現実的な社会というものは、どうしても、安易に政治的に流されやすい | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第10巻より編集)

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         〈展望〉 11

 

 戸田は、一つ一つ頷きながら、じっと、伸一の話を聞いていた。

 

 私が、今、苦慮しているのも、まさにそのことだが、日本における広宣流布の展開を考えると、まるまる避けて通ることはできない。

 

 となると、単なる戦略に原理が歪められる危険は、絶対に避けなければならないことになる。

 

 これが難しい点だ。

 

 現実的な社会というものは、どうしても、安易に政治的に流されやすい。

 

 ともかく大聖人は、『日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外・未来までも流布(なが)るべし。

 

 日本国の一切衆生の盲目を開く功徳あり、無間地獄の道をふさぐ』と仰せになっている。

 

 この御精神に微塵も違わず応えていくのが、広宣流布の真髄だ。そのうえに立って、立正安国は、いかにあるべきかが課題になる。

 

 明治に入って、日蓮大聖人の仏法を国家主義的に解釈し、時の権力に迎合し、国家的計略の具にしてしまった、田中智学(大聖人の教義を歪曲し、国家主義に結びつけた)などの一派もいた。

 

 これこそ、大聖人様の仏法の歪曲であり、矮小化だ。

 

 われわれは、愚かな轍を踏んではならないが、その危険は、常にあると自覚しなければならない

 

 創価学会という、仏勅を奉じる団体が、政争に巻き込まれてはならないのだよ」

 

 伸一は、大きく頷きながら、戸田の目を見つめていた。

 

 戸田もまた、伸一を凝視し、話を続けた。

 

 

 

 

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