結局、宗教への無認識、学会への無理解が、いたずらに事態を紛糾させていたといってよい | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第11巻より編集)

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         〈夕張〉 1

 

 ・・・。

 

 これに対して、学会側は最後に言った。

 

 「あなたたちの言うことが分からないのは、私の方も同じだ。

 

 宗教と対決することが的外れで、炭労側の言っていることが、もし、なされるならば、明らかに憲法違反になるだろう。

 

 対決、対決というが、もっと話し合いをすべきなんですよ」

 

 炭労は、「学会のことはわからないが、対決の姿勢は堅持する」という。

 

 学会は、「炭労の言う”対決”の理由自体がわからない」というのである。

 

 討論は全くかみ合わず、不毛に終わった。

 

 その背景には、宗教に対する両者の考え方の大きな隔たりがあた。

 

 炭労の幹部は、”苦しい生活の問題は、組合運動によって基本的に解決できるのであり、宗教は、それを阻害するものだ”と信じているのであった。

 

 これに対して、学会の幹部は、”人間の根本的苦悩の解決は、正しい宗教によらなければならない。

 

 組合運動が生活改善の有力な一手段になることはあっても、部分的なものにすぎない”と考えていた。

 

 両者の認識と信念の懸隔は、どこまでも平行線のままであった。

 

 結局、宗教への無認識、学会への無理解が、いたずらに事態を紛糾させていたといってよい。

 

 それは、広宣流布の至難さを物語るものともいえよう。

 

 この紙上討論会が行われた午後の同じころ、夕張では、東京から派遣された澤田良一部隊長が、三林の留守宅で、地区の幹部から事情を聞いていた。

 

 そこに、夕張炭鉱の教宣部長が、突然、訪れた。

 

 

 

 

 『新・人間革命』は、くにまさのブログより→

 

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