に塗り込んでみて」
と、手元にあった○○粉を
彼の手のひらに乗せました。

「えっ!これを足の裏に塗っても良いんですか!」

「いざという時のための
ものだから大丈夫。
もしこれで治ったら、
それ、オバケ(霊的な影響)
の仕業よ」

そう言ってつっている
足の裏に塗ってもらうと……。

「あれ~、治りました!」

帰り道、
この不思議な出来事に
興奮が冷めやらぬ様子で、
お二人の会話の話題は
尽きなかったそうです。


このように、
実際に体験・体感しながら、
さらに深く魂の世界を
理解していくのです。

目に見えない世界だからこそ、
実際に体験しないと、
本当の意味で伝えるのは
難しいと感じます。

ふざけた名前を付けた
○○粉ですが(苦笑)

陰でこれの真似をして
作っている人もいるようですが、同じものを作ることは
私にしか出来ない材料が
入っていますし
絶対に不可能です。

それに、
○○粉を使ったことで、
突然隠れていたものが驚いて
表面に出てくる
(霊障などが表に現れる)
こともあります。

ですから……誰にでも
売れるものではありませんし、
売りたくもないのです。

もし最悪な状態に
陥ったとしても、
私とご縁のない方は
連絡すら取れないわけですし。

私は、微々たる儲けなど
眼中になく
考えてもいないのです。



以下の動画は
歴史好きの方々には必見。



私たちの知る歴史が
真実とはかけ離れ、ねじ曲げられていたということを
憑依という形で
人間の体と声帯を勝手に使い
真実を話しだし…
様々な人物と何度も会話した。

この動画は私にとっては
ある程度の答え合わせにもなり
興味深かった。


求めていないし
しかし……
逃げることもできず
気がつけば30年以上の
その時々の経験の中、
そんな出来事が
何度もあったのです。

その度に
残された歴史とは違う真実を
知り、その話が本当であるのか?確かめるために
改めていろんな角度から
調べてきた。

すると辻褄の合わない事柄が
必ず出てくる。

今ではインターネットがあるので調べることも容易くなり、
突然に会話が始まることが
あっても
手軽に携帯電話の
録音機能で会話も残すことが
出来る。

またそれは、
話している当の本人の記憶が
全くない場合も多いので
後で一緒に検証するため
でもある。

長年にわたり
歴史の探究をしてこられた
関氏が
興味深いお話をされておられる。

私のこれまで会話した霊魂
(要は本人)
から知り得た史実と
照らし合わせても
辻褄のあう話が聞けて
とても興味深い動画でした。


以前ご紹介した、 

ご自身の体験談を記録として

ブログに
残されている方。


 医学的な観点から、 

少しずつの体の変化や

 数値の変化をアップされました。

 

どんなに宗教などにおいて

 立派な立場や肩書き、 

特別な力を持っていると 

自負していても…… 


自らが病を抱えていたり、 

家族が奇妙な病を

患っていたり、、、

子は親の背中を見て育ちますから親がブレブレだと子供は

情緒不安定になっています。


そんなことは、

地に足をつけ 自らを

俯瞰して真実のみを見、

また真の力を

持っているならば、

あり得ないことです。

 

結果が出なければ、 

単なる【自惚れ】 

と言われても

仕方がありません……


何の意味もない、 

所詮は

自己満足の妄想といえます。 


 特に、 

医学的な限界にある病の場合、

本人や家族は 

どんな方法であれ、 

良くなればそれで良いと 

考えます。 


 もちろん、

生活習慣や食生活の影響も 

あるとはいえ、

病になるということには、 

寿命でない限り、 

それなりに

深い意味があるのです。 


様々な角度から考察し、 

全体を観察しながら、 

その時々での正確な判断を 

していくことが重要になります。


 まるっきり同じ

というこはないので

すべては、マンツーマン

(一対一の対話)
です。


    体験を綴ったブログ

浮浄霊などを一時的に弾く

だけでなく、本当に 

成仏させる力があるのなら、

少々の体調不良など、

瞬時に治せるはずなのです。 


これができて、 

あれができない、

ということはないはずなのです。 


宗教を含め、オカルトや

スビ系のいい加減な

情報が蔓延している現状は、

嘆かわしいことだと 

つくづく感じます。。。


記憶が飛ぶ | てんのいと(天の意図)

https://ameblo.jp/tennoito/entry-12411349810.html



疲れました…

ホトホト。。。


自分一人でクリアしたと

勘違い…


私がそのほとんどをクリアして

せっかく回避したのに...


