■今日は13日の金曜日ですが、
それに相応しい「殺人の夢」を見ました(笑)
忌まわしいことに、
殺人を犯したのは僕でした(笑)
普段ネガティブな夢など見ないのに、
なぜ殺人の夢を見たのか……。
それは、13日の金曜日だからです(笑)

■今回の記事は、
【牢獄に入る覚悟(前編)】の予定でしたが、
それも関係して殺人の夢を見たのかもしれません。
また、先日の記事には書きませんでしたが、
高校の時に組んでいたバンドのメンバーが、
22歳の時に殺人死体遺棄で逮捕されました。

そのことも思い出したりしていたので、
殺人の夢を見たのかもしれません。
その前の記事ではヤンキー時代のことを書いて、
当時の過激な戦闘時代を思い出していたので、
それも関係しているのかもしれません。
高校時代のジェイソン与太郎

殺人の夢
さて、どのような夢を見たのか、
ストーリーの概要だけ書いておきます。
母親と幼少期の弟が、
ナイフを持った大男に襲われていました。
メチャクチャ強そうで恐そうな大男で、
しかも頭がイカレた感じの奴でした。
僕は母親と弟を守るために、
日本刀で大男に斬りかかりました。
しかし、大男は鋼鉄のように頑丈で、
日本刀で斬れませんでした
突き刺してみると突き刺さりました(笑)
そして何十回も突き刺しまくって、
ようやく大男は倒れました。
血まみれで倒れていましたが、
もし息を吹き返したら、
どんな報復を受けるか分かりません。
そして大ハンマーで大男の頭を何十回も殴って、
徹底的に頭を叩き割って完全に息の根を止めました。
僕は母親に言いました。
「こんな事件を起こしてゴメンな」
すると、亡き祖父が現れました。
祖父にも謝ると、祖父は言いました。
「いいや、お前はよくやった!」
確かに、
母親と弟を守ったという意味ではよくやったし、
やりすぎとはいえ一応は正当防衛だけど……。
そして僕は自ら警察に通報して、
警察が来るのを待っていたのですが、
待てど暮らせど警察は来なくて夢が終わりました。

