昔は、夜汽車とか寝台列車とかが走っていた。
東京の貧乏学生だった頃、肉体労働のバイトでそこそこの余り金ができると、一人これに乗って旅行した。
東北や信州地方が好きで、特に米沢と松本に惹かれた。初めて訪れた時、(生涯、二度と来ることはないだろう・・・)と思ったが、事実、それ以降の長い人生で一度も縁がない。
冬、どこかの県の、どこかのローカル線の、名前も知らない駅で何時間も発車待ちになることもしばしばあった。そんな時は、待合室に必ず設置されていたダルマストーブが何とも言えず暖かかった。
あるいはまた、日の暮れかかる時刻、車窓に踏切が見える。どこの誰とも知れない母子が遮断機の向こうで楽し気に笑い合っている。それこそ生涯二度と出会うこともないだろう人々と、「カンカンカン」という音と共に一瞬すれ違い、別れて行く。
日が沈むと、車窓は鏡になり、(俺はこの先、どこで何をして暮らしていくんだろう・・・)などという思いに耽る二十歳の貧乏学生の横顔だけが映る。
社会人になると、車窓の風景ががらっと変わるのは誰しも同じ。
職種、境遇によって様々な景色を見ることになるが、もうそれは旅の車窓ではありえない。
輸出セールスマンになった私の場合、眺めてきた各国の光景もすっかり色褪せ、心に刻まれたものなど殆どない。
シンガポール、香港、フィラデルフィア、ソウル、フランクフルト、台北、バンコック・・・・今、私は何を思い出すか?図面、見積書、仕様書、設計書、製品見本・・・小狡いイタチのような交渉相手の顔付や体臭、・・・課せられた毎年毎月のノルマや原価計算、・・・あるいはまた、いちいち外国で領収書を確保する煩わしさ、安い宿泊手当では賄えないホテル代の清算等々、実に鬱陶しい記憶ばかりが蘇る。そこで、
(えい、クソ忌々しい人生だ。こんな筈じゃなかった・・・)と歯噛みしても、二十歳の夜汽車の車窓はもう戻らない。
*
君はあまり旅行が好きではないが、生きている限り、人はみんな夜汽車の旅人だ。
どことも知れない目的地に向かって疾走する車窓の外を、君の人生模様がびゅんびゅんと流れていく。
今はひどく深刻なように感じられる人間関係も状況も、つまる所、その殆どが芥のように取るに足りないもので、飛び去って二度と戻らない。だから、案じるな。
人生、そんなに重大なことは度々起きたりしない。
一方で、過去へ飛び去る風景に逆らうように、何人かの顔が君の車窓に留まるようになることがある。
列車は駆け続けるのに、その顔だけは後方に消え去ることなくいつも君の車窓に張り付いているとする。
いつも言うとおり、そういう人達は花を手入れするように、大事にメンテすることだ。
年単位の長い長い時間のフィルターにかけられても、なお車窓に留まっている人は、おそらく君の人生にとって金では買えない生涯の宝となる可能性があるから。
*
さて、私の車窓。
君の顔がべた~~と張り付いてから剥がれるまで十数年かかった。
正直、本当に長かった。
剥がれた後の一種の虚脱状態について、旧友Aから「おい、抜け殻」などという屈辱的な揶揄を受けたほどだ。そんな君も、今やイッチョマエの社会人らしきことを口走るようになった。喜ばしい限りではある。
だから、せめて正月の帰省くらい「大晦日の夜にひょいと現れ、元旦は馬鹿げた水玉模様のパジャマのまま昼過ぎまで寝て過ごし、ろくに話もしないまま、同日元旦の夕方にすっ飛んで帰る」などという情緒欠乏的な日程は控えてもらいたいものだ。
もうひとつ。
たまに列車に乗ったら、スマホの画面から視線を引き剥がし、車窓を眺めるといい。
ふと、自分の人生模様が垣間見えるときがある。
大事なことだ。
(2023.01.02)