死んでしまうかもしれない…

狂ってしまうかもしれない…


その思いはいったい何処に

いってしまったのでしょうか…


あのすがるような瞳と

涙はなんだったのでしょうか…


それすら忘れて…


理解できない?

しようとしない?人間は

同じことを繰り返す。。。


憑依体質が治るはずもありません

上には上がきますから…


いずれは病になるか、

家族に飛び火するか、

連れていかれるか…

そんなことも何度も

話しているのに。。。


ある意味これは

いい加減な嘘つきを見抜く

基準になるかと思います


本人は繕って誤魔化しても

子供はブレますよ必ずね


子供のいない人には

申し訳ないのですが、

どのようなことでも

体験から学ぶことほど身につく

ことはないのです


スピ系や個人的な感覚を

結果もなく言い切る人は

妄想であることを

疑うべきなんです


(健全な魂=健全な体) 

そうであるのが当たり前

普通なんです


そうでない人の発言は

妄想癖・自意識過剰としか

いいようがありません…


私が本人を守るために

様々なことをアドバイス、

伝授しても

それも個々の顔が違うように

同じということもなく…


タイミングも違いますし、

浮上してきた問題に

対してのアドバイスも

違うのです


人生や環境が全て同じ

ということは

ありませんからね



そして、

私のアイテムは私なんです


輪廻転生の中で

積み上げないと出来ない

仕組みがあるということを

いくら証拠提示して

話しても話しても、

憑依体験していても

肝心なことに気がついてない…


自分の足元が見えていないのです

口では嫌といいながら結局は

不思議ちゃんの(お好きな人)


逝けば分かりますとも

自分のバカさ加減が。。。


すでに私も情に絆されず人を

選ばなければなりません

時間の無駄ですから


浮上霊や悪霊よりも

生きている人間のほうが

私にはよほど怖いと感じます


どうなろうが

私にはもう関係ない…






現代医学では
これ以上の処置はないと
いわれてしまい、
26歳という若さで難病に襲われ
人生の先行きが見えない暗闇の中、
母親は藁をもすがる思いで
他の対処方法がないのか…
探していたようです。




そして今は、
抗体は消えていないものの
体の痛みもなくなり
ごく普通の生活をされています。



記憶が曖昧になる前に…
初心を忘れないように…
記録としてブログに残すと
少しずつアップされて
おられます。

様々なことがわかりました。

先ずは原因を突き止めないと
的確な対処はできません。

要は
全ては結果なのです。

ブログのリンクは
記事の途中のものですが
冒頭から読み進めて
いただければと思います。

食生活なども大切なのです。

西洋医学・東洋医学…
そして私のような力。
ベストは三位一体の形が
理想的だと改めで
感じました…

当事者は良くなれば方法など
何でもよいのですから。。。



ここ数年のあいだ

お墓のご相談が増えました。 


その背景には、

皆さんの先々への不安が

あるのだと思います。


近年「寺離れ」の加速が

指摘されており、

長年培われてきた伝統や

寺院ごとの形式を急に変えるのは難しいのが現状でしょう。 


ですが、死は万人に等しく

訪れるものです。


孤立無援で旅立つ人

ばかりではなく、

多くの場合は遺族が

その後に残されます。


だからこそ、

大切なのは宗教の壁を

超えることです。





人として故人に対する

本当の意味での尊厳や

感謝の念があれば、

どのような見送りの形であっても、故人はきっと受け入れ、

満足してくれるはずです。


どのような供養の形をとるにせよ、人間はだれしも

「因果応報」

という言葉の通り、

自らの行いの報いから

逃れることはできないのだと

強く感じます。


ただ、これまで私の目の前で

おこった不浄霊との会話の中に

先祖からは「怒り」ともとれる

訴えのほとんどは、

お墓の放置によるものでした。


それらは浄土へ逝けていない

故人自身の因果の現れでも

ありますが、私には切ない

嘆きにも聞こえました。


「生前のお前は、

逝ってしまった人間の苦しみを

和らげるために、心を込めて

供養をおこなったか?」


私がそう投げかけたとき、

返答は生前に気付くことの

できなかった後悔の念から

にじみ出る言葉か、

あるいは

開き直りの怒りの言葉か、


ほとんどがそのどちらかでした。


せめて、お世話になった

身近な人への供養はなされる

べきことなのです。


世話になりっぱなしで

「ありがとう」の言葉すら

感じないのは、

人としての道徳を欠いていると

言わざるを得ません。


形式だけの法要などではなく、

まずは真心を添えることが

一番大切なことなのです。


自分が亡くなったときを

想像してみてください。


例えば、

見ず知らずの僧侶があげる

立派なお経よりも、

自分の子や孫のつたない

お経のほうが余程

嬉しくはありませんか? 