夢分析
殺人に関する話が重なって、
殺人の夢を見たわけですが、
夢も潜在意識の投影なので、
占い師でもある僕は考察しました。
考察と言っても一瞬のことですが、
言語化すれば次のような理解をしました。
「俺の中には、まだあんな凶暴性が残っているのか?
いや、それはないはずだ。
家族を守るためにやむを得なかったのだ。
でも、あの大男が俺の投影であるなら、
俺は母親と弟に対して刃を向ける気持ちがあるのか?
いや、そんなことはありえない。
昔は母親と弟に無数の傷をつけて生きてきて、
内観している時にそのことを振り返るたびに、
胸がエグられるような自責の念を感じていた。
まだ、その自責の念が残っているのだろうか。
そのような念もとっくに浄化済みのはずだが、
たまに当時を振り返って胸を痛めることがある。
ということは、
深層意識にまだ少しは残っているのだろうか。
そうか!
あの大男は俺の自責の念・罪悪感の象徴なのだ。
自責の念や罪悪感は地獄を生み出す想念である。
それを徹底的に叩き潰したから、
祖父が「よくやった」と言ったのか!
おそらく祖父は、
守護霊かハイヤーセルフの化身だったのだろう。
警察が来なかったのも、そういうことだったのだ。」
(罪悪感は意識レベルの数値30)
ホ・オポノポノ
上記の解釈はさて置き……
夢も現実も潜在意識の投影です。
夢であろうと現実であろうと、
殺人を犯したことには違いありません。
当然ながら、
起きてからホ・オポノポノを唱えました。
ホ・オポノポノとは、
ハワイの伝統的なヒーリングで、
「全責任は自分にある」という原理に基づき、
潜在意識を浄化する言葉を唱えるものです。
「ごめんなさい」
「許して下さい」
「愛してます」
「ありがとう」
の4つの言葉を唱えるのですが、
「ありがとう」だけよりも、
「ございます」をつけると波動が高くなります。
また、難が有ったら「ありがとう」で、
嬉しいことがあったら「感謝します」と、
使い分けるのが良いと言われています。
実際には使い分けるというよりも、
セットで唱えるのがベターです。
例えば殺人の夢を見た場合でも、
難が有ったから「有り難う御座います」で、
それによって気付きがあったから「感謝します」、
という感じです。
また、水の結晶では、
「愛・感謝」という文字を見せた水が、
最もキレイな結晶を作ります。
以上のことから、
与太郎式ホ・オポノポノでは、
「感謝します」を付け加えた5つを唱えます。
また、「洗心」という言葉も効果的で、
サイ科学の関英男氏の測定によると、
般若心経よりも波動が高いそうです。
なので、次のように唱えました↓
「殺人の夢を見たのは私の記憶の何が原因でしょうか?
ご免なさい、許して下さい、愛してます、有り難う御座います、感謝します。
洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心……」
本当は内観してから唱えるのが良いですが、
とりあえず何かある度に唱えることです。
全責任は自分にあるというのは、
自分が見聞することは自分の投影だからです。
「これも自分の投影?」と聞く人がいますが、
投影していなければ見聞することはないのです。
目の前の世界がスクリーンだとすると、
潜在意識がフィルムで、
目が映写機のレンズのようなものです。
例えばAさん、Bさん、Cさんの3人が、
一緒に殺人事件のニュースを見たとします。
AさんにとってはAさんの責任、
BさんにとってはBさんの責任、
CさんにとってはCさんの責任なので、
3人それぞれが次のように唱える必要があるのです。
「この殺人事件は私の記憶の何が原因でしょうか?
ご免なさい、許して下さい、愛してます、有り難う御座います、感謝します。
洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心……」
もちろん、今この記事を読んでいる人は、
読んでいる人がこの記事を投影しているので、
僕が見た殺人の夢も各読者の責任なのです。
なので、次のように唱える必要があります。
「与太郎氏が見た殺人の夢は私の記憶の何が原因でしょうか?
ご免なさい、許して下さい、愛してます、有り難う御座います、感謝します。
洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心、洗心……」
僕は30歳からずっとそのように生きてきて、
今でも毎日ネットで悪いニュースを見たり、
人々から悩み相談や愚痴を聞かされる度に、
このように唱えています。
この話は奥が深くて長くなるので、
またの機会に詳しく書きたいと思います。
無罪の本質
罪の意識を感じないサイコパスもタチ悪いですが、
深く反省した後は罪悪感や自責の念を手放して、
いつまでもそれに囚われてはいけないのです。
もちろん僕は長年の内観によって、
そういうことは完了しているつもりでした。
さもなくば半覚醒はしていないでしょう。
しかし、上記の夢分析が正しいとしたら、
まだ完全に浄化し切れていなかったか、
最近また人間的な感情が出てきたことで、
自責の念が芽生えてきていたのでしょう。
それで夢の中で殺人というストーリーで、
自責の念の芽を粉砕したというわけです。
夢の中で警察が来なかったということは、
真理に照らし合わせて「無罪」ということです。
無罪とは「罪なし」ということですが、
本質的には罪は存在しないものなのです。
この概念は1つ間違うと危険なので、
あまり一般に向けて話せませんが、
本質的には罪は実在ではないということです。
昔、毎年元旦に、
ハイヤーセルフから1年の抱負について、
啓示を受けていた時期がありました。
2012年の元旦に受信した1年の抱負は、
「ポジティブ」でした。
僕はポジティブについて、
批判的な記事を書いてきたので、
腑に落ちないというか納得できませんでした。
真のポジティブとは、
ネガティブを否定したり排除せずに、
ネガポジ統合した「中心」だからです。
『日月神示』で言うところの、
「悪を抱き参らせよ」というやつです。
半覚醒に至るプロセスに於いても、
魔界戦争で魔王を倒して融合した体験があるので、
一般的なポジティブ思考に警鐘を鳴らしていたのです。
それなのに2012年の抱負が「ポジティブ」とは、
ハイヤーセルフは一体何を言い出すのか……。
半覚醒後はハイヤーセルフに質問をしても、
「自分で考えて分かることを聞くな」と言われ、
交信ができなくなっていきました。
なので、「ポジティブ」という啓示に対しても、
ハイヤーセルフに質問せずに考察し続けました。
すると、次のようなメッセージを受信しました。
「ポジティブとはひたすら謝罪することである。」
ますます意味がわからなくて困惑しましたが、
とにかく実践してみるしかありませんでした。
「ごめんなさい、許して下さい……」
毎日ひたすら心の中で唱え続け、
口に出して唱えたりもしていました。
すると、ある日、
「罪は実在ではない」
という深い境地の悟りが訪れて、
その状態こそ真のポジティブだと実感しました。
と同時に、小学生の頃に唱えていた、
生長の家の『甘露の法雨』を思い出しました↓
この一連の話が腑に落ちて、
深い理解に至った瞬間でした。
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