# 7 引退宣言【隠居入門 その1】~ 定年を考え始めた諸氏に | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 ある年の3月、私は某学術研究機関から受注した上下二巻の論文集(英語版)の編集作業を終えた。最後の1か月は昼夜兼行の突貫作業が続いて疲労困憊、平たく言えば死ぬかと思った。目も足腰も一気に衰えたように感じ、これ以上こんな生活はまっぴらだという気がした。

 それで、衝動的に、
 「俺はもう辞める。誰が何と言おうと辞めるぞ!」と周りに宣言した。
 呆れたことに、誰も何も言わなかった。
 娘に至っては、「辞めろ、辞めろ。辞めて小説書け」と囃し立てた。本人は激励のつもりだったろうが、当時彼女はまだ大学生で金がかかる。(小説なんて水ものに半年かけたあげく、コケでもしたら、お前の学費はどっから出るんだよ!)という極めてリアリスティックで貧乏くさい反論が頭に浮かんだが、よく考えるとこの反論は「俺はもう辞める!」宣言と論理矛盾を引き起こすので、私はただ笑って誤魔化した。

                
 

 

 それから何だかんだあった後、私は実際に辞めた。
 引退初日の朝(というか昼近く)を、いまだに良く覚えている。
 家族の姿はない。
 リビングで一人コーヒーを飲む。
 所在なさにテレビをつける。ものの30秒も経たないうちに、時間つぶしできるような番組は一つもないことに気づく。
 時計の針の動きがおそろしく遅い。1時間、1分、1秒がやたら長い。
 仕事場へ行ってメールチェックしなければ、という衝動が湧く。すぐに(もう行かなくても良いんだ)と思い直すが、寧ろ(もう行けないんだ)という、ひどく矛盾した、被害者じみた感情が滲み出る。
 良く晴れた気持ちの良い日、真昼間の時間帯に、物音ひとつ聞こえないリビングで一人座りながら、私は嫌でも気づいた。
 する事がなく、話す相手がなく、行く所もない。
 この3無状態に僅か数時間置かれただけで、殆どアイデンティティ崩壊の危機を覚えた。
 

 今さら引っ込みつかないと思った私は、翌日から引退活動を本格的に研究し始めた。
 まず、近所の住人との挨拶をきちんとする。ウォーキング、庭いじり等の趣味を持つ。何らかのグループ・コミュニティ(地域のボランティア活動、朝起きラジオ体操、ゲートボール、俳句、旅の英会話、等)へ入会する・・・。全てネットで検索した定番メニューだが、結果的に私はことごとく失敗した。と言うか、ウォーキングを除いて何一つ実行しなかった。とてもではないが、どれもこれも「×π△!&%」に感じられ、手が出なかった。またグループ内の人間関係も、一朝一夕に形成できるものではない(# 16 高齢者クラブデビュー【隠居入門 その2】~ ガッキー??)。 

 50~60歳にさしかかった人間が、定年後を考えて何か新たに趣味を持つということは、バク転するより難易度が高い。例えば、私のように梅と桜の区別もつかないような人間が、50歳を境目に突然庭いじりに目覚める、などということは通常あり得ない。社会に出てから読んだ本は30年で計5冊などという人間が、ある日突然俳句を捻りだすというのも考えにくい。

 それまでの人生で、意識的・無意識的にタネを撒いていた物しか花は咲かない、と私は思う。
 現在の私は中途半端な立場で、いまだに仕事もしている。しかしフルタイムからパートタイムくらいに作業量は減り、暇な時間が増えた。増えたから、せっせとこのブログを書いている。昔から書くことが好きだからだ。

 まだある。若いサラリーマンだった頃、私は麻雀、パチンコ、競馬に安月給のかなりの部分をつぎ込んでは負けていた。今も株式投資をやっていて、先日も東京ガスの含み損が30万を超え、塩漬けの花を咲かせている。

 


 定年を考え始めた諸氏には、これだけは前もって伝えておきたい。
 退職セレモニーでもらう大輪の花束は、毎年総務部の予算立てに組み込まれているもので、ルーティンワークに過ぎない。「また遊びに来て下さいね」と笑顔で送り出す後輩達は、実際に来られると業務が滞る。あなたが退職した後も、彼らには彼らの日常が続いている。
 少数の幸運な例外を除き、ハッピー・リタイアメントなど嘘っぱちだと私は思う。
 もしあなたが骨の髄まで会社人間なら、確実に私と同じ途を辿る。つまり、アイデンティティの危機にさらされる。
 「○○部長がアメリカに赴任するそうだが、この人事は自分にとって買いか売りか?」
 「△部長はどうやら重役レースから脱落しそうだから少し距離を置いて、××部長のコンペに参加させてもらえるよう根回ししておこう」
 「同期の◇が事業部長に昇格するらしい。何でこの私を差し置いてあんな奴が!」 
 日々、この種のサバイバル意識や情念が心の8割がたを占めて渦巻いていると、大輪の花束を抱えたまま、「する事がなく、話す相手がなく、行く所もない」ハッピー・リタイアメント地獄の入口で、呆然と立ち尽くす他はない。その先には抗鬱剤が待っている。
 (OB会なんか何の役にも立たないよ。Believe me.)

 手遅れにならないうちに、身の回りの、一切利害の絡まない人間関係を、大事に、大切に、花のように育てておくべきだろう。一夜漬けの趣味などあてにならない。既に、親しい私的な友人・知人がいるのなら、彼らは退職金よりも貴重な財産だ。家族は言うに及ばない。
 彼らこそが、巨大な利潤追求メカニズムでスカスカにされた搾り滓のようなあなたを救い、癒してくれる。喪失感でなく、充実感を保ったままのあなたでいられるようにしてくれる。