唐代の詩人、李賀に有名な一首がある。
次のように始まる。
長安有男児 (長安に男児有り)
二十心已朽 (二十にして心已に朽ちたり)
若い天才詩人が人生に挫折して読んだ絶望の詩、とでも解説すれば良いか。
李賀が生きたのは紀元250年以降、日本で言えば古墳時代。そんな大昔にあって、実に現代的な青春の蹉跌を歌った(敢えて無頼派風の訳を付す)。
人生有窮詘 日暮聊飲酒
(人生うまくいかね~よ。 日が暮れると酒びたりの毎日だ。)
祇今道已塞 何必須白首
(もうお先真っ暗さ。 白髪頭の爺ィになるまで、便々と生きる理由もね~しな)
その宣言通り27歳で夭折し、後代で「鬼才」と称賛された。
若者の夢は簡単に破れる。破れやすい夢を簡単に見るからだ。
だからこそ、その拙さ、脆さが美しい。
壮年期以降の夢は、夢ではない。リスク計算と自己能力分析に基づくプロジェクトだ。大成功しても、その収まる範疇は歴史か政治か経済で、詩ではない。誰も「長安に男児あり」と吟じてはくれない。悪くすると、創業社長が社員に配布する自伝のように悪臭がする。
では老人の夢はどうか?
無論、白首の老人も夢を見る。
アルバムのように、思い出ばかりを繰り返し夢に見る。