受験までの成績と勉強のこと① | 難治てんかん児のパパ日誌

受験までの成績と勉強のこと①

長くなりますので、2回に分けることにしました。


塾に行きはじめたのは中1の12月でした。

本人の希望でしたが、中学受験を経験したゆうとにはレベル高めの塾でないと暇かなと思い、地域柄もあってSAPIX一択でした。

中1では多分に漏れず、Youtubeとスマホゲームにはまり、勉強してなかったです。

塾に行きはじめてからは、少しYoutubeとゲームが緩和した印象でした。

塾の成績は入塾してから3カ月くらいは真ん中くらいをウロウロしてました。ゆうとより前からいる子に歯が立たない様子でした。

そういえば、小学生の頃から読書は好きでしたが、小説の他に「はじめアルゴリズム」や「数学ガール」といった謎の数学マンガを中1から読んでいました。

ママが本を買ってくるのですが、ママはゆうとがはまる本を選ぶセンスが抜群なのです。

そこからいわゆる教育系Youtubeを見まくるようになりました。はなおさんやヨビノリさんがお好みのようですが、今はパパがなんとなく数学Youtuberを見ていると、知らない人はいないというくらい見漁っているようです。

さて、教育系ユーチューバーに興味をかきたてられ、中2の夏期講習や冬期講習の狭間でK会、SEGの講習をとりました。K会は微分・積分、SEGはフェルマーの小定理・リュカ数列・フィボナッチ数列の講座をとりました。

K会はママが、SEGはパパが紹介したのですが、ビビりながらもYoutubeで予習して行きました。

ゆうとがサピにはK会、SEGに通ったことを言ったようで、反応は寛容だったようです。

成績は徐々にあがってきて、中2の春の模試では筑附80%が出ていたので、秋の模試では判定校に開成を入れるようにしました。

この頃の志望校別合格率は、開成55%で、他(筑附、渋幕、市川)は80%でした。

それが冬には志望判定校に筑駒も入れましたが、合格率はすべて80%判定でした。

出来すぎた中2生活はこんな感じでした。

なぜ初めから筑附を入れていたかと言うと、ゆうとは共学を希望していたからです。

なので、共学の最高峰を目標にしていましたが、80%がずっと出てしまうと気が緩む心配もあったので、模試の志望校判定は最高峰の筑駒を基準にしました。

長くなりましたので中3は次回にします。