# 20 長安に男児有り 【雑談6】 ~ 古墳時代の青春の蹉跌 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

   唐代の詩人、李賀に有名な一首がある。

   次のように始まる。

 

       長安有男児 (長安に男児有り)

       二十心已朽 (二十にして心已に朽ちたり)

 

   若い天才詩人が人生に挫折して読んだ絶望の詩、とでも解説すれば良いか。

   李賀が生きたのは紀元250年以降、日本で言えば古墳時代。そんな大昔にあって、実に現代的な青春の蹉跌を歌った(敢えて無頼派風の訳を付す)。

 

       人生有窮詘  日暮聊飲酒

       (人生うまくいかね~よ。 日が暮れると酒びたりの毎日だ。)

       

       祇今道已塞  何必須白首

      (もうお先真っ暗さ。 白髪頭の爺ィになるまで、便々と生きる理由もね~しな)

 

    その宣言通り27歳で夭折し、後代で「鬼才」と称賛された。

 

            

 

   若者の夢は簡単に破れる。破れやすい夢を簡単に見るからだ。

   だからこそ、その拙さ、脆さが美しい。

   壮年期以降の夢は、夢ではない。リスク計算と自己能力分析に基づくプロジェクトだ。大成功しても、その収まる範疇は歴史か政治か経済で、詩ではない。誰も「長安に男児あり」と吟じてはくれない。悪くすると、創業社長が社員に配布する自伝のように悪臭がする。

   では老人の夢はどうか? 

   無論、白首の老人も夢を見る。

  アルバムのように、思い出ばかりを繰り返し夢に見る。