(『人間革命』第11巻より編集)
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〈波瀾〉 12 完
この事件を、対立候補の悪質な謀略と、すっかい思い込んでいた関西の会員のが、驚愕のあまり、口もきけなかったのも無理はない。
まして、東京の地区部長が、首謀者の一人であったというのである。
この報道は、直ちに東京の学会本部にももたらされた。
戸田城聖をはじめ、首脳幹部の苦慮は深かった。「公明選挙をモットーとし、一切の違反をするな」と厳命して行った、このたびの選挙戦である。
このような、見えすいた、利敵行為にもなりかねない犯罪が、どうして行われたのか、理解に苦しむところであった。
一部の跳ね上がった会員の、軽率極まる独断行為なのか、あるいは、創価学会を陥れる策謀に踊らされたものなのか、不可解このうえなかった。
学会も、さっそく独自に調査を開始した。そして、事実を明らかにし、学会として断固たる処分に踏み切ろうとしていた。
しかし、創価学会始まって以来の、まことに恥ずべき不名誉な事件であることは言うまでもない。
有能にして高潔な人材を、政界に送り出そうとした選挙に、この愚劣な犯罪行為が、すっかり泥を塗りたくってしまったといってよい。
戸田は、この事件を契機に、検察当局の、創価学会に対する偏見が高じて、冤罪を被ることを心配した。
彼が、戦時中、獄中にあって取り調べられた経験から、それを最も恐れていたのである。
この彼の危惧は、残念ながら、単なる危惧には終わらなかった。
この年の五月中旬から下旬にかけて、寝耳に水のような事件が、二つまで重なったのである。
彼の晩年における最後の闘争が、始まりかけていたのである。