#22 せめて一輪の花を飾れ ~ 若者向けコンテンツ | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡暁 WEBエッセイ  ラストダンス
*****************
WEBエッセイ、第3回

 

                        

 

成長過程で辛い時期が長過ぎると大人になっても往時の苦痛、孤独、欠落感の記憶に悩まされることがある。多くの場合、欠落の補償行為、報復感情、距離感の不自然な対人反応、あるいは一方的な思い込み等々の様々な不具合が現れる。

 

当たり前のことだと私は思う。

子供の頃にしっかり根を張るべきだった生物としての巣や家族に対する安心感・帰属意識、またそこから生じる他者や社会への愛着と信頼について、実感も理解も薄いままに育ったからだ。

一言で言えば、心に「標準」がない。

 

成長過程で辛い時期が長過ぎると、時に、剣呑な感性を剃刀のように隠し持つ大人に育つことがある。

往々にして、相手かまわず「ノン(否定)」の刃を向ける。

社会や人間が悉く愚物に見え、事実愚物であったとしても、過剰な蔑視、嫌悪、憎悪が湧き上がる。

そんなネガティブな炎が、本来自分にも備わっている筈の、「真善美」を喜こび共感し得る魂を消尽させていく。その後はもう、他者への嫌悪・憎悪とその刺激にしか充足を見出せない栄養失調の魂が残るだけなのだが、若い時はこの無意味かつ深刻な消尽がなかなか自覚できない。

 

 

 

        

                  

 

仮に、真っ白で、きちんとして、他に何もない部屋に住んでいる若者がいるとしよう。

不安と、屈託と、冬の夜空にも届きそうな高慢さで、徒に夜ごと心を揺らせているとしよう。

だとしたら、私は言いたい。

 

その白い部屋に、せめて一輪の花を飾れ。

それができたら、次に一杯のお茶を飲め。

時間をかけて、ゆっくりと。

その二つができれば、それだけで、

生まれてきた甲斐があるというものだ。

 

                                    (2023.01.07)

 

 

 

 

吉岡暁 WEBエッセイ① 嗤う老人

 

吉岡暁 WEBエッセイ② ファッキンワールド、バット