元来の供養とは、

そういうものなのです。


真剣に思考すれば

わかることなのでけれどね。。。


オカルト話がお好きですか?


真実を知れば全ての景色は

変わります


私からすれば

私などよりも

真実を知らない人間が

オカルトなんです…


妄想している人間も

勘違いしている人間も

オカルト、。 


逝ったら自らが

オカルトのネタになるだけ


特に人を欺き利用する

ずる賢い人間やらは

(類は友を呼ぶ)

世界へ移行するだけで

生きていた時のように

誤魔化すことも

できなくなる


楽しみですね~、

他人事なので

私は関係ないけれど…


そんな…

甘い世界でも

次元でもないのです



逝って知ればいい…





人の魂、そして身体が
ひとつの曼荼羅であるならば
それが私の想う
「曼荼羅=宇宙」
であるならば、そこには必ず
漆黒の穴…
ブラックホールがあるはずだ

この内なるブラックホールは
娑婆の世界に響く
魂の不協和音に合わせて
形を変える

だからこそ、
私たちは自らの闇の正体を
知ることができない

なんと厄介で、
愛おしいめまいだろう

それは魂の核に
直結し密やかに
絶え間なく形を変えながら、
私たちを静かに苦しめ続ける

いっそのこと、その蓋を
閉じてしまえたなら
何も迷うことはないのに

けれど、私たちが生きている
限り、
魂という光が
またたいている限り、
その影である
ブラックホールもまた、
永劫に消え去ることはない

光と影、陰と陽

裏と表は、けっして
切り離せない表裏一体

過去の魂が刻んだ記憶の傷を
私たちは誤魔化すことなど
できないのだ

しかし、
未来を紡ぐのもまた、
悲しいかな、この暗黒の穴

その闇が存在することこそが、
明日へと生命を繋ぐための
避けられぬ宿命の関所

…だとするならば
ここは仏教にいう、
閻魔大王の棲家なのだろうか

ブラックホールの先には
極限の闇があり
同時に、極限の光がある

そこは、色彩に満ちた世界

万物の色は
宝石のように艶やかに始まり、
その末尾へ、奥へ、深淵へと
向かうほどに
すべての色彩を融解させて
透明な「無」へと還っていく

それは
すべてを内包した七色の虹

どれひとつとして
欠けてはならない生命の
プリズム

あらゆる始まりがここであり、
空間はゆるやかに湾曲し
美しい「円」を形づくる

円の境界を越えれば
あとはすべて、闇

濃密で、あまりにも深い【黒】


それは
寄せては返す
「水」のような流動体だ

円は巨大な生命体のように
息づいている

その呼吸に合わせ
黒い水もまた、
怪しく輪郭を変える


その黒こそが
宇宙の深淵の色だから

この世に生命として
生まれ落ちた以上、
すべての存在は
すでに色を帯びている

それこそが
惑いと輪郭を持つ
「六道」の世界

だからこそ
ありのままの自然の色に
人間が勝てるはずもないのだ

生命そのものには
本来、形などない

ゆえに
そこには何の差別もない

ただ
この肉体を持って生まれた
瞬間に、宿命としての
「大まかな色」
が決まるのだろう

けれど
私たちが魂の旅路で目指すのは、
あらゆる色を超越した
その末尾にある「透明」

これこそが
菩薩の境界なのかもしれない

傷ついた魂や身体を癒す旅は、
自分だけのブラックホールを、
そっと見つめることから始まる

癒されぬまま
魂がその闇の関所を通り抜ける
とき、色彩はより深く
濁り、濃くなっていく

そして次にこの世へ
生まれ落ちるときにも
その濃い染みは残ってしまう

すべては
そういうことだったのか…

私は深く独り合点する
(これは、私の脳が映し出した根拠なき幻影。あしからず……)
 …2017年記述…