# 19 自分語り 【 隠居入門 その3 】~ 良き茶飲み友達とは? | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

  老人と若者には一つの共通点がある。

   自分語りが好きなことだ。

   所帯盛りの壮年層は、所帯やつれで、そういう暇なことにかまけている余裕がない。

  無論、例外もたくさんある。自分の過去は一切話さない老人、自分のプライバシーについては黙して語らない若者だっている。だが、そういう用心深い例外タイプが、自分語りが嫌いかというと、それも違う。何かの拍子にタガが緩むと、堰を切ったように話し出す。日頃抑制している分、話したいという水圧が余人よりも高いからと思われる。

  しかし老人と若者の「自分語り」には、多少なり悲劇的な側面がある。

  誰もそんなものを聞きたいとは思わないことだ。

 

 

                                            

 

 老人の自分語りについては、以前書いた。

 

    # 12 高齢者某氏との会話、若者某君との会話【雑談2】

     # 16 高齢者クラブデビュー【隠居入門 その2】

  

   自分の生誕から齢90歳の今日までを語り尽くす気か、とか、余命半年の診断書でも見せるつもりか、とか、思わずこちらの腰が引けてしまうような人がいる。

   年寄の長話など、自分におこぼれでも回ってこない限り犬も食わないのが世間というもので、ましてや、生老病死の苦悩や「不幸自慢」など真っ先に目を背けられる。

   なのに老いの哀しさは、自身が胸襟を開いて苦悩を語れば、他の世代も真摯な関心と深い同情を示してくれるだろうと思い込むところにある。

  そんな筈がないことは、自分が若い頃の老人への態度を振り返ってみれば分かる。

 

 

 

                                    

 

  若者の「自分語り」にはこの種の孤独は比較的薄いが、その分、十分世間のフルイにかけられていない迂闊さと滑稽さがある。かなり以前に流行った言い回しで、今の「チョーやば!」と同じくらい当時の若者が多用した流行語が思い出される。

   「私って・・・な人じゃないですか」

 これを仕事の場で初めて耳にした時、私は内心のけぞるほど驚いた。場所は顧客A社の本社ビルの応接室、私は売り込み中の装置の断面図をテーブルに置いて商品説明中、相手は初対面の若い購買部員で、こう言った。

   「私って、几帳面な人じゃないですか」

  総額2,500万円ほどのドイツ製脱硫装置を売り込みに来ていた私が知りたかったのは、A社が幾ら位の予算を組んでいるかであって、断じて目の前の若い購買部員の人柄ではなかった。

  無論、相手が単に流行語を使っているだけで、他意がないことは分かった。ただ、その他意のなさ加減、言語センスのずぼらさ加減、未熟さ加減、換言すると(言ってて恥ずかしくないのか?)という心からの素朴な疑問が、消化不良の胃液のように湧いて出た。

 

 「良き茶飲み友達とは?」に話を移せば、一にも二にも聞き上手な人に限る。

   中には、惚れ惚れするほどバランスの取れた人格を有し、あなたの取り留めのない話を「うん、うん」と聞き、名人芸かと思われるほどのタイミングで相槌を打ち、時には一緒に憤慨したり、泣いたり、喜んだりしてくれる人もいるだろう。

   そんな人が見つかったら、あなたは金鉱を掘り当てたも同然だ !

   絶対に手放してはならない。その人こそ、あなたの余生を慰め、日の暮れ始めた道を照らしてくれる得難い先達であり、不二の友となる人だから。但し、その人がある日、声を潜めて、1千万円投資したら確実に35%の配当金が戻ってくる、等の耳よりな儲け話を持ち出してくることもあるので、注意はしなければならない。